〒634-0804

奈良県橿原市内膳町1-1-19

セレーノビル2階

なら法律事務所

 

近鉄 大和八木駅 から

徒歩

 

☎ 0744-20-2335

 

業務時間

【平日】8:50~19:00

土曜9:00~12:00

 

2024年

6月

13日

奈良マラソン2024への道 その10 ☆ あさもりのりひこ No.1536

5月31日(金)早朝、階段1045段、50分25秒、6.2㎞、平均ペース8分08秒/㎞、総上昇量91m、消費カロリー481㎉。

7分54秒、8分35秒、7分53秒

8分15秒、8分38秒、7分55秒

6分11秒(200m

 

6月1日(土)早朝、全力・ジョグ・全力、36分29秒、6.209㎞、平均ペース5分52秒/㎞、累積上昇84m、消費カロリー361㎉。

7分18秒(600m)

5分24秒、5分18秒

6分32秒、6分49秒(600m)

5分23秒、5分23秒

5分37秒(100m)

 

6月2日(日)早朝、ジョギング、1時間23分35秒、12.35㎞、平均ペース6分46秒/㎞、総上昇量199m、消費カロリー853㎉。

1 6分59秒(上り下り)

2 7分08秒(上り)

3 7分11秒(上り下り)

4 6分30秒

5 6分29秒

6 6分23秒

7 6分41秒

8 6分47秒

9 7分17秒(上り下り)

10 8分15秒(上り下り)

11 5分34秒(下り)

12 6分19秒(上り下り)

13 5分46秒(350m

 

63日(月)早朝、ビルドアップ走、37分07秒、6.22㎞、平均ペース5分58秒/㎞、総上昇量83m、消費カロリー420㎉。

1 6分37秒(上り下り)

2 6分38秒(上り)

3 5分55秒

4 6分02秒

5 5分30秒(下り)

6 5分14秒(上り下り)

7 5分29秒(220m

順調にビルドアップできたとは言えんな。

 

64日(火)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、傾斜2.5%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、消費カロリー368㎉、手首に重り1㎏×2。

 

65日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

セイコー・エプソンからメールが届いた。

2025年4月1日からエプソンのウオッチのデータが処理できなくなる。

残念・・・

 

66日(木)早朝、インターバル走、35分24秒、6.194㎞、平均ペース5分42秒/㎞、累積上昇95m、消費カロリー397㎉。

1 6分26秒(200m)、5分12秒

2 8分00秒(200m)、5分18秒

3 6分44秒(200m)、5分28秒

4 8分50秒(200m)、5分15秒

5 7分31秒(200m)、5分44秒

6 5分11秒(200m)

 

67日(金)早朝、丘の階段641段、49分06秒、7.2㎞、平均ペース6分50秒/㎞、総上昇量157m、消費カロリー523㎉。

1 6分32秒(上り下り)

2 6分42秒(上り)

3 6分54秒(上り下り)

4 8分04秒(階段)

5 7分58秒(上り下り)

6 5分49秒(下り)

7 6分02秒(上り下り)

8 5分35秒(200m)

 

6月8日(土)早朝、ウインドスプリント、50分56秒、7.632㎞、平均ペース6分40秒/㎞、累積上昇110m、消費カロリー496㎉。

6分51秒、7分01秒、7分49秒(100m)

1分13秒(4分30秒/㎞)、1分14秒(4分35秒/㎞)

1分10秒(4分24秒/㎞)、1分14秒(4分32秒/㎞)

1分09秒(4分17秒/㎞)、1分14秒(4分33秒/㎞)

1分12秒(4分39秒/㎞)、1分11秒(4分22秒/㎞)

1分10秒(4分13秒/㎞)、1分16秒(4分39秒/㎞)

6分25秒、6分09秒、5分46秒(100m)

 

6月9日(日)、雨なので安足日。

 

6月10日(月)早朝、テンポ走、38分30秒、6.2㎞、平均ペース6分13秒/㎞、総上昇量80m、消費カロリー423㎉。

1 6分45秒(上り下り)

2 7分00秒(上り)

3 5分58秒

4 6分20秒

5 5分45秒(下り)

6 5分35秒(上り下り)

7 5分35秒(200m

 

6月11日(火)早朝、西園美彌さんの魔女トレ

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、傾斜2.5%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、消費カロリー368㎉、手首に重り1㎏×2。

 

6月12日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏。

午後8時、奈良マラソン2024の奈良県民枠エントリー開始。

10分くらいでエントリーは無事終了した。

レースはエントリーから始まる。

 

6月13日(木)早朝、坂道ダッシュ400m×3本、47分08秒、6.736㎞、平均ペース6分59秒/㎞、累積上昇174m、消費カロリー432㎉。

6分49秒、7分19秒、6分28秒(500m)

2分25秒(6分08秒/㎞)

2分24秒(6分16秒/㎞)

2分31秒(6分09秒/㎞)

7分37秒、6分25秒、6分13秒(100m)

 

工事が予定より早く終わって、5か月ぶりにいつもの坂でダッシュできた。

2024年

6月

12日

内田樹さんの「人体円筒説」 ☆ あさもりのりひこ No.1535

人間はあらゆる道具を自分の身体に似せて創り出す。

 

 

2024年5月29日の内田樹さんの論考「人体円筒説」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

五月には羽黒で、星野文紘先達を囲んで、内山節氏、藤田一照師と私の四人でおしゃべりをするというイベントを続けている。今年で6年目。山伏と哲学者と雲水と武道家の組み合わせなので、いつもすごく変な話になる。今年も変な話になった。

 私たちのシンポジウムの前に和太鼓の原田嘉子さんの奉納があった。それを聴いているうちに太鼓のリズムと呼吸のリズムがぴたりと合うことに気づいた。私が最初の発言者だったので、まずその話から始めた。

 人間はあらゆる道具を自分の身体に似せて創り出す。そうでないと操作できない。八本脚のロボットとかアメーバ状の缶切りとかは思いついてもたぶん使うことができない。

 人類が最初に手にした楽器は打楽器だったと思う。太古の人類は自分の身体を「中を空気が通り抜ける円筒のようもので強く叩くと響きを生じる」というふうにとらえていたのではないか。だから、その身体像に基づいて最初の楽器を作った。なんだかそんな気がした。

 私が修行に通っている一九会の祓いは「トホカミエミタメ」という祝詞を喉が嗄れるほどひたすら唱える行なのだが、唱え続けていると、意識が朦朧として、自分が何か外部の強い力の「通り道」である空洞のように感じられてくる。実際に、声が小さくなると先達に背中を思い切り叩かれる。ほんとうに打楽器になった気分になる。

 人間の身体を打楽器に見立て、そこに強い呼気を通すことで穢れを祓うという行のかたちはおそらく古い起源を持つものだと思う。打楽器が身体についての原イメージを外化したものであるなら、人間が自己認識の原点に立ち還りたくなるとき「わが身を円筒形の空洞」に擬する気になっても怪しむに足りない。

 

 というような思いつきを話し始めたら止まらなくなって、そう言えば武道では「体幹」とか「体軸」ということを言うが、あれはそういう部位があるわけではなく、「野生の強大なエネルギーの通り道」を意味する。それをあえて「幹」や「軸」という語で表象するということは、武道も「身体は円筒」という身体原イメージに基づく体系かも知れないという話になり、以下話頭は転々として奇を究めた。(AERA5月14日)

2024年

6月

11日

ケンケツのススメ

弁護士 大和八木

みなさん、こんにちわ。本日は事務局担当日です。

やっと関西も梅雨入りしましたね。

昨年より11日、例年より4日遅いそうです。

雨、イヤだな~と思ってしまいがちですが、

先日の日曜日、雨降りで私も子どもも用事がなくなり、

久しぶりに家で一緒にゆっくりとした時間を過ごすことができました😀

 

私は、両親が輸血を受けた恩返しとして

献血をしているのですが、先日、10回記念ということで、記念品を頂きました♪

写真はちょっとわかりにくいのですが、持ち手に赤十字のマークが入っています。

記念品は、他にも今治タオルやお箸なども選べるようになっていました。

献血は、女性は年2回(男性は3回)の回数制限があり、毎年必ず年2回しているわけでもないので、5年以上かかったことになりますね😀

近鉄奈良駅ビル献血ルームの場合は、近隣に提携駐車場があるので、

献血ルーム滞在時間分の駐車券ももらえます。

 

一度でも輸血を受けると献血できなくなるので、

できる限りはしていきたいな~と思います。

献血は、簡単にできるボランティアですが、

簡単な健康診断がわりにもなります。

過去3回分がHPのマイページで確認できるので、

半年ごとのセルフチェックにもいいですね😆

最近、ちょっと倦怠感があったのですが、少し原因がわかった気がします♪

 

2024年

6月

10日

内田樹さんの「人口動態と受験生」 ☆ あさもりのりひこ No.1534

報道によれば、去年の出生数は72万6千人、前年比5.8%減です。これは「ああ、そうですか」で済まされる数字ではありません。かなりすごい数字です。このペースで出生数が減り続けると、5年後には出生数は51万人。10年後には38万人になります。

 

 

2024年5月26日の内田樹さんの論考「人口動態と受験生」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

高校生は「人口減」という文字列を見ても、あまり強い反応は示さないと思います。「だんだん出生数が減っているんでしょ?」という以上のことまで想像が及ばないかも知れない。

 報道によれば、去年の出生数は72万6千人、前年比5.8%減です。これは「ああ、そうですか」で済まされる数字ではありません。かなりすごい数字です。このペースで出生数が減り続けると、5年後には出生数は51万人。10年後には38万人になります。僕は1950年生まれですが、出生数234万人でした。僕の子ども時代の学校の風景が今とはまったく違ったものであることは想像できると思います。

 人口減した日本では経済はどうなるのか、年金制度や健康保険制度は維持できるのか、移民は受け入れるのかとか、メディアでは議論がなされていますけれど、受験生にとって一番現実的な問題は大学のことです。

 人口減のプラス点は「大学に入るのが相対的に簡単になる」ことです。大学は定員をそんな簡単には減らせません。出生数が5.8%減だから定員も5.8%減にするというわけにはゆかない。だから、ほとんどの大学はどこも定員割れの学部学科を抱えることになります。そういうところには簡単に入学できます。受験生にとっては朗報です。でも、マイナス点もある。 それは定員を満たせない学部学科を抱える大学はいずれ廃校になるリスクがあるということです。

 お隣の韓国ではもう大学廃校が日常的なニュースになっています。このままだと、いずれソウル近郊以外にはほとんど高等教育機関がない国になるでしょう。日本も放置しておけば、そうなります。

 もちろん入学した大学が在学中に廃校になるということはありません。卒業するまで学習権は保証してくれます。でも、卒業後に「卒業した大学がなくなる」可能性はあります。「どの大学出身ですか?」と訊かれて「もうなくなっちゃった大学なんですけど・・・」と答えるのはたぶんすごく切ないことだと思います。

 ですから、これからの受験生は「楽して、簡単な大学に入れるメリット」と「廃校になった学校の卒業生になるデメリット」を比較考量して進学先を選択することが必要になります。面倒な話ですけれど。

 人口減が続くと、これまで経験したことのない事態が生じます。生産年齢人口が減って、市場が縮減するわけですから、さまざまな産業が消滅します。でも、どの業界が、いつ、どうやって消滅するかは予測不能です。AIによって人間がこれまでしてきたどんな仕事が代替されるのかがよく分からないからです。医療や弁護士業務の相当部分がAIで代替されると予測する人がいます(外科手術はもうロボットが代行しています)。自動運転テクノロジーが実用化されたらドライバーという職業がなくなると予測する人もいます。いや、AI導入よりも低賃金労働者をこき使う方が安上がりだから、肉体労働はなくならないと予測する人もいます。大規模な雇用消失が起きると社会がもたないから、テクノロジーの開発をいったん停止しようという科学技術抑制主義(techno-prudentialism)もアメリカやEUでは始まっています。未来は霧の中です。

 では、どうしたらいいのか。僕にもわかりません。でも、いつの時代だって「未来は霧の中」だったんです。僕の時代は「いつ米ソで核戦争が始まるかわからない」という未来への不安が日常的でした。それに比べたら人口減なんか気楽なものだと言えば気楽なものです。そう思って笑っている方がよい知恵も浮かびます。きっと。(『蛍雪時代』4月号)

 

 

2024年

6月

07日

内田樹さんの「死ぬってどういうことですか?」 ☆ あさもりのりひこ No.1533

 村上春樹の長編小説の多くはある時期から主人公が「穴」に落ちて、「黄泉の国」を経巡ってから戻って来るという構造になっている。河合隼雄は村上春樹との対談で、「死後の世界」について想像力を行使するというのはとてもよい死への心がけだと述べている。

 

 

2024年5月8日の内田樹さんの論考「死ぬってどういうことですか?」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 ある国会議員から会いたいという連絡を受けた。政局の話かと思って伺ったら、「先生は死というものをどうお考えですか?」と質問された。政権交代の可能性についてあれこれ仮説を考えていたところに「そんなこと」を訊かれたので、びっくりしたが、「死」は私の念頭を去ったことのない主題であるので、思うところを述べた。

 人間はいろいろな仕方で病んでいるけれど、最も重篤な病は「死ぬ」ということである。他の動物は「自分が死ぬ」ということを知らない。人間は自分がいつか死ぬということを勘定に入れて生きなければならない。一人一人が「自分がいつか死ぬ」ことの耐え難さを緩和するために、それぞれの物語を作らなければならない。「死について何も考えない」というのも一つの物語である。私も一つ自前の物語を持っている。

 私はもう古希を過ぎて久しい。歯はインプラントだし、膝には人工関節が入っている。狩猟民の昔だったら食物も噛み切れないし、集団について歩くこともできない老人だから、とっくに路傍に捨てられて死んでいたはずである。臓器もあちこち傷んで来たが、医学の進歩のおかげで生きている。

 だから、私の今の状態は「生きている」というよりは「まだ死んでいない」という方が近い。だんだん死に始めているけれど、まだ死に切っていないというのが私の実感である。

 そのうち生物学的な死が訪れて、葬式も済み、「偲ぶ会」も賑やかに行われ、遺稿集も編まれ、七回忌が済む頃には知人友人たちもだんだん鬼籍に入る。そして誰かが「みなさんももうお足がおぼつかないお年になられたので、この十三回忌あたりで内田先生の法要も仕舞にしようと思うのですが、いかがでしょう」と言い出して、みんな「そうだね」と頷く。あとは古い門人や教え子がたまに墓の苔を掃いに来るだけで、私の名前を記憶している人もしだいにいなくなる。

 そう考えるとだいたい生物学的に死ぬ十三年前くらいから「死に始め」、十三回忌あたりで「死に切る」という計算になる。つまり人間は前後27年かけてゆっくり死ぬ。というのが私の作った「物語」である。

 こんな話なんですけれど、いかがでしょうかと言うと、かの国会議員も深く頷いて、「なるほど、そういう考え方もあるんですね」と納得されていたようである。

「自分が死ぬことの耐え難さ」を緩和するためにはいろいろな物語がある。現世で功徳を積めば来世はいいことがあるというのも、極楽浄土に往生するというのも、そのうち弥勒菩薩が救いに来てくれるというのも、どれも多くの人が選択した物語である。その中でもすぐれたものに「黄泉の国」を旅する物語がある。

 村上春樹の長編小説の多くはある時期から主人公が「穴」に落ちて、「黄泉の国」を経巡ってから戻って来るという構造になっている。河合隼雄は村上春樹との対談で、「死後の世界」について想像力を行使するというのはとてもよい死への心がけだと述べている。

「いろいろ方法はあるのだけれど、死後に行くはずのところを調べるなんてのはすごくいい方法ですね。だから、黄泉国へ行って、それを見てくるということを何度もやっていると、やがて自分もどこへ行ったらいいかとか、どう行くのかということがわかってくるでしょう。」(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』、岩波書店、1996年)

 さすがに河合先生は言うことが違う。(中日新聞「視座」3月号)

 

 

2024年

6月

06日

5月のラディ、タニタ、ガーミン&エプソン ☆ あさもりのりひこ No.1532

5月の放射線量と体組成とランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

2024年5月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.0420μ㏜/h

室内0メートル 0.0431μ㏜/h

室外1メートル 0.0584μ㏜/h

室外0メートル 0.0709μ㏜/h

 低めだな。

 

つぎに、朝守の身体について。

2024年5月25日の数値はつぎのとおり。

体重 70.35㎏

BMI 22.

体脂肪率 15.8%

筋肉量 56.15㎏

推定骨量 3.1㎏

内臓脂肪 11.

基礎代謝量 1613/

体内年齢 49才

体水分率 58.4%

内臓脂肪が減らない。

 

最後に、2024年5月のランニングの結果。

走行時間 16時間24分34秒

走行距離 140.061㎞

  累積標高 2253m

  走行時間20時間、走行距離200㎞には、ほど遠いな。

 

 

 

2024年

6月

05日

内田樹さんの「『東京ミドル期シングルの衝撃』書評」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1531

「サードプレイス」という概念がある。「サードプレイスとは人々が自宅(ファーストプレイス)や仕事の場所(セカンドプレイス)以外で、社会的なつながりを築き、リラックスや交流を楽しむ場を指します。」(173頁)。コーヒーショップや図書館や公園がそれに当たる。

 

 

2024年5月8日の内田樹さんの論考「『東京ミドル期シングルの衝撃』書評」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 次の論点は、このシングルたちはどのような社会的な関係を形成しているのかである。彼らが高齢化したときにアンダークラス化しないために欠かすことのできない条件は地域コミュニティにコミットしていることだからである。果たしてミドル期シングルたちはどのような「親密圏」を形成しているのか。

 これについては男女差が際立っている。男性シングルは親密圏の形成が苦手で、女性の方がずっとその点ではすぐれている。これはどなたも経験的にわかるだろう。

 男性シングルは親族との関係が希薄であるが、女性シングルは「ひとり暮らしに伴う経済的不安、孤独、犯罪に巻き込まれる不安、病気の不安を男性以上に感じやすい分、親やきょうだいと頻繁に連絡をとって、結婚によって築く親密圏に代わる親子関係を軸とする親密圏を築いています。」(156頁)

 おそらくリスクに対する不安が男性よりも強いせいで、女性の方が「家族に代わる多様な生活共同体(別居パートナー、コレクティブハウス、シェアハウスなど)」(156頁)の形成についても、あるいは「趣味やレジャーで会う人や同窓生などの"柔らかい紐帯""固い紐帯"と共に築いている人が男性より明らかに多いといえます。」(156頁)

 男性は親族のみならず仕事以外の友人・知人とのネットワーク形成にも未成熟である。だから、高齢期に病気になった場合にもケアマネージャーや行政に優先的に頼ろうとする。

「日ごろから頼ることのできる家族的関係や友人知人関係を作っていない結果といえるでしょう。(...)ミドル期シングルの環境は、非家族的親密圏も中間圏も広く形成されている状態にはなく、孤立化するリスクを抱えているといえます。」(157頁)

 その通りだと思う。

 親はいずれ死ぬ。きょうだいとの縁も薄くなる。仕事も退職する。そのあとにシングルたちはどうやって生きるのか。ただ「生きる」のではない。一人の市民として、尊厳を以てどうやって生きるのか。

 本書では「ハンカーダウン(hunker down)」という言葉が使われているが、これは人々が「より私的な空間に閉じこもり、他者への信頼度が下がり、なるべくかかわらないようにしている」状態を意味するのだそうである。「引きこもり」である。要するに地域コミュニティにコミットしない状態のことである。もともと日本では地縁共同体が衰退している上に、「都会のミドル期シングルはあまり地域での重要な関係を持つことに積極的ではない」(162頁)。

 しかし、地域コミュニティへのコミットメントは「孤立化」を防ぐ最も効果的な手立てである。どのようにしてミドル期シングルを地域コミュニティとの関りを持たせることができるのか。それが実践的な課題になるのだが、アンケートに回答したミドル期シングルの8割は地域活動に参加していない。

「サードプレイス」という概念がある。「サードプレイスとは人々が自宅(ファーストプレイス)や仕事の場所(セカンドプレイス)以外で、社会的なつながりを築き、リラックスや交流を楽しむ場を指します。」(173頁)。コーヒーショップや図書館や公園がそれに当たる。

 ミドル期シングルは「ツーリングに出かける先、コンサート会場やスポーツ観戦の場所などの地域コミュニティには存在しない『イベント』的サードプレイス」を挙げているが、それは「"その場を楽しむ"ということに限定されており、必ずしも、何かあったときに支え合う、家族の代替になるものではなさそう」である。(173頁)そうだと思う。

 ミドル期シングルは表面的には活発な社会的関係を形成しているように見えても、自分が高齢期になったときに「生活に不安のない人」は全体の3.7%しかいない。(176頁)「病気になったときに身の回りの世話をしてくれる人がいない、という不安は64%にも上がり」、「自分が『孤独死』する不安を多少でも持っている人は半数に上ります。」(176頁)

 「病気になったときや介護が必要になった場合に誰を頼ればよいのか、高齢期になってお金は足りるのだろうか、住むところはあるのだろうか、そして災害時に誰が助けてくれるのか」(176頁)という不安を多くのミドル期シングルは抱いている。

 特に災害の場合、地域コミュニティへの参与の有無は決定的である。避難所に知り合いが一人もいない状態で罹災者になるストレスはかなりシリアスであるだろう。

 

 本書がそれゆえミドル期シングルたちに地域へのゆるいコミットメントを勧奨している。図書館や公園で会って挨拶する程度の関係でもいい。それだって、地域の一員であるという意識の培地にはなる。

 地域活動の核といえば、学校と病院である。学校と病院を「地域に開く」という試みはすでに行われている。子どもたちの教育活動に参加する、高齢者の支援者となるといった取り組みは「世代を超えて地域の結びつきを深めることに結びつくかもしれません。」(194頁)

 学校と病院は「社会的共通資本」(宇沢弘文)の重要な柱である。これを安定的に維持することは地域共同体にとって死活的に重要であるのだから、学校と病院を「サードプレイス」にできた人は、かなり安定的な仕方で地域コミュニティに参与できるだろう。この見通しには私も同意する。

 いずせにせよ、鍵になるのは「ゆるい」ということである。都市生活者は「強い絆」を嫌う。何となく、ふらっと立ち寄った場所で、気が向いたら参加し、気が向かなかったら参加しないという程度の「ゆるいつながり」を求める。(196頁)

 面倒な話である。でも、「東京の中心ではミドル期シングルはもはやマジョリティです。ミドル期シングルを包摂し、ゆるやかにつながる地域を作り上げることは、地域、行政にとって、そして何より当事者たちにとって大切なことです」(200頁)という言明にはうなずかざるを得ない。面倒な話でも、それしか「取り付く島」がないなら、そこから始めるしかない。

 

 

 以上、やや急ぎ足で本書の内容を要約した。求められているのは「書評」なので、評言を述べなければならないのだが、本書を読む限りでは「教えられること(そうだったんですか)」と「同意すること(そうですよね)」ばかりだったのでうまく論評の言葉を思いつかない。 

 付け加える情報があるとすれば、一つは大量の高齢シングルを抱えるせいで国難的危機に遭遇するのは日本だけではないということである。中国がそうなのである。

 中国は1979年から2014年まで35年にわたって「一人っ子政策」を採ってきた。多くの夫婦は「跡取り」が欲しくて女児を堕胎したせいで、この世代は男性が過剰である。配偶者を得られずに高齢を迎えた男性はすでに5500万人に達している。彼らの多くは低学歴、低収入、農村人口である(だから配偶者を得られなかったのである)。二代続けて「一人っ子」だった場合、親が死ぬと、妻子もきょうだいもおじおばもいとこもいない「天涯孤独」の身となる。中国社会は伝統的に個人の経済リスクは親族ネットワークで支えてきたけれども、この人たちは親族ネットワークというものがそもそもないのである。彼らの老後がどういうものになるのか、誰もわからない。最近の中国ネットでは「安楽死」が話題になっているそうである。「集団自決」と同根の発想なのかも知れない。

 

 もう一つ付け加えたいのは、私自身シングルのための地域コミュニティを手作りした経験があるということである。凱風館という武道の道場であり、学塾であり、かつ相互支援のネットワークの拠点を作った。メンバー同士で子育てを支援したり、起業を支援したり、病気のときの世話をし合ったりしている。先年「合同墓」を作った。シングルや子どものいない人たちのために、誰でも入れて、道場がある限り誰かに供養してもらえるお墓を作った。

 凱風館は「サードプレイス」であるが、違うのはただ「つながる」だけではなく、修行や勉学を通じて自己刷新を遂げることがメンバーに期待されていることである。

 

 本書を読む限り、ミドル期シングルは「年をとってもあまり人間が変わらない」人たちのようだけれど、実際には人間は変わる。しばしば劇的に成長する。そのためにも、ミドル期シングルの市民的成熟を支援する仕組みを構想することもまた私たちのたいせつな仕事だと私は思っている。(『東洋経済オンライン』4月11日)

2024年

6月

04日

奈良県橿原市今井町に「narawasi nagaya(ならわし・ながや)OPEN@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当です。

 

さて、6月1日より、今も江戸時代の長屋が並ぶ奈良県橿原市今井町に,

新しく食の複合施設「narawasi nagaya(ならわし・ながや)」がOPENしました。

 

住所:奈良県橿原市今井町3丁目6-51

HP:https://narawashi-nagaya.com/

 

写真は公式HPより参照
写真は公式HPより参照

 

築約150年の長屋を改修した施設内には4つの店舗が入っており、

 

奈良の果実を使用したデザートと紅茶とのティーペアリングを楽しめる

dulce communico(ドゥルケ コムニコ)」、

 

奈良の地酒やお土産を扱う「narawashi store(ならわしストア)」、

 

このほか、古民家を改修したプロ仕様のレンタルキッチンスペースなどがあります。

 

 

なかでも、

dulce communico(ドゥルケ コムニコ)」は、

ミシュランガイド奈良で1ツ星を獲得した堀田大樹シェフのデザートを

頂けるようですよ~😋

 

 

店舗に行くのはなかなか難しいという方には、

奈良専門オンラインショップ(https://narawashi.jp/)もありますので、

「きみごろも」「さつま焼」「宇田川」などの奈良の銘菓や、

奈良の地酒、地域の特産物などさまざまな商品を購入することができます。

 

私も早速サイトを閲覧していると、気になるお菓子や、ピザなどを早速発見。

地域毎の特産物を新たに知ることもできていいですね。

 

今井町には、このほか、雰囲気のいいカフェやレストランなどもありますので、

 

一度足を運んでみて下さい😄

2024年

6月

03日

内田樹さんの「『東京ミドル期シングルの衝撃』書評」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1530

今のまま何の対策も講じずに放置しておけば、いずれ日本社会は貧しく、孤独で、社会性のない数百万の老人たちを抱え込むことになる。

 

 

2024年5月8日の内田樹さんの論考「『東京ミドル期シングルの衝撃』書評」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 人口減問題について語る人たちは、マンパワーの不足やマーケットのシュリンクや年金や医療制度の持続可能性について話すけれど、ほんとうにシリアスなのは「高齢期に入って社会的に孤立化したシングルのアンダークラス化」にある。本書はそのタブーを正面から取り上げた例外的な仕事である。

「アンダークラス」というのは「ワーキングクラス」のさらに下に位置する、生活保護なしでは暮らしていけない最貧困層のことである。差別と排除の対象となり、社会の底辺に吹き溜まる閉鎖集団である。

 日本でも「高齢者アンダークラス」がこれから大量に出現する可能性がある。政治家も官僚もメディアもこの問題から目を背けてきたが、高い確率でこれからの日本社会はそういう集団を抱え込むことになる。いまミドル期(35歳~64歳)にあるシングルたちは遠からず高齢期シングルとなる。今のまま何の対策も講じずに放置しておけば、いずれ日本社会は貧しく、孤独で、社会性のない数百万の老人たちを抱え込むことになる。

 

「明らかにされているのは、ミドル期シングルの総体は明確なリスク集団ではないが、パラサイト・シングルを含めて、高齢期に到達したときに経済的困窮や社会的孤立に陥るリスクが高い可能性があるという点です。」(25頁)

 

 病気になったり、介護の必要が出てきた時に、彼らには誰も世話をする人がいない。いったいどう生きたらよいのか。「高齢者は集団自決しろ」という暴論を唱えた経済学者がいたけれども、そういう極論が出てくるのは、もっと穏当で、人間的で、実現可能性のある政策がこの問題については今のところ存在しないということを意味している。恐ろしい話だが、そうなのだ。

 

 本書の論点はおおざっぱに言うと、(1)ミドル期シングルという集団がどれくらいの規模で存在するか(2)なぜ、そのような集団が形成されたか(3)この人たちが高齢化した時に、それを支援するどのような取り組みがあり得るのかの三つである。

 これまで行政は「高齢シングル」に対しては関心を寄せていた。高齢シングルは「低所得や要介護のリスクが高く、社会保障に対して負荷を増大させるおそれ」(19頁)があるからだ。

 でも、ミドル期シングルについては、行政もメディアもまるで無関心だった。

 いや、無関心というのではない。むしろ、日本社会では久しく「家族を作るな」というイデオロギーが支配的だった。本書には言及されていないが、私の知る限り少なくとも1980~90年代においてはシングルであることは、都市生活者につよく勧奨された生き方だった。

 糸井重里は1989年に『家族解散』という小説で中産階級のある一家が離散する過程を活写した。一人一人が「自分らしく」生きようとしたせいで「家族解散」に至る物語である。でも、これは悲劇ではなかった。何より「家族解散」は市場に好感された。なにしろ、家族が解散すれば、不動産も、家電製品も、自動車も、それまで一つで済んでいたものが人数分要ることになるからである。家族解散は「市場のビッグバン」をもたらした。だから、「家族を作るな」というのは資本主義からの強い要請でもあったのである。

 そういう時代を生きた人たちが家族形成に強いインセンティブを感じなくなったということはあって当然だと思う。人口動態がそれを示している。

 

「全国のシングルの総数は、1980年の711万人から2000年の1291万人をへて2020年には2115万人にまで増加しました。40年で2.98倍になったということです。」(45頁)

 

 2115万人のうち男が1094万人、女が1021万人。男では、未婚・ミドル期が29.8%、未婚・若年期が29.6%。女では死別・高齢期が32.4%、未婚・若年期が23.3%、未婚・ミドル期が16・9%。(47頁)ミドル期シングルは1980年に35万人、2000年に156万人、2020年に326万人。40年間で約10倍に増えた勘定になる。(21頁)離婚してシングルになる人たちもいる。男は1980年に17万人、2000年に59万人、2020年に93万人。女は25万人、48万人、77万人。これも急増している。(21頁)

 でも、この極端な人口動態上の変化に日本人は特段の関心を示さなかった。結婚したくない、家族を形成したくないという人が増えてきました。ああ、そうですか。お好きにどうぞ。という話で終わった。

 この集団がいずれ遭遇するであろう「経済的困窮や社会的孤立という問題が深刻化するという未来のリスク」に「いちはやく」着目した研究が登場したのが2010年だと本書には書いてある(22頁)。「いちはやく」ということは「それまで誰も研究しなかった」ということである。

 どういう理由で人々が配偶者のいない生き方を選ぶようになったのか、その理由も本書には列挙してある(資本主義の要請だとは書かれていないが)。

 東京にシングルが多いのは、地方在住者が家族のもとを離れて東京に進学や就職で集まるからである。これは当然。もう一つは社会進出を果たした女性の晩婚化。シングル女性は移動しやすい。住む場所を変えるほど人は家族形成から遠ざかる。「人口移動によって出生率は低下する」のだ(80頁)。

 それに女性は地方の伝統的規範を忌避する傾向がある。「男尊女卑や過度な性別役割分業といった、女性にとっての負の要素」(94頁)から離脱するために地方圏出身女性が東京区部へ移動している可能性はあると本書は論じている(94頁)。そこまで断言していないのは、データが不足しているからだろうけれど、私もそうだと思う。彼らは「画一性からの脱却と多様性への渇望」に駆動されて大都市圏に引き寄せられる(97頁)。

 

 

2024年

5月

31日

内田樹さんの「女性の政治進出について」 ☆ あさもりのりひこ No.1529

国政がこれだけ劣化したのは、(異常な低投票率のおかげで)組織票を持つ公認候補なら人格識見と無関係に当選できるからである。レベルの低い政治家が増えれば増えるほど有権者の政治家に対する期待は萎み、投票意欲は減殺され、投票率は下がる。このメカニズムの最大の受益者が自民党の世襲議員たちであることは現状を見ればわかる。

 

 

2024年5月8日の内田樹さんの論考「女性の政治進出について」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 女性の政治参加が増加することでどのような社会の変化が期待できるのかについて意見を求められた。

 少なからぬ女性議員がいわゆる「保守」界隈にはいるけれども、彼女たちが男性議員と異なる政治的役割を果たしていると思っている人はいないだろう。あえて名を挙げるまでもなく、この人たちはしばしば男性議員以上に差別的であったり、強権的であったりすることで存在感を示している。こんな議員がさらに増えても、ろくなことは起きない。だから、この問いは「まともな女性政治家が増えることでどのような変化が期待できるか」でないと意味をなさない。

 でも、それだと「まともな政治家が増えると何が変わるか」という問いと実質意味は同じだから、答えは「政治がまともになる」に決まっている。

 実践的な問題があるとすれば、それは「まともな女性が政策決定に参加できる筋道をどうやってつけるか」である。

 昨年の統一地方選の時に、私の知り合いの女性たちが何人か立候補して、当選を果たした。多くはそれまで市民運動をしてきた無名の市井の人たちである。今の政治に「もう我慢できない」と自ら立ったのである。彼女たちの当選はその素志が有権者に伝わったからだろう。

 千葉県白井市、兵庫県宝塚市、東京都杉並区で議会が「女性過半数」となった。特に目立ったのは杉並区で、女性議員が改選前の15から25に増えた。これは明らかに岸本聡子区長の功績である。このような趨勢が他の自治体にも広がるなら、地方議会から政治は変わると思う。

 国政の参入障壁が高いのは第一に供託金が高額なせいである(選挙区300万円、比例区600万円)。組織的な支援がないとこの供託金は無駄になる。それに対して政令指定都市以外の市議選と東京23区の区議選は30万円である。これなら無名の市民でも「まともなこと」を訴えれば議席を得ることができる。つまり、地方政治の方が国政よりも民主主義として機能するチャンスが高いということである。

 国政がこれだけ劣化したのは、(異常な低投票率のおかげで)組織票を持つ公認候補なら人格識見と無関係に当選できるからである。レベルの低い政治家が増えれば増えるほど有権者の政治家に対する期待は萎み、投票意欲は減殺され、投票率は下がる。このメカニズムの最大の受益者が自民党の世襲議員たちであることは現状を見ればわかる。

 

 しかし、地方議会なら有権者は人格識見を基準に議員を選ぶことができる。だから、まず地方議会から「民主化」を進めることが最も現実的だと私は考えている。地方で「善政」の実績を積んだ議員が国政に進出する道筋をつけることさえできたら、遠からず女性議員が国政でも過半を制すると思う。(『通販生活』3月16日)

2024年

5月

30日

奈良マラソン2024への道 その9 ☆ あさもりのりひこ No.1528

5月24日(金)早朝、坂道ダッシュ300m×3本、44分11秒、6.352㎞、平均ペース6分57秒/㎞、累積上昇138m、消費カロリー419㎉。

6分45秒、6分41秒、6分11秒(600m)

1分57秒(6分35秒/㎞)

1分55秒(6分37秒/㎞)

1分50秒(6分19秒/㎞)

8分19秒、6分21秒、5分44秒(300m)

 

5月25日(土)、安足日。

 

5月26日(日)、眠っているときに左脹ら脛が攣ったので、安足日。

 

5月27日(月)早朝、雨なので西園美彌さんの魔女トレ。

 

5月28日(火)早朝、雨なので西園美彌さんの魔女トレ。

 

5月29日(水)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、傾斜2.0%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、消費カロリー362㎉、手首に重り1㎏×2。

 

 

5月30日(木)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

2024年

5月

29日

内田樹さんの「自由と居場所」 ☆ あさもりのりひこ No.1527

生き物は可動域が広く、次の行動の選択肢が多いところにいると安心し、自由度が失われると不安になる。

 

 

2024年5月8日の内田樹さんの論考「自由と居場所」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 年若い友人から若者の貧困について現場の話を聞きました。彼は貧困者の救援活動をしている団体の職員をしています。救援拠点には「お腹を減らした若者たち」が集まって炊き出しの前に列を作っている。この時代に「ご飯が食べられない」という若者が何百人もいると聞いて驚きました。

 その多くは、家はあるが家にはいたくないのだそうです。家には自分の居場所がない。だから外にさまよい出ている。でも、お金がない。結果的に犯罪に巻き込まれて、被害者になったり加害者になったりするリスクに身をさらすことになる。そういう話を聞きました。

 話を聞きながら「居場所がない」というのはどういう意味だろうと思いました。なんかその言い方は違うんじゃないかという気がしたのです。たぶん家でも学校でも「居場所」はあるのです。でも、彼らはそこにいたくないのです。というのは、そこにいると自分が何者であるか、何をすべきか、何を言うべきか、それがすべて決められていて、それ以外に選択の余地がないから。狭いところに閉じ込められていて、身動きできず、息ができないから。それが若者たちが「居場所がない」と言うときの実相ではないか。そんな気がしました。

 家庭内でも、学校内でも、バイト先でも、友だちといる時でも、自分の占めるべき立場も、自分がしてよいことも、口にしてよい言葉も、着るべき服も、全部決められていて、そこから一歩も出ることが許されない。その「たこつぼ」のようなところにじっとしていれば、とりあえずご飯を食べたり、寝たり、授業を受けたりすることは許されるけれど、そこから出ることは許されない。それが「居場所がない」ということの実感ではないか、そんな気がします。

 何年か前にアメリカの雑誌が日本の大学教育についての特集をしたことがありました。その時のインタビューの答えが印象に残っています。学生たちは自分たちのキャンパスライフを三つの形容詞で説明したのです。trapped, suffocating, stuck の三つです。「罠にかかった」「息ができない」「身動きできない」。たぶんこのコラムを読んでいる高校生にもこの実感は理解できると思います。

 日本社会は若者たちにひどく「冷たい」と思います。でも、それは、社会が彼らを放置しているからではない。逆です。あらゆる機会をとらえては監獄のように「狭いところ」に閉じ込めようとしている。鉄格子の中だから「冷たい」と感じる。

 前にブラジルで10年暮らしてから日本に戻って来た友だちから、こんな話を聞きました。彼女の子どもが小学校から帰って、「今日、学校で先生に変な質問されたのだけれど、答えられなかった」と言ったそうです。「なんて質問されの?」と訊いたら、「君は将来何になるのか?」と訊かれたのだそうです。ブラジルにいたときは大人からそんなことを訊かれたことが一度もなかったので、意味がわからなかった、と。

 その話を聞いて、僕も小さい時からその質問が嫌いだったことを思い出しました。いつも嘘ばかりついていました。それにしても、なぜ大人たちは子どもを早くから「枠」にはめようとするのでしょう。

 今は小学校から「キャリアパスポート」なるものを持たせて、最短距離で将来のキャリア形成に向かえるように子どもを「狭い道」に追い込んでいるようです。ですから、いま子どもたちは「将来の夢は?」と訊かれると、暗い顔をするそうです。当然だと思います。生き物は可動域が広く、次の行動の選択肢が多いところにいると安心し、自由度が失われると不安になる。今の日本の教育は子どもたちを生物として弱くするために一生懸命に努力をしているように僕には思われます。(『蛍雪時代』2月号)

 

 

2024年

5月

28日

紫陽花(アジサイ)の季節

本日、5月28日は事務局が担当です。

今日は、大雨警報が発令される天気で夜まで雨模様の様です。

雨で気持ちが憂鬱になりがちですが、この様な天気にお奨めなのが、紫陽花(アジサイ)の鑑賞です。

 

今年は、例年より開花が早いようで、当事務所の在る近鉄八木駅前のセレーノビルのアジサイは今が見頃です。

近鉄八木駅前のセレーノビルのアジサイ
近鉄八木駅前のセレーノビルのアジサイ

アジサイは、原種が日本に自生していたそうで、古くから詩歌に歌われていて万葉集の中で、大伴家持や橘諸兄の歌に出てきます。

そして、日本から中国へ、そして中国からヨーロッパへ伝わった様で、ヨーロッパにアジサイを紹介したのは、江戸時代に来日したかのシーボルトだそうです。

俳句の季語としては夏を表すものになるそうで、例年なら6月の花の代表ですから、もう夏が始まったのですかね。

私はいつも元気に咲き誇っている花をみると、ついSMAPの「世界に一つだけの花」を口ずさみ、ちょっと心がウキウキ?

笑顔になってしまいます。

皆さんも雨の日など、憂鬱な時は、アジサイなど、きれいに咲き誇る花を観て、元気をもらって下さい。

 

2024年

5月

27日

内田樹さんの「公金と痩せ我慢」 ☆ あさもりのりひこ No.1526

福澤は痩せ我慢こそが「立国の大本」だと言う。

 

 

2024年5月8日の内田樹さんの論考「公金と痩せ我慢」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 二階元幹事長が代表をつとめる政治団体が約3500万円を書籍代に投じていた。購入図書の内訳を見ると、『ナンバー2の美学 二階俊博の本心』、『二階俊博幹事長論』、『自民党幹事長二階俊博伝』といった「自分についての本」が過半だった。中には一冊だけで1000万円を超える購入代金を支払った本もある。原資は税金である。他人の金を使って自分についての本を買って、配布するということをこの人は「恥ずかしい」とは思わなかったのだろうか。思わなかったのだろう。思っていたら、こんなことはしない。

 今どきこんなことを言うと世間知らずと笑われそうだけれど、「あなたには矜持というものがないのか」と言いたくなった。 二階氏はおそらく自分のことを「国士」の類だと思っているのだろうが、その自己認識は誤っている。士の本質は腕力でも金力でもなく、「痩せ我慢」だからである。

 福澤諭吉はその『瘠我慢の説』にこう書いている。「瘠我慢の一主義は固より人の私情に出ることにして、冷淡なる数理より論ずるときはほとんど児戯に等しといわるるも弁解に辞なきがごとくなれども、世界古今の実際において、所謂国家なるものを目的に定めてこれを維持保存せんとする者は、この主義に由らざるはなし。」

 福澤は痩せ我慢こそが「立国の大本」だと言う。幕末維新の時、徳川家の命脈尽きたことを察して、勝海舟が「敵に向かって抵抗を試みず、ひたすら和を講じて自ら家を解きたる」ことは合理的な解ではあったが、「数百千年養い得たる我日本武士の気風を損なう不利」をもたらした。戦火で江戸の町を灰燼に帰すことは避けられたが、士風は失われた。得失を計算すると日本は大赤字になったと福澤は言う。

 ただし福澤は日本人全員に向かってそう言ったわけではない。『瘠我慢の説』は勝海舟と榎本武揚に宛てた「私信」なのである。あんたたちみたいな例外的なスケールの人は痩せ我慢をしてでも士道を貫いて国の大本を守る義理があったんじゃないかい、と書いたのである。

 

 公金の支出明細を見て、日本の要人たちの辞書から「痩せ我慢」の文字が消えて久しいことを知った。(『AERA』2月15日)

2024年

5月

24日

内田樹さんの論考「大学存続の秘策」 ☆ あさもりのりひこ No.1525

それを聞いて、ふと日本の大学の少子化対策を思いついた。学部入試を「中国語での受験も可」にするのである。

 

 

2024年5月8日の内田樹さんの論考「大学存続の秘策」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 大学入試の季節になった。東京にある医療系大学の理事と地方の女子大学の評議員をしているので、この季節になるとそれぞれで入試状況の報告を聞き、生き残れる大学と崖っぷちの大学の格差が年々広がっていることを実感する。

 今のところは定員を満たしている大学も少子化が続けば、遠からず「崖っぷち」に立たされる。せっかく全国津々浦々に良質の教育研究拠点があるのだ。これを市場原理に委ねて統廃合し、教育機関の東京一極集中を放置しておいてよいのだろうか。 

 近代日本において、教育の充実は国家的急務であった。明治末までに東京、京都、仙台、福岡に四つの帝大ができ、最終的には台北、京城を含む九帝大ができた。旧制高校の設立はさらに早く、東京の一高が明治19年。明治41年までに仙台、京都、金沢、熊本、岡山、鹿児島、名古屋に8つの「ナンバースクール」が設立され、以後も都市名を校名とする「ネームスクール」は松江、弘前、水戸から旅順まで19校が設立された。

明治維新以来、1990年代まで、「全国津々浦々に高等教育機関を」という国家目標は疑われたことがなかった。その150年来の国家目標が人口動態上の理由であっさりと放棄され、「統廃合は市場に丸投げ」ということになった。市場に委ねておけば、遠からず首都圏周辺に高等教育機関が密集することになる。すでに韓国ではそうなっている。人口の50.5%がソウル周辺に密集する隣国では、釜山はじめ地方都市で大学の廃校が相次いでいる。日本もこのままなら、そのシナリオをなぞることになる。

 しかし、地方が「教育空白地帯」になってしまった日本列島の風景について教育行政の当事者はどれくらい想像力を働かせているのだろうか。あまり真剣に考えているように私には思われない。

 でも、少子化に苦しむ日本の大学に思いがけない「援軍」が期待できそうだという話を聞いた。中国人留学生の大量流入である。

 だいぶ前から文系の大学院は「中国人留学生なしでは定員が埋められない」という状態が続いていた(読者の多くはご存じなかったであろうが)。ここに来て学部への中国人入学者も増えているらしい。高田馬場には中国人向けの進学予備校が軒を接しているという話を東京の人から聞いた。「高田馬場駅前ですれ違う若者たちが話しているのが中国語ばかりなんですよ」とびっくりしていた。

 それを聞いて、ふと日本の大学の少子化対策を思いついた。学部入試を「中国語での受験も可」にするのである。

 中国はご案内の通り、壮絶な受験競争社会である。修士号まで持っていないとホワイトカラー職に就くのさえ難しい。一方、日本は大学も大学院も入りやすい(定員充足に必死なのだから当然である)。比較的容易に学位が取れる。学費は欧米の5分の1(加えて歴史的な円安)。漢字表記が読めて、治安がよくて、どこでも中華料理が食べられて、地理的に近くて、市民的自由が享受できる。富裕層の子どもたちがそれを知って「日本で青春を満喫したい」と思うのも怪しむに足りない。

 今は学部も大学院も日本語受験が必須であるが、「入学後に日本語補習クラスを作って面倒見るから、基礎学力のある人はとりあえず合格させる」という大学があれば、「満喫」系の受験生はわらわらと集まる(はずである)。

 

 大学の存続と多文化共生社会の創出の「一石二鳥」のアイディアである。何より親日派中国人卒業生を輩出することはわが国の安全保障上大きなアドバンテージをもたらすはずである。問題は文科省が「中国語受験」を許してくれるかどうかだ。(『週刊金曜日』2月7日)

2024年

5月

23日

奈良マラソン2024への道 その8 ☆ あさもりのりひこ No.1524

5月17日(金)早朝、インターバル走、35分18秒、6.173㎞、平均ペース5分43秒/㎞、累積上昇83m、消費カロリー372㎉。

6分40秒

5分20秒、8分05秒

5分18秒、7分41秒

5分22秒、10分11秒

5分34秒、7分20秒

5分22秒、5分10秒

 

5月18日(土)早朝、丘の階段641段、50分08秒、7.18㎞、平均ペース6分59秒/㎞、総上昇量158m、消費カロリー509㎉。

1 6分49秒(上り下り)

2 6分56秒(上り)

3 7分02秒(上り下り)

4 8分26秒(階段)

5 8分23秒(上り下り)

6 5分41秒(下り)

7 5分51秒(上り下り)

8 5分26秒(180m

 

5月19日(日)早朝、雨、西園美彌さんの魔女トレ。

 

5月20日(月)早朝、ウインドスプリント300m×10本、49分20秒、7.623㎞、平均ペース6分28秒/㎞、累積上昇118m、消費カロリー570㎉。

6分54秒、6分56秒、6分59秒(100m)

4分31秒/㎞、4分45秒/

4分10秒/㎞、4分37秒/

4分23秒/㎞、4分33秒/

4分19秒/㎞、4分47秒/

4分03秒/㎞、4分32秒/

6分20秒、5分56秒、6分03秒(100m)

 

5月21日(火)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、傾斜2.0%、消費カロリー357㎉、手首に重り1㎏×2。

 

5月22日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

 

5月23日(木)早朝、テンポ走、37分26秒、6.18㎞、平均ペース6分04秒/㎞、総上昇量102m、消費カロリー419㎉。

1 6分36秒(上り下り)

2 6分36秒(上り)

3 5分51秒

4 6分12秒

5 5分44秒(下り)

6 5分33秒(上り下り)

 

7 5分12秒(180m

2024年

5月

22日

内田樹さんの「正中と刃筋」 ☆ あさもりのりひこ No.1523

正中線というのは単に自分と相手の中心を結んだ空間的な位置取りのことを言うのではない。目付や重心や臓器の位置や気の配りなど無数の要素によって、正中は生成し、変化する。そして、正中と技の刃筋が合うと強大な力が発動し、ずれると力は減殺される。

 

 

2024年5月8日の内田樹さんの論考「正中と刃筋」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

「現代における武道の意義」という演題である市の体協で講演をすることになった。聴衆の多くは各種競技団体の役員の方たちだった。講演を終えて質疑応答になった時に、勢いよく手を挙げた人がいた。その人は「お話に出て来た『正中線』とは何のことですか?」と問いかけた。

 自分なりの答えを知っていて、私の知見の当否を吟味しようというような査定的な問いではなく、ほんとうに知りたがっているということがその真剣なまなざしから知れた。

おそらくこの方は稽古を通じて「正中線」についてリアルな身体実感を持っているのだけれど、指導に際して、なかなかその実感を言葉で伝えられないでいるのだろうと思った。

 正中線というのは単に自分と相手の中心を結んだ空間的な位置取りのことを言うのではない。目付や重心や臓器の位置や気の配りなど無数の要素によって、正中は生成し、変化する。そして、正中と技の刃筋が合うと強大な力が発動し、ずれると力は減殺される。

おそらく伝説的な名人達人はミクロン単位で正中を感知して、そこに刃筋を合わせることができたのだろうと思う。刀が斬り込んだ跡を持つ兜は日本各地に今も残されているが、人間の筋力では、どれほどの速度で振ってもそんなことはできない。

 多田宏先生は剣を振る稽古の前には必ず示現流の流祖東郷重位の逸話をお話しされる。重位は脇差を一閃して目の前の碁盤を両断し、さらに畳から根太まで斬ったと伝えられている。人間の力でできることではない。おそらくこういうことができた達人たちは超人的な精密さで正中と刃筋を合わせることで自分の身体を巨大なエネルギーの「通り道」にしたのだろうと思う。

 

 稽古をしていればその消息はなんとなく体感はできる。でも、正中の物理的な力量を計測できる機器はまだ存在しないし、説明のための語彙もまだ足りない。そういう話をした。私が言いたいことはたぶん質問者にも伝わったと思う。(『月刊武道』2024年5月号)

2024年

5月

21日

はまりもの'24.05

弁護士 離婚 大和八木
鹿は何頭いるでしょうか~?奥にもいますよ(・∀・)@奈良地裁の敷地

みなさん、こんにちわ。本日は事務局担当日です。

 

最近、野菜のお値段が高いな~と思っていたところ、4月の天候不順で、急に寒くなったりしたせいで、生育に大きな影響がでているそうです。

家計に大きく響くので早く気候が安定してほしいものです😟

 

今年の関西の梅雨入りは6月中旬と例年より遅いようで、5月後半も梅雨の走りで雨模様が多くなるそうです。

ううううむ・・・。私の外遊びに大きな影響が・・・。

弁護士 交通事故

これまで何度か「はまりもの」シリーズをお伝えしてまいりました。

ナッツ、リンゴ、炭酸水、パン・・・

 

リンゴは落ち着いたのですが、その他は継続中♪

そして、新たに仲間入りしたのがこちら →  →  →

 

ドライイチジクです😀

 

 

ドライイチジクは栄養たっぷりで

 ・ 水溶性食物繊維   : 言わずと知れた整腸作用。

     血糖値上昇やコレステロールの吸収を穏やかにも。

 ・ 植物性エストロゲン : おなじみ大豆イソフラボンと同じもの♪

     妙齢の女性には必須アイテムです

 ・ カリウム : 余分な塩分を排出してむくみ解消に♪

 ・ フィシン : たんぱく質分解酵素で、消化・吸収を促進♪

 ・ ビタミンB6・E :細胞の酸化を防いたり、皮膚や神経を正常に保ったり♪

 ・   カルシウム・マグネシウム・亜鉛・葉酸・鉄などのミネラルもたっぷり♪

          → 段々面倒になってきたやろ、とかは言わないで~

 

そんなスーパーフードをプレーンヨーグルトに投入して、3時間ほどおいておくと、

イチジクの甘みが溶け出して、そりゃそりゃもうおいしいのなんのって!

小腹が減ったときには、イチジクをそのままぱくり♪

 

写真のものは成城石井さんでゲットしました。

大きなやわらかくてふっくらしたドライイチジクを8分の1にカットしたもので、

ちょっとつまんで食べるのに手も汚れず、ばっちりです☆

 

子どももバクバク食べるので、あっという間になくなってしまうので、

ストックを必死に隠しているのに、絶対見つけて食べられてしまうのが目下の悩み😆

(でも最近入荷してないんですよねぇ・・・。販売情報お待ちしています)

そして、並行してはまっているのが、こちら。

こんにゃくパークの「黒蜜こんにゃくわらび餅」

 

ドラッグストアで見つけて試しに買ってみたところ、

家族で取り合って食べてしまって、2時間後にはまた買いに走りました😁

 

1個5キロカロリー糖質1.2グラムという罪悪感のなさ。

なのに、しっかり黒蜜の香りがして、ほんとおいしいです!

ちょっと甘いもの食べたいねんけどもう夜遅いしなぁ・・・とお悩みのそこのあなたの強い味方です♪

2024年

5月

20日

内田樹さんの「安倍政権の総括」(その5) ☆ あさもりのりひこ No.1522

再び経済大国になる力はもうありませんし、政治大国として指南力を発揮できるほどのヴィジョンもない。「穏やかな中規模国家」として静かに暮らしてゆく未来をめざすというのが現在の国力を見る限りでは一番現実的な解だと思います。

 

 

2024年5月1日の内田樹さんの論考「安倍政権の総括」(その5)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

―政治の世界だけでなく、より日常的な場面でも、白黒はっきりつけろという発想が広がっています。コロナ禍の中では特に、様々な分断が生じているように感じられます。

 

内田 敵か味方か、正義か悪かという単純な二項対立でしか政治を理解できないのは、市民的成熟度が低いことの証左だと思います。コロナでも、ワクチンを打つべきか、打たない方がいいのか、マスクはつけるべきか、外すべきかというようなのことが議論されていますけれど、そんなことは、本来科学的なマターであって、イデオロギーの問題じゃないし、まして人格の問題でもない。今までわかっているエビデンスに基づいて、科学者は暫定的な知見を示す。それなら「これくらいのことまでは分かっていますから、こんな感じでふるまってください」という大筋の合意形成くらいはできる。それなのに、感染症の専門家でない人たちが、自分でネットでかき集めてきた情報に基づいて、「こうあるべきだ」と断定する。これはまことに非科学的で幼児的な態度だと思います。予見不能のふるまいをするウイルスによる感染症なんですから、わからないことについては「わからないので、科学者の総意に従う」という節度を保つべきだと思います。

 

―日本の戦後教育の中で、そういった対話の訓練が十分なされてこなかったということでしょうか。

 

内田 学校ですべて教えるのは無理です。対話や合意形成の訓練は学校教育の手に余ることです。ひとりひとりが自分の社会経験を通じて、どうやって対話を成り立たせるか、どうやって合意を形成するか、試行錯誤を積み重ねていくしかありません。人に習ってすぐにできるようになるというものじゃない。大人たちが、実際に対話して、異論をすり合わせて、合意を創り出している実践の現場を見せて、そこで場数を踏むしかない。でも、今の日本社会では、そういう「民主的な組織」はほとんど見出し難いです。

 

―こうして見てみると、安倍・菅政権は今の日本の合わせ鏡のようなもので、変えていくのは至難の業のように思えます。

 

内田 そうだと思います。バブル崩壊から30年かけて、日本はほんとうに衰弱したと思います。経済の指標だけを見ても、世界の株式会社時価総額トップ30のうち30年前には日本企業は21社を占めていたのが現在ではゼロです。これから日本は急激な人口減・超高齢化の局面を迎えます。急落しつつある国力をV字回復させることはほぼ不可能だと思います。

 でも、日本にはまだ豊かな国民資源が残されています。温帯モンスーンの肥沃な土壌も、豊かな水源も、多様な動物相・植物相も、あるいは上下水道や交通網、ライフラインのような社会的インフラも、行政や医療や教育も、まだ十分に機能しています。観光資源でもエンターテインメントでもまだ国際競争力はある。この手持ちのリソースをていねいに使い延ばしてゆく。再び経済大国になる力はもうありませんし、政治大国として指南力を発揮できるほどのヴィジョンもない。「穏やかな中規模国家」として静かに暮らしてゆく未来をめざすというのが現在の国力を見る限りでは一番現実的な解だと思います。

 

―こうした社会変革は、現下の自民党政権では不可能なことなのでしょうか。

 

内田 いや、そんなことはないと思いますよ。失敗を認めればいいんですから。どうもこの30年ほど「ボタンの掛け違い」があったということを認めればいい。あらゆる組織は株式会社をモデルにして再編すべきだとしてきたことが日本の没落の原因だということに気がついて、「もうそれは止めよう」ということに自民党内の誰か言い出したら、僕はその人を支持しますよ。

 

 これからの日本は長期にわたる「後退戦」を余儀なくされます。人口はどんどん減っていくし、経済も停滞する。大切なのは、そういうときでも「愉快に過ごす」ということだと思います。そういうときだからこそ、快活である必要があるんです。暗い顔をしていたんじゃ知恵は出ません。後退戦で求められるのは、「いかに負け幅を小さくするか」「いかに被害を最小化するか」です。「どれだけ勝つか」、「どれだけ儲けるか」を考える時だったら知恵も出るけれど、「負け幅を小さくする」というような不景気な話じゃ知恵も出ないという人もいると思いますけれど、申し訳ないけれど、そういう人は「後退戦」には向きません。

2024年

5月

17日

内田樹さんの「安倍政権の総括」(その4) ☆ あさもりのりひこ No.1521

僕は政策の適否について判断を下す「マーケット」は国際社会における地位だと思います。

 

 

2024年5月1日の内田樹さんの論考「安倍政権の総括」(その4)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

―トップダウンによる意志の統一は、一見、組織を強くするように思えますが。

 

内田 株式会社でCEOへの全権委任が許容されるのは、先ほども言いましたけれど、経営判断の適否についてはマーケットが判断を下すからです。トップの経営判断にマーケットがすぐに反応する。マーケットから「退場」を命じられたCEOは黙って去るしかない。「失敗したらすぐに馘になる」という保証があるから、CEOに暫定的に全権を委ねることができるのです。

 でも、政治についても同じことが言えるかというと、これは言えないわけです。というのは、ビジネスにおける「マーケット」に相当するものが政治においては何であるかについて、社会的合意がないからです。

 僕は政策の適否について判断を下す「マーケット」は国際社会における地位だと思います。ある政党が政権を担当している間に、その国の国力はどれくらい向上したのか、国際社会における外交的なプレゼンスはどのくらい重くなったか、その国の指導者の言葉に国際社会はどれくらい真剣に耳を傾けるようになったのか、その国をロールモデルにして、「あの国の成功例に学ぼう」という国がどれくらい出てきているか...、そういう指標に基づいて、政治の成否ははじめて判定できると僕は思います。

 例えば、コロナ対策であれば、同じ問題に世界中の国が同時に取り組んだわけですから、その成否は客観的指標に基づいて正確に判定できます。人口当たりの感染者数、死者数、検査数、ワクチン接種率、医療体制...そういうものを比べれば、日本政府の「点数」ははじき出される。でも、日本政府はそういうことを絶対にしませんでした。というのは、彼らにとっての「マーケット」は国際社会における地位ではないからです。

では、何が「マーケット」かというと、それは「次の選挙」です。次の選挙で勝てば、それは政策が「マーケット」の信認を得たということであり、政策が「正しかった」ということを意味する。政治家もメディアも、みんなそう言い立てています。「次の選挙」で多数の議席を取れば、それはこれまで行った政策はすべて「正しかった」という民意の信認を得たことであるという話になる。どれほど失政を重ねても、すべてうまくいっているようなふりをして、メディアがそのように宣伝して、有権者がそれを信じて投票行動をとれば、すべての政策は「正しかった」ことになる。

 喩えて言えば、マーケットの反応ではなく、社内の人気投票で経営判断の当否が決まる会社のようなものです。いくら売り上げが下がっても株価が下がっても、従業員たちが「経営は大成功している」というプロパガンダを信じていれば、経営者の地位は安泰です。だから、今の政治家たちは実際に政策を成功させることよりも、「成功しているように見せる」ことの方を優先するようになった。

 

―コロナ対策についても、さまざまなミスが検証されないままですが。

 

内田 トップダウンの政体では、失政についての説明はつねに同じです。それは「政府の立てた政策は正しかったが、『現場』の抵抗勢力がその実施を阻んだのでうまくゆかなかった」というものです。スターリンのソ連も毛沢東の中国も、世界中の独裁政権の言い訳はつねに同じです。システムは完璧に制度設計されていたのだが、システムの内部に「獅子身中の虫」がいて、正しい政策の実現を阻んでいる。すべての失敗の責任はこの「反革命分子」「売国奴」「第五列」にあるというものです。だから、失政のあとには「裏切者」の粛清が行われるけれども、システムそのものは手つかずのまま残る。

 今の日本も同じです。コロナ対策でも、「厚生労働省の政策は正しかったが、医療機関や国民が政府の言う通りにしないので、うまくゆかなかった」という話になる。そこから導かれる結論は「だからもっとシステムを上意下達的に再編すべきだ」というものです。憲法を変え、法律を変えて、政府の命じることに逆らう医療機関や市民に罰を与える仕組みを作ればすべてうまくゆくということを言う人がいますが、それは失敗した独裁者が必ず採用する言い訳です。

 

―自民党内で多様性が失われた一方で、野党に対しても「一枚岩ではない」といった批判がよくなされます。

 

内田 政党が一枚岩でなければならないなんてことをいつ決めたんですか。その理屈から言ったら、共産党や公明党が最も「一枚岩」ぶりが徹底しているわけですから、メディアは「共産党、公明党に投票しましょう」と社説に掲げるべきでしょう。そうじゃないと話の筋目が通らない。

 綱領や規律できっちり固められた政党もあれば、かつての自民党のようなぐずぐずに緩い政党もある。僕はそれでいいと思いますけどね。綱領も違うし、組織原理も違う、めざす社会像も違う、そういう政党が並列していて、交渉したり、妥協したり、離合集散を繰り返しながら、とにかく国民にとって暮らしやすい社会を実現してゆく。それでいいじゃないですか。政党がどういう組織であるべきかについて「正解」なんかあるわけがない。メディアが「一枚岩じゃない」「党内で意思統一ができていない」ということをうるさく批判するのは、記者たちが株式会社しか組織を知らないので、「今の政党は株式会社みたいじゃないのは変だ」と言っているだけです。

 いろんな政党があっていいんです。有権者は選挙のたびに自分の判断で投票する。地方選挙と国政選挙で、違う政党に投票したって構わない。有権者はどんなことがあっても一つの政党を支持すべきである。だから政党は単一の方針を貫徹するべきだという発想は幼稚過ぎると思います。

 立憲民主党がふらふらしてどうも信用しきれないと批判する人がいますけれど、立憲民主党は「ふらふらする政党」なんですよ。それが持ち味なんだから、それでいいじゃないですか。「つねに、あらゆる政策判断について正しい政党」の出現なんか期待すべきではありません。どんな政党だって間違えます。間違えた後に「あれ、間違いでした」と正直に認める政党だったら、僕はそれで充分誠実だと思います。