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内田樹さんの「日本にとって「最悪の事態」(後編)」 ☆ あさもりのりひこ No.1826

「最悪の事態」というのは台湾有事のことではなくて、台湾有事が起きてもアメリカが「来援」するどころか「東アジアのことについてはお前たちがなんとかしろ」と言って、背中を向けて立ち去り、その後に自前の国防戦略を持っていない日本が呆然と取り残されるという事態のことである。

 

 

2026年2月2日の内田樹さんの論考「日本にとって「最悪の事態」(後編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 私のSNSでの発言を読んで、「環球時報」からインタビューの申し出が来た。「環球時報」は中国共産党の機関紙である。「人民日報」の姉妹紙で、発行部数は200~300万部。Global Times という英語版も出している。

 私にオファーが来たのは「環球時報」の記者の説明では「中国の対応はロジカルだ」と書いたからである。高市首相を批判している言論人はもちろん日本国内にたくさんいるが、中国のロジックについて言及した人はあまりいなかったらしい。でも、「中国のロジック」がわからなければ外交交渉のしようがない。

 私はこういう場合には「相手の立場になって考える」ことにしている。これはどの国が相手でも同じである。アメリカの場合なら、上司から「日本から取れるだけのものを取るにはどうしたらいいか、明日までに報告書を出せ」と命令されて徹夜してレポートを仕上げた国務省の小役人のつもりになって考える。中国の場合なら、やはり外交部の小役人のつもりになって、「中国のメリットが最大になり、リスクが最少になる日中関係」について考える。この作業はやってみるとわかるけれど、けっこう楽しい。同じ資料でも、立場を変えると見え方が変わる。歴然と変わる。それまで気づかず見過ごしていた細部の意味がいきなり際立ってくるということがある。

 例えば、「日米安保条約をアメリカから廃棄してくる」ことは日本政府としては「できるだけ考えたくないこと」である。考えたくなから考えない。でも、現実化する可能性はゼロではない。アメリカはもう「世界秩序を支えるアトラス」の役割はしないと先日トランプが宣言した。高市首相の台湾有事発言についてインタビューされた時には「同盟国は友人ではない。あいつらは人のすねをかじるばかりだ」と言い放った。そして、習近平はスマートな統治者であり、私たちはよい友人だという中国指導者を絶賛する言葉でインタビューを終えた。この日中の対立でトランプは日本の味方をする気はない。

 中国とアメリカの「G2」体制で世界を二つの勢力圏に分割して、アメリカは「西半球」を取り、中国は「東半球」を取る。このアイディアはトランプの創見ではない。スペインとポルトガルは1494年にトルデシリャス条約を結んで、セネガル沖の子午線で世界を二分割して、それぞれの勢力圏と定めたことがある。トランプが構想しているのはおそらく「21世紀のトルデシリャス条約」のようなものだろう。

 この構想では日本も韓国もフィリピンも、アメリカの東アジアにおける同盟国は中国の勢力圏に収まることになる。その代償として、トランプが中国に要求しているのは、アメリカが自国の「裏庭」である中南米では何をしても文句を言うな、ということである。

 今トランプはベネズエラを属国化するつもりでいる。ベネズエラの石油埋蔵量は303億バレルで、世界最大である。ベネズエラを抑えればもう中東に用はない。エネルギー調達コストを一気に軽減できるし、ホルムズ海峡を通るタンカーのための安全確保も必要なくなる。東半球の在外米軍基地が撤収されれば、143万人の常備軍を大幅に「効率化」することができる。

 今ホワイトハウスでAI軍拡のアイディアを推進しているのはおそらくイーロン・マスクのような「テック・ジャイアント」たちだと思う。彼らは「これからの戦争はもう人間がするのではない、ドローンとロボットと無人戦闘機と無人艦船が通常兵器での中強度戦争を担い、戦略的なレベルでは敵国の軍事ネットワークをハッキングして指揮系統を混乱させれば、無血で勝利できる」というような話をトランプの耳元で吹き込んでいるに違いない。兵士はもう要らない。マシンとオペレーターがいれば戦争はできる。テック・ジャイアントたちが提示しているのはそういう新しい戦争観だろう。私が国防省(今は「戦争省」に改称されたが)の小役人だったら、この新しい戦争観に飛びつくだろう。常備軍を減らせば人件費コストを大幅に削減できる。なにより常備軍削減は合衆国憲法を尊重することを意味するからである。

 ご存じない方が多いと思うが、合衆国憲法は陸軍については「常備軍を持たない」と規定している。日本のメディアはまずこのことに触れない。知っていて隠しているのか、もともと知らないのかわからない。だが、現実と憲法の間に乖離があるのは、日本国憲法九条だけの話ではないのである。

 合衆国憲法は第1章第8条12項において、「陸軍を募集し維持すること」を連邦議会の権限としているが、こんな但し書きが付いている。「ただし、その目的のための資金の充当は、二年の期間を超えてはならない。」陸軍維持のための国費の支出は単年度限り。「常備軍を持たない」という意味である。

 この条項の制定過程についてはハミルトン、マディソン、ジェイの『ザ・フェデラリスト・ペーパー』に詳細が記してある。フェデラリストたちは強力な連邦政府は常備軍を持つべきだという立場であったが、憲法制定過程で常備軍は「自由の敵」であるという州権派との論争に勝ち切れず、この妥協的な憲法条文をやむなく受け容れたのである。

ハミルトンはこう記している。「憲法案の条文からいって、常備軍を設置することができると推論することは(かりに不可能ではないとしても)疑問が多いし、不確かといわざるをえない。」(『ザ・フェデラリスト』第八篇)

 だから、AI軍拡に伴う陸軍常備軍の縮減はトランプやヘグセスの独断暴走ではなくて、合衆国憲法の「正しい解釈」への回帰なのである。なんと。

 だから、そのうちアメリカが日米安保条約の廃棄を通告してくる可能性はあると私は思っているのである。日米安保条約は締結国の一方が通告すれば一年後に自動的に廃棄される。だが、日本の政治家も官僚も政治学者も、「日米安保条約廃棄後」については何も考えていない。それが「最悪の事態」なのである。

 「最悪の事態」というのは台湾有事のことではなくて、台湾有事が起きてもアメリカが「来援」するどころか「東アジアのことについてはお前たちがなんとかしろ」と言って、背中を向けて立ち去り、その後に自前の国防戦略を持っていない日本が呆然と取り残されるという事態のことである。

 どうして「最悪」かと言うと、その場合、人々がすがりつく先が自衛隊しかないからである。国防について多少とでも実践的な知識と技術を持っているのは自衛隊だけである。「これからどうしたらいいでしょう」とすがりつかれたら、自衛隊としても「とりあえず憲法九条を廃棄して、国家予算の半分ほどを国防費に充て、徴兵制を施行し、治安維持法を制定して、特高を復活させてください。話はそれから」としか答えようがあるまい。参照すべき国防戦略として日本人は大日本帝国のそれしか知らないのだから、仕方がない。

 

 こうして日本は周囲のすべての国に不信と嫌悪のまなざしを向ける、ハリネズミのような武装国家、つまり、「金のある北朝鮮」になる。そして、その時に、「これって、もしかしてオレたちの理想の国家なんじゃないの」と思わず笑みを漏らす人が国民の多数を占める...、というのが私の想像しうる「最悪の事態」なのである。(『一冊の本』、2025年12月31日)