〒634-0804
奈良県橿原市内膳町1-1-19
セレーノビル2階
なら法律事務所
近鉄 大和八木駅 から
徒歩3分
☎ 0744-20-2335
業務時間
【平日】8:50~19:00
【土曜】9:00~12:00
憲法9条が空洞化したのは、国連というアイディアが空洞化したからです。9条のリアリティ―は国連のリアリティーと相関していたんです。
2026年4月15日の内田樹さんの論考「月刊日本のロングインタビュー」(その3)をご紹介する。
どおぞ。
―― アメリカは戦後レジームから脱却している。そうである以上、日本も憲法9条と日米安保条約を両輪とする戦後レジームから脱却して、「ポスト戦後体制」を構想しなければなりません。
内田 高市は「大日本帝国の復活」を目指しています。憲法9条を廃棄し、国軍を保有し、「戦争ができる国」になろうとしている。スパイ防止法や国旗損壊罪を制定して国民統制を強める。これらの法律を通せば、制度的には1930年代の日本のような国に「退化」できる。でも、残念ながら、それは大日本帝国の劣化版に過ぎない。今の日本には帝国を運営できるようなスケールの人間がいないからです。
たしかに大日本帝国は様々な欠陥を抱えた統治システムでした。でも、人材だけはいた。歴史的評価はさておき、明治維新以後の日本には「アジアをどう経略するか」についてスケールの大きなヴィジョンを描ける思想家や政治家や軍人が何人もいた。宮崎滔天、北一輝、権藤成卿、石原莞爾...数え上げれば切りがない。でも、今の日本にそんなスケールの人間はいません。「経綸の大事を託せる器の大きな人間を育てなければいけない」と思っていなかったんですから、いるはずがない。戦後日本が育ててきたのは「対米従属マシーン」を器用に回すことのできる小粒なイエスマンだけです。そんな連中が今の日本の支配層を形成している。そんな連中に「帝国」を運営できるはずがありません。
―― 内田さんは戦後レジームから脱却して、どういう「ポスト戦後体制」を目指すべきだと思いますか。
内田 アメリカはいずれ在日米軍を撤退させるでしょう。政府はアメリカに縋りついて「いてください」と掻き口説くでしょうけれど、アメリカは日本列島における権益だけは確保して、軍はグアム=テニアンの線まで退くつもりでしょう。
日米同盟が空洞化した場合、日本にはそれほど多くの選択肢は残されていません。一つは日韓同盟。これまで繰り返し語ってきましたけれど、日韓が同盟すれば、人口1億8千万、GDP6兆ドル、ドイツを抜いて世界第三位の経済圏ができます。軍事力は日韓を合わせるとインドを抜いて世界4位。この日韓同盟が米中の二大帝国の間にあって、米中と等距離外交を展開する。米軍がハワイまで退き、中国が海洋進出に抑制的になれば、西太平洋に日韓を結ぶ広大な中立地帯ができる。東アジアは政治的には安定するので、国際社会はこれを歓迎するはずです。
韓国は人種、宗教、文化、政治体制において世界で最も同質性の高い隣国です。パートナーとなるとしたらここしかない。日本には天皇制がありますから、一国二制度になる。しかし、日韓が同盟して、外交安保政策で足並みを揃えれば、その国際社会におけるプレゼンスは今の比ではありません。米中EUと対等の政治単位になることも可能です。
日韓同盟は明治以来両国の多くのアクティヴィストの夢でした。1910年の「日韓併合」という歴史的失敗を適切に総括するだけの知力と度量が日本人の側にあれば、日韓同盟は可能だと僕は思っています。
もう一つの道は、九条二項を高く掲げて「東洋のスイス」のような永世中立国になることです。日本は医療、教育、観光・エンターテインメントでは世界のトップレベルにあります。だから、円安になったとたんに世界中から観光客がやってくる。通貨が弱くなったことはわれわれにとっては困ったことですが、そのせいで世界中から観光客が殺到したというのは、「機会さえあれば日本に行きたい」と願っていた人がそれだけ多かったということです。「日本に行きたい、できるなら日本で暮らしたい」という人々を世界中に創り出す。これは最も安上がりな安全保障です。日本に知人友人がおり、家や別荘があるという人たちは自国政府が反日的になって日本を軍事侵攻することに反対してくれるでしょう。「日本だけはやめましょうよ。あそこ、いい国なんですから」と。こんなタイプの安全保障政策を起案できる国は決して多くありません。「できれば中国に永住したい」とか「できればロシアに永住したい」とか思っている人がどれくらいいるか想像すれば日本のアドバンテージがわかるはずです。
―― 憲法9条も改正すべきですか。
内田 9条は1946年時点で憲法起草者たちの脳裏にあった「これから世界はどうなるか」という構想から生まれたものです。起草者たちはもし次に戦争が起これば、それは核戦争になり、人類は滅亡するだろうと予見していました。これを止めるには国連が「世界政府」になり、国連軍が地上最強の実力組織になる必要がある。加盟国間での紛争は国連が裁定し、従わない国には国連軍を送り込んで実力で処罰する...というシステムでしか核戦争は阻止できないと思った。公共を立ち上げることで、私人たちの安全と権利を保護するという近代市民社会の統治モデルを国際社会に拡大してみたのです。
ですから、9条起案者たちは、戦争放棄条項をいずれどこの国も採択するようになるだろうと考えていた。しかし、この予測は外れました。たしかに核戦争の勃発だけは阻止できましたけれども、国連の常任理事国自身が自国第一主義を掲げて、国際法を踏みにじって、平然と「力の支配」を誇示するようになった。今、国際社会は「万国の万国に対する戦い」というホッブズ的状況にあります。「強い公共」が存在しないアナーキーです。
言う人があまりいないので、僕が代わって申し上げますけれど、憲法9条が空洞化したのは、国連というアイディアが空洞化したからです。9条のリアリティ―は国連のリアリティーと相関していたんです。
でも、国連がそれでも一定の有効性を維持しているように、憲法9条もいまだに一定の有効性を維持している。実際、今回の日米首脳会談では憲法9条が盾になって、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることを回避できた。
憲法9条のような非現実的な条項を廃棄しろというロジックを延長すれば「国連のような非現実的な組織は要らない」ということになる。強いものが欲しいものを手に入れて、弱いものは食い物にされる。それでいいじゃないか、そう言っているのと変わらない。
法というのは現実を叙するものではありません。あるべき現実の枠組みを示すことです。日本の法体系は明治末年までに整備されましたけれど、それはドイツやフランスの法律をほとんどそのまま翻訳したもので、当時の日本の実情とはまったく別のものでした。法典の字面だけを見ると、当時の日本が近代的な市民社会をすでに形成したように読めますが、これは事実と隔たること遠い。でも、法起草者たちは将来の見通しとしては、日本の生活が変わっていってこれらの法典が実情にあうものになるだろうと考えていた。そういうものだろうと僕も思います。9条起草時点では、起草者たちは9条が世界の実情にあうものになるだろうと考えていた。その予測が楽観的に過ぎたことは事実です。でも、それ以外に日本人が向かうべきどんな理想があるでしょうか。
(4月3日 聞き手・構成 杉原悠人)