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2021年

10月

20日

内田樹さんの「コロナ後の世界」(その2) ☆ あさもりのりひこ No.1062

21世紀の終わりの日本の人口は厚労省の中位推計で4850万人です。今の人口が1億2600万人ですから、80年間に7000万人以上減る勘定です。年間90万人というペースです。

 

 

2021年10月15日の内田樹さんの論考「コロナ後の世界」(その2)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

野生から文明を守る戦い

 

 野生の自然が「人間の領域」を侵略するというケースは、今のところはまだ日本のメディアでは大きく取り上げられていませんが、僕はこれから先、非常にシリアスな問題になるだろうと思っています。急激な人口減を迎えている地方では、これまで「文明のエリア」と「野生のエリア」の間にあって、緩衝帯として機能していた里山が無くなりつつあり、里山に無住の集落が発生してきています。無住の集落は短期間に廃村となり、山に飲み込まれます。

 21世紀の終わりの日本の人口は厚労省の中位推計で4850万人です。今の人口が1億2600万人ですから、80年間に7000万人以上減る勘定です。年間90万人というペースです。日本政府はこの人口減少に対して、国としての基本方針を示しておりません。シナリオは「資源を地方に分散する」か「都市に集中するか」の二つしかありません。

 本来なら、政府はこの二つのシナリオを国民の前に提示して、それぞれのメリット、デメリットを列挙した上で、合意形成をはかるべきなのですが、それをしていない。国策についての国民的議論を回避したまま、「都市一極集中」というシナリオを無言で実践している。これは民主国家においてあってはならないことだと思います。国民の同意を取り付けないままに、「地方切り捨て」を黙って続けて、ある時点でもう地方再生が不可能というポイント・オブ・ノーリターンを過ぎてから、「やはり都市集中しかない」となし崩しに持って行く。政官財はそういう計画でいます。しかし、黙って政策を実行しているので、地方が切り捨てられた場合に「何が起こるか?」ということは議論のテーブルに上がってこない。その話はしない約束になっている。そして、「人口の少ないところに暮している国民は、都市に暮している国民と同等の行政サービスを受ける資格がない」という主張だけが、一部の政治家やメディアを通じて、拡散されています。すでに、JRは赤字路線を次々と廃線にしています。その時のロジックは、「人口の少ないところに住んでいる人たちは、そこに住むことを自己決定しているわけだから、自己責任で不便に耐えなければならない」というものです。自分の好きで過疎地に住んでいる人間が「便利な暮らし」を求めて、税金の支出を求めるのはフェアではない、と。

 実際に、そのようなロジックに基づいて、公共交通機関は廃止されています。行政機関も統廃合されている。そして、過疎地では、医療機関もない、学校もない、警察も消防もないという状態になりつつある。そういう不便なところに住むことを自己決定している人間は、その不便に耐えるべきだという意見はもう既に日本国民のマジョリティを占めていると思います。

 しかし、この言い分に一度頷いてしまうと、後もどりが効きません。この後、人々が里山を捨てて、地方の中核都市に移動したとしても、遠からずそこも「過疎の都市」になります。そうしたら、同じロジックで、「不便なところに自分の意思で住んでいる人間は、その不便を甘受すべきで、税金を投じて都市と同じサービスを享受する権利はない」と切り捨てられる。そんなことが二、三回続けば、日本国内に文明的な生活が出来る圏域は太平洋ベルト地帯の都市部だけになります。

 現在の日本政府はそういうシナリオを描いていると思います。それを国民に開示して、議論したり、同意を求めたりということをしないのは、「地方を捨てます」と宣言した途端に地方の選挙区で自民党が惨敗して、政権から転落することが確実だからです。だから、人口急減という危機的局面を迎えながら、それについては「何も言わない」という任務放棄が公然と行われている。

 しかし、すでに過疎地での「野生の侵略」はかなりのスピードで進行しています。僕の友人の話ですが、先祖のお墓が西日本の過疎地にあります。お墓の管理はいとこがしてくれている。祖父母のお墓参りに行こうと思って、そのいとこに連絡したところ、「もう無理」という返事があったそうです。お墓のある集落が無人になり、「山に呑まれて」しまったというのです。集落へ行く道も藪に覆われて、通れない。獣も出るし、蛇もいるので、怖くて、かつて祖父母のいた集落にはもう入ることができないと言われたそうです。これに類したことは、急激な人口減を迎えている日本中の土地で今同時多発的に起きていると思います。

 日本はいま世界で最も早く人口減少フェーズを迎えています。ですから、「野生の侵略」によって文明圏が狭められているという経験は、今のところ日本だけで見られる現象だと思います。

 先日、千葉でもシカやイノシシの獣害が増えているというニュースを読みました。つい先日は、芦屋の城山というところでもハイカーがクマと遭遇しました。芦屋ではこれまでもイノシシとはよく出会いましたが、さすがに住宅地でクマが出たという話ははじめて聞きました。

 今のところはイノシシもシカも、農作物への被害にとどまっていて人的被害はごく稀にしか報告されていませんが、これからは無人化した里山で野生獣が繁殖した場合に、人的被害のリスクが高まります。ふつうであれば出会うことがない野生獣と人間が接触する機会が増せば、そこから新しい人獣共通感染症が発生するリスクもあります。

 日本に続いて、次は中国が急激な人口減と高齢化を迎えます。その場合、中国の人たちがどういうシナリオを採用するかは分かりません。経済成長を続けようとするならば、人口を都市部に集中させて、過疎地を捨てるという選択肢を採る可能性は高いと思います。北京、上海、広州など沿海部に人間が集まり、貧しい内陸部は放棄されて、無人化・無住地化する。そういう政策を日本とは比較にならないスケールで実施する可能性があります。その場合政策的に野生に戻された内陸部の生態系がどうなるのか、僕にはうまく想像がつきません。

 東アジアで忘れてはならないリスクファクターは破綻国家になったミャンマーです。ミャンマーは広い熱帯雨林を抱えていますが、そこは野生獣の宝庫です。これまでもミャンマーは野生獣の密猟と密輸がアンダーグラウンドのビジネスでしたが、統治機構が機能不全に陥ってしまったために、野生獣の密輸がこれまで以上の規模で行われているそうです。

 ダスティン・ホフマンが主演した『アウトブレイク』という映画は、密輸された一匹のサルがウイルスのスプレッダーとなり、サルの唾液の飛沫を浴びた密輸ビジネスの船員をはじめ、サルに接触した人たちが次々感染して、ついに都市封鎖に至るという話でした。サル1匹で都市封鎖ですから、密輸ビジネスが野放しになった場合に、何が起こるか予測がつきません。

 有史以来、日本列島の住民たちは列島の自然を破壊しながら生息地を拡大してきました。ですから、自然破壊と自然保護についてはそれなりのノウハウを持っていますが、野生の自然に侵略されて、じりじりと後退しながら文明を守るというタイプの戦いはかつてしたことがありません。でも、どうやら今後はそうした戦いをしなければならなそうです。

 

 こんな後退戦を経験するのは日本が世界で初めてです。ですから、先行する成功事例がありません。日本人が自分の頭で考えて、自分で対策を手作りしなければならない。でも、そういう「パイオニアの緊張感」を今の政官財メディアからは全く感じることができません。この点については、日本のエスタブリッシュメントは総じて想像力の行使を怠っています。ですから、いずれ日本各地が「山に呑み込まれる」という事態に遭遇して、驚かされることになると思います。

2021年

10月

19日

近鉄八木駅スイーツ/「クロッフル」のお店OPENしました。@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

今週から朝晩の気温が下がると天気予報で聞いて、週末慌てて長袖などを引っ張り出して

きました(^_^;)

寒暖差がありますので、体調を崩さぬよう気をつけましょう!

 

さて、先月28日、大和八木駅の高架下にある近鉄八木駅名店街に、

韓国カフェ「SUNNY&TONNY」さんがOPENしました。

 

 

「SUNNY&TONNY」

 

〒634-0804

奈良県橿原市内膳町5丁目1-24

 

営業時間 11:00-17:00

 

定休日 月曜日

 

https://www.instagram.com/sunny__tonny_nara/

 

 

 

 こちらでは、昨年から韓国で人気のクロッフル(クロワッサン生地で焼いたワッフル)や

クロワッサンサンドが食べられます(テイクアウトもできます)。

 

クロッフルは、プレーン、ホワイトチョコ、チョコアーモンド、ストロベリー、キャラメルアーモンド、レモンの6種類。

 

クロワッサンサンドは、イモバターとアンバターの2種類があります。

 

私も早速いただきましたが、

クロワッサンのサクサク感とワッフルのモチモチ感が同時に味わえて、

チョコの甘さもちょうどいいぐらいで美味しい~~♡

 

ついつい二個目に手が伸びてしまう、これこそ悪魔スイーツ・・・笑

 

 

 

 

 

 

なお、店内での飲食限定で、

「ガーリックシュリンプとアボガドのクロワッサンサンド」も11時30分から販売しているそうです。

 

 八木でお時間があるときには、一度お試しあれ~(*^_^*)/ 

2021年

10月

18日

内田樹さんの「コロナ後の世界」(その1) ☆ あさもりのりひこ No.1061

このパンデミックによって、世界はいくつかの点で、不可逆的な変化をこうむった。そして、それはこの感染症が終息した後も、もう元には戻らない。

 

2021年10月15日の内田樹さんの論考「コロナ後の世界」(その1)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ある集まりで「コロナ後の世界」という演題で1時間ほど講演をした。その文字起こしが届いた。一般の人の目につかない媒体なので、ここに再録する。

 

はじめに

 

 せっかくですから、今日はなるべくあまり他の人が言わないようなことを言ってみたいと思います。タイトルは「コロナ後の世界」です。この「コロナ後の世界」というタイトルはニュートラルなものに思われますが、実は幾分は論争的なものです。

 コロナが流行し始めてから1年半が経ちましたが、世の中には「コロナ後の世界」という枠組みでものごとを語ることを拒絶している人たちがずいぶんたくさんいます。「コロナはただの風邪だ。罹かる人は罹る。死ぬ人は死ぬ。それによって世界は変わるわけではないし変わるべきでもない」と言う人たちです。僕はこういう人たちのことを「コロナ・マッチョの人」と呼んでいます。彼らは「コロナ後の世界」は「コロナ前の世界」と基本的には同じものであるし、同じものでなければならないと考えています。ですから、「コロナ後の世界」というトピックでものを考えることを受け入れません。僕があえて「コロナ後の世界」という演題を掲げるというのは、その人たちとは見通しが違うということを意味しています。このパンデミックによって、世界はいくつかの点で、不可逆的な変化をこうむった。そして、それはこの感染症が終息した後も、もう元には戻らない。僕はそう考えています。

 僕は武道家ですので、「驚かされること」が嫌いです。「驚かされない」ためには、どうしたらよいのか。何が起きても全く反応しないで鈍感になっているということはあり得ません。逆です。「驚かされない」ためのコツは、「こまめに驚いておくこと」です。

「驚かされる」というのは受動態です。「驚く」は能動態です。自分から進んで、わずかな変化を感知するように努める。「風の音にぞ驚かれぬる」です。「目にはさやかに見えねども」「人こそ見えね」の段階で、他の人が気付かないような微細な変化の兆候に気づく。そうやってこまめに驚いていると、地殻変動的な変化を見逃すことはありません。だから、いつも驚いていると、驚かされるということがない。

 そういう心がけで、去年の夏前から「コロナによって世界はどう変わるのか?」という問題意識を持って出来事を眺めてきてました。わずかな変化も見落とさないようにしようと思ってきました。変化に過敏でしたから、「コロナ後の世界はこう変わる」という僕の予測は全体に変化を過大評価する傾向があると思います。そのことはあらかじめお断りしておきます。しばらく経ってから「内田はいくらなんでも取り越し苦労で騒ぎすぎだったよ。実際にはコロナで大した変化はなかったじゃないか」と総括されるリスクもあります。それでも、僕としては「大きな変化を見落とす」リスクを避けるために、思いつく限りの変化の兆候を列挙しておきたいと思います。

 

 コロナ後の世界では色々な領域で変化が起きます。国際政治、経済、医療、教育、軍事などなど様々なレベルで大きな変化がある。

 まずこれからの議論の前提として、一つだけ全体で共有しておきたいことがあります。それは、今後も世界的なパンデミックが間欠的に繰り返すということです。

 野生獣の体内にいるウイルスが人間に感染して、変異して、それがパンデミックを引き起こすということは、これからも短い間隔を置いて繰り返されます。新型コロナの感染が終息したら、それで「おしまい」というわけではありません。

 人獣共通感染症は21世紀に入って新型コロナで4回目です。SARS、新型インフルエンザ、MERS、そして新型コロナ。5年に1回のペースで、新しいウイルスによる人獣共通感染症が世界的なパンデミックを引き起こしている。SARSでは日本の感染者は出ませんでしたが、東アジアではたくさんの感染者・死者を出しました。

 ウイルスを媒介する野生獣は鳥、コウモリ、豚、ラクダとさまざまですが、本来は人間と接触する機会の少ない野生獣と人間が接触して、野生獣のウイルスが人間に感染して体内で変異することでパンデミックがもたらされるというパターンは同じです。そして、人類が自然破壊を続け、野生獣の生息地がどんどん狭くなり、人間と野生獣の接触機会が増える限り、人獣共通感染症はこれから先も繰り返し発生する。それは専門家が警告しています。アフリカ、南米、アジアがこれからも感染症の発生地になると思われます。

 人獣共通感染症の原因は人間による自然破壊ですが、もう一つ、自然による文明破壊が起きる場合でも、野生獣と人間の接触機会は増えます。野生の自然と都市文明の「緩衝帯」がやせ細れば、そうなります。日本でこれから懸念されるのは、このタイプの「人獣接触」です。

 

 

2021年

10月

14日

洋食Katsuiの猫 ☆ あさもりのりひこ No.1060

2021年9月26日(日)は久しぶりに奈良マラソンのコースを試走する予定だった。

 しかし、朝から雨が降り続いていて、試走は断念した。

 

車で、法隆寺の門前にある小間伊商店(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺1丁目35)へ行く。

古色蒼然たる昭和の日用品店という風情である。

竹で編んだ籠などがたくさんある。

買い物籠、洗濯物を入れる籠、笊(ざる)、布団叩き、手箒などを買う。

 

奈良盆地を横断して、昼食を喰いに「洋食Katsui」(奈良県天理市柳本町577-1 天理市トレイルセンター)へ行く。

https://katsui1999.com/

11時40分ころに着いたが、雨にもかかわらず、店内は繁盛している。

20分くらい待つ間に、展示されている販売品を物色し、天理市トレイルセンターの展示を観る。

 

古代、奈良盆地は巨大な湖であった、という「奈良湖」説のパネルが興味深かった。

 たしかに、「船路」とか「船付山」とか「櫛羅(くじら)」とか「保津」という地名が残っている。

 御所市の山沿いになんで「船路」なんていう地名があるんやろ?と思っていたが、巨大な湖があったとすれば頷ける。

 

 壁際の椅子に猫の縫いぐるみが置いてある。

 実物そっくりで、よくできている。

 見ていると、耳がピクッと動いた。

 腹も微かに上下している。

 アラ~、「なまのも」でした。

 しかし、よく寝ている。

 通りすがりの客に触られても、前足で顔を隠すだけで、眠り続けている。

 店員に呼ばれるまで、眠る猫の寝姿を観ていた。

 (後日、猫の名前は「ちゃい」であることが判明)

 

 昼食は、白子のフリッター、穴子のフリッター、ポークカツレツ定食を喰う。

 うまし、うまし。

 

 「洋食Katsui」を出て、奈良県万葉文化館の隣にある「明日香夢(あすかむ)」へ異動する。

 台湾スウィーツの店「花鳥豆花(かちょうとうふぁ)」へ行く。

 「花鳥豆花」(700円)と「飛鳥豆花」(700円)を喰う。

 ほどよい甘さで食べやすかった。

 

 「甘くておいしい」というのは「甘い」だけでは足りない。

 「甘い」だけなら、砂糖を入れれば甘くなる。

 「おいしく」なくてはいけない。

 「甘い」と「おいしい」は別である。

 「花鳥豆花」は、素人の店主が2021年7月25日に開店した、とのこと。

 開店して2か月。

 まだ「伸び代」がある。

 

 しばらくしたら、味が進化していることを期待して、また訪れよう。

2021年

10月

12日

森に光を!

本日10月12日は事務局が担当です。

今朝は、夜に少し雨が降り、曇っているせいか昨日よりは涼しく感じられる朝でした。

最近の天候は世界的な温暖化で、10月といえども暑い日が続いていますよね。

この温暖化や気候変動に少なからず影響を与えると思われる自然の一部として、森林があると思います。

今、なら法律事務所で取扱う破産管財事件において、森林(不動産登記では、地目は山林となります)が有り、その換価(売却)のために官公庁で資料を収集し、現地に赴き、ドローンなどでも撮影して、所在や立木の状態などを調べました。

換価対象の殆どの山林が樹齢50年以上の杉で、私が観たところでは、立派に生育していました。

それで、換価の為に調べた資料を基に、林業家の方に意見を聴いたところ、驚くほど価値が無く、世界的なコロナ禍によりウッドショックで、国産木材が見直され、以前よりは取引金額は上がっているものの、今回換価する立木のある山林は、切り出して採算が取れる山は少ないとの意見でした。

この様な木材の市況により、山林の価値が低く、林業がなかなか活況にならないようです。

それで、山林の手入れ(間伐や下刈り)がされず、山林が荒廃していっている様です。

先日の新聞記事で読んだのでは、森林も手入れされず、年数を経ると、二酸化炭素の吸収量が減り、酸素の排出量と差引きすると、二酸化炭素の排出量が上回る様になるらしいです。

今は、過去以上にサステイナブルな活動が必要な時代です。

その為にも、森林(山林)を観て、感じることだと思います。

奈良県では、吉野町で森林セラピーを体験することができます。

(問合先:吉野ビジターズビューローTEL0746-34-2522

また吉野山の桜が、永く続く仕組みなどを知ってもらうと、どの様にすることが、森林を活かせるのか解ると思います。

是非、みなさん山へ、森の中へ出かけてください。

そして、山と森の現状を直接感じて、良さと大切さを理解し、守ることに少しでも心がけましょう!

2021年

10月

07日

奈良マラソン2021への道 その13 ☆ あさもりのりひこ No.1059

9月10日(金)早朝、インターバル走、37分42秒、6.542㎞。

5分14秒、5分26秒、5分35秒、5分19秒、5分28秒、最後の500mは5分11秒/㎞。

2日間休んだ割には「力が漲る」という感じではなかった。

ところが、結果は、この行程の最速記録まであと1秒という記録であった。

「涼しい」というのが一段進んで「ひんやり」と感じたので、気温が低くなったのも良かったのかもしれない。

 

9月11日(土)早朝、ジョギング、1時間11分36秒、11.324㎞。

7分00秒/㎞くらいで走り始めるのだが、少しずつ速度が上がってしまう。

7㎞を過ぎた辺りで雨が降り出したので、さらに速度を上げて帰って来た。

 

9月12日(日)雨、休足

 

9月13日(月)早朝、ペース走と階段598段駆け上がり、47分14秒、6.951㎞。

調子はいい。

 

9月14日(火)夜、トレッドミル、ペース走、傾斜2%、30分、時速9.2㎞(6分30秒/㎞)。

 

9月15日(水)早朝、ジョギングの後、ウインドスプリント200m×10本、41分23秒、6.179㎞。

この行程の自己ベストを更新した。

ジョギングを22分51秒、3.4㎞。

5分00秒、4分35秒、4分54秒、4分27秒、4分39秒、4分18秒、4分45秒、4分23秒、4分44秒、4分21秒。

 

9月16日(木)早朝、坂道ダッシュ400m3本。

ウオッチが、GPS測位中のまま動かなくなった。

仕方がないので、計測なしで走った。

 

9月17日(金)早朝、テンポ走、39分40秒、6.51㎞。

ジョギングで1㎞走った後、6分00秒/㎞のペースを目安に5.5㎞走る。

テンポ走をしたのは初めてである。

ウオッチは復活した。

 

9月18日(土)休足

 

9月19日(日)午前、鷹鞭橋から栢森へロング走、3時間14分57秒、24.239㎞。

18㎞までは順調だったが、その後ペースダウンした。

ロング走の前は、2日間は休足が必要だ。

 

9月20日(月・祝)休足

 

9月21日(火)夜、トレッドミルでペース走、傾斜2%、30分、4.73㎞、時速9.6㎞(6分15秒/㎞)。

日曜日の疲れはなく、しっかり走ることができた。

GARMINのForeAthlete 55が届いたので、早速使ってみた。

靴は、アルトラ・エスカランテ・レーサー(白)を新たに卸した。

 

9月22日(水)休足

 

9月23日(木・祝)午前、奥明日香天空展望台から道祖神を巡る初めての行程、3時間27分27秒、26.025㎞。

Epsonのウオッチが不調で、最初の2.9㎞はGPSを測位しなかった。

トイレを使ったときに、再度GPSを測位して、その後は計測できた。

奥明日香天空展望台は傾斜が急で、道が曲がりくねっていて、ランニングに適した行程ではない。

芋ヶ峠に至る山道は、湿気っていて、心温まる行程ではない。

ただし、道祖神が鎮座坐す所は雰囲気がある。

涼しくなって2回目のロング走だったが、最後まで歩かないで走り終えた。

 

9月24日(金)休足

 

9月25日(土)休足

 

9月26日(日)雨、休足。

 

9月27日(月)早朝、階段1138段駆け上がり、49分30秒、6.26㎞。

アルトラのトーリン5を履いて初めて街路を走り、外走でガーミンを初めて使った。

 

9月28日(火)夜、トレッドミル、ペース走、傾斜2%、30分、4.72㎞、時速9.6㎞(6分15秒/㎞)。

 

9月29日(水)早朝、全力疾走、ジョギング、全力疾走、37分30秒、6.566㎞。

この行程は22回目だが、2番目の記録だった。

最初の2㎞が5分06秒、5分19秒、最後の2㎞が5分12秒、5分14秒。

すべて5分20秒以内で走れた。

 

9月30日(木)早朝、ビルドアップ走、39分31秒、6.55㎞。

この行程は19回目だが、2番目の記録であった。

6分56秒、6分36秒、6分14秒、6分12秒、5分36秒、5分17秒。

最後の550mは4分45秒/㎞。

 

10月1日(金)早朝、インターバル走、36分23秒、6.555㎞。

5分14秒、5分12秒、5分26秒、5分25秒、5分08秒。

この行程の自己最高記録を1分18秒縮めて、自己最高を更新した。

 

10月2日(土)早朝、甘樫丘階段598段、45分26秒、7.02㎞。

この行程の自己最高記録を1分13秒縮めて、自己最高を更新した。

 

10月3日(日)早朝、ウインドスプリント、40分58秒、6.226㎞。

この行程は9回目だが、自己最高を25秒縮めて、自己最高記録を更新した。

ジョギングを22分54秒、3.4㎞。

ウインドスプリント200m×10本は、4分53秒、4分24秒、4分42秒、4分08秒、4分34秒、4分10秒、4分20秒、4分05秒、4分07秒、4分02秒。

回を追う毎に速くなっている。

 

午後1時15分、ワクチン接種2回目(モデルナ)。

 

10月4日(月)休足、ワクチン接種(2回目)2日目。

午前7時、体温は37.7℃。

少しボーッとする。

午後1時15分、24時間経過、39.3℃。

帰宅して、寝る。

午後2時20分、37.6℃。

午後5時 38.2℃。

 

10月5日(火)休足、ワクチン接種(2回目)3日目

午前8時、36.2℃。

平熱に戻った。

午後3時、35.9℃

 

10月6日(水)早朝、ジョギング、44分47秒、6.33㎞。

ワクチン接種後4日目なのでイージーランニング。

 

10月7日(木)早朝、坂道ダッシュ、52分36秒、7.616㎞。

坂道ダッシュ400m3本は、2分26秒(6分26秒/㎞)、2分25秒(6分09秒/㎞)、2分21秒(6分08秒/㎞)。

 

ワクチンの副反応を脱して、平常に戻りつつある。

2021年

10月

05日

万博

橿原市 弁護士 離婚

みなさん、こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

昼間は暑いですが、

たま~にいい風が吹いて

その風にほんのり香る、キンモクセイの香りがなんともいえませんね。

 

食欲の秋です😆 ←え

先日、子どもの試合の応援で

鶴見緑地公園に足を運んできました。

 

鶴見緑地公園といえば、1990年に花の万博が開催された場所です。

私が初めていった万博で、開催期間中に両親と2度ほど行ったような記憶があります。

 

キャラクターははなずきんちゃん。

JT館やサントリー館にものすごい行列ができ、

私も2時間くらい列に並んだ気がします。

富士通パビリオンや三菱未来館など、日本を代表する大企業が運営するパビリオンに、

子どもながら、なんだか日本が誇らしかった覚えがあります。

当時は珍しかった座らないで立ったままのるジェットコースター「風神雷神」にも乗りました。← の万博のはずやのにそのへんあんまり記憶にないあたりどうなんだ

 

いや、しかし、当時の親の年齢は多分今の私とそう変わらないはず・・・。

大行列、並ぶのはもう無理っす。しかも炎天下(-_-;) 

かあちゃん、とうちゃん、偉かったなぁ~

 

「ここで昔万博あったよねぇ」という話を部活ママ友5人としていたら、

「あったあった!なつかしいね」

「中学生くらいのころだったよね~」

 と言いながら、段々みんなの話がかみあわなくなってきました。

 

 

「ああ!○○のパビリオンがあったよね?」

「・・・?あったっけ?覚えてないなぁ」

「スヌーピーの館みたいなのあったよね~」

「・・・?覚えてないなぁ」

「キャラクターは☆☆だったよね?」

「え?はなずきんちゃんだよ?」

 

・・・それぞれの中学生時代の万博を思い描いていたようです笑

 

2021年

10月

04日

内田樹さんの「『複雑化の教育論』まえがき」 ☆ あさもりのりひこ No.1058

その制度をきちんと機能させるためには、制度運用者たちの(全員とは言いませんが)一定数が「まともな大人」であることを必要とする制度は、運用者たち全員が「幼児」でも運用できる制度よりもよい制度です。

 

 

2021年9月30日の内田樹さんの論考「『複雑化の教育論』まえがき」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

 本書は2020年の夏から2021年の3月まで3回にわたって行った教育についての講演を書籍化したものです。

 もともとは日本各地に赴いて、現地の学校の先生たちを前にして、僕が講演してから、フロアの先生方と対話をするという旅もの企画でしたが、ご承知の通りに、感染症拡大のために対面での講演が難しくなり、ツァー計画は放棄せざるを得なくなりました。代わりに神戸の凱風館(僕が主宰している道場・学塾)で行うことになりました。10人から15人ほどの聴衆においで頂き、その方たちの前で僕が2時間ほど話をして、それから質疑応答をするというやり方です。とりあえず、「人前で話す」というかたちは整えることができました。聴講者の募集・会場の設営・録音・文字起こしなどは東洋館出版社の刑部愛香さんに仕切って頂きました。お骨折りに感謝いたします。

「複雑化の教育論」というタイトルも刑部さんの提案です。どこかで僕が「教育の目的は子どもたちの成熟を支援することであり、成熟とは複雑化することだ」と話したのを聴いてくださって、「複雑化」という語が印象に残ったようです。

 まえがきとして、そのタイトルの意味について少しだけ思うところを書いておきたいと思います。

 

 たしかに教育を語る人の中で「子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だ」というようなことを主張する人はあまりいません。知識が増えるとか、感情が豊かになるとか、コミュニケーションがうまくなるというようなことを「成熟」の指標にとる人は多くいますが、「前より複雑な生き物になった」ことを成熟の徴として言祝ぐというような人はあまり見たことがありません。

「前より複雑な生き物になった」場合、子どもたちはこれまで見たことのない表情を浮かべ、聴いたことのない語彙を用いて語り始め、これまでしたことのないふるまいをするようになるわけですけれど、子どものそういう変化を見て、もろ手を挙げて喜ぶ...という親も教師も、あまりいなさそうです。たしかに、昨日までとは違う人間を相手にすることになるわけですから、当惑することはあっても、喜ぶというリアクションはあまり期待できません。でも、僕は子どもの複雑化を素直に喜ぶことは大人のたいせつな職務の一つだと思います。

 別人になった子どもに向き合う大人より、別人になってしまった子どもの方がずっとたいへんだからです。一番当惑しているのは本人です。「昨日までの自分」のままではいられないというのは、自分の意志では統御できない変化なんです。生物の幼生がそれまでの殻を脱ぎ捨てて、次の段階に変態するようなものです。自分の意志でそうしているわけではありません。そうせずにはいられないのです。でも、複雑化したからと言って、子どもは「昨日より幸福になる」わけでもないし、「昨日より自由になる」わけでもないし、「昨日より強くなる」わけでもありません。長期的に見ればそうなる確率は高まるのですけれども、即席な効果は期待できません。複雑化した子どもはただ「昨日より複雑になる」だけです。

 でも、そういう複雑化プロセスを連続的に繰り返す以外に子どもたちが成熟する道筋はありません。だから、教師も親も、周りの大人たちは決然として子どもの複雑化を支援するという立場を選び取る必要がある。僕はそう考えています。

 

 どうしてわざわざ「複雑化」なんていうあまり教育現場で使われない言葉を僕が持ち出してきたかというと、複雑化というのは数値的に計測することができないものだからです(まったくできないわけではありませんが)。

 複雑化は計測不能である。それがとても重要なことなんだと思います。

 長さも重さも大きさも、ちゃんとそれを計る「ものさし」があります。でも、複雑化を計る「ものさし」は僕たちの手元にはありません。

 複雑化するときに起きているのは量的な変化ではありません。それは「表情の変化」「手触りの変化」「雰囲気の変化」というようなものです。表情が深くなる、声の厚みが変わる、身動きの分節が変わる。もちろん、変化が生じている以上、精密な計測機器があれば計測可能なんでしょうけれど、僕たちの手元にはそのための「できあいのものさし」がありません。ですから、子どもたちの複雑化を計測しようとしたら、「ものさし」はその場で手作りしなければならない。簡単な仕事ではありません。

「複雑化する子ども」に向き合い、その成熟を支援するというのは、周りの大人たちに集中力と発明の才を要求する、まことに骨の折れるプロセスなんです。

 それでも、僕は子どもたちの成熟の指標として、「複雑化」ということをできれば最優先に掲げたいと思っています。

 あらゆる社会制度について言えることだと思うのですけれど、その制度を利用する人たちの市民的成熟を要求する制度は「よい制度」です。

 例えば、民主制がそうです。

 独裁制なら「賢い独裁者」に丸投げして、市民たちは「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」して、わが身のことだけ考えていればよい。市民が「子ども」でも独裁制は機能する。でも、民主制ではそうはゆきません。「公共の福祉」を配慮して、そのために自分に何ができるかを考える「成熟した市民」が一定数いないと民主制は機能しません。民主制はメンバーに「大人になってくれ」と懇請する制度です。その遂行的な力ゆえに民主制は他のどの制度よりもすぐれていると僕は思っています。

 教育制度も同じです。僕は社会制度をどれも同じ基準で評価します。その制度をきちんと機能させるためには、制度運用者たちの(全員とは言いませんが)一定数が「まともな大人」であることを必要とする制度は、運用者たち全員が「幼児」でも運用できる制度よりもよい制度です。僕はこの基準だけは譲りません。運用者自身に成熟を要求する制度が、子どもたちを成熟させる制度としては最も「できがよい」ものである。僕はそう信じています。

 

 教育にかかわる「一定数のまともな大人」の頭数をひとりでも増やしたい。それが僕がこの本を書いた最大の動機です。分かりにくい話だということは分かっていますが、本書を最後までお読み下さったら、きっと僕が言いたいことはみなさんにもお分かりいただけると思います。では、また「あとがき」でお会いしましょう。

 

2021年9月

 

内田樹

2021年

9月

30日

9月の放射線量、体組成、ランニング ☆ あさもりのりひこ No.1057

9月の放射線量と体組成とランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

2021年9月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.0438μ㏜/h

室内0メートル 0.0448μ㏜/h

室外1メートル 0.0569μ㏜/h

室外0メートル 0.0702μ㏜/h

全体にやや低めである。

 

つぎに、朝守の身体について。

9月25日の数値はつぎのとおり。

体重 70.5㎏

BMI 22.

体脂肪率 15.7%

筋肉量 56.35㎏

推定骨量 3.1㎏

内臓脂肪 11.

基礎代謝量 1621/

体内年齢 46才

体水分率 58.7%

 先月とほとんど変わらない。

 

最後に、9月のランニングの結果。

走行時間 19時間19分20秒

走行距離 164.548㎞

今月も20時間を切ってしまった。

10月の目標は、20時間、200㎞である。

 

 

奈良マラソン2021まであと2か月。

2021年

9月

29日

内田樹さんの「日本共産党に期待すること」 ☆ あさもりのりひこ No.1056

今の日本社会は底の抜けたような反知性主義のうちに頽落している。いくら嘘をついても、デタラメを言っても、食言しても、政治家にとってまったくダメージにならないという時代がもう10年近く続いている。

 

 

2021年9月29日の内田樹さんの論考「日本共産党に期待すること」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

という題で「赤旗」から寄稿依頼があった。こんなことを書いた。

 

 日本共産党に期待することはいくつかある。せっかくだから他の人があまり言わなそうなことを書く。

 第一に「論理的であること」「知性的であること」にこだわり続ける政党であること。

 今の日本社会は底の抜けたような反知性主義のうちに頽落している。いくら嘘をついても、デタラメを言っても、食言しても、政治家にとってまったくダメージにならないという時代がもう10年近く続いている。

 日本共産党だけはこの俗情に結託しないで欲しい。嘘をつくと顔が赤くなる。論理的でない言葉を言おうとすると舌がこわばる。そういう「かたくな」な政党であって欲しい。そういう政党が一つくらいは必要である。

 

 第二に世界史的な存在であること。

 離合集散を繰り返す諸政党を見ていると、いったい彼らがどういう綱領的課題を実現したくて政治をしているのかがわからなくなる。

 日本共産党はこの100年、コミュニズムの興亡の歴史のただ中にあって、日本固有の特殊な歴史的条件下で、おのれの立ち位置を決定し、言語化し、国民の支持を求めるという困難な事業を担ってきた。

 そのおかげもあって日本はマルクス主義研究と実践の蓄積においてアジア第一の「マルクス主義先進国」になった。このことの世界史的重要性を忘れるべきではない。歴史の風雪に耐え続けたこの政党が存在することは日本政治史を俯瞰するためにぜひとも必要だと私は思っている。

 党名変更については、私は「共産党」という党名を維持して欲しいと思っている。

 ロシア革命以来100年余、世界中で「共産党」という党名を掲げた政治組織が誕生し、活動し、いくつかは姿を消した。なぜ、ある国では共産党は生き残り、ある国では消滅し、ある国では姿を変えたのか。それを研究する「比較共産党史」という学問領域があれば、それぞれの国の固有の政治風土を理解する上できわめて有用だと私は考えている。

 以前、「アメリカ共産党史」を調べたことがある。これは石川康宏さんとの共著『若者よマルクスを読もう』にのちに収録された。なぜアメリカでは共産主義が「土着」しなかったのかという関心から調べたものだが、アメリカの政治文化の特殊性を際立たせるという点では有効な視点だったと思う。

 

 同じように「中国共産党史」も「フランス共産党史」も「イギリス共産党史」も「インドネシア共産党史」も「朝鮮共産党史」も、それぞれの国の固有の、土着の政治文化の特性を知る上では有用だろう。そのような世界史的研究の足場としても「日本共産党」という党名は変えるべきではないというのが私の考えである。

2021年

9月

28日

年1回の墓参りへ@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

さて,先日のお彼岸中,例年通り,田舎へ墓参りを済ませてきました。

 

家族に強力な「晴れ女」がいるので,今年もギラギラと照りつける炎天下,

草刈りや墓掃除をすることになり,皆終わった頃にはヘトヘトに・・・😓

 

疲れた体に英気を養うべく,帰省中,近くにある懐石料理のお店で食事を頂くことに。

 

コロナ禍で外出もずいぶん減ったので久々の外食でしたが,美味しい料理に家族一同舌鼓♪

(こんなお店があったなんて・・・今まで勿体ないことした!笑)

 

墓掃除で疲れた体も癒やされました(*^_^*)

 

 

田舎に帰るのもいまや年1回。

 

祖母も帰れるうちは帰らせてあげたいけれども・・・

帰宅直後は疲労困憊といった状態で,長時間の移動が体力的に来年は厳しいかもと

家族で話していたのに,

帰宅翌日,しゃかしゃかと元気に動いてるまさかの祖母・・・。

 

年齢の割に体力回復が早い98才の祖母に脱帽です・・・(゚Д゚)

 

墓掃除やら荷物の上げ下ろし。

長時間の運転で,筋肉痛やら腰痛が出てきた私の方が,まるでロボット状態・・・。

 

体力を心配すべきはむしろ私なのか・・・?(-_-;)

 

2021年

9月

27日

内田樹さんの「格差について」 ☆ あさもりのりひこ No.1055

格差というのは単に財が「偏移」しているということではない。格差は必ず、何の価値も生み出していない仕事に高額の給料が払われ、エッセンシャル・ワーカーが最低賃金に苦しむという様態をとる。必ずそうなる。

 

 

2021年9月25日の内田樹さんの論考「格差について」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

階層格差が拡大している。所得格差の指標として用いられるジニ係数は格差が全くない状態を0、一人が全所得を独占している状態を1とするが、日本のジニ係数は1981年が0.35、2021年は0.56と上がり続けている。この趨勢はこの先も止まらないだろう。「一億総中流」と呼ばれた国の面影はもうない。

 日本における格差拡大の要因は何か。それは雇用形態の変化である。かつては終身雇用・年功序列という雇用の仕組みが日本のどの企業でも支配的だった。

 もうその時代を記憶している人の方が少数派になってしまっただろうが、あれはずいぶんと気楽なものだった。植木等の「ドント節」(作詞青島幸男)は「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」というインパクトのあるフレーズから始まる。もちろん誇張されてはいるが、それなりの実感の裏付けはあった。

 60年代はじめのサラリーマンの日常を活写した小津安二郎の映画では、サラリーマンたちは小料理屋の小上がりで昼間からビールの小瓶を飲んで、午後のお勤めに出かけていた。もちろん全員定時に帰る。私の父もそうだった。毎日、同じ電車で出勤し、同じ電車で帰って来た。雨が降ると、駅前には傘を持って父親を迎えに来た子どもたちが並んでいた。今の人には信じられないだろう。だが、人々がこの判で捺したようなルーティンを営んでいる時代に、日本経済は信じられないほどの急角度で成長していたのである。

 それはこの時代の日本人がたいへん効率よく仕事をしていたからだと思う。どうして効率が良かったかというと、「査定」や「評価」や「考課」に無駄な時間や手間をかけなかったからである。

 年功序列というのは要するに「勤務考課をしない」ということである。誰にどういう能力があるかは仕事をしていれば分かる。人を見て、その能力に相応しいタスクを与えればいい。別に査定したり、格付けをしたりする必要はない。難しいタスクを手際よくこなしてくれたら、上司は「ありがとう」と部下の肩を叩いて、「今度一杯奢るよ」くらいで済んだ。この時代の日本の会社は言うところの「ブルシット・ジョブ」がきわめて少なかったのである。

「ブルシット・ジョブ」は人類学者デビッド・グレーヴァーの定義によれば「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど完璧に無意味で、不必要で、有害でもある雇用の形態」のことである。英国での世論調査では「あなたの仕事は世の中に意味のある貢献をしていますか?」という質問に対して37%が「していない」と回答したそうである。たぶん今の日本で同じアンケートをしたら50%を超えるだろう。

 それなしでは社会が成り立たない仕事を「エッセンシャル・ワーク」と呼ぶ。公共交通機関やライフラインの管理運営、行政や警察や消防や、医療や学校教育、衣食住の必需品の生産・流通は「エッセンシャル・ワーク」である。それがきちんと機能していないと世の中が回らない。一方、いくなっても誰も困らない仕事をする「ブルシット・ジョブ・ワーカー」たちは「エッセンシャル・ワーカー」がちゃんと働いているかどうか管理したり、勤務考課したり、「合理化」したり、組織が上意下達的であることを確認することを主務とする人々である。そして、この人たちの方が「エッセンシャル・ワーカー」よりもはるかに高い給料をもらっている。

 不条理な話だが、ソースティン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』によれば、人類が農業を始めてからずっとそうであるらしい。実際に労働して価値を生み出している人たちが社会の最下層に格付けされ、自分ではいかなる価値も創出しないで寄食している王侯貴族や軍人や聖職者たちの方が豊かな暮らしをする。

 今日本で格差が拡大しているというのは、言い換えると、「いかなる価値も創出せず、下層民の労働に寄生していばっている人たち」が増えているということである。だから、一部の人が天文学的な個人資産を蓄え、圧倒的多数が貧しくなり、集団全体は貧しくなる。

 格差というのは単に財が「偏移」しているということではない。格差は必ず、何の価値も生み出していない仕事に高額の給料が払われ、エッセンシャル・ワーカーが最低賃金に苦しむという様態をとる。必ずそうなる。

 もし、階層上位者たちが「明らかに世の中の役に立っている仕事」を誠実かつ勤勉に果たしているように見えていたら、私たちは決して「格差が拡大している」という印象を持たないであろう。世の中の役に立つたいせつな仕事をしてくれている人たちがどれほど高給を得て、豊かな暮らしをしていても、私たちはそれを「不当だ」とは思わない。「格差を補正しろ」とは言わない。

 だから、今日本で起きていることは単なるジニ係数的な「格差の拡大」ではない。ヴェブレンのいうところの「有閑階級」、グレーヴァーのいうところの「ブルシット・ジョブ・ワーカー」が全員で分かち合うべきリソースの相当部分を不当に占有し、濫費しているという印象を多くの国民が抱いているという事態なのである。「分配がアンフェアだ」という不条理感と、にもかかわらずそれを補正する手立てが見当たらないという無力感が、「格差が広がっている」という一見すると客観的な統計的事実の裏にある心理的事実である。この不合理を解消する手立てはあるのだろうか。

 格差があるときに、公権力が強権的に介入して、富裕者から召し上げた富をいったん国庫に納めてから再分配を行うのは難しい。歴史をひもとく限り、ほとんどの「強権的再分配」は失敗している。権力を手に入れた後に「公庫」と「自分の財布」の区別ができる人間は残念ながら例外的である。

 だから、いくら「有閑階級」が「ブルシット・ジョブ」で高禄を食んでいても、彼らの懐にダイレクトに手を突っ込んで、他の誰かの懐にねじ込むというやり方は止した方がいい。たいていの場合、それはさらなる社会的不平等をもたらすだけである。

 それよりは富裕者から召し上げたものは「公共財」として、パブリックドメインに供託するのがよいと思う。貨幣として退蔵するのではなく、「みんながすぐに使えるもの」にするのである。学校とか、病院とか、図書館とか、美術館とか、体育館とか、あるいは森や野原や湖沼や海岸というかたちあるものにして、「さあ、みなさんご自由にお使いください」と言って差し出すのである。私が「コモンの再生」ということを主張している時に考えているのはそういうイメージである。

 できるだけ「私有財」のエリアを抑制して、「公共財」のエリアを広げる。美しい森の中を歩いている時に、「私有地につき立ち入り禁止」という看板を見ると私は震えるほど腹が立つ。土地はもともと誰の所有物でもない。それを国や自治体が買い上げても、今度は「公有地につき立ち入り禁止」では何も変わらない。「公有地なので、みんなで使ってください」というのが正しい使い方だと思う。

 コモン(Common)というのは中世の英国にあった村落共同体の共有地のことである。村人たちはそこで牧畜をし、鳥獣を狩り、魚を釣り、果樹やキノコを採った。コモンが広く豊であればあるほど、村人たちの生活もまた豊かなものになった。コモンが消滅したのは、「こんな使い方をしていたのではカネにならない」と言って、私有地として買い上げて、牧羊したり、商品作物を栽培したりする「目端の利いたやつ」が出てきたせいである。それが「コモンの悲劇」の実相である。そうやって「囲い込み」が行われて、コモンは消滅し、農民たちは没落して都市プロレタリアートになり、産業革命のための労働力を提供し、資本主義が繁盛することになった。

 そうやってコモンが消滅したのなら、「コモンの再生」はそのプロセスを逆にたどることになる。それは私有財を「これをみんなで使ってください」といって公共財として差し出すことである。

「そんなのは絶対嫌だ」と言って、私有財産にしがみつく人間はもちろんいるだろう。いて当然である。その人たちから強権的に私財を奪うべきではない。それは前にやって失敗した。「いやだ」という人は放っておけばいい。「私財を提供してもいい」という人たちの頭数をひとりずつ増やしてゆくだけでいい。

 

 私の道場は現在は私物だが、いずれ寄贈して門人たちに「コモン」として利用してもらうつもりである。そういうささやかな個人の実践の積み重ねが迂遠なようだけれど、一番確実なやり方だと私は思っている。

2021年

9月

24日

内田樹さんの「『複雑化の教育論』まえがき」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1054

定量的な変化を精密化することにはずいぶん熱心なのですけれども、定性的な変化を吟味できるような精密な「計測能力」を手作りしようと努力している親や教師にはなかなか出会うことがありませんでした。

 

 

2021年9月18日の内田樹さんの論考「『複雑化の教育論』まえがき」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 子どもが複雑化するプロセスも「行」に少し似ています。子どももまた自分の「先達(メンター)」を無意識のうちに探しています。それは身近にいる具体的な人の場合もあるし、読んだ物語や観た映画に出てきた虚構の人の場合もあるし、あるいは現実や想像の断片を繋ぎ合わせて手作りしたぼんやりした「像」の場合もあります。それが日ごとに入れ替わることもある。でも、とにかく「その人の背中を見ながら前に進む人」がいる。それに導かれて、気がついたら昨日よりも複雑化していた。もう「昨日までの自分」のままではいられない。表情も、声も、身ぶりも、話すことも、興味を抱くものも、全部変わる。どれか一つ変わると全部が変わる。記号体系というのはそういうものですよね。「歯触りがよい」とか「喉ごしがやさしい」というような言葉を一つ学習したら、それまでそれ一本でやってきた「美味しい」という言葉のニュアンスがもう前と同じではなくなる。それと同じです。

 複雑化というのは、自分の意志では統御できない変化なんです。複雑化したからと言って、子どもは「昨日より幸福になる」わけでもないし、「昨日より強くなる」わけでもないし、「昨日よりも勉強ができるようになる」わけでもない。そういう即席の、分かりやすい効果がある変化ではないのです。でも、子どもたちはそういう複雑化の連続的なプロセスをたどることによって成熟の階梯を上ってゆきます。それ以外に成熟の道筋はありません。

 そうである以上、われわれ大人は子どもたちが複雑化することを全力で支援しなければならない。少なくとも、複雑化することは君たちにとって少しも不利益をもたらさないということを保証してあげなければならない。

 でも、それがなかなかできない。だからこそ、僕はわざわざ「複雑化」というあまり教育現場で使われない言葉を持ち出してきたのです。

 教師も親も子どもの成熟を評価するときに「より複雑化したかどうか」ということを見る習慣がないからです。複雑化は数値的に計測することができないからです。

 量的な変化であれば、それを計る「ものさし」があります。身長が伸びるとか、体重が増えるとか、偏差値が上がるとかは数値で計れます。でも、複雑化をはかる「ものさし」はありません。複雑化するときに起きているのは量的な変化ではないからです。表情に深みが出る、声の響きが変わる、身動きの分節が細かくなる...などなど。もちろん変化がある以上、精密な計測機器があれば計測は可能でしょう。でも、それは「できあいのものさし」で数値的にはじき出すことはできない。

 例を一つ挙げます。

 前に、僕の道場でも、小学生を集めて、合気道の少年部を始めることになりました。子ども好きの女性の門人たちが担当してくれました。合気道にも段や級があります。ふつうは5級から始まって、1級になって、それから初段、二段・・・と上がってゆきます。

 始まってしばらくして少年部の担当者から、子どもたちのために10級から6級までというグレードを新設したいのだけれど、いいだろうかと訊いてきました。正式の免状は出ないのですけれども、子どもたちの稽古の励みになるならと思って「いいですよ」と許可しました。

 それからしばらくして担当者が1つの級をABCの三段階に分けてもいいかと訊いてきました。つまり、10級のCから6級のAまで全部で15段階に分けたいというのです。「なんでそんなややこしいことをするの?」と訊いたら、親からの要望なのだというのです。子どもの修業の進度をできるだけ頻繁に、かつ数値的に表示して欲しいと親たちが要望してきたのです。なんと。

 僕はちょっと驚きました。だって、自分の子どもが武道の稽古に通っていたら、その変化は歴然としていると思ったからです。ご飯をたくさん食べるようになったとか、よく寝るようになったとか、首まわりに筋肉がついてきたとか、正座の姿勢がよくなったとか...、無数の徴候が検知できるはずです。でも、子どもの変化を分かりやすく数値で示して欲しいと親は言う。

 僕はこれにはかなり愕然としました。インストラクターに修業の進度を数値表示してもらわないと子どもの変化が「分からない」というような親がいるのだろうかと思ったのです。でも、いるのかも知れません。さまざまな場面で、子どもの変化を「数値的に表示する」という習慣になじんでしまったせいで、子どもの身に起きたアナログで微細な変化を観察するということができなくなってしまった親がいるかも知れない。だとしたら、これはかなりシリアスな事態だと僕は思いました。

 それ以後、わりと注意して親や教師たちの言動を見てきたのですが、「数値的に考量できない変化をどうやってきちんとモニターするか」という問題にまっすぐ取り組んでいる人があまりいないということに気づきました。定量的な変化を精密化することにはずいぶん熱心なのですけれども、定性的な変化を吟味できるような精密な「計測能力」を手作りしようと努力している親や教師にはなかなか出会うことがありませんでした。「複雑化の教育論」というのは、僕の側のそういう問題意識に基づいて書かれたものです。

 3回の講演を通じて着々と結論に向かって接近してゆく...という作りではなくて、同じ一つの論件をいくつかの視点から「ああでもない、こうでもない」と吟味しています。ですから、みなさんはどこから読まれても構いません。ぱらりとめくって、何となく興味を惹くトピックがあれば、そこから読み出してくださって結構です。

ではまた「あとがき」でお会いしましょう。

 

 

2021年

9月

22日

内田樹さんの「『複雑化の教育論』まえがき」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1053

子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だ

 

 

2021年9月18日の内田樹さんの論考「『複雑化の教育論』まえがき」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

 『複雑化の教育論』は教育についての講演録です。2020年の夏から2021年の3月まで3回にわたって行った講演を書籍化しました。

 日本各地に赴いて、現地の学校の先生たちを前にして、僕が講演してから、フロアの先生方と対話をするという企画でしたが、コロナ禍のために対面での講演が難しくなり、全国ツァー計画は放棄せざるを得なくなりました。代わりに3回とも神戸の凱風館(僕が主宰している道場・学塾)で行うことになりました。

 10人から15人ほどの聴衆においで頂き、その方たちの前で僕が2時間ほど話をして、それから質疑応答をするというやり方です。少人数ではありましたが、とにかく「人前で話す」というかたちだけは整えることができました。聴講者の募集・会場の設営・録音・文字起こしなどは東洋館出版社の刑部愛香さんに仕切って頂きました。お骨折りに感謝いたします。

「複雑化の教育論」というタイトルも刑部さんの提案です。どこかで僕が「教育の目的は子どもたちの成熟を支援することであり、成熟とは複雑化することだ」と話したのを聴いて、その時の「複雑化」という語が印象に残ったようです。「まえがき」として、そのタイトルの意味についてちょっとだけ書いておきたいと思います。

 

「子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だ」というようなことを主張する人はあまりいません。ふつうは知識が増えるとか、感情が豊かになるとか、コミュニケーションがうまくなるというようなことを「成熟」の指標にとります。それでももちろん構わないのですけれども、子どもにおけるほんとうに大きな変化は「昨日より複雑な生き物になった」というかたちで現れると僕は思っています。これまで見たことのない表情を浮かべ、聴いたことのない語彙を用いて語り始め、これまでしたことのないような身動きをするようになる。

 教師や親にしてみると、ちょっとショックです。ですから「当惑する」ということはあっても、「喜ぶ」というリアクションはあまり期待できない。でも、僕はここで大人は喜ばないといけないと思うのです。

 大人たちは当惑しますけれど、それ以上に当惑しているのは本人の方です。なにしろ、「別人」になってしまうんですから。なりたくてなったわけじゃないんです。「複雑化しよう」と自己決定して、自己努力の成果として変わったわけじゃないんです。

 量的な変化なら自己決定・自己努力で達成できます。体重を増やそうとか、声を大きくしようとか、俊敏に動こうというようなことならある程度までは自分で統御できます。でも、「複雑になる」というプロセスは統御できません。単細胞生物が多細胞生物になるようなものだからです。単細胞生物がより複雑な生き物になる時に、あらかじめ「下絵」を書いたり、工程管理をしたりすることができません。だって、多細胞生物がどんなものか知らないんですから。

それと同じです。子どもがより複雑な生き物になるというプロセスがどういうものかは、なってみないと分からない。気がついたら、複雑になっていた。

 それはさまざまな「行(ぎょう)」の構造とよく似ています。宗教的なものであれ、武道的なものであれ、あるいは芸事の修業であれ、「行」というのは「前に進む」ということだけがわかっていて、いつ・どこにたどりつくことになるのかは分かりません。「行」の場合には「先達」がいますので、ただその背中についてゆくだけです。どこに向かっていて、いま全行程のどの辺まで来たのか、その行程を走破するとどういうことが起きるのか、そういうことを先達は何も教えてくれません。言ってもしょうがないからです。仮に目的地はどこかを言葉で言ってみても、その語は修業者の手持ちの語彙にはないからです。だから、たとえ聴いても意味がわからない。

 武道の修業もそうです。それまで自分の身体にそんな部位があるとは知らなかった部位を操作できるようになり、そんな動きができると思ってもいなかった動きができるようになった後に、これまで自分が稽古してきたことの意味がはじめてわかる。

 

 行の意味は事後的にしか開示されません。だから事前に「この行の目的はね...」というふうに説明をすることができない。

2021年

9月

21日

今晩は中秋の名月

本日9月21日は、事務局が担当です。

今晩は、秋の名月(十五夜)です。

昨晩の天気予報では、日本の殆どのところで、名月が観られるようです。

但し夜遅くなると雲に隠れるところもあるようですので、午後6時過ぎから月が昇ってきますので、早めに観られることをお奨めします。

また今年の名月は、満月だそうで、てっきり名月(十五夜)は、満月と思っていたらそうではなかったそうです。

昨晩も東の山から登ってくる月を観ましたが、大きく綺麗でした。

 

その月を観ているとなぜか、心が落ち着き、穏やかになるようでした。

私が高校生頃迄の記憶には、中秋の名月には祖母が庭に棚を設け、棚の上には、ススキと里芋と栗を炊き込んだご飯、お餅、お酒などが飾られていました。

今思えば、その情景を見て、家族皆が、それぞれ心になにかを得ていたのだと思います。

ご存じとは思いますが、この時期には「月見酒」と言って古くから月を見ながらお酒を楽しむ風習があります。

月明かりだけで、広口の器にお酒を注いで、器の中に月を浮かばせながら静かにもの思いにふけって過ごす夜も良いのではないでしょうか。

月を見ながらの食事もしくは食事の後の一杯は、とてもリラックスできますよ。

そうしたら、気持ちの切換ができ、いい考えや、新たな何かが見つかるかもしれませんよ。

秋の夜に、みなさんの心にも収穫が得られますようにお過ごし下さい。

2021年

9月

16日

三度のメシ ☆ あさもりのりひこ No.1052

1日に朝・昼・晩と3回メシを喰うと、1週間で3回×7日=21回メシを喰うことになる。

 このメシを誰が作るのか?

 

まず、朝食から。

月曜日から日曜日まで、朝食は朝守が作る。

 

 つぎに、昼食。

 月曜日から金曜日まで、昼食は大体弁当である(夏場はお休み)。

 早朝、朝守が米を研いで、炊飯用の土器で炊く。

 妻が、炊きあがったご飯を弁当箱に詰める。

 朝守が朝食のスープを作って、その一部をスープジャーに入れて持っていく。

 妻が、おかずを作る。

 弁当は、役割を分担する共同作業の賜物である。

平日の朝守の昼食は、ご飯、おかず、スープである。

 

 土曜日の昼食は、外食である。

 

 日曜日の昼食は、朝守が作ることが多い。

 

 最後に、夕食。

 月曜日から金曜日まで、妻が夕食を作る。

 土曜日と日曜日は、朝守が夕食を作る。

 

 では、朝守は1週間で何回料理をつくるのか。

 朝食は、7回。

 昼食は、月曜日から火曜日まで半分作るので2.5回と日曜日1回の合計3.5回。

 夕食は、土曜日と日曜日の2回。

 以上合計、7回+3.5回+2回=12.5回

 

21回のうち12.5回なので約59.5%。

 およそ6割は朝守が作っていることになる。

 

 料理を作るのは好きだ。

2021年

9月

14日

9月日記

橿原市 弁護士

みなさん、こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

いつになく過ごしやすい残暑ですね。

朝の通勤も汗だくにならず、自転車で風をきるのが気持ちいいです(・∀・)

私が子どもの頃は、猛暑といっても30度を超えたくらいでした。

クーラーがなくてもへっちゃらでした。

 

過ごしやすいのはいいことなんですが、

なんだか落ち着かないのは私だけ?

コロナワクチンの子ども用の接種券も届きました。

接種日と部活の大会日程が重ならないよう、日程確認をしていると、

子どもが「受けたくない」と言いだして、困っています(>_<)

腕が痛くなったり、熱が出て練習できなるなるのがイヤだ、と。

 

そんなことよりコロナになったら部自体が大会にでられなくなるから困るよと

言っても首をたてに振りません・・・。

小学生なら無理矢理にでも連れて行けますが、

中学生ともなると、向こうのほうが力が上で。

いかんせん、握力学年2位の馬鹿力なので。 ← いやいやそういう腕力の問題ちゃうし

 

どうしたもんかなぁと思っていたら、「奈良県がワクチン摂取率をあげるために接種した人に地域お食事券進呈!!」とニュースが流れました。

あんたの分はないで!と言ってみたら、

現金な我が子「行ってもいいかも」・・・(-_-;)

まさにうちの子のための施策です・・・。

 

橿原市 弁護士
暑いのキライ~

三重大学では、鼻からスプレーをするコロナワクチンを開発中だそうですね。

鼻ワクチンだと、喉や鼻の粘膜に多く抗体を作るので、入口ブロックができるそうで、

また、動物実験では副反応も起きていないそうです。

注射針も使わないので、医療者への負担も少なく、いいことづくめ!

すごいなぁ。

ただ、研究予算がなくて、動物実験でとまっているそうです・・・。

クラウドファンディングとかできないのかなぁ。

寄付したらワクチン優先してもらえる、とかならすぐに集まりそうですよね(・∀・)

 

ファイザーワクチン後、まだときおり接種部位が痛むことがありますが、

コロナへの心理的不安は接種前よりだいぶ少なくなりました。

あとは、早くタミフル的なお薬ができて欲しいものです。

 

2021年

9月

09日

奈良マラソン2021への道 その12 ☆ あさもりのりひこ No.1051

8月20日(金)早朝、全力疾走、ジョギング、全力疾走、37分50秒、6.514㎞。

最初の2㎞は、5分20秒、5分22秒、最後の2㎞は、5分00秒、5分11秒。

 

8月21日(土)早朝、ジョギング、1時間16分27秒、11.349㎞。

 

8月22日(日)早朝、ペース走、1時間42分28秒、15.772㎞。

 

8月23日(月)早朝、ビルドアップ走、41分00秒、6.528㎞。

 

8月24日(火)早朝、インターバル走、38分29秒、6.554㎞。

5分10秒、5分18秒、5分38秒、5分39秒、5分47秒、最後の400メートルは5分37秒/㎞。

3本目以降が伸びなかった。

 

8月25日(水)夜、トレッドミルでビルドアップ走、傾斜2%、30分、4.7㎞。

時速8.8キロ(6分45秒/㎞)、9.2キロ(6分30秒/㎞)、9.6キロ(6分15秒/㎞)、10キロ(6分00秒/㎞)で各1㎞、10.4㎞(5分45秒/㎞)で700m走った。

トレッドミルはランニングフォームをチェックするのに向いている。

 

8月26日(木)早朝、ペース走と階段598段、47分56秒、6.958㎞。

 

8月27日(金)早朝、ウインドスプリント、42分42秒、6.181㎞。

ウインドスプリント200m×10本のペースは、5分00秒、5分06秒、5分12秒、4分42秒、4分51秒、4分41秒、4分40秒、4分20秒、4分32秒、4分31秒。

 

8月28日(土)早朝、ジョギング、1時間13分13秒、11.338㎞。

イージーランニングの予定で、1㎞7分06秒のジョギングペースで走り始めたが、徐々にビルドアップしてしまって、最後の300mは1㎞5分49秒のペースになった。

 

8月29日(日)早朝、飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社の階段552段を上る。

1時間45分18秒、14.876㎞。

 

8月30日(月)早朝、坂道ダッシュ400m3本、54分38秒、7.677㎞。

2分30秒(6分08秒/㎞)、2分34秒(6分28秒/㎞)、2分31秒(6分11秒/㎞)。

 

8月31日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走、傾斜2%、30分、4.7㎞。

時速8.8㎞(6分45秒/㎞)、9.2㎞(6分30秒/㎞)、9.6㎞(6分15秒/㎞)、10㎞(6分00秒/㎞)で各1㎞、最後は時速10.4㎞(5分45秒/㎞)で700m走った。

 

9月1日(水)早朝、階段1138段駆け上がり、50分57秒、6.035㎞。

日曜日以降「疲れ気味」である。

 

9月2日(木)早朝、全力疾走、ジョギング、全力疾走、40分35秒、6.509㎞。

最初の2㎞は、5分24秒、5分35秒、最後の2㎞は、5分38秒、6分01秒。

最後の2㎞が伸びなかった。

疲れが残っている。

 

9月3日(金)早朝、ビルドアップ走、39分54秒、6.524㎞。

6分48秒、6分45秒、6分30秒、6分10秒、5分43秒、5分21秒、最後の500mは4分53秒/㎞。

この行程で40分を切ったのは今年はじめて。

 

9月4日(土)早朝、ジョギング、44分11秒、6.323㎞。

 

9月5日(日)早朝、ジョギング、43分13秒、6.081㎞。

坂道ダッシュの行程をジョギングしたが、坂道の途中の公園の中を初めて走った。

初めて走る行程はワクワクするね。

 

午前11時に新型コロナウイルス感染症のワクチン(モデルナ製)を打った(1回目)。

 

9月6日(月)ワクチンを接種したので休足。

夜、打った所の周りに赤い輪ができていたが、朝起きるとなくなっていた。

左腕の注射したあたりが少し張っている。

それ以外は異状なし。

 

9月7日(火)夜、トレッドミルでジョギング、傾斜2%、30分、4.34㎞。

ワクチンの副反応はないが、用心してジョギングにした。

 

9月8日(水)仕事のため休足。

 

 

9月9日(木)雨、休足。

2021年

9月

08日

内田樹さんの「旧悪は露見するか?」 ☆ あさもりのりひこ No.1050

「ネットで検索すれば簡単に旧悪がばれる」人がいたとしたら、それはその人にとって「旧悪」ではなく、頻繁に更新され、上書きされてきた「新悪」だからである。今もなお「いかにもそういうことを言いそうな人間」だから、過去のテクストをサルベージしたら「すぐ」にお目当てのものが出てくるのである。

 

 

2021年8月31日の内田樹さんの論考「旧悪は露見するか?」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ある週刊誌から「旧悪の露見」についてコメントが欲しいという電話があったのは2週間ほど前である。五輪開会式にかかわったクリエーターの二人が、民族差別といじめについての「過去の言動」を掘り返されて職を解かれたことについて、「こんなふうに簡単に昔のことを掘り出して炎上させることができる時代になると、誰でもがプライバシーを侵害されるリスクがあるのではないでしょうか」という論調でコメントを取りに来たのである。

 私は「その作業は決して簡単ではない」ということをまず申し上げた。

 例えば、私の過去の書き物のうちから何であれ「差別的」な発言を取り出して、「炎上」させることは理論的には可能である。ただその場合に、その人は私のとりあえず手に入る限りの私の著作を通読し、かつ過去十数年分のブログ記事すべてを読まなければならない。

 たぶんすべてを探せば「差別的な発言と解釈できなくもない」文言は見つかるとは思う。だが、私の書き物からそれを探しだすのは「干し草の山から針を探す」作業に近い。おそらく数週間にわたり、朝から晩まで私の書き物を読み続ける(場合によって、その挙句「何も見つからなかった」ということもあり得る)という地獄のようなタスクをこなさなければならない。

 どれほどの苦役であろう。

 だから、「ネットで検索すれば簡単に旧悪がばれる」という記者の設定そのものに私は同意しない。「ネットで検索すれば簡単に旧悪がばれる」人がいたとしたら、それはその人にとって「旧悪」ではなく、頻繁に更新され、上書きされてきた「新悪」だからである。今もなお「いかにもそういうことを言いそうな人間」だから、過去のテクストをサルベージしたら「すぐ」にお目当てのものが出てくるのである。

 二十年前に「言わない方がいいこと」を言ってしまい、それを消去する手立てがないという場合には、それから後「そういうことを言いそうもない人」たるべく自己陶冶するはずである。

 ジャン・バルジャンだって、別に「旧悪が露見した」わけではない。起業して成功し、人望篤い市長になっていたのである。彼の旧悪が明らかになったのは彼が無実の罪を着せられた人を救おうとしたためである。ふつう、心を入れ替えて「よい人」になろうと思って日々努力している人の身には「旧悪が露見する」ということは起こらない。もしかしたら、こいつ「ろくでもないやつ」じゃないのか・・・という疑惑を周囲に抱かせるからこそ「旧悪」を調べようという気になるのである。

 だから「ネット時代になれば、誰でも過去の失言を咎められるリスクがある」というのは事実ではない。仮に過去に恥ずべき失言をなしたことがあったとしても、その後反省して、「そういうことを言いそうもない人」になるべく努力を重ねていれば、その人について「恥ずべき過去があるに違いない。いくら時間がかかっても構わない。徹底的に調べてやろう」という人は出てこない。

 ネットというテクノロジーを駆使するのは生身の人間である。生身の人間においてある人物の「旧悪」を探す意欲がむらむらと湧き上がることがなければ、仮に恥ずべき過去があったとしても、それはいずれ忘れられる。それでいいと私は思う。

 というコメントをしたのだが、企画自体が没になったので、コメントは採用されませんでしたという電話がさきほどあった。

 

 せっかくしゃべったことなので、備忘のために書き残しておく。

2021年

9月

07日

疲れ目に注意@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

9月に入ってから朝晩も少し涼しくなり,秋の気配を感じるようになってきました🎑

 

パラリンピックも先日閉幕しましたが,

今大会で話題になった「ボッチャ」,

私も途中から観戦していました!

 

白の的玉(ジャックボール)にいかに近づけて

投げられるかを競い,6個のボールを順番に投げて

いくのですが,

ボールは投げてもよし,転がしてもよし。

 

相手のボールをうまくはじいて外に出したり,

的玉を動かして自分のボールに近づけるなどして,

最後に一番的玉に近い方が点を獲得する,

というものでカーリングにも少し似てますよね。

 

的玉にビッタビタに寄せる杉村英孝選手が格好良かった!!

 

年齢も関係なく楽しめるので,家族や友人と遊んでみたいなぁと思いました(・∀・)

 

 

さて,私事ですが,少し前から,明るくまぶしいところを見ると,

黒く小さい水玉みたいなものが見えていて,なんとなく気になっていたんです。

 

月に一度母を眼科に連れて行くので,先日私も見てもらうことに。

 

大丈夫だと思うけど一応網膜剥離などの心配もゼロじゃないからと言われ,

ドキドキしながら検査を受けた結果,「飛蚊症」と診断されました。

 

「飛蚊症」とは,明るい場所や日中に空を見上げたときに、

目の前に髪の毛や糸クズ、虫のようなもの等の浮遊物が飛んで見える症状で,

眼の中央にあるゼリー状の透明な液体がつまっている硝子体がにごることで

症状が現われます。

 

病気が原因である場合もありますが,

多くは,スマホやPCの見過ぎからくる眼精疲労やストレス,

紫外線などを浴びて発生する活性酵素などが原因とのこと。

 

スマホの見過ぎ・・・には,うん,がっつり心当たりが(-_-;)

 

目に疲れを溜め込ませないようきちんと目を休ませることが大切だということなので,

目薬や,寝る前にアイマスクなどを使い,

夜スマホを見る時間も以前より少~し減らしました・・・(^^;)

 

また,ビタミンCやビタミンEなどの抗酸化作用のある食べ物を取ると

体内の活性酵素を消去してくれる働きがあり,予防にも役立つようです。

食事だけで取るのが難しい場合はサプリメントがお勧めです。

 

皆さんも,目の疲れは溜め込まないよう気をつけてくださいね😓