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内田樹さんの「資本主義末期の国民国家のかたち」(その1) ☆ あさもりのりひこ No.1841

資本主義の延命を可能にしているのは民主主義である。

 

 

2026年2月27日の内田樹さんの論考「資本主義末期の国民国家のかたち」(その1)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

というタイトルでの寄稿依頼を受けたので、次のような文章を書いた。 

 

 なかなか刺激的なタイトルである。「資本主義末期」というのが挑発的である。「末期」ということは「もうすぐ終わる」ということである。さて、いつ、どんな仕方で終わるのだろう。

 マルクスは資本家たちの脳裏にはつねに「洪水よ我が後に来たれ」(Après moi, le déluge)という言葉があるという卓見を述べている。どれほど能天気な資本家たちも「こんなことがいつまでも続くはずがない」とは内心では思っているのだ。いずれこのシステムは瓦解する。でも、それは「できたら私が死んだ後にお願いしたい」。死んだあとなら、「後は野となれ山となれ」ということである。だから、こう言ってよければ、資本主義というのは19世紀の中頃からずっと「いつでも末期」だったのである。

 でも、「大洪水」を先送りし続けながら150年が経過した。ということは、今も私たちは資本主義末期を生きているということである。これまでの経過から帰納的に推論すると、おそらくまだしばらく資本主義は終わらない。もうしばらくわれわれは「資本主義末期」の世界を生き続けることになる。

 でも、「もう資本主義にはうんざりだ」と思う人たちが出て来る。出て来て当然である。いくらなんでも「末期」が長すぎる。断末魔の苦しみが長く続けば「いっそ、楽にしてくれ」と言うことになる。

 エドガー=アラン・ポウに『ヴァルドマール氏の病症の真相』という短編小説がある。「死ぬ間際の人に催眠術にかけたらどうなる?」という疑問を抱いた催眠術師の実験にヴァルドマール氏が応じる。催眠術はうまくかかり、ヴァルドマール氏は「死んでいるのに死んでいない」という状態になる。数か月その状態を続けたが、あまりの苦しさに「死なせて欲しい」とヴァルドマール氏が懇願する。催眠術を解くと、身体はたちまち崩壊し、腐臭を発する液状の汚物となった...という話である。

 資本主義は「死んでいるのに死んでいない」というヴァルドマール氏状態のうちにある。では、資本主義の延命を可能にしている「催眠術」とは何だろうか?

 それは民主主義である、というのが21世紀になってからシリコンバレーで発祥(発症)して、世界に広がっている「加速主義(accelerationism)」の主張である。

 資本主義の延命を可能にしているのは民主主義である。加速主義の代表的な思想家であるピーター・ティールは「私はもはや自由と民主主義が両立すると信じていない」と言明して、民主主義の廃絶を要求している。

 民主主義があるせいで資本主義は死なない。だったら、死なせてやろうではないか。資本主義を死なせるのに必要なのは非民主主義である。独裁制でもいいし、君主制でもいい。帝政でも貴族政でも寡頭制でも、何でもいい。とにかく、民主主義はダメ。

 というのも、社会福祉制度や労働分配率の向上や性差別・人種差別の撤廃といった「政治的に正しい主張」のせいで、資本主義は延命しているからである。そういう「人間的な気遣い」のせいで、とっくに死んでいてよい資本主義がいまだに延命している。

 これは確かに一つの見識だと思う。『資本論』を読むと、1860年代の英国の労働者たちの就労環境がリアルに描写されている。多くの方は『資本論』の冒頭近くの「使用価値と交換価値」「労働価値説」のあたりでうんざりして読むのを止めてしまったと思うけれど、もう少し忍耐力を発揮して、第8章「労働日」まで読み進んだら、そこに列挙してある英国の労働環境の非人間性に息を呑んだと思う。一例を挙げる。

 「1863年6月初旬、デューズブリ(ヨークシャー)の治安判事のもとに告発状が届いた。それによるとバトリー近郊の八大工場の経営者が工場法に違反したという。これらの紳士たちの一部が告訴されたのは、彼らが12歳から15歳までの五人の少年を金曜日の朝6時から翌日土曜日の午後4時まで、食事時間および深夜1時間の睡眠時間以外にはまったく休憩を与えずに働きつづけさせたからだという。しかも少年たちは『くず穴』と呼ばれる洞窟のような場所で休憩なしに30時間労働をこなさねばならない。そこでは毛くずの除去作業がおこなわれるが、空中には埃や毛くずが充満し、成人の労働者でさえ肺を守るためにたえず口にハンカチを結びつけておかねばならない。」

 これはある工場視察官の報告書からの抜き書きである。「34時間につき睡眠時間が1時間という労働をしている12歳の子ども」の身に想像的になってみると、それがどれほど非人間的なものであるか想像できると思う。さらに残酷なのはマッチ製造。

 「マッチ製造業は、その不衛生と不快さのためにきわめて評判が悪く、飢餓に瀕した寡婦等、労働者階級でもっとも零落した層しかわが子を送り込まないようなところだった。送られてくるのは『ぼろをまとい飢え死にしかけた、まったく放擲され教育を受けていない子供たち』である。ホワイト委員が聞き取りをおこなった証人のうち270人が18歳未満、40人が10歳未満、そのうちの10人はわずか8歳、5人はわずか6歳だった。労働日は12時間から14,5時間にわたり、夜勤、不規則な食事、しかもほとんどがリン毒に汚染された作業場内での食事である。」

 マッチ製造の原料の黄リンは強い毒性を持つ化学物質で、製造中に黄リンを吸い込むと「リン中毒壊疽」になって下あごが壊死する。どういう病態か知りたければネットで調べれば当時の患者たちの写真が見られる。

 子どもたちはそうやってどんどん死んでいった。

 「マンチェスターの保健衛生官、ドクター・リーが確認したところによれば、この都市の有産階級の平均寿命は38歳であるが、労働者階級の平均寿命はわずか17歳である。リヴァプールでは前者が35歳、後者が15歳である。」

 

 マルクスが資本主義はただちに実力を以て廃絶すべき経済システムであると論じたのは、このような現実を踏まえてのことである。しかし、英国の紳士たちは資本主義を廃絶することをせず、代わりに「工場法」を制定し、労働時間の上限を設け、児童労働を抑制することで、資本主義を延命させる道を選んだ。資本主義を少しだけ人間的なものに偽装することによって資本主義を延命させようとして、それに成功したのである。