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弟子は師の背中を見つめて歩むだけで、他の人と勝敗強弱巧拙を競うようなことはしないのである。
2025年3月21日の内田樹さんの論考「弟子であること」をご紹介する。
どおぞ。
毎年韓国から凱風館にお客さんたちがおいでになる。私の本の読者たちである。私の本の多くを韓国語訳してくださっている朴東燮(パクドンソップ)先生が企画して、引率してくれるのである。
今年は二組がいらした。最初は地方で共同体を作ろうとしている移住者たち、二度目は出版関係者たち。来館者たちからいろいろ質問を受けて、それに私がお答えするという趣向である。
一番面白かった質問は「先生はどうして、そんなにものごとにこだわらないでいられるのですか?」というものだった。つい笑ってしまったけれど、ご指摘の通りであるので、こうお答えした。「弟子だからです。」
私は哲学においてはエマニュエル・レヴィナス先生を、武道においては多田宏先生を師と仰いでいる。レヴィナス先生は亡くなってもう30年になるけれど、亡くなっても師であることに変わりはない。
私はこの二人の師の背中を見ながら道を歩いている。この道がどこに続くのか、今行程のどこにいるのか、他の弟子たちは私より先んじているのか、遅れているのか、私にはわからない。師が語る言葉、その一挙手一投足に込めた教えが何を意味するのかも私にはよくわからない。わからないから、わかりたいと思う。わからないのは、師の教えがあまりに深遠であり、それに比して私の器があまりに小さいからである。でも、その小さな器で師の教えを汲む以外に弟子の私にできることはない。だから、日々少しずつ掬っては、私の後を歩んで来る同門の人々に「はい」と手渡す。そういうことを半世紀ほど続けている。
そのようにして、この半世紀論文を書き、本を出し、武道を教えてきたけれども、どれについても誰かと優劣や良否を競ったことがない。弟子は師の背中を見つめて歩むだけで、他の人と勝敗強弱巧拙を競うようなことはしないのである。
私が「こだわりがない」ように見えるとしたら、それは私が弟子だからである。私が「わからない」「できない」と感じるのは、師がそれだけ偉大であることを意味している。そのような師に仕えることのできるわが身の幸運に感謝しているから、私はいつも機嫌がよいのである。そうご説明した。
(AERA3月5日)