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内田樹さんの「月刊日本インタビュー「権藤成卿論を書いて」(その2)」 ☆ あさもりのりひこ No.1699

「日本型コミューン主義」というのは、サイズの異なる「社稷=コミューン」が列島に並立し、それを天皇が象徴的にゆるやかに統合するという統治モデルのことです。

 

 

2025年5月13日の内田樹さんの論考「月刊日本インタビュー「権藤成卿論を書いて」(その2)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

―― 「帝国の再編」において、日本はどういう立場になりますか。 

 

内田 日本の選択肢はとりあえず「アメリカの属国であることを続ける」「中国の属国になる」「独立する」という三つです。日本の支配層は第一の選択肢しか頭にありません。「日米同盟基軸」以外の国家戦略を考えたことがないのだから、仕方がない。ですから当面は「トランプ皇帝」の恣意的な命令に従って防衛費を積み上げて米国製の兵器を爆買いし、在日米軍基地のための「おもいやり予算」を増額し、憲法9条を廃止して自衛隊を米軍の「二軍」として差し出す......というふうにひたすらアメリカのご機嫌を伺って、実質的に国を切り売りするという以外に自分たちの政権を維持する道筋を思いつかないと思います。

 しかし、今の自民党なら第二の選択肢も案外あっさり受け入れるかも知れません。日本は華夷秩序の中で「高度の自治を許された東夷の属領」でした。「親魏倭王」の官命を下賜された卑弥呼から「日本国王」を名乗った足利将軍、「日本大君」を名乗った徳川将軍まで1600年間、明治維新まで日本の為政者は形式的には久しく辺境自治区の「王」でした。日本が華夷秩序から離脱してまだ150年しか経っていないのです。そもそも「日本」という国名そのものが「中国から見て東」という意味なんです。それを嬉々として国名にしている。幕末には「日本」という国名を廃するところからしか国の独立は始まらないと主張した矯激な志士もいました。論理的にはその通りなのです。でも、それに同意して「日本というような屈辱的な国名を廃せ」という志士は後に続かなかった。それほど深く華夷秩序のコスモロジーは日本人に内面化しているということです。ですから、習近平が「天皇制と民主政には手を付けない」と約束してくれたら、日本人は割とあっさりと中華人民共和国の辺境として、中国に「朝貢」して生きるという道を選ぶかも知れない。

 最も望ましくそして最も難しいのは第三の選択肢です。

 かつてサミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』で、日本は中華文明にも西欧文明にも属さない独自の文明圏であるとみなしました。ハンチントンが本を書いた1990年代には日本にはそれくらいの潜在的な国力があると思われていたのです。でも、現在の日本はアメリカの属国であることに慣れ切って、もう単立の帝国を打ち立てるだけの気概も実力もありません。

 それでも日本がどの帝国にも帰属せず、独立を全うしようと願うなら、固有の地政学的ポジションを生かすしかありません。アメリカ帝国の「西の辺境」、中華帝国の「東の辺境」というあいまいな位置を活かして、「帝国の隙間」をニッチとして生き延びるチャンスもあります。

 この点では韓国も同じです。日韓両国は地政学的には運命を共にしています。それゆえ独立をめざすなら「日韓同盟」が ベストの選択だと僕は思います。日韓を足すと人口1億8000万人、GDP6兆ドル(世界3位)という巨大な経済圏ができ上がります。軍事力でも今は韓国が世界5位、日本が8位ですから米中二大帝国の隙間に埋没することはありません。そして、米中と等距離外交を展開して中立地帯を形作る。帝国との同盟という「連衡」策ではなく、中規模国家同士の「合従」策を採るのです。

 それに「列強の支配に抗して日韓両国が手を結ぶ」という物語に日本人なら聞き覚えがあるはずです。かつて権藤成卿、内田良平、鈴木天眼、樽井藤吉、宮崎滔天らは朝鮮の全琫準や金玉均らと共に日韓同盟を策しました。結果的に日本のアジア主義者たちは「日韓同盟」の素志を失って、列強を真似て朝鮮を「併合」するという愚策に堕してしまった。でも、初発の動機には純粋なものがあった。

 ですから、再び「日韓同盟」の可能性をめざすには、明治20年まで立ち戻り、そこからやり直す。僕が『日本型コミューン主義の擁護と顕彰』を書いたのは、権藤成卿を手がかりに「日韓同盟」構想をその原点から吟味するためです。

 

―― 帝国の再編に伴い、日本国家も解体に向かう恐れがあるのではありませんか。

 

内田 日本も経済格差が拡大し、地縁・血縁共同体が崩壊して個人が原子化し、「公共」が痩せ細り、国家的統合を失いつつあります。国民的統合を再建するためには、もう一度公共を豊かなものにすること、「コモンの再生」が不可欠です。

 権藤成卿は「聖王と良民」が中間的権力装置を排除して直接結びつく「君民共治」「社稷自治」という日本型コミューン主義のうちに日本再生の道を求めました。僕はこのアイディアは基本的には正しいと思います。もちろん、一切の中間権力装置を廃した「君民共治」という政体は過去に一度も実現したことがないし、これからも実現することはないでしょう。でも、実現不能であっても、それを理想としてめざすことはできる。というか、実現不能の理想を持つことなしに、現実を変えてゆくことはできない。

 困難な理想を掲げる人を「非現実的だ」と嗤う人がいますけれども、何の理想も持たず、ただ現実を追認するだけの人間は決して現実を変えることはできません。「後手に回る」人間は必ず敗ける。当たり前のことです。

 政治において「先手を取る」というのは、実現困難であっても誰もが同意できる理想を掲げることです。それに向かう道を愚直に歩むことです。それなら道なかばで倒れても少しも悔いることはない。

 「日本型コミューン主義」というのは、サイズの異なる「社稷=コミューン」が列島に並立し、それを天皇が象徴的にゆるやかに統合するという統治モデルのことです。太古的な起源を持つ天皇制と近代的な立憲デモクラシーを両立させることです。これは困難な課題です。過去にこんな事例が存在しないからです。だから、どこかにできあいの「正解」があって、それを適用すれば成るというものではない。世界の誰も僕たちに代わって「こうすればいいよ」と教えてくれたりはしない。日本人が自分で考えるしかない。

 でも、「氷炭相容れざる」二つの統治原理を両立させるために葛藤することで政治単位として生きるというのは別に珍しいことではありません。アメリカがそうです。「自由」と「平等」は原理的に両立しない。でも、それを何とか折り合わせようとする努力を通じてアメリカはその国力を増大させてきました。今アメリカが没落しているのは「自由と平等は両立しない(だからどちらかを諦めよう)」という単純な統治原理に人々がすがり始めたせいです。

 人は葛藤を通じて成熟する。それは集団も同じです。葛藤するのは嫌だ、単一原理で統治したいと思ったら国は衰退する。ハミルトンやマディソンの『ザ・フェデラリスト・ペーパーズ』とピーター・ティールの『ゼロ・トゥ・ワン』を読み比べると、「自由と平等の葛藤」をまっすぐに受け止めた建国の父たちの政治的見識の深さと、現在アメリカを支配している単純な超自由主義(勝った者が総取りし、負けた者は路傍で野垂れ死にすることで社会は加速的に変化してゆく)の幼児性の対比に驚嘆するはずです。

 僕たちが権藤の社稷の思想を前に進めるためには、「コミューンを統合する機能は果たすけれども、決して中間権力化しない統治機構」を構想しなければなりません。この時に僕はハミルトンたちフェデラリストの政治思想は参照すべき足場になると思います。

 独立宣言の後、合衆国憲法が制定されるまで11年の歳月を要したのは、独立13州の州政府にもともと有していた政治的実力を委ねるか、それとも連邦政府に常備軍を含む巨大な権限を委託するか、それについて国民的合意が得られなかったからです。フェデラリスト(連邦派)は連邦政府に大きな権限を託すことを求めましたが、多くの国民は自分たちの身近にある州が政治的実力を維持し、連邦はあくまでその形式的な連合にとどまることを望みました。

 ハミルトンはその時に連邦派を代表して、仮にヴァージニア州に英軍が侵攻した時に、コネティカット州が「よその国(state)を守るためにわれわれが金を出し、血を流す義理はない」と言い出したらどうやって合衆国の独立は守れるのかと問いました。これは空想的な仮定ではなく、日本の幕末には実際に起きたことです。長州を四カ国の軍が攻めた時も、英国が薩摩を攻めた時も、他の藩は「対岸の火事」だと傍観した。いくつもの政治単位を統合する政府(連邦政府/明治政府)がなければ国は保てないのです。

 日本型コミューン主義でも、列島に広がるいくつものコミューンを統合する統治機構が必要です。いわば「インター・コミューン・ガバメント」(共同体をとりまとめる政府)です。「君」と「民」の間に、「決して権力化することのない官」という逆説的な政治機能を立ち上げなければならない。「君民共治」を実現するためにはそのような「官」がどうしても必要なのです。では、それはどのようなものであるべきか。

 これについてもハミルトンは深い洞察を語っています。州政府は同質性の高い州民たちによって構成されています。気質も宗教も生活文化も近い人たちが集まっている。州は共感と同質性に基づく血の通った共同体なのです。一方、連邦政府は観念的な工作物です。独立戦争という急場をしのぐために暫定的に作った仕組みです。ですから、もし、連邦政府と州政府の間で意見の対立があった場合に、ほとんどの州民は「ことの理非にかかわらず」、州政府の側に立って、銃を執って連邦政府と戦うはずです。

 だからこそ州に軍事力を与えてはいけないとハミルトンは説きます。「権力は人々が心を許せる者の掌中にあるより人々が猜疑の眼を以て見守る者の掌中にある方が無難だからである」(第二十五編)。

 これは政治的に成熟した人にしか語れない知見だと思います。コミューンの上位にあって、それを統合する権限を委ねられた政府を人々はつねに「猜疑の眼を以て見守る」必要がある。つまり、統治機構は「共感と同質性」ではなく、「社会契約」という「観念的なつくりもの」の上に置かれなければならないということです。

 この理路はそのまま「君民共治」における「官」にも当てはめることができると思います。人民にとってコミューンは「心を許せるもの」です。でも、インター・コミューン・ガバメントは「猜疑の眼を以て見守る」べきシステムです。あるいは、コミューン=社稷は自然発生的な有機的共同体だが、インター・コミューン・ガバメントは社会契約に基づく擬制であると言い換えてもよい。

 

 権藤成卿は「私はただ綺麗なものがほしいのです」という言葉を残しています。彼にとって「君」と「民」は「綺麗なもの」でしたが、「官」は「汚いもの」でした。しかし、僕たちが「君民共治」の理想を目指すならば、中間権力機構という「汚いもの」について、その「汚さ」を最少化する有効な手立てを思量し続けなければなりません。この作業に終わりはないと僕は思います。