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武道では他人と相対的な優劣を競いませんし、誰かに査定されるということもありません。比較する相手がいるとしたら、それは「昨日の自分」です。「昨日の自分」とどこがどう変わったか。
2024年11月4日の内田樹さんの論考「『無知の楽しさ』についての質問票」(その1)をご紹介する。
どおぞ。
韓国の出版社企画で「無知の楽しさ」という本が出た。韓国の編集者や訳者の朴東燮からの質問に私が答えて一冊の本になったのである。それについてのメールでのロングインタビューがあったので収録。
内田先生、こんにちは
私は韓国で、作家、そして弁護士として働いているチョン・ウジンと申します。
このような形で、内田先生とお会いできる機会が得られて、ほんとうに嬉しく思います。
先日韓国で出版された『図書館には人がいないほうがいい』を読み、内田先生のまさに「大ファン」になり、先生のご本を何冊か家に積読していて(もちろん韓国語版ですが)、一冊ずつ読んでおります。
私はそれらの本の内容からいろいろ影響を受けているのですが、その中でももっとも印象に残っているのは「本というのは、およそ死ぬまでに読み切れなくても買って積んでおくものである」というところでした。そのおかげで最近本の購入量が本当に増えてしましました。(実はすごく増えてしまい、少し減らそうかと考え中です。)
今回先生がお書きになった『無知の楽しさ』を読んでみると、良い文章とは、読者に影響を与えなくてはならないというところがありましたね。私のようにその文章に確かに影響を受け、行動にまで移す人がいるということをちょっとお伝えしたく思いました。
今回のインタビューは、このたび先生が初めて韓国の読者向けに執筆され、出版された「ユユ出版社」の『無知の楽しさ』の出版記念として行われます。ですが、単にこの本を中心にしたインタビューというより、この本で先生が投げかけてくださったことを糸口に、自由に質問をさせていただくほうがいいのではないかと考えております。
特にこの本で「気になることがあれば、ためらわずに何でも聞いてみたらよいのではないですか」とお書きになっていた文章に背中を押され、「思いつくままに」お伺いするインタビューの時間とさせていただけたらと思います。
では、よろしくお願いいたします。
まず、このインタビューを読む方たちの中には内田先生についてよく知らない人もいるかと思います。もしそれが私なら「毎日、合気道の道場を開く哲学者」ということばがまず浮かぶだろうと思いますが、先生ご自身から自己紹介していただけないでしょうか。
はじめまして、内田樹です。インタビュー、どうぞよろしくお願い致します。
最初のご質問ですが、いつもインタビューされたときにどう自己紹介したらいいのか困ります。20世紀のフランス哲学・文学の研究者というのが、60歳までの「本業」でした。でも、大学教員を退職した後は、「物書き兼業武道家」と自己紹介するようにしています。本業は「武道家」で道場で弟子たちに武道を教え、余暇にはいろいろなトピックについて思いつくまま書いて原稿料を頂いているという意味です。
「本業」と「余暇」の違いは、「本業」の方は「武道を教わりたいという人」という方が道場まで来てくれて「教えてください」と言ってからしか始まりませんが、「余暇」は私の書いたものを読みたいという人がいてもいなくても書けるということです。頭の中味を出力して、自分が考えていることを知るために書いていますから、媒体からの寄稿依頼があろうとなかろうと書きます。興味があれば、何についても書きますけれど、ふつうの方より詳しい分野もあります。能楽と大学と医療教育とマルクスについては割と詳しいです。でも、もちろんそのどれについても「専門家」ではありません。
今回出版された本のタイトルが『無知の楽しさ』ですね。「無知」というと、一見すると頭を空っぽにしたまま無邪気に遊んでいる子どもたちや、酒に酔った人が思い浮かんだりします。このタイトルで内田先生が韓国の読者に伝えたいことなど簡単に紹介していただけませんか。
このタイトルは僕が選んだものではありません。もともと韓国の編集者の方が送って来たいろいろな質問に僕がそのつど答えたもので、それをまとめたときにどういう本になるかは事前には予測がつきませんでした。結果的に出来上がった本に『無知の楽しさ』というタイトルをつけた方にはどういう意味を込めたのか、僕も知りたいです。
最近韓国ではジムやピラティス、ランニングのような健康のためのいろいろな運動が流行っています。私もあれこれやってみましたが、長く続けるのは簡単ではありませんでした。合気道や武道の意味について語られる先生のご本を読むと、私も武道というものをしてみたくなりました。武道の魅力といいましょうか、 武道のよいところと言いましょうか、読者が武道をしたくなるような、お言葉をいただけたらと思います。
武道は「修行」です。格闘技でもないし、健康法でも護身術でもありません。
修行の目的は「天下無敵」です。もちろん、こんな目標に達することのできる人はまずいません。でも、それを目標に掲げないと日々の稽古はできません。
禅宗の僧侶たちは「大悟解脱」をめざして修行しますけれど、ほとんどの方はその境地に達する前に寿命が尽きます。でも、だからと言って「こんなことなら修行しなきゃよかった」と思って悔いる方はいないはずです。
修行というのはただ淡々と「道を進む」ことであって、目的地は喩えて言えば「シリウスの高み」のようなものです。決してたどりつけないけれど、そこ以外に目的地はない。
ですから、武道では他人と相対的な優劣を競いませんし、誰かに査定されるということもありません。比較する相手がいるとしたら、それは「昨日の自分」です。「昨日の自分」とどこがどう変わったか。それをモニターする。微細な変化が何によってもたらされたのか、それは何を意味するのか、どのような展開の前触れなのか・・・それを自分で吟味する。とても心楽しい、わくわくする作業です。その「わくわくする感じ」は合気道を始めて半世紀経っても少しも変わりません。