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首相は「中国が台湾に武力侵攻したら、日本は自衛隊を派兵して、中国と戦う可能性が高い」と言い切ったのである。高市自身はこれまで「内輪のパーティ」でこういう言葉づかいで威勢のいいことを言って、万座の喝采を浴びて来たという成功体験があったのだろう。その勢いでつい「それを言うといつも大受けする決まり文句」を口走ってしまった。軽率な発言である。一国の総理大臣が国会答弁で口にしてよい言葉ではない。「内輪のパーティ」と公式の場の区別がつかない人間は総理大臣の器ではない
2026年2月2日の内田樹さんの論考「日本にとって「最悪の事態」(前編)」をご紹介する。
どおぞ。
日中関係の緊張が高まっている。この原稿を書いているのは2025年の12月下旬だが、本が出る頃には時局はまた変わっているだろう。
高市早苗首相の「台湾有事発言」から始まった日中関係の悪化は、中国総領事の暴言、中国人観光客留学生への渡航自粛、水産物の輸入禁止、低レベルの経済制裁、公海上での軍事的示威、空自機へのレーザー照射・・・と段階をふんでエスカレートした。首相が発言を撤回し、失言を謝罪するまで中国の対日圧力はこのまま加圧されてゆくだろう。
中国政府の圧力について「カードを切る」という比喩がよく使われるけれど、実際に行われているのは「カードを切る」というようなデジタルな切り替えではなく、「ボリュームを上げる」というのに近いアナログな加圧である。つまり制裁には無限の選択肢があるという意味である。
今、レアアースは輸出許可が下りるまでこれまでより時間がかかっているそうであるが、これが「アナログな加圧」である。遅れが一週間になり、ひと月になり、半年になり、一年になる頃には、日本の自動車産業も電子産業も壊滅的な被害を受けることになるだろう。
中国はこの「アナログな加圧」については豊かなノウハウの蓄積がある。よく知られている通り、中国では治安維持予算が国防予算を超えて久しい。つまり、中国政府は外敵の侵攻のリスクよりも、国内で反政府運動が起きるリスクの方を高く査定しているということである。だから、国民監視の技術が発達する。中国の国民監視システムは世界最高レベルにあり、世界各地の独裁政権に「パッケージ」で輸出されている。
その中に「社会的信用システム」という監視技術がある。国民全員に「社会的信用スコア」が配点されている。政府の政策に賛同し、ネットで習近平を絶賛するような国民は高い信用スコアが得られる。逆に、共産党を批判したり、文化大革命や天安門事件や新疆ウイグルの民族運動に言及したりした国民には低スコアがつけられる。
低スコアだからと言って、いきなり逮捕投獄拷問というようなハードな処罰はされない。ただ、外国旅行の申請が通らないとか、ホテルや列車の予約が取れないとか、ネットがなかなか繋がらないというようなテクニカルなストレスがかけられるだけである。ソフトな拷問である。ただし、この拷問からは主体的に逃れることができる。ネットで習近平を絶賛し、通販で毛沢東全集を買い、中国共産党に入党申請をする・・・というような「面従腹背」行動をすればスコアを上げることができる。
そこが悪魔的な仕掛けである。別に中国共産党は14億の国民が心から独裁者に服すことを求めているわけではない。「独裁者に服すふりをする」ことを求めているのである。「心からの忠誠」を獲得するためには膨大な洗脳コストがかかる。「上に政策あり、下に対策あり」と言われるように、中国人は権力者に従いはするけれども、権力者を信じてはいない。だから、「反権力的なそぶりを見せると処罰されるが、権力者に阿ると『いいこと』がある」というわかりやすい利益誘導をする。
私が言いたいのは「中国はアナログな拷問術についてはノウハウの歴史的蓄積がある」ということである(「則天武后以来の」と言ってもいい)。日本人は「真綿で首を絞められる」というのがどういう感じのことなのかを、これからゆっくり味わうことになるだろう。
私はこの中国のやり方は「ロジカル」だとSNSに書いた。別に中国の対日強硬姿勢は感情に駆動されているわけではない。東アジアの地政学的布置内での中国のステイタスを確保するという国家目的に沿って、淡々と高市首相に発言の撤回を求めているだけである。だから、今のところ「日本政府」や「日本人全員」には批判の矢は向けられていない。「反日感情」にドライブされた政治行動なら、中国国内で在留日本人や日本企業への物理的な攻撃が始まっていいはずだが、それはまだ抑制されている。それはさしあたり「標的は首相ひとり」だからである。首相が失言を撤回して、謝罪し、辞職すれば、それで中国は退く。そういう「終わりまでのプロセス」があらかじめ開示されている。そのことを「ロジカル」だと私は書いたのである。
それに対して、高市首相のやり方にはロジックがない。発言が政府与党内でも当惑をもって迎えられたので、すぐに政府は「日本政府の立場はこれまでと変わっていない」と言って火消しを試みたが、首相は議事録からの発言の削除を拒否した。だが、どう考えても、高市発言は「これまでの日本政府の立場」から大きく踏み外したものである。首相は「中国が台湾に武力侵攻したら、日本は自衛隊を派兵して、中国と戦う可能性が高い」と言い切ったのである。
高市自身はこれまで「内輪のパーティ」でこういう言葉づかいで威勢のいいことを言って、万座の喝采を浴びて来たという成功体験があったのだろう。その勢いでつい「それを言うといつも大受けする決まり文句」を口走ってしまった。軽率な発言である。一国の総理大臣が国会答弁で口にしてよい言葉ではない。「内輪のパーティ」と公式の場の区別がつかない人間は総理大臣の器ではない。