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内田樹さんの「武道的思考(KOTOBA収録)(その3)」 ☆ あさもりのりひこ No.1719

修行とは心身を浄化し、透明にすることです。汚れや詰まりを洗い去ることです。

 

 

2025年6月18日の内田樹さんの論考「武道的思考(KOTOBA収録)(その3)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

道の場――道場

 

 僕が凱風館という自前の道場を持って十四年が経ちます。毎朝起きると道場に行って、禊教に伝わる呼吸法を行い、三種の祝詞をあげ、般若心経と不動明王の真言を唱え、九字を切り、最後に中村天風先生の今日の誓い「今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず、正直、親切、愉快に・・・」を唱えて、道場を霊的に浄めるのが道場長としての僕の仕事です。

 僕はよく道場を自然科学の研究室に喩えて説明します。「君たちは研究者で、それぞれの研究課題を抱えてこのラボに集まってきている。機材や試薬はボスである僕が提供するからみんな好きに研究してくれ。」凱風館はそういうイメージの道場です。僕の仕事はみんなが研究に集中できる環境を整備することです。

 そのためにはとにかく低刺激環境を整えることが必須となります。刺激が強い環境では感受性を敏感にすることができません。現代社会では、目に入るものも、耳に聞こえる音も、体に触れるものも、臭いも、決して快適なものばかりではありません。だから、自己防衛上どうしても身体感受性を鈍感にして、外界からの入力を減らそうとする。でも、それでは稽古になりません。

 できるだけ身体感受性を高い感度に保ちたい。ですから、道場では目に入るものも、肌に触れるものも、においも、どれも気持ちの良いものでなければなりません。どれだけ敏感になっても不快な入力がないという条件を整えること、それが道場長としての僕の責務です。

 

 敵味方を対立させ、勝敗優劣を競うのはあくまで脳の働きです。細胞レベルには「自己と他者」という対立もありませんし、「どちらが強いか」という競争もありません。むしろ同種の個体が近くにあると、細胞レベルではまず「同期」しようとします。同種のものとはシンクロナイズして、「かたまり」を作る方が生存戦略上有利であるというのは、生物が発生して以来の常識だからです。

 合気道は生物が持つこの本性的な「同期」志向を利用する技法と言ってよいと思います。同期においては、どちらかが同期誘発者になり、どちらかが被誘発者になります。同期を誘発するものが「場を主宰する」。生物としてより強く、より速く、より自由度の高い動きをするものが同期を誘発し、場を主宰することができる。これも生物発生以来の基本原則だったはずです。

 そのためにはものごとを対立的にとらえる脳の影響をできるだけ排して、細胞レベルで最適と感じられる動きを選択し続ける必要があります。でも、「脳の干渉を排除する」と口で言うのは簡単ですけれど、やるのは難しい。

 例えば「手さばき」。手はいちばん脳がコントロールしやすい部位なので、手をうまく使おうと意識すると、そこにリソースが集中して、他の部位にはリソースが行き渡らなくなり、手以外の部位は常同的なあるいは機械的な動きに固着されることになる。

 全身がなめらかに連動し、すべての身体部位が等しく高い感受性を享受し、高度な操作性を発揮できるためには、脳に少し「眠って」もらう必要がある。ですから、合気道では動くときに軽い瞑想状態に入るように教えられます。合気道が「動く禅だ」と言われるのはたぶんそのせいです。

 稽古では、身体を脳の支配から解放して、自発的に動くように指導します。軽い瞑想状態が続くわけですから、90分の稽古が終わるとみんな風呂上りみたいに、頬が紅潮して、お肌つるつるになります。会社や学校でいやなことがあって、メンタルストレスを抱えてきた人が、稽古が終わった時には自分が何で悩んでいたのかさえ忘れてしまう。

 開祖は「合気は禊である」とおっしゃっています。端的に言えば、修行とは心身を浄化し、透明にすることです。汚れや詰まりを洗い去ることです。

 僕が稽古指導をしていていちばん嬉しいのは、門人のみなさんが自分の身体を丁寧に扱うようになることです。学校体育で低い評価を受けて、「自分の身体は出来が悪い」と思い込んでいた人が自分の身体に対して敬意と好奇心を持ってくれること。それこそが道場の持つ最も教育的な意義だと僕は思います。