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2018年

9月

20日

明日香ビオマルシェについて3 ☆ あさもりのりひこ No.582

明日香ビオマルシェの「ベジリパ」について書く。

 

「ベジリパ」とは、なんぞや?

はじめて買い物をしたときに「ベジリパってなに?」と「ベジリパ」の芳村さんに聞いた。

「ベジリパ」とは「VEGETABLE REPUBLIC」の略だそうな。

直訳すると「野菜共和国」

芳村さんは、「REPUBLIC」には「みんなが集まるところ」という意味もあるので、野菜を介して人々が集う場所という意味合いです、という説明をしてくれた。

なるほど。

 

「ベジリパ」といえば、写真の作物である。

写真に写っているのが何か、おわかりかな?

そう「落花生」である。

正確に言うと、「茎つきナマ落花生」である。

朝、畑から茎ごと落花生を引き抜いてきて、売ってくれる。

持って帰って、落花生の実を一つずつ取り外す。

取り外した落花生の実を水で洗って土を落とす。

落花生の実を殻ごと塩を加えた熱湯で茹でる。

茹であがったら、殻を剥いて食べる。

これが、うまい!

これから、この「茎つきナマ落花生」が出てくる季節である。

楽しみだ。

 

「ベジリパ」さんは、スペルト小麦を作っている。

スペルト小麦は、古代の小麦(原種)である。

よくパンに使われる。

スペルト小麦を少量、水に20~30分漬けておく。

そのあとで、スープに入れて煮込む。

モチモチとした食感が美味しい。

 

「ベジリパ」さんの白小豆もいい。

小豆は赤いものと思っていたが、白い小豆もある。

「ベジリパ」の芳村さんによると、和菓子屋さんが白あんを作るのに使うんだそうである。

白小豆でぜんざいを作ると、色は薄いが(赤くないからね)、味は最高のぜんざいができる。

 

というわけで、「ベジリパ」さんから、ちょっと変わった作物をいろいろ教えてもらった。

 

 

明日香ビオマルシェ、5周年おめでとう!!

2018年

9月

18日

災害に備えるために@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

今年は自然災害が多く大変ですが、今あるTwitterが話題になっているのを

ご存じですか。

 

警視庁警備部災害対策課が発信しているTwitter(@MPD_bousai)なのですが、

災害時に役立つ豆知識などが紹介されていて、色々勉強になります。

 

例えば、今回の北海道地震の際など、ニュースなどで時折紹介していた

災害用伝言ダイヤル」。

 

実際の利用方法って皆さんご存じですか。

 

スマートフォンやタブレットからだと、

まずアプリを事前にダウンロードしておく必要があります。

 

 

携帯会社によってアプリも異なりますので、

よくご確認ください。


 

私自身も以前にアプリのダウンロードはしたものの、実際に使用したことはありません(^^;)

 

ちなみに、この災害用伝言ダイヤルは、毎月1日と15日体験利用ができるそうです。

実際に、家族などで災害時を想定して体験利用をしておけば、いざという時に使い方が

分からず焦ることもありませんし、周りの人にも使い方を教えられますよね。

 

このほかにも、いくつか紹介されている役立ち知識を紹介すると、

小さい懐中電灯でも、簡易のランタンに早変わりする方法だったり、

 

 

耐熱ガラスのコップに、サラダ油、キッチンペーパーとアルミホイルを使った

簡易ランプの作り方など。

 

 

災害時には限られたもので対応しなければなりませんが、身の回りにあるものでも

工夫次第でなんとかなるものです。

いざという時の参考にしてくださいね。

 

2018年

9月

14日

品位ある社会 ☆ あさもりのりひこ No.581

書物と出会ったときに最初に自分に問うことは「この本は私を読者に想定して書かれているか?」ということである。

 

 

2018年9月13日の内田樹さんの論考「品位ある社会」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

日本ユダヤ学会の理事をしているのだが、実務のお手伝いをほとんどできていない。だから、たまに頼まれると罪滅ぼしに何でも引き受けることにしている。これは学会誌への書評依頼。でも、自分ではたぶん絶対に買わない本なので、やってよかった。

論じたのは次の本。

 

アヴィシャイ・マルガリート(森達也・鈴木将頼・金田耕一訳)

『品位ある社会 〈正義の理論〉から〈尊重の物語〉へ』(風行社、2017年、300頁)本体3500円+税

 

書物と出会ったときに最初に自分に問うことは「この本は私を読者に想定して書かれているか?」ということである。

判断基準の一つは「周知のように」という言葉のあとに、列挙されている人名や書名を私が知っているかどうかである。それらが私にとって未聞のものである場合、私はその本の読者として想定されていない。

その基準を本書に適用すると、私はどうやら想定読者に含まれていない。私は「正義論」というものがこれほどホットな学術的トピックだということを知らなかったからである。日本人読者の多くにとっても事情はそれほど変わらないだろうと思う。

だから、以下に書かれていることは「書評」ではない。私には本書を俯瞰してその良否について論じるだけの知識がない。私が読者のためにできるのは、私たちが「正義論」というトピックをこれまで組織的に見落としてきた理由を考えることである。書物の価値を論じるというよりは、このような本の価値をうまく論じられずにいる私たち(と勝手に共犯者の数をふやすのもどうかと思うが)の状況はどうして生成したのかを論じてみたいと思う。

 

ジョン・ロールズの正義論は「正義にかなう社会」とはどういう原理に基づいて成り立つかについて論じたものである。

この論件は1970年代以降欧米では重要な学術的主題であった。本書もロールズの余波のうちに書かれている。

訳者によると「執筆の端緒となったのは『正義論』である。しかし、マルガリ―トは、ロールズが示した方向とは逆の方向に探求を進めることになる」(285頁)。

ロールズの『正義論』が出てから半世紀を閲した。「正義にかなう社会」がいかなるものであるかのモデルは学術的にはより精密なものになった(本書もそのような達成の一つである)。だが、いま私たちの目の前には、依然としてリアルな不正義と不公正が存在しており、過去半世紀で世界が「より正義にかなう」ものになったという判断に与する人は少ない。世界は相変わらず粗野で非人情で非理性的なままである。「正義論」の本場アメリカでは「正義にかなう社会」の原理とモデルについての深遠な議論の半世紀の後にドナルド・トランプを大統領に選出した。理論の精密化と、それが論じられている当の社会における「正義の実現」の間に正の相関を見出すことはむずかしい。

だから、いま「正義」について論じている人びとにとって喫緊の問いは「正義論は正義の実現に有効なのか?」というものではないかと思う。

本書の執筆の動機にはその切実な問いがあったと私は思う。平たい言い方をすれば、「正義論」をいつまでもやっていて、ほんとうにそれで埒があくのか?ということになる。

それが「正義にかなう社会」に対して「品位ある社会」というアイディアを立てた理由だろうと思う。

 

「正義にかなう社会」と「品位ある社会」の関係を著者は「最終目的地」とそれに向かう途中で力尽きた場合の「次善の策」に比定している。たいへん分かりやすい比喩なので、そのまま再録すると、海岸で快適な休日を過ごすためにハワイに向けて飛び立った自家用飛行機のパイロットが、途中で目的地までの燃料がないことに気がついた。その時「できるだけハワイに近づこうと努力することはあまり良い考えではない」。というのは、飛行機はおそらく太平洋のどこかに墜落してしまうからである。それよりは「どこか別の―そこに到着するだけの十分な燃料がある―場所に飛ぶことである。」(269頁)例えばマイアミビーチとか。

手持ちのリソースを使って理想に一番近いことをする場合には、理想と別の場所めざして方向転換することも「あり」だというのが著者の考え方である。だから、著者は「品位ある社会」が「正義にかなう社会」に到達するための途中経由地であるという考え方をしない。

「品位ある社会を実現するための政治的戦略が、正義にかなう社会を達成することを意図した戦略と非常に異なる可能性はおおいにある」が、その場合でも、「品位ある社会は実現されるだけの価値がある理想である。(...)私は正義にかなう社会という楽観的な希望を手離さない。しかし私は、正義にかなう社会を実現する見込みよりも品位ある社会を樹立する見込みに関してより楽観的である。」(270頁)

その通りだと思う。

手持ちのリソースが有限である場合には、100パーセント理想的な目的をめざすよりは、そのリソースで実現できそうな「現在の状況よりもいくぶんか良い状況」をめざす方がより現実的である。

著者が本書で「品位ある社会」というアイディアを展開したのは、「周知の正しいこと」を言うためではなく、「誰も言わないが、割と正しいこと」の「割と正しい」所以を読者に理解してもらうためである。

 

「品位ある社会」(the decent society)とは「その制度が人びとに屈辱を与えない社会である」(13頁)と著者は定義する。キーワードは「屈辱」(humiliation)である。これは感受性の問題である。社会制度が個人とかかわるときに、人が屈辱を感じる場合とそうではない場合がある。やっていることそのものは見分け難く似ているのだが、差し出し方の「作法」が違うと、受け止め方はまったく別のものになる(ことがある)。それは経験的にたしかだ。ある制度が人にとって屈辱的であるかそうでないかを決定するのは「コンテンツ」ではなく、「マナー」だからだ。

例えば、社会福祉。社会福祉制度がうまく働かない理由の一つは、福祉を実施する側が受給資格を与えるために構造的に「屈辱的なテスト」を課す傾向があるからである。パターナリスティックな福祉社会は自尊心を失った依存的な人々を生み出すリスクをつねに抱えているが、「それは困窮者を永続的に二級市民にとどめ、事実上彼らに成人ではない人間という地位を与える社会である」(216頁)。受給者に屈辱を与えることをすでに制度設計のうちに含んでいる場合、そのような福祉社会は品位ある社会ではないということになる。

それでは困る。福祉の受給者に屈辱を与えないような制度を考え出さなければならない。

「問題は、援助を受ける人びとに屈辱を与えることなく、彼らの幸福にたいする真摯な気づかいによって援助を与えるという純粋な動機のみにもとづいた慈善社会を、私たちが想像できるかどうかにある」(230頁)。

 

この書き方の節度に私は好意を持つ。著者はここで「こうすればいい」という解答を示さない。他のトピックでも同じである。刑罰について、失業について、プライヴァシーについて論じる場合でも、「こうすれば万事解決」というようなアイディアを著者は提示しない。当たり前だが、読者に代わって「品位ある社会」の制度設計をしてあげるということは、読者に対するパターナリスティックな干渉であり、それは本書のロジックに沿って言うならば「読者に屈辱を与えること」だからである。著者が提案するのは、「考え方」だけである。「品位ある社会」について、私たちがどれほど克服すべき難点を列挙できるか、どれほどのことを想像できるかどうか、それが試されている。

 

たぶんこういうふうに要約しても著者は怒らないと思う。「品位ある社会」というのは「品位ある社会とはどういうものか、どのようにすれば実現できるのか」について熟慮する人びとをある程度以上の比率で含む社会だということである。定義の中に定義すべき概念がすでに含まれていることを咎める人もいるかも知れないけれど、しかたがない。「品位」というのは「事物」でも「出来事」でもないからだ。「屈辱を与えない」という「何かが起きない」事況のことである。品位は「この社会には品位がある」というかたちで実定的に実感されるものではなく、「この社会には品位がない」という欠性的な仕方で実感されるものである。私は著者のこの「大人の知恵」に賛成の一票を投じる。

2018年

9月

13日

走ることについて語るときにオラが語ること ☆ あさもりのりひこ No.580

8月31日(金)早朝、起伏のある周回コースを10.5キロ走る。

暗いうちから走り始めて、半分くらい走ったところで夜が明けてきた。

朝焼けを見ながら走るのは久しぶりだ。

最後の6周目に小高い古墳公園を登って、朝日を浴びる街並みを一望した。

1時間19分30秒。

今週は、日曜日、火曜日、水曜日、金曜日と4回走った。

距離は短いが、長距離走の準備はできたかな。

 

92日(日)早朝、キトラ古墳から稲渕14.7キロを1時間39分01秒で走る。

これまでのベストタイムである。

最後まで脚がよく動いた。

 

走るときに気をつけていること。

肩を開く。

腕振りの肘をまっすぐ後ろに引く。

胸を張る(鳩胸)。

胸椎11番と12番を動かす。

顎を上げない。

俯かない。

 

9月4日(火)夜、ランニングマシーンで走る。

傾斜2%、時速10キロ、30分、走行距離4.9キロ。

傾斜を1.5%から2%に上げた。

最初の5分間と最後の5分間がしんどい。

最初は、身体がほぐれていないので、脚が重く感じる。

徐々に滑らかに走れるようになる。

最後は、あと何分、あと何百メートル、とゴールをめざすのだが、疲れているので、時間も距離も遅々として進まない。

 

9月6日(木)早朝、起伏のある周回コースを7キロ走る。

午前4時に目覚まし時計が鳴った。

一時停止のボタンを押して、しばし二度寝。

いつも5分くらいしたら目覚ましが鳴る。

ところが、ハッと目覚めて時計を見ると午前5時を過ぎている。

1時間寝過ごした。

周回コースを4周走る予定だったが、3周にする。

 

コースに隣接して小高い公園が使えるようになったので、コースに加える。

これが、S字カーブの連続で、それなりに傾斜もある。

上りはまだしも、下りがつづら折りではスピードが出せない。

 

はじめてのコースは、つい寄り道をする。

この道はどこに出るんだろう、ちょっと行ってみるか、というふうにあちこち試してみるからだ。

おかげで、57分04秒もかかった。

これでコースを掴んだので、次からは走りに専念できる。

 

9月9日(日)午前中、キトラ古墳から栢森折り返し24.4キロを走る。

朝、雨が降っていたのでスタートを遅らせた。

念のためにバーサライトを着て走り始める。

しかし、雨は上がり、暑くなってきたので、バーサライトを脱いで腰に巻く。

高松塚古墳からキトラ古墳を超えて舗道が途絶える橋で折り返す。

キトラ古墳から稲渕に抜ける激坂を上って、栢森で折り返す。

もう一度稲渕の坂を上って、キトラ古墳平へ下りだしたところで、左のふくらはぎが攣りそうになったので、芍薬甘草湯のゼリーを飲む。

しかし、稲渕の坂を上ったところで、足に力が残っていなかった。

なんとか歩かないでヨチヨチと必死で走った。

3時間22分30秒。

へとへとに疲れた。

2か月ぶりの3時間走に足がついていかなかった。

これから長距離を走り込んで、ロング走に身体を馴染ませなければならない。

 

9月11日(火)夜、ランニングマシーンで走る。

日曜日の疲れが残っているかもしれないので、傾斜なし、時速10キロで30分走る。

疲れは抜けていたようで、負担感はなかった。

最後の5分は、時速10.5キロに上げた。

 

9月13日(木)早朝、起伏のある周回コースを7キロ走る。

55分21秒。

小高い丘の上り下りがつづら折りで時間がかかる。

 

涼しくなったし、いよいよ、つぎは試走だな。

 

奈良マラソン2018まであと87日である。

2018年

9月

11日

チョコレート

みなさん、こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

北海道地震、とてもびっくりしましたね。

私の友人の実家が北海道で、心配しました。

 

最近ブログを書くたびに、日本各地でいろんな災害が起こっており、日本はどうなるんだろう、と一抹の不安がよぎります。

震度7クラスの地震の発生間隔も短くなっていて

1995年 阪神淡路大震災

2004年 新潟県中越地震

2011年 東日本大震災

2016年 熊本地震

2018年 北海道地震

 

日本の北から南まで大きな地震が発生しています。

最近は、南海トラフ地震への備えから、食料などの防災備蓄品は、「3日分の備蓄」から「1週間分の備蓄」へと考え方が変わってきているようですね。

先日の台風21号でもそうですが、「想定外」の災害が多いので、可能な範囲で備えはしていきたいですね。

 

交通事故 橿原 弁護士

そんな私のデスクの備蓄品はこれ。

 

・・・防災でもなんでもないです。

 

「チョコレートを食べると幸せな気持ちになる」と聞いたことはありませんか?

それは、チョコレートには恋をした瞬間に大量に分泌される「フェニエチルアミン」という物質が含まれるからだそうです(๑>◡<๑)

 

また、緊張を和らげ、精神を安定させる物質「吉草酸」も含まれているので

イライラしている時に気持ちを落ち着かせてくれる効果もあるそうです。

そして、「テオブロミン」には、集中力・記憶力・思考力を高める効果もあります。

噛むことも脳にいいので、某番組では、アーモンドチョコが勧められていました。

忘れていけないのは、「ポリフェノール」によるアンチエイジング効果♪

 

よく、山で遭難した時にチョコレートで命をつないだということを耳にしますが、

チョコレートはたんぱく質、炭水化物、脂質、ミネラルを含んでいるので、エネルギーや栄養源としてもとっても役に立ちます。

遭難時の精神安定効果もありますしね。

 

ほら、もう、デスクに常備しておくっきゃない☆

2018年

9月

10日

大学院の変容・貧乏シフト ☆ あさもりのりひこ No.579

日本の大学の劣化は「貧して鈍した」せいである。

「貧する」ことはよくあることで恥じるには及ばない。だが、「鈍した」ことについては深く恥じねばならない。

 

 

2018年9月10日の内田樹さんの論考「大学院の変容・貧乏シフト」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

毎月ある地方紙にエッセイを寄稿している。これは8月分。

 

人口当たりの修士・博士号取得者が主要国で日本だけ減っていることが文科省の調査で判明した。これまでも海外メディアからは日本の大学の学術的生産力の低下が指摘されてきたが、大学院進学者数でも、先進国の中でただ一国の「独り負け」で、日本の知的劣化に歯止めがかからなくなってきている。

人口当たりの学位取得者数を2014~17年度と08年度で比べると、修士号は、中国が1.55倍、フランスが1.27倍。日本だけが0.97倍と微減。博士号は、韓国が1.46倍、イギリスが1.23倍。日本だけが0.90倍と数を減らした。

当然だと思う。さまざまな理由が指摘されているけれど、一言で言えば「大学院というところが暗く、いじけた場所になった」からである。若くて元気な人間なら、せっかくの青春をそんなところで過ごしたくはない。

と書いておいてすぐに前言撤回するのも気が引けるが、実は大学院は昔から暗くて、いじけた場所だったのである。にもかかわらず学術的生産性は高かった。どうしてか。

私が大学生の頃、大学院進学理由の筆頭は「就職したくない」だった。それまで学生運動をやったり、ヒッピー暮らしをしていた学生が、ある日いきなり髪の毛を七三に分けて、スーツを着て就活するというは、傍から見るとずいぶん見苦しいものだった。「ああいうのは厭だな」と思った学生たちはとりあえず「大学院でモラトリアム」の道を選んだ。私もそうだった。

ところが、こんな「モラトリアム人間」ばかり抱え込んでいた時期の大学院が、学術的にはきわめて生産的だったから不思議である。

それはちょうど日本社会が高度成長からバブル経済にさしかかる頃だった。同年配でも目端の利いた連中は金儲けに忙しく、世情に疎い貧乏研究者たちに「ふん、金にならないことしてやがる」という憐みと蔑みの視線を向けはしたが、「そんな生産性のないことは止めろ」とは言わなかった。人文系の学者が使う研究費なんて彼らからすれば「鼻くそ」みたいな額だったからである。だから、「好きにさせておけ」で済んだ。おかげで、私たち経済的生産性の低い研究者たちは、世間が金儲けに忙殺されている隙に、誰も興味を持たない、さっぱり金にならない研究に日々勤しむことができた。そして、それが結果的には高い学術的アウトカムをもたらした。そういう意味ではよい時代だった。

でも、バブルがはじけて、日本全体が貧乏臭くなってから話が変わった。「貧すれば鈍す」とはよく言ったもので、「金がない」という気分が横溢してくると、それまで鷹揚に金を配ってくれた連中がいきなり「無駄遣いをしているのは誰だ」と眼を吊り上げるようになる。「限りある資源を分配するのだ。生産性・有用性を数値的に格付けして、その査定に基づいて資源を傾斜配分すべきだ」と口々に言い出した。

「数値的な格付けに基づく共有資源の傾斜配分」のことを私は「貧乏シフト」と呼ぶが、大学も「貧乏シフト」の渦に巻き込まれた。そして、それが致命的だった。

というのは、格付けというのは「みんなができることを、他の人よりうまくできるかどうか」を競わせることだからである。

「貧乏シフト」によって「誰もやっていないことを研究する自由」が大学から失われた。

「誰もやっていない研究」は格付け不能だからである。

独創的な研究には「優劣を比較すべき同分野の他の研究が存在しない」という理由で予算がつかなくなった。独創性に価値が認められないアカデミアが知的に生産的であり得るはずがない。

日本の大学の劣化は「貧して鈍した」せいである。

「貧する」ことはよくあることで恥じるには及ばない。だが、「鈍した」ことについては深く恥じねばならない。

 

 

 

2018年

9月

06日

明日香ビオマルシェについて2 ☆ あさもりのりひこ No.578

明日香ビオマルシェの「たるたる農園」について書く。

 

「たるたる農園」は樽井一樹さんが運営している。

ブースには、季節の野菜(無農薬・有機栽培)が色とりどりに並ぶ。

 

今は、かぼちゃがおいしい。

マッシャーで潰してスープにする。

皮ごと蒸して、皮ごと食べる。

樽井さんのかぼちゃはホクホクで甘い。

ソースやドレッシングはかけない。

そのままで美味しいのだ。

 

じゃがいももおいしい。

今は3種類のじゃがいもを作っている。

わが家では、毎朝、スープの具に使っている。

 

あやめ雪かぶ、赤カブ、ミニトマト、白菜、キャベツ、大根などなど、「なんでこんなにおいしいの」というくらい美味しい。

 

樽井さんは作物の出来具合から、料理の仕方まで教えてくれる。

どの野菜はどんな風に料理したら美味しいのかをよくご存じである。

樽井さんは、薄くスライスして、オリーブオイルで焼くのが好きである。

 

樽井さんは帽子がよく似合う。

最近は縁が反った麦わら帽を被っている。

 

明日香ビオマルシェの生産者の人たちは、みんなおしゃれだ。

普段着のようにさりげなくPatagoniaを着こなしていたりする。

 

 

2018年

9月

03日

チームラボ初体験@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

9月に入ったと思いきや、またも大型台風がやってきますね。

台風の進路予報を見ても、既に前の台風などで被害が出ている地域ばかりを

まるで狙ってきているかのようで・・・。

皆さんどうか大きな被害など出ませんようお気を付けください。

 

さて、先日、あべのハルカス美術館でやっている「チームラボ 学ぶ!未来の遊園地」に

行ってきました。

 

「チームラボ」というのはそもそも皆さんご存じですか?

 

 

今、世界的に活躍している自称ウルトラテクノロジスト集団で、

以前テレビで特集をしていた彼らの作品がとても幻想的で、一度は見てみたい!と

気になっていたんです。

 

ただ、展示場所はたいてい東京で、なかなか見に行くことができなかったのですが、

今回は珍しく近畿、

しかも、あべのハルカス、堂島、下鴨神社の3カ所で期間限定の展示があると知り、

一番近いあべのハルカスに行ってきました。

 

夏休みで人も多いため、中に入るにはチケットだけでなく、会場入り口で配布される

整理券が必要だと事前に情報をゲットしていたので、早めに出たつもりでしたが、

それでも入場3時間半待ち。

遊園地の人気アトラクション並で、びっくりしました(^_^;)

 

仕方がないので、周りで買い物したり、食事をして時間を潰してようやく会場に。

 

整理券を渡し、入場待ちの列に並んでいたところ、後ろからやってきたカップルが

なにやらブツブツ文句を言っている様子。

聞こえてくる会話からは、どうも整理券を貰っていないのに列に入ろうとした彼らを

スタッフが止めたことに文句を言っているようでした。

 

整理券とか何?訳分からん。

チケット買ったとき何も貰わなかったし。そんなん知らんし。

なんなんアイツ!

 

 

・・・。

いやいや、なんなのって言いたいのは貴方たちの方だから!

こっちは、整理券もらうのに早くから来て、入場まで3時間半待ってるから!!

と言いたいけど、余計なトラブルに巻き込まれても嫌なので言えませんでした。。。

 

でもでも! ルールはちゃんと守りましょうねーーー(>_<)

 

 

さて、ようやく入れた会場では、壁一面に素敵な映像が広がっていて、

さっきのモヤモヤも飛んでいきました。

 

 

文字や映像に触れると映像が変化する

しかけになっていて、大人も子どもも

夢中で壁に触れていましたよ。

 

暗くて上手に写真を取れなかったのですが、

こちらの小人のテーブルコーナーでは、走り回る小人の

テーブルの上に手や物を置くと障害物に気付いた小人が

ジャンプしたり、よじ登ってきます。

その小人の動きがかわいくて、こちらのコーナーも大人気

でした。

 

他にも、滑り台や自分の書いた絵が実際に投影されるコーナーもあって、

小さいお子さん達がとっても楽しそうに遊んでいたので、

姪っ子達を連れてきたら喜んでくれただろうに・・・と少し残念ではありましたが、

ちょっぴり童心にかえることができ満足の一日でした(*^_^*)

2018年

8月

30日

奈良マラソン2018まで101日 ☆ あさもりのりひこ No.577

8月18日(土)早朝、キトラ古墳から稲渕11.8キロを走る。

朝早いと涼しい。

キトラ古墳から坂を登っていく。

先週までは、コマバエのような小さな黒い虫がブンブン顔の周りを飛ぶので手で払いながら走っていた。

この朝は、涼しいせいか虫がいなくて、走りやすい。

タイムは1時間23分38秒。

前回よりは速かった。

 

8月21日(火)、ランニングマシーンで走る。

時速10キロ、傾斜1%で30分、距離は4.9キロ。

傾斜を0.5%から1%に上げたが、それほど負担は感じなかった。

最後の5分間はちょっと「しんどい」が。

 

8月26日(日)朝、キトラ古墳から稲渕折り返し11.8キロを走る。

 いつもよりスタートが1時間遅かったので、日が昇っていて、最初から朝日を浴びて走ることになった。

かなり汗をかいたが、走りは安定していた。

タイムは1時間21分18秒。

前回よりもタイムはよかった。

 

8月28日(火)早朝、大和中央自転車道を10キロ走る。

大和中央自転車道は久しぶりである。

中一日で走るのも久しぶりである。

タイムは1時間09分26秒。

自分の感覚では調子よく走っていると感じていた。

ところがタイムは遅かった。

自覚していないが、日曜日の疲れがまだ残っていたようだ。

この日は一日足が怠かった。

 

8月29日(水)、ランニングマシーンで走る。

時速10キロ、傾斜1.5%で30分、距離は4.9キロ。

傾斜を前回の1%から1.5%に上げた。

最初は足が重くて、30分持たないかも、と弱気になった。

後半持ち直して、なんとか予定どおり走れた。

 

世界は少しずつ涼しくなってきている。

 

これから走る距離を延ばして走り込んでいく。

2018年

8月

28日

近鉄八木駅前にも秋の兆しが!

 

本日は事務局が担当です。

今週で8月が終わり、来週から9月です。

近年は9月と言っても秋とは言えない暑い日が続きますよね。

しかし、先週末の土曜日の夜、息子が寝る際にはいつも静かな音楽を聴きながらベッドに入るのですが、音楽がなっていないので、どうしたのかと尋ねると、窓を開けていると虫の鳴き声が聞こえてくるので、聞きながら寝ると言うので、耳をすましてみました。

そうしたら、車と電車などの音が途切れたときに、マンションの敷地にいるのでしょうか、2,3種類の虫の鳴き声が聞こえてきました。

真っ暗な部屋の中に、外から聞こえてくる虫の声が僅かな風と共にとても心地よく感じました。

虫の鳴き声が聞こえる近鉄八木駅前ナビプラザの緑地帯
虫の鳴き声が聞こえる近鉄八木駅前ナビプラザの緑地帯

 

そのことをブログに書こうと、今朝出勤してきたら、近鉄八木駅前のナビプラザの西側の外に僅かな幅の芝桜などが植えられた緑地帯があるのですが、そこから、3,4匹のコオロギの鳴き声がするではありませんか!

今朝も近鉄八木駅前はギラギラの太陽に照らされていましたが、丁度日陰になる緑地帯には、秋の兆しを感じさせる、日陰と虫の鳴き声の涼やかさがありました。

そう言えば、近鉄八木駅前では、暑さを思い起こさせるセミの鳴き声は、聞こえてきていませんよね。

確かにまだまだ暑い日は続くでしょうが、少しずつ秋になりつつあるようです。

みなさんも、虫の鳴き声が聞こえたら、少し足を止めて耳をかたむけてみてはいかがでしょうか?

 

少し秋を、涼しさを感じられて、快適さをえることができるとおもいますよ。

2018年

8月

23日

明日香ビオマルシェについて ☆ あさもりのりひこ No.576

明日香ビオマルシェについては、2016年9月15日のブログNo.280に書いた。

明日香ビオマルシェで無農薬の有機野菜を買うようになって2年になる。

明日香ビオマルシェの新しいチラシ(現物は小さいのでフライヤーかな)ができたので、明日香ビオマルシェについて書く。

 

明日香ビオマルシェは毎週金曜日の午前9時から12時まで開催されている。

場所は、奈良県高市郡明日香村飛鳥225-2にある農産物等販売所「あすか夢の楽市」の駐車場。

なので、車を駐める場所はたっぷりある。

 

駐車場にテントが横一列に並ぶ。

いつも、手前の端っこに出店しているのは「ミニマルライフ」の瀬川健さんである(最近は休んでいるが)。

明日香ビオマルシェの「玄関先」と言っていい。

瀬川さんの満面の笑顔が迎えてくれる。

 

瀬川さんの米は美味しい!

玄米も白米も美味しい!

高市郡高取町松山の田圃で採れる「まつやま」がオススメである。

 

もう一つのオススメは「パクチー(香草)」である。

瀬川さんのパクチーは根っこが付いている。

パクチーは、茎と葉を刻んでスープに浮かべるか、サラダ感覚でそのままムシャムシャ喰ってしまう。

根っこは捨てないで、乾燥させる。

乾燥したパクチーの根っこでスープの出汁を取るとおいしいのだ。

 

 

 

 

2018年

8月

21日

夏休み

みなさん、こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

8月も折り返し、酷暑はだいぶマシになってきましたね。

 

先日、淡路島に夏休みの旅行に行ってきました。

宿泊先は、CMでおなじみ「ほてるにゅ~ぅあぁわぁぁじ~」です。

 

客室は全室オーシャンビューということもあり、部屋からの眺めはとってもよかったです。

お天気にも恵まれ、太陽を浴びてキラキラ光る海、絶え間なく聞こえる波の音にとても癒やされました。

 

お料理も

かわはぎのお造り

淡路牛の石焼き

はもしゃぶ

鯛のほうらく焼き

たこ飯 などなどなどなどなどなど

豪華な淡路名産品の数々に

「もうムリ~!」と言いながらしっかり堪能。写真を撮ることも忘れ舌鼓をうちました。

少し足を伸ばして、淡路モンキーパークへも行きました。

志村どうぶつ園を初め、たくさんのメディアで取り上げられているので、ご存じの方も多いのでは?

近いし、行ってみよう!と軽い気持ちで出発したのですが、道中、ヘアピンカーブの続く一車線のなかなかハードな峠越えがあり、ドキドキしました。

 

パークには、赤ちゃん猿もたくさんいました。

すぐ足元をたくさんの猿が闊歩していて、なんというか、圧巻です。

300匹くらいの猿がいるそうですが、猿の餌のおこぼれに預かる鹿もたくさん闊歩していました(笑)。

でも!私が一番興奮したのは、この看板を見たときです(・∀・)

 

ご存じ(?)探偵ナイトスクープで小枝探偵が訪れた謎パラ!

ホテルからモンキーパークへの道中で発見し、

まさかこんなところで出会えると思っていなかった私は、

「あれ!あれ!あれ!」(๑ʘ∆ʘ๑)と一人で大興奮です。

 

残念ながら、後の予定があったので、今回は訪問できませんでしたが、いつかリベンジしたいです!(でもゲートが閉まっていたぽかったので、今は閉園しているのかな・・・要調査です!)

 

子どもも、ずぅぅぅっとしたかった海釣り(ホテルの桟橋から竿を投げるだけの簡単なものですが)にもチャレンジでき、充実したお休みになりました。

2018年

8月

17日

『若者よマルクスを読もう4』まえがき ☆ あさもりのりひこ No.575

資本主義社会のさまざまな矛盾は「富裕化する資本家」と「窮乏化する労働者」の絵に描いたような対立として尖鋭化しています。

 

 

2018年8月15日の内田樹さんの論考「『若者よマルクスを読もう4』まえがき」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

9月にかもがわ出版から石川康宏先生との共著『若マル4』が出る。中身は『フランスの内乱』についての往復書簡と、「マルクスとアメリカ」連続講義、それから新華社からのアンケートにふたりが回答したものなど。販促のために予告編とて「まえがき」を掲載しておく。

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

『若者よマルクスを読もう』も番外編の『マルクスの心を聴く旅』を含めて、巻を重ねること4巻目となりました。ここまで続くとはほんとうにびっくりです。ご愛読くださった読者のみなさんと編集の松竹伸幸さんに深く感謝いたします。

たしかこれは「『共産党宣言』から『資本論』まで、マルクスの全著作を俯瞰するようなかたちで、中学生、高校生にも読めるマルクス入門のための本を書こう」という壮図をもって始まった企画でした。口ではそういう壮大なプランを語りながらも、心の中ではなんとなく「途中で挫折するんじゃないかな・・・」と思っておりました(黙っていて、すみません)。だって、「若者よマルクスを読もう」ですからね。若者たちが「やだよ」と言ったら、それっきりです。

本書の企画が出たのは何よりも「若者たちが全然マルクスを読まなくなった」というきびしい現実があったからです。「市場のニーズ」というものがないことを前提に始まった企画ですから、「やっぱり全然ニーズがなくて、返本の山でした」ということになっても誰を恨むこともできません。

しかし、意外なことに、2010年に出た『若マル1』はロングセラーとなって、3年後には角川ソフィア文庫に収録されることになりました。それどころか、韓国語、中国語に訳されるという驚くべきことが起きました。

マルクスについての本を読んでくれる若者が日中韓にこれだけいたのです。これは「椿事」と呼んでよろしいかと思います。

韓国語訳が出るのはわかるんです。韓国にはマルクス研究の「蓄積」というものがありませんから。李氏朝鮮の後は日本に併合されて、植民地支配を受け、日本からの独立後は朝鮮戦争があって、マルクス主義は「敵性思想」に認定され、反共法が1980年まで存在して、マルクスを読むだけで懲役刑という国でした。そんな国でマルクスの研究が蓄積されるはずがない。ですから、僕たちの書いたような「マルクスのテクストを噛んで含めるように逐条的に解説し、かつその歴史的意義を俯瞰する」という本に対して「ああ、こういう本が読みたかったんだ」と思ってくれる読者がそれなりの数いたことは理解できます。

驚いたのは中国語訳です。マルクス主義は公認の政治思想です。中国はマルクス研究の「本場」のはずです。そこで僕たちが書いたマルクスの概説書がベストセラーになった(らしいです)。

こちらもたぶん、「こういう本」がなかったということが理由だと思います。今の中国社会でも、もちろん若者に向かって「マルクスくらい読んどけ」ということを言う人はいると思います。でも、それは党官僚とか知識人とか学校の先生とか、総じて「権力サイドの皆さん」であって、若い人はそういう「上から目線」の、説教じみた要請に対しては内心では「うっせえな」というリアクションをしてきたんじゃないでしょうか(想像ですけど)。

でも、僕らの本はぜんぜん「偉そう」ではありません。「偉そう」どころか、どちらかというと若い人たちに「お願い、読んで」ととりすがるような態度で貫かれています。著者二人ともがマルクスを心から敬愛して、叡智の書物を押し戴くように読んでいて、「マルクス読むときっといいことあるよ」と若い人たちをお誘いしている。こういう素朴な敬慕の念と教化的善意のみに駆動されて書かれたマルクス入門書というのは中国でも、それ以外の社会主義国でも、あまりお目にかかることがないのではないかと思います。

という思いがけない展開になったせいで、『若マル』は続いて出版されることになり、番外編で池田香代子さんとご一緒に回ったドイツ~イギリスの旅では(僕は8泊9日全日程風邪ひきで、高熱を発したまま移動し、講演をし、対談をするという悪夢のような日々でしたけれど)、思いがけず、「マルクスとアメリカ」という本書のアイディアのきっかけが得られました。

マルクスについて書かれた解説書は無数にありますけれど、「マルクスとアメリカ」だけに論点を絞った論考というのはたぶん日本語で書かれた文献としては存在しないんじゃないかと思います。

本書でも触れましたけれど、ヨーロッパからアメリカに移民した社会主義者たち、いわゆる「48年世代(フォーティ・エイターズ)」の活動について、『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』のホレス・グリーリーとマルクスのかかわりについて、アメリカに本部があった時代の第一インターナショナルの活動についてなどなど、調べてゆくうちにもっと知りたいと思うトピックはたくさんありました。きっとアメリカやドイツの歴史家の中には、こういった論件について論文を書いている人たちはいると思います。でも、僕の年齢を考えると、これからあれこれと資料を集めて、それをまとめるだけの時間はなさそうです。誰か志のある若い人がこの研究を続けてくれることを願っています。

あと一つだけ書き加えておきたいことがあります。それはもしかするとアメリカでマルクスの再評価が始まるかもしれない・・・というちょっとわくわくするニュースです。

僕は『フォーリン・アフェアーズ・レポート』というアメリカの外交専門誌の日本語版月刊誌を定期購読しています(日本のメディアがまず書くことのない「アメリカの本音」が赤裸々に吐露されているので、「宗主国」の人々が今何を考えているのかを知るにはまことに便利な道具です)。その今月号の巻頭論文が「マルクスの世界」と題されたもので、そこにはこんなことが書いてありました。

「ソビエトとその共産主義モデルを採り入れた諸国が次々と倒れたにも関わらず、マルクスの理論は依然としてもっとも鋭い資本主義批判の基盤を提供し続けている。特筆すべきは、マルクスが、この40年間のように、政府が対策をとらない場合に先鋭化する資本主義の欠陥と弊害のメカニズムを理解していたことだ。マルキシズムは時代遅れになるどころか、現状を理解する上で必要不可欠の理論とみなされている。」(ロビン・バーギーズ、「マルキスト・ワールド 資本主義を制御できる政治形態の模索」、『フォーリン・アフェアーズ・レポート』、No.8, 2018, p.7

アメリカではあと少しでAIの導入による巨大な規模の「雇用喪失」が見込まれています。控えめな予測で14%、不穏な予測で30%の雇用がオートメーション化で失われます。失業した人たちを「機械化で失職するような先のない業界に就職した本人の自己責任だ」といって路上に放り出したら、アメリカの路上を数百万を超えるホームレスがうろつくことになります。市場は縮減し、経済は破綻し、治安も公衆衛生も悪化し、行政サービスも途絶えた『マッド・マックス』的終末論的光景が広がることになる。なんとかして完全雇用の手立てを講じないと破局が到来することはもうわかっているのです。でも、新技術を導入して人件費コストを削減することを企業経営者に断念させることはできません。ここで政治と経済が対立することになる。

資本主義社会のさまざまな矛盾は「富裕化する資本家」と「窮乏化する労働者」の絵に描いたような対立として尖鋭化しています。資本主義が延命するためには、どこかで市場原理の支配を抑制し、資本財を広い社会層に分配し、完全雇用を実現するための政策的介入を行わなければならない。もちろん「そういうこと」を僕たちは学生時代から何万回も読んだり書いたりしてきましたけれど、同じ言葉をアメリカの政治学者やエコノミストが口にする時代になったということに、僕は少なからず驚いています。アメリカ人たちがマルクスを読みなおす時代が来るのでしょうか。これがアメリカとマルクスの「かつて一度失敗した出会い」の仕切り直しの機会になってくれるといいんですけれど。

 

最後になりましたけれど、今回も僕の投げつける「悪球・暴投」をそのつどちゃんとミットに収めてくれた石川康宏先生の技術の確かさとオープンマインドに心から敬意を表したいと思います。

 

石川先生がかちっと学術的に確かな読解をして、僕がふらふらと思いつきを語るというこの分業体制も始まってもう9年となりました。僕が思いついた変てこなアイディアをどこまでも追いかけてゆけるのも、石川先生の絶妙のアシストがあってこそです。自由に遊ばせてくれる先生の雅量に(内心では「うう、面倒くさいなあ。またわけのわかんないこと言い出して・・・」と思ったこともあるでしょうが)心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

2018年

8月

16日

奈良マラソン2018まで115日 ☆ あさもりのりひこ No.574

8月4日(土)早朝、キトラ古墳から稲渕まで往復12.2キロを走る。

午前5時スタート。

まだ日が昇らない時間帯なので、涼しい。

 

キトラ古墳から稲渕への坂をサクサクと走る。

この坂は登って、一旦平坦になって、また登るという2段階構造になっている。

2つめの上りを登り切ると、稲渕からの風が心地よい。

 

稲渕の棚田を見渡す台地で折り返す。

折り返しまで46分。

折り返した後の上り坂を登って、キトラ古墳まで下り坂を快調に走り降りる。

日が昇って、朝日を背後から浴びる。

 

高松塚古墳を通り過ぎて亀石の近くの交差点までの上りがなかなか堪える。

タイムは1時間29分23秒。

早朝の仕事前のランニングとしてはこんなもんでしょう。

 

8月7日(火)夜、ランニングマシーンで走る。

時速10キロ、傾斜0.5%で30分間、4.9キロ走った。

 

8月11日(土)、早朝、キトラ古墳から稲渕まで往復11.8キロを走る。

キトラ古墳から稲渕への坂を登り切ると、やはり稲渕からの風が心地よい。

亀石の近くの交差点まで行かないで、野口の駐車場の信号から高市製薬を通り抜ける短縮コースをとる。

タイムは1時間27分21秒。

距離は短いが、激坂は走り甲斐がある。

 

7月後半から8月前半の1か月は暑くて走り込めなかった。

 

これから少しずつ暑さが和らいでいくにしたがって、走る距離を延ばしていきたい。

2018年

8月

15日

『知日』明治維新特集のアンケートへの回答(後編) ☆ あさもりのりひこ No.573

後世にすぐれた物語の書き手を得た歴史的人物は末長く記憶される。

 

 

2018年8月11日の内田樹さんの論考「『知日』明治維新特集のアンケートへの回答(後編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

4.安政の大獄に対する意見をお聞かせください。なぜ数多くの維新志士を育てた吉田松陰が殺されましたか?

 

安政の大獄は幕末の徳川幕府の機能不全を象徴する事件だと思います。

国難的事態に遭遇した時には、「どのようにして国論を統一するか」が緊急の課題ですけれど、井伊直弼はそれを「反対派を殲滅する」恐怖政治として実行しようとしました。「衆知を集めて議論して、国論の統一をはかる」という選択肢も理論的にはありえたはずですが、それができなかった。幕府内部で、問題点を明らかにし、基本的な情報を共有し、取りうるさまざまな選択肢を吟味し、その中で最も利益が多く、損害の少なそうな解を選び取るという合理的な政策決定プロセスが機能していなかったからです。

もちろん、それが幕府の後進性ということの実相であるわけですけれども、「急いでことを決めない」ということが久しく日本社会では合理的な意思決定プロセスとみなされていたということでもあります。

たしかに、議論をだらだら引き伸ばして、何も決めないでいるうちに、想定外のことが起きて、「こうなったら、もうこれしかない」という解に全会一致で雪崩れ込んでゆく・・・というのが、一番「角の立たない」合意形成ではあるわけです。それでうまくゆくこともあります。けれども、この意思決定プロセスの弱点は限られた時間内には意思決定をすることができないということです。手をつかねて合意形成の機が熟すのを待つというやり方は黒船来航とか、外交条約締結とかいう「待ったなし」という局面には対応できない。現に、そういう局面に遭遇した時も、幕閣たちはその伝統的な「だらだら引き延ばす」戦術を採用したのですが、欧米にはその手が通じなかった。

 

「だらだらしているうちに、落ち着くところに落ち着く」という意思決定ができない場合は「合意形成を待たず、誰かに全権を一任して、失敗した場合には責任を取らせる」というのが日本における意思決定の「プランB」です。

安政の大獄は、この局面を打開するうまい方法を誰も思いつかなかったので、井伊直弼という一人の幕臣に独裁的な権限を丸投げして、失敗した場合(たぶん失敗するだろうとみんな予測していたと思います)には腹を切って責任を取らせるという「プランB」を採用したのだと思います。

井伊直弼が吉田松陰ほかの有為の人士を組織的に殺害したのは、別に彼らの個別的な思想信条を問題にしたというよりは、単に独裁制の強権性・非寛容性をアピールするためだったと思います。井伊直弼自身は吉田松陰がどんな人物なのかよく知らなかったのではないでしょうか。

 

5.坂本龍馬という人物の意見をお聞かせください。彼は維新活動の中どのような貢献をしましたか?

 

坂本龍馬は幕末の人士のうちで最も人気のある人です。

作家司馬遼太郎が『竜馬がゆく』(1962~66年)という小説を通じて、きわめて魅力的な人物を造型したことがその原因の一つです。名前の表記から分かるように、司馬が造型した「坂本竜馬」は現実の「坂本龍馬」とは別人ですが、読者はそうは解しませんでした。

坂崎紫瀾の『汗血千里の駒 坂本龍馬君之伝』を除くと、龍馬についての情報はそれほど多くはありません。それでも、薩長同盟を成し遂げたこと、海援隊という日本最初の商社=海軍を創立したことは歴史的事実ですし、勝海舟の『氷川清話』や幸徳秋水の『兆民先生』などから断片的に知れる限りでも、闊達で海洋的な気風の人物だったと思われます。

 

龍馬の献策とされる「船中八策」には、上下院による議会政治・有能な人材の登用・不平等条約の改定・憲法の制定・常備軍の設置など、当時としては画期的に近代的・共和的な政体構想が描かれておりました。ですから、龍馬が生き延びて、明治政府に影響力を持ちうる立場にいた場合には、それから後の日本の近代化はずいぶん変わったもの(もっとずっと民主的で開放的なシステム)になっただろうと想像する日本人は私の他にもたくさんいるはずです。

 

6.歴史から見れば、新選組は幕府を保護する旧勢力で、非進歩な逆流ですが、なぜ彼らは日本人に愛させていますか?文化的な原因はありますか?

 

新選組の人気もフィクションによるところが多いと思います。

私が子どもの頃は大佛次郎の『鞍馬天狗』シリーズが次々と映画化されて大人気でしたが、主人公は勤王の志士鞍馬天狗(演じたのは嵐寛寿郎)で、新選組は敵役でしたので、決して「日本人に愛されている」ということはありませんでした。

新選組への好悪の評価が逆転したのは、これもフィクションの力が大きいと思います。子母澤寛の『新選組物語』(1955年)や司馬遼太郎の『燃えよ剣』(1962~64年)は新選組の人々を単なる記号的な悪役ではなく、ひとりひとりの相貌をリアルに描き出しました。その後、これらを原作にして無数の映画やテレビドラマが制作されました。

新選組人気を決定づけたのは1970年に放映され、土方歳三を栗塚旭が、沖田総司を島田順司が演じたテレビドラマ『燃えよ剣』でした。役を演じた俳優と歴史上の人物の境があいまいになったという点では、このドラマが画期的だったと思います。

 

坂本龍馬の場合も、あるいは西郷隆盛や大久保利通や木戸孝允のような維新の元勲たちにしても、それぞれの歴史的評価は、学術的に確定された歴史的な史料以上に、「彼らについてどのような物語が創作されたか」に依存します。後世にすぐれた物語の書き手を得た歴史的人物は末長く記憶される。これは世界どこでも、もちろん中国でも変わらないと思います。

子母澤寛の祖父はもと御家人で、箱館戦争で旧新選組隊士たちと共に官軍と戦った人でした。子母澤は子どもの頃にその祖父から新選組の人々の思い出話を聞かされて育ち、明治維新以来「朝敵」とされ、憎まれてきた新選組の「名誉回復」をめざして作家活動を始めた人ですから、その個人的な「復讐」はみごとに果たされたわけです。

 

7.岩倉使節団の各国歴訪は明治維新の政策提出にどんな影響を与えましたか?

 

岩倉使節団の歴史的意義は私にはわかりませんが、そのメンバー表を見ると驚くことが二つあります。

一つは、明治維新という政治革命が終わった直後(わずか4年後)に、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文らの政府中枢部がごっそり抜けて2年間の外遊に出かけたことです。よくこんな大胆な決断が下せたと思います。留守中に国内で何か起きても、通信手段もないし、戻るための交通手段だって整っていないわけですから。

「政府中枢部が2年間留守をしても政体は安定する」という保証を誰がどういうかたちで行ったのか、むしろそれに興味があります。現に、彼らが戻った翌年(1874年)に佐賀の乱、3年後(1876年)には萩の乱、神風連の乱が起き、4年後(1877年)には西南戦争が勃発しているわけです。あるいは、「岩倉使節団が戻って来て、これから先の日本の統治システムについて答申を行うまで、国内の対立はペンディング」という暗黙の合意が(のちに反乱を企てる不平士族を含めて)国内的にはなされていたのでしょうか。私の方が専門家に質問したいくらいです。

 

もう一つの驚きは、帯同した留学生・随員の名簿のうちに、中江兆民、金子堅太郎、團琢磨、牧野伸顕、津田梅子、山川捨松、新島襄ら、その後の日本のさまざまな分野でリーダーとなる若者たちが含まれていたことです。新島襄が28歳、中江兆民が24歳、團琢磨が13歳、津田梅子に至っては6歳。短期間に人選を行って、まだ海のものとも山のものともつかぬ人たちの中からこれだけ優秀な人材を集め得たということは、明治の人々に「人を見る目があった」という以外に説明のしようがありません。いや、たいしたものです。

 

8.明治維新には暗の一面はありますか?封建主義の名残、先進ではない文化要素(男尊女卑など)、軍国主義の道への伏線など

 

明治維新の評価についてはここまでに述べた通りです。プラスの面もあるし、マイナスの面もある。それはあらゆる政治的事件の場合と同じです。ただ、さきほどから書いている通り、歴史的事件の評価は、最終的には、それについて語られた無数の物語の集積によって決まると私は思っています。豊かな物語、深みのある物語を生み出した歴史的事件は長く記憶され、人々はそこから歴史的教訓を引き出し、その事件を基準にして現在の出来事の適否を判断したりする。それは「生きた歴史的事件」となります。逆に、どれほどその時点では大きな社会的変動をもたらした事件でも、それについて語り継ぐ人がおらず、そこにかかわった人々の名をあるいは懐かしげに、あるいは敬意をこめて口にするということがなく、その出来事を「ことのよしあし」の判断基準にするという習慣が定着しなかったとしたら、それは「死んだ歴史的事件」だということになる。

明治維新についての物語はいまも語り続けられています。それはそれが「ほんとうはどういう出来事だったのか」について、まだ日本人の中でも、世界史の中でも、意味が確定していないということもあります(だからこそ、『知日』がこういう特集を組んだりもするのでしょう)。でも、それだけでなく、明治維新が日本人にとっては「まだ生きている政治的事件」だからだと私は思います。

 

 

2018年

8月

14日

近鉄八木駅前の無料でホッと一息つける所

 

お盆は、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

当事務所は、裁判所と同様に業務を行っています。

さて、猛暑はピークを過ぎたのかなと思える日々ですが、暑さは厳しいですね。

この暑いときに近鉄八木駅前の無料でホッと一息つける処をご紹介します。

ミグランス 屋内交流スペース 外観
ミグランス 屋内交流スペース 外観

 

その場所は、今年の2月にも少しご紹介しましたミグランス1階橿原市役所分庁舎内の屋内交流スペースです。

北玄関から入って、左手の空間です。

時折、イベントを行っていますが、イベント中でもスペースの3分の1は、写真のとおり多人数が座れるいすとテーブルが置かれています。

今の時期は、クーラーがよく効いていて、吹き抜けのゆったりした空間で、木の椅子に座り、比較的静かなので、本当にホッと一息つけますよ。

ミグランス 屋内交流スペース
ミグランス 屋内交流スペース

 

私は、外周りの際にちょっと書類の整理をする時などに寄りますが、待合せしている方、午睡の方、読書をしている方、今の時期には宿題をしている学生など皆さんこの場所を活用されていますよ。

 

時折行われているイベントの展示などを観るのも気分転換になります。

ミグランス 屋内交流スペース
ミグランス 屋内交流スペース

 

それと、無料ではないですが、以外と知られてないのが、ミグランスの上層階にあるホテルのとても眺めのよいお風呂が7月から日や時間が限られますが、宿泊者でなくても利用できるようになったのです。詳しくはホテルのホームページ(https://www.candeohotels.com/nara-kashihara/)をご覧下さい。

とにかく、暑いとき、時にはホッと一息ついて、パワーを充填して乗り切りましょう!

2018年

8月

13日

『知日』明治維新特集のアンケートへの回答(前編) ☆ あさもりのりひこ No.572

国際社会において重きをなしたいと思ったら、指南力のあるメッセージを発信し、あるいは広々としたヴィジョンを提示することより、端的に軍事的に強いことが最優先するのだと日本人は信じた。

 

 

2018年8月11日の内田樹さんの論考「『知日』明治維新特集のアンケートへの回答(前編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

中国で出ている『知日』という日本についての専門誌がある。なかなかよく売れているらしい。

次の号が「明治維新特集」ということで、私のところに次のようなアンケートが来た。

日本近代史の専門家に聞けばいいと思うような質問だけれど、せっかくなので知る限りのことをお答えした。

素人考えなので、専門家から見て「それはあきらかに間違い」という点があれば、ご叱正を請う。

 

.黒船来航は明治維新の始まりと見られています。どうしてアメリカは黒船4隻だけで、鎖国200年以上の日本の国門を簡単に開けたのか?中国人は国門を開くアヘン戦争に対する屈辱と違って、日本人は黒船来航に対する感情は積極的な方が多いと感じられます。それについての記念活動も多い、それはなぜでしょうか?

 

最初にお断りしておきますけれど、私は近代史の専門家ではありませんし、明治維新に特に詳しいわけでもありません。私がこれから答えるのは、あくまで非専門家の個人的な見解であって、学会の常識でも、日本人の多数の意見でもないことをご承知おきください。

 

アメリカの黒船四隻「だけ」と質問にはありますけれど、二隻の蒸気船だけでペリー提督たちは彼我の軍事力と科学技術の圧倒的な差を見せつけました。このとき沿岸防衛に召集された武士たちの中には戦国時代の甲冑や槍で武装したものもいたくらいですから。アヘン戦争の情報はすでに日本に伝わっていましたので、アメリカの開国要求を丸のみする以外に選択肢はないということについては、幕府内では覚悟はできていたと思います。

 

清朝の中国と徳川幕府の日本、いずれも公式には海禁、鎖国政策を採用して、一般の人々が海外の情報に接触することは禁じられていましたけれど、実際にはかなり大量に海外の書物が流入しておりました。ですから、この時点で日本の近代化が致命的に遅れていることについてはすでに指導層と知識層には知られていたはずです。

 

幕閣たちに決断力がなく、無能であることについては幕府内外においてすでに不満が募っておりましたから、ここで将軍や幕閣を押したてて、国民一丸となってアメリカと一戦交えるというような気分は醸成されようがなかったのではないかと思います。

また当時の日本は原則として自給自足している300の国(藩)に分かれており、藩を超えた政治単位としての「国民国家日本」というような概念はまだリアリティーを持っておりませんでした。

 

日本人が黒船来航をそれほど屈辱的に感じなかったように見えるのは、外交が徳川幕府の専管事項であって、それ以外の300諸侯やその家臣団には、さしあたり「自分の問題」だとは思われていなかったということがあったからだと思います。

むしろ、黒船来航で彼我の科学技術の差が可視化されたことを好機として、いくつかの藩では近代化をめざす派閥が勢力を増し、技術開発や兵制の刷新に向かいました。彼らは黒船来航を日本の近代化の契機として肯定的に捉えたはずです。

 

けれども、黒船来航を肯定的にとらえる最大の理由は現代日本人の対米意識だと思います。

日本は「黒船」によって文明開化に向かい、「GHQの日本占領」によって民主化に向かった。アメリカによる二度の「外圧」が日本にもたらしたものは総じて「善きもの」であったというのは、対米従属体制で生きることになった戦後日本人にとっては受け入れざるを得ない「総括」でした。

隣国中国から見て、「どうして砲艦外交を肯定的に評価するのか?」と疑問に思われるのは当然ですけれど、それは現代日本人の「対米意識」が歴史の評価に投影されているからだというのが私の解釈です。

 

.日米和親条約は近代日本の初めての不平等条約と呼ばれています。「片務的最恵国待遇」の内容に「関税自主権」と「領事裁判権」のないのは日本の後の発展を妨げていました。イギリス・フランス・オランダ・ロシアもアメリカと同じ日本と不平等条約を結びました。日本はどのような努力をして、「関税自主権」と「領事裁判権」を取り戻しましたか?

 

不平等条約が締結されたのは、開国時点では、日本が貿易についての国際ルールを理解しておらず、西欧的な意味での法による統治が行われていなかったからです。日本の後進性を徳川幕府自身が認めていたのです。

不平等条約はそれ以後、貿易や外交で日本にさまざまな不利益をもたらしたわけですけれど、具体的な不利益以上に「日本は後進国である」ということを日本人が自らが認めたことがトラウマ的経験となりました。

 

ですから、日本の場合、不平等条約改定の運動は「欧米列強に押し付けられたアンフェアな条約を平等な条約に改定したい」という公平性の要求というよりはむしろ「欧米列強から先進国として認定されたい」という承認願望に駆動されたものでした。

明治政府は中国や朝鮮を相手には、自分たちが欧米に押し付けられたのと同じ不平等条約を押し付けました(日朝修好条規、下関条約)。不平等条約そのものが「アンフェア」であると考えていたら、そのような条約を中国や朝鮮に押し付けるわけがありません。中国朝鮮を相手に締結した不平等条約は、それによって日本の国益を増大するという実利以上に、欧米列強に対して「日本は後進国に対しては不平等条約を強要することができるような近代的帝国主義国家になった」というみずからの「近代性」をアピールするためのものだったと思います。

それゆえ、明治政府による不平等条約の改定のための努力は、相手国を説得するとか、国際世論に訴えるとかいうことではなく、シンプルに「日本を近代的な帝国主義国家にする」という方向に集中されることになりました。

 

日本が不平等条約の改定に成功したのは1902年に日英同盟を締結したことが大きく与っています。同盟を結んだということは、英国から「イーブンパートナーとして承認された」ということですから、これは日本の悲願が達成されたということです。

その日英同盟締結の直接のきっかけは義和団事件(1900年)でした。義和団蜂起に際して、欧米諸国の外交官たちや中国人キリスト教徒が北京に籠城しました。英米独露など八ヵ国軍の事実上の指揮官は英国公使クロード・マクドナルドでしたが、柴五郎中佐が率いた陸戦隊が兵の練度、士気、統制においては八ヵ国軍の中で際立っていました。マクドナルドはこれを高く評価し、柴はこの功績でヴィクトリア女王より勲章を受けました。この事件がきっかけとなって英国はそれまでの「名誉ある孤立」戦略を変更して、東アジアにおける盟邦として日本を選択することになったのです。

 

論理的な説得や忍耐強い外交努力よりも要するに「戦争に強いかどうか」で国際社会はその国を認知する。日本人は義和団事件と日英同盟の歴史的経験からそのような教訓を引き出しました。この「成功体験」によって、日本人は外交に成功しようと思ったら、まず軍事的成功を、と考えるようになりました。国際社会において重きをなしたいと思ったら、指南力のあるメッセージを発信し、あるいは広々としたヴィジョンを提示することより、端的に軍事的に強いことが最優先するのだと日本人は信じた。この信憑はその後の日本外交に暗い影を落とすことになりました。

 

.幕末から明治まで、日本の外交面に大きな変化がありますか?外国に対する態度、外交戦略など。中国、朝鮮、東南アジアとロシアと欧米列強を分けてみますか?

 

上に述べた通り、幕末の日本には「外交戦略」と呼べるようなものはありません。それらしきものができるのは明治以降であり、それは「近代的帝国主義化」という一言に尽くされます。具体的には富国強兵、殖産興業です。欧米列強に伍すことのできる「近代的帝国主義国家」建設にすべての国民的リソースを集中する。この国策に反対するものは国内にはほとんどいませんでした。

 

ただし、近代化には法治主義の徹底、学制の整備、海外の学術や芸術の受け入れといった要素も含まれています。優先順位は軍事・科学技術にははるかに遅れますが、それでも明治の日本人がわずかな期間のうちにあらゆる領域で近代国家らしき外見を整えることに成功したことは事実です。

 

欧米列強に対する外交戦略と、アジア諸国に対する外交戦略は違うかというご質問ですけれど、本質的には違いはないと思います。違うとしたら、欧米列強に対しては「日本はあなたがたと同じ近代的な帝国主義国家である」という「同質性」をアピールし、アジア諸国に対しては「日本はあなたがたとは違う近代的な帝国主義国家である」という「異質性」をアピールしたということでしょう。福沢諭吉の『脱亜論』はその好個の例です。

 

 

2018年

8月

09日

原子爆弾 ☆ あさもりのりひこ No.571

アメリカ合衆国には、広島と長崎への原子爆弾の投下は、太平洋戦争を早期に終結するために必要だった、という見解があるようだ。

アメリカは太平洋戦争を終わらせるためにやむを得ず原子爆弾を使用したのか?

 

まず、日本の立場から歴史を振り返ってみる。

7月26日、米国・英国・中国(後にソ連も)が、ドイツのポツダムで、日本に降伏の機会を与えるために、降伏の条件を約定し、これを宣言した(ポツダム宣言)。

8月6日、広島にウラン濃縮型原子爆弾(リトルボーイ)が落とされた。

8月9日、長崎にプルトニウム型原子爆弾(ファットマン)が落とされた。

8月10日、日本政府は、連合国に対して、ポツダム宣言を受諾することを申し入れた。

8月11日、連合国は、「降伏のときから、日本の天皇および政府の統治権は、降伏条件を実施するために必要と認める措置をとる連合国最高司令官に従うべき」ことと「日本の最終の政治形体は、ポツダム宣言のいうところに従い、日本国民の自由に表明される意志によって定められるべき」ことを言明した。

8月14日、日本政府は、終局的にポツダム宣言の条項を受諾することを連合国に申し入れた。

天皇は、ポツダム宣言の条項を受諾することを国民に告げる詔書を発した。

8月15日、天皇が14日付けの証書を読んだ録音がラジオで放送された。

9月2日、横浜港の軍艦ミズーリにおいて、日本の代表は、降伏文書に署名した。

1945年9月2日、太平洋戦争は、日本の無条件降伏をもって終わった。

 

このようにみると、原子爆弾の使用が太平洋戦争終結の一つのきっかけになったようにも見える。

 

つぎに、アメリカが大気圏で原爆および水爆を使用・実験した歴史を振り返ってみる(ウィキペディアから抜粋)。

【】内の数字は爆発回数である。

 

1945年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴルド【1】

1945年8月6日、広島【1】

1945年8月9日、長崎【1】

1946年7月1日 マーシャル群島【1】

7月25日 マーシャル群島【1】

1948年 マーシャル群島【3】

1951年 ネバダ【5】

 マーシャル群島【4】

 ネバダ【7】

1952年 ネバダ【7】

マーシャル群島【2】

1953年 ネバダ【11】

1954年 マーシャル群島【6】

1955年 ネバダ【14】

      東太平洋【1】

      ネバダ【4】

1956年 マーシャル群島【17】

1957年 ネバダ【29】

1957~8年 ネバダ【5】

1958年 マーシャル群島【35】

      南大西洋【3】

ネバダ【37】

1961~2年 ネバダほか【32】

1962~3年 中部太平洋【36】

        ネバダ【48】

        ネバダ【4】

これ以降は地下核実験になる。

 

1945年7月16日、米国は、ニューメキシコ州アラモゴルドで人類初の原子爆弾(トリニティ)の実験(爆発)に成功した後、毎年のように、原子爆弾または水素爆弾を爆発させている。

2発目は広島、3発目は長崎、4発目はマーシャル群島で、長崎から11か月も経っていない。

1945年と1946年は1回に1発の爆発であるが、爆発に成功してノウハウを取得し、核爆弾の製造が軌道に乗ると、凄まじい数の核爆発をくり返してきたことがわかる。

 

アメリカが原爆および水爆を使用・実験した歴史を振り返ってみると、アメリカは「太平洋戦争を終わらせるためにやむを得ず原子爆弾を使用した」のではないことがわかる。

核開発に成功した当初から世界を支配するために核実験は当然予定されていたのであり、アメリカは「太平洋戦争が終わってしまう前に生身の人間に対して原子爆弾を使用して実験した」のである。

 

現在、世界に存在する核兵器は9445発(2017年)。

 

そのうち、アメリカが4000発、ロシアが4300発を保有している。

2018年

8月

08日

揺らぐ戦後国際秩序 ☆ あさもりのりひこ No.570

船が難破して操縦不能になったり、戦線が崩壊して指揮系統が機能しなくなったときに、船長や指揮官は「Sauve qui peut(ソーヴ・キ・プ)」という宣言をなす。

Sauve qui peut は「生き延びられる者は生き延びよ」という意味である。

「もう指揮官があなたたちにどうすべきかを命じることができない局面になった。あとは自分の才覚で生き延びてくれ」という「最後の命令」のことである。

 

 

2018年81日の内田樹さんの論考「揺らぐ戦後国際秩序」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

今朝の毎日新聞の「論点」は「揺らぐ戦後国際秩序」というタイトルで、海外の二人の論者によるドナルド・トランプの保護貿易主義批判の論を掲載していた。

ひとりは国際政治学者のフランシス・フクヤマ、一人はWTO(世界貿易機関)前事務局長のパスカル・ラミー。

ふたりともトランプが戦後国際秩序の紊乱者であるという評価では一致している。

「米国は過去50年にわたって、自由主義に基づく国際秩序を作り出し、それを支えてきた。今、それをおびやかしている最大の脅威はトランプ米大統領だ。」(フクヤマ)

「トランプ米大統領が仕掛ける今回のような『貿易戦争』は前例がない。(...)トランプ氏はシステムを揺さぶることで事態を変えられると思い、『良い結果を得るには交渉のテーブルは2人(2国)でなければならない』と考えている。保護主義で相手を脅し、その撤回を求めてワシントンに来る人たちからどんな見返りを手にできるかを計算する。中世に見られた残酷な手法であり、成功しないだろう。」(ラミー)

とどちらも手厳しい。

フクシマははっきりと「国際経済がどのように働くかを理解していないトランプ氏が仕掛けている貿易戦争の行方を予想するのは難しい」とした上で、アメリカの国益を守るためには何があってもトランプの再選を阻止しなければならないとしている。

再選されなければ国際社会へのダメージは限られる。だが、もしトランプ政権が2期8年続いたら、米国は指導者の座から降り、国際政治の形が変わってしまう。」とまで述べている。

ラミーもフクシマもトランプがこのまま貿易戦争戦略を続けるつもりであるなら、アメリカ以外の国々は「アメリカ抜き」の国際秩序を構想しなければならないという結論では一致していた。

「国際社会にとって重要なのは、各国が協力してリベラルな国際秩序を守ることだ。米国の関税攻勢を前に日欧は連帯して対応する必要がある。日本の役目は米国抜きでも環太平洋パートナーシップを維持することだ。米国以外の各国が協力し、多国間の制度や機関を支えることが重要だ。」(フクシマ)

「もし米国がWTOを破壊したいというのなら、我々は米国抜きの新しい世界貿易のシステムの構築を考えなければならない。」(ラミー)

ふつう「論点」は両論併記的な構成なのだけれど、今回は珍しく「トランプの貿易政策はアメリカの没落を加速させる」「アメリカ人は任期終了までトランプの暴走を止めることはできない」「日欧はアメリカ抜きの国際秩序を構築して、アメリカがもたらす災厄を最小化するように努力した方がいい」という点で二人の論者が一致していた。

「アメリカがもたらす災厄を最小化するように努力した方がいい」ということをアメリカ人の政治学者が(他ならぬ『歴史の終り』で洛陽の紙価を高めた、かのフランシス・フクヤマ先生が)言い始めたということは尋常のことではない。

船が難破して操縦不能になったり、戦線が崩壊して指揮系統が機能しなくなったときに、船長や指揮官は「Sauve qui peut(ソーヴ・キ・プ)」という宣言をなす。

Sauve qui peut は「生き延びられる者は生き延びよ」という意味である。

「もう指揮官があなたたちにどうすべきかを命じることができない局面になった。あとは自分の才覚で生き延びてくれ」という「最後の命令」のことである。

フクヤマとラミーの言葉は「Sauve qui peut」にかなり近いと私は解する。

アメリカは戦後国際秩序にありかたについてもう指導力のあるメッセージを発することができなくなった。

だから、あとは各国は自分の才覚で生き延びるしかない。

「アメリカの指導力をもう当てにするな」どころではなくて、「これからはアメリカが何か言ってきても相手にするな。」そう言っているのである。

 

しかし、この重大なメッセージを安倍政権はきっぱり無視するだろうと私は思う。ノーコメントで押し通すはずである。

日本はこれからも引き続きトランプの貿易政策には、日本の国益に致命的な被害を与える政策についてさえ正面切った反対は自制するだろう。

そして、できるだけ低姿勢でトランプのご機嫌をとって、彼の大好きな「ディール」でいいようにあしらわれて、アメリカの兵器産業や水ビジネスや原発ビジネスに国民から集めた税金を流し続けるだろう。

そうしている限り、安倍政権の属国日本の「代官」の地位はトランプが保全してくれるからだ。

日本の国民資源をアメリカの富裕層の個人資産に付け替えることにこれだけ熱心な政権をトランプが切るはずがない。

それがわかっているから、政府はフクヤマはラミーの忠告には一切耳を傾けない。

「アメリカ抜きで・・・」というようなことを政権中枢の誰かが一言でも口走った瞬間に政権は終わる。

おそらく旬日を見ずに終わるだろう。

別にアメリカが「首相を替えろ」というような内政干渉をするわけではない。安倍の「跡目」を狙う自民党政治家たちとアメリカに恩を売りたい官僚たちやメディアが一斉に襲い掛かって、引きずりおろすということである。

アメリカに対してどれほど従属的であるかが日本ではドメスティックな格付けのほぼ唯一の査定基準である。

そのことを安倍首相は誰よりも知っている。

だから、トランプへの「忠誠競争」で他の自民党政治家の後塵を拝することがあってはならないと常日頃自戒しているはずである。

だが、トランプに追随してゆけばいずれ日米は共倒れになる

それくらいのことは官邸だってわかっているはずだ。

トランプが「こける」前にアメリカの「次の大統領」に繋がりをつけることができれば、あるいは生き延びられるかも知れない。

でも、そんな長期構想に基づいてアメリカ国内に親日派の「アセッツ」を扶植し育成しているような有能な政治家は日本にはいない。少なくとも官邸まわりには一人もいない。

「ポスト・トランプ」政権がトランプに追随した日本をどう遇することになるか、誰も予測できない。

冷遇されるリスクは高い。

それなら、どれほど強欲であろうと、トランプ再選に賭けた方がましだ。

共倒れにならないためにはトランプに勝って欲しい。

たぶん官邸はそういう考えだろうと思う。

トランプ再選を支援するためには、トランプが「貿易戦争で勝利している」という印象をアメリカの有権者に刷り込むのが効果的である。

「トランプは経済大国日本を好き放題食い物にして、アメリカ国民に膨大な利益をもたらしている」というニュースはトランプ再選にきわめて有利に働くだろう。

だから、安倍政権は「アメリカが日本に貿易戦争で圧勝している」というシナリオをアメリカ向けには用意し、国内的には「日本は貿易戦争でアメリカに果敢な抵抗をしている」というシナリオを宣布するという「二正面作戦」を強いられている。

はたして、この困難なマヌーヴァーに安倍政権は成功するだろうか。

私は懐疑的である。

いずれこんなトリックは破綻するだろう。

その時に日本はどうなっているのか。

 

あまり想像したくないことだが、その時点でなお国際社会において占めるべき名誉ある地位が日本に残されていると考えるのは楽観的に過ぎるであろう。

2018年

8月

07日

西瓜の食べ方@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

毎日うだるような暑さで、最近夏バテ気味ですが、

皆さんは大丈夫ですか。

 

さて、今我が家には、大小さまざまな西瓜が5個ほどあります。

買ってきたものや頂き物が重なり、大きいものはバスケットボールほどの大きさで、冷蔵庫に入りきりません(^_^;)

 

暑くて食欲がない時でも西瓜なら食べやすく、うちの祖母も好物なのですが、

我が家で食べきるにはちょっと量も多いので、ご近所にお裾分けもしましたが、

まだまだ残っています。

 

傷ませるのはもったいないので、西瓜の食べ方などをインターネットで検索してみると、

同じような悩みをお持ちの方もいるようで、西瓜のアレンジレシピなどが色々出てきます。

 

ベーシックに食べるだけでも、塩以外のふりかけアレンジとして、

・砂糖

・レモン

・はちみつ

・シナモン

・すりごま

なんてものもあります。

 

私も、家で砂糖やレモン、はちみつは試してみたのですが・・・

甘い西瓜にはあわない気がするので、甘くない西瓜の時に試してみるといいかもしれません。

(ちなみに、すりごまは、食べた人曰く和菓子のような味らしいですが、試す勇気はありません(^_^;))

 

このほか載っていたお勧めレシピをいくつか紹介すると、

 

西瓜とライムと氷をミキサーにかけて、スムージーにしてみたり。

(ミントの葉をのせてみたらちょっとお洒落に)

 

西瓜をそのまま凍らせてシャーベットで食べてみたり。

 

大人アレンジだと、カットした西瓜を一日ブランデーに漬けておいて、フルーツブランデーとして楽しんでみたり。

 

さらに、ごはん系だと、西瓜にトマト、チーズ、ルッコラを使ったサラダや、

大葉と西瓜の冷製パスタ、などなど。

夏バテ気味の私もちょっと食欲復活の兆しが・・・(笑)

 

今日は暦の上では「立秋」。

立秋は、秋の始まりという意味ですが、現実にはまだまだ暑い日が続きそうですので、

体調にはお気を付けください。