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2022年

1月

27日

第1回飛鳥ハーフマラソンへの道 その3 ☆ あさもりのりひこ No.1113

1月14日(金)早朝、アントレ、縄跳び200回。

やっと左膝が痛まなくなった。

 

1月15日(土)早朝、階段1138段、53分50秒、6.29㎞、総上昇量90m

走ると、左膝がまだ少し痛いな。

 

1月16日(日)午前、栢森の山道入口までジョギング、2時間09分27秒、17.71㎞、総上昇量458m、平均ペースは1㎞7分19秒。

左膝の痛みは少し残っている。

 

1月17日(月)早朝、アントレ、縄跳び200回。

キックバックのときに左膝が痛い。

 

1月18日(火)早朝、ダッシュ、ジョギング、ダッシュ、42分01秒、6.55㎞、総上昇量52m

ガーミンは、Backキーを押しても手動ラップが作動しない。

 

1月19日(水)早朝、ビルドアップ走、41分32秒、6.52㎞、総上昇量65m、平均ペースは1㎞6分22秒。

左膝はほとんど痛まなかった。

 

1月20日(木)早朝、インターバル走、38分56秒、6.515㎞、累積上昇79m

5分30秒、5分41秒、5分58秒、5分57秒、5分30秒、5分42秒。

雪がちらついて寒かったせいか、ペースが上がらなかった。

ただし、左膝は痛くなかった。

 

1月21日(金)早朝、ジョギング、そして階段598段、51分00秒、6.991㎞、累積上昇136m、平均ペース1㎞7分17秒。

7分05秒、7分09秒、6分38秒、6分23秒(100m)、13分43秒(階段上り)、13分37秒(階段下り)、6分40秒、6分36秒、6分43秒、6分33秒(400m)。

階段の上り下りはペースが半分に落ちるな。

左膝は大丈夫。

 

1月22日(土)早朝、ジョギンング、25分01秒、3.5㎞、ウインドスプリント、200m×10本。

5分16秒、4分57秒、5分01秒、4分46秒、4分48秒、4分49秒、4分56秒、4分46秒、4分55秒、4分45秒。

久しぶりのウインドスプリントだったがペースが上がらなかった。

寒いせいもあるかな。

左膝は気にならなかった。

 

1月23日(日)午前、ジョギング(鷹鞭橋~男綱)、2時間26分36秒、20.3㎞、平均ペース7分13秒、総上昇量464m

走り出してしばらくすると小雨がパラつき出した。

栢森の芋峠に至る山道の入口まで行く予定だったが、雨脚が強くなりそうだったのと、気温が低かった(冷たい雨)ので、男綱で折り返した。

長い時間走ると、左膝が痛い。

 

1月24日(月)早朝、アントレ、縄跳び200回。

 

1月25日(火)早朝、ジョギング、坂道ダッシュ400m×3本、ジョギング、56分09秒、7.633㎞、累積上昇185m

坂道ダッシュのペースは、5分51秒、5分46秒、5分45秒。

 

1月26日(水)早朝、テンポ走、40分01秒、6.53㎞、総上昇量64m

 

6分57秒、5分59秒、6分09秒、6分11秒、6分02秒、5分47秒、5分28秒、平均6分07秒。

2022年

1月

26日

内田樹さんの「ポストコロナの時代を生きる君たちへ」(その2) ☆ あさもりのりひこ No.1112

今から80年間で、7600万人減る。年間90万人ペースです。高齢化もこの後進みます。2065年には高齢化率が38.4%、3人に1人は65歳以上いう社会になります。そういう時代を経由して、日本の総人口が5000万人を切る社会を迎える。

 

 

2022年1月12日の内田樹さんの論考「ポストコロナの時代を生きる君たちへ」(その2)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 日本が人口減少局面にあることは、高校生のみなさんもよくご存じでしょう。日本は2008年の12800万人をピークにして、人口が急激に減りだしています。おそらく学校の授業でも教わっていると思いますが、厚労省の試算では2100年、今から80年後の日本の人口ですね、高位推計で6800万人、低位推計で3800万人、中位推計で4850万人です。多分このくらいに落ち着くだろうというあたりでも5000万人を切るんですね。今から80年後ですから、みなさんのうちの何人かは生きて22世紀を迎えることができると思いますが、その時の日本の人口は5000万人を切っているんです。今から80年間で、7600万人減る。年間90万人ペースです。高齢化もこの後進みます。2065年には高齢化率が38.4%、3人に1人は65歳以上いう社会になります。そういう時代を経由して、日本の総人口が5000万人を切る社会を迎える。

 みなさんが今どこの学校に進学しようとか、どんな職業に就こうかとか、考えているわけですけれども、それを決める時に、一番考えなければいけないことは、日本はこれから急激に人口が減るということです。短期間にこんな急激な人口減を経験した国は歴史上存在しません。だから、どうしたらいいかわからない。誰も知らない。人口減の局面にどう対処したらいいか、成功事例が歴史上にはない。そういう「どうしたらいいかわからない時代」にみなさんは突入してゆくんです。

 そんなこと言うとびっくりするかもしれません。なぜ、そんな大事なことなのに、みんなもっと真剣に議論しないんだろうかと、疑問に思うでしょうね。本当にそうなんです。議論しないんです。どうしてこうなったのか原因を探り、現状はどうなっているのかを調査し、どう対処するのか政策を立てるためのセンターが今の日本政府部内には存在しないんです。この巨大な問題に対処するための政府機関がないんです。たしかに「少子化対策」とかはあります。婚活を支援するとか、保育所を増やすとか、教育を無償化するとか、そういうことをしていますけれども、人口減というのはそんな目先の政策でどうこうなる話ではないんです。

 人口減少は止まりません。このことをきちんと受け止めて、それによって産業や教育や医療がどう変わるのか、きちんとした見通しを立てて、これからこうなりますよと、国民にアナウンスする必要があります。

 人口減社会のあり方については、いくつかのシナリオがあり得ます。そのシナリオのうちのどれがよいかについて、国民全体で議論して、合意をかたちづくること、それが必要です。日本列島に住むすべての人に関わる大問題です。

 ところが、この問題についての国民的な議論がまったく行われていない。メディアは時々思いついたように人口問題について報道しますが、深く掘り下げるということをしていない。真剣に取り組んでいない。政治家もメディアも、どうしたらいいのか、わからないんです。これまで人類が経験したことのない問題だから。何が起きているのか、どうしたらいいのか、わからない。この問題と向き合い、それに対して然るべき政策を立てることのできる構想力がないのです。現代の日本の指導層にはそれを考えるだけの力がない。

 でも、これは日本だけの話じゃないんです。お隣、韓国もすでに2年前2019年に人口がピークアウトして、これから急激な人口減、高齢化局面を迎えます。あと40年くらいで、日本を抜いて、世界一の高齢社会になります。

 そして、中国です。どうして、中国政府が教育政策において、これまでとは全く違う方向に舵を切ったのか。これも人口減が理由ではないかと僕は思っています。中国は6年後2027年に14億人でピークを迎え、それから急激な人口減少と超高齢化時代を迎えます。年間500万人ペースで人口が減ります。生産年齢人口、15歳から65歳までの人が2040年までに1億人減り、代わりに65歳以上の人口が32500万人にまで増える。

 中国は2015年まで「一人っ子政策」を実行していましたから、人口構成がひどくいびつです。男女比も均等ではありません。ですから一人っ子で、配偶者がいない人の場合、親が死ぬと、妻も子も兄弟姉妹もいない天涯孤独の身となる。これまでそういう場合のセーフティネットとしては親族ネットワークがありました。生活が苦しくなったら、親族を頼ることができた。でも、一人っ子政策と人口減で、その親族ネットワークが成り立たなくなった。中国には日本のような社会保障制度がありません。これを短期間のうちに作り上げなければ高齢化に対処できない。

 これまで急増する人口が潤沢なマンパワーと巨大な市場を提供してきた中国ですが、その経済成長のエンジンであった「いくらでも働く人間がいる」という条件がこのあと失われる。2027年からそれが始まります。若い人たちの人口が急激に減って行く中で、中国が国力を維持しようとしたら、子どもたちを過酷な競争に放り込んで、勝ち残った者にすべてを与えて、負けた者たちは消えるに任せるというような手荒な選抜を続けることはできません。とりあえず手元にいる子どもたちすべてに等しく良質な教育機会を提供して、ひとりひとりのパフォーマンスを上げるしか手立てがない。国民一人一人の力を、取りこぼすことなく引き出すことが必要になる。そうなると、ペーパーテストの点数だけで子どもたちを選別するというような雑なことはできない。

 中国にはかつて科挙という制度がありました。ペーパーテストで高得点をとる人たちを登用して、権力の中枢に据えた。この人たちは確かにたいへんな人文学的知識を備えていましたけれど、それ以外の大多数の人は全く文字も読めなかった。そういう制度のせいで、清朝は国力を失って滅びた。だから、近代中国では、できるだけ多くの国民が等しく学校教育を受けられる仕組みが作られました。でも、最近になってまたペーパーテストの勝者に権力も財貨も集中するという、昔の科挙みたいな仕組みが復活してしまった。だから、またそれを抑制して、国民全員がそれぞれの多様な才能を開花させるという軌道修正が行われることになった。たぶん、そういうことではないかと思います。

 中国政府は14億の国民を統治しなければいけないのですが、これは19世紀末の世界人口と同じ数です。そんな数の国民を擁する政体を統治したことのある人は過去におりません。だから、中国のトップも必死だと思うんです。たぶん、ものすごく頭のいい人たちが、僕らでは想像できないくらいIQの高い人たちが統治システムを設計しているんだと思います。たしかに中国は時々暴走しますけれど、小手先のことはしません。やる時はいつも巨大なスケールの実験をする。ですから、今回の教育改革も巨視的な見地に立って行われたものだと思います。

 

 

2022年

1月

25日

春に向かって!

本日は事務局が担当です。

今朝は、快晴でしたが、とても冷え込みましたね。

通勤途中に車窓から見える一面の霜に冷え込みを一層感じました。

120日は大寒で、一年で一番冷え込む時期です。

因みに125日は、日本最低気温の日で、1902(明治35)125日、北海道旭川市で、氷点下41℃を観測したそうです。

今年はこの時期に、コロナ感染の第6波が重なり、寒さに加えて社会全体が一層厳しい状況となっています。

5波の感染拡大の時以上に、より身近な人の感染の知らせを、いくつか聞きます。

我が家では、妻が医療関係の仕事をしているので、そちらから入ってくる情報でもやはり、今まで以上に感染が拡大している様です。

誰もが感染拡大に伴って、個々に仕事や生活において色々と大変かとは思います。

しかし、こんな時こそ気持ちをしっかり持ち、前を向く様に心がけることが大切かと思います。

その為に我が家で行っている2つのことを、お伝えしたいと思います。

まずは、自宅で居る夜に、静かに過ごしている時や入浴の時に、リラックス感と癒しを得る為にキャンドルを灯します。

災害用にストックしているキャンドルを灯すと優しく揺らめく明かりが、気持ちを落ち着かせてくれます。

それから、鉢植えの花を飾っています。

昨年11月の中頃に一鉢880円で買ったシクラメンとポインセチアが、2ヶ月経った今も元気に咲いています。

元気に次々に花を咲かせる様子を観ていると暖かさと春が来る予感がし、春が待ち遠しくなり、気持ちを前に向かせてくれる様に思います。

この次は、水仙かヒヤシンスかなとか考えています。

「寒い冬が終わり暖かい春の訪れを感じると幸せになり、自然と同じように体が生まれ変わる。」 と聞きます。

昨晩のニュースで、宮崎県での梅が開花したことを伝えていました。春は、着実に近づいてきています。

皆さんも何か生活に工夫をして、冬とコロナ禍を乗り切りましょう!

2022年

1月

24日

内田樹さんの「ポストコロナの時代を生きる君たちへ」(その1) ☆ あさもりのりひこ No.1111

このような受験競争の過熱を放置しておくと、遠からず中国の国力が衰退していくという危機感を中国政府が抱いた

 

 

2022年1月12日の内田樹さんの論考「ポストコロナの時代を生きる君たちへ」(その1)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

大阪市立南高校という高校が今年度でなくなる。他の二つの市立高と統合されて別の高校になるのである。独特の教育をしていた高校で、そこの国語の先生が私の寺子屋ゼミの受講生だった関係で、「さよなら講演」にお招き頂いた。その時に高校生たちにこんな話をした。

 

 みなさんこんにちは。今紹介いただきました、内田です。幸い、皆さんが教科書で私の書いたものを読んでくださったということなので、大体どのようなことを話すかということは、お察しになっていると思います。

 こういうところに立つのは久しぶりです。でも、正直言って、こういう環境はしゃべりにくいんです。最近はずっとオンラインでやって、それに慣れてしまって。オンラインだったら自分の部屋からできます。自分の部屋の、自分の椅子に座って、iPadのスイッチを押せば、すぐにつながって、相手が10人でも100人でも、やることは同じ。ディスプレイに映る自分の顔を見ながら話す。どういうリアクションがあるかはわからない。でも、こういう所に立つと、反応がリアルにわかります。話が受けてないとすぐにわかっちゃうんです。誰も笑ってくれないとなると、いたたまれない気持ちになる。

 それに高校生って、こういう所に集められて、「さあ、話を聴きなさい」と先生に言われたって、聴く気にならないものですよね。どちらかと言うと、登壇してきた人物に対して、基本的には警戒心とか猜疑心とかを抱くものなんです。それが当然だと思います。

 僕も高校生だったら、こういう所に集められて、講師の話を聴けと言われたら、たぶん基本的にはあまり心を開かないと思います。頭から話を信じたりはしません。どれくらい信じていいのかと、それなりの警戒心をもって聴く。それが当然だと思います。

 でも、それでいいんです。どこまで話を本気にしていいのか疑いながら聴く。そういう姿勢で僕の話を聴いてほしいんです。頭から信じてもらわなくて結構。それよりは、この人の話をどれくらい信じていいのか、話にどれくらい真実が含まれているか、吟味しながら聴いて欲しい。だって、みなさんは、僕が本当のことを言っているのかどうか判断基準を持っていないからです。僕のこと知らないんですから。話を聞いたことがないんですから。

 だから、話を聴きながら、この人の話をどれくらい信じてよいのかの判断の「ものさし」を自分の中で、自分で手作りして、それでもって判断して欲しいんです。この辺の話はどうも本当らしいから信じてよさそうだ。この話はいまいち信用できないから帰って調べようとか、そういうふうに聴いてください。

 

 今日の演題は「コロナ後の世界を生きる」ということですが、いきなり本題に入らないで、昨日聴いた話からしたいと思います。

 僕は神戸にある凱風館という道場で「寺子屋ゼミ」という催しをしています。道場なので70畳ほどの畳敷きの場所がありますので、そこに座卓を置いて、毎週火曜日ゼミを開いています。ちょうど昨日ゼミがありました。オンラインでも配信しているので、道場にいたのが10人ちょっと、オンラインで40人くらい。全部で60人くらいが参加してくれました。

 後期のゼミはこの十月から始まって、「コロナ後の世界」が後期のテーマです。ポストコロナの世界がどうなるかについて、いろんな分野について研究発表をしてもらいます。経済とか政治とかも変わりますが、医療も変わるし、学校教育も変わる。さまざまな領域で変化があります。それについてゼミ生たちに興味のある分野を選んでもらって、自由に発表してもらい、みんなで討議する。そういう形式のゼミです。

 先々週が第一回で、僕が全体的なオリエンテーションをして、昨日が研究発表の最初でした。第一回は中国の学校教育がテーマでした。いま、中国の学校教育が急激に変化しているという話です。昨日の発表者は大学の先生です。大学で中国語と中国思想を教えていらっしゃる方です。中国語がよくおできになるので、この夏、コロナ後の中国に起きた学校教育の変化について現地のニュースをそのまま報告をしてもらいました。8月の末に起きたことですが、日本のメディアもほとんど報道していないと思います。けっこう大変なことが中国では起きていました。

 中国では受験競争が過熱しています。どういう大学を出るかで就職も年収にも大きな差がつく。だから、小学校から高校まで、親たちは子どもをずっと学習塾に通わせます。それが過熱してきて、子どもに対する負荷が増え過ぎた。そこで政府は「双減政策」というものを出してきました。「双減」というのは「二つのものを減らす」ということです。

 一つは子ども学習時間を減らすこと。最初にやったのは宿題の制限です。小学校12年は宿題なし。3年生から6年生までは160分で終わる量まで。中学生で190分まで。それ以上の量の宿題を出すことが禁止された。

 その次に学習塾の非営利化。学習塾で金儲けをしてはいけない、と。これで最大手の学習塾がばたばたと倒産しました。学習塾や英語学校が中国では乱立していたのですけれど、政府の命令で課金できなくなった。それでは倒産しますよ。大手の学習塾は株式会社なんですが、株が暴落した。

 ほかにもいろいろあって、外資系の塾はそもそも開業が禁止されました。海外とつながるオンライン教育プログラムも禁止。ネットゲームは時間制限。子どもたちがネットゲームをしていいのは金土日祝日の午後八時から九時までの一時間。

 こういうことが政府の命令一つでできるのが中国という国ですけれど、そのために8月の末から9月の初めにかけて、中国の学校では混乱が起きました。さて、この中国の政策はいったい何を意味しているのでしょうか。ゼミでは、みんなでそれを考えました。

 中国はこれまで急成長してきて、大学進学率も50パーセントに達しています。過酷な競争のせいで、子どもたちは身体もメンタルも傷ついている。それに学習塾や海外プログラムだと、それなりにお金がかかる。そうすると、お金持ちの子どもは受験競争に有利になる。貧しい家の子は、授業料の高い学習塾に通うことは出来ないし、海外のプログラムも利用できない。それだと格差が拡大するばかりです。

 でも、これまで中国の人はそんなこと全然気にしていなかった。「勝った者が総取りする。負けた者は自己責任」というワイルドなルールでやってきた。それにブレーキがかかった。金持ちの子どもだけが有利になるような競争はさせないということになった。そのニュースを知って、「中国は何でもやることが極端だね」と言って済ますわけにはゆきません。これは何か大きな変化が起きていて、その徴候ではないかと僕は思いました。さあ、何が起きているのか。

 簡単に言うと、国民全員が地位や権力を争って競争して、「勝った者が総取りする」、敗者は転落して路頭に迷っても、それは自己責任。それが当たり前で、それがフェアだというルールで中国はこれまで急成長を成し遂げたわけです。でも、それがもう続けられなくなった。

 これからはできるだけすべての子どもたちに均等な機会を与える。階層格差が再生産されることを防ぐ。そもそも子どもにあまり勉強をさせない。日本の「ゆとり教育」に似たことをしようとしている。「知育、体育、徳育、美育」というスローガンが掲げられて、子どもたちは勉強するだけじゃなくて、身体を鍛えて、美しいものを見て、人間として全方位的にもっと豊かになることが求められるようになりました。勉強だけできればそれいいものではない。そういう方向に、党中央が方針を決めた。さて、いったいどうしてこんな政策が出てきたのか。昨日もそのことについてずいぶん議論になりました。

 僕の考えは、このような受験競争の過熱を放置しておくと、遠からず中国の国力が衰退していくという危機感を中国政府が抱いたからではないか、というものです。実は中国も日本もよく似ているんです。向こうの方がスケールが10倍ですけれども、起きていることは本質的には似ているところがある。

 

 

2022年

1月

21日

内田樹さんの「年始のインタビュー」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1110

『右大臣実朝』で太宰治は「人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ」と書いています。「暗い」うちはたぶんまだ大丈夫です。

 

 

2021年1月4日の内田樹さんの論考「年始のインタビュー」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

才能ある人たちは、このばかげた評価と査定のシステムから逃げ始めています。無駄なことに貴重な時間とエネルギーを使いたくないのは当然です。

 

最近、米国から帰国した友人から聞いた話ですが、米国の大学院で学ぶ自然科学系の留学生の6割が女性だそうです。たいへんによく勉強するんだそうです。

 

―どういうことですか。

 

米国の大学や企業に就職するためです。米国で学位をとって日本に帰っても、女性研究者には能力にふさわしいポストが用意されていないからです。だから、米国で就職先を探す。

 

そうやって優秀な女性研究者が日本からどんどん流出している。優秀な人が逃げ出すようなシステムを日本社会自身が作り上げているんです。

 

すでに研究環境も韓国や台湾のほうが日本より良くなってきています。条件がよければ海外の研究機関に移りたいという研究者はこれからさらに増えるでしょう。

 

どうやったら海外に流出している女性研究者を日本に惹き戻すかを考えることが喫緊の課題なのですが、「どうぞ日本に帰ってきてください。厚遇しますから」というシグナルは日本の大学も企業も発信していない。

 

―日本へも海外から優秀な人が来てくれれば、とも思いますが......

 

これほど研究環境が劣化している局面では、海外からすぐれた研究者が来てくれるはずがありません。

 

米国が世界の学術のトップでいられるのは世界中から人材が集まってくるからです。彼らが科学技術上やアートのイノベーションを担っている。

 

―米ケーブルテレビ局「CNN」の2019年の報道では、米国人受賞者の3分の1は移民の出自、とありました。一方、日本は移民に否定的ですし、21年12月21日に東京都武蔵野市で在留外国人にも住民投票に参加できる条例案が否決されたことが海外でもニュースになるほどです。

 

そうです。これからはある意味で「人の奪い合い」になる。生産年齢人口がこれから急減するのは、中国も韓国も一緒です。だから、マンパワーを確保し、マーケットのサイズを保とうと思ったら、海外から人を入れるしかない。それだけではありません。米国がそうしているように、学術的なイノベーションを担うことのできる才能を海外から受け入れる必要がある。

 

市民的自由を求めている人、人権の保護を求めて、受け入れてくれる先を探している人たちは世界中にいます。彼らを受け入れる制度を整備していれば、米国ほどではなくても、その中から卓越したイノベーターが出てきて、日本の未来を牽引してくれる可能性はあります。

 

日本は治安もいいし、社会的インフラも整備されています。ご飯も美味しいし、自然も美しい。だから、「日本は外国人を大切にしてくれる国だ」という評価が得られれば、たとえ多少給料が安くても、海外から優秀な人材が来てくれるかも知れない。

 

でも、武蔵野市の条例案を否決した後に、与野党の政治家が「安心した」「良識を示した」などと言ってしまった。これは外国の人に「日本はあなたたちを歓待する気はない」と意志表示をしたのと同じことです。

 

―「安心した」という政治家の発言を喜ぶ人たちもいます。

 

そうでしょうね。政治家が自分自身の選挙のことだけを考えているなら、選挙民が当座喜ぶことを言っておいたほうが有利だということでしょう。愚かなことです。それは「自分が選挙に勝てるなら、国力がいくら衰微しても構わない」と告白しているようなものですから。

 

生産年齢人口が急減する局面を迎えている日本は、海外からマンパワーの安定的な供給がないともう経済が回りません。でも、そのことを政治家は認めないし、メディアも指摘しない。

 

そのような窮状にありながら「日本は外国人を歓待する気はない」と言い切る政治センスのなさには愕然とします。

 

―内にも外にも「意地悪な国」になっている、という印象があります。

 

昨秋の衆院選では、「議員・公務員の削減」といった「身を切る改革」などとにかく統治コストの削減を訴える日本維新の会が関西で躍進しました。

 

行政コストの削減は端的によいことであるというふうに日本国民の多くは信じ切っているようですけれど、それはいずれ市民への行政サービスの質の低下を帰結する。自分が「切られる」側にいるのにどうして平気でいられるのか、僕には理解できません。

 

―年初から暗いインタビューになってしまいました。メディアはつい安易に「ならば処方箋は」と聞きがちなのですが、その暗さにきちんと目をこらし、処方箋を自分で考えることから始めないと......

 

まずは「選択と集中」という愚策を止めることです。評価と査定というブルシットジョブに無駄な手間暇をかけることを止める。そんな暇があったら、足元の空き缶を一つでも拾った方がいい。

 

 

『右大臣実朝』で太宰治は「人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ」と書いています。「暗い」うちはたぶんまだ大丈夫です。

2022年

1月

20日

その後のファーマシー木のうた坊城店 ☆ あさもりのりひこ No.1109

2021年3月に初めて『ファーマシー木のうた坊城店』を訪れて、はや10か月になる。

毎週、土曜日の夕方に『ファーマシー木のうた坊城店』で買い物をしている。

 

以前から、アリサンの「ピーナッツバター クランチ」「ピーナッツバター スムース」「有機ひよこ豆」「有機赤レンズ豆」を愛用してきた(たまには「有機黒ひよこ豆」も)。

『ファーマシー木のうた』のウェヴサイトを見ると、アリサンの商品も取り扱っています、と掲載されている。

しかし、『ファーマシー木のうた坊城店』にアリサンの商品は置いていなかった。

ところが、2021年7月、坊城店の入り口左側の棚に、アリサンの商品が大量に陳列された。

こんなに沢山のアリサンの商品を見たのは初めてだ。

有機デーツや有機プルーンもある。

有機ブラジルナッツ?

いつか、全品制覇したいものだ。

 

同じく、2021年7月、菓子類の棚の角に「やまだ」のおかき類が大量に陳列された。

「丹波種黒豆サラダ」「割れたんねん」「涙のぬれせん」が好物である。

それ以外にも初めて見る商品も沢山ある。

いつか、全品制覇したいものだ。

 

『ファーマシー木のうた坊城店』で取り扱ってほしい商品をいくつかリクエストした。

早速、そのうちのひとつ「フレッシュフードパック(エンバランス加工)」(クックベリー)を取り寄せて、店舗に置いてくれた。

このパックに葉物野菜を入れておくと、黒くなったり、傷んだりしないで、長期間保存することができる。

紫蘇(大葉)だと、1週間経っても青々している。

野菜、特に葉物野菜はこのパックに限る。

大きさは4種類で合計7枚入っている。

洗って何度でも使える。

早速、買って、使いまくっている。

 

冷凍庫が修理されて復活したのが大きい。

よつ葉乳業、木次乳業、むそう、久保田食品のアイスクリームがある。

小久保のロックアイスもある。

 

このほかにも、フェアトレードチョコレート、ローバイト、光食品のスポーツドリンク、オーガニックビール、ビーガンスプレッド(ケースとブロック)、アルパカのオーガニックワイン、有機バナナなどが続々と登場した。

 

 

『ファーマシー木のうた坊城店』ほど自然食品その他が充実している店はないな。

2022年

1月

19日

内田樹さんの「年始のインタビュー」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1108

日本の国力がいまどんどん衰えているのは、人々が他人の取り分をどうやって減らすかということだけに熱中して、新しい価値を生み出すための努力を怠っているからです。

 

 

2021年1月4日の内田樹さんの論考「年始のインタビュー」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

毎日新聞に年頭のロングインタビューが掲載された。インタビュアーは吉井理記記者でした。

 

-「選択と集中」は、限られた人やカネの使い方を吟味し、より有用だと思われる事業や部門に多く振り向けたほうが効果的だ、という考えです。毎日新聞には1993年5月の大手繊維メーカー社長のインタビューで初めて登場します。以来約30年間、1400本超の記事で語られてきました。これを「捨てる」とはどういうことでしょうか。

 

「パイ」が大きくなっている時には、「選択と集中」というようなことは誰も言いませんでした。90年代初めまでは、大学でも研究費は潤沢でした。僕のような文学研究者の研究費なんか自然科学系に比べるとごくわずかですから、使い切れないほど予算がつきました。分配比率のことなんて、誰もうるさく言わなかった。

 

でも、右肩上がりの時代が終わり、「パイ」が縮み始めると、とたんに人々が「パイの分配方法」をやかましく論じ出した。「選択と集中」という言葉が出てきたのはその時です。

 

分配にはルールが必要だ、無駄遣いをなくせ、制度のフリーライダーを叩き出せ、資源は社会的生産性や有用性に応じて傾斜配分すべきだ、という「せこい」話になった。

 

―それは合理的に見えますけれど......

 

僕も最初のうちは生産性・有用性に基づく資源の傾斜配分には合理性があると思っていました。でも、よく考えたら、どの研究に将来的な可能性があるかなんて実は予測できないんです。

 

加えて、「なぜこの研究が有望か」を説明するために、書類書きやプレゼンで膨大な時間とエネルギーを費やさなければならなくなった。「パイの取り分」を確保するためには研究教育のための時間を削るしかない。

 

予算規模が大きい自然科学分野では、「金策」に忙殺されて肝心の研究が進まないという悲劇が起きました。

 

―確かに文系の研究者からも同じ声を耳にしたことがあります。いかに結果を出したか、それっぽく見える書類作成に研究よりも時間が割かれる、と嘆いていました。

 

でも、無駄をゼロにして、成功するプロジェクトだけに資源を集中するということはできないんです。それは「当たる馬券だけ買え」というのと同じ無茶な要求なんです。

 

どんな分野でも、どの研究が空振りし、どれが「大化け」するかなんて事前にはわからない。だから無駄をゼロにすることは原理的に不可能なんです。

 

でも、今の研究者たちは、自分の研究は無駄ではないことを証明するために、研究時間を犠牲にして、膨大な量の作業を強いられている。この作業は何の価値も生み出していない。

 

―なるほど。しかし現実にパイは縮小している。分配できるお金も少なくなっていますが......

 

少ないお金でも、とりあえず満遍なくばらまいておく方が、「役に立つ研究」だけに資源を集中しようとしてたいへんな手間暇をかけるより結果的には費用対効果がよいと僕は思います。

 

「選択と集中」というのは、要するにパイが縮んでいる時には、誰が無駄をしているのかを暴き出し、誰の取り分を減らすかを決めるということです。

 

査定や評価というのはそれ自体では何の価値も生み出さない典型的な「ブルシット・ジョブ」なんです。

 

日本の国力がいまどんどん衰えているのは、人々が他人の取り分をどうやって減らすかということだけに熱中して、新しい価値を生み出すための努力を怠っているからです。

 

学術の世界だけではありません。政治でも経済でも同じことです。「競争勝者に資源を優先配分する」というゲームを30年していたら、どの領域でも「誰でもできることを他人よりうまくできる人」ばかりが出世し、「誰もしていない全く新しいことを試みる人」は見捨てられた。

 

「誰もしていないことを企てる」人の中からしかパラダイムを転換できるようなイノベーターは出てこないんですから、そういう人たちをこそ支援しなければならないのに、それを制度的に怠ってきた。

 

ですから、科学技術上のイノベーションも新しいグローバルビジョンも日本から生まれなかったのは当然です。

 

―その危機感が社会で共有できていませんね。

 

それは「選択と集中」のせいで、どれくらいのものを失ったのか、メディアが現状を正確に伝えていないからです。

 

 

―確かに......

2022年

1月

18日

ソーシャルディスタンス

みなさん、こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

 

わんこと遊ぶのに膝をついていたら、

なんだか膝が打ち身したように痛くって。

どこかぶつけたかな~と思っていても

1ヶ月経っても2ヶ月経っても治らなくて。

でも、膝をついたときだけなので

普段の生活に支障がなく、ついつい忘れていました。

 

行きつけ鍼灸院で「そうそう、先生そういえばね~」なんて世間話みたいに話をしてみたら

キュウっと押されたところが激痛ヾ(。>﹏<。)ノで。

 

ここ痛いということは半月板やね~( *¯ ꒳¯*)と診断頂きました。

 

右手首 右肘 右足首 右膝・・・と完治することなく

どんどん治療箇所が増えていってます(・∀・)てへ。

かあちゃんがわんこみたいにバウバウ言うて追っかけてくる遊び、好きやね~ん
かあちゃんがわんこみたいにバウバウ言うて追っかけてくる遊び、好きやね~ん

先日、子どもと公開されたばかりの映画「コンフィデンスマンJP 英雄編」を観てきました。

 

ドラマで放送されていたときからの大ファンで

長澤まさみさんのはっちゃけた演技が大好きです。

 

ネットで席を予約しようとしたところ、

席が一席ずつ空いていないことにびっくり(゜Д゜)

そうか!緊急事態宣言が解除されたし、緊急事態宣言が出る前は、映画館が独自の対策として一席ごとに販売してたんですよね

 

なんだか、一席あけることに慣れてしまって、

え。どうしよう・・・と戸惑ってしまいました。

隣に知らない人が座ることに違和感を覚えてしまいました。

 

結局、最後列の端から4席目に一人で来ている方がいたので、その隣をあけて

端から2席、にしたのですが・・・。

混んでいる電車では隣に人が座ることがあるのに

映画館では抵抗を感じるというのも変な話ですよね(^_^;)

 

コロナ禍前のように振る舞えるようになるのは一体いつなんだろう、

と考えてしまう出来事でした。

2022年

1月

17日

内田樹さんの「2021年の十大ニュース」 ☆ あさもりのりひこ No.1107

個人を訴訟に引きずり込んで経済的に追い詰めるという「スラップ訴訟」の手法はひとりひとりの市民が連帯すればその前には無力だ

 

 

2021年12月31日の内田樹さんの論考「2021年の十大ニュース」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

大晦日なので、恒例の「今年の十大ニュース」を考えてみる。重要度で並べるのではなく、思いついた順。

(1)『レヴィナスの時間論』が6年かけてようやく完結。原稿を送ったのは前年12月だけれど、最終回が『福音と世界』に掲載されたのは今年になってから。『レヴィナスと愛の現象学』『他者と死者』に続く「レヴィナス三部作」をこれで書き終えたことになる。レヴィナス先生の思想を一人でも多くの日本人読者に伝えるという「レヴィナス哲学の伝道師」としての仕事は微力ながら果たせたと思う。泉下のレヴィナス先生にそのことをご報告できると思うと、少しだけ肩の荷が下りた。

(2)「日本人はどうしてアルベール・カミュが好きなんだろう?」というタイトルのカミュ論を新潮社の『波』に連載し始めた。パンデミックのせいで世界的に『ペスト』が読まれ出したという現象を受けての寄稿依頼だったけれど、レヴィナス論の連載が終わって「レヴィナス・ロス」になっていたところだったので「渡りに船」と引き受けた。

『レヴィナスの時間論』を書いている途中からもうきちんと行程表に従って書くということは諦めた。そのときに思いついたアイディアを追いかけて、あちこちふらふらする。そのうち気がついたらたどりつくべきところにはたどりついているはずである。そう腹を括った。ぜんぜん学術的な論文の書き方ではない。でも、何を書くつもりなのかを一望俯瞰する視点には私は立つことができない。地べたを這いずるような書き方しかできない。

(3)山崎雅弘さんの裁判の控訴審が結審した。控訴審も完全勝訴だった。原告は上告したが、最高裁でも結果は変わらないと思う。1000人を超える市民からの支援を受け、総額1200万円の裁判費用が集まった。個人を訴訟に引きずり込んで経済的に追い詰めるという「スラップ訴訟」の手法はひとりひとりの市民が連帯すればその前には無力だということを証明できたことをうれしく思う。

(4)今年もいろいろ本を出した。単著は『コロナ後の世界』(文藝春秋)、『武道論』(河出書房新社)、『街場の芸術論』(青幻舎)、『戦後民主主義に僕から一票』(SB新書)、『複雑化の教育論』(東洋館出版社、もう本はできたけれど書店に並ぶのは1月)。共著は『新世界新秩序と日本の未来』(姜尚中さんとの対談、集英社新書)、『学問の自由が危ない』(佐藤学、上野千鶴子さんとの共編著、晶文社)、『自由の危機』(佐藤学先生ほかとの共著、集英社新書)。信濃毎日新聞、週刊金曜日、AERA、山形新聞、東京新聞、『波』に連載。よく書いたものである。

(5)講演もずいぶんした。数えたら21回やっていた。オンラインのもいくつかあるけれど、多くは対面。「コロナ後の世界」という演題での依頼が多かった。中高生対象の講演が記憶にとくに残った。これから人口減とパンデミックと気候変動とAIで社会構造がどう変わるかという話題に聞き入ってくれた。彼らにとっては切実なことなのである。その関心に大人たちが十分に応えていないことが問題なのだと思う。

(6)コロナで道場を休んだ。たぶん一年の半分くらいは合気道を休んでいたのではないかと思う。合宿も去年からずっと休止したままである。非接触系の杖道と居合、守伸二郎先生の韓氏意拳講習会と三好妙心先生の新陰流稽古会だけはさいわい続けられた。10月末にようやく合気道の稽古を平常運転に戻すことができた。さて、これがいつまで続くのか。一日でも長く続いて欲しい。そう願うばかりである。

(7)朴東燮先生の献身的な努力のおかげで今年も韓国語訳が何冊か出た。これまでに35冊訳書が出ているのだそうである。どんな人が読んでくれているのだろうか。朴先生は今年「内田樹論」も出版された。日本語で書かれたモノグラフはないので、これが世界最初の「内田樹論」本である。これが日韓の市民間の相互理解の一助になっているのなら、こんなうれしいことはない。

(8)凱風館での稽古が減ったけれど、その代わりに河野智聖先生が先達される滝行には熱心に通った。11月と12月には久しぶりに一九会の祓いと作務に参加できた。来年の2月には加藤高敏一九会道場長をお迎えして凱風館で祓いを行うことも決まった。7月には藤田一照師をお招きして坐禅会を凱風館で行うことができた。こちらはもう身体があちこち傷んできたけれども、滝行と祓いと坐禅だけは老骨に鞭打って続けられそうである。

(9)撤退を始める。もう古希も過ぎた。来年で干支も6回りする。ぼちぼち「店じまい」の時間である。これからいろいろな団体の役職を少しずつ退いて、後進に道を譲るつもりでいる。さいわい周りには元気のよい若い人たちがたくさんいるので、これからは彼らの活動をサポートする側に回ろうと思う。来年の目標は「親切なおじいさんになる」である。

(10)今年した旅の中で印象深かったこと。一つは秋の極楽ハイキングで男鹿島に行ったときに中村荘で頂いたお刺身のおいしさと中村庄助翁の海洋的で豪快な圧倒的なキャラ。それから想田和弘・柏木規与子ご夫妻を訪ねたときに牛窓の海辺の家の二階から眺めた瀬戸内海の日没の美しさも忘れがたい。

顧みれば、多くの方々にお支え頂いた一年間であった。感謝の気持ちをお伝えしたいけれど、多すぎてひとりひとり名前を挙げることができない。大晦日を無事に迎えられたことについて今年私と時間をともにし、お支えくださったすべてのみなさんに感謝申し上げたい。

ほんとうにありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

2022年

1月

14日

内田樹さんの「大瀧詠一さんを悼んで」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1106

はじめてお会いしたのは2005年の夏だった。

 

 

2021年12月30日の内田樹さんの論考「大瀧詠一さんを悼んで」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 はじめてお会いしたのは2005年の夏だった。その前年に『ユリイカ』で「はっぴいえんど特集」が組まれた。そのときに、メンバー四人それぞれのロングインタビューが企画され、僕が大瀧さんの対談相手にという話が出た。震えるほどうれしいオッファーだったけれど、大瀧さんサイドからは「インタビューは受けない」と断られた。そこでロングインタビューの代わりに「大瀧詠一の系譜学」という長文の大瀧詠一論を寄稿させてもらった。そこで僕はラジオ放送で大瀧さんが語ったこと(誰も文字起こししていないので、放送と同時に消えたはずの音声)を引用して、大瀧さんの音楽理論を祖述してみた。

 CDでも、書籍でもなく、ほとんどラジオで聴いた大瀧さんの言葉だけを素材にして書き上げた僕のスタイルがたぶん大瀧さんの琴線のどこかに触れたのだろう、その次に同じ担当編集者が『文藝』で大瀧詠一特集を企画してもう一度ロングインタビューの相手に僕を推してくれたときには、大瀧さんからOKが出た。それが2005年の8月のことである。僕以上の熱狂的なナイアガラーである石川茂樹君とふたりで山の上ホテルに大瀧さんをお迎えして、8時間半にわたってお話しをうかがった。石川君にとっても僕にとっても、生涯でもっとも幸福な8時間半だった。

 それがきっかけになって大瀧さんに定期的にお会いするようになった。友人の平川克美君がやっているラジオ番組の収録に一年に一度お招きして、石川君と三人で大瀧さんを囲んで、思う存分おしゃべりをするという番組企画を大瀧さんが快諾してくださったのである。それが6年続いた。6年目の2012年暮れには大瀧さんの福生のスタジオを訪問して、そこで収録した。

 数々の名作を生み出した大瀧さんのスタジオはナイアガラーにとっては「聖地」である。そこで大瀧さんの恐るべきコレクションを前にして(当然、そうなると思っていたけれど)全員が絶句した。「絶句する」以外にリアクションのしようがない「天文学的」なコレクションだった。平川君が「大瀧さん、これだけ情報を集めて、どうするつもりですか」と修辞的な問いを発したのに、大瀧さんは「CIAに負けられないから」と笑って答えた。あれはなかば本気だったのだろうと思う。いくつかの分野については、政府情報機関を超えるくらいに「世界で一番詳しい」人間であろうとする気持ちが大瀧さんにはあったし、事実そうだった。

 去年の暮れに7回目の収録のための日程調整のメールを平川君が送ったときに大瀧さんから「去年が最後のつもりだった。だからスタジオにお出で頂いたのである」という返事が来た。「始まりのあるものは、いつか終わる」という言葉が書き記してあったそうである。いかにも大瀧さんらしいと思った。僕は大瀧さんに定期的に会えなくなったせいでがっかりするより、なんだかうれしくなってしまった。先ほども書いたとおり、大瀧さんは「あらゆるものを見ている」わけで、僕にしてみたら、そばにいてもいなくても、いるのである。

 僕が大瀧さんから生涯に受け取ったメールは数えてみたらちょうど20通だった。わずか20通。それでも、大瀧さんはいつでもすぐ横にいるような気がしていた。

 大瀧さんは僕がツイッターやブログに書いたものをずっと読んでくれていて、「日本でこんなことを知っているのは大瀧さんくらいしかいないだろうな・・・」と思うトピックに言及すると、ほんとうに数分以内にメールが来た。だから、ナイアガラーにとっての最大の名誉は、「日本でこんなことを知っているのは大瀧さんくらいしかいない」ことを自力で発見して、大瀧さんからのメール認知を得ることである。僕は二度その栄誉に浴した。

 ひとつは2年前。ニール・ヤングの"Till the morning comes" は僕の耳にはどう聴いても「死んだはずだよお富さん」という春日八郎の『お富さん』のフレーズそのままに聞こえる。果たしてニール・ヤングが春日八郎を聴いた可能性ってあるのだろうかとそのときブログに書いた(そう思ったのは1970年のことなのだが、言葉にするまで33年逡巡の時があったのである)。そのときは大瀧さんからすぐにメールが来て、アーサー・ライマン・バンドの演奏するOtomi sanの映像がYoutube上にあると教えてくれた。見ると、たしかに『お富さん』を日本語まじりで長々と演奏していた。だが、大瀧さんはどうして半世紀も前のアメリカの売れないバンドのテレビ演奏画像の存在を知っていたのか。もしかすると、大瀧さんもあるとき「ニール・ヤングのあれは、もしかすると・・・」と思って、1945年カナダ生まれのロック歌手が9歳のときに日本で大ヒットした『お富さん』をどこかで聴いていた可能性について網羅的な調査を行ったのではないだろうか。大瀧さんが「網羅的」に調べるということは、その語の辞書的な意味において「網羅的」ということである。取りこぼしなしに、ということである。そして、このフレーズをニール・ヤングが知るためには、テレビでアーサー・ライマン・バンドの演奏を見る以外には可能性がないという結論に達したのである(その結論に達するまでにどれほどの時間を要したか、僕には想像もつかない)。でも、それだからこそ、僕が「もしかして・・・」と書いたときに文字通り電光石火の速さで「ニール・ヤングがこのテレビ放送を見ていた、という証言が得られれば、内田説にも信憑性が・・・。(笑)」というメールを送ってくれたのだと思う。大瀧さんがここで「内田説」と書いたのは、大瀧さんが一度仮説を立てて、その後放棄した膨大な「大瀧説」のひとつに僕が触れたことへの「ごほうび」だったのだと思う。

 もうひとつは、仕事をしながらBGMにデイブ・クラーク・ファイブを流していたら、『ワイルド・ウィークエンド』のイントロ部分に聞き覚えがあった。顔を上げて、もう一度聴いてみたら、大瀧さんが作曲した『うなずきマーチ』の冒頭のビートきよしの音程のいささか甘い独唱部分とそっくりなフレーズだった。二つの音源をYoutube で探してきてツイッターに貼り付けたら、大瀧さんからすぐにメールが来た。「この二つを結びつけられたのは内田さんが地球上で最初の人です。」

 つまり、大瀧さんは『ワイルド・ウィークエンド』を自作の「歌枕」にカウントしていなかったのである。それを知らされて、ちょっと残念ですと書いたら、すぐにまた返事が来た。

"残念"ではなく、本当に見事な"新解釈"なのですよ!あの曲の元ネタはThe Rivingtonsというグループの『papa-wom-mow-mow』です。これはポップス系のナイアガラーは周知のネタですが、作る際にメロディーが全く同じではマズイので"変奏"したわけですね。それがまさかDC5"ワイルド・ウイークイエンド"と同じになっているとは!今日の今日まで気がつきませんでした。確かに同じですね!こりゃ大笑い!DC5は何万回と聞いているのでどこかにそれがあったのかもしれません。しかしそれにしても"ビートきよし""マイク・スミス"とは!!!これは内田さん以外に提唱できない"超解釈"です。」

 大瀧さんからもらったメールの中でこれほどうれしかったものはない。そのとき、一瞬だけ、大瀧さんと同じ「歌枕」に立って、同じ方向を見ているような気がした。

 ご冥福をお祈りします。

 

(2014年『東京人』)

2022年

1月

13日

第1回飛鳥ハーフマラソンへの道 その2 ☆ あさもりのりひこ No.1105

12月23日(木)早朝、アントレ。

夜、トレッドミルでビルドアップ走、傾斜2%、30分、4.74㎞。

6分30秒/㎞、6分15秒/㎞、6分00秒/㎞で10分ずつ走った。

 

12月24日(金)早朝、テンポ走、39分41秒、6.57㎞、平均ペース6分02秒、総上昇量62m。

6分50秒、5分47秒、6分03秒、6分07秒、5分55秒、5分46秒、5分37秒。

 

12月25日(土)早朝、ジョギング、42分26秒、6.3㎞。

平均ペース6分44秒、累積上昇71m

7分11秒、7分08秒、6分20秒、6分34秒、6分30秒、6分43秒、6分33秒

 

12月26日(日)午前、飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社の階段552段を上る。

1時間47分19秒、14.91㎞、総上昇量367m、平均ペースは7分12秒。

1㎞毎のペースは7分24秒、7分05秒、6分43秒、7分09秒、7分48秒、7分08秒、7分14秒、10分19秒(階段)、6分50秒、7分07秒、6分22秒、6分29秒、7分02秒、6分37秒、6分37秒。

 

12月27日(月)早朝、走り出して、2分もしないうちに転倒した。

前に倒れて、また、顎を打った。

左膝も打ち付けて擦り剥けた。

出勤後、職場の近くのクリニックで顎を3針縫ってもらう。

夜は、接骨院で、顎・左膝・首に施術してもらう。

 

2019年8月25日(日)に「こけて」、顎を6針縫ってから、2年4か月。

また顎を縫うようなケガをした。

前回は6針、今回は3針。

半分になったからいい、というものではない。

左の膝頭が痛いのでしばらく走れそうにない。

これは「しばらく休みなさい」という啓示かもしれない。

 

2年前も今回も、あっという間に倒れた。

受け身も何もできなかった。

まさかこけるとは思ってもいないので、ショックであった。

だいたい2年から3年に1回くらいの割合で転倒している。

これで、あと2年はこけずに走れそうだ。

やれやれ。

12月28日(火)負傷して2日目。

首が少し重い。

左の膝が痛い。

特に階段の上り下りが辛い。

夜、接骨院へ行く。

 

12月29日(水)負傷して3日目。

夜、接骨院へ行く。

         

12月30日(木)負傷して4日目。

マスクを着けているので、顎の傷は目に付かない。

 

12月31日(金)負傷して5日目。

顎も首の痛みはない。

右膝も大丈夫。

左膝が階段を上り下りすると痛む。

         

1月1日(土)負傷して6日目。

顎に糸が入った状態で新年を迎えた。

走らない(走れない)年末年始は初めてだな。

いつも階段上りをしている神社に初詣。

 

1月2日(日)負傷して7日目。

左膝の痛みはだいぶ薄れてきた。

 

1月3日(月)負傷して8日目。

西薗美彌さんの「魔女トレ」を読み終わって、「魔女トレ」を一通りやってみる。

最初できなかったストレッチが、「魔女トレ」をやった後はできるようになった。

 

1月4日(火)負傷して9日目。

 抜糸。

 午前中に「魔女トレ」に取り組んだ。

 

1月5日(水)負傷して10日目。

夜、トレッドミルでジョギング、傾斜2%、30分、4.15㎞。

靴はアルトラ・エスカランテ・レーサー。

時速8.4キロ、1㎞7分00秒のペースで走った。

走ると、左膝が少し痛む。

本年の走り初めである。

 

1月6日(木)早朝、ジョギング、45分13秒、6.33㎞、総上昇量66m

7分19秒、7分37秒、7分01秒、6分57秒、6分55秒、7分07秒、6分55秒。

平均ペースは7分08秒。

左膝の痛みは少し残っている。

ロードの走り初めである。

 

1月7日(金)早朝、ジョギング、46分22秒、6.55㎞、総上昇量62m

7分06秒、5分59秒、7分07秒、7分14秒、7分01秒、7分08秒、6分55秒。

平均ペースは7分05秒。

まだ、走ると左の膝が痛むな。

 

1月8日(土)早朝、ジョギング、44分12秒、6.32㎞、総上昇量67m

7分23秒、7分30秒、6分49秒、6分45秒、6分44秒、6分50秒、6分41秒。

平均ペースは1㎞6分59秒。

走ると左の膝が少し痛い。

 

1月9日(日)午前、ジョギング、1時間20分31秒、11.38㎞、総上昇量111m、平均ペース1㎞7分06秒。

左膝に痛みが残っている。

 

1月10日(月・祝)午前、ジョギング、1時間50分49秒、15.782㎞、累積上昇234m、平均ペース1㎞7分01秒。

左膝の痛みは取れないが、2時間近く走れるようになった。

 

1月11日(火)夜、トレッドミルでジョギング、傾斜2%、30分、4.34㎞。

時速8.8キロ、1㎞6分45秒のペース。

 

1月12日(水)早朝、アントレ。

久しぶりに縄跳び200回。

 

1月13日(木)早朝、アントレ、縄跳び200回。

 

左膝の痛みはほぼ取れたかな。

2022年

1月

12日

内田樹さんの「大瀧詠一さんを悼んで」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1104

僕が大瀧詠一さんの音楽を最初に聴いたのは1976年の春のことだった。

 

 

2021年12月30日の内田樹さんの論考「大瀧詠一さんを悼んで」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

大瀧詠一さんがいなくなってしまった。ずっといてくれると思っていた人が不意にいなくなってしまった。「喪失感」という言葉には今の自分の気持ちを十分には託すことができない。だから、追悼文の寄稿を依頼されたけれど、何をどう書いていいかわからない。

 これまでも、大瀧さんについては何度も書いてきた。でも、それはいつも「これを大瀧さんが読む」ということがわかっていて書いたものである。大瀧さんについて僕が書いてきたものは、すべて大瀧さんを想定読者にして書かれている。大瀧さんについてよくご存じでない読者層に向けて、大瀧さんを紹介するような文章を書くときも、「大瀧さんはこれを読むに違いない」と思っていた。「うっかりしたことは書けない」という緊張感がいつもあった。

 僕は自分について書かれたものをほとんど読まない。別に意図して避けているわけではなく、ぼんやりしているだけなのだが、大瀧さんは自分について書かれたことを絶対に見落とさない。それについては確信がある。以前、「新春放談」で山下達郎さんも言っていたけれど、大瀧さんは「自分に関係がある」と思ったことについては一分以内くらいにメールをよこす人なのである。「いったいいつ寝てるんですか?」とそのときには山下さんがあきれたように嘆息していたけれど、ほんとうにそうなのだ。大瀧詠一さんは僕たち"ナイアガラー"にとってはまさに「遍在するまなざし」だったのである。

 何を大仰なと思う人がいるかもしれないけれど、まさにそうとしか思えない個人的経験がいくつもあったからこそ、僕らはそう信じ込んでしまったのである。僕たちにとって、大瀧さんはほとんど「神」に等しい存在だったのである。

 信仰を持つ者たちの前から「神」がいなくなるというのがどういうことか想像してほしい。それを「喪失感」とか「虚脱感」とか呼ぶことは無理だと思う。今僕は大瀧さんについて書いているわけだけれど、これは僕が生まれてはじめて書く「大瀧さんについて僕が書いたもので、大瀧さんがもう決して読んではくれない文章」なのである。

 大瀧さんは「あらゆるところに目配りをしている人」だった。とりあえず、僕ら"ナイアガラー"はそう思っていた。だから、「あらゆるものを見ている人」は当然ながら「いつまでもいる人」だと僕たちは無根拠に信じ込んでいた。もちろん、そんなはずがない。不意の病が大瀧さんを彼岸に拉致してしまった。

 僕たちは「遍在するまなざし」を失った。いくつかの領域(とりあえずはアメリカン・ポップスと日本映画、もちろん、それだけではない)における現代日本で最も信頼できる「めきき」を失ってしまった。僕はこれから一体誰を基準にものごとの良否を判断したらいいのか途方に暮れている。同じような人たちがたぶん日本国内には数千人規模で存在する。

 

 僕が大瀧詠一さんの音楽を最初に聴いたのは1976年の春のことだった。野沢温泉にスキー旅行に学生仲間で行ったときに、さあ麻雀をやろうというときに、一人がカセットデッキを持ち出して「麻雀を始めるなら、大瀧詠一をかけるぞ」と宣言して『楽しい夜更し』をかけた。それが僕の最初の「大瀧詠一経験」だった。その前も深夜放送ラジオで、はっぴいえんどは何度も聴いていたはずだし、岡林信康のアルバムにはっぴいえんどがバックバンドで参加したカセットテープは兄が持っていて車の中で何度も聴いていた。でも、そこからは『ナイアガラムーン』に類する衝撃は受けなかった。たぶん、音楽そのものより、僕はその批評性の鋭さと深さに反応したのだと思う。

『ナイアガラ・ムーン』に収録されたナンバーは1950年代から60年代にかけて、大瀧さんが小学生から高校生だったころに、それこそ浴びるように聴いたアメリカン・ポップスをドメスティックに解釈したものである。コピーではないし、パロディでもない。膨大な音楽的記憶が大瀧詠一という個人の身体を通過してしみ出した何かである。

 あるいは「歌枕」という文学上の現象に近いのかも知れない。歌人俳人は名所旧跡やいわくありげな場所を通りかかると、そこで一首一句詠む。そのようにして同じ場所で歌われた歌が蓄積する。だから、一番あとに来た詠み手は、そこでそれまでに読まれた全ての先行作品をふまえて自分の歌を詠むことになる。自分のオリジナルな一節を「歌枕」に置いて、次に来る詠み手に託す。そうやって先行世代に対する敬意と感謝を表現するのである。気が遠くなるほど長い歌の歴史の連鎖の中で、先行者から受け取ったものに、自分の味を付け加えて、後継者に手渡す。音楽というのは、そういう「パスワーク」だという自覚を大瀧さんははっきりと持っていた(今僕は「一番あとに来た詠み手」という文字を記していて、それが大瀧さんが「栄一」という本名を「詠一」と表記を改めたときに一瞬脳裏に去来したイメージではないかという気がした。「気がした」だけで何の根拠もないけれど)。

 1976年時点では、自分がどうして大瀧さんの音楽にこれほどつよく惹きつけられるのか、まだ理由がわからなかった。とにかくもっと聴きたかった。とりあえずスキー場から戻るとすぐに『ナイアガラ・ムーン』を買った。それからあとも新譜が出るたびにレコード店に走って、家ですり切れるほど聴いた。ラジオ関東で大瀧さんのDJ番組「Go! Go! Niagara」を放送していることを知ると、毎週深夜ラジオの前にみじろぎもしないで聴き入った。

 当時の僕はそのラジオ番組で大瀧さんがかける楽曲も、そこで言及されるアーティスト名もほとんど知らなかった。でも、これが「自分のための番組だ」ということについてはなぜか深い確信があった。大瀧さんは僕(とあと何人かの「選ばれたリスナー」)のためにこの放送をしているのだと僕は思い込んでいた。そして、大瀧さんから「これらの音楽を愛し、これらの音楽について私が語っていることを理解できるリスナーになるように」というはっきり教化的なメッセージを僕は受け取っていた。

 山下達郎さんとの『新春放談』、NHKFMでのDJ『日本ポップス伝』、『アメリカン・ポップス伝』、『スピーチバルーン』などの間欠的に行われるラジオ放送を録音したものを僕は車を運転しながらこの四半世紀ほとんどエンドレスで聴き続けた。聴いた時間はおそらく延べ数千時間には達しているだろう。だから、「その人の話を聴いている」時間数でいうと、過去の人も同時代人も含めて、大瀧さんを越える人は存在しない。

 耳から入った言葉は眼で読んだ文字と違って、身体に深く食い込む。だから、何かのはずみで大瀧さんがラジオで話していたのと「まったく同じ言葉づかい」で自分がしゃべっていることに気づくことがある。僕の話し方や、ロジックの立て方や、ある種の諧謔のかたちには、40年間聴き続けてきた大瀧詠一さんの「ヴォイス」が深々に刻み込まれているのだと思う(あまりに血肉化してしまっているので、自分ではもうどこまでが自分でどこから大瀧さんなのか、識別しようがない)。

 

 大瀧さんからの影響のほとんどはラジオの音声を介したものである。僕にとって大瀧さんは音楽家であるより以上にDJなのである(遺作となった「アメリカンポップス伝」で、「ロックンロールの時代はスターDJの時代でもありました」と語った大瀧さんの声が少しだけ感傷的に響いたのは、大瀧さんが自分自身を「歴史的使命を終えて舞台から消えてゆくDJ」に重ね合わせていたからではないかと思う)。

2022年

1月

11日

八木におにぎり屋さんOPEN@事務局より

皆さんあけましておめでとうございます。

 

年末年始の休み中、寒さのあまりこたつから抜け出せない状態(o_ _)でしたが、

今週も冬型の気圧配置が強まり、寒さがますます厳しくなりそうです。

首元や足元を暖かくして、体調を崩さぬよう気をつけましょうね!

 

 

さて、先週1月6日、

当事務所から徒歩3分のところにある「なかさお米屋」さんが、このたびおにぎり屋をOPENしました。

 

「なかさお米屋

 

住  所 〒634-0804

     奈良県橿原市八木町2丁目7-9

 

電話番号 0744-22-2174

営業時間   10:00-18:00

     (なくなり次第終了)

定 休 日  日・祝日

 

https://www.instagram.com/nakasao.komeya/

 

開店当日は、雪が降り、すこし吹雪いているような状態だったので・・・

翌日、裁判所へのお使いの帰りに偵察へ行ってきました(‘-‘*)

 

お店に着いたのは11時前でしたが、ショーウインドウに残っていたのは10個前後。

なんとかお昼用のおにぎりをGETできました。

 

おにぎりの種類は、

梅、鮭、明太子、おかか、高菜、牛しぐれ、ツナマヨ、スパムの8種類。

 

炊きたてのお米で握ったおにぎりは、やっぱり間違いない(*^_^*)

具材により、ちょっと塩味が強く感じるものもありましたが、お米がふっくらもちもちで、美味しかったです。

おにぎりはちょっと小ぶりなので、女性にも食べやすい大きさでした♪

 

今月は、オープン記念で10%offとのことですので、皆さんもお近くにお越しの際は

お試しあれ~(*^_^*)/

 

2022年

1月

07日

内田樹さんの「『アウトサイダー』についての個人的な思い出とささやかな感想」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1103

真に深刻な哲学的問題はただ一つしか存在しない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否か。それは哲学の根本的な問いに答えることである。

 

 

2021年12月6日の内田樹さんの論考「『アウトサイダー』についての個人的な思い出とささやかな感想」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

「アウトサイダー」という補助線を引くことで、コリン・ウィルソンはニーチェからドストエフスキーまで、ニジンスキーからブレイクまでを「同じ一つの籠」に入れてみせた。これは偉業という他ないと思う。

 たぶんこの書物を最も熱狂的に歓迎したのは、本国イギリスでもその他の国でも(15歳の私がそうであったように)「哲学の出題範囲」の確定を切望していた「知識人予備軍」の若者たちだったろうと思う。この本が1956年の英国でどのような人たちからどのような評価を受けたのかについて、私は出版史的知識を持たないが、おそらく誰よりもまず若者たちの支持を得たのではないかと思う。

 年代的に言ってそうである。当時のイギリスは「若者文化」の勃興期であった。文学・演劇の領域ではジョン・オズボーンやアラン・シリトーら「怒れる若者たち」が登場してきていた。アメリカからエルヴィスやバディ・ホリー、チャック・ベリーのロックンロールが入ってきたのはこの頃のことだ。16歳のジョン・レノンがポール・マッカートニーに出会うのが『アウトサイダー』の出た翌年だと言えば、その時期のイギリスの若者たちの気分がどんなものだったかわかる人にはわかるだろう。

 彼らは自分たちの新しい価値観に従って、万象をデジタルな境界線で二分割する作法に熱中していた。「ヒップかスクエアか」、「インかアウトか」、「コマーシャルかアートか」「ロックかロックじゃないか」、そういったいささか乱雑だが、爽快感あふれる斬り捌き方が若者文化を席巻しようとしているまさにそのタイミングにコリン・ウィルソンは登場したのである。

 素晴らしいことに、この青年はどんなアカデミックな教育とも無縁な独学者であった。昼間は英図書館で万巻の書物を読み、夜は公園で野宿していたこの「ホームレス哲学者」がなんと凡庸なアカデミシャンをはるかに凌駕する恐るべき博覧強記によって哲学史を一刀両断してみせたのである(「ロック」だ)。私がイギリスでの『アウトサイダー』のリアルタイムでの読者だったら、喜びのあまり手の舞い足の踏むところを知らなかったであろう。

 でも、若者たちだけではない。もう少し年長の知識人たちもコリン・ウィルソンの中に「イギリスの知的未来」についての希望を見たのではないかと思う。

 もしかするとコリン・ウィルソンは「イギリスのアルベール・カミュ」になるのではないか。そういう夢を見た批評家たちがきっといたはずである。というのは、二人の間にはたしかにいくつかの共通点が見出せるからだ。

『アウトサイダー』の出る15年前にカミュは『異邦人』という小説と『シーシュポスの神話』という近現代哲学を一刀両断する「哲学書」を携えてフランスの文壇に華々しく登場した。『シーシュポスの神話』はこんな言葉で始まっていた。

「真に深刻な哲学的問題はただ一つしか存在しない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否か。それは哲学の根本的な問いに答えることである。自余のことは、世界に三つの次元があるかどうかとか、精神は九つのカテゴリーを持つか十二のカテゴリーを持つかといったことはその後の話である。そんなのはたわごとに過ぎない。」

 同時代の哲学者たちが論じている問題のほとんどは「たわごと」である。だから、「それを否認すれば生かしてやるが、それを主張し続ければ殺す」という究極の選択を前にしたときにそれに殉じる覚悟の哲学者は一人もいるまいとカミュは憎々しげに言い放った。この本が出たとき、カミュは弱冠29歳。のちにサルトルに揶揄されるように、彼もまた哲学についてのアカデミックな教育とは無縁の人であった。

 1956年、コリン・ウィルソンが『アウトサイダー』で劇的なデビューを果たしたまさにその年、アルベール・カミュは史上最年少でノーベル文学賞を受賞し、ヨーロッパ中のメディアを賑わしていた。英国の少なからぬ数のジャーナリストや批評家たちが『アウトサイダー』のうちに『シーシュポスの神話』とのスタイル上の近似を認めたがったとしても、誰がそれを責められよう。

 現に、独学者には固有の「書き癖」があり、カミュにもウィルソンにも、それは共通していた。それはただ一つの鍵概念(カミュの場合は「不条理」、コリン・ウィルソンの場合は「アウトサイダー」)を手にして、古今東西の文学者・哲学者の仕事を「一つのものさし」でざっくりと類別してしまうという豪快な手法である。

 多くの人が指摘しているように、『アウトサイダー』はカミュの『異邦人』の英訳タイトルをそのまま借りている。そのことを勘案しても、コリン・ウィルソンがカミュを「ロールモデル」に擬していたということは十分吟味するに値する仮説だろう。二人とも下層階級の出身で、野心と反骨精神にあふれた貧しい若者である。それが大学教授たちの講壇哲学をおのれの拳ひとつで叩き壊そうとしている。

 だが、『シーシュポスの神話』と『アウトサイダー』の相似点はそこまでである。

 まず、カミュの本は残念ながら「現代哲学の学習指導要領」には使えないからである。引用が少なすぎるのである。カミュは自説の傍証として何か他人の言葉が必要なときには、書棚から適当な哲学書を選んで取り出し、ぱらりと開けばそこに自分がまさに読むべきことが書かれているはずだと思っていた(それくらいに自分の直感力を信じていた)。カミュはノートをとりながら哲学書を読むタイプではない。

 でも、コリン・ウィルソンは逆だった。彼は本職のアカデミシャンを知識量で圧倒する道を選んだ。やり方としてはウィルソンの方が手堅い。結果的にコリン・ウィルソンの本は引用の宝庫となった。

「アウトサイダーをめぐる」中心的な命題だけをまとめれば50頁で終わったはずの書物がその十倍の量になったのは、彼が実に多くの書物から大量の引用を行ったからである。それだけではない、コリン・ウィルソンは小説についてはそのあらすじを、人物についてはその伝記を実に細かく記してくれた(複雑な小説のあらすじをさらさらとまとめる技術と印象的なエピソードをつなげて立体感のある略伝を書き上げる技術においてコリン・ウィルソンは紛れもなく例外的才能の持ち主である)。おそらく彼は図書館で読んだ本の重要箇所をこまめに「抜き書き」したノートを作り、それを蔵書に代えていたのだと思う。その膨大な抜き書き作業に投じた時間に対する愛着が彼の書物を「引用の宝庫」にしてしまった。

 おかげで、『アウトサイダー』は「その一節を引用しさえすれば、その本全部を読んだことになるくらいに著者の思想とスタイルのエッセンスの詰め込まれた選び抜かれたフレーズ」で埋め尽くされることになった。そのことが、私たちのような、その本を全部読むだけの暇も根気もないが、何が書いてあるかは知っておきたい気ぜわしい若者たちにとってどれほどの恩恵であったかは贅言を要すまい。

 いずれにせよ、『アウトサイダー』は1950-60年代における最高のブックガイドだったと私は思う。私はコリン・ウィルソンの案内によって、その後ニーチェを読み、キェルケゴールを読み、ドストエフスキーを読むようになった。私の同世代の友人たちのあるものはTE・ロレンスを読み、あるものはニジンスキーを読み、あるものはブレイクを読むようになった。彼らは自分がなぜそのような本を読み始めたのか、理由を告げなかったが、私は彼らの書棚には必ずや『アウトサイダー』があったろうと確信している。

 

 それから45年経って、文庫版の解説のために『アウトサイダー』を再読した。そして、この本から後もコリン・ウィルソンの著作を長く追い続けた結果、彼が網羅的に情報を集めることは好きだが、それらを分析し考察を深めるという仕事には同じほどの情熱を示さない書き手であることを知ってしまった私としては、このデビュー作の完成度の高さにむしろ驚かされた。最初にこれほどのものを書いたのか、と。そして、セールス的にも、文学史的評価においても、ついにデビュー作を超えることができなかった多作な書き手のために一掬の涙を注ぐのである。

 残念ながら、『アウトサイダー』は『シーシュポスの神話』のように「現代思想の殿堂」入りを果たすことはできなかった。けれども、1950-60年代の世界の若者たちに、「哲学もロックすることができる」という心躍る思いを与えた。そのことだけでも、一冊の書物が知性の歴史に残した足跡としては十分語り継ぐに値する業績ではないかと私は思う。

 

 

2022年

1月

06日

2021年の放射線量、体組成、ランニング ☆ あさもりのりひこ No.1102

2021年の放射線量と体組成とランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

2021年12月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.0452μ㏜/h

室内0メートル 0.0452μ㏜/h

室外1メートル 0.0576μ㏜/h

室外0メートル 0.0724μ㏜/h

2021年1年間の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.0438μ㏜/h

室内0メートル 0.0446μ㏜/h

室外1メートル 0.0578μ㏜/h

室外0メートル 0.0714μ㏜/h

地表の1年間の平均値が0.07μ㏜/hを超えているな。

 

つぎに、朝守の身体について。

2021年1月2日の数値はつぎのとおり。

体重 70.9㎏

BMI 22.

体脂肪率 16.4%

筋肉量 56.2㎏

推定骨量 3.1㎏

内臓脂肪 11.

基礎代謝量 1618/

体内年齢 46才

体水分率 57.9%

2021年12月25日の数値はつぎのとおり。

体重 71.6㎏

BMI 22.

体脂肪率 16.5%

筋肉量 56.7㎏

推定骨量 3.1㎏

内臓脂肪 12

基礎代謝量 1634/

体内年齢 47才

体水分率 58.1%

1年経ってもあまり変わらないな。

 

最後に、2021年12月のランニングの結果。

走行時間 17時間06分09秒

走行距離 146.443㎞

2021年1年間のランニングの結果。

走行時間 216時間51分02秒

走行距離 1861.867㎞

春に帯状疱疹で1か月走れなかったのが影響している。

2022年は、走行時間240時間、走行距離2000㎞を突破したい。

 

 

2022年

1月

05日

内田樹さんの「『アウトサイダー』についての個人的な思い出とささやかな感想」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1101

「アウトサイダーは、事物を見とおすことのできる孤独者なのだ」「盲人の国では片眼の人間が王者である。が、この王権は、何ものをも支配しない」

 

 

2021年12月6日の内田樹さんの論考「『アウトサイダー』についての個人的な思い出とささやかな感想」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

私が『アウトサイダー』を手に取ったのは、1966年の秋のことである。そのときのことは半世紀近く経った今でもはっきり記憶している。この本の導きによって、私は知的成熟の一つの階段を上ることができたからである。その話をしよう。

 その年、私は都立日比谷高校という進学校の雑誌部という超絶ナマイキ高校生たちのたまり場のようなクラブの1年生部員だった。上級生たちはヘーゲルとかマルクスとかフロイトとかサルトルとか、そういう固有名をまるで隣のクラスの友人たちについて語るかのように親しげに口にしていた。私はそこで言及されている人たちについて、かろうじて人名辞典レベルの知識があるのみで、手に取ったこともなかった。ましてやその一節を適切なタイミングで議論の中で引用するというような知的離れ業は夢のまた夢であった。

 この圧倒的な知的ビハインドをどう克服すればいいのか、15歳の私はその手立てがわからぬまま呆然としていた。なにしろ私の中学時代の愛読書は山田風太郎の忍法帖とフレドリック・ブラウンのショートショートと『足ながおじさん』だったのである。今思えば、中学生としてはなかなかバランスのよい選書だったと思うが、それはクラブの先輩たちに「こんなのを読んできました」とカミングアウトできるようなラインナップではなかった。雲の上を行き交うような高踏的対話を横で立ち聞きしながら、自分のこれまでの読書が知的成熟とまるで無縁なものであったのかと私は深く嘆じたのである。

 とはいえ、当時の私は(信じがたいことに)向上心にあふれる少年であったので、とりあえず上級生たちの会話に出てくる難語のうち最も言及頻度の高い「弁証法」についてだけは、それがどういうものか知ろうと思った。そして、昼休みに3年生のイトウさんが部室で所在なげにしているのを好機に、勇を鼓して質問してみた。

「先輩、『弁証法』とはどういうものなんですか?」

 イトウさんはにこやかに笑って、「うん、それはいい質問だ。ウチダくんがキャッチボールをしているとするね。キミが投げた球がうっかり隣の家に飛び込んで、ガラスを割ってしまった。さあ、どうする?」

 私は意味がわからず、ぼおっと立っていたが、そのうち血の気が引いて、黙って部室を立ち去った。背中にイトウさんの甲高い笑い声が聞こえた。そのとき、二度と先輩たちの前で自分の無知をさらすことはすまいと心を決めた。

 まず柳田謙十郎の『弁証法十講』という文庫本を買ってみた。弁証法の辞書的な定義はわかったが、どう使っていいのかはわからない。やむなく続いて、マルクスの『共産党宣言』とさらにサルトルの『実存主義とは何か』を買った。こちらも意地である。

 だが、七転八倒してそのような本を読み通してみても、彼らが何が言いたいのかはやっぱりよくわからない。

「ヨーロッパに幽霊が出る。共産主義という幽霊である」といきなり言われても困る。ヨーロッパは行ったことがないし、共産主義はソ連や中共(と当時は略称されていた。今ではATOKでも変換されない)の国是と聞いているが、それがどうしてヨーロッパで幽霊になっているのか文脈がわからない。誰を相手にしてこの人たちはこんなに怒っているのか、それがわからない。「ブルーノ・バウアー」とか「ラロック中佐」って誰?

 何冊か本を読めば、先輩たちが何の話をしているのかわかるようになると思っていたが、こと志に反して、しだいに知識が身につくどころか、読むほどに知らない書名、知らない人命のリストが幾何級数的に増えてゆくばかりである。

 これではとても間に合わない。自分が何を知っていて、何をまだ知らないのかについての鳥瞰図を手に入れないと話にならない。

 いかにも受験生の考えそうなことである。「出題範囲」をまず確定してもらいさえすれば、その上で一マスごとに塗りつぶすように暗記してゆくことならできる。哀れな話ではあるが、15歳の私はそのような勉強法しか知らなかった。だから、哲学に向き合うときも、その方法しか思いつかなかった。そしてこう考えた。問題は「現代哲学の出題範囲」というか「現代哲学の学習指導要領」というか、そういう「哲学についてのトピックはだいたいここから出題されます」という大枠を示す情報がどこにもみつからないことである。さて、そのような情報はどこにゆけば手に入るのか。

 そんなある日、同じ雑誌部1年生のM田君が、一篇のエッセイを書いて編集会議に持参してきた。エッセイは1年生全員に課された宿題で、そのとき、私はジャズ喫茶についてのルポを書いていた(新宿のDIGとか銀座の69とかいう店の様子はどんなふうであるかをジャーナリスティックなタッチでレポートしたのである)。ところが同時に提出されたM田君のレポートには、サルトルとかカミュとかニーチェとかキェルケゴールといった名前がすらすらと引用されており、彼らは「アウトサイダー」という共通傾向によってカテゴライズされるのが妥当ではないかというようなことが書いてあった。

 私たちは驚倒して絶句した。ふだん温顔でおとなしいM田君にこれほどの教養があるとは思いも寄らなかったからである。上級生たちも「哲学がわかる1年生」の突然の出現にいささか気色ばんでいた。

 でも、なんか変だ、と私は思った。どうも、ふだんの彼の話題とエッセイの中身に隔たりがありすぎる。それに「アウトサイダー」という言葉は高校生が普通名詞として使うにはあまりに鮮やか過ぎた。

 私は頭上に疑問符を点じたまま下校した。当時、私の家は目蒲線の下丸子というところにあった。多摩川沿いのぱっとしない工場街である。町には一軒だけ本屋があり、その大衆小説と雑誌しか置いていない間口一間奥行き二間くらいの店に私は駅から家に戻る途中に、なぜか寄り道した。目的もなく書棚の背表紙を目で追っているうちに、『アウトサイダー』という書名が目に飛び込んできた。私は雷撃に打たれた。

 手に取って、ぱらぱらとめくると「アウトサイダーは、事物を見とおすことのできる孤独者なのだ」「盲人の国では片眼の人間が王者である。が、この王権は、何ものをも支配しない」というようなポエティックな断言がちりばめられている。

 これだ、と私は確信した。M田君はこれを読んだのだ。私はその茶色の土偶のようなものが表紙に描かれた『アウトサイダー』を不機嫌な顔の店主からひったくるように買い求め、そのまま払暁に至るまでむさぼるように読んだ。最後まで読み終えるまでに三日とかからなかったと思う。そして、読み終えたときに、私は深い満足感と、一抹の寂しさを感じていた。

 うれしかったのは、この本が私の久しく待望していた「現代哲学の学習指導要領」(それもきわめて出来のよい)だったからである。寂しかったのは、おそらくはあの先輩たちもこれに類した「参考書」をひそかに自分用に持っており、(誰にも教えずに)哲学者たちの名前と引用句をそこから拝借して読んだような顔をしているのではないかという疑念にとらえられたからである(事実、一年後に私自身が新入生たちに先輩風を吹かせるようになったとき、私は「読んでもない本を読んだような顔をする」技術にすっかり習熟していた)。

 これは「教科書」として読むべき本だろう。私はそう思った。ただし、きわめて強い個人的バイアスのかかった教科書である。

 

 バイアスがかかっていることは知識を得る上では少しも障害にならない。現に、山川出版の『詳説世界史』は唯物史観に貫かれているがゆえに、歴史事実を「価値中立的に」記述した世界史の教科書よりはるかに読みやすく、それゆえ歴史の知識を得る上で効率的であるではないか。

2021年

12月

27日

内田樹さんの「寺子屋ゼミ後期オリエンテーション「コロナ後の世界」(その5)」 ☆ あさもりのりひこ No.1100

自分がナショナリズムという取り扱いの難しいものを操作しているということに対する警戒心と、疚しさと、ある種の含羞を感じながら、ていねいにこの装置を使う。

 

 

2021年11月23日の内田樹さんの論考「寺子屋ゼミ後期オリエンテーション「コロナ後の世界」(その5)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 後期では、コロナの前後でどんな変化が起きたか、その変化はどういう意味をもつのか、あるいは社会をどう変化させるべきか、などを含めて自由に語っていただくようお願いしたい。みなさんの興味があってよく知っている分野、多様な分野ということですが、もっと専門的な話でもかまいません。僕と同じように大風呂敷を広げて「コロナ後の世界はこう変わる」と未来予測して頂いても結構です。また、これからアメリカはどうなる、中国は、EUは、と国家や地域を取り上げてスケールの大きい話をしていただいても結構です。

 今日のオリエンテーションの話はこんなものです。ご質問なりご感想なりあればお聞きしたいと思います。まずフロアのほうから。伊地知さん、お願いしますよ。

 

(伊地知さん)

 はい、内田先生がいま話されたなかで、ナショナリズムと呼ばれるのはトライバリズムじゃないかという部分は、わたしもすごく感じるところです。韓国の対外的な観光戦略の話ですけど、ソウルの観光キャッチフレーズとして採用されたのは「オギオンチャ」といって、昔から慣れ親しまれている固有語の掛け声なんです。意味は「よいしょ」とか「えんやこら」。ある都市を象徴するフレーズとしてそういう翻訳の不可能な表現を選んだことに、いまの韓国の自信が表れていると感じました。韓国だけでなく、近年、経済力をつけてきた国々にナショナリズムやそれがつくり出した排外主義が広がって、問題になってきています。

 もうひとつ、朝鮮半島に関係することを勉強しているので在日コリアンの友人が多いんですが、日本国籍をとった方のなかで、選挙に出馬しようという動きがある。それも一人で出るのでなく、違う出身国の方たちが連動するかたちで。歴史的な背景は必ずしも共有できないけど、「こんなに大勢いるんやから、いまのままやったらまずいやろ」という思いが共有されるようになってきたこともあります。旧植民地出身者のもつこだわりがそこで試されるし、むろん日本社会も試されます。そういう現象が生まれた背後には、これまでのナショナリズムの議論で語られなかった日本の姿を求める人たちがいるんだなぁと......

 

(内田先生)

 うん、それは興味深いですね。ありがとうございました。じゃあ、髙本さん。

 

(髙本さん)

 わたしの身近なところでも、いまコロナで弱い人たちにしわ寄せがきていると感じます。たとえば、学校教育の場で集団に適応できない子どもたち、発達障害といわれる子どもたち、その保護者の方々。不安定な雇用とかさまざまな困難を抱えて働く女性たちの、もうヤバい、みたいなメンタリティのありようもひしひしと伝わってくる。それでもみんな頑張っているけど、新政権が「もう大丈夫」といわんばかりのメッセージを発して、そういう人たちの間に燃え尽き症候群のような症状が出てくるんじゃないかと、すごく心配しています。

 一方で、ズームなどオンラインの新しい文化に適応できた人たちのなかでは、場所の制約を超え、共通の問題意識をもって、ていねいに対話しようという動きが始まっている。わたしはオープンダイアローグの実践を広げようとしていて、とてもいい兆しをみています。

 発表されるみなさんには、「こんなふうに希望もあるよ」とか「こういうところを見てほしい」という現場からの声を聞かせていただきたいと願っています。とくに、教育現場の方のお話をうかがいたいです。はい、今日の感想でした。

 

(内田先生)

 ズームの方たちは? 誰か手を挙げていますか?

 

(渡邉さん)

 内田先生のなかでは、ナショナリズムが逆の意味に解釈されているようですが......。ナショナリズムより範囲を狭めて、もっと地域を重視した愛郷主義、パトリオティズムと言ったほうが地方分権の時代にはふさわしいのでは、と。内田先生のようなナショナリズムの理解のしかたには、やはり違和感があるような気がするんですけど。

 

(内田先生)

 国民国家というのは政治的な擬制、フィクションですよね。とりあえずこれを足場にして、もうちょっと使い延ばしてゆくしか手がないと思っているんです。国民国家を結束させて、国民に政治的なエネルギーを備給する装置がナショナリズムです。でも、扱いが非常に難しい。すぐ暴走するし、気を緩めると簡単にトライバリズムに劣化してしまう。だけど、僕はここから逃げちゃいけないっていう気がするんです。自分がナショナリズムという取り扱いの難しいものを操作しているということに対する警戒心と、疚しさと、ある種の含羞を感じながら、ていねいにこの装置を使う。「うつむき加減のナショナリズム」というか()。多くの人たちがそういうマインドを熟成させて、「うつむき加減のナショナリスト」になってゆくのが着地点としては健全かなという気がしているのですけど、どうでしょう......

 

(渡邉さん)

 わたしとしては、東京オリンピック・パラリンピックで日本社会が本当の意味で分岐点を超えちゃったという感じがあります。なので、コロナ後のオリンピックを取り上げたい、と。12月ぐらいに発表できれば、と思います。

 

(内田先生)

 

 ありがとうございました。では、6時半になりましたので、これから先の担当者を決めて、お開きにしたいと思います。

2021年

12月

24日

内田樹さんの「寺子屋ゼミ後期オリエンテーション「コロナ後の世界」(その4)」 ☆ あさもりのりひこ No.1099

「公共のために身銭を切る市民」が登場したことで近代は成立したのだとすると、「私利私欲のために公共財を盗み、公権力を私用に供する人」たちが公職を占め、統治機構を支配し、企業活動をしている社会はまっすぐ「近代以前」に退化していることになる。

 

 

2021年11月23日の内田樹さんの論考「寺子屋ゼミ後期オリエンテーション「コロナ後の世界」(その4)」をご紹介する。

どおぞ。

 

  

 コロナ後の世界がどうなるのか。今は分岐点であるというのが僕の認識です。これまで当然とされていた多くの仕組みに疑問符が付けられ、良い方に変わるか、悪い方に変わるかの分岐点に立っている。

 例えばナショナリズムはどちらに転ぶかで良くも悪くもなる。ナショナリズムの復活はグローバル資本主義を抑制するという点では良いけれども、国民国家の壁が再構築されて、世界が分断され、すべての国々が「自国ファースト」を言い立てるようになり、国際協調が進まなくなると、これは良くない。でも、世界はいまこの方向に向かっている。

 先日、名古屋で講演をした折、フロアの方から「ポストモダンの次にどんな世界がくるのでしょう?」というずいぶん本質的な質問がありました。「ポスト・ポストモダンの時代」とはどういうものになるのか。

 ポストモダンの時代は、近代を駆動してきた楽観論が失われた世界です。近代の物語というのは、ある種の進歩史観に導かれていました。人類は多少の曲折はありながらも、総じて良い方向に進み、誰もが幸福で豊かな生活を営む平和な世界に向かっているという「大きな物語」が近代の通奏低音でした。でも、ポストモダンの世界になって、その物語が否定された。代わりに登場したのが、「歴史に目標はない」「人類は別に進歩していない」というかなりニヒリスティックな歴史観でした。

 すべての人は主観的なバイアスのかかった世界しか見ることができない。他者の目から見える世界がどのようなものであるかを僕たちは知ることができない。だから、誰も自分が見ている世界こそが「客観的現実」であると主張する権利はない。このポストモダンの思想は、自分の目に見えるもの、自分が経験していることの客観性を過大評価することを戒めるという点では健全なものだったと思います。けれども、ポストモダンの思想はそれにとどまらず、さらに暴走して、「客観的現実」などというものはどこにも存在しないというところまで行ってしまいました。だから、みんな自分の好きなように「自分にとって都合のいい現実」のうちで安らいでいればいいという話になった。

 トランプの大統領就任式の時に、「過去最多の参列者が集まった」というホワイトハウスの報道官の嘘について、大統領顧問がそれは「もう一つの事実(alternative fact)」だと強弁しました。人はそれぞれ自分の好きなように世界を眺めている。そこに真偽の差はないという考え方が公的に言明されたのです。

 ナショナリズムの劣化したかたちはたぶんそういうものになると思います。「私たちには世界はこう見える」という人たちがそれぞれ異なる世界像にしがみついて、他の人たちと世界像の「すり合わせ」をするという努力を放棄する。

 となると、「ポストモダンの次」に来るのは前・近代だということになります。あり得ると思います。世界が「中世化」する。コロナ後の世界について考える時の最悪のシナリオがこれです。でも、今世界で起きていることを見ると、前近代に退行している徴候が至るところに見られます。

 前近代から近代への移行を可能にしたのは、「公共=コモン」という概念の誕生だったと僕は思っています。万人がおのれの自己利益だけを求めて行動するという「万人の万人に対する戦い」という前近代的状況では、誰も自己利益を安定的に確保することができません。弱肉強食の無法の社会では、つねに誰かに私財を盗まれ、誰かに私権を奪われるリスクに怯えながら暮らさなければならない。それよりは、一人ひとりが私権の制限を受け入れ、私財の一部を公共財に供託することで、「国家という公共」を立ち上げ、それに従うことによって、長期的・安定的に自己利益を確保する、というのが近代市民社会のアイディアでした。ホッブズもロックもルソーも、そういうロジックで近代市民社会における「公共」の必要性を根拠づけました。

 でも、今の日本社会で観察されるのは、それとは逆のふるまいです。政治家も官僚もビジネスマンも、公共財をせっせと私物化し、公権力を自己利益のために利用している。私財を投じて、私権の制限を受け入れて、それによって公共を手作りで立ち上げるというような行動をする人間は日本の指導層にはもう一人も見当たりません。他人に向かってうるさく「私財を差し出せ、私権の制限を受け入れろ」ということは要求するのに、自分の身銭を切って公共を立ち上げ、機能させようとしている人間は「公人」の中にはもうほとんど見当たらない。

「公共のために身銭を切る市民」が登場したことで近代は成立したのだとすると、「私利私欲のために公共財を盗み、公権力を私用に供する人」たちが公職を占め、統治機構を支配し、企業活動をしている社会はまっすぐ「近代以前」に退化していることになる。

 

 公共に命を吹き込み、行きすぎたグローバル資本主義や個人の貪欲を制御するためには、穏健な「人間の顔をしたナショナリズム」が必要ではないかと僕は考えています。

 ナショナリズムは国民国家という政治幻想に基づくイデオロギーです。ですから、ナショナリストは国境線の内側にいる「国民」たちについては、その全員を「同胞」として受け容れ、支援する義務を負っています。それがナショナリズムの「約束」です。日本人だというだけで、つい「ひいき」にしてしまう。そういう偏りがナショナリズムの心理的基礎をなします。だから、まずは同胞がちゃんと飯が食えているかどうかを気づかい、同胞が健康で文化的な生活ができているかどうかを心配する...というのがナショナリストの本来のあり方であるはずです。そういうナショナリストが政治指導者であるなら、たいへん結構なことだと思います。

 でも、今の日本で「ナショナリスト」と呼ばれている人たちは、「日本人をひいきにしている」わけではありません。彼らは日本人すべてに同胞的な親愛の情を抱いているわけではありません。国民を自己都合で分断して、自分の支持者、自分の味方、自分の身内を「ひいき」にして、自分の敵、反対者、他人は日本人であっても気づかわない。だとしたら、それは「ナショナリスト」という呼称には適しません。それはナショナリズムではなく、「部族主義(トライバリズム)」です。僕は、ナショナリズムという言葉を誤用して欲しくない。いまのネトウヨとか「保守派」と呼ばれている人たちは、右翼でも保守でもナショナリストでもなく、ただの「部族主義者」です。

 世界に目を向けると、安定した基盤の上に立つ国はほとんどありません。どの国もギリギリのところでバランスをとっていて、ある方向に傾くと、崩れそうなリスクを抱えています。国だけでなく、社会的なセクターもわずかな入力の変化で、大きく変質したり、瓦解したりする可能性がある。でも、それは見方を変えれば、「チャンス」でもあるわけです。これまで固定的でびくともしなかったシステムがコロナをきっかけにぐらりと揺らいだ。もしかすると、あと一押しで転がすことができるかも知れない。

 

 

2021年

12月

23日

第1回飛鳥ハーフマラソンへの道 その1 ☆ あさもりのりひこ No.1098

12月13日(月)休足。

左足の甲の外側と右膝の外側が痛い。

両腿の内側も張っている。

階段を降りるとき、右膝の外側が痛む。

 

奈良マラソンの試走と本番で失速し始めた距離と時間を確認してみる。

10月24日 23㎞ 2時間39分49秒

11月7日  26㎞ 2時間50分05秒

11月21日 23㎞ 2時間46分37秒

12月12日 21㎞ 2時間20分10秒

距離にすると、21㎞から26㎞の間で失速が始まっている。

時間にすると、2時間20分から2時間50分の間で失速が始まっている。

距離でフルマラソンを前半(14㎞まで)中盤(28㎞まで)後半に3分割すると、28㎞を過ぎてから後半の14㎞を1㎞6~7分で走る力がない。

時間では、3時間を超えて1㎞6~7分で走る力がない。

距離でいうと28㎞を過ぎてから、時間でいうと3時間を過ぎてから、いかに走ることができるか、が問題である。

28㎞を過ぎてから、3時間を過ぎてから、1㎞6~7分で走るにはどうすればいいのか、が問題である。

 

12月14日(火)休足。

安藤大(ひろし)さんからメールでアドバイスをもらう。

「レース前も普段どおり走って過ごす」

「5時間切りなら1㎞7分前後のペース」

どちらも考えなかったことだ。

参考になるな。

 

12月15日(水)休足

安藤さんとメールのやり取り。

「5時間切りであればおよそ7分前後ペース、マラソンはそのイーブンで走らなければなりません。」

希望が見えてきた。

 

12月16日(木)休足

安藤さんのメール。

「一番のメンタルは「練習に裏付けされた自信」です。」

朝守の奈良マラソン2021の結果は「練習に裏付けられた過信」であった。

 

12月17日(金)休足

 

12月18日(土)早朝、アントレ

久しぶりに安藤さんから教えてもらったトレーニングをした。

 

12月19日(日)午前、ジョギング、1時間20分21秒、11.56㎞。

平均ペース6分57秒/㎞。

 

12月20日(月)早朝、階段598段、51分49秒、7.02㎞。

平均ペース7分23秒/㎞。

 

12月21日(火)早朝、ジョギング24分16秒、3.4㎞、ウインドスプリント200m×10本、合計42分52秒、6.256㎞。

5分08秒、4分45秒、5分11秒、4分41秒、4分46秒、4分49秒、4分32秒、4分11秒、4分48秒、4分17秒。

 

12月22日(水)早朝、坂道ダッシュ400m×3本、54分15秒、7.666㎞、累積上昇166m。

 

坂道ダッシュのペースは、6分04秒、6分01秒、5分46秒。

2021年

12月

22日

内田樹さんの「寺子屋ゼミ後期オリエンテーション「コロナ後の世界」(その3)」 ☆ あさもりのりひこ No.1097

子どもたちが好きなことを、好きなように学ぶことができて、自分の潜在能力を思う存分発揮できるような環境を提供すること。

 

 

2021年11月23日の内田樹さんの論考「寺子屋ゼミ後期オリエンテーション「コロナ後の世界」(その3)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 もう一つ前景化してきたのが、「教育のアウトソーシング」です。コロナ2年目に入って、そのことが骨身にしみた人も多いと思います。僕はこれまで教育現場で90年代から「教育は海外にアウトソーシングできる/アウトソーシングすべきだ」という声が広がっていることに不安を感じていました。

 1991年に大学設置基準の大綱化がありました。少子化に伴って、大学の淘汰が始まった。その時に文科省はどの大学が生き延び、どの大学が退場するかを決定することを「市場に委ねる」という決断を下しました。明治以来日本の教育行政は「いかにして良質な教育機関を作り出すか。いかにして国民にできるだけ多くの就学機会を保障するか」という目標をめざしてきました。話は簡単でした。ところが人口減が始まり、教育機関を淘汰しなければならなくなった。でも、文科省は「学校を増やす理屈」はいくらでも出せるけれど、「学校を減らすロジック」は手持ちがない。仕方がないので、「市場に丸投げ」することにした。どの学校が生き延び、どこが消えるかは「消費者」が決めるべきだというビジネスのロジックにすがりついたのです。

 この時点で日本政府は「国内に世界レベルの高等教育を維持する」というモチベーションを失いました。というのは、市場では商品サービスの価値を決定するのは消費者だからです。どれほど良質な商品でも買い手がいなければ市場から消えるし、どれほどジャンクな商品でも市場が歓迎すれば生き延びる。「市場は間違えない」というルールに従うならば、学校は「市場に好感される教育商品」の提供に専念するしかなくなる。

 そのように教育に市場原理が導入されたことの当然の帰結として、「教育のグローバル化」が始まった。英語で授業をして、外国人教員を雇い、海外提携校に留学生を送り出し、留学生を受け入れるということが熱心に進められました。でも、それは言い換えると、世界中どこでも、好きな学校で好きな学習機会を「買う」ことができるということです。「必要なものは、必要な時に、必要なだけ市場で調達すればいい」ということは、言い換えると国内にさまざまなレベルのさまざまな種類の学校を揃えておく必要はもうない、ということです。世界最高レベルの教育が受けたければ、欧米にいくらでもある。学力が高くて経済力のある子どもはハーヴァードでも、オックスフォードでも、スタンフォードでも、北京大学でも、そこに行けばいい。そういうふうに豪語する人が21世紀に入ってから増えてきました。それが気がつけば支配的な世論になっていた。でも、それは言い換えると、日本国内に世界レベルの教育機関をわざわざ高いコストをかけて作る必要はないということです。アウトソースできるものはアウトソースすればいい。

 その結果、実際に上流階層では、子どもたち中等教育の段階からヨーロッパのボーディングスクールやアメリカのプレップスクールに送り出すことが流行しています。自分の子どもたちには欧米でレベルの高い教育を現に受けさせている人たちが日本の教育制度を設計しているわけですから、国内の教育レベルは当然下がります。日本の教育制度は「ダメだ」という判断を下したからこそ、海外に留学させたわけですから、その判断が正しいことを証明するためには、日本の教育が「見限るに十分なほどダメである」という現実を創り出すのが一番確実です。だから、エリート教育は海外に丸投げすればいいと主張する人たちは、国内の学校については「低賃金で、長時間労働を厭わず、辞令一つで海外に赴任するようなイエスマン社員」を大量生産することに特化すればいいとなげやりな態度を示す。ですから、学校教育に対する公的支援はこの四半世紀減り続けています。もう日本の大学を世界レベルに高めるというモチベーションは日本のエスタブリッシュメントにはありません。

 でも、明治初年に近代教育が始まったとき、明治政府が目指したのは、日本の大学で、日本人教師が、日本語を使って世界標準の内容の授業を行うことでした。そして、わずか一世代でその目標を達成した。それによって日本の近代化は達成された。

 現在でも日本では、学術論文を日本語で書いて博士号をもらえます。日本語で世界レベルの学術情報が発信受信できる。これは欧米以外の国では稀有のことです。しかし、「教育のアウトソーシング」はその明治以来の伝統を否定する。日本の将来を考えると、これはきわめて危険なことです。

 母語で高等教育を行うことのできる国でしか、学術的なイノベーションは起きません。イノベーションというのは、新しいアイディア、新しい言葉から生まれるわけですけれども、僕たちは新語(ネオロジスム)を母語でしか作れない。母語から生まれた新語は、口にした瞬間に母語話者には誰でもその微妙なニュアンスがわかる。はじめて聞いた言葉なのに、意味がわかる。それは母語から生まれたものだからです。

 僕たちにとっての母語は数千年前から日本列島で暮らした人たちが口にし、書いて来た言葉です。それはすべての日本人の記憶の底に深く沈殿しています。だから、その奥底から泡が湧き出るように出てきた言葉は、新語であっても意味が理解できる。それは外国語では起きないことです。僕らが英語で新語を思いついて、口にしても「そんな言葉はない」と言われるだけです。

 何年か前、池澤夏樹さんから頼まれて、吉田兼好の『徒然草』を現代語訳したことがあります。『徒然草』なんか、高校時代に教科書で少し読んだだけで、全文を通して読んだこともないし、古文も受験以来やっていませんから、できるかなと不安でしたけれども、古語辞典を片手に現代語訳をしてみたら、これが何とか訳せた。吉田兼好は800年も前の人ですけれど、兼好法師も僕も、同じ日本語話者です。現代日本語も兼好の時代の日本語も「根は同じ」です。だから、初めて使われる新語が理解できるのと同じ理屈で、もう使われなくなった古語も理解できるということが起きる。兼好法師が言いたいことは、かなり微妙なニュアンスも含めてなんとなくわかるんです。なるほど「母語を共有する」というのは、こういうことかと思いました。

 母語話者はこの母語の数千年分の蓄積すべてにアクセス可能なのです。もう使われなくなった言葉も、まだ使われていない言葉も、そこにアーカイブされている。そこから実に豊かなものを引き出すことができる。

 村上春樹さんが長い海外生活を切り上げて日本に帰ってきた時に「英語では小説が書けないということがわかったから」と言っていましたけれど、そうだと思います。どれほど英語がうまくて、会話も文章も不自由なくても、英語を母語としてない人間には、英語のアーカイブへのアクセスがきびしく制約される。だから、英語で「まったく新しいアイディア」を語ることはきわめて困難なのです。

 日本人のノーベル賞受賞者は自然科学分野だけで25人いますけれど、これだけの数の受賞者を出している国は欧米以外では日本だけです。中国は自然科学分野では3人、台湾が2人、韓国はゼロ、ベトナムもフィリピンもインドネシアもゼロです。どこの国でも大学院レベルでは自然科学の論文は英語で書かれていると思いますが、母語で英語と同じレベルの学術情報のやりとりができる環境があるかどうかがこの差を生み出していると僕は思います。

 母語で世界最高レベルの研究教育を行うことができるような環境整備は国力を維持するうえで必須であるということはこの事実からも分かると思いますが、そういうことを言う人は今では少数派になっています。でも、今回、パンデミックで2年近く留学生の送り出し、迎え入れができなくなったことで、「教育のアウトソース」というのがいかに危ういものであるかが明らかになりました。

 学者でも、アーティストでも、科学者でも、ビジネスのイノベーターでも、それぞれの分野で世界レベルの人間をどうやって作り出すか。答えは別に難しいものではありません。子どもたちが好きなことを、好きなように学ぶことができて、自分の潜在能力を思う存分発揮できるような環境を提供すること。それに尽きます。そういう仕組みを整えておけば、誰もコントロールしなくても、世界の第一線で活躍する人間は自ずと出てきます。別にとんでもないコストがかかる事業ではありません。

 

 アウトソーシングしてはいけないものは、医療と教育以外にもあります。食料、エネルギーなどがそうです。人間が集団として生き延びてゆくために必須のもの、国の安全保障の根幹にかかわるものはそうです。それなしでは生きてゆけないものは原則的には「自給自足」をめざすべきです。自給自足は困難でしょうけれども、それをめざす努力を止めてはならないと思います。