〒634-0804

奈良県橿原市内膳町1-1-19

セレーノビル2階

なら法律事務所

 

近鉄 大和八木駅 から

徒歩

 

☎ 0744-20-2335

 

業務時間

【平日】8:50~19:00

土曜9:00~12:00

 

2024年

7月

26日

内田樹さんの「近代市民社会の再興のために」(その3) ☆ あさもりのりひこ No.1553

日本を壊しているのは日本人自身です。「自分さえよければそれでいい」という人たちが日本の公共を壊している。

 

 

2024年7月21日の内田樹さんの論考「近代市民社会の再興のために」(その3)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

―欧米と同じように、日本もグローバル化の影響で国民国家の枠組みが動揺しています。

 

内田 日本は「縁故主義」(nepotism)と「部族民主主義」(tribe democracy)のせいで、今や「三流独裁国」に転落しつつあります。自民党の世襲議員たちは縁故がらみの部族を形成して、国民から供託された公権力を私利のために用い、公金を私物化しています。でも、そんな無法ができるのは、エスタブリッシュメントのメンバーたちがお互いに融通を図り、連携を密にして、相互扶助ネットワークを形成しているからです。

 一方、貧しい国民は「自己責任」を求められ、分断し孤立しています。奇妙な話ですが、豊かな人たちはしっかり相互扶助の仕組みを作り、その恩恵を享受しているのに対して、貧しい大衆は苛烈な競争に投じられ、お互いの足を引っ張り合い、公共財の分配に与ることができず、政治的に無力な状態に釘付けにされている。

 この点を見落としている人が多いのですが、今の日本は二つの集団原理が並行して存在しているのです。エスタブリッシュメントはしっかり相互扶助ネットワークを形成して、メンバーの政治的・経済的リスクをカバーしている。そのおかげで法を犯しても処罰されず、裏金を懐に入れても課税されない、どれほど失政をしてもメディアは報道しない・・・という仕方で特権を享受している。それに対して、貧しく無力な大衆たちには「勝った者が総取りして、負けたものは自己責任で路頭で野垂れ死にするしかない」という新自由主義イデオロギーが選択的にアナウンスされている。

 勘違いしている人が多いのですが、権力と財貨を占有するエスタブリッシュメントは「新自由主義」イデオロギーなんか信じていませんよ。これは「貧乏人向け」のイデオロギーなんです。エスタブリッシュメントの方々は職業選択の自由も移動の自由も言論の自由も断念して、部族に忠誠を誓い、部族から命じられた役割を忠実に演じ、その代償として権力と富の分配に与っている。彼らは自分たちだけの「小さな公共」をとても大切にしている。ブルジョワジーは連帯し、プロレタリアは孤立させられている。昔からずっとそうなんです。だからマルクスは『万国のプロレタリア、連帯せよ』と呼号したんです。ブルジョワジーが国境を越えて連帯しているのに、プロレタリアが孤立してたら勝ち目がありませんからね。

 今の日本のように国民の多数が貧しく、政治的に無力な状態に置かれると、たしかに統治コストは安く上がります。支配層が公共財を私物化しても、公権力を私事に利用しても、異議を申し立てる人がいない。「エスタブリッシュメント」にしてみたら、まことに暮らしやすい社会です。でも、そんな社会からはもう「新しいもの」は何も生まれてきません。どんどん国力が減退してゆくだけです。今の支配体制が続けば、日本の国際社会におけるプレゼンスは底なしに低下してゆくでしょう。でも、エスタブリッシュメントはそんなこと別に気にしていない。彼らにしてみたら国なんてどうでもいいんです。まだ日本にはいくらでも「売れるもの」がある。土地も売れるし、観光資源も売れるし、水も売れるし、社会的インフラも売れる。それを外資に売り払って私財に付け替えていれば、日本が沈む時に、自分たちだけはハワイでもシンガポールでもカナダでも逃げ出して、日本を売った代価で孫の代くらいまでなら優雅に暮らせる。だからだいぶ前から「泥船」から逃げ出す準備だけはしてますけれども、ぎりぎりまで「泥船」に踏みとどまって、持ち出せる限りの財宝を持ち出して、自分たち専用の「救命ボート」で逃げ出すつもりでいる。

 もう「日本」という政治単位そのものの土台が崩れようとしている。排外主義の亢進はその「国が壊れる」ことへの恐怖心が生み出したものですが、別に移民や外国人が日本を壊しているわけではありません。日本を壊しているのは日本人自身です。「自分さえよければそれでいい」という人たちが日本の公共を壊している。

 中国脅威論や移民亡国論のような排外主義的な言説がこれからますます盛んになるでしょう。でも、何より許しがたいのは、公権力を私的に利用し、公共財を私物化してきた自民党が国民に向かって「愛国心が足りない」などと言っていることです。どの口が言うのか。

 本当に愛国心を涵養したいのなら、「世界のどの国にも住みたくない。何がなんでもこの国で暮らしたい」と全国民が思えるほど居心地のよい国を作ればいい。それなら国民は自分の国を守るためになら何でもしようと思いますよ。税金だって喜んで払うし、国旗にも敬意を示す。愛国心はプロパガンダで生まれるものじゃない。

 それに日本はまだまだ捨てたものじゃありません。北九州で「抱僕」というホームレス支援活動をしている奥田知志牧師、大阪で「D×P」という10代の少年少女を支援している今井紀明さんなど、全国各地で心ある人々が身銭を切って「公共」を立ち上げ、見返りを求めないで相互支援ネットワークを手作りしている。

 今起きているのは「前近代への退行」「公共からの撤退」です。だから、僕たちが目指すべき方向は明らかです。「近代市民社会」の理念に回帰して、「公共」を再構築することです。ただし、それはエスタブリッシュメントがやっているような部族的な相互支援とは違います。彼らは僕たちが差し出した公共物を食い物にするための収奪のネットワークを形成している。僕たちがめざすのは公共を創り出す贈与のネットワークです。誰からも収奪しない。国際社会では国際秩序を維持し、日本国内では相互支援ネットワークを立ち上げてゆく。

 

― 内田さんは日本が目指すべき方向として「日本型コミューン主義」を唱えています。

 

内田 日本の伝統的な統治の理想は「君民共治」です。天皇を中心に日本がまとまり、国民が「社稷」的共同体のうちに所を得て安らぐ姿を古代から日本人は理想としてきた。その理想の実現を妨げているのは、君と民の間にわだかまって権力と財貨を独占する中間的権力機構であるという「物語」は古代からずっと同じです。蘇我氏、藤原氏、平家、源氏、北条氏、足利氏、徳川氏・・・これらの「君側の奸」たる中間的権力機構を廃して、「君民共治」の理想に回帰する。このストーリーパターンは大化の改新から三島由紀夫まで変わりません。日本人の政治的エネルギーはそういう「君民共治的コミューン主義」でしか高揚しない。

 19世紀から後、明治維新、大正維新、昭和維新・・・と政治革命には必ず「維れ新たなり」という言葉が使われましたけれど、意味するところはどれも同じです。そして、それを掲げて政治革命を主導した人たちが次の中間権力者になるという末路も同じです。暴力的に権力や財貨を奪取した者は、そのふるまいを通じて「斃されるべき者」という歴史的カテゴリーに組みこまれる。どうやってこの前者の轍を踏まずに日本的コミューン主義を実現するのか。それが僕たちの思想的課題だと思います。

 今の権力者を打倒し、その権力財貨を奪い取ることではなく、自らが持てるものを「差し出す」ことによって、贈与したものを原資として新しい公共を実現する。それが僕の提唱する「日本型コミューン主義」です。

 

― 血を流さず国を変える道があるのですか。

 

内田 わかりません。でも、「贈与しても目減りしないもの」を公共の基礎にするということは理論的には可能です。権力や財貨は奪い取られると失われる。ゼロサムのゲームです。だから争いが終わらない。文化資本は「贈与しても目減りしないもの」です。知識や教養や技能は与えても減らない。

 ふつう支配階層は権力と財貨と文化資本を独占し、もっぱら文化資本の格差を階層形成の「ものさし」に使います。でも、なぜか現代日本では全くそうなっていません。エスタブリッシュメントたちは力とカネの占有にはたいへん熱心ですが、文化資本にはまったく関心がない。今の日本の権力者の中に歌を詠んだり、詩を書いたり、能楽や義太夫を稽古したり、武道や修験の修行をしたり、参禅したりする人はほぼゼロです。「文化には価値がない」というのが現代日本のエスタブリッシュメントの合意らしい。

 だから、貧しい大衆が文化資本を獲得して、知性的・感性的に成熟してゆくことを彼らは「領域侵犯」だとはとらえていない。興味ないから。日本のエスタブリッシュメントは自分たち自身が幼児的であるので、市民的成熟に何の価値も認めていない。成熟することの意味を知らない。でも、人間が市民的に成熟を遂げるというのは、それだけ強力な現実変成力を持つようになるということです。いま起きていることを長いタイムスパンの中で考察し、未来を適切に予測できれば、現実を変えることができる。

 カネや権力と違って、文化資本はいくら贈与しても減りません。僕は凱風館で合気道を教えているわけですが、いくら教えても、それで僕の手持ちの文化資本は減るわけではない。むしろ教えることを通じて僕の技術も高まり、知見も深まる。門人が独立して新しい道場を開いても、僕の道場に来る人が減るわけではない。合気道を稽古する人が増えるだけです。別に僕たちはゼロサムの取り合いをしているわけじゃない。ただ稽古を通じて生きる知恵と力を高める人を増やしているだけです。

 たまたま僕は自分の家を公共の道場として提供しているわけですが、それは何でもいいと思います。図書館でも、祠でも、舞台でも、コンサートホールでも何でもいい、それぞれが手持ちの文化資本を贈与したものを原資として「公共」を立ち上げて、文化資本が広く、できるだけ多くの人に行き渡るための拠点とする。僕はこれがこれからの「日本的コミューン主義」の戦い方だと考えています。迂遠な方法と思われるかも知れませんが、「知性と教養を備えた大人の頭数を増やすこと」が最も確実に社会を住みやすくする方法だと僕は信じています。

 21世紀の日本人に課されているのは、太古的な起源を持つ天皇制と近代的な擬制である立憲デモクラシーという「氷炭相容れざるもの」をすり合わせて、共生させるという難問です。これを両立させるのが現代の「君民共治」であると僕は理解しています。そして、この難問に向き合うためには日本国民の市民的成熟が不可欠です。「大人になることこそが革命的なふるまいである」という僕の理屈はわかりにくいと思いますが、「わかりにくいから話を簡単にしてくれ」という要求にずるずる屈服した結果が今の日本の知的惨状である以上、話を簡単にするわけにはゆきません。(インタビュアー杉原悠人)

 

(6月30日 聞き手・構成 杉原悠人)

 

 

2024年

7月

25日

奈良マラソン2024への道 その15 ☆ あさもりのりひこ No.1552

7月19日(金)早朝、インターバル走、37分52秒、6.204㎞、平均ペース6分06秒/㎞、累積上昇75m、消費カロリー410㎉。

6分54秒(200m)

5分20秒、8分49秒(200m)

5分48秒、8分37秒(100m)

6分07秒、9分42秒(200m)

5分53秒、7分56秒(100m)

5分45秒、5分25秒(400m)

最低気温が25℃以上になると、速度が上がらない。

 

7月20日(土)早朝、丘の階段641段、55分20秒、7.19㎞、平均ペース7分41秒/㎞、総上昇量160m、消費カロリー552㎉。

1 7分12秒(上り下り)

2 7分39秒(上り)

3 7分49秒(上り下り)

4 8分48秒(階段)

5 9分03秒(上り下り)

6 6分39秒(下り)

7 6分59秒(上り下り)

8 6分07秒(190m

 

 

 

7月21日(日)早朝、ジョギング、1時間27分40秒、12.39㎞、平均ペース7分04秒/㎞、総上昇量212m、消費カロリー912㎉。

1 7分18秒(上り下り)

2 7分20秒(上り)

3 7分38秒(上り下り)

4 6分36秒

5 6分25秒

6 6分24秒

7 7分05秒

8 7分08秒

9 7分43秒

10 9分16秒(上り下り)

11 5分51秒(下り)

12 6分36秒(上り下り)

13 5分54秒(390m

 

7月22日(月)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

 

7月23日(火)早朝、ウインドスプリント300m×10本、52分34秒、7.551㎞、平均ペース6分57秒/㎞、累積上昇102m、消費カロリー572㎉。

6分43秒、7分21秒、8分20秒(100m)

4分41秒/㎞、5分13秒/

4分44秒/㎞、5分14秒/

4分38秒/㎞、5分08秒/

4分46秒/㎞、5分21秒/

4分39秒/㎞、5分08秒/

6分54秒、7分24秒、7分28秒(100m)

 

7月24日(水)早朝、室内トレーニング。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、傾斜3.0%、消費カロリー374㎉、手首に重り1㎏×2。

 

 

7月25日(木)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り約0.5㎏。

2024年

7月

24日

内田樹さんの「近代市民社会の再興のために」(その2) ☆ あさもりのりひこ No.1551

その気になれば、米国は「世界最強のならず者国家」になれる

 

 

2024年7月21日の内田樹さんの論考「近代市民社会の再興のために」(その2)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

― テロ組織は国際秩序を壊乱し、テックジャイアントは国際秩序に関与している。

 

内田 「自国ファースト主義」の亢進は、これらの非国家アクターの脅威に対する国民国家サイドからの防衛反応だと僕は見ています。自国ファースト主義者は国際秩序の維持コストの負担を拒否し、自国の国益の最大化だけを追求することです。中国、ロシア、北朝鮮、イランのような権威主義的国家がそうですし、インド、インドネシア、トルコなどもそれに準じている。ヨーロッパでもハンガリー、ポーランド、オランダなどは民主主義国家ですが選挙を通じて極右の自国ファースト主義政党が政権の座にある。アメリカもトランプが再選されれば、「アメリカ・ファースト」を掲げて、国際秩序の維持コストの負担を拒否するようになる。「中国やロシアのような権威主義国の独裁者に対抗するためには、民主主義国も強権的なリーダーを立てるしかない。こちらが国際秩序のためにルールを守って抑制的に行動し、あちらがルールを無視して利己的な行動をするなら、勝負にならない。だったら、こちらもルールを無視するしかない」というロジックに抵抗することは困難です。

 戦後久しく米国は超覇権国家として国際秩序を主導してきました。そのためのコストに耐えられるだけの軍事力と経済力があったからできたことです。でも、イラクとアフガニスタンで国力を消耗し、経済力も衰え、ついに国際秩序を維持するコストの負担に耐えられなくなりました。オバマが「世界の警察官」をもう辞めると宣言したのも、トランプが「アメリカ・ファースト」を掲げたのも、同一の文脈の中の出来事です。

 確かに衰退したとはいえ、米国は依然として世界最強の軍事大国・経済大国です。だから、「国際秩序なんか知ったことか。米国さえよければいいんだ」と開き直れば中国やロシアやイランに負けることはまずありません。その気になれば、米国は「世界最強のならず者国家」になれるということです。世界各国が喉笛を掻き合う野蛮な「自然状態」に戻っても、その荒れ果てた「マッドマックス」的ディストピアでも最後に生き残っているのは米国でしょう。

 

― しかし、それでは結局国益を確保できないというのが二度の大戦の教訓だった。仮にこのまま第三次世界大戦に突入して核戦争が起きれば全員が敗者になる。

 

内田 その通りです。結局、「自国ファースト」はいずれ自分で自分の首を絞めることになります。「自分さえよければそれでいい」という構文の主語はいくらでも小さくできるからです。現に、米国ではテキサスでもカリフォルニアでも州独立の運動が活発化しています。仮にテキサス州が独立すれば、人口2900万人、GDP世界9位の「大国」が生まれる。カリフォルニア州が独立すれば人口3700万人、GDPは英仏より上位の世界5位の「大国」になる。

 今米国で猖獗を極めている「アイデンティティー・ポリティクス」というのは要するに属性の近いものが固まって、他の集団とゼロサムの資源争奪戦を展開するというものです。「お前はどの部族(tribe)の人間だ?」という問いがまず立てられる。違う部族の者とは共生しない。協働もしない。もちろん公共財も共有しない。

 この「より同質性の高い部族に縮減してゆく」傾向が米国では顕著になっています。ジョージア州フルトン郡サンディスプリングでは、富裕者たちだけが自分たちの納めた税金が他の地域の貧民に分配されることを嫌って、「金持ちだけの自治体」を作りました。税収の多くを失ったフルトン郡は図書館などの公共施設が維持できず、街灯まで消されました。米国中でこれに続く動きが起きています。

 テキサス州やカリフォルニア州の独立運動も発想は同じです。自分と同質の者だけと部族を形成してその利益を最優先する。「純化と縮減」です。この傾向が加速すれば、米国は国としてのまとまりを失うことになる。公共はいったん解体し始めると、あとはもう歯止めが効きません。「純度が高いのは絶対善である」というルールを採用すれば、同じ部族内であっても、純度の高さを求めて、さらに小さな同質集団に分裂することはもう止められない。最後にばらばらになる。公共を形成するための努力を拒否すれば、どんな共同体もいずれ解体します。オルテガはそれを「野蛮」と呼んだのです。旧ユーゴスラビアはかつて「六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字」を持つ多民族国家でしたけれども、同質性の高い集団が基礎的政治単位になるべきだというイデオロギーに屈服した末に「六つの国」に分裂して崩壊しました。

 

― 現在起きている「近代の危機」は近代化の結果であり、近代は限界にぶつかって自滅しようとしているようにも見えます。それならば、いま必要なのは「近代の超克」ではありませんか。

 

 

内田 いま僕たちが直面しているのは「近代の限界」というより「前近代への退行」だと思います。だから、今必要なのは「近代の復興」であり、「近代への回帰」です。もしかすると、「近代市民社会」はまだ歴史上一度も実現したことがなかった幻想かも知れません。だとしたら、「近代市民社会の実現」こそが僕たちに課された歴史的使命だということになります。

2024年

7月

23日

熱中症対策@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

梅雨も明け、まさしくうだるような暑さですね☀。

毎年恒例のクマゼミの大合唱で起きる生活も始まってしまいました😔

 

通勤中に必須の扇風機も、こう暑いとむしろ熱風にしかならず、

ネッククーラーをそろそろ購入しようか検討中です。

 

さて、毎日こう暑い日続きだと朝から気も滅入りますが、

昼間だけでなく夜でも熱中症の危険があります。

夜中に足がつったり、なんだか朝起きると頭が痛いな~と思ったら、

それ熱中症かもしれません。

 

熱中症対策には、

 

①クーラーは朝までできれば切らない。ただし、体には直接風が当たらないよう

 扇風機やサーキュレーターなどで調節する

 

②寝る前と朝起きた時には、コップ1杯程度の水分を補給し、枕元にも常温の水

 などを置いておく

 

③お酒やお茶、コーヒーなどは夜中のトイレで安眠が妨げられるだけでなく

 脱水にも繋がるので寝る前に飲むのは控える

 

④エアコンは24℃前後の設定にして、頭は冷やし、吸水性のよい生地の

 長袖パジャマで体は冷やさないようにする

 

 

暑いからといって半袖短パンで寝ていると、体が冷えてだるかったり

眠りも浅かったのが、長袖パジャマにしてから前よりよく眠れるようになったかも😄

 

寝不足は熱中症の危険を高めますので、皆さんも毎日快眠を心がけてくださいね。

 

 

余談ですが、熱中症対策には、服の色選びも重要ですよ。

表面温度が上がりにくい色は、紫外線の反射率が一番高い「白」ですが、

黄色やグレー、赤も比較的反射率が高くお勧めされていました。

青が赤よりも熱を吸収していたのには驚きでした。

暑い日の服選びの参考にしてください(^_^)b

 

2024年

7月

22日

内田樹さんの「近代市民社会の再興のために」(その1) ☆ あさもりのりひこ No.1550

法の支配」が終わり、世界は再び「力の支配」、弱肉強食の「自然状態」へ逆行しようとしている

 

 

2024年7月21日の内田樹さんの論考「近代市民社会の再興のために」(その1)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

『月刊日本』8月号にロングインタビューが掲載された。「野蛮への退行が始まった」というタイトルだけれど、私が言いたかったのは「近代市民社会を再興しなければならない」という話である。

 

― 現在、世界は歴史的な大転換を迎えています。今、世界では何が起きていると考えていますか。

 

内田 今起きているのは「近代の危機」だと思います。近代市民社会の基本理念は「公共」です。その「公共」が危機的なことになっている。

 ホッブズやロックやルソーの近代市民社会論によると、かつて人間は自己利益のみを追求し、「万人の万人に対する闘争」を戦っていた。この弱肉強食の「自然状態」では、最も強い個体がすべての権力や財貨を独占する。でも、そんな仕組みは、当の「最強の個体」についてさえ自己利益の確保を約束しません。誰だって夜は寝るし、風呂に入るときは裸になるし、たまには病気になるし、いずれ老衰する。どこかで弱みを見せたら、それで「おしまい」というような生き方はどんな強い人間にもできません。それよりは、私権の一部、私財の一部を「公共」に供託して、「公権力」「公共財」を立ち上げた方が私権も私財も結果的には安定的に確保できる。人間がほんとうに利己的に思考し、ふるまうならば、必ずや社会契約を取り結んで、「公共」を立ち上げるはずである・・・というのが近代市民社会論です。

 もちろん、こんなのは「お話」であって、「万人の万人に対する戦い」というような歴史的事実は実際には確認されておりません。社会契約説は18世紀の人たちが手作りしたフィクションです。しかし、市民革命を正当化するためにはこのフィクションが必要でしたし、歴史的条件が要請した物語であれば、作り話であっても現実変成力がある。これは歴史が証明しています。

 国際社会も同じです。もともと国家は自国の国益のみを追求し、自然状態においては「万国の万国に対する闘争」を繰り広げていた。こちらはある程度までは歴史的事実です。しかし、二度の世界大戦を経て、多くの国々は自国第一主義と決別し、自国の国益を部分的に制限しても、国際機関に国権と国富の一部を供託して世界的なスケールの「公共」を立ち上げ、国際秩序を維持するという方向をめざしてきました。オルテガは「文明とはなによりも共同生活への意志である」と『大衆の叛乱』に書いていますが、人類はその文明の進化にともなって「共生」を少しずつ実現してきたのです。

 しかし今この近代的な国際秩序の理念そのものが揺れ動き始めました。個人は自己利益のみを追求すればよい、国家は自国益のみを追求すればよい。そういう「自分第一主義」が支配的なイデオロギーとなってきて、国も「公共」から撤退しようとしてます。「法の支配」が終わり、世界は再び「力の支配」、弱肉強食の「自然状態」へ逆行しようとしているように僕には見えます。

 

― なぜ個人や国家は「公共」から撤退するようになったのですか。

 

内田 一つは国民国家が基礎的な政治単位として機能しなくなったからです。いわゆる「ウェストファリア・システム」では、国民国家が基本的な政治単位でした。「国民国家」(Nation State)というのは、人種・言語・宗教・生活文化を共有する同質性の高い人々が「国民」(Nation)を形成し、それが政治単位としての「国家」(State)を形成するという国家モデルです。この国民国家を基礎的政治単位として、「国際社会」が形成されてきました。

でも、これはあくまで「そういう話になっている」ということに過ぎません。実際に国連加盟193の政治単位だけで国際社会は形成されているわけではありません。非国家アクターのプレゼンスが現在は局面によっては国民国家よりも大きくなってきている。資本、商品、情報、人の高速かつ大量のクロスボーダーな移動はもう日常的なことになりました。

 新たに登場した非国家アクターの一つはテロ組織です。アルカイダやイスラム国のようなテロ組織にはそもそも守るべき「国民」も「国土」も「国境」もありません。

もう一つの非国家アクターはグローバル企業です。グローバル企業は特定の国家に帰属せず、株主たちの利益を最大化するために経済活動を行っています。かつての国民国家内部的企業は、祖国の雇用を増大させ、国税を収めて祖国の国庫を豊かにすることを(とりあえず口先では)企業活動のインセンティブとしていましたが、現代のグローバル企業にはそんなものはありません。最も製造コストの安い国で製造し、最も人件費の安い国の労働者を雇用し、最も税率の低い国に本社を置き、どこの国民国家の国益にも貢献しないことで利益を上げている。

この二つの非国家アクターが国際社会の主要なプレイヤーになったことで、「公共」という概念が急激に空洞化したと言ってよいと思います。

 

― 我々は非国家アクターの脅威に直面している。

 

内田 そうです。そして新しい問題が、「テックジャイアント」(巨大IT企業)です。グーグル、アップル、メタ(旧フェイスブック)、アマゾン、マイクロソフト、テスラ、オープンAIなどのテックジャイアントは、今や民主政にとっても、近代市民社会にとっても脅威になりつつあります。

 カール・ロイズ『「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』(東洋経済新報社)、ジョエル・コトキン『新しい封建制がやってくる グローバル中流階級への警告』(東洋経済新報社)などは、その危険性に必死で警鐘を鳴らしています。

 テックジャイアントはすでに一企業で中規模国の国家予算に匹敵する資産を有しています。すでにGAFAの純資産の合計はフランスのGDPに匹敵する額に達しています。アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスの個人資産は2080億ドル(約33兆2800億円)、テスラのCEOイーロン・マスクの個人資産は1870億ドル(29兆9200億円)。少し前に世界で最も富裕な8人の個人資産は、下位の36億人の所得と同じであるという驚くべき統計が示されましたが、世界の富の大半が超富裕層に排他的に蓄積されるという傾向はますます加速しています。

 加えて、テックジャイアントの先端技術は現在の世界秩序を根底から揺るがすようなリスクをもたらしました。AI搭載兵器は戦争の形態を一変させるかも知れない。ディープフェイクと国民監視システムは民主政を破壊するかも知れない。技術革新は大規模な雇用喪失をもたらすかも知れない。どの場合でも、テクノロジーの進化がもたらすメリットよりもそれがもたらすリスクの方が大きい。メリットよりリスクが大きいテクノロジーは野放しにはできません。

 テクノロジーの進化は自然過程であり、誰にも止められないとこれまでは考えられてきました。でも、それがもたらすリスクがここまで大きいと、そんな無責任なことは言ってられなくなった。

 欧米では「テクノ・プルデンシャリズム」(techno-prudentialism /技術的慎重主義)という新しい考え方が登場してきました。「人類にもたらす被害が大きい可能性がある技術については、その野放図な進歩を止めるべきだ」というものです。科学技術の発達を手放しで歓迎してきた人類が歴史上はじめて「われわれが生き延びるためにはテクノロジーの進化を一時停止させて、少し冷静になった方がいい」ということを言い出した。これは画期的なことです。

 でも、テクノロジーを抑制的に使用するとしても、当の先端技術がどんな仕掛けで、どんなリスクを含んでいるのかを完全に理解しているのはそれを開発した企業の技術者だけです。ですから、技術の進歩を抑止するためにもし国際会議を開催する場合には、テックジャイアントのメンバーを会議の席に列国政府と同じステイタスで招かざるを得ない。テックジャイアントの協力がなければもう現行の国際秩序を維持することができないとしたら、このCEOは他国の大統領や首相と同格の政治プレーヤーとして遇するしかない。

 テックジャイアントが民主政にとってのリスクである理由はそれだけではありません。超富裕層が民主国家の仕事を代行するかも知れないということです。例えば、ビル・ゲイツ、イーロン・マスク、マーク・ザッカーバーグらの大富豪は2010年から大規模な社会貢献キャンペーンを始め、気候変動・教育・貧困対策などに関わるプロジェクトのために数千億ドル(数十兆円)を供出しました。今どきの超富裕層は「意識が高く」、貧困や疾病に苦しむ人々対しても同情的な「わりといい人」たちらしい。

 

 これまでの民主政でしたら、自分たちの代表者を議会に送り、そこで法律を作り、政府にそれを実行してもらうという手間暇をかけなければならなかった。でも、テックジャイアントたちを「領主」として頂く「新しい封建制」なら、「領主」さまに直接請願して、「いいよ」と言ってもらうとたちまち望みがかなう。民主主義的な煩瑣な手続きを踏むよりも、テックジャイアントから「富のおこぼれ」を恵んでもらう方が話が早い。だったら、「別に民主制なんて要らない」という話になる。民主政を迂回するより、「領主」さまの膝にとりすがって「ご主人さまの食卓から落ちてくるパンくず」(カール・ロイズ)を当てにする方が現実的だ。民主政の主権者としてふるまうより、無力な平民として「心優しい領主」のお慈悲を乞う方がはやく幸福になれる。そんな考え方が広がれば、民主政は終わります。コトキンが「新しい封建制」と呼んだのは、このような事態のことです。

2024年

7月

19日

内田樹さんの「トランプのアメリカ」 ☆ あさもりのりひこ No.1549

戦後80年、自前の安全保障戦略をついに持つことなく、「日米同盟基軸」一辺倒で来たのだからどうしようもない。増税しても、改憲しても、徴兵制を導入しても、米国の要求を丸呑みするだけである。

 

 

2024年7月14日の内田樹さんの論考「トランプのアメリカ」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ジョー・バイデンとドナルド・トランプの討論が終わった。双方とも相手を罵り合うという見苦しい展開だったが、口から出まかせの嘘を自信たっぷりにつきまくるトランプを相手にきちんとファクトに基づいて反論することができなかったバイデンの衰えぶりに米国の有権者はショックを受けたようだ。民主党は大統領候補者を替えた方がよいという意見が出て来たが、今から候補者を選定して11月の大統領選に間に合うだろうか。

 おそらく世界は二期目のトランプを迎えることになる。彼は「アメリカ・ファースト」を掲げて、前任者の政策のほとんどを覆し、国際秩序の維持には副次的な関心しか示さないだろう。

 ただし、「アメリカ・ファースト」はトランプの独創ではない。この言葉を最初に使ったのはチャールズ・リンドバーグ大佐をリーダーに頂いた大戦間期の反戦派の人々である。彼らは欧州の戦争に米国は関与すべきではないと主張した。仮にナチスがヨーロッパ全土を支配して、苛烈な弾圧を行ってもそれは米国には関係のないことだ。欧州の旧秩序を維持するために米国の若者が血を流す必然性はない、と。

 フィリップ・ロスの小説『プロット・アゲンスト・アメリカ』はこの史実を踏まえて、リンドバーグ大佐が1936年の大統領選挙でフランクリン・ローズヴェルトを破って大統領になった米国を描いた「近過去物語」である。小説の中の日本は日米不可侵条約を締結して、東アジアで米英仏の干渉抜きで植民地拡大に励むという話になっている。

 二期目のトランプもそれと同じように、不干渉主義を採って、プーチンと習近平には「そちらの勢力圏で何をしようと米国は与り知らない」とフリーハンドを与える可能性がある。NATOからの脱盟、気候変動についてのパリ協定からの脱退、国連の諸機関への基金供出の中止などが政治日程に上るだろうし、当然日米安保条約についても廃棄をちらつかせる可能性はある。

 むろん在日米軍基地は米国にとって手離すにはあまりに惜しい「資産」であるから、おそらく「安保条約を継続したければ、米国にさらに朝貢しろ」とトランプは言ってくるだろう。米軍基地の半永久的な租借、「思いやり予算」の増額、大量の兵器の購入などの桁外れの要求を突きつけてくるだろうが、日本政府はそのすべてを唯々諾々と受け入れるしかない。戦後80年、自前の安全保障戦略をついに持つことなく、「日米同盟基軸」一辺倒で来たのだからどうしようもない。増税しても、改憲しても、徴兵制を導入しても、米国の要求を丸呑みするだけである。

 まことに暗い未来である。だが、「アメリカ・ファースト」が米国の永続的な安泰を保証するわけではない。合衆国は「国家連合(Unitede States)」である。自己利益を最優先しようとする「国家(State)」が「テキサス・ファースト」とか「カリフォルニア・ファースト」とか言い出した場合に、連邦政府にそれを退けるロジックがあるだろうか。

 合衆国憲法制定の時にも、州政府に独立性を委ねるか、連邦政府に大きな権限を与えるかをめぐって激しい論争があった。その経緯はマディソンやハミルトンの『ザ・フェデラリスト』に詳しい。

 最終的に連邦政府に軍事についての大きな権限が付与されたのは、州政府が軍事を専管すると、外国軍が侵略して来た時にどうなるのかというSF的想定をフェデラリストたちが提出したからである。「英国がヴァージニア州に軍事侵攻してきた時にコネチカット州が『それはよその国の話だ』と拱手傍観していたら合衆国はどうなるのか」と連邦主義者は説いた。たしかにこの設定には説得力がある。

 テキサス州では独立運動がかなり活発になってきている。もし州民投票や州議会決議で独立が宣言された場合に、連邦政府はどう対処するつもりだろうか。テキサスを説得するために「中国やロシアがテキサスを攻めてきたらどうするのだ。ニューヨーク州が『テキサスのためにニューヨークの若者が血を流すいわれはない』と言い出したらどうするのか」という建国時点のロジックを連邦政府が再び古文書の中から引き出して、埃を払って再利用するつもりだろうか。たしかにその可能性はゼロではない。

 

(『週刊金曜日』7月2日)

2024年

7月

18日

奈良マラソン2024への道 その14 ☆ あさもりのりひこ No.1548

7月12日(金)早朝、雨なので室内でトレーニング。

 

7月13日(土)夜、眠っているときに左脚の脹ら脛が攣った。

早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

 

7月14日(日)早朝、雨なので室内でトレーニング。

 

7月15日(月・祝)早朝、ジョギング、1時間43分03秒、13.35㎞、平均ペース7分43秒/㎞、総上昇量201m、消費カロリー975㎉。

1 7分15秒(上り下り)

2 7分31秒(上り)

3 7分38秒

4 7分54秒(上り下り)

5 7分21秒

6 6分59秒

7 7分00秒

8 7分55秒

9 7分40秒

10 8分50秒

11 10分03秒(上り下り)

12 6分51秒(下り)

13 7分50秒(上り下り)

14 6分36秒(350m

途中便意を催して、予定のコースを外れてトイレに駆け込んだので、距離が1㎞弱長くなった。

 

7月16日(火)早朝、室内でトレーニング。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、傾斜3.0%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、消費カロリー375㎉、手首に重り1㎏×2。

 

7月17日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り約0.5㎏×2。

 

7月18日(木)早朝、ビルドアップ走、40分32秒、6.21㎞、平均ペース6分32秒/㎞、総上昇量106m、消費カロリー449㎉。

1 6分55秒

2 7分01秒

3 6分23秒

4 6分25秒

5 6分04秒

6 6分28秒

7 6分05秒(210m

 

思うように速度が上がらなかった。

2024年

7月

17日

内田樹さんの「植芝盛平と熊野の力」 ☆ あさもりのりひこ No.1547

修行とは心身を調え、どこにも詰まりもこわばりもなく、何にも居着かない透明な心身を作り上げることである。そして、それを「超越的な力」に委ねる。「超越的な力」は調った心身を通してのみ発動するからである。

 

 

2024年7月14日の内田樹さんの論考「植芝盛平と熊野の力」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

熊野古道がユネスコの世界遺産に登録されて20年。それを記念して田辺市でシンポジウムが開かれた。私は「合気道開祖植芝盛平翁と熊野の力」という演題で講演を求められた。植芝先生は田辺の人なのである。熊野の海と山に囲まれて育ち、熊野の霊気を鼻腔に満たして成長された(南方熊楠が率いた神社合祀反対運動でも、熊楠のために立ち働いた)。だから先生が完成された合気道に熊野が深いかかわりを持っているのは当然のことである。それでも、合気道の術理と熊野の霊力の関係を説明するということになると容易な業ではない。

 勝負を争わず強弱に拘らず、巧拙や遅速を比較しないという合気道のありようは普通のスポーツや競技武道に親しんでいる人には理解されにくい。でも、これを宗教的な行に準じるものと考えればわかるはずである。大悟解脱をめざす僧が「悟りの到達度」について修行者同士で優劣を競うことはあり得ない。「オレの方がお前より1ポイント悟りに近づいたぜ。勝った」というような人が解脱と無縁の衆生であることは誰でもわかる。武道の修行も本来はそういうものなのである。「勝負を争わず、強弱に拘らず」が基本なのである。相対的な優劣を競う限り我執を去ることができないからである。

 修行とは心身を調え、どこにも詰まりもこわばりもなく、何にも居着かない透明な心身を作り上げることである。そして、それを「超越的な力」に委ねる。「超越的な力」は調った心身を通してのみ発動するからである。

 理屈だけなら誰でも言える。だが、「調う」とはどういう体感なのか、「超越的な力が発動する」とは何が起きることなのか、それは長く稽古を積まなければ分からない(積んでいてもわからない)。確かなのは、それは達成度を数値的に表示できるものではない(だから人と競うことができない)ということである。

 勝敗強弱も巧拙遅速もどれも相対的な優劣を競う心が生み出す幻である。その幻を消すために私たちは修行している。そうして会得された技術が人を殺傷する道具になるはずがない。

 

 とりあえず合気道の術理を私はそのように説明した。個人の見解だが、それ以外に私には語るべき言葉を持たない。それが熊野の霊力とどう結びつくかは説明する前に時間が尽きた。(『AERA』7月10日)

2024年

7月

12日

内田樹さんの「民主政の終わり」 ☆ あさもりのりひこ No.1546

知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。

 

 

2024年7月12日の内田樹さんの論考「民主政の終わり」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

都知事選の翌日にニッポンドットコムという媒体からインタビューを受けた。以下はその記事に少しリタッチしたもの。

 

 今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。

 投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族に属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。

 自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティー・ポリティクス」の実態である。

 自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ。

 正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛な体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも「自分が自分でしかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物が単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまい」である。だから、アイデンティティーに固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。

 選挙の話をしているところだった。

 今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。

 公選法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。

 だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権の立法府軽視が一因だと私は考えている。

 日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府を立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。

 安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。

 現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつうの市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。

 その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。

 今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補は安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を彼は忠実に踏まえている。維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。

 自民党の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。

 このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。

 英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。民主政は有権者に向かって「いまあるあなたとは違う人間になってくれ」と懇請するのである。「よけいなお世話だ」と腹を立てる有権者がいても不思議はない。そして、実際に多数の有権者が「大人になってくれ」という制度からの懇請に腹を立てて「オレはオレのままでいいんだよ。オレはオレが大好きなんだ」と口を突き出すようになったことで民主政は終わりに近づいている。

 市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。帝政も王政も貴族政も寡頭政も、どれも「市民が幼稚で愚鈍である方が統治コストが安く上がる政体」である。だから、これらの政体は市民に向かってさまざまな機会に「成熟するな」というメッセージを送る。「難しいことは考えなくていい。考える仕事は私たち支配者が代わって行うから、お前たちは愚鈍のままでいい」という甘い言葉を送り続ける。「帝力なんぞわれにあらんや」とうそぶいて、自分が支配されていることさえ気づかなかった「鼓腹撃壌」の老人こそ愚民の理想である。

 

 その中にあって、民主政だけが、市民を甘やかさない。市民に対して「大人になれ」という面倒な仕事を押し付ける。だから、民主政は嫌われるのである。たぶんこれからも民主政は嫌われ続けるだろう。有権者たちが「あなたがたは今あるがままでよいのです。成熟する必要も、自己刷新する必要もありません」という甘ったるいメッセージを言い交わしているうちに民主政は終わるのである。

2024年

7月

11日

奈良マラソン2024への道 その13 ☆ あさもりのりひこ No.1545

6月28日(金)雨、安足日。

 

6月29日(土)早朝、テンポ走、38分07秒、6.22㎞、総上昇量85m、平均ペース6分08秒/㎞、消費カロリー423㎉。

1 6分45秒(上り下り)

2 6分55秒(上り)

3 5分51秒

4 6分09秒

5 5分45秒(下り)

6 5分31秒(上り下り)

7 5分12秒(220m

 

6月30日(日)雨、安足日。

 

7月1日(月)雨、安足日。

 

7月2日(火)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、消費カロリー375㎉、傾斜3.0%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、手首に重り1㎏×2。

 

7月3日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り0.5㎏くらい×2。

 

7月4日(木)早朝、坂道ダッシュ400m×3本、48分41秒、6.824㎞、平均ペース7分08秒/㎞、累積上昇154m、消費カロリー498㎉。

6分42秒、6分56秒、6分44秒(500m)

2分31秒(6分14秒/㎞)、3分43秒(7分35秒/㎞)

2分25秒(6分06秒/㎞)、4分41秒(9分46秒/㎞)

2分27秒(6分18秒/㎞)

7分53秒、6分53秒、6分24秒(200m)

 

7月5日(金)早朝、階段1045段、50分17秒、6.24㎞、平均ペース8分03秒/㎞、総上昇量98m、消費カロリー528㎉。

7分26秒、8分10秒、7分50秒

8分05秒、8分41秒、8分33秒

6分14秒(240m

 

7月6日(土)早朝、全力・ジョグ・全力、36分39秒、6.202㎞、平均ペース5分54秒/㎞、累積上昇76m、消費カロリー406㎉。

1 7分13秒(600m)

2 5分27秒

3 5分21秒

4 6分16秒

5 7分36秒(500m)

6 5分01秒

7 5分41秒

8 6分27秒(100m)

 

7月7日(日)早朝、ジョギング、1時間25分33秒、12.41㎞、平均ペース6分54秒/㎞、総上昇量193m、消費カロリー907㎉。

1 7分00秒(上り下り)

2 7分08秒(上り)

3 7分24秒(上り下り)

4 6分26秒

5 6分31秒

6 6分21秒

7 6分43秒

8 6分42秒

9 7分39秒(上り下り)

10 8分57秒(上り下り)

11 6分05秒(下り)

12 6分17秒(上り下り)

13 5分40秒(410m

 

7月8日(月)、安足日。

 

7月9日(火)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、傾斜3.0%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、消費カロリー375㎉、手首に重り1㎏×2。

 

7月10日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り約0.5㎏。

 

7月11日(木)早朝、雨、室内トレーニング。

これまで、魔女トレの前に室内トレーニングをやり、アントレの前に室内トレーニングをやっていた。

段々と室内トレーニングのメニューが増えてきた。

そこで、魔女トレ、アントレ、室内トレーニングの3つに分けた。

 

魔女トレのときは魔女トレだけをやり、アントレのときはアントレだけをやる。

2024年

7月

09日

『涼』しさを求めて

本日は事務局が担当です。

今年は、かなり気温が上がり、暑い日がつづきますね。

暑いから、『暑い!暑い!』と言っているだけでは、どうにもならません。

そこで、暑いと言葉は言わず、涼しさをえられる事や物を求めましょう!

以前にもお伝えしたとおり、人間にはご存じのとおり五感(触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚)がありますので、そのそれぞれの感覚において、『涼しさ』を感じる様にすることが効果的で、その中でも脳は、視覚を優先して感じるのだそうです。

そこで提案ですが、我が家で実行している方法ですが、負担少なく、よりSDGsなのが、風鈴ではないか思います。

風鈴を目につく、風の通り道に付けることです。

我が家では、帰宅して玄関から外が見える窓の外に風鈴を釣り下げています。

そうすると、帰宅した際に、チリンチリンとの音と共に風鈴の短冊が揺れる様子が目に入り、視覚と聴覚で風を感じ「ホッと」します。

また、我が家では風鈴と共に帰宅した際にメダカの水槽が目に入り、涼しげに泳ぐ姿を観るとさらに「ホッと」します。

メダカの水槽
メダカの水槽

ところで風鈴と言えば、橿原では夏の風物詩として、近鉄八木駅から徒歩で20分程かかりますが、古い町並みの中を通って行った先に「おふさ観音」というお寺が在ります。

そこでは、毎年7月~9月の間に風鈴祭りが開催されています。

境内一杯に風鈴が吊り下げられ、色々な風鈴の音が絶えることなく響き渡っています。

風鈴まつりの『おふさ観音』
風鈴まつりの『おふさ観音』

境内でかき氷を食べながらのひとときは、一度訪れる価値はありますよ。

涼』しさを求めて、この夏をより快適に過ごしましょう!

2024年

7月

08日

内田樹さんの「テキサス州は独立できるか」 ☆ あさもりのりひこ No.1544

独立したテキサス州は人口2900万人、GDP世界9位の「大国」である。カリフォルニア州が独立すると、こちらは人口3700万人、GDP世界5位である。果たして州の連邦離脱はあり得るのか。

 

 

2024年7月1日の内田樹さんの論考「テキサス州は独立できるか」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

バンコク在住の中高生を対象に定期的にオンラインで講義を始めてもう3年になる。日本の中高生よりも国際感覚が鋭いと感じることが多い。今回は「アメリカの分断」という文字列を見て何を想像するか、それを書いて欲しいと受講生たちに事前に伝えておいた。レポートをくれた15人の多くはバイデン・トランプの大統領選のことを書いていたが、中に二人「テキサス州の独立」に言及していた高校生がいた。これは面白いトピックだと思って、「テキサス独立は可能か?」という話題から授業を始めた(ほとんどそれだけで終わってしまった)。

 四月に公開されたアメリカ映画『Civil War』は連邦政府から19の州が離脱し、テキサスとカリフォルニアが同盟した西部勢力と政府軍による内戦をリアルに描いて大ヒット中とのこと。果たして州の連邦離脱は法理的に可能なのか。

 合衆国憲法には新州が連邦に加盟する場合の規定はあるが、離脱についての規定はない。州について禁止されているのは、既存の州内に新しい州を作ることと、複数の州が合併して新州を作ること、この二つだけである。だから、南部11州が1861年に連邦を離脱した時に、南部人たちは、連邦加盟時と同様、連邦からの脱盟も州議会の決議と州民投票で決定できるものと信じていた。

 でも、南北戦争の法的性格を問う「テキサス対ホワイト」裁判(1869年)で、チェイス連邦最高裁長官はテキサス州には連邦を離脱する権利があったかどうかをめぐる論争に「ない」という判決を下した。

 United Statesは「共通の起源」から生まれた一種の有機体であり、「相互の共感と共通の原理」で分かちがたく結びつけられている。だから、新州は連邦に加盟した時に「永続的な関係」を取り結んだのである。それは「契約以上の何かであり、最終的なものであった」。それゆえ、テキサスが連盟を離脱することは「革命によるか、あるいは諸州の同意による場合を除きありえない」とチェイスは判決文に記した。

 今のところ、これが州の独立についての最終的な法判断である。でも、常識的に考えて、この判決はいかにも無理筋だと思う。たしかに独立時の13州についてなら「共通の起源」を持ち、共感と親しみのうちに同盟関係を育んだということは確かである。でも、それから後に加盟した新州にはその条件は当てはまるまい。

 テキサスはもともとスペイン帝国領であり、メキシコがスペインから独立するとメキシコ領になり、開発を望むメキシコ政府はアメリカからの移民を受け入れたが、入植者たちは奴隷制を認めないメキシコ政府に不満を抱き、1836年に反乱を起こして一方的に独立を宣言した。もちろんメキシコ政府は独立など許すはずがない。その結果、入植者が立てこもったサンアントニオのアラモの砦の守備隊がメキシコ軍によって全滅させられるという事件が起きた。「アラモを忘れるな」と復讐心に燃えるテキサス独立軍がその後メキシコ軍を破って、テキサス共和国の独立を宣言し、1845年に28番目の州として連邦参加を認められた。このような成り立ちの州と独立13州の間に「共通の起源」があるというのは無理である。

 

 テキサス・ナショナリスト運動(TNM)は州内でいま活発に「連邦離脱」運動を展開している。独立したテキサス州は人口2900万人、GDP世界9位の「大国」である。カリフォルニア州が独立すると、こちらは人口3700万人、GDP世界5位である。果たして州の連邦離脱はあり得るのか。今はまだ「近未来SF」の中のエピソードだけれども、これが現実化する可能性はゼロではない。(『週刊金曜日』6月5日)

2024年

7月

05日

内田樹さんの「日米安保条約がなくなる日」 ☆ あさもりのりひこ No.1543

日本は自国の防衛戦略を米国に丸投げし、自力では安全保障戦略を立案することも、実施することもできない国なのである。

 

 

2024年7月1日の内田樹さんの論考「日米安保条約がなくなる日」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

憲法記念日にはどこかの護憲集会に呼ばれる。神戸でも集まりがあり、「日米安保条約が廃棄されたら日本はどうなるか」という話をしてきた。

 前にも書いたが、米国内には同盟国と締結している相互防衛条約は不要だと主張する人たちがいる。ロン・ポール議員は在外米軍基地の全面廃止を訴え続けた。在外米軍基地の維持が財政的な負担になっているということが理由の一つだが、日本のメディアが報道しないのは、米国には「自分の身は自分で守ること」を基本的信念とするリバタリアンが数千万規模で存在するということである。

 リバタリアンは徴兵と納税を忌避する。自分の身は自分で守り、路頭に迷うまで零落しても公権力の保護を求めない。ドナルド・トランプは5回にわたって徴兵を忌避したが、トランプ支持者たちはそのふるまいを「臆病」とか「非国民」というような言葉では批判しない。自分がいつ、どこで、どういう理由で命を賭けるかは自己決定するというのがリバタリアンの生き方だからである。

 そんなのは米国の話で、日本には関係ないと思う人もいるだろう。だが、リバタリアンから見ると日本はあらゆる「非リバタリアン的」であるということは意識した方がいい。日本は自国の防衛戦略を米国に丸投げし、自力では安全保障戦略を立案することも、実施することもできない国なのである。米国に言われるままに兵科を編成し、武器を購入し、基地を造営してきたのである。先日は「統合作戦司令部」を創設して、自衛隊と在日米軍の一体化がさらに強化されることになった。

 韓国では戦時作戦統制権が朝鮮戦争のときに李承晩大統領からダグラス・マッカーサー国連軍司令官に委譲された。以後、朝鮮半島で軍事衝突が起きたときに、米軍と韓国軍のどちらが指揮権を持つかという問題は米韓の間でこじれたままである。作戦統制権を保持していれば、米軍は韓国軍を「二軍」として頤使することができる。韓国としては屈辱的なことだが、こうしておけば北との間で偶発的な軍事衝突があったときに、ただちに米国を紛争当事者として「巻き込む」ことができる。戦争が始まったときに「それは韓国の問題であって、米国は与り知らない」と言われては困る。だから、この問題はなかなか決着がつかないのである。

 日本も「もしものとき」に米軍に逃げられないようにいろいろ策を練っている。日本政府は合理的にふるまっているつもりでいるのだが、米国のリバタリアンから見たら、それは自分の身を自分で守る気概のない弱者の狡猾さにしか見えないだろう。

 トランプは予備選中にNATOからの脱盟に言及した。彼が大統領になったら、国連からの脱盟や、パリ協定からの脱退もありうる。リバタリアンとしては当然のことだ。そのとき「日米安保条約廃絶」という選択肢が俎上に載る可能性はゼロではない。

 まず「自分の身は自分で守れ」と一喝しておいて、それでも日本政府がすがりついてきたら「そこまでいうならいてやるが、それなりの代価は払ってもらう」というトランプ得意の「ディール」をふっかけてくる。そして、日本から搾れるだけのものを搾り取る。

 しかし、それだけ尽くしても、仮に日中で偶発的な衝突があった場合、米国内では「日本のために米国が中国と全面戦争をする必要はない」という平和反戦論が支配的になるだろう。

 

「日米同盟基軸」を日本の政治家やメディアは呪文のように唱え続けているけれど、その同盟が米国から空洞化されるリスクについて少しくらいは想像力を行使した方がいいという話をしてきた。(『週刊金曜日』4月8日)

2024年

7月

04日

6月のラディ、タニタ、ガーミン&エプソン ☆ あさもりのりひこ No.1542

6月の放射線量と体組成とランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

2024年6月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.0425μ㏜/h

室内0メートル 0.0428μ㏜/h

室外1メートル 0.0572μ㏜/h

室外0メートル 0.0705μ㏜/h

 いずれも低めだ。

 

つぎに、朝守の身体について。

2024年6月29日の数値はつぎのとおり。

体重 70.85㎏

BMI 22.

体脂肪率 16.5%

筋肉量 56.10㎏

推定骨量 3.1㎏

内臓脂肪 12.

基礎代謝量 1613/

体内年齢 49才

体水分率 57.8%

 大きな変化はない。

 

最後に、2024年6月のランニングの結果。

走行時間 13時間16分55秒

走行距離 121.189㎞

  累積標高 1653m

 日曜日が雨で走れなかったせいで、時間も距離も標高も伸び悩んだ。

 

 

 

2024年

7月

03日

内田樹さんの「東洋経済のインタビュー」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1541

国の豊かさは公共財の多寡で決まります。

 

 

2024年6月30日の内田樹さんの論考「東洋経済のインタビュー」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

―「勝ち組」の個人が豊かになる一方で、国や地域共有の共有資産、コモンウェルスについては劣化している感じがします。日本は共同体として貧しくなっているのでしょうか。

 

 全員が競争相手の取り分を「減らす」競争をしているわけですから、国が豊かになるはずがありません。そもそもある国が豊かであるかどうかは、個人資産の総和ではなくて、国民全員がアクセスできる「公共財」の豊かさに基づいて考量されるべきものなんです。三流の独裁国家では独裁者とその周辺が国富の大半を私財として占有しています。自然資源が豊富な国だと、独裁者とその取り巻きの私財は天文学的な数字になります。でも、そんな国を「豊かな国」と呼ぶ人はいません。

 国の豊かさは公共財の多寡で決まります。教育であれ、医療であれ、文化活動であれ、国民が誰でも無償でアクセスできる資源が豊かであれば、たとえ個人資産が貧しい人でも、不安なく豊かな生活が送ることができます。でも、公共財が貧しければ、例えば、社会福祉制度がないとか、国民皆保険制度がないとか、学校教育がすべて有償であるとか、図書館や美術館やコンサートホールが高額の入場料を徴収するとかいう社会だと、貧困層はひたすら貧困化するだけで、社会的上昇のチャンスがない。

 今の日本は公共財がどんどん貧しくなっています。「民営化」という名の下に公共財を安く売り払って、権力者とその取り巻きたちの私財に付け替えている。それがすさまじい勢いで進行しています。公共財を自分の私財にした人たちが「成功者」と呼ばれ、現代日本社会の超富裕層を形成しています。一方、貧しい人たちはそれまでアクセスできた公共財が「立ち入り禁止」になる。それを歴史用語では「囲い込み」と呼ぶわけですけれども、公共財が乏しくなると、貧しい市民たちはどれほど劣悪な雇用条件でも受け入れざるを得なくなる。企業はそうやって人件費削減を行っている。

 国力というものをどういう指標で計るのか、いろいろ考え方はあると思いますが、僕は「集団としてのパフォーマンスの高さ」で計るべきだと思っています。平時に効率的に機能していることだけではなく、危機的状況に遭遇すると、それに対応して適切に変容して生き延びることができる能力を僕は「集団の力」としては重く見ます。

 集団の一部に天文学的な私財を積み上げている人がいて、大多数が貧しく、ろくな教育も受けられず、医療的ケアも足りないし、文化資本も持っていないというような国は「国力が低い」と僕は評価します。そういう国は危機耐性が低いだけではなく、そこではいかなる「イノベーション」も起きないからです。イノベーションというのは、学術的なものでも、芸術的なものでも、資源がランダムに分散しているところでしか起きない。集団の全員にチャンスがあるところでしか起きない。

 マーケティングの用語に「アーリーアダプター」という言葉があります。イノベーターが前代未聞の斬新なアイディアを提示した時に、まっさきにそれに反応して、イノベーターを支援し、その意義を他の人たちに伝え、説明する人たちのことです。天才的なイノベーターはどんな集団にも生まれてきますが、アーリーアダプターの頭数は歴史的条件に従って消長します。アーリーアダプター層が分厚い社会では、イノベーターはその才能を十分に発揮することができますが、この層が薄い社会では、どれほど天才的なイノベーターが登場しても、誰もその価値に気づかない。

 今の日本はアーリーアダプターの層がどんどん薄くなっています。アーリーアダプターの条件はただ「変化に対する感度がよい」というだけではありません。「暇があって、小銭がある」というのが必須の条件です。朝から晩まで働き詰めで、かつ財布が空っぽというような人は「新しいこと」なんかに興味を持つことができません。この「暇があって、小銭がある」人たちが一定数存在するためには分厚い「中産階級」が必要です。アーリーアダプターは「中産階級の副産物」だからです。

 戦後の英国は「ゆりかごから墓場まで」の手厚い福祉制度を整備しました。その結果、それまで文化資本にアクセスする機会がなかった労働者階級の子どもたちの中から大学に進学したり、楽器を演奏したり、絵を描いたりする者が出て来た。60年代英国はロックミュージックやファッションや映画や文学でいきなり世界のトップランナーになりますが、それは福祉制度の受益者の子どもの世代のもたらしたものです。イノベーションは「中産階級の副産物」だというのはそういう意味です。

 分厚い中産階級があり、そこから「暇と小銭がある層」が生まれると、イノベーターたちが縦横に活躍する環境が整う。そこから生まれる「新しいもの」が学術的な世界標準を制定することもあるし、新しい芸術分野を創り出すこともあるし、画期的なテクノロジーを生み出すこともある。

 50年代末から80年代末までの30年間の日本もその状態に近かったと思います。活気があった。今の日本が失った最大の人的資産はこの「アーリーアダプター」、「暇と小銭がある人たち」だと僕は思います。今の日本だと、こういう人たちはたぶん「寄生虫」とか「フリーライダー」とか呼ばれて排除の対象にしかなりません。それなら、今の日本から「新しい世界標準」が生まれるチャンスはほとんどないと言ってよいと思います。

 

―「奪い合い」が続くと人も国は疲弊しそうです。日本がなんとか再生する上でカギとなるのは。

 

「コモンの再生」を僕は提案しています。「日本的コミューン主義」と言ってもいい。日本の伝統的な政治思想を淵源とするものですが、違うのは公共財を豊かにすることを通じて非暴力的に、長期的に階級再編を促すという路線を採用していることです。

 従来のコミュニズムの革命論は、権力者、富裕者から権力と富を暴力的に奪い、それを民衆に分配するというプログラムでしたけれども、実際には前の権力者たちが所有していたものは多くの場合、次の権力者となった革命家たちの「私財」として占有されてしまい、公共財として共有されることはなかった。

 どうすればそのピットフォールに陥らずに済むのか。僕が代案として提出するのは、他人の権力や富を力ずくで奪うことによってではなく、市民一人一人が、自分の持っているささやかな財を「公共」のために差し出すというかたちで「公共を再建する」という道です。

 権力や富は支配層が独占することができますが、独占できないものがある。それは文化資本です。本を読んだり、音楽を演奏したり、スポーツや武道を練習したり、伝統芸能を稽古したり、宗教的な修行をしたりすることによって人々は知性的、感性的に成熟を遂げることができるわけですけれども、これらはすべての市民に習得の機会を開放することが可能であり、かつほとんどお金がかからない。

 そもそも今の日本の支配層は文化資本に興味がありません。知性的であることにも、ゆたかな感情を持つことにも、武道や伝統芸能に習熟することにも彼らは関心がない。しかし、文化資本を獲得して、世界の成り立ちや人間の本質について深い洞察を得ることには十分な現実変成力があります。時間はかかりますけれど、市民的成熟を遂げた市民が多くなればなるほど、その社会は「住みやすいもの」に変わってゆくはずです。僕はそう信じています。

 僕は今神戸で道場を開いて、合気道を教えていますけれど、武道の技術と知恵は、権力や財貨と違って、与えても目減りすることがありません。門人たちはその技術と知恵を習得して、次は自分の道場を開いて、自分の門人に伝える。その門人たちはまた・・・というふうに、いくら贈与しても、文化資本は目減りすることのない無尽蔵の富なのです。文化資本の場合、贈与と嘉納のシステムがどれほど活発に機能しても、それによって誰も迷惑する人はいない。誰かの所有物を奪うわけではありませんから。

 長いタイムスパンで見ると、結果的に市民的成熟度の違いによって、社会が階層化されるようになると思いますけれど、それには「大人」の方が「子ども」よりも社会的上位に位置づけられるということです。「大人」が「子ども」を収奪するとか、虐待するいうことはありません。そういうことをしないのが「大人」なんですから。そして、「大人」になる機会が万人に開かれている社会を創り出すことを僕は「コミュニズム革命」だと理解しています。僕が言う「コモンの再生」というのは、とりあえずは文化資本を公共財として、それへのアクセス機会を最大化するということです。

 

―私たちメディアはそういうのに「スキル」っていう名前をつけて、それでお金を稼ぐことを促している気がしますが......

 

 

 スキルで稼いじゃいけないんです。世界の成り立ちや人間の本質についての知にアクセスする機会は、すべての人に無償で提供されなければならない。人が成熟するための道を塞いだり、課金したりしてはいけない。人が成熟して、世の中が住みやすくなることから受益するのは社会全体なんですから。市民たちが成熟することで受益するのはその人個人だけではなく、社会全体なんですから。

2024年

7月

02日

霊山寺

みなさん、こんにちわ。本日は事務局担当日です。

1日は西日本で記録的大雨となったようですね。

先日から生駒市で土砂崩れがあったり、JR和歌山線が止まったりしているようですが、みなさんのお近くでは大丈夫ですか?

6月のとある土曜日の早朝、バラで有名な霊山寺に、ワンコとともにお出かけしてきました。

霊山寺は、代々愛犬家とのことで、なんとワンコ連れ入山が大丈夫なのです😀

 

ちょっと時期をはずしてしまったので、

バラはほとんど咲いていなかったのですが、

その分、人が少なくて、ゆったり回りに気をつかわずにワンコとお散歩を楽しめました。

 

霊山寺は、736年(天平8年)に聖武天皇の勅命で行基が建立した歴史のあるお寺です。バラ園は昭和32年に世界平和を願って作られたそうです。

境内にある行基菩薩像は、近鉄奈良駅の噴水の上におられる像と同じだそうです。

 

 何度もお参りさせて頂いたことがあるのですが、

こんなに歴史あるお寺とは、知りませんでした😲

 

鳥居を越えたあたりからの森の中の澄んだ空気、静寂の中の川を流れる水の音など

私にとってはパワースポットで、特に5月から7月頃にはたまにむしょうにお参りをしたくなる場所です。

そしてそして。

霊山寺からほど近い場所にあるのが、以前ご紹介した

ドイツパンがすっごくすっごくすっごくおいしいエアダールさん。

こちらもなんとワンコOKなので、お参り帰りに一緒に伺い、

心もお腹も大満足な日になりました😆

 

富雄方面にお越しの際は、是非お立ち寄り下さい♪

 

 

 

 

2024年

7月

01日

内田樹さんの「東洋経済のインタビュー」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1540

日本の政治家で国際社会に向けて自分の哲学に基づいてメッセージを発した人は鳩山首相が最後だったと思います。それ以後、アメリカ追随以外のメッセージを発信した人はいません。

 

 

2024年6月30日の内田樹さんの論考「東洋経済のインタビュー」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

―アメリカの学生たちを中心にガザ侵攻に対する激しい抗議活動が起こりましたが、若い人たちはたんにガザ侵攻だけに怒っているのでしょうか。人種差別や気候変動、あるいは、最近の大人たちなど多岐にわたって怒りをぶつけているように見えます。

 

 そうだと思います。今の世界は「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい」いう視野狭窄的なものの見方が支配的です。だから、人々は人口減や気候変動など長いタイムスパンの中で考察すべき危機に対しては考えようとしない。世界どこでもそうです。世界を見回しても、グローバルリーダーシップを取ることのできるだけの宏大なビジョンを語る政治家がいない。若い人たちが苛立つのは当然だと思います。

 

―日本では抗議運動もささやかですし、報道も下火な感じがします。

 

 日本はそもそも「抗議」とか「反抗」とか「抗命」ということに対して強い抑圧がかかる社会です。いったん大勢が決まると、全員がそれに流されてゆく。あえて異を唱える人は「空気が読めないやつ」として排除される。

 外交も同じです。国際社会の大勢がどちらに流れるかを日和見している。ガザの虐殺についても、日本には外交的な哲学がない。ただアメリカの尻についてゆくだけです。いまガザで行われているのは「ジェノサイド」であることは日本政府だってわかっているはずです。けれども、アメリカに逆らうわけにはゆかない。遠い中東のことについて、どうせ日本には何もできることなどないのだから、あえてアメリカに逆らって自分たちの立場を明らかにするようなリスクを冒してもメリットはない、そう思っている。

 でも、これは国際社会に対してあまりに無責任だと思います。現に、世界のさまざまな国がこの問題についてそれぞれの見識を語っています。日本も独自のオピニオンを語るべきです。東アジアの大国として、国際秩序がどうあるべきか、世界に向けて発信しなければいけない。日本政府はその責任を果たしていません。

 

―何か諦めているのでしょうか。

 

 国際社会に対して「世界はこうあるべきだ」というメッセージを発信することは、国連に加盟している193のすべての国民国家にとっての義務だと思います。それがどんなに夢想的なものであっても、それでもその国がどういう未来をめざしているのかについては明らかにする義務がある。しかし、日本の政治家で国際社会に向けて自分の哲学に基づいてメッセージを発した人は鳩山首相が最後だったと思います。それ以後、アメリカ追随以外のメッセージを発信した人はいません。

 

―つまり日本の世界的なプレゼンスがどんどん下がっていると。

 

 そうだと思います。国際社会におけるプレゼンスは、軍事力と経済力だけで決まるものではありません。指南力のあるメッセージを発信する力も、国力の重要な構成要素です。それは軍事や経済とは違う、もっと叡智的で道義的なものです。「日本は今の世界をどう見ているか」「日本はこれからの世界はどうあるべきだと思っているか」を論理的で説得力ある言葉で語ること、これはあらゆる政治的リーダーの義務ですけれども、今の日本にそんなことを本気で考えている政治家はいません。

 

―かつてはもっと雄弁だった?

 

 主権国家だった頃は、日本は固有のプレゼンスを持っていたと思います。国際連盟ができたのは1920年ですが、大日本帝国は常任理事国に選ばれました。アメリカが議会の反対で加盟できなかったので、常任理事国はイギリス、フランス、イタリア、日本の四国でした。今から100年前の日本にはそれだけのプレゼンスがあった。でも、軍部が暴走して戦争に負け、明治の先人たちが営々として築いたものをほとんど失った。でも、60年代から奇跡的な経済成長を果たして、80年代にはアメリカと並ぶ経済大国になった。短期間に国運を再生させた先人の努力は評価に値すると思います。

 その時代のアメリカ人は日本の驚異的な復活に対して「畏怖」に近い感情を持っていました。映画を観るとそれがわかります。例えば、『ゴースト』(1990年)では、主演のパトリック・スウェイジは日本語を必死に勉強していますが、それはメインの取り引き相手が日本人なので日本語会話能力がエリート社員であるための必須条件だったからです。『ブレードランナー』(1982年)でも日本の製薬会社の広告が画面一杯に広がり、ハリソン・フォードが日本語しかしゃべらない親父相手にうどんを注文する印象的な場面もありました。東洋に日本という不思議な国があって、その国の文化や商品がアメリカ社会に深く入り込んでいる。そのことに対する驚きと微妙な不快感が画面からにじみ出していた。

 平和憲法がありますから、日本が軍事大国になるリスクはない。でも、経済力で世界を支配するだけの潜在能力は持っている。当時の国際社会からの評価はそういうものだったと思います。80年代には、世界の時価総額トップ50企業のうち32社が日本企業でしたし、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われ、「日本型経営モデル」が真剣に研究された。でも、バブル崩壊で、日本は経済活動についての指南力を喪失しました。その後も20年近く日本はアメリカに続くGDP世界二位の経済大国だった。でも、もう世界に向けて「日本はこうやって生きてゆく。みんなも日本に従え」という強い言葉を発することはありませんでした。

 

―政府や政治家のみならず、メディアもそして個人も「声を上げること」のリスクが大きくなっている感じがします。人と違うことを声を大にして主張することが損になってしまうというか。

 

 もともと日本社会は同調圧力が強い国でしたが、バブル崩壊以後の「失われた30年」に市民の規格化は過剰なまでに進行したと思います。これは日本が貧乏になったせいです。「パイが縮んで来る」と人々は「パイの分配」についてうるさいことを言い出す。自分の取り分を確保するためには、他人の取り分を削らなくてはならないと考えるからです。どうやって他人の取り分を減らすか。そのために、メンバー全員を何らかの基準で格付けして、スコアの高いものにたくさん与え、スコアの低いものの取り分を減らす。それが一番フェアな分配方法だという話になった。

 格付けに基づく傾斜配分という発想は、一見すると合理的に見えますけれど、実はかなり危険なものです。というのは、全員を格付けするためには、あらかじめ同質化する必要があるからです。全員に同じことをやらせないと、数値評価はできません。だから、「誰でもできることを他人よりうまくできる人間」にハイスコアを与えるというルールを採用した。「生産性」とか「社会的有用性」とか「所得」とかあるいは端的に「成功」を数値化して、それを基準に国民を格付けすることにした。でも、すでに金や権力を持っている人間にハイスコアを与え、貧しい人に罰を与えるような傾斜配分なら、ただ格差が拡大するだけにしかならない。

 それに、全員が同じことをやって、ただ相対的な優劣を競っているだけの社会で「新しいもの」が生まれるはずがありません。お互いの足の引っ張り合いをし、「出る杭」を打ち、「水に落ちた犬」を叩く・・・だけしかやっていないんですから。そんな社会で自分の見識を貫こうとするのは難事業です。少しでも人と違うことを言ったり、したりすると弾きだされる。

 

だから、今の若い人たちは「浮く」ことを病的に恐怖しています。集団から「浮く」というのは、要するに「競争から脱落する」ことです。だから、デモもストも起きないのです。そういう抵抗の運動を始める時は、最初に誰かが「誰もしないことをして、誰も言わないことを言う」というリスクをとらなければなりません。でも、抵抗の旗を立てても、誰もついてこなければ、その人は一人だけ「浮く」ことになる。だから、怖くて誰もあえて戦おうとしない。そうやって学生運動もなくなったし、労働組合も機能しなくなった。

2024年

6月

27日

奈良マラソン2024への道 その12 ☆ あさもりのりひこ No.1539

6月21日(金)早朝、雨で安足日。

 

6月22日(土)早朝、インターバル走、34分42秒、6.224㎞、平均ペース5分35秒/㎞、累積上昇82m、消費カロリー391㎉。

6分40秒(200m)

5分11秒、7分20秒(200m)

5分17秒、6分18秒(300m)

5分28秒、8分51秒(100m)

5分17秒、6分43秒(200m)

5分21秒、5分12秒(300m)

この行程の自己記録を更新した。

 

6月23日(日)早朝、雨で安足日。

 

6月24日(月)早朝、丘の階段641段、52分21秒、7.19㎞、平均ペース7分17秒/㎞、総上昇量157m、消費カロリー539㎉。

1 6分51秒(上り下り)

2 6分46秒(上り)

3 7分31秒(上り下り)

4 8分44秒(階段)

5 9分06秒(上り下り)

6 5分48秒(下り)

7 6分27秒(上り下り)

8 6分10秒(190m

 

6月25日(火)早朝、ウインドスプリント300m×10本、52分26秒、7.641㎞、平均ペース6分51秒/㎞、累積上昇102m、消費カロリー529㎉。

6分45秒、6分59秒、7分01秒(100m)

4分31秒/㎞、5分03秒/

4分25秒/㎞、4分44秒/

4分20秒/㎞、4分40秒/

4分16秒/㎞、4分41秒/

4分23秒/㎞、4分49秒/

7分30秒、7分19秒、7分40秒(100m)

 

6月26日(水)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、傾斜3.0%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、消費カロリー375㎉、手首に重り1㎏×2。

久しぶりに傾斜3.0%で走った。

 

6月27日(木)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

 

足首に付けた重りの粒が洩れていて、少しずつ減ってきている。

2024年

6月

25日

近鉄大和八木駅周辺の便利スポット「ChargeSPOT(チャージスポット)」を知っていますか@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当です。

大谷選手が、週間MVPに選出されたと朝からニュースを見てテンションUP♪

これで、今季2回目、通算9回目の受賞となり、日本人最多記録をまたも更新です😄

 

やっぱり朝から大谷選手の活躍を見られると元気を貰えます(*^-^*)

さて、近鉄大和八木駅周辺の便利スポットをこれまでもいくつかご紹介してきましたが、

改札手前のコンコースに、モバイルバッテリーの貸し出しができる

「ChargeSPOT(チャージスポット」ができていたのをご存じでしたか?

 

先週事務所を出て駅に向かう途中、ふと自分のスマホを見ると、残りの電池が18%!

これは自宅に帰るまで持たないなと思い、以前にもご紹介した「チャージスポット」が

この辺になかったかなと検索していたら、

「近鉄大和八木駅 改札外1階コンコース」の表記が!

 

毎朝通っていながら全く気が付きませんでした・・・😅

 

 

 

電車の駅構内やコンビニなどでよく目にする

ボックスタイプだと思い周辺を探してみたものの、

どこにも見当たりません・・・。

 

 

 

 

 

 

 

もう一度、ネットでよく見てみると、

 

・・・まさかの自販機?!

 

 

周辺を改めて確認してみると、成城石井の向かい側に、ひっそりと並んでました(^^;)

バッテリーを借りるには、

自販機中央部分にあるQRコードをスマートフォンで読み取って、

支払い方法を選択し画面を進めると、自販機から借り受けるバッテリーが出てきます。

 

支払いには、クレジットカードのほか、PayPayなどの電子マネーや、

携帯料金とのまとめて支払いなども選べます。

 

 

料金は、30分以内であれば165円、3時間以内まで360円、24時間未満で540円ですが、来週7月1日から料金が改訂されるようですのでご注意下さい😅

 

 

 

バッテリーには、

USB Type-C、ライトニングケーブル、microUSB

3種類のケーブル端子が付いているので、

ケーブルを別途買いに走る必要もありません。

 

 

さらに、バッテリーの返却は、

借りた場所だけでなく、

空いているチャージスポットなら

 

どこでも返却可能です。

 

スポットを探すには、専用アプリをダウンロードすれば、

地図で確認することができます。

 

ちなみに、大和八木駅周辺で見てみると、

先ほどの八木駅前のコンコースのほか、

橿原近鉄百貨店(2カ所)や、

ドコモショップ大和八木店にもありました。

 

 

外に出るときに限って電池が少なくてドキッとすることが

あるので、これからはもっと活用したいと思います!

2024年

6月

20日

奈良マラソン2024への道 その11 ☆ あさもりのりひこ No.1538

6月14日(金)、眠っているときに右脚の脹ら脛が攣ったので安足日。

 

6月15日(土)早朝、階段1045段、47分37秒、6.16㎞、平均ペース7分44秒/㎞、総上昇量87m、消費カロリー471㎉。

7分46秒、8分20秒、7分36秒

7分40秒、8分10秒、7分12秒

5分26秒(160m

 

6月16日(日)、眠っているときに左脚の脹ら脛が攣ったので安足日。

大和郡山市で「オッペンハイマー」を観る。

天理市の「洋食Katsui  」で遅い昼食。

 

6月17日(月)早朝、全力・ジョグ・全力、36分12秒、6.193㎞、平均ペース5分51秒/㎞、累積上昇82m、消費カロリー466㎉。

6分59秒(600m)

5分28秒、5分14秒

6分32秒、6分57秒(500m)

5分20秒、5分26秒

5分51秒(100m)

 

6月18日(火)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、傾斜2.5%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、消費カロリー368㎉、手首に重り1㎏×2。

 

6月19日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

 

6月20日(木)早朝、ビルドアップ走、37分15秒、6.22㎞、平均ペース6分00秒/㎞、総上昇量76m、消費カロリー426㎉。

1 6分33秒(上り下り)

2 6分21秒(上り)

3 6分04秒

4 5分59秒

5 5分36秒(下り)

6 5分34秒(上り下り)

7 5分17秒(220m)

 

一応、速度が落ちることはなかった。