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内田樹さんの「研究者とカナリア」 ☆ あさもりのりひこ No.1801

カナリアはガスが発生するとまず死ぬ。だとすると、研究者は世の中に毒が充満し始めた時に「まず死んでみせる」ことが仕事なのかも知れない。最近本気でそう思うようになってきた。それくらい日本社会の空気が汚れている。

 

 

2025年12月7日の内田樹さんの論考「研究者とカナリア」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

どんな媒体にも好きなことを書いている。講演を頼まれても好きなことを話す。心にもないことを言葉にすることは私にはできない。別に私が生来「正直者」であったわけではない。若い時はふつうに嘘をついて生きて来た。でも、ある時から「正直に生きよう」と決意した。30歳くらいの時だったと思う。研究者として生きる決意をしたからである。

 研究者は嘘をつくことが許されない。いや、嘘をつく研究者は実はたくさんいる。でも、知らないことを知っているふりをしたり、理解できないことを「理解するに値しない」と言ったり、おのれの私見を「周知のように」と偽ったりしていると、そのうち研究のインセンティブが失われる。

 というのも、研究者というのは、「知らないこと」を知りたいと願い、「理解できないこと」に遭遇すると心が震え、私見を伝えるために道行く人の袖をつかんで「お願いだからわかって」と懇請するような人間のことだからである。いや、私がそう思っただけで、別に世間の常識ではない。でも、私はそう思った。それからできるだけ正直な人間になろうと努めてきた。

 理に合わないことに遭うと「アラーム」が鳴動する。「理に合わない」のは、出会ったものそのものが不条理である場合もあるし、私自身の知的枠組みが狭くて、その対象を受け止め切れない場合もある。後者なら、私の知的枠組みをいった解体して、再構築する必要がある。研究者というのはこの作業を繰り返す生き物である。だから「理に合わないこと」に対する感受性はつねに高く設定されている。誰よりも先に「理に合わないこと」に感応するのが仕事である。「炭鉱のカナリア」のようなものである。

 カナリアはガスが発生するとまず死ぬ。だとすると、研究者は世の中に毒が充満し始めた時に「まず死んでみせる」ことが仕事なのかも知れない。最近本気でそう思うようになってきた。それくらい日本社会の空気が汚れている。

 でも、私は研究者であると同時に武道家である。武道家の場合は「なかなか死なない」のが手柄である。柳生宗矩は『兵法家伝書』で「座を見る心 機を見る心」のたいせつさを説いている。

「一座の人の交りも、機を見る心、皆兵法なり。機を見ざれば、あるまじき座に永く居て、故なきとがをかふゞり、人の機を見ずして物を云ひ、口論をしいだいて、身をはたす事、皆機を見ると見ざるとにかゝれり。」

 

 いなくてもいいところに長居したせいで筋違いの言いがかりをつけられたり、言わなくもいいことを口にしたせいで諍いを起こし身を滅ぼすことを宗矩は諫めている。武道家は空気が汚れたところにはそもそも立ち寄らないのである。「カナリア」になって人より先に死ぬか、武道家として身を滅ぼすリスクを回避するか。むずかしい選択である。どちらかを選べと言われても肚が決まらない。仕方がないので当面は「正直な武道家」という中途半端な立ち位置でゆらゆらすることにした。(2025年12月4日)