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内田樹さんの「イタリアで思ったこと」 ☆ あさもりのりひこ No.1735

仕事が忙しいのはわかる。海外旅行をするほどの余裕がないのもわかる。でも、たまには仕事も家族も忘れて十日ほどの修行の旅に出るくらいの気概はあってもよいのではないか。

 

 

2025年8月5日の内田樹さんの論考「イタリアで思ったこと」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

今イタリアに来ている。ヨーロッパに来るのはコロナ前の2018年以来である。

 いろいろ変わったが、一番変わったのは円が安くなったことである。前に来た時より40%ほど円の価値が減じていた。通貨が弱いと、国力が下り坂だと実感する。円安政策をうれしげに推進してきた努力の成果がこれなのかと情けなくなる。たしかに円がこれほど安ければ、外国人観光客は日本に殺到するだろう。逆に日本人の若者が海外に出かけることはひどく難しくなった。

 80年代の終わり頃、夏休みにパリに行ったら、サン=ミシェル通りを下る途中で同じ大学の院生にばったり出会った。さきほど知り合いに会ったと言うので、探し出して三人でランチをしたことがある。夏休みにパリに行くと誰か知り合いに遭遇するのが珍しくなかった。海外旅行がそれくらいカジュアルだった時代がかつてはあったのである。

 私がイタリアに来ているのは合気道の師である多田宏先生が当地で6年ぶりの講習会を開くことになったからである。師は御年95歳。74歳の弟子が高齢を理由にさぼるわけにはゆかない。

 来て驚いたのは、日本から来ている合気道家たちのほとんどが女性だったことである。彼女たちが各国の合気道家たちと歓談している姿を見ると、なんだかまぶしい。私の道場凱風館からは14人が参加したが、男性は2人だけである。他の道場も同様である。

 女の人たちは仕事を休み、家族を置いて、大きなトランクを引きずって修行の旅に出てきているのに、男たちは何をしているのだろう。仕事が忙しいのはわかる。海外旅行をするほどの余裕がないのもわかる。でも、たまには仕事も家族も忘れて十日ほどの修行の旅に出るくらいの気概はあってもよいのではないか。たぶん「修行に行きます」という言葉がジョークとしてしか受け取られない環境に日本の男たちは置かれているのだろう。気の毒な話だ。

 

(信濃毎日新聞7月25日)