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2021年

9月

22日

内田樹さんの「『複雑化の教育論』まえがき」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1053

子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だ

 

 

2021年9月18日の内田樹さんの論考「『複雑化の教育論』まえがき」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

 『複雑化の教育論』は教育についての講演録です。2020年の夏から2021年の3月まで3回にわたって行った講演を書籍化しました。

 日本各地に赴いて、現地の学校の先生たちを前にして、僕が講演してから、フロアの先生方と対話をするという企画でしたが、コロナ禍のために対面での講演が難しくなり、全国ツァー計画は放棄せざるを得なくなりました。代わりに3回とも神戸の凱風館(僕が主宰している道場・学塾)で行うことになりました。

 10人から15人ほどの聴衆においで頂き、その方たちの前で僕が2時間ほど話をして、それから質疑応答をするというやり方です。少人数ではありましたが、とにかく「人前で話す」というかたちだけは整えることができました。聴講者の募集・会場の設営・録音・文字起こしなどは東洋館出版社の刑部愛香さんに仕切って頂きました。お骨折りに感謝いたします。

「複雑化の教育論」というタイトルも刑部さんの提案です。どこかで僕が「教育の目的は子どもたちの成熟を支援することであり、成熟とは複雑化することだ」と話したのを聴いて、その時の「複雑化」という語が印象に残ったようです。「まえがき」として、そのタイトルの意味についてちょっとだけ書いておきたいと思います。

 

「子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だ」というようなことを主張する人はあまりいません。ふつうは知識が増えるとか、感情が豊かになるとか、コミュニケーションがうまくなるというようなことを「成熟」の指標にとります。それでももちろん構わないのですけれども、子どもにおけるほんとうに大きな変化は「昨日より複雑な生き物になった」というかたちで現れると僕は思っています。これまで見たことのない表情を浮かべ、聴いたことのない語彙を用いて語り始め、これまでしたことのないような身動きをするようになる。

 教師や親にしてみると、ちょっとショックです。ですから「当惑する」ということはあっても、「喜ぶ」というリアクションはあまり期待できない。でも、僕はここで大人は喜ばないといけないと思うのです。

 大人たちは当惑しますけれど、それ以上に当惑しているのは本人の方です。なにしろ、「別人」になってしまうんですから。なりたくてなったわけじゃないんです。「複雑化しよう」と自己決定して、自己努力の成果として変わったわけじゃないんです。

 量的な変化なら自己決定・自己努力で達成できます。体重を増やそうとか、声を大きくしようとか、俊敏に動こうというようなことならある程度までは自分で統御できます。でも、「複雑になる」というプロセスは統御できません。単細胞生物が多細胞生物になるようなものだからです。単細胞生物がより複雑な生き物になる時に、あらかじめ「下絵」を書いたり、工程管理をしたりすることができません。だって、多細胞生物がどんなものか知らないんですから。

それと同じです。子どもがより複雑な生き物になるというプロセスがどういうものかは、なってみないと分からない。気がついたら、複雑になっていた。

 それはさまざまな「行(ぎょう)」の構造とよく似ています。宗教的なものであれ、武道的なものであれ、あるいは芸事の修業であれ、「行」というのは「前に進む」ということだけがわかっていて、いつ・どこにたどりつくことになるのかは分かりません。「行」の場合には「先達」がいますので、ただその背中についてゆくだけです。どこに向かっていて、いま全行程のどの辺まで来たのか、その行程を走破するとどういうことが起きるのか、そういうことを先達は何も教えてくれません。言ってもしょうがないからです。仮に目的地はどこかを言葉で言ってみても、その語は修業者の手持ちの語彙にはないからです。だから、たとえ聴いても意味がわからない。

 武道の修業もそうです。それまで自分の身体にそんな部位があるとは知らなかった部位を操作できるようになり、そんな動きができると思ってもいなかった動きができるようになった後に、これまで自分が稽古してきたことの意味がはじめてわかる。

 

 行の意味は事後的にしか開示されません。だから事前に「この行の目的はね...」というふうに説明をすることができない。

2021年

9月

21日

今晩は中秋の名月

本日9月21日は、事務局が担当です。

今晩は、秋の名月(十五夜)です。

昨晩の天気予報では、日本の殆どのところで、名月が観られるようです。

但し夜遅くなると雲に隠れるところもあるようですので、午後6時過ぎから月が昇ってきますので、早めに観られることをお奨めします。

また今年の名月は、満月だそうで、てっきり名月(十五夜)は、満月と思っていたらそうではなかったそうです。

昨晩も東の山から登ってくる月を観ましたが、大きく綺麗でした。

 

その月を観ているとなぜか、心が落ち着き、穏やかになるようでした。

私が高校生頃迄の記憶には、中秋の名月には祖母が庭に棚を設け、棚の上には、ススキと里芋と栗を炊き込んだご飯、お餅、お酒などが飾られていました。

今思えば、その情景を見て、家族皆が、それぞれ心になにかを得ていたのだと思います。

ご存じとは思いますが、この時期には「月見酒」と言って古くから月を見ながらお酒を楽しむ風習があります。

月明かりだけで、広口の器にお酒を注いで、器の中に月を浮かばせながら静かにもの思いにふけって過ごす夜も良いのではないでしょうか。

月を見ながらの食事もしくは食事の後の一杯は、とてもリラックスできますよ。

そうしたら、気持ちの切換ができ、いい考えや、新たな何かが見つかるかもしれませんよ。

秋の夜に、みなさんの心にも収穫が得られますようにお過ごし下さい。

2021年

9月

16日

三度のメシ ☆ あさもりのりひこ No.1052

1日に朝・昼・晩と3回メシを喰うと、1週間で3回×7日=21回メシを喰うことになる。

 このメシを誰が作るのか?

 

まず、朝食から。

月曜日から日曜日まで、朝食は朝守が作る。

 

 つぎに、昼食。

 月曜日から金曜日まで、昼食は大体弁当である(夏場はお休み)。

 早朝、朝守が米を研いで、炊飯用の土器で炊く。

 妻が、炊きあがったご飯を弁当箱に詰める。

 朝守が朝食のスープを作って、その一部をスープジャーに入れて持っていく。

 妻が、おかずを作る。

 弁当は、役割を分担する共同作業の賜物である。

平日の朝守の昼食は、ご飯、おかず、スープである。

 

 土曜日の昼食は、外食である。

 

 日曜日の昼食は、朝守が作ることが多い。

 

 最後に、夕食。

 月曜日から金曜日まで、妻が夕食を作る。

 土曜日と日曜日は、朝守が夕食を作る。

 

 では、朝守は1週間で何回料理をつくるのか。

 朝食は、7回。

 昼食は、月曜日から火曜日まで半分作るので2.5回と日曜日1回の合計3.5回。

 夕食は、土曜日と日曜日の2回。

 以上合計、7回+3.5回+2回=12.5回

 

21回のうち12.5回なので約59.5%。

 およそ6割は朝守が作っていることになる。

 

 料理を作るのは好きだ。

2021年

9月

14日

9月日記

橿原市 弁護士

みなさん、こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

いつになく過ごしやすい残暑ですね。

朝の通勤も汗だくにならず、自転車で風をきるのが気持ちいいです(・∀・)

私が子どもの頃は、猛暑といっても30度を超えたくらいでした。

クーラーがなくてもへっちゃらでした。

 

過ごしやすいのはいいことなんですが、

なんだか落ち着かないのは私だけ?

コロナワクチンの子ども用の接種券も届きました。

接種日と部活の大会日程が重ならないよう、日程確認をしていると、

子どもが「受けたくない」と言いだして、困っています(>_<)

腕が痛くなったり、熱が出て練習できなるなるのがイヤだ、と。

 

そんなことよりコロナになったら部自体が大会にでられなくなるから困るよと

言っても首をたてに振りません・・・。

小学生なら無理矢理にでも連れて行けますが、

中学生ともなると、向こうのほうが力が上で。

いかんせん、握力学年2位の馬鹿力なので。 ← いやいやそういう腕力の問題ちゃうし

 

どうしたもんかなぁと思っていたら、「奈良県がワクチン摂取率をあげるために接種した人に地域お食事券進呈!!」とニュースが流れました。

あんたの分はないで!と言ってみたら、

現金な我が子「行ってもいいかも」・・・(-_-;)

まさにうちの子のための施策です・・・。

 

橿原市 弁護士
暑いのキライ~

三重大学では、鼻からスプレーをするコロナワクチンを開発中だそうですね。

鼻ワクチンだと、喉や鼻の粘膜に多く抗体を作るので、入口ブロックができるそうで、

また、動物実験では副反応も起きていないそうです。

注射針も使わないので、医療者への負担も少なく、いいことづくめ!

すごいなぁ。

ただ、研究予算がなくて、動物実験でとまっているそうです・・・。

クラウドファンディングとかできないのかなぁ。

寄付したらワクチン優先してもらえる、とかならすぐに集まりそうですよね(・∀・)

 

ファイザーワクチン後、まだときおり接種部位が痛むことがありますが、

コロナへの心理的不安は接種前よりだいぶ少なくなりました。

あとは、早くタミフル的なお薬ができて欲しいものです。

 

2021年

9月

09日

奈良マラソン2021への道 その12 ☆ あさもりのりひこ No.1051

8月20日(金)早朝、全力疾走、ジョギング、全力疾走、37分50秒、6.514㎞。

最初の2㎞は、5分20秒、5分22秒、最後の2㎞は、5分00秒、5分11秒。

 

8月21日(土)早朝、ジョギング、1時間16分27秒、11.349㎞。

 

8月22日(日)早朝、ペース走、1時間42分28秒、15.772㎞。

 

8月23日(月)早朝、ビルドアップ走、41分00秒、6.528㎞。

 

8月24日(火)早朝、インターバル走、38分29秒、6.554㎞。

5分10秒、5分18秒、5分38秒、5分39秒、5分47秒、最後の400メートルは5分37秒/㎞。

3本目以降が伸びなかった。

 

8月25日(水)夜、トレッドミルでビルドアップ走、傾斜2%、30分、4.7㎞。

時速8.8キロ(6分45秒/㎞)、9.2キロ(6分30秒/㎞)、9.6キロ(6分15秒/㎞)、10キロ(6分00秒/㎞)で各1㎞、10.4㎞(5分45秒/㎞)で700m走った。

トレッドミルはランニングフォームをチェックするのに向いている。

 

8月26日(木)早朝、ペース走と階段598段、47分56秒、6.958㎞。

 

8月27日(金)早朝、ウインドスプリント、42分42秒、6.181㎞。

ウインドスプリント200m×10本のペースは、5分00秒、5分06秒、5分12秒、4分42秒、4分51秒、4分41秒、4分40秒、4分20秒、4分32秒、4分31秒。

 

8月28日(土)早朝、ジョギング、1時間13分13秒、11.338㎞。

イージーランニングの予定で、1㎞7分06秒のジョギングペースで走り始めたが、徐々にビルドアップしてしまって、最後の300mは1㎞5分49秒のペースになった。

 

8月29日(日)早朝、飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社の階段552段を上る。

1時間45分18秒、14.876㎞。

 

8月30日(月)早朝、坂道ダッシュ400m3本、54分38秒、7.677㎞。

2分30秒(6分08秒/㎞)、2分34秒(6分28秒/㎞)、2分31秒(6分11秒/㎞)。

 

8月31日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走、傾斜2%、30分、4.7㎞。

時速8.8㎞(6分45秒/㎞)、9.2㎞(6分30秒/㎞)、9.6㎞(6分15秒/㎞)、10㎞(6分00秒/㎞)で各1㎞、最後は時速10.4㎞(5分45秒/㎞)で700m走った。

 

9月1日(水)早朝、階段1138段駆け上がり、50分57秒、6.035㎞。

日曜日以降「疲れ気味」である。

 

9月2日(木)早朝、全力疾走、ジョギング、全力疾走、40分35秒、6.509㎞。

最初の2㎞は、5分24秒、5分35秒、最後の2㎞は、5分38秒、6分01秒。

最後の2㎞が伸びなかった。

疲れが残っている。

 

9月3日(金)早朝、ビルドアップ走、39分54秒、6.524㎞。

6分48秒、6分45秒、6分30秒、6分10秒、5分43秒、5分21秒、最後の500mは4分53秒/㎞。

この行程で40分を切ったのは今年はじめて。

 

9月4日(土)早朝、ジョギング、44分11秒、6.323㎞。

 

9月5日(日)早朝、ジョギング、43分13秒、6.081㎞。

坂道ダッシュの行程をジョギングしたが、坂道の途中の公園の中を初めて走った。

初めて走る行程はワクワクするね。

 

午前11時に新型コロナウイルス感染症のワクチン(モデルナ製)を打った(1回目)。

 

9月6日(月)ワクチンを接種したので休足。

夜、打った所の周りに赤い輪ができていたが、朝起きるとなくなっていた。

左腕の注射したあたりが少し張っている。

それ以外は異状なし。

 

9月7日(火)夜、トレッドミルでジョギング、傾斜2%、30分、4.34㎞。

ワクチンの副反応はないが、用心してジョギングにした。

 

9月8日(水)仕事のため休足。

 

 

9月9日(木)雨、休足。

2021年

9月

08日

内田樹さんの「旧悪は露見するか?」 ☆ あさもりのりひこ No.1050

「ネットで検索すれば簡単に旧悪がばれる」人がいたとしたら、それはその人にとって「旧悪」ではなく、頻繁に更新され、上書きされてきた「新悪」だからである。今もなお「いかにもそういうことを言いそうな人間」だから、過去のテクストをサルベージしたら「すぐ」にお目当てのものが出てくるのである。

 

 

2021年8月31日の内田樹さんの論考「旧悪は露見するか?」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ある週刊誌から「旧悪の露見」についてコメントが欲しいという電話があったのは2週間ほど前である。五輪開会式にかかわったクリエーターの二人が、民族差別といじめについての「過去の言動」を掘り返されて職を解かれたことについて、「こんなふうに簡単に昔のことを掘り出して炎上させることができる時代になると、誰でもがプライバシーを侵害されるリスクがあるのではないでしょうか」という論調でコメントを取りに来たのである。

 私は「その作業は決して簡単ではない」ということをまず申し上げた。

 例えば、私の過去の書き物のうちから何であれ「差別的」な発言を取り出して、「炎上」させることは理論的には可能である。ただその場合に、その人は私のとりあえず手に入る限りの私の著作を通読し、かつ過去十数年分のブログ記事すべてを読まなければならない。

 たぶんすべてを探せば「差別的な発言と解釈できなくもない」文言は見つかるとは思う。だが、私の書き物からそれを探しだすのは「干し草の山から針を探す」作業に近い。おそらく数週間にわたり、朝から晩まで私の書き物を読み続ける(場合によって、その挙句「何も見つからなかった」ということもあり得る)という地獄のようなタスクをこなさなければならない。

 どれほどの苦役であろう。

 だから、「ネットで検索すれば簡単に旧悪がばれる」という記者の設定そのものに私は同意しない。「ネットで検索すれば簡単に旧悪がばれる」人がいたとしたら、それはその人にとって「旧悪」ではなく、頻繁に更新され、上書きされてきた「新悪」だからである。今もなお「いかにもそういうことを言いそうな人間」だから、過去のテクストをサルベージしたら「すぐ」にお目当てのものが出てくるのである。

 二十年前に「言わない方がいいこと」を言ってしまい、それを消去する手立てがないという場合には、それから後「そういうことを言いそうもない人」たるべく自己陶冶するはずである。

 ジャン・バルジャンだって、別に「旧悪が露見した」わけではない。起業して成功し、人望篤い市長になっていたのである。彼の旧悪が明らかになったのは彼が無実の罪を着せられた人を救おうとしたためである。ふつう、心を入れ替えて「よい人」になろうと思って日々努力している人の身には「旧悪が露見する」ということは起こらない。もしかしたら、こいつ「ろくでもないやつ」じゃないのか・・・という疑惑を周囲に抱かせるからこそ「旧悪」を調べようという気になるのである。

 だから「ネット時代になれば、誰でも過去の失言を咎められるリスクがある」というのは事実ではない。仮に過去に恥ずべき失言をなしたことがあったとしても、その後反省して、「そういうことを言いそうもない人」になるべく努力を重ねていれば、その人について「恥ずべき過去があるに違いない。いくら時間がかかっても構わない。徹底的に調べてやろう」という人は出てこない。

 ネットというテクノロジーを駆使するのは生身の人間である。生身の人間においてある人物の「旧悪」を探す意欲がむらむらと湧き上がることがなければ、仮に恥ずべき過去があったとしても、それはいずれ忘れられる。それでいいと私は思う。

 というコメントをしたのだが、企画自体が没になったので、コメントは採用されませんでしたという電話がさきほどあった。

 

 せっかくしゃべったことなので、備忘のために書き残しておく。

2021年

9月

07日

疲れ目に注意@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

9月に入ってから朝晩も少し涼しくなり,秋の気配を感じるようになってきました🎑

 

パラリンピックも先日閉幕しましたが,

今大会で話題になった「ボッチャ」,

私も途中から観戦していました!

 

白の的玉(ジャックボール)にいかに近づけて

投げられるかを競い,6個のボールを順番に投げて

いくのですが,

ボールは投げてもよし,転がしてもよし。

 

相手のボールをうまくはじいて外に出したり,

的玉を動かして自分のボールに近づけるなどして,

最後に一番的玉に近い方が点を獲得する,

というものでカーリングにも少し似てますよね。

 

的玉にビッタビタに寄せる杉村英孝選手が格好良かった!!

 

年齢も関係なく楽しめるので,家族や友人と遊んでみたいなぁと思いました(・∀・)

 

 

さて,私事ですが,少し前から,明るくまぶしいところを見ると,

黒く小さい水玉みたいなものが見えていて,なんとなく気になっていたんです。

 

月に一度母を眼科に連れて行くので,先日私も見てもらうことに。

 

大丈夫だと思うけど一応網膜剥離などの心配もゼロじゃないからと言われ,

ドキドキしながら検査を受けた結果,「飛蚊症」と診断されました。

 

「飛蚊症」とは,明るい場所や日中に空を見上げたときに、

目の前に髪の毛や糸クズ、虫のようなもの等の浮遊物が飛んで見える症状で,

眼の中央にあるゼリー状の透明な液体がつまっている硝子体がにごることで

症状が現われます。

 

病気が原因である場合もありますが,

多くは,スマホやPCの見過ぎからくる眼精疲労やストレス,

紫外線などを浴びて発生する活性酵素などが原因とのこと。

 

スマホの見過ぎ・・・には,うん,がっつり心当たりが(-_-;)

 

目に疲れを溜め込ませないようきちんと目を休ませることが大切だということなので,

目薬や,寝る前にアイマスクなどを使い,

夜スマホを見る時間も以前より少~し減らしました・・・(^^;)

 

また,ビタミンCやビタミンEなどの抗酸化作用のある食べ物を取ると

体内の活性酵素を消去してくれる働きがあり,予防にも役立つようです。

食事だけで取るのが難しい場合はサプリメントがお勧めです。

 

皆さんも,目の疲れは溜め込まないよう気をつけてくださいね😓

2021年

9月

06日

内田樹さんの「『コロナ後の世界』まえがき」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1049

とくに「賢い」つもりでいる大人たちが「親切であること」の価値を顧みなくなった。

 

 

2021年8月29日の内田樹さんの論考「『コロナ後の世界』まえがき」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 今よく「ダイバーシティ&インクルージョン」という標語を聞きます。「多様性と包摂」。もちろん、すてきな目標です。ぜんぜん悪くない。でも、これって、微妙に「上から目線」だと思いませんか。

 つまり、「多様性を認めよう」と言っている人って、自分はその集団における「正系」に属しており、「メンバーシップ」を確保しており、「オレたちとはちょっと毛色の違ったのが何人かいてもいい」というニュアンスを漂わせている。「包摂」もそうですよね。「他者や異物を包摂しよう」という人って、「包摂する側」にはじめから立っている。

 いや、それが悪いと言っているんじゃないんです。それで上等です。でも、ちょっと「上から目線」「中から目線」じゃないかと思うんです。ちょっとだけですけど。

 もちろん、僕は「上から目線・中から目線」を止めろと言っているわけじゃないんですよ。「はしなくも、無自覚な優位性・内部性を露呈し」とか言い出したら、「元の木阿弥」ですからね。どうやって、そういうところから抜け出そうかとう話をしているときに、「そういう話」を始めてどうする。

「君たち、そういう優越的な態度をただちに止めなさい、反省しなさい、恥じ入りなさい」とか、そういうことを僕は言っているわけじゃないんですよ。勘違いしないでくださいね。僕は「それで上等」と申し上げているんです。それで結構ですから、これからもそういう態度をどんどん続けてくださっていいんです。

 でも、「上等」にも「その上」があるんじゃないかと思っているんです。

 できるできないは別として、もし「上等の上」があるなら、それをめざしてもいいんじゃないか。それは透視図法における無限消失点のようなものです。実体じゃない。作業上の擬制です。でも、それがないと絵が描けない。そういうものとして「多様性と包摂の上」があってもいいんじゃないか。

 それは何かというと、言葉が平凡過ぎて脱力しそうですけれど「親切」です。

「人に親切にする」ということは、相手より立場が上でなくても、集団のフルメンバーでなくても、できる。

 ちょっとしたことなんです。電車で席を譲ってあげるとか、荷物を持ってあげるとか、エレベーターで「お先にどうぞ」と声をかけるとか。そういうふうな「かたちのあること」だけに限られません。極端な話、相手が「親切にされた」と気が付かなくてもいいんです。朝ゴミ出しをしにゆくときに登校する子どもたちを見て、「今日一日元気でね」と心の中で手を合わせるとか、その程度でいいんです。別に相手から具体的な助力や支援を求められているわけじゃないけれど、自分の方から一歩を踏み出す。自分から始める。自分が起点になる。「心の中で手を合わせる」くらいでも「一歩を踏み出す」にカウントしていいと僕は思います。だったら、そんなにむずかしい仕事じゃありません。

 僕はそういう「親切」がとても大切だと思うんです。

 それが今の日本社会で最も欠けているもののような気がするからです。「親切にしましょう」なんて、小学校の学級標語みたいですけれど、日本人にはどうもそれができなくなっているような気がします。「子どもでもできること」を大人たちがしなくなっている。それが問題なんじゃないかと思います。とくに「賢い」つもりでいる大人たちが「親切であること」の価値を顧みなくなった。

 僕は「どうやったら親切になれるか」ということをずっと考えてきました。そういうことを考えるのは僕が「親切じゃない人間」だからです。当たり前ですよね。自分が生まれつき親切だったら、そもそも「親切にする」という言葉の意味がわからない。周囲の生物がすべて餌であるT―レックスに向かって「あなた、強いですね」と言っても「え? 『強い』ってどういう意味?」と反問されると思います(爬虫類だから人語は解さないですけど)。「強い」という言葉に意味があると感じるのは「弱い」ものだけです。それと同じで、「親切にしよう」という言葉にリアリティーを感じるのは「親切じゃない人間」だけです。自分がそれほど親切じゃないからこそ他人の親切が身にしみる。ああ、ありがたいなあと思う。そんなことしてもらえるとは思わなかったから。

 僕は親切な人間ではありません。時々なにかのはずみに「内田さんて、意外にいい人なんですね」と驚かれることがありますけれど、それは僕の日常の挙措が「いい人じゃない」からです。「内田さんて、意外に親切ですね」とも言われます。意外なんです。僕はかなり心の狭い人間です。すぐ腹を立てるし、人に対して意地悪な気持ちになるし、攻撃的になると抑えが効かないことがある。つい「ひどいこと」を言ってしまう。そして「ひどいこと」を言うときって、いくらでも言葉が湧き出してくる。この本を読んで、「おい、おまえのどこが親切なんだよ。悪口ばっか書いているじゃないか」とあきれる読者がいると思います。ほんとにそうなんです。この本、読むと悪口ばっかり書いている。だいたい、この「まえがき」からして「日本社会を深く蝕んでいる病毒」とかいう言葉から始まっています。ずいぶん無慈悲な言いようですよね。でも、そういうことを書きながら、「ああ、またやっちゃった」と思ってはいるんです。あちこちでそうやって蹴つまずいたり、こけたりしながら「無限消失点」としての「親切」を遠くめざしてはいるんです。その僕の素志だけは信じて頂きたい。現にできていなくても、「遠い目標をめざす」ということはできるんです。どうぞ、そういう不細工な生き方をご海容願いたいと思います。

 というわけで、この論集は「尖った言葉が行き交う現代日本社会を憂えて、人に親切に接しようとしている男が、思い余ってつい『尖った言葉』を口走ってしまう」典型的な事例としてお読みいただければと思います。そんなややこしいもの読みたくないよと思う方もいるでしょうけれど、まあ、そこは一つなけなしの「親切心」を絞り出して、お付き合いください。

 

2021年8月

 

内田樹

2021年

9月

03日

内田樹さんの「『コロナ後の世界』まえがき」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1048

「世の中を少しでも住みやすくする」事業においては、「仲間を増やす」ということが一番大切だと僕は思っています。

 

 

2021年8月29日の内田樹さんの論考「『コロナ後の世界』まえがき」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

『コロナ後の世界』(文藝春秋)は10月20日刊行予定。少しフライングするけれど、販促活動として「まえがき」を載せておく。こんな本。

 

まえがき

 

 みなさん、こんにちは。内田樹です。本をお手に取ってくださってありがとうございます。

 この『コロナ後の世界』は「ありもの」のコンピレーションです。素材になったのはブログ記事やいろいろな媒体に発表した原稿です。でも、原形をとどめぬほどに加筆しておりますので、半分くらいは書き下ろしの「セミ・オリジナル」と思ってください。

 かなり時局的なタイトルになっていますが、それはいくつかの論考が今回のパンデミックで可視化された日本社会を深く蝕んでいる「病毒」を扱っているからです。それについて思うところを書いて「まえがき」に代えたいと思います。

 僕は今の日本社会を見ていて、正直「怖い」と思うのは、人々がしだいに「不寛容」になっているような気がすることです。

 言葉が尖っているのです。うかつに触れるとすぐに皮膚が切り裂かれて、傷が残るような「尖った言葉」が行き交っている。だから、傷つけられることを警戒して、みんな身を固くしている。あるいは、自分の言葉の切れ味がどれくらいよいか知ろうとして、「刃」に指を当てて、嗜虐的な気分になっている。

 そういう「尖った言葉」が行き交っている。外から見ると、あるいはスマートで知的なやりとりが行われているように見えるのかも知れません。でも、僕はそういう言葉がいくら大量に行き交い、蓄積しても、それが日本人全体の集団としてのパフォーマンスが向上することには結びつかないと思います。

 僕はものごとの適否を「それをすることによって、集団として生きる知恵と力が高まるか?」ということを基準にして判断しています。もちろん、その言明が「正しいか正しくないか」ということを知るのもたいせつですけれど、僕はそれ以上に「それを言うことによって、あなたはどのような『よきもの』をもたらしたいのか?」ということが気になるのです。

 言っている言葉の内容は非の打ち所がないけれど、その言葉が口にされ、耳にされ、皮膚の中に浸み込むことによって、周りの人たちの生きる意欲が失せ、知恵が回らなくなるのだとしたら、その言葉を発する人にはそれについての「加害責任」を感じて欲しい。

 よく考えてみたら、それは僕がずいぶん昔からずっと言ってきたことでした。

 若い頃は左翼の言葉づかいに対して、そのような不満を感じていました。「革命をめざす」といっている人たちがお互いに相手について「はしなくも階級意識の欠如を露呈し」とか「嗤うべきプチブル性」とかいう非難を投げ合っていたからです。正直言って、そんなことをいくらやっても得るところはほとんどないんじゃないかと思っていました。というのは、そうやって、「革命闘争を担う資格を持つ人」の条件を厳しくすればするほど、「革命の主体」の頭数は減るだけだからです。「世の中をよりよいものにしよう」と願う資格のある人間の条件を厳密化することによって、この人たちはどうやって世の中をよくする気なんだろうと思っていました。

 同じことは、そのあとフェミニズムやポストモダニズムにも感じたことです。今度は「はしなくも性差別意識を露呈し」とか「うちなる植民地主義に気づくこともなく」というふうに表現は変わりましたけれども、それでも「真に差別され、徹底的に疎外された人間だけがシステムを批判する権利を持つ(それ以外の人間はすべて無意識のうちに差別し、疎外する側に加担している)」ということになると、すてきに切れ味はいいテーゼではあるのですけれども、これもやっぱり、徹底すればするほど「世の中を少しでも住みやすくする」事業の仲間の頭数を減らす結果になる。

 僕が年来主張しているのは、おおむねそういうことです。みんながちょっとずつ「貧者の一灯」を持ち寄って、それをパブリックドメインに供託して、「塵も積もれば山」をめざすという方が「すべてのリソースを正しい目的のためだけに用いる」ことをめざすより話が早いんじゃないか。そう思っているのです。「世の中を少しでも住みやすくする」事業においては、「仲間を増やす」ということが一番大切だと僕は思っています。自分と多少意見が違っている人についても、「まあ、そういう考え方もあるかも知れないなあ」と思って、正否の判断を急がない。中腰で少し耐える(あまり長くは無理ですけれど)。そして、どこかに「取り付く島」があったら、それを頼りに対話を試みる。

 

 

2021年

9月

02日

8月の放射線量、体組成、ランニング ☆ あさもりのりひこ No.1047

8月の放射線量と体組成とランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

2021年8月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.04358μ㏜/h

室内0メートル 0.04387μ㏜/h

室外1メートル 0.05664μ㏜/h

室外0メートル 0.07077μ㏜/h

数値はおおむね低めである。

 

つぎに、朝守の身体について。

8月28日の数値はつぎのとおり。

体重 70.45㎏

BMI 22.

体脂肪率 15.7%

筋肉量 56.35㎏

推定骨量 3.1㎏

内臓脂肪 11

基礎代謝量 1621/

体内年齢 46才

体水分率 58.9%

 7月とそんなに変わらないな。

 

最後に、8月のランニングの結果。

走行時間 19時間56分56秒

走行距離 178.693㎞

7月は、20時間13分15秒、164.781㎞だった。

走行時間が短くなって、走行距離が長くなった。

ということは、ペースが速くなったんだな。

ちなみに、2020年8月は、走行時間18時間11分47秒、走行距離152.5㎞だった。

 

8月16日、奈良マラソン2021にエントリーした。

 

奈良マラソン2021まであと3か月。

2021年

9月

01日

内田樹さんの「『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』まえがき」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1046

僕たちから想定読者である中高生に向かって言うべき言葉はまず「ごめんなさい」です。もう少し「まとも」な社会を手渡したかったんだけれど、うまくゆかなかった。その点について日本の大人たちは中高生に「ごめんなさい」を言わなければならないと僕は思います。

 

 

2021年8月29日の内田樹さんの論考「『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』まえがき」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 とりあえず、僕たちの世代は、戦争の余燼のうちで育ち、すべてが瓦解した敗戦国が復興してゆくプロセスをまぢかに観察し、バブル期の栄耀栄華を享受し、「失われた30年」で国運が衰微してゆくさまを砂かぶりで見てきました。「祇園精舎の鐘の声」に多少とも聞き覚えがある。そして、歴史的激動の中で、大廈高楼が崩れ落ち、位人臣を極めた勢力家が見る影もなく没落してゆくさまを見ると同時に、どれほど世の中が変遷しようとも揺るがないたしかなもの、移ろわぬものがあることも知りました。

 僕たちがそれぞれの立場においてこれまで味わってきた高揚感や多幸感や幻滅や苦渋は、僕たちの知見に多少の奥行きと深みをもたらしてくれたのではないかと思います。その一部を、これから先の見えない世界を長く生きてゆかなければならない少年少女たちのためにささやかな「贈り物」として差し出したらどうかというのが僕からの提案です。

 今回の寄稿者ではたぶん僕が最年長です。寄稿をお願いする若い書き手の中には、「戦争の余燼」も「バブル期」もぜんぜん知らないんですけど・・・・という方もおられると思います。でも、ご懸念には及びません。書き方が悪くてすみません。あれは「僕の世代」の話で、それ以外の世代にはもちろんそれぞれの時代経験があります。そして、どんな時代に生きていても、みなさんはその時代固有の「祇園精舎の鐘」は聴き取ってこられたと思います。そして、いつの時代でも、「変わるもの」と「変わらぬもの」があることは熟知されていると思います。

 ですから、寄稿依頼をお引き受けくださった方たちが書いてくださることは、ひとりひとりずいぶん切り取り方が違ったものになると思います。もちろん、それこそ僕が願っていることです。みなさんはこれまで積み上げて来た経験が違うし、「これからの世界はどうなるのか」の予測が違う。そして「どの程度の知的水準の読者を想定するか」の設定が違う。

 とりわけ「未来予測」と「想定読者」についてはできるだけ寄稿者ごとにばらけてくれることを僕は願っています。ちょっと遠目で見たときに「穴だらけのチーズ」のようなものであるのが望ましい。サイズも違うし、形も違う「穴」があちこちに空いていて、たくさんの「取り付く島」があるような論集が僕の理想です。

 おそらく同趣旨の本の企画がたぶんいまいくつも並行して走っていると思いますから、「もう似たようなものを書いたから」という理由で寄稿をお断りになる方もいると思います。その点はぜんぜん気にしないで結構です。中高生たちが「取り付く島」はこの本だけじゃなくて、できるだけたくさんあった方がいいに決まってますから。

 僕からは以上です。できるだけ多様な知見を中高生たちに触れてもらいたいと僕は願っています。ご協力くださいますよう拝してお願い申し上げます。

字数とか締め切りとかについては晶文社の安藤さんの方から詳しいご連絡があると思います。どうぞよろしくお願い致します。

 

2020年5月

内田樹

 

 以上が「寄稿のお願い」です。これだけ読んで頂くだけで、この本が何をめざすものであるかは、ほぼお分かり頂けたと思います。

 実際に集まった原稿を読んでみたら、寄稿者のみなさんもこの趣旨をご理解くださって、それぞれが「いまの中高生にとって一番たいせつなこと」と思えるトピックを選んで、それについて情理を尽くして語ってくれました。

 寄稿してくださったみなさんのご厚意に心から感謝申し上げます。

 全部を通読した僕の感想は、寄稿者のみなさんが「ずいぶん親身」だったということです。ふつう年長者が中高生に向けてものを書くときには、どうしたってもうすこし「説教口調」というか微妙に「上から目線」になるものです。でも、そういう印象を残す書き物は今回のアンソロジーにはありませんでした。

 どうしてなんだろうと考えました。僕の仮説はこうです。今回のパンデミックであらわになった日本社会の欠陥について、寄稿者のみなさんはそれぞれに個人的な「責任」を感じている。私たちが「ちゃんとして」いなかったから「こんなこと」になってしまった、「こんな不出来な社会」を後続する世代に遺すことになってしまった。自分たちは後続世代のために、日本社会をもっと「まともなもの」にしておくべきだった。その責務を果たし切れなかった。パンデミックで露呈した日本社会のもろもろの欠陥に対して、自分たちはわかっていながら、それを補正し切れなかった。そのことについての悔しさが行間にはにじんでいたように思います。

 だから、僕たちから想定読者である中高生に向かって言うべき言葉はまず「ごめんなさい」です。もう少し「まとも」な社会を手渡したかったんだけれど、うまくゆかなかった。その点について日本の大人たちは中高生に「ごめんなさい」を言わなければならないと僕は思います。

 読者に対する謝罪から始まる本というのはあまり見たことがありませんけれど、これはそういう例外的な一冊です。みなさんが、これから先、この社会をどうやって少しでも住みやすいものにしてゆくか、それについてのヒントがこの本の中にあることを心から願っています。

 

2020年10月

 

内田樹

2021年

8月

31日

災いへの対応はできていますか?

今日は、二百十日です。

最近はあまり聞かれなくなった季語ですが、立春から数えて二百十日目をいう。

新暦九月一日ころにあたり、最近は早い時期から台風が発生来襲してきていますが、過去では、この時期に来襲が始まる台風に対して、開花する稲に注意を払うようにとの意味を込めたものでしょう。

そして明日月1日は防災の日です。

この日となったのは、ご存じかもしれませんが、1923年(大正12年)の9月1日に関東大震災が起こりました。

その大惨事を忘れないため、また台風の被害の多い時期であることから、災害に備え、防災意識を高めようと、1960年(昭和35年)に制定されたようです。

「天災は忘れたころにやってくる」とよく口にします。

また阪神大震災などは、多くの人が関西では大きな地震は起こらないと思い込んでいたところに起きました。 

残念ながら、近年は年に何度も各地で、気候変動が原因と思われる洪水など大きな自然被害が発生しているので、災害の教訓を思い出すことが多いかもしれませんが、もしかの事態に備えることは日本においてはとても大切なことだと思います。

自然現象はなかなか、簡単に食い止められませんが、災害による被害は、日頃の備えで減らすこと(減災)が可能だと思います。

例えば、基本的なことでは、停電に備えて懐中電灯(今はLEDライト)があれば、暗闇でつまずき、ケガするのを防げるように。

身の回りで、備えることはいくつもあると思いますので、一つより二つ、二つより三つと、少しでも備えを多くしておけばいかがでしょう。

日々の生活の中では、天災以外にもいろいろな災い(禍)があると思います。

去年からのコロナウイルス感染もそうで、備え(早めの対策)、日々の注意で感染を減らせる、防げることがあると思います。

 

例えば、私らの業務で思うのでは、自動車保険契約等に弁護士特約を付加、対象範囲を拡げることで、災いの発生した際に、精神的にも経済的にも自己負担が大きく減りますので、一度保険契約を確認してみることをお奨めします。

 

さあ!身の回りで、災いへの備えをしましょう!見直しましょう!

2021年

8月

30日

内田樹さんの『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』まえがき(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1045

今回のコロナ・パンデミックによって、僕たちの世界はその「外装」を剥ぎ落されて、そのなんともみすぼらしい骨組みが露出しました。

 

 

2021年8月29日の内田樹さんの論考「『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』まえがき」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

 今回のアンソロジーは『ポストコロナ期を生きる君たちへ』というタイトルです。

 僕が編者になって、いろいろな方にご寄稿をお願いして一冊を作るという企画は、これで『人口減少社会の未来学』(文藝春秋)、『日本の反知性主義』、『転換期を生きるきみたちへ』、『街場の日韓論』(以上晶文社)に続いて5冊目となります。今回は『転換期を生きるきみたちへ』と同趣旨で、中学生高校生を想定読者にしたものです。

 どういう趣旨の本であるかをご理解頂くために、寄稿者への「寄稿のお願い」を採録しておきます。まずはこれをどうぞ。

 

 みなさん、こんにちは。内田樹です。

 またまた晶文社からのアンソロジーへのご寄稿の依頼です。

 今回のお題は『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』というものです。いつものように安藤聡さんにご提案頂きました。

 タイトルから知れる通り、中学生高校生を想定読者に、彼らの前に開ける世界の風景がこれからどう変わるのか、その未知の領域に踏み入るに際して、どういう心構えや備えをしたらよいのか、みなさまから助言と支援をお願いしたいと思います。

 

 以前同じような趣旨で『転換期を生きるきみたちへ』というアンソロジーを編んだことがあります。そのときに寄稿をお願いするときに、編者として「中高生を想定読者に書くことは楽しいですよ」ということを強調しました。

 どうして楽しいかというと、中高生を対象に書くと、話が根源的にならざるを得ないからです。大人同士だと、いろいろな専門用語について、「わかったつもり」になって話が進みますが、中高生相手だと、その手が使えない。一つ一つについて「これはですね」と噛んで含めるように説明する必要があります。「資本主義」でも「貨幣」でも「国民国家」でも「一夫一婦制」でも、そういうあたかも自然物のように目の前にあって、どこをどう押したらどう動くかわかっているせいで、ふだんはわれわれが根源的に思考することを免除されている概念についても、中高生相手に知的に誠実に対応しようとしたら、きちんと自分の責任で定義してみせる必要があります。

 伊丹十三があるときに「野球のことをまったく知らない女性読者に野球の面白さを説明する」という寄稿依頼を受けて、食指をそそられたということをエッセイに書いています。「ピッチャーとキャッチャーは味方同士です」から始めるのです。実際に伊丹十三はそのようなエッセイを書き残してはいませんが(と思います)、あったら読みたいですね。

 サルトルもどこかで「火星人にサッカーの面白さを説明する」という設定を、ものごとを根源的に考える構えの喩えとして挙げていました。それを読んで、僕も腕を組んでしばらく眼を中空に泳がせて考えたことがあります。火星人にどう説明したらいいんでしょうね。たぶん「空間は『フェア』と『ファウル』に分けられる」「ボールは『生きている』か『死んでいるか』のどちらかの状態にある」「どこで、どういうふうに『死んだ』かによって、ボールの意味は決まる」・・・そういういくつかの根源的なルールを書き出すことになるのじゃないかと思います。そして、そうこうしているうちに、ボールゲームが遊びを通じて子どもたちに人間世界のコスモロジカルな構造を刷り込むための教化的な装置であるということに思い至る・・・そう考えると「ものごとを根源的に説明することの功徳」というのはたしかにあると思います。

 

 今回のコロナ・パンデミックによって、僕たちの世界はその「外装」を剥ぎ落されて、そのなんともみすぼらしい骨組みが露出しました。

 グローバル資本主義というのは人・モノ・資本・情報が国民国家の国境線を自由に超えて超高速で行き来するというシステムのことです。でも、感染拡大のせいで、電磁パルス以外の形状のものは簡単には国境線を越えることができなくなりました。ブレグジットと「アメリカ=メキシコ国境の壁」に続いて、今度のパンデミックで、国境線といういずれ賞味期限が切れると思われていた政治幻想は強固な現実として再構築されました。

 グローバル資本主義は「金さえ出せば何でも買える」という信仰箇条の上に基礎づけられていましたが、実は「マスク」一つさえ買えないことがあるということもわかりました。

「必要なものは・必要な時に・必要なだけ・金を出して買う」という「ジャスト・イン・タイム・システム」による在庫ゼロをスマートな経営の理想にしていた国はどこも医療器具・医薬品の戦略的備蓄の不足に苦しみました。

「商品」として仮象しているモノにうちには「ほんとうに要るもの」と「ほんとうは要らないもの」があるということも、今回の教訓の一つでした。自動車やコンピュータは「あると便利」ですけれども、「ないと死ぬ」というものではありません。でも、医療資源や食料やエネルギーは「ないと死ぬ」。そういう物資を他の商品と同列に扱うことはできません。でも、資本主義はその平明な事実を隠蔽してきた。「ほんとうに要るもの」を人々が市場で調達することを控えて自給し始めても、「ほんとうは要らないもの」を手に入れるために命を削ることを止めても、資本主義は立ち行かなくなるからです。

 医療は商品だという信憑も崩れました。医療は金を出して買うものである、金がない者は医療を受けることができない、病気で苦しんでも自己責任だというのが新自由主義の時代の「常識」でした。でも、一般の疾病はそれで済んでも、感染症相手にはその「常識」が通用しません。アメリカにはいま2750万人の無保険者がいます。彼らは発症しても適切な治療が受けられないままに重症化します。放置しておけば、彼らを感染源にウィルスは蔓延し続ける。感染症は「全住民が等しく良質な医療を受けられる社会」でなければ抑制できない疾病です。そして、アメリカはこれまでそういう社会ではなかった。

 ウイルス一つによって、わずか数か月の間に、ほんの昨日までこの世界の「常識」だと思われていたことのいくつかが無効を宣告されました。それがどのような歴史的な意味を持つことになるのか、人々はまだそのことを主題的には考え始めてはいません。日々の生活に追われて、そんな根源的なことを考える暇がありませんから。

 

 でも、中高生たちはこの「歴史的転換点」以後の世界を、これから長く生きなければなりません。彼らに「生き延びるために」有益な知見や情報を伝えることは年長者の義務だと僕は思います。

2021年

8月

26日

洋食Katsui ☆ あさもりのりひこ No.1044

10年以上前になるが、息子が通う小学校で小さな講演会が開かれた。

土曜日の授業参観の後だったと思う。

会場は空いている教室で、参加を希望した保護者は10人くらいだった。

講師は勝井景介さん。

大阪市中央区の鰻谷にある「洋食Katsui」のオーナーシェフだった。

勝井さんは、剽軽にテンポ良く話す人で、料理について面白い話をして、楽しませてくれた。

最後に質問を受けてくれたので、朝守は「ハンバーグを焦がさないで焼くコツ」を聞いた。

当時、よく自家製ハンバーグを作っていたのだが、ハンバーグもフライパンも真っ黒に焦げ付くことが多かったのだ。

勝井さんは、フライパンを弱火で時間をかけてよく熱するといいと教えてくれた。

 

その後、しばらくしてから、家族3人で、鰻谷の「洋食Katsui」に昼食を食べに行った(予約したと思う)。

店は、賑わって混んでいた。

息子がエビフライ定食を注文したら、ピラミッドのように盛ったサラダの上に、でかいエビ(もちろんお頭付きである)が「これでもか」というくらい乗せてあって(立てかけてあったと言うべきか)、そのド迫力に圧倒された。

味は最高に美味しかったね。

 

鰻谷に行ったのはそのとき1回だけで、その後はご縁がなかった。

 

「洋食Katsui」が天理に移ってきた、という情報は入っていたが訪れる機会がないまま、時が過ぎた。

 

この夏、妻の誕生日のお祝いに「洋食Katsui」でランチを食べることにした。

2021年8月1日、奈良県天理市柳本町577-1天理市トレイルセンターにある「洋食Katsui」を訪れた。

近鉄とJRを乗り継いで、柳本駅で降りて、炎天下の道を歩くこと15分くらい。

木造の建物の内部は、広く、落ち着いている。

一番奥の席に案内された。

壁紙はウイリアム・モリスである。

厨房の反対側は一面のガラスで、「日本の原風景」を見渡すことができる。

従業員の皆さんの接客態度も隙が無く、リラックスできる。

コース料理はどれも美味しく、ワインがよくあった。

メインのビーフシチューは「これでもか」というぐらいビーフが入っていて嬉しかった。

至福のひとときでござった。

 

帰りに、自家製のガーリックバターと手拭いを買う。

後日、勝井さんに聞いたところ、手拭いは大阪で文楽に使う手拭いを作っている業者のものだそうで、大変しっかりしていて使い勝手が良い。

 

その後、奈良市で仕事があるときには、往きか帰りに「洋食Katsui」に立ち寄って、昼食をいただいている。

 

 

https://katsui1999.com/

2021年

8月

24日

ワクチン効果?パート2

橿原市 弁護士

みなさんこんにちわ。

本日は、事務局担当日です。

 

最近雨続きで、体温超えの気温にはならないものの、湿度がすごいですね。

子どもの運動靴の生乾きの香りのかぐわしいこと、この上ありません・・・😬

さて、前回の投稿から3週間が経ちました。

ででん!

 

先週、コロナワクチン(ファイザー)の2回目の接種をしてまいりました。

 

2回目は、副反応がひどいと聞きますので、

接種の3日前ぐらいからドキドキです。

やっぱり未知のワクチンなので、熱や体調不良で済めばいいですが、

それ以上の副反応がでたらどうしようかとドキドキ。

なんならそのせいで体調がおかしくなるんじゃないかと思いました(^_^;)

 

前回と同じ轍は踏むまいと、前日の睡眠はバッチリ。

というか週末は引きこもり。

明日ワクチンだから!体調不良になるかもだから!と家事放棄宣言もしておきました。

 

当日(月曜午後)。接種自体はさくっと終わりました。

 

が。やっぱり接種直後から腕が重たい。前回のは気のせいじゃなかったんだ~笑

前回よりだいぶ重たく軽く腫れも出たので、帰宅後、腕に冷えピタを貼りました。

鈍痛と肩より上にあげにくい状態は、24時間くらいで収まりました。

 

お約束の発熱は、20時間後くらいにじわじわと37度。

関節痛もじわじわとあったので、この時点でロキソニンを服用しました。

倦怠感もありました。

薬の服用はこのときだけで、

微熱と関節痛と倦怠感が水曜夕方くらいまで続きましたが、

木曜、起きたらすっきりしていました。

ごくごく軽いインフルエンザにかかったようなしんどさでした。

 

今(接種後1週間)もときどき関節がだるかったり、

接種箇所が重だるいことがありますが2、3分でなくなる、といった感じです。

 

副反応としては、軽い部類だったと思います。

 

若い人のほうが副反応が大きいと聞きますが、

私の超個人的見解としては、年齢というよりは、これまでに色んなウイルスに接して

多少なりとも免疫があるから副反応が軽いんじゃないかなと思っています。

なので、年齢が高いほうが若い方より風邪をひいた回数も多いでしょうし、

海外旅行などで日本に無いウイルスに触れたこともあるでしょうし

そんなこんなで副反応が軽いんじゃないかと。

 ← 若いねんで~って必死にいいわけしてる笑

 

橿原市 弁護士
あっついときにこの冷たいイスがたまらんねん

木曜日。

熱はない。関節痛もほっとんどない。倦怠感もない。

家事はしたくない。 ← え

 

テニススクール、行っていいのかな・・・。

まぁ、元気だし、いいよね・・・?

病院でも、当日や翌日の激しい運動は避けてねと言われたけど

3日後だもん・・・。行きたいしな・・・。

 

 

運動してすっきりして帰宅後、Google先生と会話をしていたら、

「できたら1週間は運動控えたほうがいいかもね」という内容の記事を発見してしまいました(-_-;)

行く前に知りたかった・・・。

結構悩んだんやんか・・・。

 

未知のワクチンだけに、どれが正解というものはないのでしょうが

体に大きな負担があるのも事実なので、

接種後はおとなしくしましょうね♪ ←どの口が言うねん

2021年

8月

19日

奈良マラソン2021への道 その11 ☆ あさもりのりひこ No.1043

7月23日(金・祝)早朝、ジョギングのあとウインドスプリント200m10本。

ジョギングを22分17秒、3.4㎞。

ウインドスプリントのペースは、4分59秒、4分57秒、5分02秒、4分42秒、4分57秒、4分26秒、4分45秒、4分41秒、5分08秒、4分45秒。

 

7月24日(土)早朝、坂道ダッシュ400m3本、53分29秒、7.6㎞。

坂道ダッシュは、2分27秒(6分23秒/㎞)、2分28秒(6分11秒/㎞)、2分23秒(6分21秒/㎞)。

 

7月25日(日)早朝、飛鳥川を北へ河津桜並木まで走る。

1時間48分26秒、15.7㎞。

朝飯前、午前5時18分にスタートする。

さすがにこの時間だと暑さは随分マシである。

 

7月26日(月)早朝、階段1106段駆け上がり、50分42秒、6㎞。

途中、急な坂を上ったところに、小さな小さな公園があって、階段が少しあるのだが、草茫々なので、この階段は走らなかった。

 

7月27日(火)早朝、全力疾走、ジョギング、全力疾走、40分55秒、6.5㎞。

最初の2㎞は、5分12秒、5分38秒。

最後の2㎞は、5分31秒、5分34秒。

 

7月28日(水)夜、トレッドミルでビルドアップ走。

傾斜2%、30分、4.48㎞。

時速8.4㎞、8.8㎞、9.2㎞、9.6㎞で1㎞、最後は時速10㎞で480m走った。

 

7月29日(木)早朝、ビルドアップ走、40分06秒、6.527㎞。

1㎞のペースは、6分54秒、6分28秒、6分16秒、6分19秒、5分49秒、5分45秒、最後の500mは4分50秒/㎞。

 

7月30日(金)早朝、インターバル走、38分49秒、6.514㎞。

1㎞のペースは、5分15秒、5分20秒、5分39秒、5分39秒、5分37秒、最後の400mは5分39秒/㎞。

 

7月31日(土)早朝、甘樫丘598段、48分33秒、6.96㎞。

7分05秒、7分09秒、6分25秒、10分19秒(階段)、6分10秒、5分57秒、5分38秒。

 

8月1日(日)休足

 

8月2日(月)早朝、ジョギングの後、ウインドスプリント200m×10本、43分11秒、6.13㎞。

ジョギングを24分08秒、3.4㎞。

ウインドスプリントのペースは4分48秒、4分49秒、4分46秒、4分42秒、4分48秒、4分39秒、5分02秒、4分30秒、4分55秒、4分44秒。

8本目が一番速かった。

 

8月3日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走、傾斜2%、30分、4.7㎞。

時速8.8㎞、9.2㎞、9.6㎞、10㎞で各1㎞、時速10.4㎞で700m走った。

アルトラ・トーリン5を初めて履く。

違和感はない。

 

8月4日(水)早朝、坂道ダッシュ3本、52分56秒、7.626㎞。

坂道ダッシュは、2分25秒(6分09秒/㎞)、2分23秒(6分02秒/㎞)、2分23秒(6分02秒/㎞)。

アルトラ・エスカランテ2を初めてロードで履いた。

 違和感はない。

 

8月5日(木)早朝、階段1106段、50分43秒、6.003㎞。

8分52秒、8分57秒、7分40秒、8分53秒、8分53秒、7分25秒。

 

86日(金)早朝、全力疾走・ジョギング・全力疾走、38分54秒、6.506㎞。

最初の2㎞は5分30秒、5分34秒。

最後の2㎞は5分08秒、5分19秒。

小雨が降って涼しかった。

 

87日(土)、休足。

札幌で女子マラソン。

ブリジット・コスゲイ(ケニア)のランニングフォームが美しかった。

 

88日(日)、休足。

札幌で男子マラソン。

エリウド・キプチョゲ(ケニア)のランニングフォームが美しかった。

 

 

89日(月・祝)早朝、ビルドアップ走、42分50秒、6.518㎞。

いつもよりスタートが1時間遅くなった。

暑かった。

6分38秒、6分56秒、6分46秒、6分52秒、6分29秒、6分17秒、5分24秒。

最初の1㎞は良かったが、その後が思ったように伸びなかった。

この行程の最遅記録である。

 

8月10日(火)早朝、インターバル走、38分03秒、6.525㎞。

5分12秒、5分26秒、5分46秒、5分34秒、5分37秒、最後の400mは5分26秒。

3本目から5本目までペースが上がらなかった。

曇っていて、少し風が吹いて、気温が上がらなくて、走りやすかった。

 

8月11日(水)夜、トレッドミルでビルドアップ走、傾斜2%、30分、4.7㎞。

時速8.8㎞、9.2㎞、9.6㎞、10㎞で各1㎞走り、時速10.4㎞で700m走った。

 

8月12日(木)早朝、ペース走と598段、47分08秒、6.958㎞。

1㎞毎のペースは、6分46秒、6分43秒、6分16秒、10分00秒(階段)、6分02秒、5分46秒、5分45秒。

 

8月13日(金)早朝(小雨)、ウインドスプリント、42分30秒、6.318㎞。

ジョギングを22分50秒、3.4㎞。

ウインドスプリント200mを10本。

4分40秒、4分27秒、4分27秒、4分12秒、4分57秒、4分26秒、4分32秒、4分24秒、5分05秒、4分17秒。

4本目が一番速かった。

5本目のときにウオッチの操作を勘違いして2回走り直したので、1分くらいロスした。

 

8月14日(土)雨、休足。

 

8月15日(日)雨、休足。

 

8月16日(月)早朝、坂道ダッシュ3本、52分45秒、7.637㎞。

2分22秒(5分58秒/㎞)、2分18秒(5分52秒/㎞)、2分15秒(5分36秒/㎞)。

全体のタイムは普通だが、坂道ダッシュは好調で、2分15秒はこれまでで一番速かった。

雨で2日間休んだせいかもしれない。

 

午後8時からRUNNETで奈良マラソン2021の奈良県民枠のエントリーに臨む。

5分くらいで繋がって、サクサクと終わった。

こんなに円滑にエントリーできたのは初めてである。

やはり、参加費が1万6000円に高騰したのが影響しているのかもしれない。

あとは、中止にならないことを祈るばかりである。

 

夜、眠っているときに、左の脹ら脛が攣った。

 

8月17日(火)、脹ら脛が攣ったので休足。

 

8月18日(水)雨、休足。

 

8月19日(木)早朝、階段1138段駆け上がり、47分55秒、5.925㎞。

この行程の自己最速記録を更新した。

これまで、足裏の拇指球の下で接地していたのを、拇指球下の膨らみのさらに下で接地するように変えて(心掛けて)走った。

 

姿勢が安定して、力まなくてもスピードが出るようになった(と思う)。

2021年

8月

18日

内田樹さんの「どうしたらいいのか、わからなくなってきた」 ☆ あさもりのりひこ No.1042

凱風館の門人からも感染者が出た。発症してから2週間経つが入院できずに家で寝ている。何の医療支援もないし、むろん行政からの生活支援もない。家族にも感染したため、誰も買い物に出られないので、これから私が食料品の段ボールをドアの外に置きにゆく。

 

 

2021年8月16日の内田樹さんの論考「どうしたらいいのか、わからなくなってきた」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

この原稿が活字になる頃に、コロナの感染状況はどうなっているだろう。

 東京では少し前に感染者が4000人を超えた。たぶんこの記事が出る頃には5000人を超えているだろう。それでも五輪は開催されていて、テレビは朝から晩まで「日本選手の活躍」を笑顔で報道しているだろう。五輪関係者からも感染者が出ているけれど、「バブル」は機能しており、感染は「想定内」だから懸念するには及ばない、感染拡大と五輪開催はまったく無関係だと政府も組織委も言い続けているだろう。

 一方、全国知事会は「県境を越えた移動の自粛」を求めていたが、どうなっただろうか。おそらく実効的な対策はとれなかったと思う。五輪関係者については「十分な配慮をしているので、移動しても感染は広がらない」と政府が主張している一方で市民たちには「十分な配慮をしても、移動すると感染が広がる」と告げるのはどう考えても論理的に破綻しているからだ。今の官邸に「論理的であること」を求めるのは木に縁りて魚を求むふるまいだとわかってはいるが、それにしても。

 日本のコロナ対策は、政府が五輪の成功による政権の延命を国民の生命と健康に優先させたことで「ことの筋目」を通すことができなくなってしまった。

 そもそも政府はこれまでの対策の成否について検証をしていない。初動の遅れも「アベノマスク」もワクチン接種の遅れも、「失敗」と総括されたものは一つもない。おそらく、政府の政策はすべて適切だったのだが、一部国民がその「正しい指示」に従わなかったために感染が拡大した。すべてはその一部国民の責任であるというロジックに回収されて話を打ち切るつもりでいるのだろう。

 ここまで支離滅裂になると、私ももうどうしたらいいのかわからなくなった。「家から出ない、誰にも会わない」ということを政府から「もういいよ」と言われるまで続けるしかないのかも知れない。

 凱風館の門人からも感染者が出た。発症してから2週間経つが入院できずに家で寝ている。何の医療支援もないし、むろん行政からの生活支援もない。家族にも感染したため、誰も買い物に出られないので、これから私が食料品の段ボールをドアの外に置きにゆく。こんなことがいつまで続くのだろうか。

 

AERA 2021年8月4日)

2021年

8月

17日

大和八木テイクアウトお勧め(台湾まぜそば)@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

家族の中では,ワクチン接種がまだなのは私だけだったのですが,

今月始めにようやく1回目の接種を終え,来週2回目の接種を控えてます。

 

家族の時には,1回目の接種ではそれほど副反応は出なかったのですが,

私は接種した日の夜には腕や脇あたりが痛くて腕が上がらなくなりました・・・。

 

熱も出てきて頭痛がするので早めに休んだものの,

注射をした左側が痛くて寝返りも打てず,以前腰のヘルニアになった時のように,

身動きするたびに「うっ」「いたっ」などと声が出る😫

 

熱は翌々日には下がりましたが,結構しんどかったです(+_+。)

2回目は1回目よりも副反応が出やすいといいますし,あれ以上の副反応なんて

正直打ちたくないのですが,同僚からのアドバイスを踏まえ,

今度は熱が出てからではなく早めに解熱剤を飲んで備えようと思います・・・(>_<)

 

さて,最近雨が続いていますが,暑さに弱い私は少~し夏バテ気味です。

食欲が落ちている時には少し辛いものの方が食欲も出ませんか?

 

今日は事務所近くにある台湾まぜそばをご紹介します。

 

 

「あかぼし鮮魚店 大和八木店」

奈良県橿原市内膳町1-2-12

TEL0744-29-5867

大和八木駅から徒歩3分

 

お昼は台湾まぜそば専門店,

夜は鮮魚居酒屋をされています。

 

 

こちらが,おすすめの 台湾まぜそば です。

 

写真はテイクアウトのものなので,卵は煮卵ですが,できればこれに生卵を加えて

ミンチやニラ,ネギなどの具材や麺にからめて食べるのがおすすめの食べ方だと

お店の方に教えていただきました。

 

お店のメニューでは辛さは★★でしたが,食べた後少し辛さは残るものの

私にはちょうどいい辛さで食が進む!

 

辛さが苦手な方には辛くない醤油ませそばもあります。

ニンニクは抜いてもらうこともできますが,少し入っている方が美味しさ増し増しです♪

 

夏バテ解消に一度お試しあれ(*^_^*)

 

2021年

8月

16日

内田樹さんの「無意味耐性の高い人たち」 ☆ あさもりのりひこ No.1041

無意味な言葉を朗々と読み上げることができ、無意味な仕事に必死に汗をかくことができる人たち、それが「無意味耐性の高い人」である。

 

 

2021年8月16日の内田樹さんの論考「無意味耐性の高い人たち」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 8月6日の広島での平和記念式典で、菅首相がスピーチの一部を読み違えたことが報道された。「原爆」を「原発」、「広島」を「ひろまし」と読むなど7カ所で首相は読み違えをした。だが、問題は核廃絶に向けた日本の立場を示す約120字を読み飛ばしたことである。

 そこには「わが国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国」「『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要」などの文言が含まれていた。そこを読み飛ばしたせいで、首相のスピーチは「日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない、核軍縮の進め方を巡っては各国の立場に隔たりがあります」という意味不明のものになった。原稿が糊でくっついてはがれず、一枚飛ばしてしまっただけで、「完全に事務方のミス」というのが政府の言い訳である。

 なるほど、そうなのか。だが、私たちがここから知れるのは、首相がこのスピーチの草稿に事前に目を通さずに式典に臨んだらしいということである。一度でも下読みしていれば、ふつうは7カ所も読み違えをしないし、ましてスピーチの「聞かせどころ」を読み飛ばすというようなことは起こらない。わずか1300字の原稿である。5分あれば誰でも読める。その手間を惜しんだのならば、首相は平和式典をひどく軽んじていたということになる。

 だが、そのこと以上に私が当惑したのは、首相が意味をなさない文を平然と読み続けたということである。そういうことはふつう起きないからだ。

 文法的にかたちをなさないセンテンスを読むと、私たちは「気持ちが悪い」と感じる。しかし、首相はそこで立ち止まることをせず、無味をなさない文を平然と読み続けた。これはかなり深刻な問題だと私は思う。というのは、この事実から私たちは首相が「意味をなさない言葉を人前で堂々と話しても気にならない人」だということを知るからである。

 いや、たしかにそういう人は世の中にいる。大勢いる。あるいはもう日本人の過半がそうなのかも知れない。そうでなければ、そういう人が総理大臣に上り詰めるはずがない。

「意味のない言葉を口にしても気にならない」人のことを私は「無意味耐性の高い人」というふうに呼んでいる。無意味な言葉を朗々と読み上げることができ、無意味な仕事に必死に汗をかくことができる人たち、それが「無意味耐性の高い人」である。これは現代日本ではある種の「社会的能力」として高く評価されている。

 受験秀才は「なぜこんなことを覚えなくちゃいけないんだ? こんな知識に何の意味があるんだ?」という問いを自分に向けない。会社で重宝されるのは上司が発する業務命令に対して「どうして、こんな仕事しなくちゃいけないんですか? これ、意味ないじゃないですか?」と言わない人間である。

 上意下達組織において最も重んじられるのは「イエスマンシップ」であるが、これを考査するための最も簡単な方法は無意味なタスクを課すことである。トップが下したまるで無意味な命令が、途中で「ちょっと待って。これ何の意味があるの? オレはそんな無意味な仕事はやりたくないぜ」というタイプの抵抗に出会うことなく、末端まで遅滞なく示達される組織は「完璧なトップダウンが実現されている」とみなされる。そして、現代日本ではそれが組織の理想なのである。

 

 組織が上意下達的になればなるほど、「ブルシット・ジョブ」が増えるのはそのせいである。今、日本人は「無意味な言葉と無意味な仕事」という「おろし金」で日々すり減らされている。(山形新聞、2021年8月12日)

2021年

8月

13日

内田樹さんの「医学生ゼミナールの質疑応答」 ☆ あさもりのりひこ No.1040

「私は罹っていないし、私の周りにも罹患者はいないが、だからといって『たいしたことはない』と推論することはできない」というふうに、「自分の知見の汎用性を過信しない」

 

 

2021年8月12日の内田樹さんの論考「医学生ゼミナールの質疑応答」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

8月11日に医学生ゼミナールというところで医学生たちを対象のオンライン講演を行った。タイトルは「ポストコロナの世界と医療」。90分しゃべった後で30分ほど質疑応答したけれども、時間が足りなくて、残りの質問はメールで送ってもらった。それへの回答を採録しておく。

 

Q:いま学部2年生で将来は、素粒子物理学の研究者としてアカデミックな世界に入ることを志している者です。

 基礎的な学問について基礎研究の公費を政府に要求するにあたって、基礎研究に否定的な人たちを説得するために、何をどう伝えれば良いのか。

 

A:「基礎研究に否定的な人たち」というのは言い換えると「長いタイムスパンの中でものを考えることが苦手な人たち」です。

 どのような歴史的な風雪を経て現在の科学技術が形成されてきたのか、このあとどのようなかたちで進化変遷してゆくのかを百年千年という単位で考えたことがなく、せいぜい数年、悪くすると四半期くらいの間に「その技術でいくら儲かるのか」というようなことばかり考えている人たちです。平たく言うと「頭の悪い人たち」です。

 最大の問題は「そういう人たち」が日本のこれからの科学技術のあり方を決定する立場にいるということです。

 ご質問は「頭の悪い人に賢い決定を下させるためにはどうしたらいいのか?」と言い換えられると思いますが、残念ながら、それは不可能です。僕たちにできるのは「頭の悪い人たちが政策決定できるような統治の仕組みを時間をかけて変えてゆくこと」だけです。

 

Q:平時から緊急時へ柔軟に舵を切るためには普段からどのようなことを意識すればいいのでしょうか。また、非常時を非常時だと認識するということがなにより重要だと思うのですが、それを認識できるバランス感覚の養い方や社会へのアンテナの張り方などありましたら教えて頂けると幸いです。

 

A:平時から非常時への切り替えはとても難しいです。平時というのは「自分が見ているもの、自分が知っていること、自分ができること」だけに基づいて判断し、行動しても大きなミスは犯さないという状況のことです。例えば、感染症について「私は罹っていないし、私の周りにも罹患者がいない」という事実から「だから、たいしたことはない」というふうに推論するのが「平時の発想」です。

 それに対して、「自分の知見だけに基づいて判断したのでは状況が把握できないかもしれない」というふうに考えて、とりあえず自分の意見や信念は「かっこに入れて」、さまざまな専門的知見を先入観なしに吟味するというのが「非常時の発想」です。感染症についてなら、「私は罹っていないし、私の周りにも罹患者はいないが、だからといって『たいしたことはない』と推論することはできない」というふうに、「自分の知見の汎用性を過信しない」というマインドセットのことです。

 別にそれほどむずかしいことではありません。

 ふだんから自分の意見や信念に固執しないで、ひろびろとした心地で人の話を聴いて、他人の目からは世界はどう見えるのかについて想像力を働かせるように努めていると、非常時の切迫はわかります。非常時になると、多くの「他人たち」が一斉にふだんとは違うノイズを発信し、ふだん見ているのとは違う景色を見るようになるからです。

 非常時に適切に対応できる人というのは「ふだんから、人の話をきちんと聞く人」「自分の理解を超えた話を聴いても、『そんなことあるわけない』と切り捨てたりしない人」のことです。これって、よく考えると医療従事者にとっても、教育者にとっても、必須の資質ですね。

 

Q:過度なグローバリズムによって国民経済が疲弊することで「ネイションへの回帰」が起こるとエマニュエル・トッドが言っていましたが、フランスのルペン率いる国民戦線やトランプなど「反グローバリズム」に親和的な政治勢力は排外主義的な傾向があると思います。どのようにしたら国際協調(あるいは国内の融和)と国民経済(国民を飢えさせない)を両立できるでしょうか。

 

A:グローバリズムというのは言い換えると「無国籍主義」「徹底的な個人主義」のことですから、それに対する反動としてある種の「集団主義」が登場してくることは歴史的必然だと思います。

 問題なのは、グローバリズムへの反動が強すぎて、行き着く先が僕たちが扱い慣れている「ナショナリズム」ではなくて、もっとずっと野蛮で暴力的なその先駆的形態、前近代的な「トライバリズム(tribalism)/部族主義」になりそうだということです。

 ヨーロッパでもアメリカでも日本でも、いま起きているのは「ナショナリズムの復活」ではありません。もっと狭隘で、もっと排他的で、もっと暴力的な「ネーションの分断」です。人種、性別、宗教、政治的イデオロギー、性的指向、出自、階級、財産、学歴などさまざまな指標で「ネーション」が分断されています。

 例えば、日本の「自称ナショナリスト」たちの主務は「誰が日本人ではないか」という選別と排除です。在留外国人はもちろん「非国民」とみなされますが、政府の政策に反対する人間も「反日」認定され、「在日日本人」という「二級市民」に類別されます。

 近代のナショナリズムというのは本来、それまでばらばらに対立していた集団を統合して、「国民」という「想像の共同体」を立ち上げようとした力業です。幻想による集団統合ですからもちろんかなり無理があります。それでも「国民」のサイズをできるだけ大きなものにしてゆくという目的は悪いものではなかったと僕は思います。サイズを大きくするためには成員の多様性をある程度までは認めなければならないからです。

 トライバリズムはナショナリズムとはベクトルが逆のものです。それまでなんとか想像的に統合されていた集団を分解して、「ほんとうの国民/偽の国民」の間に分断線を引いて、集団を純血化し、集団を小さくしてゆくことをめざします。

 ナショナリズムとトライバリズムを混同してはいけません。

 例えばアメリカではトランプは国民を意図的に分断することで政治的浮揚力を得ようとしましたが、これはトライバリストのやり方です。一方バイデンは選挙後に「トランプ支持者を含めて全国民を代表する」と宣言しました。これがナショナリストの言い分です。

 ルペンやトランプや世界の「排外主義者たち」はトライバリストであって、ナショナリストではないというのが僕の考えです。

 国際協調と国民統合を両立させるためには、「純血」や「純粋」をめざす集団よりも、できるだけたくさんの人たちを「身内」「同胞」として迎え入れることのできる寛容な集団の方が好ましい。でも、そのために使える政治的な装置は手元には「ナショナリズム」しかありません。いきなり「70億人類はみな同胞です」と言っても、70億人を同じ統治システムの中に繰り込み、同じ法に従わせることは不可能です。

 

 だから、とりあえず手元のナショナリズムを改良して、「できるだけ害が少なく、利益の多いナショナリズムのかたち」をみんなで考えて、手作りしてゆくしかトライバリズムに効果的に対抗できる道具はないのではないかと僕は考えています。