〒634-0804
奈良県橿原市内膳町1-1-19
セレーノビル2階
なら法律事務所
近鉄 大和八木駅 から
徒歩3分
☎ 0744-20-2335
業務時間
【平日】8:50~19:00
【土曜】9:00~12:00
自分がほんとうにやりたいこと」よりも「厳密な査定を下されること」を優先させて、自分の専門分野を選ぶということがあらゆる場面で起きている。でも、そうやって相対的な優劣を競っているうちに、人々は目先の評点や格付けばかりを気にして、そもそも何のために自分たちは努力しているのか、その根本のことをしばしば忘れてしまう。
2026年6月17日の内田樹さんの論考「競争と修行について(前編)」をご紹介する。
どおぞ。
ある大企業の研修担当の方のインタビューを受けた。直接的には「50代の技術者たちが、向上心を失っているように見える。ちゃんと給料分の仕事はしているのだけれど、その先をめざす意欲が感じられない。その理由は何か、どうすれば再び向上心を持つようになるのか」という具体的な問いだった。答えの中から一般的な見解の部分だけ抜き出した。
人間の生き方には「競争」と「修行」の二つがあるというのが僕の考え方です。
現代日本社会では、相対的な優劣を競わせて、評価の高いものに報奨を、評価の低いものに処罰を与えるという仕組みが採用されています。それがもっとも人間の能力を向上させると信じられているからです。しかし、実際には、競争は必ずしも、それほど効果的に個人や集団の能力を向上させるものではありません。むしろ、低下させることが多い。この30年間、日本の国力が劇的に低下したのはそのせいだと僕は思っています。
フランス文学ではそうでした。20年ほど前に、過剰なほどの数の研究者が19世紀文学、とくにプルースト、フローベル、マラルメ研究に集中した時期がありました。理由は簡単で、この分野には日本人で世界的な権威者がおり、研究者の母数が多いので、研究の格付けが厳密で客観的であると信じられていたからです。
「自分が何を研究したいのか」よりも「自分の研究成果についてどれほど正確な評価が下されるか」ということの方が優先的に配慮されると、こういうことになります。その結果何が起きたか。もちろん、これらの領域での研究の質は向上しました。でも同時にそれらの研究は文字通り「重箱の隅をつつく」ような高度に専門的なものになり、日本の一般市民の関心からはかけ離れてしまいました。
権威者による適切な評価を求めて研究する人たちは、中高生に向かって「仏文研究は楽しいよ」とアナウンスするような暇がありません(実際にあまり「楽しく」はなかったでしょうし)。でも、中高生に向かって「仏文研究は楽しいぞ。みんな仏文科においで」という告知をきちんとしておかないと、仏文科に来る学生が減少します。実際に激減しました。進学者がいなければ、仏文科という学科を置く理由がなくなる。そして、気が付けば日本中の大学から仏文科が次々に姿を消してゆきました。もともと研究者たちが厳密な格付けを求めたのは、大学教員ポストを得るためだったのですが、厳密な格付けを最優先で求めていたら、教員ポストそのものが消失してしまった。笑えない話です。
でも、それと同じことがあらゆる業種で起きているように僕には見えます。「自分がほんとうにやりたいこと」よりも「厳密な査定を下されること」を優先させて、自分の専門分野を選ぶということがあらゆる場面で起きている。でも、そうやって相対的な優劣を競っているうちに、人々は目先の評点や格付けばかりを気にして、そもそも何のために自分たちは努力しているのか、その根本のことをしばしば忘れてしまう。部分最適を求めているうちに全体最適が損なわれるというのは、よくあることです。
競争はもともとひとりひとりの潜在能力を開花させることで、集団全体のパフォーマンスを向上させることが目的だったはずです。でも、現実には競争が激化することで、集団全体のパフォーマンスが低下するということが起きている。起きているどころか、日本社会の場合は、それが常態になっている。
理屈はわかるはずです。相対的な優劣を競っていると、「自分の評点を上げること」と「競争相手の評点を下げること」が同じ意味をもつということがわかります。そして、自分ひとりの能力を高めることよりも、周囲の能力をまとめて引き下げる方が圧倒的に費用対効果はよい。だから、競争的環境に長く置かれているうちに疲弊した人たちは、最終的には必ず周りの人たちのパフォーマンスを引き下げるようになります。それも無意識のうちに。仕方がありません。それしか生き残る手立てがないんですから。
今の日本の組織はどこでも「いじめ」「ハラスメント」が横行しています。別に人間の質が邪悪になったわけではありません(人間の質なんて、そんなに変わりません)。変わったのは環境です。環境が競争的になった。競争させて、高いスコアをとった者に報奨を、スコアの低い者に処罰を、というルールでやってきたら、みんなが周りの人間の生きる意欲を殺ぐ「意地悪」なやつになった。合理的な行動をしているんです。
企業でも、勤務考課を厳密にして、人々を格付けして、それに基づいて資源の傾斜配分をするようになると、雰囲気が悪くなります。能力の高い人が能力の劣る人を支援したり、教育して、「仕事ができる人」に育てるモチベーションが失われます。だって、周りの人間が全員自分より無能である方が自分の評価が上がるという倒錯的な考えをする人が増えてくるからです。そうなったら、その集団はもうおしまいです。