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2020年

10月

23日

内田樹さんの「『日本習合論』ちょっと立ち読み」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.936

「じだい主義」の「じだい」は時代じゃなくて事大です。「大(だい)に事(つか)える」。弱い者が強い者の言いなりになって身の安全を図ることです。「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」と同じ意味です。

 

 

2020年10月9日の内田樹さんの論考「『日本習合論』ちょっと立ち読み」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

『日本習合論』の販促のために、第一章の一部、共感主義について書いたところを再録しました。ちょっと立ち読みしていってください。

 

 世を覆っている共感主義の基本にあるのは先ほど来僕が指摘している「多数派は正しい」という信憑です。多数派に属していないということは「変なこと」を考えたり、しているからであって、それは多数派に合わせて矯正しなければならない。そういうふうに考える人がたくさんいる。若い人にも多く見かけます。でもね、そういうのを「事大主義」と言うのです。

 あるインタビューで「じだいしゅぎ」と言ったら文字起こし原稿には「時代主義」と書かれていました。なるほど、「時代の趨勢(すうせい)に逆らわない」から「時代主義」なのか。インタビュアーは若い人でした。熟語は知らないけれど、造語能力はあるなあと思いました。

でも、「じだい主義」の「じだい」は時代じゃなくて事大です。「大(だい)に事(つか)える」。弱い者が強い者の言いなりになって身の安全を図ることです。「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」と同じ意味です。

 マジョリティというのは「大」「大樹」「長いもの」のことです。多数派の言うことはその正否を問わずにただ従う。それが身の安全である。それが当今の作法ですけれど、もちろん今に始まったことじゃありません。「事大」の出典は『孟子』ですから、それくらい昔からそういう生き方は存在していた。

 そういう生き方もたしかに一種のリアリズムではありますけれども、それにしてもマジョリティであるかマイノリティであるかは、それぞれが主張していることの真偽正否とは関係ありません。

 たしかに、「和を乱さない」ということは集団を安定的に維持するためには必要なことです。でも、ものには程度というものがある。日本の場合は、その度が過ぎます。

 僕が「和」をあまり好まないのは、「和」を過剰に求める人は、集団の他のメンバーに向かって「そこを動くな」「変わるな」と命ずるようになるからです。自由に運動しようとするもの、昨日までとは違うふるまいをしようとする人間が出てくると、たしかに集団は管理しにくくなります。だから「和を尊ぶ」人たちは、基礎的なマナーとして「身の程を知れ」「おのれの分際をわきまえろ」「身の丈に合った生き方を知ろ」という定型句をうるさく口にするようになる。

 こういう言葉は僕の子どもの頃まではよく使われました(僕もよくそう言って叱られました)。でも、ある時期から言われなくなった。1960年代からあとはほとんど耳にすることがなかった。むしろ「身の程を知らず」「分をわきまえず」「身の丈を超える」生き方こそが奨励された。

 高度成長期というのはまさにそういう時代でした。人々は「身のほどを知らない欲望」に駆動されて、「おのれの分際をわきまえず」に枠を踏み外し、「身の丈に合わない」大きな仕事を引き受けた。国に勢いがある時というのはそういうものです。「早めに自分のキャラを設定して、自分のタコツボを見つけてそこに一度はまり込んだら、そこから出るな」というようなことを僕は若い時には誰からも言われたことがありません。たまにそれに類することを言う人がいても、鼻先でせせら笑って済ませることができた。だって、こちらは現に「身の程を知らないふるまい」をしていて、それでちゃんと飯を食っていたわけですから。

 その定型句がなぜか二十一世紀に入ってから、また復活してきた。気がつけば、頻繁にそう言われるようになった。それは単純に日本人が貧乏になったからだと僕は思います。

 少し前に僕の友人の若手の研究者が同世代の学者たちと歓談した時に、談たまたま僕のことに及んだことがあったそうです。するとたいへん僕は評判が悪かった。どこがダメなのと僕の友人が興味にかられて訊いてみたら「専門以外のことについて口を出すから」だというお答えだったそうです。学者は自分がきちんとアカデミックな訓練を受けた守備範囲から出るべきではない。フランス文学者ならそれだけをやっていればいい。それ以外のことについては素人なんだから、口を噤んで専門家に任せるべきだ、と。

 なるほどと思いました。時代は変わったなあ、と。

 でも、そんなこと言われも困るんですよ。僕は「専門以外のことについて口を出す」ことで飯を食ってきたわけですから。フランスの哲学や文学についてはいくつか論文も書きましたけれど、興味はそこにはとどまらない。ついあちこちに食指が動く。武道論も、教育論も、映画論も、身体論も、マンガ論も、能楽論も、自分の興味の赴くままに、書きました。でも、どれも専門領域というわけではありません。

 武道は四十五年修業していて、自分の道場を持って、数百人の門人を育ててきましたけれど、武道の専門家と名乗るのは今でも恥ずかしい。教育は三十五年それを職業にしてきましたけれど、教育学や教育方法の専門家ではありません。「教壇に立ったことがある」というだけです。映画は若い頃から年間二〇〇本くらいのペースで見てますし、映画についての本も何冊か書きましたけれど、昔から映画の筋も俳優名も観たら忘れてしまう。能楽はそろそろ稽古を始めて二十五年になりますけれど、ただの旦那芸です。

 どの領域でも僕は「専門家」とは言えません。でも、半可通の半ちく野郎ですが、何も知らないわけじゃない。ちょっとは齧(かじ)ったことがあるので、その領域がどういうものか、「本物」がどれくらい凄いかは骨身に沁みて知っています。自分にはとてもできないということはわかる。

 僕の学問だって、こう言ってよければ「旦那芸」です。でも、どの分野についても、その道の「玄人」がどれくらい凄いのか、それを見て足が震えるくらいのことはできます。そこがまるっきり素人とは違います。自分が齧ってみたことがあるだけに、それぞれの専門家がどれくらい立派な仕事をしているのか、それを達成するためにどれくらいの時間と手間をかけたのかがわかる。そういう半素人です。

 でも、そういう半素人にも存在理由はあると思うのですす。専門家と素人を「つなぐ」という役割です。僕の仕事は『私家版・ユダヤ文化論』も『寝ながら学べる構造主義』も『レヴィナスと愛の現象学』も『若者よマルクスを読もう』(これは石川康宏さんとの共著)も『能楽は楽しい』(これは観世流宗家との共著)も、どれも専門家と素人をつなぐための仕事です。

どの分野においても、僕は専門家ではないけれど、専門家の仕事を読者に噛み砕いてお伝えすることはできる。そうやって底辺を広げることはできる。底辺が広がらないと高度は得られないと思うからです。でも、そういう仕事は「専門家のもの」としては認知されない。そして、たまに「専門領域でもないことについて中途半端に口出しをするな」と叱られる。

 

 でも、それが僕には納得できないんです。僕のような半素人が一知半解の言説を述べたとしても、そこにいくばくかの掬(きく)すべき知見が含まれていることもある(かも知れない)。それがおもしろいと思う人は読めばいいし、読むに値しないと思う人は読まなければいい。それでいいじゃないですか。「掬すべき知見が含まれているかどうか」は先方が判断することであって、僕が決めることじゃない。ましてや、僕に向かって「決められた場所から出るな」と言われてもおいそれと肯(うべな)うわけには参りません。繰り返し言うように、僕は決められた場所から出て、好きなところをふらふら歩き回ることで食ってきたわけで、「やめろ」というのなら休業補償して欲しい。

2020年

10月

22日

学生街の喫茶店 ☆ あさもりのりひこ No.935

2020年のノーベル文学賞は、アメリカの詩人ルイーズ・グリュックが受賞した。

 

120年前、1901年、第1回ノーベル文学賞を受賞したのは、フランスの詩人シュリ・プリュドムだった。

その後、10年間の受賞者は、詩人が4人、小説家が3人。

初期の受賞者は詩人の方が多い。

 

4年前、2016年のノーベル文学賞を受賞したのは、ボブ・ディラン(Bob Dylan、1941年5月24日生まれ )である。

このニュースを聞いて、頭に浮かんだのは、ボブ・ディランの歌ではなく(ボブ・ディランの歌はほとんど知らない)、GARO(ガロ)の「学生街の喫茶店」だった。

 

「学生街の喫茶店」はセカンドアルバム『GARO2』からシングル・カットされたGARO(ガロ)の3枚目のシングルである。

1972年6月20日にリリースされた時は「美しすぎて」がA面、「学生街の喫茶店」がB面というスタイルであった。

「学生街の喫茶店」の歌詞はつぎのとおり。

 

 

君とよくこの店に 来たものさ

訳もなくお茶を飲み 話したよ

学生でにぎやかな この店の

片隅で聞いていた ボブ・ディラン

あの時の歌は 聞こえない

人の姿も変わったよ

時は流れた

あの頃は愛だとは 知らないで

サヨナラも言わないで 別れたよ

君と

 

君とよくこの店に 来たものさ

訳もなくお茶を飲み 話したよ

窓の外 街路樹が美しい

ドアを開け 君が来る気がするよ

あの時は道に 枯葉が

音もたてずに 舞っていた

時は流れた

あの頃は愛だとは 知らないで

サヨナラも言わないで 別れたよ

君と

 

 

山上路夫作詞、すぎやまこういち作曲の「学生街の喫茶店」は大ヒットした。

朝守は12才だった。

「学生街の喫茶店」は、出だしの2行が印象的である。

が、その後に続く『学生でにぎやかな この店の 片隅で聞いていた ボブ・ディラン』という歌詞が記憶に残っていた。

44年後に頭に浮かぶくらい。

 

 

あらためて「学生街の喫茶店」の歌詞を読んでみると『あの時の歌は 聞こえない 人の姿も変わったよ 時は流れた』というところが胸に染みる。

2020年

10月

21日

内田樹さんの「終わらない南北対立」 ☆ あさもりのりひこ No.934

死にざまを語ることによって死者たちの魂は鎮められると古人は信じていた。

 

 

2020年10月1日の内田樹さんの論考「終わらない南北対立」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

こちらはその地方紙に8月に書いたもの。南軍旗について。

  

 少し前に、米国防長官が軍関連施設での「南軍旗」の使用禁止を通達した。BLM運動の広がりを受けて、奴隷制度存続を掲げた南部連合軍旗の軍施設内での掲揚は人種差別を肯定するものと受け止められかねないと判断したのである。

 政治的には正しい判断だと思うけれど、私が記事を読んで驚いたのは、いまだに軍施設内で南軍旗が掲揚されていたことを知ったからである。

 ハリウッド映画では、南軍旗が壁に掲げてあるバーでは必ずカントリー音楽が流れ、テンガロンハットをかぶってブーツを履いた男たちが、マルボロを吸い、瓶から直接ビールを飲んでいる。都会から来た車を煽ったり、若い女性を拉致したり、撃ち殺したりするピックアップトラックにはたいてい南軍旗のステッカーが貼ってある。

 そういう映画的定型になじんできたせいで、南軍旗というのは米国内どこでも後進性や暴力性の記号とみなされているのだと思っていた。まさか今も米軍施設内で使用されていたとは。わが不明を恥じなければならない。

 そういう「誤解」が生じるのは、私が南軍旗の記号的含意をもっぱらハリウッド映画を通じて学習してきたからだと思う。

 アメリカには南北戦争が終わって150年経っても、厳然として南北対立が残っている。根深い白人至上主義は一掃されてはおらず、人種差別・性差別・LGBT差別などの文化的遺制も消えていない。でも、この根深い南北対立を「未解決の難問」として正面から受け止めることをアメリカ社会はネグレクトしてきたのではないかと思う。1863年の奴隷解放令や1965年の公民権法などによって法理上はもう人種差別は存在しないはずである。けれども、BLM運動はそれが端的に「嘘」であることを暴露した。

 西部開拓地や騎兵隊が舞台の場合は、南北軍それぞれ出自を異にする登場人物たちの対立や葛藤が物語にスパイスを加えることがあったし、南軍の将兵の勇戦ぶりを称える台詞を脇役が口にすることもあった。だが、正面切って「南軍に大義はあった」と朗々と語る人物を私はハリウッド映画では見たことがない。

「南軍の大義」は言挙げされることがないままに150年以上にわたって抑圧されてきた。そして、ついに国防長官が南軍旗を「国民分断の象徴」として禁止した。だが、使用を禁止したからと言って国民統合が果たせるわけではない。誰かが南部連合の「供養」をするまで対立は終らず、南軍の「祟り」は鎮まらないと私は思う。

 別に南軍を顕彰擁護しろと言っているのではない。ただ、南部連合が合衆国と戦い、敗れたその歴史的事実を敗者の側から淡々と「物語る」だけでいい。その功徳はわが能楽が教えているではないか。

 

 前回の当欄で「南軍旗を供養した方がいい」と書いたら、きびしいご批判が米国にいる読者から届いた。「この旗をかかげた人間に、南北戦争終了後150年間も、差別され、侮辱され、殺されてきた人たちにとっては、南軍旗はナチのハーケンクロイツのようなもので、惜別の念をもって敬意をこめて供養する対象とは考えられません。南部の過去の犯罪、暗黒史をしっかりと認識し、それを繰り返すことがないようにするのが供養ではないかと感じます。」

 ご指摘は正しい。私も別に南軍の大義を擁護顕彰すべきだと言っているわけではない。ただ敗者にも過去の出来事を語る機会を提供しないと「祟り」が鎮まらないのではないかと申し上げているのである。

 滅亡した平家の祟りを鎮めるために『平家物語』が書かれ、多くの能の曲が作られた。源平いずれに理があるのかという話ではなく、ただ死者たちに「私はこういうふうに死んだ」と語らせたのである。死にざまを語ることによって死者たちの魂は鎮められると古人は信じていた。

 それは歴史を敗者の眼から見るということでもあるし、正史から落ちこぼれた外史的逸話を蒐集するということでもあるし、巨大な流れに呑み込まれて消えた個人のつぶやきに耳を傾けるということでもある。そういう作業は政府や歴史学会がやるのではない。鎮魂は尽きるところ個人の営みだ。

 

 マーク・トウェインは『ハックルベリー・フィンの冒険』で、奴隷制という揺るぎない現実と、逃亡奴隷への惻隠の情に引き裂かれた南部人の少年を描いた。それは南北戦争後に全米の読者が隔てない共感をもって読むことのできるはじめての「物語」だった。マーク・トウェインが「アメリカ文学の父」と呼ばれるのはおそらくはその功績による。

2020年

10月

20日

冷えは大敵@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

朝晩がずいぶん冷え込むようになってきましたね。

 

昼間との気温差が大きいと、毎朝着ていく服を選ぶのにも時間がかかり大変です⏰

 

また、体が冷えると腰の痛みも出やすくなり、

 

寒がり&冷え性&腰痛持ちの私には辛い季節到来です(>_<)

 

 

 

リハビリにも通っていますが、

 

リハビリ直後は体が軽くなったように感じるものの、

 

その日の晩から2日程度、もみ返し?と思われる筋肉痛に襲われ

 

ヨロヨロした動きは、まるでゾンビ💀(笑)

 

 

 

リハビリの先生からは、

 

痛みが出ている腰周りがガチガチに固くなっているので、

 

体を冷やさないことと、

 

家でも自分でできる範囲でストレッチを続けるよう勧められ、

 

コルセットを温熱効果があるものにしてみたり、

 

風呂上がりに腰や股関節周辺を動かすストレッチをしてみたり、

 

寝る前に20分ほど温熱マッサージ機で腰を温めたり・・・。

 

 

 

マッサージ機を使うようになってから、

 

冷えなどからくる痛みで夜中起きなくなったことについては効果を実感!

 

でも、完全回復にはまだまだ時間がかかりそうです。

 

 

 

千里の道も一歩から。

 

こつこつ地道に頑張るしかないですね・・・😓

 

2020年

10月

19日

内田樹さんの「韓流ドラマとコミュニケーション・プラットフォーム」 ☆ あさもりのりひこ No.933

「みんなが知っている物語」というのはたいせつである。人間であれ、出来事であれ、具体的な手触りのある素材を共有するところからコミュニケーションは始まる。

 

 

2020年10月1日の内田樹さんの論考「韓流ドラマとコミュニケーション・プラットフォーム」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

毎月ある地方紙にエッセイを寄稿している。9月は『韓流』の話を書いた。

 

 コロナで家に閉じこもってすることがなくなった時に、Netflixで『愛の不時着』を見てから止まらなくなり、韓流ドラマをずっと見続けている。『梨泰院クラス』、『新米史官ク・ヘリョン』、『ミスター・サンシャイン』、『ベートーヴェン・ウィルス』・・・毎晩見ているが、一つ見終わるごとに友人たちから「あれを見たか」と督促されるので、終わりが来ない。平川克美君は毎日6時間くらい見ているそうである。毎日明け方近くまで見ているので、目が痛いとこぼしていた。そこまですることもないのに。

 そう言えば、昔は日本のテレビドラマでもそういうことがよくあった。20年くらい前までは、だいたいみんな見ているドラマというものがあった。そういう共通の話題が絶えてなくなった。 

 共同的に参照できる「お話」がなくなると不便なのは、「たとえ話」の材料がなくなることである。年下の友人に大学で「組織論」という科目を教えている人がいるが、彼によると昔は組織論の「たとえ話」に『SLAM DUNK』を引けば、おおかたの学生たちには通じたそうである。だが、ある時期から「桜木」と言っても「みっちゃん」と言っても、何の話かわからないできょとんとしている学生が増えてきた。やむなく、たとえの出典を『One piece』に切り替えたと聞いた。学生のマンガリテラシーの経年変化を知らないと、「たとえ話」もできないんですよと彼はこぼしていた。なるほど。

 昔は歌舞伎や講談がよく「たとえ話」に使われた。弁天小僧と言ったら何者で、曲垣平九郎といったら何の名人で、九寸五分といったら何に使う道具か誰でも知っていた。今の学生はどれも知らないだろう。

 川島武宜の『日本人の法意識』は「日本的調停」の骨法について説明するときに『三人吉三廓初買』の一場面をたとえに用いていた。ここが白眉なのだが、今の法学部の授業で話しても誰にも通じないだろう。

 でも、こういう「文化的プラットフォーム」の存在はコミュニケーションの基礎として必須のものである。それが失われてきた。モラルとか美意識とか感情とか、あるいはもっと具体的に、祝辞の述べ方とか、謝り方とか、喧嘩の仲裁とか、そういうものには「標準型」があって、それをその場の事情に応じて適宜応用できるのが久しく「大人の作法」だとされてきた。 

 だが、それも全員が準拠できる標準があっての話である。紅白歌合戦の視聴率が80%だった時代、『赤穂浪士』の宇野重吉の物まねを小学生でもできた時代の話である。そのような「文化的プラットフォーム」が21世紀になってあらかた消えたことをひそかに慨嘆していたところに韓流ドラマがネットに登場してきたのである。

 印象的な出来事があった。日韓論の本を書いたことがきっかけで、先般在日コリアンの論客たちと座談会をする機会があった。年齢も政治的立場も違う3人の方たちと日韓問題を論じた。現実認識がなかなか噛み合わず、やや冷ややかな終わり方をした後に、ご飯を食べに行った。その席で談たまたま『愛の不時着』に及んだ。するとその場にいた全員(在日コリアン3人、日本人2人)が腰を浮かして、ドラマのあれこれについて論じ始めたのである。このドラマの歴史的意義は何であるかについてみんながそれぞれの思いを熱く語った。なんと、ここに日韓を架橋できる「プラットフォーム」があったのかと胸を衝かれた。

 

「みんなが知っている物語」というのはたいせつである。人間であれ、出来事であれ、具体的な手触りのある素材を共有するところからコミュニケーションは始まる。自国産ではないけれども、新しいコミュニケーションの素材を手に入れたことを私は言祝ぎたいと思う。

2020年

10月

16日

内田樹さんの「安倍政権を総括する」 ☆ あさもりのりひこ No.932

私たちが畏れ、顔色を窺い、その内心を忖度するのは、あいまいな根拠に基づいて、首尾一貫性のない政策を、法律を無視して実行する政治指導者である。

 

 

2020年10月1日の内田樹さんの論考「安倍政権を総括する」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

辞任後に『週刊金曜日』に寄稿したもの。

 

 政権の功罪について、私から指摘したいのは一つだけにしておく。それは「道徳的インテグリティ(廉直、誠実、高潔)」の欠如ということである。

 政治指導者は道徳的なインテグリティを具えているべきだと私は思っている。少なくとも、そのような人間であると国民に信じ込ませる努力をするべきだと思っている。安倍政権の最大の特徴は、このような努力をまったくしなかったことである。

 それどころか、権力者であるということは、道徳的な規範に従う必要がないということだという「新しい判断」をメディアを通じて全国民に刷り込んだ。私はこれが安倍政権のもたらした最大の災禍だったと思う。

 私たちは今はもう政治家であれ、官僚であれ、財界人であれ、指導者たちが「国民全体の福利」をめざして行動しているということを信じていない。彼らは自分の仲間、手下、支持者、縁故者、そしてもちろん自分自身の利益のためにその権力を活発に行使するが、全体の利益のためには行使する気がない。そのことを私たちはもう受け入れている。

「権力を自己利益のために使うことができるということが、『権力を持っている』ということである」というシニカルな同語反復を人々は「リアリズム」と呼んでいる。

 たしかにこの信憑は真実の一端を衝いてはいる。というのは、どれほど権力があっても、合理的な根拠に基づいて、適法的に判断を下す政治指導者は国民からは畏れられないからである。そのような指導者は尊敬され、信頼されることはあっても、恐怖の対象にはならない。私たちが畏れ、顔色を窺い、その内心を忖度するのは、あいまいな根拠に基づいて、首尾一貫性のない政策を、法律を無視して実行する政治指導者である。合理性も首尾一貫性も適法性も意に介さない態度を私たちは「強さ」と解釈する。

 安倍晋三は政治指導者に道徳的なインテグリティを求めてはいけないと国民に繰り返し教え込んだ。それは別に安倍が個人的属性としてきわだって邪悪な人間だったからではない。「権力者が畏怖されるためには道徳的インテグリティはむしろ邪魔になる」ということを彼がどこかで学んだからである。つねに正直であることよりは嘘を織り交ぜることの方が、つねに論理的であるよりはしばしば没論理的であることの方が、次の行動が予見可能である人間であるよりは何を考えているかわからない人間であることの方が、権力基盤は安定するという経験知を彼はどこかで身に着けた。

「勝ったものは正しかったから勝ったのだ。多数を制した党派は真理を語ったので多数を制したのだ」という現実肯定のことを現代人はいま気の利いた世間知だと思い込んでいる。実際に私が国政について発言をすると「じゃあ、あなた自身が国会議員に立候補して、自分で国政に関与すればいいじゃないか。それができないなら黙っていろ」というタイプの「批判」が来る。

「権力批判は自分自身が権力者になってからしろ」というのは言い換えると「現在のシステムを肯定して、そのルールに従ってキャリア形成を遂げて、システムに完全に適応するまでシステム批判をしてはならない」ということである。「現状批判したければ現状肯定しろ」という悪魔的なロジックを彼らは弄んでいるわけだけれど、それがでたらめであるということにいまの日本の若者たちはもう気づいていない。

 私の友人のYoutuberがあるYoutuberを批判したら、「そういうことは再生回数が同じになってから言え」という「批判」があったそうである。ビジネスマンについて批判しても「そういうことは同じくらい稼いでから言え」という「批判」が来る。それが人を黙らせる切れ味の良い利器だということをみんな知っているのである。

 いま日本社会に瀰漫しているのは、この「権力者を批判する権利は権力者にしかない」という思考停止である。そして、安倍政権はまさにこの国民的なスケールでの思考停止を達成したことによってその「一強」体制を築いたのである。

 それはこの7年8カ月の間に「現実的対案を出せない野党には存在理由がない」という言い方を野党政治家自身が気弱に口にするようになったことからも知れる。与党と同じようなロジックに従い、同じような語彙を駆使して、同じような政治的効果をめざす政治勢力だけが「現実的」であるというのは、ただの事大主義である。「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」という手垢のついたみすぼらしい処世訓の焼き直しである。日本人はそんなことさえもうわからなくなってしまっているのである。

 権力者であるためには「権力的にふるまうことができる」という以上の要件はないという新しい権力観を安倍政権は長い時間をかけて日本人に教え込んだ。だから、実際に安倍政権が通した重要法案の多くについて、安保法制も、特定秘密保護法も、テロ等準備罪も、国民の過半は世論調査で「急いで採決すべきではない」と意思表示したにもかかわらず、政権はそれを無視して、強行採決した。内閣支持率はたしかに直後にはいったんは落ちたが、すぐに回復した。つまり、有権者たちは「この政権は私たちが反対しても何の影響も受けないほどに強大な権力を有している。そうである以上、服従する他ない」と合理的に推論したのである。

 安倍政権はこの「リアリズム」を心理的基礎にして盤石の「一強体制」を誇った。しかし、この「リアリズム」はパンデミックという「現実」には無効だった。人間は権力を恐れるけれど、ウィルスにはそのような「心理」がないからである。

 世界23か国の人々に、コロナ対策に際して自国指導者の評価を求めたアンケートが行われたとき、日本政府の対応を「高く評価した」人は日本国民の5%にとどまった。世界平均は40%。中国は86%、ベトナムは82%、ニュージーランドが67%。死者数世界最多の米国でさえトランプを「高く評価する」国民は32%いた。

 国民は安倍政権が感染抑制については無能だったという評価を下した。当然だと思う。国難的状況において指導者に必要なのは、彼が国民全体の福利と健康と安全をめざしていると「信じさせる」ことだからである。けれども、安倍政権下で国民は、「権力者たちは自己利益のためだけに行動していて、自分の支持者・自分の縁故者にしか便益をもたらさない」ということをずっと前から教え込まれていた。感染症は全国民が等しく良質な医療を受けることができる体制を整備することでしか収束しない。しかし、安倍政権は支持者のみに選択的に利得をもたらし、反対者には「何もやらない」という道徳的インテグリティの欠如を誇示することで、「一強体制」の心理的基礎を打ち固めてきた。だから、安倍首相は強大な権力者であるが、その権力を全国民のために使うことは決してないというということを国民たちは知っていたのである。

 内閣支持率が30%ありながら、感染症対策を評価する国民が5%にとどまったのは、「私たちのために何もしてくれない政治家だからこそ支持する」「利己的にしかふるまわない権力者だから畏れ、服従する」という倒錯がそれだけ深く私たちの社会を侵していたことを表わしている。

 

 日本人はこの病的な現状肯定から逃れることができるだろうか。私にはわからない。でも、合理的で、適法的で、予測可能なしかたでふるまう指導者を「信頼し、尊敬する」という政治文化をもう一度構築しない限り、日本の没落は止まらないだろう。

2020年

10月

15日

五島つばきマラソンへの道 その6 ☆ あさもりのりひこ No.931

9月18日(金)早朝、ジョギングと階段598段駆け上り、1時間20分02秒、11.4㎞。

今朝は、蒸し暑かったので、水分補給を十分に摂った。

 

9月19日(土)早朝、インターバル走、1時間00分44秒、10.1㎞。

1000mを8本。

タイムは、5分14秒、5分32秒、5分42秒、5分22秒、5分11秒、5分37秒、5分01秒、5分06秒。

最後の2本は、下り坂とはいえ良かった。

 

9月20日(日)休足日。

 

9月21日(月)午前、稲渕から飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社(あすかのかわかみにますうすたきひめのみことじんじゃ)の階段552段を上る行程、1時間42分01秒、14.8㎞。

明日香村は、「彼岸花祭り」を開催していたが、彼岸花(曼珠沙華)はまだ「つぼみ」であった。

キトラから稲渕へ降りていく下り坂に、駐車禁止のために橙色のパイロン(魔女の帽子)が道路の両側にズラーッと並べられていて、彼岸花のように綺麗だった。

 

9月22日(火)早朝、ランニング6.4㎞、ウインドスプリント200メートル6本、53分22秒。

1㎞のラップは、6分40秒、6分52秒、6分04秒、5分58秒、5分39秒、5分46秒、最後の400mは5分17秒。

ウインドスプリントは、5分02秒、4分11秒、4分55秒、4分40秒、4分53秒、4分26秒。

ジョギングのつもりだったが、速く走りすぎて、ウインドスプリントを10本走る予定だったが、左膝上の筋肉が張り出したの6本でやめた。

つぎは、ジョギングをしよう。

 

9月23日(水)夜、トレッドミルでビルドアップ走、30分、4.6㎞。

1㎞7分~5分45秒で各々5分ずつ走った。

ALTRAESCALANTEを初めて履いて走った。

特に違和感はなかった。

 

9月24日(木)早朝、階段1608段駆け上がり、43分59秒、4㎞。

 

9月25日(金)早朝、雨、アントレ。

 

9月26日(土)早朝、全力疾走2㎞、ジョギング6㎞、全力疾走2㎞、1時間04分15秒、10.1㎞。

最初の2㎞は、5分23秒、5分25秒、最後の2㎞は、5分33秒、5分19秒。

最後の2㎞の途中で、左足のランニングシューズの靴紐が解けて結び直したので5分33秒かかった。

 

9月27日(日)早朝、ビルドアップ走、1時間09分39秒、10.9㎞。

 

9月28日(月)早朝、インターバル走、59分52秒、10.1㎞。

 

9月29日(火)早朝、ペース走+階段598段、1時間12分31秒、11.4㎞。

 

9月30日(水)休足日。

 

10月1日(木)夜、トレッドミルでビルドアップ走、30分、4.6㎞。

 

10月2日(金)早朝、ジョギングの後、ウインドスプリント、1時間07分11秒、9.4㎞。

まず、6.4㎞を44分31秒でジョギングした後、ウインドスプリント200メートルを10本走った。

ウインドスプリントは、4分54秒、4分41秒、4分51秒、4分30秒、5分07秒、4分17秒、4分34秒、4分11秒、4分21秒、4分21秒。

後半の方がいいタイムになっている。

 

10月3日(土)早朝、階段1608段駆け上がり、44分05秒、4㎞。

 

10月4日(日)早朝、キトラから稲渕へ抜けて飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社(あすかのかわかみにますうすたきひめのみことじんじゃ)の階段552段を上る行程、1時間39分55秒、14.8㎞。

この行程は3回目だが、一番速く走ることができた。

 

10月5日(月)早朝、全力疾走2㎞、ジョギング6㎞、全力疾走2㎞、1時間03分44秒、10.1㎞。

最初の2㎞は、5分19秒、5分24秒、最後の2㎞は、5分29秒、5分24秒。

この行程は3回目だが、一番速く走ることができた。

AmazonASICSの「ターサージール6」(28㎝3E)が届く。

価格が7000円を切っており、安かったので買った。

 

10月6日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走、30分、4.6㎞。

ターサージール6を試す。

軽いな。

 

10月7日(水)早朝、ビルドアップ走、1時間04分00秒、10.1㎞。

 

10月8日(木)早朝、雨、筋トレ。

 

10月9日(金)早朝、雨、筋トレ。

 

10月10日(土)早朝、雨、筋トレ。

 

10月11日(日)午前、高松塚~飛鳥駅前~キトラ古墳~鷹鞭橋~キトラ古墳~稲渕~栢森~稲渕~キトラ古墳~高松塚~甘樫丘、3時間39分07秒、28.1㎞。

5月17日以来、5か月ぶりのロング走。

21㎞までは順調だったが、21㎞を過ぎて失速、25~27㎞は歩いた。

つぎのロング走のときは、金曜日と土曜日の2日間は完全に休足しよう。

 

10月12日(月)、休足日。

 

10月13日(火)夜、トレッドミルでペース走、30分、4.7㎞。

トレッドミルでペース走は久しぶりだったが、余裕を持ってしっかり走れた。

2021年のウルトラ・トレイル・マウント・フジ(UTMF)の実施概要が発表された。

2021年4月23日(金)~25日(日)にUTMFが開催される。

コースは一部変更されて164㎞の行程になった。

サポートはできない。

 

10月14日(水)早朝、ペース走と階段598段、1時間14分11秒、11.3㎞。

調子はいい。

 

10月15日(木)早朝、インターバル走、1時間04分25秒、10.9㎞。

5分13秒、5分29秒、5分25秒、5分39秒、5分16秒、5分14秒、5分39秒、4分55秒。

下り坂とはいえ、8本目は5分を切れた。

10月前半で走行距離は112.6㎞。

 

いいペースだ。

2020年

10月

14日

内田樹さんの「文化日報への寄稿「パンデミックとその後の世界」」 ☆ あさもりのりひこ No.930

都市生活というのは、要するに生活のリズムが一致し、行動が斉一的な人々が密集して暮らすということである。そういう環境が感染症の拡大にとっては最もつごうがよい。となると、私たち個人の生活レベルで「感染症に対して抑制的な生き方」はどういうものかが論理的に決まってくる。それは他の人々と生活のリズムをずらし、斉一的な行動を取らず、他の人と離れて暮らすということである。

 

 

2020年9月20日の内田樹さんの論考「文化日報への寄稿「パンデミックとその後の世界」」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

韓国のメディアから「パンデミックとその後の世界」というお題で寄稿の依頼があった。これまであちこちに書いたこととそれほど違うわけではないけれども、韓国の読者が読んでもわかる話をこころがけた。

 

 ポスト・コロナの時代に世界はどう変わるか。この質問に答えることはそれほどむずかしくない。国際政治とか国際経済とか、話のスケールが大きいほど予測は容易である。

 おそらくグローバル資本主義はしばらく停滞するだろう、新自由主義は遠からず命脈が尽きるだろう、自国ファースト主義やナショナリズムや排外主義が蔓延するだろう、二酸化炭素の排出量が減って、環境破壊のペースは少しだけ遅れるだろう・・・程度のことはたぶん誰にでも予測がつく。システムが大きいと、それだけ惰性が強いからである。だが、それよりももう少しスケールの小さい事象になると、わずかな入力の変化で、出力が大きく変わることがあるので予測がむずかしい。それでも、変わるとしたら、どこがどう変わるのか、比較的蓋然性の高いことについて予測してみる。

 

 コロナ・パンデミックで私たちのシステムのどこが脆弱であるかはかなり鮮やかに可視化された。今回分かったことの一つは(あまり指摘する人がいないが)アメリカの世界戦略に大きな「穴」があったということである。

 日本で最初に大規模なクラスターが発生したのはクルーズ船だったが、米海軍の空母セオドア・ルーズベルト号も3月太平洋航行中に100人を超える感染者を出して、患者の艦外退避のために作戦行動変更に追い込まれた。ここから知れるように、艦船は感染症にきわめて弱い。同時に、軍隊という組織も、その性質上、閉鎖空間に、斉一的な行動を取る大量の人間が集住することを余儀なくされるわけであるから、感染症にきわめて弱い。つまり、「艦船」と「軍隊」は感染症に弱いのである。潜水艦は空母よりさらに感染症に弱い。乗員に許された空間の狭さと換気の悪さは空母の比ではないからである。ということは、軍事的緊張のある地域に空母を派遣して、それを母艦にして戦闘機やヘリを飛ばして制海権・制空権を抑え、潜水艦からミサイルを撃ち込むという伝統的なアメリカの海外派兵スキームがしばらくは使えなくなったということを意味している。「感染者が出て、どの艦船がいつ使用不能になるかわからない」というような条件下で作戦行動を立案実施することは難しい。米国防総省のスタッフは今ごろ頭を抱えていることだろう。それゆえ、これまでアメリカがアフガニスタンやイラクでやってきたような通常兵器による軍事行動については抑制的になるという予測が立つ。たぶんこの予測は当たると思うけれども、予測が当たった場合には「何も起こらない」ので、私の予測の当否を事後的に検証することはできない。

 

 狭いところに人を押し込めるのがダメ、人々が斉一的な行動を取るのがダメということになると、自動的に都市生活がダメということになる。

 都市生活というのは、要するに生活のリズムが一致し、行動が斉一的な人々が密集して暮らすということである。そういう環境が感染症の拡大にとっては最もつごうがよい。となると、私たち個人の生活レベルで「感染症に対して抑制的な生き方」はどういうものかが論理的に決まってくる。それは他の人々と生活のリズムをずらし、斉一的な行動を取らず、他の人と離れて暮らすということである。

 

 1665年にロンドン襲ったペストでは最終的に46万人のロンドン市民のうち7万5千人が死んだが、ダニエル・デフォーの『ペスト』を読むと、生き残った人たちはたしかに「他の人がいないところ」にいて「他の人がしないこと」をして難を逃れたのである。金持ちたちは流行初期に郊外の疎開先に逃げ出した。ある者は食糧を大量に買い集めて、数か月にわたって家に閉じ籠っていた。逃れる先もなく、買いだめする資力もない人は、市内で仕事を続けていくばくかの金を稼ぎ、日々市場で食べ物を調達する他になかった。そういう人たちがペストに罹って死んでいった。

 17世紀のロンドンでは「他人とニッチを変える」ためには例外的な資力が必要だったが、さいわい21世紀には、それほどの資力もコネクションも必要がない。

 日本でも韓国でも、若い世代の地方移住・地方離散が進んでいる。このトレンドはパンデミック以前から進行していたが、コロナ以後は地方移住・地方離散の動きが加速するはずである。

 農村・漁村に住み、不特定多数の人々と接触する機会があまりない生活をしていれば(満員電車に乗って通勤するとか、狭いオフィスにひしめいて働くとか、満員のライブハウスで騒ぐとか、していなければ)感染リスクはほぼゼロに抑えることができる。ふだん通りのことをしていれば、それだけで命と健康を守ることになるというのは、ストレスフリーな生き方である。

 たしかにパンデミックのせいで全社会的に経済活動が縮小し、流通が滞れば、地方の生活にも影響が出るだろう。廃業したり、倒産したりする事業体も出てくるだろう。しかし、農漁村は基本的に食料を生産しているわけであるから、何があっても「食うには困らない」。

 それに、どれほど社会活動が縮んでも、社会的インフラ(上下水道、交通網、通信網など)の管理運営、医療、教育、そして宗教生活なしに人間は生きてゆくことはできない。それらのどれかの領域において何らかの専門的な技術と知見を具えた人は、どこにいても、それを生業として生き延びることができるだろう。ぜひ、この機会に人間が共同的に生きてゆくためになくてはならない仕事のうち、自分に「何ができるか」を自問してみて欲しい。「その職務を担う人がいなければ世の中は成り立たない仕事」以外はデヴィド・グレーバーに言わせればすべて「ブルシットジョブ」である。今回のコロナはあなたの仕事が「ブルシットジョブ」かそうでないかを教えてくれたはずである。

 だから、コロナによって都市生活の脆弱性が露呈され、多くの人が「地方で暮らすこと」の可能性を検討し始めたというのは、端的によいことだったと私は思う。それは、改めて「私には何ができるのか?」「私はほんとうは何をしたかったのか?」「私を求めている人がいるとしたら、それはどこにいるのか?」といった根源的な問いを自分自身に向ける機会となるからである。どんな場合でも(たとえそれがパンデミックであっても)、根源的な問いを自分に向けるのは、よいことである。ただ、この問いに急いで答えてみせる必要はない。そんなに慌てなくてもよい。

「天職」「召命」のことを英語ではcallingとかvocationと言う。いずれも「呼ぶ」という動詞の派生語である。私たちが自分の生涯の仕事とするものは多くの場合、自己決定して選択したものではない。もののはずみで、誰かに「呼ばれて」、その場に赴き、その仕事をするようになって、気がついたら「天職」になっていたのである。それはしばしば「自分がそんな仕事をするようになるとは思ってもいなかった仕事」である。

 始まり方はだいたいいつも同じである。偶然に出合った人から「お願いです。これをしてください(頼めるのはあなたしかいないんです)」と言われるのである。先方がどういう根拠で私を選び、私にはそれが「できる」と思うに至ったのか、それはわからない。でも、こういう場合には外部評価の方が自己評価よりも客観性が高いから、それに従う。多くの人はそうやって天職に出会ってきた。

 だから、コロナによって住みにくくなった都市を去って、地方に離散しようとする人たちに向かって、「いったいお前は、そんな見知らぬ土地に行って、何をするつもりなんだ? ちゃんと計画はあるのか? どうやって生計を立てるつもりなんだ?」というような心配顔の問いを向ける人がたくさんいると思うけれども、それに対しては、正直に「わからない」と答えておけばよいと思う。なぜだかわからないけれども、田舎に住みたくなった。行き着いた先で自分が何をすることになるか、それはまだわからない。だから、とりあえずしばらくは「召命」の声に耳を澄ませて過ごすことにする、と。正直にそう答えればよいと思う。というのも、「召命の訪れを待つ」ことほど人間的な時間の過ごし方は他にないからである。

「召命」と言っても、別に聖書にあるように、雷鳴が下るとか、黒雲が空を覆うとか、柴が燃えるとか、そういう演劇的な装置の中で起きる出来事ではない。それはたいていの場合「ちょっと手を貸してくれないか?」というカジュアルな依頼文のかたちで到来してくる。「だって、することなくて暇なんだろう?」私の知る限り「天職」に首尾よく出会った人の90%はこのパターンである。

 そんなふうにして、「私はほんとうは何をしたかったのか?」と自問しつつ、「声がかかるのを待つ」人たちが国中に何万人も何十万人もいる世の中は、とても穏やかで、居心地がよいものになるような気がする。

 

 コロナは多くの人の命と健康を奪い、多くの人が経済的困窮で苦しんでいる。けれども、これを奇貨として、各国の軍事行動が抑制的になり、環境破壊が止まり、グローバル資本主義と新自由主義についての反省が始まり、自分自身の生き方について根源的な問いを向け、「召命」の声を求めて耳を澄ます人たちが出てくるなら、この疫病からも引き出し得るいくばくかの「よきこと」があったのだということになるだろう。

2020年

10月

13日

災いに備える

 

本日は事務局が担当です。

 先週末は台風14号が接近するとのことで、みなさん結構用心されたのではないでしょうか。

 速度が遅く、進行方向が一定しない台風でしたね。

 伊豆諸島の方は大変だった様ですが、幸にして、南の方へ行って熱帯低気圧になり、本州では被害が殆ど聞くことがなくて良かったです。

 過去のこの時期の私のブログを見返してみると、殆ど台風のことを書いていました。

 去年は台風19号、その前は台風21号のことを書いていました。

 最近は、我が家では、台風21号の被害の教訓を基に、想定外がなるべく無いように、台風の接近予報が出たら、外周りの防備と内廻り(主に食糧と停電への対応)の備えを行います。

 その様な時の内廻りの備えに参考になるのが、我が家では近くに赤十字病院があったせいか日本赤十字社のチエックリスト(別表)を使っています。

 

これは、台風だけでなく、地震などにも対応していると思います。

 よろしければ、参考にしてみて下さい。

 そして、被害が発生した際にも備えて、各種保険契約を見直してみてください。

 保険契約の基本契約は大事ですが、摘要範囲や、僅かの追加掛け金で色々な特約があります。

先日もバイクでの交通事故のご相談で、自動車保険の適用範囲にバイクや弁護士特約を加えていなかった方がおられました。

追加保険料は、月あたり飲料水1~2本位の料金らしいですので、是非みなおしてみてください。

災いに備えることで、災いが発生してもなるべく早く回復、復旧、前向きになれるようにできると思います。

2020年

10月

12日

内田樹さんの「反知性主義者たちの肖像 その9」 ☆ あさもりのりひこ No.929

長い時間の流れの中におのれを位置づけるために想像力を行使することへの忌避、同一的なものの反復によって時間の流れそのものを押しとどめようとする努力、それが反知性主義の本質である。

 

 

2020年9月3日の内田樹さんの論考「反知性主義者たちの肖像 その9」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 現代に話を戻す。これまでもいろいろなところで書いてきたことの繰り返しになるが、わが国はいま「国民国家のすべての制度の株式会社化」のプロセスを進んでいる。平たく言えば、金儲けに最適化したシステムだけが生き残り、そうでないシステムは廃絶されるというルールに国民の過半が同意したのである。営利企業の活動はもちろんのこと、農林水産業のような自然の繁殖力を永続的に維持管理するための活動も、医療のような国民の健康を保持するための活動も、教育のような次世代の担い手の市民的成熟を支援するための仕組みも、すべてが経済効率だけを判定基準にして淘汰されるべきだという判断に国民の過半が同意を与えた。この趨勢を「国民国家の株式会社化」と私は呼ぶ。

 株式会社のCEOは独断専行で経営政策を決定する。従業員や株主の合意を得てからはじめて経営判断を下すような経営者はいない。そのような手間暇をかけていては生き馬の目を抜くグローバル資本主義を生き残れない。ワンマン経営が推奨されるのは、経営判断の適否はただちにマーケットによって検証されることをみんな知っているからである。「マーケットは間違えない」。これはすべてのビジネスマンの信仰箇条であり、これに異を唱えるビジネスマンはいない。CEO の経営判断の適否は、タイムラグなしに、ただちに、売り上げや株価というかたちで可視化される。どれほど非民主的で独裁的なCEOであっても、経営判断が成功している限り、そのポストは安泰である。

 現代の政治家たちは「株式会社のCEOのような統治者」をロールモデルにしている。そして、そのことを国民もまた当然のことのように思っている。けれども、人々は国家は株式会社のように経営することはできないという平明な事実を忘れている。政治にはビジネスにおける「マーケット」に対応するものが存在しない。

 国政におけるいまここでの政策の適否は今から50年後、100年後も日本という国が存続しており、国土が保全され、国民が安らぎのうちに暮らしているかどうかによって事後的にしか検証されない。株式会社であれば、新製品がどれくらい市場に好感されたか、展開した店舗がどれくらい集客したか、ターゲットの設定がどれくらい適切であったかは、当期の売り上げや株価によってダイレクトに評点が下される。けれども、残念ながら四半期で適否が決まるような政策は国政については存在しない。いま政府が行おうとしている重要政策の適否が判明するのは、その政策が重要であればあるほど遠い未来になる。場合によっては、私たちの死後かも知れない。「政治にマーケットはない」というのはそういう意味である。採択された政策が「失敗」したとわかったときに、国民は「CEOを馘首する」というソリューションが採れない(たいていの場合、失政の張本人はとうに引退するか、死んでいる)。そのとき失政の後始末をするのは国民国家の成員たちしかいない。誰にも責任を押しつけることができない。祖先が犯した政策判断の失敗の「尻ぬぐい」はその決定に参与しなかった自分たちがするしかない。そのような「負債」の引き受けを合理化する唯一の根拠が民主制である。

 誤解している人が多いが、民主制は何か「よいこと」を効率的に適切に実現するための制度ではない。そうではなくて、「わるいこと」が起きた後に、国民たちが「この災厄を引き起こすような政策決定に自分は関与していない。だから、その責任を取る立場にもない」というようなことを言えないようにするための仕組みである。政策を決定したのは国民の総意であった。それゆえ国民はその成功の果実を享受する権利があり、同時にその失政の債務を支払う義務があるという考え方を基礎づけるための擬制が民主制である。

 このためには、死者もまだ生まれてこない者もフルメンバーとして含む、何百年もの寿命を持つ「国民」という想像の共同体を仮定せざるを得ない。その国民なるものが統治の主体であるという「物語」に国民が総体として信用を供与するという手続きを践まざるを得ない。

これは株式会社とは最も縁遠い共同体理解である。株式会社は短命である。今年起業された株式会社のうち50年後にまだ存続しているものはおそらく1%以下であろう。だが、別に短命であることは株式会社にとって困ったことでも恥ずかしいことでもない。起業して一年目に会社ごと身売りしてキャピタルゲインで天文学的な個人資産を手に入れた経営者は、老舗の看板を細々と100年守っている小商いの経営者より高く評価される。株式会社は「当面の勝利」以上のものを望まない。どれほどの規模の経営破綻を来しても、株券が紙くずになるのが株式会社の取りうる責任のすべてである。倒産してそれで「終わり」である。倒産した企業の社会的責任を何十年何百年も追及し続けるというようなことは誰もしない。

 しかし、国家はそうはゆかない。国政の舵取りに失敗すれば、その責任はその政策決定にまったく関与しなかった世代にまで及ぶ。日本のかつての被侵略国に対する戦争責任は戦後70年を経ても追及が終わらない。「もういい加減にしろ」といくら大声でどなっても、「じゃあ、もう追及するのは止めます」と隣国の人々が言ってくれるということは絶対に起こらない。「日本人は戦争責任への反省がない。決して許すまい」という相手のネガティブな心証形成が強化されるだけである。米軍はこのままおそらく未来永劫に日本の国土に駐留し続け、広大な土地を占有し続けるだろう。北方四島もロシアが占領し続けるだろう。国家の失政の責任は無限責任だからである。「70年も経ったのだから、もういいでしょう」と言っても、相手国が「そうですね」と引き下がることはない。彼らはみな「日本に貸しがある」と思っており、その貸しは「まだ完済されていない」と思っている。彼らがいつ「完済された」と思うようになるのか。それを決めるのは先方であって、われわれではない。無限責任とは「そういうこと」である。

 しかし、今の為政者たちは、政策の適否は長い時間的スパンの中で検証されるものであって、自分たちが今犯した失政の「負債」は自分たちが死んだ後、まだ生まれていない何代もの世代に引き継がれることになるというふうには考えていない。彼らは自分たちの政策が歴史的にどう検証されるかということには何の興味も持っていない。彼らが興味を持つのは「当面の政局」だけである。政治家であれば「次の選挙」である。「次の選挙」がビジネスマンにとっての「マーケット」を代用する。「マーケットは間違えない」のであれば、次の選挙で当選すれば、彼らが採択した政策の適否についての歴史的判断はすでに下ったということになる。歴史的判断は選挙によって国民がすでに下したのであるから、彼らが表舞台から退場したあと、彼らが死んだあとになって、彼らの下した政策判断がどういう結果をもたらしたか、そんなことには何の意味もない。政治家が「文句があれば次の選挙で落とせばいい」とか「みそぎは済んだ」というような言い回しを好むのは、直近の選挙結果が政策の適否を判定する最終審級であり、歴史的な審判などというものは考慮するに及ばないと彼らが本気で信じているからである。

 

 私は先に反知性主義の際立った特徴はその「狭さ」、その無時間性にあると書いた。私がこの小論で述べようとしたことは、そこに尽くされる。長い時間の流れの中におのれを位置づけるために想像力を行使することへの忌避、同一的なものの反復によって時間の流れそのものを押しとどめようとする努力、それが反知性主義の本質である。

 反知性主義者たちもまたシンプルな法則によって万象を説明し、世界を一望のうちに俯瞰したいと願う知的渇望に駆り立てられている。それがついに反知性主義に堕すのは、彼らがいまの自分のいるこの視点から「一望俯瞰すること」に固執し、自分の視点そのものを「ここではない場所」に導くために何をすべきかを問わないからである。「ここではない場所」「いまではない時間」という言葉を知らないからである。

 

 最後にレヴィナスの『全体性と無限』の冒頭の言葉を記して筆を擱くことにする。「形而上学」というレヴィナスの言葉を「知性」に置き換えて読んで頂ければ、私の言いたいことがこのわずか二行に尽くされていることがおわかりになるだろう。

 

 

「形而上学は『ここではない場所』、『別の仕方で』、『他なるもの』に向かう。思想史の中で形而上学はさまざまな形態をまとってきたが、最も一般的なかたちとしては、形而上学は私たちにとって親しみ深いこの世界(・・・)から、私たちの棲み着いている『私の家』から、見知らぬ自己の外、ある彼方へと向かう運動として現われるのである。」(Emmanuel Lévinas, Totalité et Infini, Martinus Nijhof, 1971, p.21)

2020年

10月

09日

内田樹さんの「反知性主義者たちの肖像 その8」 ☆ あさもりのりひこ No.928

自分の言っていることを信じていない人間は、自分の言っていることを信じている人間よりも、論争的な局面ではしばしば有利な立場に立つ

 

 

2020年9月3日の内田樹さんの論考「反知性主義者たちの肖像 その8」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 彼がウィーリングで歴史的な演説をしたのは1950年2月9日だが、その一月前の1月7日にマッカーシーはワシントンで三人の選挙コンサルタントたち(ひとりの神父、ひとりの大学教授、ひとりの弁護士)とディナーを取りながら次の選挙の「目玉」になりそうな政策を物色していた。コンサルタントの一人はマッカーシーに「セント・ロレンス水路」の推進はどうかと提案した。マッカーシーはそれにはとりあわず、65歳以上のものに月額100ドルの年金をばらまくのはどうかと逆提案した。コンサルタントたちは賛成しなかった。別のコンサルタントが共産主義者の勢力拡大と破壊活動を主題にするのはどうかというアイディアを出した。マッカーシーはこれに飛びついた。彼らはしばらく討議したが、その話を持ち出した神父自身がマッカーシーの興奮ぶりを警戒して、こういう問題にあまり無責任なしかたで取り組まないようにと釘を刺した。マッカーシーは慎重に取り組むと約束したが、もちろん約束は守られなかった。

 この逸話は私に「反ユダヤ主義の父」ドリュモンがユダヤ人のフランス支配の陰謀の物語を着想したときのことを思い出させる。ドリュモンはその大著の刊行まで、新聞記者としてある新聞社で働いていた(その経営者はユダヤ人であり、彼はその社で厚遇されていた)。そしてある日、ドリュモンは、フランスの政治家も官僚も財界人もメディアもすべてはユダヤ人に支配されているという「隠された真実」を発見した。その証拠に、フランスのメディアは「政官財をユダヤ人が事実上支配している」という真実を報道していない。この完璧な報道管制こそユダヤ人の支配がフランス社会の隅々まで徹底していることの動かぬ証拠である。彼自身ユダヤ人が経営している新聞社で働きながら、そのことに気づかずにいたくらいだ・・・。不思議な論法であるが(ドリュモンという人は論理的な思考がほんとうに苦手な人だった)、読者たちはそれを読んで「なるほど」と同意した。

 マッカーシーもまたある日、共産主義者たちがひそかに政府を支配し、政策を起案しているという「真実」を発見した。まさに共産主義者が政策決定に深く関与していることが、共産主義者が政策決定に深く関与しているという事実が少しも明らかにされない当の理由なのだという論法もドリュモンとよく似ている。「そうでないことを証明してみせよ」という恫喝によってマッカーシーは4年間にわたって大統領と議会ににらみを効かせ、FBIを頥使し、アメリカ社会を狂騒と混乱のうちに陥れた。

 なぜ、このような人物がこれほどの政治力を発揮しえたのか。理由の一つは彼が「政府には共産主義者が巣喰っている」という自分が喧伝している当の物語を一瞬たりとも信じたことがなかったからだと『マッカーシーズム』の著者は書いている。私もこれに同意の一票を投じる。

「本当にそう信じ、本当に気にかけていたのなら、唯面倒くさいからとか、期待したような大見出しにならなかったからという理由で、調査を放棄するようなことはしなかっただろう。かれは政治的投機者、共産主義を掘り当て、それが噴油井を上って来るのを見た試掘者だったのである。そしてその噴油井が気に入った。しかし、別のどういう噴油井でも同じように気に入ったであろう。」(同書、97頁)

 例えば、マッカーシーはCIAこそ「最悪の状態」だと述べ、そこには百人以上の共産主義者がおり、それをこの手で根絶してみせると宣言した。だが、政府部内にマッカーシーの調査員たちがCIAを土足で歩き回ることを望むものはいなかった。彼らは自分たちの身内の調査委員会の結論(「何もありませんでした」)をマッカーシーに伝えた。マッカーシーはこれ以上ことを荒立てると誰かの虎の尾を踏むリスクがあることを感じ取ったのか、「この問題はこれ以上踏み込まない」と言って調査を切り上げた。マッカーシーの告発が正しければ、CIAはそれ以後も「最悪の状態」のままだったはずであるが、そのことはマッカーシーをあまり悩ませなかった。結局のところマッカーシーのキャンペーンは最終的に何一つ成就しなかったし、調査をすると発表しながら、調査に着手しないことさえあった。

 マッカーシーのカラフルな事例が教えてくれる最も豊かな教訓の一つは、自分の言っていることを信じていない人間は、自分の言っていることを信じている人間よりも、論争的な局面ではしばしば有利な立場に立つという事実である。ふつうの人は、自分の言いたいことにまだ充分な裏付けがない場合は断定的に語るのを自制する。だから、どうしても歯切れの悪い言い方になる。そして、自分が「確信のないことを語るときの気後れ」を他人も経験するはずだと推論する。残念ながら、マッカーシーはそのような気後れとまったく無縁の人物であった。ロービアのほとんど詩的な罵倒を採録すると「マッカーシーは確かに嘘つきのチャンピオンだった。かれは思うままに嘘をついた。怖れることなく嘘をついた。白々しい嘘をつき、真実に面と向かって嘘をついた。生き生きと、大胆な想像力を用いて嘘をついた。しばしば、真実を述べるふりすらしないで嘘をついた。」(同書、71頁)

 反知性主義者には気後れというものがない。その点で、彼は論争における勝負の綾を熟知していると言ってよい。「ふつうなら気後れして言えないこと」を断定的に語る者はその場の論争に高い確率で勝利する。

 しかし、このような「短期決戦」スタイルの言論は当然ながら「手間暇をかけて裏を取る」人によってていねいに吟味されるといずれ土台から崩壊する。時間が経てば必ず崩壊する。だから、反知性主義のほんとうの敵は目の前にいる論敵ではない(彼らは目の前にいる人間のことなど、ほとんど気にしない)。彼らのほんとうの敵は時間なのである。

 時間はどのような手立てを講じようと経過する。そして、その過程で「嘘」は必ず露呈する。反知性主義者はだからある意味で「時間と戦っている」のである。それゆえ、彼らの戦術的狡知は「時間を経過させない」ことに集中することになる。

 時間を経過させないことは人間にはもちろんできない。人間にできるのは「時間が経過していないように思わせる」ことだけである。これについては経験的にかなり確かなやり方がある。それは反復である。「同じ言葉を繰り返すこと」「同じふるまいを繰り返すこと」によって時間は止まる(ように見える)。すべての反知性主義者はこの点については実に洞察力にすぐれた人類学者だと言わなければならない。彼らは太古の祭祀儀礼以来、同じリズム、同じメロディで反復される同じダンスを見せられているうちに人間は時間の感覚を失ってしまうということを熟知している。強化された反復によって、人間の時間意識は麻痺する。自然的時間は経過するのだが人間的時間は経過しない。歴史上のすべてのデマゴーグはこのことを直感的に知っていた。彼らはしばしば「雄弁」だと言われるが、その「雄弁」性は次々と新しい語彙を作り出すとか、次々と新しい概念を提出するとか、次々と新しいロジックを繰り出すというかたちでは示されない。彼らの「雄弁」性の本質を形成するのは、同一のストックフレーズの終わりなき繰り返しを「厭わない」という忍耐力なのである。

 

 ふつうの人間は同一性の反復に長くは耐えられない。同一の口調、同一のリズム、同一のピッチ、同一の身振りを繰り返すということはどこか本質的に反生命的・反時間的なふるまいだからである。同一的なものの反復は反生命的であり、反時間的である。だが、デマゴーグは反復を厭わない。むしろ反復に固執する。同じ表情、同じ言葉づかいで、同じストックフレーズを繰り返し、同じロジックを繰り返す。政治的失敗を犯した場合でさえ、その失敗をあえて二度三度と繰り返す。彼らは失敗から学習するということをしない。学習によって「変わる」とせっかく止めていた時間が動き始めてしまうからだ。彼らは同じ表情で、同じ言葉を繰り返す。それを見ているうちに、私たちはそれがいつの出来事だったのか、しだいにわからなくなってくる。一年前の出来事なのか、三年前の出来事なのか、それとも一年後の出来事なのかが識別ができなくなる。この過剰なまでの同一性への固執は彼らの知的無能を示しているのではない。むしろ、彼らの戦術的狡知の卓越性を示している。彼らは自分たちが息を吐くようについている嘘が時間の経過に耐え得ないものであることを知っている。だから、時間を止めようとするのである。

2020年

10月

08日

Yosemite ☆ あさもりのりひこ No.927

ランニングシューズは消耗品である。

1年間に2~3足は新しいシューズを買う。

長い期間履いていると、靴底がすり減ってくる。

最初の頃は、シューズの両足の踵の外側がすり減っていた。

ランニングフォームを改善して、フォアフット走法が身につくと、踵がすり減ることはなくなった。

今は、シューズの右足の外側がすり減る。

シューズの左足の外側はすり減らない(ようになった)。

ランニングフォームが、右に傾いているのだ。

最初の頃に比べると、すり減る面積は減ったし、すり減るのに時間がかかるようにはなった。

しかし、シューズの右足の外側がすり減ることに変わりはない。

右足の外側がすり減って、靴底の内側が見えるようになると、新しいランニングシューズを買うことにしている。

 

ランニングシューズは、アシックスのライトレーサーを履いている。

別のメーカーの靴も試したが、ずっとライトレーサーだ。

サイズは28。

朝守は足の甲の横幅が広いので、ワイドタイプを買い求める。

踵は高くないもの、いわゆる薄底のものを履く。

ライトレーサーは、6か月も履くと、シューズの右足の外側がすり減って、買い換えることになる。

 

1週間に1回、トレッドミルで30分間走る。

このときは、アシックスのターサージールを履く。

薄底のターサージールだ。

ターサージールは買い換えたことがない。

かなり長い間履いている(3年か4年)。

トレッドミルはゴムの上を走るので、靴の右足の外側がすり減らないのだ。

 

新しいライトレーサーを買うと、まず、トレッドミルで数回使ってみる。

そうすると、新しい靴が足の形に馴染む。

それから、ロードで使うことにしている。

 

今は、黒いライトレーサーを履いているが、ぼちぼち右の外側がすり減ってきている。

新しい靴を求めて、9月22日(火)朝、奈良県橿原市葛本町147-3にある「Yosemite」に行く。

Yosemite」を訪れるのは2度目だと思う。

店舗の建物を増築して、品揃えが格段に増えている。

店員の女性(店主の奥様)にALTRAESCALANTEの最新バージョンを勧められる。

ALTRAは履いてみたかった。

踵が高くない、つまり踵が薄い。

足の甲の部分の横幅が広い。

ALTRAESCALANTEを買うことにする。

黒色と白色があったが、今使っているライトレーサーが黒色なので、白色を買う。

1万6500円なり。

安くない。

ついでに、ランニングパンツと靴下も買う。

ランニングパンツも靴下も「いいもの」だ。

Yosemite」には「いいもの」が揃っている。

 

さっそく、トレッドミルで走るときにALTRAESCALANTEを履いてみる。

足底の全面が包まれているような感覚がある。

いい感じだ。

あと何回かトレッドミルで走るときにALTRAESCALANTEを履いてみて、愈々つぎはロードである。

 

 

2020年

10月

07日

内田樹さんの「反知性主義者たちの肖像 その7」 ☆ あさもりのりひこ No.926

反知性主義者の最大の特徴は「少し時間と手間をかければ根拠がないことが露見する話」を自信たっぷりに語ることにある

 

 

2020年9月3日の内田樹さんの論考「反知性主義者たちの肖像 その7」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 20世紀における反知性主義者のワーストテンに必ず算入されるはずの人間にジョセフ・マッカーシー上院議員がいる。彼が常習的な嘘つきであり、金に汚く、卑劣漢であったことについては無数の証言があるが、それは彼が1950年から1954年までトルーマン、アイゼンハウアーという二代の大統領の権限を「半身不随」に追い込むほどの権力を持った理由を説明してくれない。全盛期のマッカーシーはその一挙手一投足を世界のメディアが注視するアメリカでただ一人の上院議員だった。同盟国イギリスの『タイムズ』は彼のまわりに立ちこめる空気を「西側の政策決定にあたって不可欠の要素」と語り、ウィンストン・チャーチルはエリザベス二世の戴冠式の祝辞の中でマッカーシー批判の一節を挿入することを自制できなかった。短期ではあったけれど彼が国内外にふるったこの恐るべき影響力は彼の徹底的に反知性主義的な構えにあったと私は考えている。

 反知性主義はしばしば法外な政治力を持つことがある。ただし、それは「未来を持たない」という大きな代償と引き替えにしか手に入らない。反知性主義者の最大の特徴は「少し時間と手間をかければ根拠がないことが露見する話」を自信たっぷりに語ることにあるからである。

これほど自信ありげに断言するからには彼はきっと「真実」を語っているに違いないと人々は推論する。この推論そのものは経験的には正しい。けれども、少し時間が経つうちに、彼の話につじつまの合わないところが出て来て、疑問に思って話の裏を取ろうとする人も出てくる。すると、彼は「そんな話をしているんじゃない」と一喝して、また違う話を自信たっぷりに断言する。すると、これほど自信ありげに断言するからには、彼はきっとこの話題については真実を語っているに違いないと人々は推論し、問題になっている過去の断言についての吟味を停止する・・・ということが何度か繰り返される。それが何度か繰り返されているうちに、人々はどうも彼はその場しのぎで嘘を言うことで政治生命を延命させていただけではないのかということにようやく思い至る。でも、信じられないのだ。「どうしてそんなことをするのか」意味がわからないからだ。それが暴露されたときに(時間が経てば必ず暴露される)失うものがあまりに多いからだ。それがわかっていて、なぜ彼はあれほど嘘をつき続けたのか。マッカーシーも、上院議員として選挙民区でこまめに「どぶ板」活動をしているくらいのことで満足していれば、酒浸りで48歳で窮死することもなっただろう。

 

 ジョセフ・マッカーシーは政敵への遠慮ない人格攻撃と悪質な経歴詐称によって順調に政治的キャリアを積み重ね、40代で上院議員に選出された。

「1950年の初め頃、マッカーシーはウィスコンシン州以外の世間の人にとってはとるにたらぬ人間であった。ウィスコンシン州ではかれは下品で大げさな身振りの、公共の利益にいいかげんな態度で臨む安っぽい政治家として知られていた。アメリカ人百人のうち一人がその存在を知っていたかどうかも怪しい」という当時のジャーナリストの筆致は決して意地が悪すぎるというわけではない。(R・H・ロービア、『マッカーシズム』、宮地健次郎訳、岩波文庫、1984年、13頁)

 ある日転機が訪れる。1950年ウェストヴァージニア州のウィーリングの共和党婦人クラブという小さな集会でマッカーシーはその歴史的な演説をした。演説中で彼は、国務省は共産主義者の巣窟であり、自分も国務長官もその名前を記載したリストを持っているという爆弾発言を行った。

「後日、マッカーシーは共産主義者が205人と言ったか、81人、57人、それとも『多数の』と言ったかということで若干の論争があったが(かれが何か言うと必ず論争があった)、『国務長官にも知られている』共産主義者が『今も勤務し、政策を立てている』、これは事実だとかれが主張したのにくらべれば、数はどうでもよかった。」(同書、13頁)

 ただちに上院に調査委員会が組織されたが、マッカーシーはたいしたことを知っているわけではないということしかわからなかった。問題は、委員会がマッカーシーに「政府部内に共産主義者がいること」を証明せよと要望する代わりに、政府当局者は「政府部内に共産主義者がいないことを証明すべきだ」というマッカーシーの言い分にうっかり同意してしまったことだ。悪魔の証明である。ある政府部局に共産主義者が「ひとりでもいる」ことは簡単に証明できるが、「ひとりもいない」ことはほとんど証明不可能である。マッカーシーズムの期間、政府の各部局の長たちはマッカーシーの弾劾から組織を防衛するために「自分は腐敗しておらず、共産主義に反対で、反逆者を雇用してもいない」ことを証明することを他のすべての業務に優先せざるを得なかった。この無意味な作業のためにアメリカが五年間でどれほどの国益を失ったのかを計測したものはいないが、おそらく天文学的な数値に上るだろう。彼が在任中に摘発できた「反逆者」は何人かの元共産党員だけに過ぎなかったが、彼が破壊したものは桁外れだった。

 マッカーシーは実際には共産主義者が政府部内に侵入しているのかどうか知らなかったし、興味もなかった。彼に必要だったのは何よりも「注目を浴びること」だった。

 

 

2020年

10月

06日

親子de巻き巻き

大和八木 弁護士

みなさん、こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

日中の暑さも和らぎ、過ごしやすい季節になりましたね(・∀・)

わんこのお散歩も気持ちのいい季節です。

 

週7日朝練に放課後練にと部活に明け暮れる我が家のアオハル中学生。

ついに肩を痛めました。

 

ということで、私がいつも通っている鍼灸院に連れて行きました。

ちょっとした不調があるといつもお世話になっていて、肩こり・腰痛・腱鞘炎・外反母趾と20年近くお世話になっています。 ← レディーの年齢を計算した人、だれ!?

 

院長もスポーツをされる方なので、夕方はいつも学生さんでにぎわっている鍼灸院です。

いわずもがな午前中はおじいちゃんおばあちゃんで満席。

院長は谷原章介(アタック25の現司会者)を浅黒くして、浅黒くして、

ほにゃっとしてこにゃっとした感じの人です。 ← 結局似てるのか似てないのかようわからんな

 

齢13歳にして電気鍼とスポーツマッサージを受けたアオハル中学生。

ついでに私も定期メンテナンスの電気鍼をして頂き。

 

施術後、院長から一言頂きました。

 

「巻き肩です」

弁護士 大和八木
ぼくかしこいから頭も重いし肩こるわ~

説明しよう。

巻き肩とは、肩が内側に巻き込んだ状態になる症状をいい、

パソコンやスマホをよく使うビジネスパーソンに多い症状である。

両手を万歳して、手の平をくっつけたとき、

腕が耳より前にあったら、「ザ・巻き肩」なのであーる。

 

あれ・・・。

これ、去年のブログでおんなじこと書いたやん、私。

← うん。コピペって言うねん、それ。

 

親子de 巻き肩(゜Д゜)

 

子どもには姿勢が悪い姿勢が悪いとずっと言い続けていましたが(自分のことは棚上げ)、

 

小学生のときはタブレット、ゲーム

中学生になってからはタブレット、スマホに代わり、

熟成された巻き肩の状態で、つまり肩が開いていない無理な姿勢で

スポーツで肩を酷使したので、痛みが出たようです。

 

ああ、なんか・・・なんだかなぁ、の理由でした(-_-;)

2020年

10月

05日

内田樹さんの「反知性主義者たちの肖像 その6」 ☆ あさもりのりひこ No.925

反知性主義者たちにおいては時間が流れない。それは言い換えると、「いま、ここ、私」しかないということである。反知性主義者たちが例外なく過剰に論争的であるのは、「いま、ここ、目の前にいる相手」を知識や情報や推論の鮮やかさによって「威圧すること」に彼らが熱中しているからである。彼らはそれにしか興味がない。

 だから、彼らは少し時間をかけて調べれば簡単にばれる嘘をつき、根拠に乏しいデータや一義的な解釈になじまない事例を自説のために駆使することを厭わない。

 

 

2020年9月3日の内田樹さんの論考「反知性主義者たちの肖像 その6」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 それゆえ、時間の中でその真理性がしだいに熟してゆくような言明を私は「知性的」と呼びたいと思っている。私が時間の関与にこだわるのは、「ランダムな事象の背後に存在する数理的秩序」を幻視する知性の渇望が必ずしも知性的なものではないということを言いたかったからである。陰謀史観がその適例であるが、それは同時代に多くの賛同者を得たという意味についてだけ言えば「社会的・公共的」な仮説と言えなくもない。けれども、そこには構造的に欠落しているものがあった。そこには時間が流れていなかったのである。

ドリュモンは古代ローマから現代まで、ヨーロッパの全歴史は「セム族の世界支配の陰謀との戦い」の歴史であったと書いた。それゆえ、これからのちも同じ戦いが意匠を変えて継続することになるだろう、と。彼の物語において、死者たちも未来世界の人々も、その相貌はほとんど変わることなく同一である。セム族の人間は永遠不変のセム的性格を負い続け、アーリア人種も永遠のアーリア人性を負い続ける。たしかに、それによって世界史の見通しは驚異的にシンプルなものになる。あらゆる歴史的出来事は同一の戦いの反復と変奏だったのである。ドリュモンの物語の中で、死者たちは誰もがぎくしゃくした「操り人形」のように無個性的で、無表情である。彼らはただ単一の分かり易いストーリーを再演するためだけにそこに繰り返し召喚される。私はドリュモンの書いた膨大な反ユダヤ主義文献を読みながら何度も窒息感を覚えた。彼において、過去はほとんど現在であった。古代ローマ人も中世の騎士たちも、19世紀末のフランスの紳士たちと同じような論理と感受性によって行動している。その絶望的な「広がりのなさ」に私は辟易したのである。その経験が私に教えてくれるのは、反知性主義を決定づけるのは、その「広がりのなさ」「風通しの悪さ」「無時間性」だということである。

 

 反知性主義者たちにおいては時間が流れない。それは言い換えると、「いま、ここ、私」しかないということである。反知性主義者たちが例外なく過剰に論争的であるのは、「いま、ここ、目の前にいる相手」を知識や情報や推論の鮮やかさによって「威圧すること」に彼らが熱中しているからである。彼らはそれにしか興味がない。

 だから、彼らは少し時間をかけて調べれば簡単にばれる嘘をつき、根拠に乏しいデータや一義的な解釈になじまない事例を自説のために駆使することを厭わない。これは自分の仕事を他者との「協働」の一部であると考える人は決してすることのないふるまいである。

 私はこれを「エンドユーザー・シップ」というふうに呼んでいる。自分の知的努力を享受するのは自分ひとりである。自分の努力がもたらした成果は自分が使い切る。誰にも分与しない、贈与もしない。そう考える人のことを私は「エンドユーザー」と呼ぶ。

 これは大学で卒論指導をしているときに学生たちに毎年伝えたことである。私はこんなふうにオリエンテーションのときに話した。

 

 諸君にはこれから卒業論文というものを書いてもらう。これは君たちがこれまで書いてきた「レポート」とは性質が違うものである。「レポート」の場合、君たちは自分がどれほど勉強したか、どれほど出席して講義をノートしたかを、教師ひとりに専一的にアピールすれば済む。「レポート」はふつう教師ひとりしか読まない。だから、たとえそこに嘘を書いても、読んでもいない本を読んだことにしても、ネットからコピーした文章を切り貼りしても、教師ひとりがそれを見落とせば、諸君は高い評点をもらえる可能性がある。そういう「レポート」は評点をもらったらその使命を終え、誰にも読まれることなく、そのまま退蔵され、やがて捨てられる。それがどれほど不出来でも、どれほど誤謬や推論上のミスがあっても、それで困るものはどこにもいない。

 卒論はそれとは違う。卒論は君たちのほとんどにとって生涯にただ一度だけ書く「学術論文」である。それは潜在的には「万人」が読者であるということを意味している。教師ひとりが読むわけではない。だから、仮にデータの数値が間違っていたり、引用文献の書名が間違っていたり、事実誤認があったり、論理的に筋道が通らないことが書かれていた場合、仮に教師が読み落としても、他の誰かから指摘される可能性がある。実際に、うちのゼミ生の卒論をネットで公開したとき、自著からの「盗用」に気づいて指摘してきた人がいた。その学生はまさか盗用した本人が自分の論文を見ることになるとは思っていなかったのだろう。

 だから、論文の読者が「万人」であるということは書き手にそれなりの緊張感を求める。けれども、それは必ずしもストレスフルな緊張感には限られない。諸君には「君たちと同じテーマで卒論を書くことになった、何年か先の内田ゼミの後輩」を想定読者に論文を書いて欲しい。それならどう書いていいかわかるはずだ。

「重箱の隅を突くような」査定的なまなざしを意識して文章を書くことがいつもよいこととは限らない。たいていの場合、査読者に「自分の論文がどれほどの評点を得るのか」怯えながら書くよりも、自分の後輩を想定読者にして、彼女たちが「自分の論文からどれほどの利益と愉悦を得るか」を想像しながら書く方がずっと生産的だ。

 そう考えれば、どう書けばよいかはわかるだろう。君たち自身がこのテーマで卒論を書こうと決めたとき、「こういう先行研究があったらいいな」ということを漠然と思い描いたはずだ。だったら、それをそのまま後輩のために書くようにすればいい。論理的な記述を心がけるのも、引用に正確を期すのも、データや史料の恣意的解釈を自制するのも、それは君たちの書いた「先行研究」を後輩たちがその上に立つことのできる「肩」にするためだ。君たちが読みやすくて、論理的で、データが豊富で、信頼性の高い研究論文を書き残せば、それは「パブリック・ドメイン」として多くの後続研究者に繰り返し利用されることになる。学術研究では「被言及回数・被引用回数」がその論文のもつ影響力の尺度として用いられるけれど、それは言い換えれば、その研究の「社会性・公共性」が高いということだ。

 君たちがこれから書く論文の価値を判定するのはゼミの指導教師である私ではない。これから君たちの論文を読むことになる「まだ存在してない読者たち」である。その人たちのために書かなければならない。「レポート」の場合、どれほどひどいものを書いても、どれほど引用のしかたがずさんでも、データの転記ミスがあっても、それを読んで実害をこうむる読者は(絶望的な気分になる教師の他には)誰もいない。でも、「論文」の場合はそうではない。もし、君たちが引用出典の頁数を間違えたり、書名を誤って表記していたら、後輩たちは典拠を探しあぐねて図書館で何時間もうろうろしなければならないかも知れない。論理的に記述されていなければ、いったい何を言いたいのか知るために繰り返し同じ頁をめくらなければならないかも知れない。論文の質がよいか悪いか、それから影響を受けるのは、まだ見ぬ読者たちである。君たちが質のよい論文を書けば、それによって受益するのは、まだ見ぬ読者たちである。君たちはその人たちに向けて「よいパスを出す」ことを期待されている。論文において君たちはエンドユーザーではなく、パッサーなのである。

 

 おおよそそのような話を私は卒論ゼミの最初の時間に学生たちに話してきた。易しい言葉づかいではあるけれど、私なりに「知性的」であるとはどういうことか、「科学的」であるとはどういうことかを学生に説き聞かせてきたつもりである。それは最終的には「まだ見ぬ読者たち」との協働の営みをどれほど生き生きと想像できるかにかかっている。

 

 反知性的なふるまいは「狭さ」を特徴する。それは上に書いたとおりである。彼らは「いま、ここで、目の前にいる人たちを威圧すること(黙らせること、従わせること)」を当面の目標にしている。それ以外には目的がない。その場での相対的優位の確保、それが彼らの求めるもののすべてである。ほんとうにそうなのだ。彼らには「当面」しかない。彼らは時間が不可逆的なしかたで流れ、「いま、ここ」で真実とされていることが虚偽に転じたり、彼らが断定した言明の誤りが暴露されることを望まない。それくらいなら、時間が止まった方がましだと思うのである。この「反時間」という構えのうちに反知性主義の本質は凝集する。

2020年

10月

02日

内田樹さんの「反知性主義者たちの肖像 その5」 ☆ あさもりのりひこ No.924

社会性、公共性とはいまここにおける賛同者の多寡によって計量されるものではない。そうではなくて、過去と未来の双方向に向けて、時間的に開放されているかどうか、それが社会性・公共性を基礎づける本質的な条件だろうと私は思う。

 

 

2020年9月3日の内田樹さんの論考「反知性主義者たちの肖像 その5」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 自然科学というのはまさにそのようなものである。科学性とは何かということについて深く考究したカール・ポパーはこんな例を挙げている。無人島に漂着したロビンソン・クルーソーが孤島に研究室を建て、そこで冷徹な観察と分析に基づいて膨大な数の論文の執筆をなしとげたと仮定する。その研究成果は現在の自然科学の知見とぴたりと一致するものであった。さて、クルーソーは「科学者」だと言えるだろうか。ポパーは「言えない」と答える。ロビンソンの科学には科学的方法が欠如しているからである。

「なぜなら、彼の成果を吟味する者は彼以外にはいないし、彼個人の心性史の不可避的な帰結であるもろもろの偏見を訂正しうる者は彼以外にはいない」からである。

「人が判明でかつ筋道の通ったコミュニケーションの修練を積むことができるのは、ただ自分の仕事をそれをしたことのない人間(somebody who has not done it)に向かって説明する企てにおいてだけであり、このコミュニケーションの修練もまた科学的方法の構成要素なのである。」(Karl Popper, The Open Society and Its Enemies, Vol.II, Princeton University Press,1971, p.219,強調はポパー)

ポパーは科学的客観性とは何かについて、ここでたいへんリアカットな定義を下している。

「われわれが『科学的客観性』と呼んでいるものは、科学者の個人的な不党派性の産物ではない。そうではなくて科学的方法の社会的あるいは公共的性格(social or public character of scientific method)の産物なのである。そして、科学者の個人的な不党派性は(仮にそのようなものが存在するとしてだが)この社会的あるいは制度的に構築された科学的客観性の成果なのであって、その起源ではない。」(Ibid., p.220)

「科学的客観性はひとりひとりの科学者の『客観的』たらんとする個人的努力に由来するものではない(由来するはずもない)。そうではなくて、多くの科学者たちの友好的-敵対的な協働に(friendly-hostile co-operation of many scientist)由来するのである。」(Ibid., p.217,強調はポパー)

 私はポパーが「科学」について述べたことは「知性」についてもそのまま準用できるだろうと思う。科学の場合と同じく、知性が知性的でありうるのは、それが「社会的あるいは公共的性格」を持つときだけである。個人がいかほど「知性的であろう」と念じても、人は知性的であることはできない。知性は「社会的あるいは公共的な」かたちでしか構築されないし、機能もしない。

 ただし、「社会的あるいは公共的」という言葉から、「学会」のようなものを漠然と想像すべきではないだろう。複数の専門家が一堂に会して、相互に忌憚なく業績を評価する仕組みができているというだけでは「社会的あるいは公共的」という条件は満たされない。現に、20世紀以降でも、さまざまな国家において当代一流の学者たちがぞろぞろと時の権力者の喜びそうな学説の保証人になった例を私たちはいくらでも知っているからである。ある一時点において多くの支持者を得た支配的な学説であるということだけでは「社会的あるいは公共的」という条件は満たされない。「社会的あるいは公共的」であるためには、時間を味方にしなければならない。時間の経過とともに、学説のあちこちに散乱していた「満たされるべき空虚」がひとつひとつ充填されてゆくような力動的なしかたで構成されたものを「社会的あるいは公共的」な言明と呼ぶべきだと私は思う。そのようなプロセスが出来するためには、そのプロセスには「原理的にその場に居合わせることができないもの」たちも含まれていなければならない。死者たちもいまだ生まれざる者たちにもまたその場に参加する正式の招待状が送られていなければならない。

 社会性、公共性とはいまここにおける賛同者の多寡によって計量されるものではない。そうではなくて、過去と未来の双方向に向けて、時間的に開放されているかどうか、それが社会性・公共性を基礎づける本質的な条件だろうと私は思う。「協働」という言葉に私が託したいのは、そのような「存在しない人々」をもフルメンバーとして含む、時空を超えて拡がる共同体の営みのイメージである。

 

 ポパーはかつて、科学者は先行する世代の科学者たちの「肩の上に立って」仕事をするという卓越した比喩を用いたことがある。死者たちからの贈与の恩恵を私たちはいま享受している。だとすれば、私たちの仕事の成果に何らかの価値があったとしたら、その果実を受け取るのは未来の科学者たち、まだ生まれていない、私たちがまだその顔も知らない科学者たちであることになる。先行世代から伝えられた「パス」を、次世代に繋ぐこと。ポパーの「社会的あるいは公共的」という言葉から私が思い浮かべるのは、そのような時間の流れの中で生起する繋がりである。

2020年

10月

01日

9月の放射線量、体組成、ランニング ☆ あさもりのりひこ No.923

2020年9月の放射線量、体組成、ランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

2020年1月から9月までの各月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 

1月~8月 0.041~0.044μ㏜/h

9月 0.041μ㏜/h

室内0メートル

 1月~8月 0.043~0.044μ㏜/h

9月 0.043μ㏜/h

室外1メートル

 1月~8月 0.056~0.059μ㏜/h

    9月 0.056μ㏜/h

室外0メートル

 1月~8月 0.070~0.073μ㏜/h

9月 0.069μ㏜/h

今年初めて、地表が0.07μ㏜/hを切った。

 

つぎに、朝守の身体について。

1月から9月までの各月の最終測定日の数値はつぎのとおり。

体重

1月~8月 70.2~71.5㎏

9月 72.05㎏

BMI

 1月~8月 22.2~22.

    9月 22.

体脂肪率

 1月~8月 15.1~16.7%

    9月 16.9%

筋肉量

 1月~8月 55.85~57.55㎏

    9月 56.75㎏

推定骨量 ずっと3.1㎏

内臓脂肪レベル

 1月~8月 11~11.

9月 12

基礎代謝量

1月~8月 1607~1660/

    9月 1638/

体内年齢 ずっと45才

体水分率

1月~8月 57.8~60.2%

    9月 57.9%

 体重、体脂肪率、内臓脂肪レベルが増えている。

 よくない。

 

最後に、9か月間のランニングのデータ。

走行時間

 1月 24時間12分28秒

2月 21時間35分27秒

3月 20時間36分36秒

4月 21時間11分21秒

5月 17時間01分29秒

6月 10時間58分26秒

7月 12時間34分49秒

8月 18時間11分47秒

9月 18時間34分52秒

走行距離

1月 201.5㎞

2月 180.7㎞

3月 180.9㎞

4月 189.2㎞

 5月 149.4㎞

 6月  94.2㎞

7月 110.2㎞

8月 152.5㎞

9月 164.4㎞

涼しくなって、気持ちよく走れる季節になった。

 

10月は月間200㎞を目指そう!

2020年

9月

30日

内田樹さんの「反知性主義者たちの肖像 その4」 ☆ あさもりのりひこ No.922

ひとが「ふるえる」のは、自分が長い時間の流れの中において、「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなしている」という実感を得たときである。

 

 

2020年9月3日の内田樹さんの論考「反知性主義者たちの肖像 その4」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 最終的に19世紀末にエドゥアール・ドリュモンというジャーナリストが登場して、「フランス革命からの100年間で最も大きな利益を享受したのはユダヤ人である。それゆえ、フランス革命を計画実行したのはユダヤ人であると推論して過たない」と書いた。この推論は論理的に間違っている(「風が吹いたので桶屋が儲かったのだから、気象を操作したのは桶屋である」という推論と同型である)。だが、フランス人たちはそんなことは気にしなかった。ドリュモンのその書物『ユダヤ的フランス(la France juive)』は19世紀フランス最大のベストセラーになり、多くの読者がその物語を受け容れ、著者宛てに熱狂的なファンレターを書き送った。その多くは「一読して胸のつかえが消えました」、「頭のなかのもやもやが一挙に晴れました」、「これまでわからなかったすべてのことが腑に落ちました」という感謝の言葉を書き連ねたものだった。読者たちはどうやらこの物語に身体の深いところで納得してしまったようである。

 やがて、ドリュモンのこの物語は、同時期にロシアの秘密警察が捏造した偽書『シオン賢者の議定書』とともに全世界に広がり、半世紀後に「ホロコースト」として物質化することになった。フランス革命とユダヤ人を結びつけた陰謀史観の物語はおそらく人類史上最悪の「反知性主義」の事例としてよいだろう。

 600万人のユダヤ人の死を帰結したこの物語の最初のきっかけがはげしい「知的渇望」だったということを私たちは忘れるべきではない。そして、この書物を迎えた読者たちの支配的な反応が「長年の疑問が一挙に氷解しました。ありがとう」という大きな解放感と感謝の気持ちだったことも。

 歴史的変動(ドリュモンの場合は、産業革命以後のフランスの急速な近代化・都市化・産業化趨勢)に遭遇した人々が「どうして『こんなこと』が起きたのか」を知りたがるのは人間知性の自然である。知性の健全のあかしであると言ってもよい。しかし、その知的渇望はどこかで反知性に転じた。どこで転じたのか。

 いささか無礼な言い方になるが、それは一言で言えば、彼らが自分程度の知力でも理解できる説明を切望したからである。

 実際に、フランス革命は単一の「張本人」のしわざに帰すことのできるような単純なものではなかった。統治システムの経年劣化、資本主義の発達に伴う生産や流通構造の変化、科学とテクノロジーの進化、近代市民社会理論の登場、英雄的革命家の出現など無数のファクターが革命の勃発には関与しており、そのどれか一つが欠けていても、革命は別の軌跡を辿り、別の政治的事象となったはずである。だから、「どうして革命が起きたのか?」という問いに対して、一言で答えることは不可能なのである。強いて言えば、「いろいろな原因の複合的効果によって」というのがもっとも正直な回答なのであろうが、そのようなあいまいな説明を嫌って、人々は「ずばり一言で答えること」を求めた。

 これもまた知的渇望の一つのかたちなのである。同一の現象について複数の説明がある場合、もっともシンプルな説明を選好する。これもまた知性の働きである。たしかに、一見複雑怪奇に見える現象の背後には、美しいほど単純な数理的法則が存在するという直感こそは、科学的知性を起動させる当のものだからである。

 数学にはさまざまな「予想」が存在する。フェルマー予想をフェルマーは「証明した」と書き残したが、久しく誰も証明も反証もできなかった。予想が証明されたのは360年後のことである。リーマン予想は予想が示されてから150年経った現在でも証明されていないが、多くの数学者はいずれ証明されると信じている。数学における「予想」の存在が示すのは、平たく言えば、人間には「まだわからないはずのことが先駆的にわかる」能力が備わっているということである。  

 かつてソクラテスは「問題」について似たようなことを言った。「問題」というのはよく考えると不思議な性質のものである。私たちはその解法がわかっているものを「問題」としては意識しない。またその逆に、その解法がまったくわからないものも「問題」としては意識しない。私たちが「これは問題だ」と言うのは、まだ解けていないが、時間と手間をかければいずれ解けることが直感されているものだけである。私たちの知性は、自分がまだ解いていない問題について「まったく解けない」のか「手間暇さえかければ解ける」のかを先駆的に判断している。

 私たちの知性はどこかで時間を少しだけ「フライング」することができる。知性が発動するというのはそういうときである。まだわからないはずのことが先駆的・直感的にわかる。私はそれが知性の発動の本質的様態だろうと思う。

 あらゆる自然科学は、一見ランダムに生起しているかに見える自然現象の背後に数理的な法則性が走っていることを直感した科学者たちによって切り拓かれてきた。その科学的知性のプロトタイプは、自然を前にしてじっと観察している子どものうちに見ることができる。子どもたちを自然の中に放置すると、しばらくしてそれぞれの興味に従って「観察するもの」を選び出す。あるものは昆虫を眺め、あるものは花を眺め、あるものは空の雲を眺め、あるものは海岸に寄せる波を眺める。そうしているうちに、子どもたちがふっと観察対象のなかにのめり込む瞬間が訪れる。それは彼らの様子を横で見ているとわかる。いったいどういう場合に「のめり込む」のか。それは「パターンを発見したとき」である。虫の動きのうちにある法則性があることを直感したとき、花弁のかたちにある図形が反復することを直感したとき、岸辺に寄せる波の大きさに一定のパターンがあることを直感したとき、子どもたちは彼らなりのささやかな「予想」を立てる。もし自分の仮説が正しければ、次は「こういうこと」が起きるはずだと考える。そして自分の「予想」の通りの「イベント」が起きるかどうか息を詰めて見守る。そのとき、子どもたちは自然の中に一歩踏み込み、自然と融合している。それは、はたで見ていても感動的な光景である。そのとき、私たちは彼らのうちで科学的知性が起動した瞬間に立ち合っているからである。

 このような「対象へののめり込み」は「ずばり一言で言えば」というシンプルな説明を求める知的渇望とは似て非なるものである。どちらもランダムな事象の背後に存在する数理的秩序を希求している点では変わらない。でも、一点だけ決定的に違うところがある。それは先駆的直感には時間が関与していることである。

 自分がある法則を先駆的に把持していることはわかるけれどそれをまだ言葉にできないときの身もだえするような前のめりの構えにおいて、時間は重大なプレイヤーである。「まだわからないけれど、そのうちわかる」という予見が維持できるのは、時間の経過とともにその予見の輪郭や手触りがしだいに確かなものに変じてゆくからである。「熟す」という言い方をしてもいい。青い果実が時間とともにしだいに果肉を増し、赤く変色し、ずしりと持ち重りのする熟果になるプロセスにそれは似ている。Time is on my side というローリングストーンズの名曲があるが、「時間は私の味方である」というのは、時間の経過とともに自分の予見や願望がしだいに現実性を増してゆくことが今この瞬間も感知されている消息を語っている。

 フェルマー予測は証明までに360年がかかった。一人の人間の寿命どころか、一つの王朝の興亡に匹敵する時間である。その予測が維持されたのは、時間の経過とともに予測の証明に「近づいている」という実感を世代を超えた数学者たちが共有したからである。

「私が見ているものの背後には美しい秩序、驚くほど単純な法則性が存在するのではないか」という直感はある種の「ふるえ」のような感動を人間にもたらす。その「ふるえ」はその秩序や法則を発見した「個人」が名声を得たり、学的高位に列されたり、世俗的利益を得たりすることを期待しての「ふるえ」とは違う。「誰にでもすぐにその価値や意味が理解されそうな発見」はたぶんそれほどの感動をもたらさない(経験したことがないから想像だが)。ノーベル賞級の発見をしたのだが、ジャーナルに早く投稿しないと、「他の誰か」が自分と同じ発見をして、プライオリティも特許も奪われてしまうかもしれないと恐れているときの「ふるえ」は私が話しているものとは違う。「他の誰か」が自分と同じ発見をしてしまうかもしれないから「急ぐ」という構えそのもののうちに何か本質的に反知性的なものがあるように私には思われる。というのは、自分が直感的に幻視した仮説が「他の誰かによって、すぐに」追尋可能なものであるということが本人にもわかっているなら、実はそれはそれほど直感的ではなかったということだからである。真の直感はもっと大きな時間の流れの中に人を置く。

 自分は今これまで誰も気づかなかった「巨大な知の氷山」の一片に触れた。それはあまりに巨大であるために自分ひとりでは、一生をかけても、その全貌を明らかにすることはできない。だから、これから先、自分に続く多くの何世代もの人々との長い協働作業を通じてしか、自分が何を発見したのかさえ明らかにならないだろう。そのような宏大な見通しのうちで、まだ顔も知らない(まだ生まれてもいない)未来の協働研究者たちとのたしかな連帯を感じるときに、ひとは「ふるえ」を覚えるのだと私は思う。

 

 ひとが「ふるえる」のは、自分が長い時間の流れの中において、「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなしている」という実感を得たときである。「いるべき」ときも、「いるべき」ところも、「なすべき」わざも、単独では存立しない。それは、死者もまだ生まれぬ人たちをも含む無数の人々たちとの時空を超えた協働という概念抜きには成立しないのである。もう存在しないもの、まだ存在しないものたちとの協働関係というイメージをありありと感知できた人間のうちにおいてのみ、「私以外の誰によっても代替し得ない使命」という概念は受肉する。

2020年

9月

29日

60㎞の渋滞地獄@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

先日の連休はいかがお過ごしでしたか。

 

私の祖母は97才ですが、

今年のお彼岸は、どうしても田舎に帰りたい!

次はいつ行けるか分からないし!と、足の体操やリハビリを頑張っていたので、

祖母を連れて家族で徳島へ墓参りに行ってきました。

 

しかし、

8月に帰った親戚が綺麗に掃除していったはずなのに、

たった一ヶ月で、お墓の周りの雑草はすっかり伸び放題。

 

仕方がないので、

鋏に箒、ちりとりを持っていざ草刈りだーー(>_<)/

 

・・・と、気合いを入れて30分後。

 

掃除は終えたものの、そろそろ腰は限界だし、

鋏を使っていた両腕も筋肉痛になりそうな予感💦

 

祖母と一緒にお墓参りを済ませ、今回のミッションは無事終了!

 

 

滞在中、折角なので車で30分走らせ、日帰り温泉へ行ってみると、

低アルカリ性のぬるっとしたお湯で、

お湯の効能は、筋肉痛や関節痛、神経痛、冷え性に効く、美肌の湯。

よいではないか~よいではないか~(‘-‘*)

 

受付ギリギリの時間だったせいか人も少なく、ほぼ貸し切り状態で

ゆっくり温泉を堪能できました💕

 

 

そして帰郷の日。

 

帰る間際、最後にお墓へ立ち寄ると、

付近に三脚とカメラを携えたカメラマンを数人発見。

 

どうやら、近くを走る電車の撮影のためスタンバイしている様子で、

タイミング良く電車の音が山の向こうから聞こえてきたので

私も飛び入りで撮影することに。

 

(ひよっこカメラマンとしては上出来?)

 

なんとか電車もちゃんと映っている写真も取れ、大阪へと帰路を急いだのですが・・・。

今回の旅行の一番の難所は、この帰路でした・・・。

 

 

そりゃあね、GOTOもあるし、しばらく外出自粛していた人達も

ちょっとお出かけしたくなるし。

 

多少の渋滞は覚悟していましたが・・・。

 

渋滞60キロって・・・・初めての体験でした。

 

ほぼほぼクリープでしか進まない状態で、

祖母から「今ここはどの辺り?」と何度尋ねられても、

「まだ淡路」としか答えられない状況がおよそ4時間半・・・。

 

翌日には、腰痛がすっかりぶり返しましたとさ・・・(>_<)

 

2020年

9月

28日

内田樹さんの「反知性主義者たちの肖像 その3」 ☆ あさもりのりひこ No.921

陰謀史観というのは、どこかにすべてをコントロールしている「張本人(author)」がいるという仮説である。

 

 

2020年9月3日の内田樹さんの論考「反知性主義者たちの肖像 その3」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 反ユダヤ主義に見られる「陰謀史観」は反知性主義の典型的なかたちである。私はそれを「反知性」と判定する。なぜそう判定できるのかを説明するために、まずこのような思考枠組みが出現してくる歴史的経緯を見ておきたい。

 世の中にはさまざまな理解しがたい事象が存在する。例えば、グローバル経済では関与する変数が多くなり過ぎて、もはやどのような専門家もこれを単純な方程式に還元することができなくなってしまっている。どこか遠い国で起きた通貨の暴落や株価の乱高下や、あるいは天災やパンデミックのせいで、一国の経済活動が致命的な打撃を受けるリスクがある。一国単位でどれほど適切な経済政策を採択していても、その打撃を逃れることはできない。私たちが知っている限りでも、ドルショック、オイルショック、リーマンショックといった「ショック」によってわが国の経済は繰り返し激震に襲われて、長期にわたる低迷を余儀なくされた。「ショック」という言葉が示すように、それはいつ来て、どれほどの被害を、どの領域にもたらすか予測できないかたちで到来した。私たちがそれらの経験から学んだのは、経済についての専門知は、「想定内の出来事」だけしか起きないときにはそれなりに有用だが、「想定外の出来事」についてはほとんど役に立たないということであった。

 この無力感・無能感から陰謀史観は生まれる。陰謀史観というのは、どこかにすべてをコントロールしている「張本人(author)」がいるという仮説である。一見すると、まったく支離滅裂に、いかなる法則性にも随わずランダムに、まさに「想定外」のしかたで生起しているように見えるもろもろの事象の背後には、他者の苦しみから専一的に受益している陰謀集団が存在する。そういう物語への固着のことを陰謀史観と呼ぶ。

 陰謀史観は人類史と同じだけ古いが、近代の陰謀史観は18世紀末のフランス革命を以て嚆矢とする。革命が勃発したとき、それまで長期にわたって権力と財貨と文化資本を独占してきた特権階級の人々はほとんど一夜にしてすべてを失った。ロンドンに亡命したかつての特権階級の人々は日々サロンに集まっては自分たちの身にいったい何が起きたのかを論じ合った。けれども、自分たちがそこから受益していた政体が、自分たちがぼんやりと手をつかねているうちに回復不能にまで劣化し、ついに自壊に至ったという解釈は採らなかった。彼らはもっとシンプルに考えた。これだけ大規模な政治的変動という単一の「出力」があった以上、それだけの事業を成し遂げることのできる単一の「入力」があったはずだ。自分たちは多くのものを失った。だとすれば、自分たちが失ったものをわがものとして横領した人々がいるはずである。その人々がこの政変を長期にわたってひそかに企んできたのだ。亡命者たちはそう推論した。

 だが、革命前のフランス社会には、そのような巨大な事業を果しうるほどの力を備えた政治集団は存在しなかった。少なくとも政府当局はそのようなリスクの切迫を感知していなかった。しかるに、ある日突然、磐石のものと見えていた統治システムが根底から覆されたのである。恐るべき統率力をもった単一の集団によって事件は計画的に起こされたに違いないのだが、事前にはそのような事業をなし得る政治的主体が存在することさえ知られていなかったのだとすると、そこから導かれる結論はひとつしかない。それは一国の政体をあっというまに覆すことができるような巨大な政治的主体が久しく姿を現さないままに活動していたという「秘密結社の物語」である。

 

 陰謀史観の本質はこの推論形式に現われている。それは「巨大な政治的主体が誰にも気づかれずに活動している」ということがまず事実として認定され、そのあとに「それは何ものか」という問いが立てられるということである。重要なのは「陰謀集団が存在する」ということであって、それが誰であるかということには副次的な重要性しか与えらない。事実、ロンドンに亡命した貴族たちは「犯人は誰か?」という問いに熱中した。フリーメーソン、ババリアの啓明結社、聖堂騎士団、プロテスタント、英国の海賊資本、ジャコバン派、ユダヤ人・・・さまざまな容疑者の名が上がった。そして、多くの陰謀史観論者は「犯人」の特定を二転三転させたが、それを恥じる様子は見られなかった。その様子は適当な容疑者を殺人事件の犯人に仕立て上げて一件落着を急ぐ冤罪常習者の警察官を思わせる。彼らにとっては「この事件の全過程をコントロールしている単一の犯人が存在する」という信憑を強化できるのであれば犯人は誰でもよかったのである。