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内田樹さんの「勝ちに居着く」 ☆ あさもりのりひこ No.1742

私たちの社会が今息苦しく感じられるのは「成長することを止めた成功者たち」がおのれの生き方を標準的なものとして他人に押し付けようとするからである。その発想の貧しさが私たちを窒息させるのである。

 

 

2025年8月9日の内田樹さんの論考「勝ちに居着く」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

今の日本は息苦しい。社会に流動性が欠けているからだと思う。階層下位の人間の前にはキャリアパスが開けず、支配層は権力と財貨を占有している。「勝ち組」「負け組」という言い方が流行ったのは、「組」という語にインパクトがあったからだろう。「組」でも「党派」でも「部族」でも、なんでもいい。要は同質性の高い集団が排他的に固まり交流を拒否しているというのが流動性を欠いた社会の特徴である。現代日本はそのような社会になりつつある(日本だけではないが)。

 なぜ、社会的流動性が失われたのか。私は「競争」のせいだと思う。勝敗を争い、優劣強弱を競うことによって人間はその能力を最大化するというのは現代において支配的な人間観である。確かにここにはそれなりの経験的根拠はある。でも、競争を通じてのみ人は能力を高めるという命題は真ではない。少なくとも私には妥当しない。それは私が「競争する人」ではなく、「修行する人」だからである。

 武道修行では「勝負を争わず」ということを最初に教えられる。そう言うと驚く人がいるが、考えればわかる。負ければ負けに居着き、勝てば勝ちに居着く。そして、「居着き」こそは修行上の最大の禁忌だからである。

 修行というのは連続的な自己刷新のことだ。だが、「勝ちに居着いた人」はもう成功体験を手離せなくなる。「勝ちパターン」を繰り返し、他人にも「成功するにはこうしろ」とうるさく教えるようとする。そうやって「勝ちに居着いた人間」は成長を止める。

 私たちの社会が今息苦しく感じられるのは「成長することを止めた成功者たち」がおのれの生き方を標準的なものとして他人に押し付けようとするからである。その発想の貧しさが私たちを窒息させるのである。もう一度清涼な空気を社会に呼び戻したい。

 

(信濃毎日新聞731日)