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武道は「天下無敵」という無限消失点をめざす行です。他人と競うものでもないし、誰かに査定されるものでもない。
2024年10月30日の内田樹さんの論考「武道はスポーツか」をご紹介する。
どおぞ。
朝日新聞の「耕論」という欄で「武道はスポーツか」というテーマで寄稿を求められた。パリ五輪で「武道家らしからぬふるまい」をしたアスリートがいたことが企画のきっかけらしい。
武道は修行であって勝敗を競うものではないということはずっと前から言っていることだけれど、改めて原稿を書いた。
合気道の開祖・植芝盛平は戦中、合気道の殺傷技術としての有効性を評価した陸軍幹部から合気道を軍隊で必修化したいという申し出を受けた時に、「それは日本人全員を鬼にするということである」と激怒したと伝えられています。
武術は殺傷技術ですが、私たちはそれを実際に用いるために稽古しているのではありません。極限状況に身を置いても透明な心と体を保つためにそのような状況が設定されているのです。
江戸時代の禅僧澤庵は兵法者は勝負を争わず、強弱に拘らず、敵との相対的優劣を競ってはならないと教えています。禅の修行において、どちらが早く「大悟解脱」に至るかを競争する僧はおりません。武道修行も同じです。武道修行の目的は「天下無敵」ですが、この境地に到達するレースを他人と競っているわけではありません。生涯をかけてただ淡々と修行するだけです。
たしかに剣道や柔道では勝敗が競われます。では、武道はスポーツなのか、違うのか。
これについては公式見解がありません。責任の一端は旧文部省にあります。戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は武道を禁止しました。武道が軍国主義イデオロギーの宣布に利用されたという理由からです。特に剣道が危険視されました。やむなく剣道は「しない競技」と名称もルールも変えて、「武道ではなくスポーツだ」として生き残りをはかりました。しかし、占領が終わり、剣道が学校体育に復活したときに文部省は「ああ言ったのは方便で、実は武道はスポーツではなく、日本の伝統文化なのである」と公的に前言撤回をしませんでした。今に続く武道とスポーツの混同はここに始まります。
日本人は「武道とは何か」という根源的な問いをネグレクトしたまま戦後80年を過ごしてしまった。
改めて確認しますが、武道は「天下無敵」という無限消失点をめざす行です。他人と競うものでもないし、誰かに査定されるものでもない。一方、スポーツは強弱勝敗巧拙を競うことで人間の心身の可能性を開発する卓越したシステムです。スポーツが人類にもたらした貢献に私は深い敬意を表します。でも、武道とスポーツは別ものです。「瞑想世界一」とか「我執を去るコンテストで金メダル」とかいう文字列が無意味だということは誰にもわかるはずです。武道には競争もランキングもないというのはそういう意味です。(朝日新聞、10月30日)