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内田樹さんの「パクスアメリカーナの終焉」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1818

米中両国が戦争を回避しようとしている時に、日本ひとりがいたずらに緊張を高めている。状況が理解できない愚かなプレーヤーと言うしかありません。

 

 

2026年1月17日の内田樹さんの論考「パクスアメリカーナの終焉」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

―― 国際政治学では米中両国が不可避的に戦争に至ってしまうリスク(トゥキディデスの罠)も指摘されています。

 

内田 米中戦争はしばらくないと思います。2017年のランド研究所の報告は「妥当な前提を置けば、米軍は次に求められる戦争で敗北する可能性がある」と結論づけていますし、同年、ジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長も「われわれが現在の軌道を見直さなければ、量的・質的な競争優位を失うだろう」と警告を発しています。それから8年経った2025年現在でも、通常兵器の戦争では、兵員数・艦船数・航空機数で米軍は依然として人民解放軍より劣勢です。

 だからこそ、アメリカは必死に「AI軍拡」を進めている。もう生身の兵士は使わない。ロボット、ドローン、無人戦闘機、無人艦船、ネットへの侵入、宇宙からの攻撃で戦況を決定するという新しい戦闘形態へシフトしています。敵軍の通信システムをハッキングして指揮命令系統を寸断すれば、戦わずして敵を無力化できる。米中のいずれか先にこの戦争テクノロジー上のブレークスルーを達成した方が勝つ。でも、まだ米中どちらも圧倒的な技術力の差を示すには至っていません。だから、それまで「できるだけ多くのリソースをAI軍拡に注入すること」と「技術的ブレークスルーを達成するまでの時間を稼ぐ」ことが戦略的な優先課題になります。これは中国も変わらない。ミサイルで台湾のインフラを破壊してしまったら侵攻する意味がない。「無血開城」のためにはやはり軍の通信システムをハッキングして、指揮系統が機能しなくなるというのが最も効率がよい。

 ですから「当面は」米中戦争はないというのが僕の診立てです。でも、アメリカとしては何としても中国の東方進出は阻止したい。でも、米中戦争はしたくない。だから、「米軍は後方支援に徹して前面には出ない。日韓台に戦わせて、三国の犠牲で中国の兵力を削る」というシナリオがとりあえずのベストだということになります。

 

―― そのなかで、高市総理は台湾有事について「存立危機になり得る」と発言し、中国は対抗措置を取っています。

 

内田 米中両国が戦争を回避しようとしている時に、日本ひとりがいたずらに緊張を高めている。状況が理解できない愚かなプレーヤーと言うしかありません。

 中国の外交的圧力はこのままエスカレートすると思います。まず言論による批判、次に段階的な経済制裁、それから軍事的威圧。中国はセオリー通りに日本への圧力を強めています。高市首相の発言撤回と謝罪がない限り、どこかで中国が自主的に圧力を止めるということはあり得ないと思います。

 中国には切れるカードがありますが、日本には対中国で切れるカードがありません。すでに勝負は決している。でも、高市首相はいつまで経ってもこの事実を認めない。中国が圧力をエスカレートするごとに日本の国益は損なわれる。政府はメディアを利用して「反中国世論」を形成して、ナショナリズムで政権浮揚力を維持しようという考えでしょうけれども、そんな煽りは国内向けには有効かも知れませんけれど、国際社会には通用しません。今回の高市発言については、日本の味方をしてくれる国も国際機関も存在しません。いずれどこかの段階でトランプの「もう高市を辞めさせろ」という意を受けた自民党の一部や損害に音を上げた財界が「高市おろし」を始めるでしょうけれど、それまでに一人の政治家の軽率のせいでどれほどの国益が失われるか、考えると絶望的な気分になります。

 

―― 仮に米国がアジアから撤退した場合、東アジアの秩序や日本の立場はどうなりますか。

 

内田 前近代的な「華夷秩序」に回帰するだろうと思います。華夷秩序のコスモロジーでは、中華皇帝が世界の中心にいて、そこから「王化の光」が同心円的に広がる。中心から遠ざかるにつれて光は弱まり、「化外の民」が蟠踞する辺境になる。辺境は王土であるかないかよくわからないグレーゾーンです。辺境の蛮族でも皇帝に朝貢すれば官位と下賜品を与えられ、高度の自治を許される。でも、「独立」しようとすると征伐される。辺境における「一国二制度」は華夷秩序の常態です。

 日本は「東夷」という辺境ですから、「親魏倭王」卑弥呼の時代から「日本国王」足利義満、「日本大君」徳川将軍の時代まで、1600年にわたって中華皇帝から冊封されてきた歴史があります。ですから、仮に米国が日米安保条約を破棄して、アジアから撤退すれば、因習的に思考する日本人は自動的に再び「東夷」というステイタスに戻るでしょう。朝貢すべき帝国がアメリカから中国に変わるだけで、辺境であること自体は変わらない。これまでアメリカの属国であることに慣れ切ってきた日本人の多くは「これからは中国の辺境になる」と言われても、さしたる心理的抵抗なしに受け容れるだろうと思います。

 もっとも、中国の覇権もいつまで持つかわかりません。すでに中国は急激な人口減少局面に突入しています。現在でも、大学新卒者の20%が就職できず、非正規のギグワーカーは2億人に上り、就職しても地方自治体は給料遅配、都市部の企業でも、いきなり給料カット、解雇という経済的な不安のうちに国民は置かれています。生活不安が拡大すれば共産党政権も不安定化する。これまでも中国では治安維持費が国防費を上回ってきましたが、それは要するに「外敵の侵略よりも内乱の方のリスクが高い」と中国政府が判断しているということです。これから国内での不満が醸成されるようになると、政府も戦狼外交より国民監視に優先的にリソースを割くことを余儀なくされる。

 

―― 習近平は「中華民族の偉大なる復興」を掲げて、アジアからアメリカの影響力を排除しようとしています。これは大日本帝国の「大東亜共栄圏」に近いアイデアだと思います。

 

内田 それは話が反対で、大東亜共栄圏構想そのものが「中華皇帝」を「天皇」に置き換えた「日本版の中華思想」なんです。豊臣秀吉が明を攻略して、南京で後陽成天皇を新たな王朝の皇帝に即位させようとしたのと同じアイディアです。辺境を統合した「蛮族」は必ず「中原に鹿を逐う」。これは辺境民の「義務」なんです。

 

―― その一方で、わが国には聖徳太子が隋と対等な関係を目指し、北条時宗が元への服属を断固拒否した歴史もあります。日本はあくまでも独立を目指すべきです。

 

内田 『フォーリン・アフェアーズ』の最新号にCSIS顧問のブレジンスキーが日本の東アジアでの立ち位置について興味深い指摘をしています。日本があからさまに対米協調路線をとると東アジアの地政学的安定はむしろ損なわれるというのです。

「日本は極東における米国の不沈空母であってはならないし、アジアでの米国の主要な軍事パートナーであってもならない」とまで断言しています。それが米中の「戦略的合意」に達する見込みを低下させ、東アジアにおけるアメリカのフリーハンドを損なうからというのです。アメリカの保守派からはっきりと「『日米基軸』はもう賞味期限が切れた」と言われているんです。でも、日本の対米従属派はアメリカの意図をまったく理解していない。

 

―― 日中共存のためには、日中双方のナショナリズムを乗り越える必要があります。

 

内田 中国の反日感情は基本的に官製であり、国民に深く根差したものではありません。終戦時、中国大陸には200万人の日本の軍人・軍属がいましたが、蒋介石はラジオで「以徳報怨」を唱え、危害を加えないよう呼びかけました。事実、民間人含めてほとんどが無事に帰国した。1972年の日中共同声明で中国は戦争賠償の請求を放棄しました。日中戦争の中国側被害者数は最新の研究では軍人民間人合わせて2000万人から2500万人と言われていますが、この人的被害に対して賠償請求をしないと中国が言った。ソ連に武装解除された兵士たちは57万人がシベリアに抑留され、長期にわたる強制労働でその1割が死亡しました。先の戦争について言えば、中国人は明らかに例外的なまでの雅量を示した。このことに日本人はまず謝意を表すべきだと僕は思います。

 僕の父も岳父も中国で敗戦を迎えました。父は北京で宣撫工作に当たっていましたが、一年後に帰国を許されました。父に協力した中国人は殺されたが、父は「日本人だから」という理由で殺されなかったと後年回想しています。岳父は華南で降伏しましたが、現地の中国人から衣食住を施されて手厚く遇された。

 父も岳父も自分たちが中国で何をしてきたのか、その加害事実についてはほとんど何も語りませんでした。でも、日中共同声明後すぐに日中友好協会に入会して、生涯にわたり日中友好のために献身的に尽しました。父は中国人留学生の身元保証人になり、就職の世話をし、金を貸し、家に招いて食事をしていました。母に「なぜ縁もない中国人の世話をやくのか」と訊かれた時に、父は「中国には返しきれない借りがあるのだ」と言っていました。岳父は戦友会の仲間たちと敗戦時に滞在した村を繰り返し訪問し、電化製品を贈って村人の厚意に報いようとしていました。

 しかし、戦中派のこのような中国に対する感謝の気持ちは、国民的な記憶としては語り継がれませんでした。いま戦前の軍国主義を肯定するような言動を繰り返し、反中ナショナリズムを煽っている政治家や言論人は日清戦争以後の中国に対する日本の加害事実についても、中国人が敗戦後の日本人に示した寛容について無知であるか、無知を装っているのだと思います。

 

―― アメリカの覇権が終わるならば、それを前提とする日米安保体制も終わります。かつて安倍政権は「戦後レジームからの脱却」を唱えましたが、現在では否応なく戦後レジームから追い出されようとしている。

 

内田 日米同盟基軸がもう賞味期限を超えつつある以上、新しい安全保障構想が必要です。僕が提案しているのは「日米基軸」から「アジア連携」へのシフトです。ただ、アジア連携を果たすためには、戦前のアジア主義をきちんと総括しなければならない。戦前のアジア主義は中国や韓国と連帯して欧米列強の脅威に対抗しようとするもので、日本のアジア主義者たちは韓国の金玉均や中国の孫文らを積極的に支援しました。しかし、「連帯」の素志はシームレスに「指導」「支配」に変質し、ついに「侵略」に行き着いてしまった。

 戦前のアジア主義がなぜ失敗したのか、その痛切な総括の上に、もう一度「アジアの同胞と連帯する」道を目指す。それは日本人を含むアジアの戦争犠牲者たちを鎮魂し、歴史問題を乗り越える道でもあります。その先には必ずアジアの共存共栄があるはずです。

(「月刊日本」1127日 聞き手・構成 杉原悠人)