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今眼の前で起きている出来事を正確に見ようとしたら、相手の息遣いが感じられるほど近くまで対象に接近すると同時に、自分自身を含む歴史的風景を俯瞰できるほど対象から遠ざかることが必要である。
2026年6月11日の内田樹さんの論考「ブレイディさんと話したこと」をご紹介する。
どおぞ。
英国在住のブレイディみかこさんと彼女の新刊『それはどこでも起こり得る』(文藝春秋)をめぐってオンラインで対談した。ブレイディさんは雑誌AERAの巻頭コラムの「お隣さん」である。毎回彼女の英国レポートを楽しみにしている。
ブレイディさんの英国社会分析は実に明快である。それは彼女が「現場」の人だからだ。彼女は労働者街の保育園の保母という仕事を長くされてきた。だから、英国の労働者階級、アンダークラスの実情を肌感覚で知っている。貧しさや暴力や差別が人をどのように傷つけ損なうのかを間近に知っている。
かつて小田実は「虫瞰図」と「鳥瞰図」の二つを持つことが現実理解には必要だと述べたことがある。私もこれに賛成である。今眼の前で起きている出来事を正確に見ようとしたら、相手の息遣いが感じられるほど近くまで対象に接近すると同時に、自分自身を含む歴史的風景を俯瞰できるほど対象から遠ざかることが必要である。「焦点距離を自由に切り替えられる」ことが必要である。小田実が「虫瞰図」「鳥瞰図」の二つが要ると言ったのはそのことだと思う。でも、時局を論じる人でそれができる人は少ない。とくに「現場」を持つ人は少ない。ブレイディさんはその例外的な一人である。
われわれの話題は英国と米国の奇妙な政治文化(加速主義、テクノ封建制、AIによる身体経験の希薄化などなど)をめぐるものになった。ブレイディさんが英米で観察したのと同じ事象がいくつか日本でも起きていると私は感じたので、その話をした。(6月5日)