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2021年

7月

26日

内田樹さんの「肩書について」 ☆ あさもりのりひこ No.1031

武道では「座を見る 機を見る」ことを重んじる。いるべきとき、いるべきところを見誤らないということである。

 

 

2021年7月23日の内田樹さんの論考「肩書について」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

中日新聞に今月からコラムを連載することになった。これが第一回。

 

 連載の第一回目なので、自己紹介から始めたい。

 いろいろな媒体で「肩書はどうしましょう?」と訊かれる。正直言って、私に訊かれても困る。私の名刺には「凱風館館長」と印字してある。凱風館というのは私が神戸で開いている道場・学塾の名前である。そこで合気道を教え、併せて「寺子屋ゼミ」というものを開講して塾生と共同研究をしている。それが主務である。「神戸女学院大学名誉教授」というのもよく使われるが、別にそういう仕事があるわけではない。物書きで生計を立ててもいるから「著述業」とか「エッセイスト」としてもよいのだが、落ち着きが悪い。「思想家」という肩書をつけられることもあるが、思想で飯を食うという姿がどうしてもうまく想像できない。

 前に佐々木幹郎さんとお会いして名刺を頂いたら「詩人」とあった。間然するところがない肩書である。「これ、最強の肩書ですね」とつい羨ましくなってしまった。

 友人の能楽師の安田登さんが最近『三流のすすめ』という本を出した。安田さんによると、三流というのは「多能の人」「いろいろなことをする人」だそうである。特徴は「飽きっぽくて、一つことをやり続ける堪え性がない」こと。

「三流をめざすと、何もものになりませんし、ほとんどのことは役に立ちません」と安田さんは書くけれど、ご本人はそういう生き方を貫いて、とても楽しい人生だったからそれでいいと言い切る。

 そう言えば、私も飽きっぽい子どもだった。あだ名は「退屈たっちゃん」だった。二言目には「退屈だ」と嘆くからである。「わくわくすること」に異常にこだわりがあって、「あまり面白くないけれど惰性で何かをする」ということがどうしてもできない子どもだった。この傾向は長じても治らず、あれこれの仕事に手を出したけれど、ついにいかなる分野においても「一流」にはなれなかった。

 それでも、「これだけは人に負けない才能」が一つだけある。それは「嫌なことに我慢できない才能」である。それを才能と呼んでいいかどうかわからないが。

「嫌なこと」がはるか遠くに望見されるだけで肌に粟を生じ、どうやってそれを避けるかの算段で頭がいっぱいになる。ふつうの人は「嫌なこと」を受け止め、向き合い、戦うが、私は「嫌なこと」にまったく耐性がないので、我慢し耐え忍ぶことができない。もちろん、くんずほぐれつ戦うなんてもってのほかである。そんなことをしたら命が縮むばかりだ。

 だから、どうすれば「嫌なこと」に遭遇しないで済むか、そればかり考えて生きてきた。武道家として何とか生計を立てられるのも、おそらくはこの才能のおかげである。武道では「座を見る 機を見る」ことを重んじる。いるべきとき、いるべきところを見誤らないということである。

「機を見ざればあるまじき座に永く居て、故なきとがをかふゝり、人の機を見ずしてものを云ひ、口論をしいだして、身を果す事、皆機を見ると見ざるにかゝれり」と柳生宗矩の『兵法家伝書』にはある。

 いなくてもいいところにいて、言わなくてもいいことを言って失命したやつが多い。それを避けるのが武人の第一の気づかいであるというが宗矩の教えである。

 

 私のように圭角のある人間がなんとか古希まで生き延びてこられたのは「嫌なこと」を避けるべく必死で「機を見て」きたおかげかも知れない。違うかも知れない。

2021年

7月

22日

奈良マラソン2021への道 その10 ☆ あさもりのりひこ No.1030

7月9日(金)雨で休足。

 

7月10日(土)早朝、ウインドスプリント10本。

ジョギングを23分47秒、3.4㎞。

ウインドスプリント200mを10本。

4分51秒、4分24秒、4分39秒、4分26秒、4分32秒、4分18秒、4分35秒、4分21秒、4分15秒、4分17秒。

 

7月11日(日)、休足。

前夜、寝ているときに、左の脹ら脛が攣った。

 

7月12日(月)、休足。

 

7月13日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走。

傾斜2%、30分、4.2㎞。

時速8㎞、8.4㎞、8.8㎞、9.2㎞で各1㎞走り、最後は時速9.6㎞で260m走った。

左の脹ら脛は大丈夫。

 

7月14日(水)早朝、坂道ダッシュ3本、55分26秒、7.6㎞。

坂道ダッシュは、2分36秒、2分31秒、2分24秒。

ペースは、6分31秒/㎞、6分20秒/㎞、6分15秒/㎞。

 

7月15日(木)早朝、階段1138段駆け上がり、52分54秒、6㎞。

この季節になると、草茫々で走りにくい道もある。

草を刈ってある道は走りやすい。

 

7月16日(金)、雨で休足。

 

7月17日(土)早朝、全力疾走、ジョギング、全力疾走、39分56秒、6.5㎞。

最初の2㎞は5分14秒と5分33秒、最後の2㎞は5分17秒、5分18秒。

 

7月18日(日)午前、飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社の階段552段を上る行程。

1時間54分03秒、14.8㎞。

朝メシを喰って、午前8時から走り始めたが、暑かった。

日曜日や祝日も朝メシ前に午前6時から走ることにする。

 

7月19日(月)早朝、ビルドアップ走、42分31秒、6.5㎞。

7分04秒、6分46秒、6分47秒、6分41秒、6分25秒、6分05秒、5分21秒。

2㎞から4㎞まで速度が上がらなかった。

昨日の疲れが残っていたのか、ワースト記録である。

 

7月20日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走。

傾斜2%、30分、4.4㎞。

時速8.4㎞、8.8㎞、9.2㎞、9.6㎞で各1㎞走り、最後は時速10㎞で走った。

 

7月21日(水)早朝、インターバル走、38分11秒、6.5㎞。

5分12秒、5分22秒、5分43秒、5分36秒、5分17秒。

 

7月22日(木・祝)早朝、ペース走と階段598段、47分45秒、6.8㎞。

1㎞のペースは、6分55秒、6分53秒、6分16秒、10分22秒(階段)、6分03秒、5分53秒、6分04秒。

 

日中は猛烈に暑いが、明け方は涼しいので、午前6時頃は走りやすい。

2021年

7月

20日

暑さをしのぐ提案

本日は事務局が担当です。

今週は、梅雨明けと思ったら、いきなりの猛暑となりましたね。

晴れ渡った青空の下、近鉄八木駅前のハイビスカスは、活き活きと咲き誇っています。

その花を観ると、暑さに負けない元気をもらえる様に思えますよ!

近鉄八木駅前のハイビスカス
近鉄八木駅前のハイビスカス

暑いから、『暑い!暑い!』と言っているだけでは、どうにもならないので、我が家の暑さをしのぐ幾つかの試行をご紹介します。

人間にはご存じのとおり五感(触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚)がありますので、そのそれぞれの感覚において、『涼しさ』を感じる様にと試行しています。

1つめは、基本的な事ですが、肌で感じるように『風を通す』ことです。

自宅に居る時には、離れた2箇所以上の窓を開けて、必ず空気が流れるようにしています。風が無いときには少し扇風機を使って。

出かける際には、陽の当たる窓のカーテンは閉めて出かけ、帰宅したら窓とともに開けています。

2つめは、目で空気の流れがわかるように、薄手のカーテンがなびくようにしたり、涼しげな水槽に照明を付けメダカを飼って、先日は、トキワシノブの苔玉を吊し、目で楽しんでいます。

3つめは、風があることが耳で感じる様に、風鈴を風のとおるベランダに吊して、軽やかな音を聞いて楽しんでいます。

4つめは、ペパーミントの鉢植えを風の通り道に置いています。

かすかですが、爽やかな香りが鼻に入ってきます。

5つめは、少し大きめの透き通ったグラスに氷を少なめに入れ、濃縮ジュース等と炭酸水を注ぎ、『シュワッー!』『カラン~!』との音を聞きながら飲むことで、涼しさをいっぱい感じます。

取りあえず以上ですが、一つでも参考になりましたでしょうか?

とにかく、何かを試みて、『涼』を得て下さい!

2021年

7月

15日

ランニングのペースについて ☆ あさもりのりひこ No.1029

 安藤大(ひろし)さんの指導を初めて受けたとき、朝守の各種情報(1500mのタイム、12分間走の距離など)を提供して、朝守に適したペースを教えてもらった。

 なお、以下の分秒は1㎞あたりの時間である。

 

【ジョギング】

 走りながら話ができるくらいのゆっくりしたペース。

 朝守のジョギングペースは6分50秒から7分20秒。

 ゆっくりしたペースで正しい姿勢を保つのは意外と難しい。

 それに、接地時間が長いと脚に負担がかかり、かえって疲れやすくなる。

 

【ペース走】

 ベストの状態でフルマラソンを走りきれるペース。

 朝守のマラソンペースは6分15秒。

 このペースを最初から最後まで維持すると、4時間22分でゴールする。

 体調、天候、気温、コースなどが最適の状態でのペースが6分15秒なので、最近はペース走をするときは6分30秒で走っている。

 

【インターバル走】

 1㎞を全力疾走して、200mジョギングするのを繰り返す。

 朝守の全力疾走のペースは5分20秒。

 調子がいいときで5分05秒くらい。

 5分を切りたいな。

 全力疾走を2㎞、ジョギングを2㎞、全力疾走を2㎞というメニューもある。

 5分20秒のペースで2㎞はしんどい(とくに最初の2㎞が)。

 

【ウインドスプリント】

 ジョギングした後、200mダッシュを10本やる。

 200mを思いっ切り走って、調子のいいときで4分00秒くらいである。

 4分を切りたいな。

 

 以上が、朝守が日々練習するときの様々なランニングペースである。

 以下は、トップレベルのランナーがいかに速いか、という話。

 

【24時間走】

24時間走の世界記録は、1997年にギリシャのヤニス・クーロスが記録した303.506㎞である。

クーロスの平均ペースは4分44秒。

 朝守は1㎞だけでも4分44秒で走ることができない。

 クーロスは4分44秒のペースで300㎞以上を24時間走り続けたのだ。

 すごい!

 

【フルマラソン】

 男子フルマラソンの世界記録は、2018年にケニアのエウリド・キプチョゲが記録した2時間01分39秒である。

 キプチョゲの平均ペースは2分52秒。

 朝守は200mだけを全力で走っても4分を切ることができない。

 キプチョゲは、3分を切るペースで42㎞走り続けることができる。

 想像を絶する速さである。

 

女子フルマラソンの世界記録は、2019年にケニアのブリジット・コスゲイが記録した2時間14分04秒である。

 コスゲイの平均ペースは3分10秒。

 

 はや!

2021年

7月

13日

ヘッドスパ

みなさん こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

2,3日前から急にセミが鳴き出したように思います。

梅雨がいつになく長いので気がつきませんでしたが、そういえば7月。

夏ですね~。

そういえばそろそろ子どもの期末試験の結果もかえってくるころ・・・。

夏休み前恒例の三者面談も控えています。

           

                  ・・・夏ですね~・・・。

 

最近私がはまっていること。

それはセルフヘッドスパ。(← セルフ笑)

 

テレビで、「頭をマッサージするだけでほうれい線に効く!!」というのをやっていて、

1週間実践したタレントさんが、

リフトアップ効果でびっくりするくらい小顔になっていたので

 

これは!!と思い、まねっこした次第ですが。

小顔はさておき(← え)、

頭痛がして、鍼をするのも激痛なくらい張って仕方がないくらいひどかった首筋のコリが、

以前を100としたら20くらいまで楽になったのです(゚д゚)

 

始めはテレビでやっていた通りマッサージしていたのですが

手をグーにして、こめかみを左回しで10回、

首筋から頭頂に向けてゴリゴリする×3回とか

 

段々めんどうになり(← え)

とにかく血流あげればいいんでしょ~とシャンプーする際に指の腹で力を入れて押したり、

グーでゴリゴリしたり、手のひらで押したり

とにかく地肌を丁寧にマッサージするというテキトー自己流ですが、ホントいい感じです😀

 

橿原市 弁護士
ぼくしゃんぷーキライねんときときもキライねん

それに嬉しい効果もあり、

春先頃、シャンプーを替えてもトリートメントを替えても

なんとなくガサガサしていた髪が、

自己流ヘッドスパを始めてから、

髪の指通りがなめらかになったのです♪

 

嬉しくなって、美容院でセルフヘッドスパの話をしたら、

やはり因果関係はあるようで、

 

血流が悪くなる→頭皮に栄養がいかない→健康な毛が生えてこない

 

ヘッドマッサージをする→血流改善→頭皮もお肌もいい感じ→肩こり改善・体もリラックス

 

といいことずくめ。

さらに、シャンプー時にしっかりマッサージすることで

毛穴につまった皮脂や整髪剤などの汚れもきちんと落ちます。

 

美容院では「よかったらヘッドスパいかがですか?」と勧められ、

そんな予定なかったのですが施術して頂き、

プロの技を盗んで家でやってみよう~と思ったのに、すっかり夢の中でした♪😬

2021年

7月

08日

奈良マラソン2021への道 その9 ☆ あさもりのりひこ No.1028

6月25日(金)、日曜日のために休足。

 

6月26日(土)、日曜日のために休足。

 

6月27日(日)午前、大和中央自転車道をロング走、5時間46分01秒、40.2㎞、トイレ休憩4回。

小雨が降る中をバーサライト(モンベル)を着て走り始める。

8㎞前、2回目のトイレ休憩のときにバーサライトを脱いで腰に巻く。

その後も、小雨が降ることもあったが、バーサライトを着ることはなかった。

11㎞を過ぎてペースが1㎞7分台に落ちる。

18㎞を過ぎるとペースが1㎞8分台に落ちる。

ファミリー公園で折り返す。

20㎞で折り返した後は1㎞9分台まで落ちてしまった。

その後、持ち直したが、歩いたり、走ったり、という展開。

暑くなるので、しばらくロング走はやらない。

つぎにロング走をやるときは、1㎞6分20~30秒で走ってみよう。

 

6月28日(月)、休足。

5時間46分も走ると、太腿の前部が張っている。

しゃがんだり、階段を上ったりすると、張りを感じる。

 

6月29日(火)休足。

太腿の張りはだいぶマシである。

 

6月30日(水)夜、トレッドミルでペース走、傾斜2%、30分、4.2㎞。

時速8㎞、8.4㎞、8.8㎞、9.2㎞で各1㎞走り、時速9.6キロで200m走った。

日曜日の疲れは取れたようだ。

 

7月1日(木)、雨、休足

 

7月2日(金)、雨、休足

 

7月3日(土)、雨、休足

 

7月4日(日)午前、ジョギング、1時間20分53秒、11.3㎞。

10㎞を過ぎて、暑さと湿度でバテてしまった。

 

7月5日(月)早朝、インターバル走、43分33秒、6.5㎞。

今までで一番遅かった。

5分15秒、5分33秒、6分52秒、6分26秒、6分21秒。

5分20秒が目安なので、3本目以降は全く走れなかった。

40㎞走の疲れが残っているのかな。

 

7月6日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走、傾斜2%、30分、4.2㎞。

時速8㎞、8.4㎞、8.8㎞、9.2㎞で各1㎞ずつ走り、最後の270mは時速9.6㎞。

 

7月7日(水)早朝、甘樫丘階段598段、51分47秒、6.9㎞。

 

7月8日(木)雨で休足。

2021年

7月

06日

近鉄八木駅内でコロナウイルス検査キットが買えます@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

我が家では,祖母はコロナワクチン接種2回目を無事終え,

母も今週2回目の接種を予定しています。

 

そして,先週,ようやく私の手元にもワクチン接種券が届き,

かかりつけ病院に確認してなんとか7月中の予約が取れたのですが・・・。

 

7月以降はワクチン供給量が少なくなるため,2回目の接種の人を優先するべく,

7月12日以降に1回目の接種を受ける人はすでに予約していても延期となる

報道が出ました・・・。

 

 

えっ・・・やっと予約取れたのに・・・打てないの?!😱

 

 

一方では,ワクチン〇〇〇〇回分廃棄したというニュースをよく耳にしますし,

なんだかやるせない気持ちで一杯です・・・。

 

 

とりあえず,引き続き感染対策を頑張るしかないのですが,

最近,近鉄大和八木駅構内に,新型コロナウイルスの唾液採取用検査キット

自動販売機が設置されたのをご存じですか。

 

近鉄大和八木駅6番線にある「TORUFULL(トルフル)」店内に入り階段を下りた先に・・・
近鉄大和八木駅6番線にある「TORUFULL(トルフル)」店内に入り階段を下りた先に・・・

唾液採取用の検査キットの自動販売機があります。

 

検査キットは3500円(税込)で,唾液採取後に検査キットを郵送すると,

最短で3時間,遅くとも24時間以内に検査の状況をメールで知らせてくれるようです。

 

混雑した病院に行かずとも自宅で検査してもらえるのは便利ですし安心ですよね。

 

蒸し暑い日が続き体調を崩しやすい時期ですので,皆様どうぞお気を付けください(^_^;)

 

2021年

7月

01日

6月の放射線量、体組成、ランニング ☆ あさもりのりひこ No.1027

6月の放射線量、体組成、ランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

2021年6月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.043μ㏜/h

室内0メートル 0.044μ㏜/h

室外1メートル 0.058μ㏜/h

室外0メートル 0.072μ㏜/h

室外がやや高め。

 

つぎに、朝守の身体について。

6月26日の数値はつぎのとおり。

体重 70.9㎏

BMI 22.

体脂肪率 16.1%

筋肉量 56.4㎏

推定骨量 3.1㎏

内臓脂肪 11.

基礎代謝量 1624/

体内年齢 46才

体水分率 58.3%

 あまりいい数値ではないが、まあ、こんなもんでしょ。

 

最後に、6月のランニングの結果。

走行時間 21時間46分41秒

走行距離 181.1㎞

 

奈良マラソンが2021年12月12日に開催される。

まず、8月16日にエントリーに成功することが第1関門。

つぎに、奈良マラソン2021が中止されないことを祈るばかりだ。

 

奈良マラソン2021まで5か月半。

2021年

6月

29日

カサブランカの癒やし

本日6月29日は事務局が担当です。

今日は、梅雨の間ですが、強い陽ざしがあり、気温も湿度も高い日です。

コロナ禍で緊急事態宣言は、沖縄以外は解除されましたが、まだまだ油断できない状況で、皆さんはコロナバテしていませんでしょうか?

 

夏の暑さ、梅雨の蒸し暑さ、これは季節のものとして受け入れても、1年余り続くコロナ禍には、バテ気味になるかもしれませんよね。

この様な時に、例年依頼者の方からいただくカサブランカが、今事務所の受付カウンターで見事に咲き、香りが事務所内に満ちあふれ、バテ気味の気持ちをまぎらしてくれるというか、忘れさせてくれています。

また今年は、赤のカサブランカが多く、優しさをも与えてくれるように思います。

頂いた時には、堅いつぼみだった白いカサブランカも今朝一輪まず咲きました。

白のカサブランカは、凜としていて、赤とは違う励ましを与えてくれるように思います。

今日も、汗をかいて外から戻ってきた時に、涼しい部屋に入ってホッとすると同時にカサブランカの香りと花が、優しさと励ましを与えてくれ、気持ちを切り替えさせてくれました。

冷房や扇風機等で涼をえるのも効果的でしょうが、カサブランカの花の香りや開花の喜びの様にエネルギー消費が無く、暑さをしのぐ方法も有りかなと思います。

コロナ禍で、ステイホームが多くなり、自宅に花を飾る人が増えたと聞きますが、花を飾り、植物を置くことにより、癒しを得られます。我が家では、ありきたりですが、玄関前の窓際にメダカの水槽と観葉植物を備えて、泳ぐ姿や元気な緑の葉が癒しを与えてくれています。 是非皆さんも、暑さをバテ気味の気持ちを、切り替えさせてくれるものを見つけて、コロナ禍を乗り越えましょう!

2021年

6月

24日

奈良マラソン2021への道 その8 ☆ あさもりのりひこ No.1026

6月11日(金)、日曜日のために休足。

 

6月12日(土)、日曜日のために休足。

 

6月13日(日)午前、ジョギング、鷹鞭橋~栢森、3時間33分06秒、28.6㎞。

雨の予報なので、モンベルのバーサライトを持って行く。

雨が降り出して、5㎞あたりでバーサライトを着る。

雨の中を走り続ける。

雨だが、気温が上がらないので、体力は消耗しないで走れる感じだった。

21㎞を超えてから速度が落ちた。

23㎞あたりで雨が上がったので、バーサライトを脱いで走る。

最後の3㎞は少し持ち直して走り終えた。

前回より約26分遅いタイムだった。

後半の失速が響いたな。

 

6月14日(月)、休足。

左右の太腿の前部(膝の上あたり)が少し張っている。

 

6月15日(火)夜、トレッドミルでペース走、傾斜2%、30分、4.5㎞。

1㎞6分30秒のペース(時速9.2キロ)。

 

6月16日(水)早朝、雨模様だったので、自宅近くの周回コースを33分49秒、5.1㎞走る。

平均ペースは6分33秒/㎞。

 

6月17日(木)早朝、坂道ダッシュ3本、51分21秒、7.6㎞。

2分25秒(6分10秒/㎞)、2分24秒(6分01秒/㎞)、2分19秒(5分56秒/㎞)。

 

6月18日(金)早朝、階段1138段駆け上がり、49分06秒、5.9㎞。

6月の月間走行距離が100㎞を超えた。

 

6月19日(土)、雨で休足

 

6月20日(日)午前、ペース走、1時間44分35秒、14.8㎞、飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社(あすかのかわかみにますうすたきひめのみことじんじゃ)の階段552段を上る。

 

6月21日(月)早朝、全力疾走、ジョギング、全力疾走、40分08秒、6.5㎞。

最初の2㎞は、5分10秒、5分28秒、最後の2㎞は、5分20秒、5分28秒。

 

6月22日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走、傾斜2%、30分、4.7㎞。

時速8.8~10.4㎞で1㎞ずつ走った。

 

6月23日(水)早朝、ビルドアップ走、41分11秒、6.5㎞。

6分45秒、6分41秒、6分41秒、6分30秒、5分58秒、5分42秒、5分19秒。

 

奈良マラソン2021が12月12日(日)に開催されると発表された。

種目はフルマラソンのみ。

出場人数は8000人(奈良県民枠2000人、一般枠6000人)。

これまでの半分の規模である。

8月16日(月)に奈良県民枠のエントリーがある。

一般枠のエントリーは8月18日(水)。

 

6月24日(木)、日曜日のために休足

 

 

2021年

6月

23日

内田樹さんの「Mからの手紙」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1025

長い人生を過ごしてきた後に、ほんとうに長い歳月の後に、四十年も経ってから、僕は夢の中で君を再び見出して驚愕のうちに目覚めた。

 

 

2021年6月15日の内田樹さんの論考「Mからの手紙」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 ケイコへの手紙

 夢でなかったら・・・

 という言葉で目が覚めた。それが夢でなければよいと思う驚くべき夢からいきなり目覚めた。夢の中で僕は夢を見ていた。シェークスピアの悲劇における「物語の中の物語」のように。物語の中の物語、人生の中の人生。今も僕は夢のうちにいるのか、あるいは夢の終わりにいるのか。

 長い人生を過ごしてきた後に、ほんとうに長い歳月の後に、四十年も経ってから、僕は夢の中で君を再び見出して驚愕のうちに目覚めた。「これが夢でなければいいのに」と僕ははっきりした声でつぶやき、その自分の声で夢から醒めた。

 ケイコ、僕は君を愛していた。生涯愛し続けていた。そして、そのことに気づかなかった。というより、そのことに気づきたくなかった。認めたくなかったのだ。僕は僕の人生を生きたかったからだ。自分の冒険を生きたかった。自分の波乱を生きたかった。自分の束の間の幸福を生きたかった。自分の終わりのない苦痛を生きたかった。僕はあまりにも若かった。僕たちはあまりにも若かった。僕は自分の不安を忘れたかったのだ。何をしていようと、何を企てようと、いつもその不安がつきまとっていた。その不安のせいで、僕たちは生きるべき人生を、生きることができた人生を生きることができなかったのだと思う。「もしも」今とは違う人生を選んでいたら・・・。人生についてのこの「もしも」が僕たちをこの歳月の間、僕たちを存在させ、存続させてきた。「もしも」そうすることができていたら、「もしも」そうすべきであったとしたら・・・

 僕は君と人生を共にすることもできた。僕があの時に走っていた列車から飛び降りるようなことをしなければ、僕は今とは別の道を歩むことになっただろう。けれどもご存じのように、僕は逃げ出した。自分の運命を逃げ出して、別の運命を選んだ。そして、今、夢から醒めて、驚嘆すべきであると同時に恐ろしい夢から醒めて、僕は自分に向かって、君に向かってこう言う。「ケイコ、僕は君と生きることができなかった。だから、今の僕が願うのは、君と共に死ぬことだ。」

 君と共に死ぬこと。ひどく哀しい言葉だし、ひどくドラマティックな言葉だ。ふつう人はそんなことは口にしない。ふつうは「愛する人よ、君と共に生きたい」と言う。そして、ぼくはたしかにそう言うこともできたのだ。そう言い切ることもできたのだ。あの日に、夢から醒めたあの朝には。

 その夢の中で僕は君と再び出会った。原宿のカフェでソファーに座っていた若い日本人女性としてではなくて、君がそのあとそうなった美しい女性として。

 僕が僕の人生のこの時に至って言えることは、言いたいことは、君と共に死にたいということだけだ。長い歳月の後に、素晴らしいものであり得た長い歳月の後に、言いたいのはそのことなのだ。ケイコ、僕がおのれの存在の根底から望んでいるのはそのことなのだ。

 今日は5月16日だ。今日は君の誕生日だったのではなかっただろうか。違っていてもいい。今日は君の誕生日で、僕たちの誕生日だ。今僕はケニアにいる。アフリカのケニアだ。そして、二十歳の時のケイコが僕に言った言葉を思い出している。「姉のヨウコはヨーロッパに行きたがっている。パリや、ロンドンに。でも、私はアフリカに行きたい。」

 君の若い唇から出たその言葉は前兆的なものだった。君の唇はそうやって僕の運命について語っていた。運命そのものについて語っていた。

 

 夢なのかそれとも夢の名残りなのか。

 

 僕はあまり夢を見ない。ごくまれにしか夢を見ない。夢で覚えているのは、ぼんやりと、自分がどこにいて、誰が一緒かくらいまでだ。でも、今朝、僕はまるで本当の映画のような夢から目覚めた。それは日本で、僕たちはアフリカのケニアから戻ったところだった。マックスが僕と一緒で、「日本の経験者」として僕がガイド役のようなものを務めていた。マックスは丸い眼鏡をかけた背の高い男で、ケニアで僕と一緒にアニメーション映画の制作プロジェクトにかかわっている。そのテーマの一つが日本なのだが、夢との関連はそこまでだ。僕たちがプロジェクトのために使ったのは職業的なコネクションや僕の友人たちとの関係で、そのときはケニアの植物をフクオカ先生という専門家が発案した土の玉を使って育てるというプロジェクトにかかわっていた。

 夢の中で僕たち、僕たちは地球の裏側のアフリカからこの国に招かれてきていたようだった。どうやら僕たちのプロジェクトはこの国である程度の評判を得たらしい。なにしろ夢の中だから、詳しいことはよくわからない。はっきりしているのは、道路や、レストランや、ホテルのような場面の細部だけで、それ以外のすべてはあいまいで、混じり合い、散乱している。

 でも、ある瞬間に記憶は一気に鮮明になり、くっきりとしてきた。僕は演壇のようなところの横に腰を下ろしている。部屋にはたくさんの聴衆がいる。どうやら僕はこの注意深い日本人たちの前で一席語った後のようである。きっと僕を日本に連れてくることになったプロジェクトに関係する記者会見のようなものがあったのだろう。日本は僕の青春の土地である。青年として最初の戦いの場であり、大人としてのほんとうの人生が始まった土地でもある。

 拍手があった。談話がたぶん終わったのだ。人々が立ち上がり始めた。僕も席から立ち上がった。その時、君に気がついた。

 最初は僕の向かい側の席に一人の女性が座っていることしかわからなかった。演壇が邪魔をして顔が見えなかったのだ。その女性はもう若くはなかったが、とても美しい人だった。彼女は挨拶するために近づいてくる人たちにエレガントな微笑を送っていた。その時、僕はそれが君だということがわかった。ケイコ、遠い昔の恋人。そのとき君に対する愛が、これだけ長い歳月に隔てられていたにもかかわらず、僕を満たし、僕の中にあふれ返り、僕の息を止めてしまった。僕は気づくと君に向かって歩いていた。部屋の中の物音も、人々の話し声もかき消えた。すべてが消え去り、すべてが輪郭を失った。君だけが残った。君は気配に気づいて、ゆっくりと顔をこちらに向けた。そして、笑みをたたえたまま、近づいてくる僕をみつめた。僕はそのときにはもう君のすぐ近くまで行っていて、はっきりしない、かすれた声で、「ケイコ」と君の名を呼んだ。僕を見上げる君の眼が輝いた。君の唇が少し開いて、そこから「ノオオオオ」という物憂げなかすれ声が漏れた。それは信じられない喜びをあらわにしていた。それは心の中から湧き上がる、愛のあえぎ声だった。

 

 

2021年

6月

22日

いいことなのかどうなのか

橿原市 弁護士

みなさん、こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

まだ6月なのに真夏日ってどういうこと~?

ですよね(ToT)

朝晩が涼しいのがまだ救いです。

橿原市 弁護士

先日、テレビでニホンイトヨリ(和名)がやっぱり日本にいた!!というニュースを観ました。

ニホンイトヨリ(お魚)は、200年以上前にドイツの学者さんが日本産と誤って認識した標本で新種として発表されました。

 

でも、実はその標本の魚は、インドネシア産だったようで、

日本ではずっとニホンイトヨリは発見されていなかったそうです。

 

「そんなニホンイトヨリがなんと日本で発見されましたぁ!」とアナウンサーが嬉々としてニュースを伝えていたのですが、そんなに嬉しいニュースじゃないんちゃうの?というのが第一印象でした。

 

ニホンイトヨリは、台湾や東南アジア周辺海域にお住まいです。

それはつまりイトさんが南からやってきたってことで。

インドネシア産まれのお魚が暮らしていける温度だというわけで。

産まれてすぐ台湾周辺から黒潮にのって種子島までやってきたのではないか

と言われているようですが、住めない海温じゃないわけで。。。

 

色々考えさせられるニュースでした。

 

橿原市 弁護士
ぼくは魚より肉派や。ぎゅうLOVE

イトヨリダイは、お刺身でもてんぷらでも煮付けでもおいしいそうです。

ということはニホンイトヨリも・・・😏

2021年

6月

21日

内田樹さんの「Mからの手紙」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1024

人生の黄昏時近くになって、「これとは別の人生があったのではないか」という悔いに胸をかきむしる・・・というのは、男女を問わず、それほど珍しいことではないのだと思うけれど、それにしてもM***の手紙は傷ましかった。

 

 

2021年6月15日の内田樹さんの論考「Mからの手紙」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

旧友のフランス人M***から久しぶりのメールが届いた。不思議な内容の依頼だった。僕たちは昔ある大学でフランス語の教師として一緒に働いていた。うちの娘と同年のお嬢さんがいて、娘たち二人はすぐに仲良くなった。それもあってそれから家族ぐるみで付き合うようになった。僕が神戸に移った年に「フランスに遊びにおいで」と誘ってくれたので、一夏を彼の故郷に近い南仏の海岸で過ごした。

 彼は日本を舞台にした「伊藤さん」という短編集を書き上げており、それを日本で出版したいというので、僕がそれを翻訳することになった。その夏は海岸で二人で草稿の上で「これはどういう日本語に訳したらいいんだろう」というようなことを話していた。

『伊藤さん』はウェルメイドな短編集だったけれど、無名のフランス人の小説を出版してくれるところは日本には見つからず、その本は結局フランスの出版社から出ることになった。残念ながら、それほど注目されず、作家になるというM***の夢はそれでついえてしまった。

 ペダゴジーの学位をとって日本の大学のテニュアを取ろうとしたが、うまくゆかず、このまま一生「外国人枠」の語学教師で過ごすのにたぶん耐えられなくなって、日本を離れた。それからアフリカに移り住んで映画の仕事をするようになった。ときどき送られてくる手紙で、離婚して、新しいパートナーがいることは知っていたので、アフリカに落ち着いてよかったと思っていた。そしたら、ある日次のようなメールが届いた。

 人生の黄昏時近くになって、「これとは別の人生があったのではないか」という悔いに胸をかきむしる・・・というのは、男女を問わず、それほど珍しいことではないのだと思うけれど、それにしてもM***の手紙は傷ましかった。

 もしこれを読んで、私がM***が愛した女ですと気がついた人がいたら、僕に連絡をして欲しい。もちろん、自分のことだと気がついたけれど、もう過ぎたことだから・・・で忘れてもらっても構わない。M***はとにかくその人にこの手紙を読んで欲しいということだから、その望みは果たされたことになる。

 最初は僕宛ての個人的な手紙。その後がその女性宛ての手紙である。僕宛ての手紙をつけておかないと意味がわからないだろうから、私信だけれど、一部を伏字にして公開する。 

 

友へ

 君あてのこのメッセージはたぶん僕がこれまで君に書いた中で最も重要なものになると思う。

 まず君が元気でいて、僕の知っているあの気づかいの行き届いた、人間的な君のままでいることを願っている。こんなことを言うのは、君は僕がこれから君に告白するようなことを告白できるただ一人の人間だからだ。

 このメールには一通の手紙が添付されている。タイトルは「ケイコへの手紙」だ。僕はこれをある日、夢から醒めた時に書いた。その夢は僕を深く揺り動かした。

 まず君にはこの手紙を読んで欲しい。僕はこの手紙をケイコが読んでくれることを望んでいる。僕はこの手紙を読んで欲しくて彼女にメールを送ってみた。でも、それは「宛て先人不明」で僕のところに返送されてきた。

 ケイコを探す手伝いをしてくれないだろうか。彼女の姓は「****」だ。今年60歳になっていると思う。結婚していて、子どもが男女一人ずつ二人いる。出身地は****だ。僕がはじめて会った時、彼女は音楽大学の学生で、ピアノを専攻していた。とても優秀なピアニストだった。

 君にお願いしたいのは、この手紙を日本語に訳して、それを君のブログの一つに投稿することだ。手紙はいまのところ2頁だけれど、もっと長いものを書くこともできた。それくらい僕には書きたいことがたくさんある。

 この手紙が彼女の手元に届く可能性はあると思う。彼女はいかにも君の読者でありそうな女性だからだ。

 僕はあと二カ月で71歳になる。僕が見た夢はそのあまりの明確さで僕を揺り動かした。僕が生きたかも知れない人生、そして僕が生きなかった人生についての一本の映画のようだったのだ。

 ケイコは『伊藤さん』というあの短編集の中の「マリコ」のモデルになった女性だ。人生というのはまるで円環のようだと思わないか。あらゆるものは再帰してくる。

こんなお願いをしたことで君に迷惑をかけたくはないけれど、できたら返事が欲しい。

友情をこめて

 

 

M***

2021年

6月

18日

内田樹さんの「成長と統治コスト」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1023

組織の管理コストを削減しようとしたら、メンバーたちが自由きままに行動することを禁止しなければならない。それは短期的に見れば、組織的な「バグ」がなくなって、コントロールしやすくなるのでよいことのように見えるかも知れませんが、長期的にはその集団の生産力を深く損うことになるのです。

 

 

2021年6月10日の内田樹さんの論考「成長と統治コスト」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 僕が入学した1970年は国立大学の入学金が4000円、半期授業料が6000円でした。だから、一万円札1枚出して入学手続きが終わった。50年前ですから物価は今よりだいぶ安かった。ざるそばが60円、コーヒーが70円、ロングピースが80円という時代です。でも、僕がやっていた学習塾のバイトは時給500円でした。ですから、2時間働くと、一月分の授業料が払えた。

 授業料が安いと何が起きるかというと、「苦学」ができるようになります。「苦学生」というのは、自分で働いて学費を出している学生のことですが、僕の学生時代にはいっぱいいました。時給500円というのはかなりいいバイトでしたから、バイト仲間はほとんど生活費を自分で出して、授業料も払い、中には両親に仕送りをしてる人さえいました。

 だから、地方から来た学生たちも、東京にいても家から出て暮らしている学生たちは親の管理下にないわけです。いつ起きて、いつ寝て、何をしているのか。勉強しているのか、デモに行っているのか、バイトしているのか、デートしているのか、親にはぜんぜんわからない。だから、学生運動があれだけ盛り上がったわけです。親の監督が届かないから。六〇年代末の全共闘運動の広がりを支えたのは、授業料がすごく安かったこと、経済成長のおかげでバイト代がどんどん上がり、過激派の学生たちが楽にバイトで暮らすことができたからです。高度成長が全共闘運動の経済的な基盤だったんです。

 それに気がついた知恵者が政府部内にいたんでしょうね。学生たちがあんなに活動的でいられたのは、「金がある」せいだ、と。だったら、金を取り上げよう。そこで授業料をいきなり三倍に上げた。

 でも、その時点で国立大学の授業料を三倍に上げる必然性なんかまったくなかったわけですよ。だって、高度成長期で、税収はじゃんじゃん国庫に流れ込んでくるわけで、月額1000円の国立大学授業料を3000円に増やしたからといって、国の懐具合には変化がない。でも、あえてそうしたのは、学生たちが苦学できないようにする必要があったからです。学生たちを親に経済的に依存させて、親の管理下に置く必要があった。

 そのあとも、ひたすら授業料を上げ続けた。すべての学生たちに恵まれた就学機会を提供することが教育行政の本務だとしたら、それに逆行したわけです。親たちにとって学費がひどく負担になるという状況をまず創り出した。そうすると、親としては学費が「教育投資」ということになる。出した金はなるべく迅速かつ確実に回収したい。そのためには本人の意向は二の次で「とにかく実学」ということになる。今の世の中の価値観やマナーにジャストフィットした人間に自分の子どもを叩き直すことが親にとって喫緊の課題になる。せっかく払った授業料が無駄にならないように、うるさく出席状況や成績をモニターするようになる。これは別に親の側のマインドセットが変わったわけじゃなくて、おおかたは金のせいなんです。自分の懐が痛まないうちは、子どもが何をしようとさして気にならなかったのだけれど、自分の懐からかなりの金額を支出せざるを得ないというところに追い込まれると、「おい、オレの出した金を無駄にするなよ」という気分が醸成される。「単位取ったのか」「ちゃんと卒業できるのか」「就活しているのか」という以前はあまり言わなかったこと(言ってもわりと小声で)が声高に言われるようになった。

 こうやって学生たちの日常生活を猜疑心の強い親に監視させるという仕組みを作ったのが「学費値上げ」だったのです。そして、この政策はみごとに功を奏して、学生運動は一気に火が消えたようになりました。もちろん、他にもさまざまな歴史的理由があったわけですけれど、一番効いたのは「学費値上げ」でした。

 警察であれ公安であれ、公的機関を使って過激派学生を管理しようとしても、コストがかかり過ぎる。何十万もの過激派学生を監視するだけの人的リソースなんか政府にはありません。だから、親に子どもを監視させるという「隣組」システムを導入した。これが日本人のメンタリティにジャストフィットして、おかげで学生運動の鎮圧に成功した。

 今は国立大学の入学金は282,000円、授業料が年間535,800円です。入学金と半期授業料だけで55万円を用意しなければなりません。50年前の55倍です。僕の時だと、ほとんどの受験生はお年玉を貯めた「豚の貯金箱」を叩き割れば1万円くらいは出せた。いま合格発表時に55万円の現金を持っている受験生はまずいないでしょう。だから、進学先の決定は「金主」である親に一任するしかない。

 進学先の決定権が自分にないというのは大きいことです。「苦学」できる環境なら、親が「そんなことを学んで何になる!」と激怒するような専門分野を選んでも、「自分で学費出すから、好きにさせてよ」と言えた。でも、もうそれが言えなくなった。それによって「不本意入学」する学生が激増した。自分には興味がないけれど、親が「そこじゃないと金を出さない」と言うのでやむなく進学したという領域で学生が知的ブレークスルーを遂げるということはまったく期待できません。それどころか、子どもたちは「自分の進路選択が正しく、親の判断は間違っていた」ということを証明するために親に「金をドブに捨てた」と後悔させるように無意識的にふるまうようになる。つまらなそうな顔で通学し、最低限の勉強しかせず、最低の成績で卒業する。でも、それは「無意識的に」していることですから止めようがない。実際には驚くほど多くの大学生がそうふるまっている。ほんとうにもったいないことだと思います。それくらいだったら、本人が「やりたい」ということをさせておけばよいと思うんですけれどね。

 とにかく授業料値上げによって、日本の高校生は進路決定権を失い、大学生は「苦学」という選択肢を奪われました。たしかにそれによって大学生は自由度と覇気を失い、学生運動は一気に下火になり、大学はたいへん管理し易い場所になりました。でも、それによって同時に日本の学術的な生産力は深い傷を負ったのでした。

 

 もう一度繰り返しますけれど、組織の管理コストを削減しようとしたら、メンバーたちが自由きままに行動することを禁止しなければならない。それは短期的に見れば、組織的な「バグ」がなくなって、コントロールしやすくなるのでよいことのように見えるかも知れませんが、長期的にはその集団の生産力を深く損うことになるのです。

2021年

6月

17日

土曜日の午後 ☆ あさもりのりひこ No.1022

毎週、土曜日は、仕事を終えた後、「~RIPEN~ライペン」(奈良県橿原市北八木町1-6-18)で昼メシを喰う。

「~RIPEN~ライペン」はオムライスとベーグルサンドの店である。

カウンター5席、テーブル2席のコンパクトな店である。

桶谷さん夫婦が経営されている。

ご主人が料理を作るが、フライパンを動かしながらライスを卵で包んでいく技術は一見の価値がある。

サラダ(大盛)、ケチャップのオムライス(大盛)、ホットコーヒーのセットをいただく(1000円)。

サラダの大盛はメニューに無い「特注品」である。

店舗は、桶谷さんとお父さんがふたりで車庫を改装したそうな。

桶谷さんは、竹細工もしていて、竹で作ったストラップを売っている(300円)。

朝守は、通勤用の鞄と仕事用の鞄に竹のストラップをつけている。

 

昼メシを喰い終わったら「COOPみみなし」(奈良県橿原市新賀町478)に行く。

「COOPみみなし」ではペットボトル、アルミ缶、スティール缶、トレーなどを回収して再生している。

ペットボトルやアルミ缶などを溜めておいて持っていく。

本当は「再生」ではなく、ゴミを出さないことが望ましい。

 

 「COOPみみなし」を出て、イタリア料理店「ソッリーソ クッチーナ イタリアーナ(Sorriso cucina italiana)」(奈良県橿原市土橋町615)に行く。

 土曜日は「ソッリーソ」の『パンの日』である。

 1か月で変わる2種類のパン、自家製ドレッシング、ケーキやムースetc.

 とくに自家製ドレッシングは「ニンジン」「新玉葱」「イチゴ」「ザクロ酢」など、どれも大変おいしい。

 サラダが喰いたくなる。

 「新玉葱のドレッシング」は納豆にかけると旨い。

 

 「ソッリーソ」を出て、ぱんや「ブーランジェリーブリエ(Boulangerie briller)」(奈良県北葛城郡広陵町馬見北9-9-30)に行く。

 山型食パン、胡麻食パン、全粒粉食パン、パン・オ・リュスティック、バタール、バゲット、どれも、皆、美味しい。

 6月からノア・レザン(胡桃とレーズンのパン)が登場した。

 ノア・レザンにクリームチーズ(ふたば乳業)を塗って喰う。

うまい!

 年末のシュトレンとガレット・デ・ロアを毎年楽しみにしている。

 

「ブリエ」を出て、豆富の「マメタロウ商店」(奈良県北葛城郡広陵町馬見北8丁目8-1)に行く。

絹ごし豆腐、木綿豆腐、おぼろ豆腐、揚げ各種、生湯葉、納豆、豆乳プリン、豆乳ドーナッツetc.

時々店頭に並ぶ「青大豆おぼろ」と「だだちゃ豆おぼろ」が見逃せない。

揚げも色々あって、どれも美味しいが、「大仏の下駄」がデカくて美味しい。

豆腐も揚げも「型くずれ」したのを安く買えるのも嬉しい。

少々形が崩れていても、喰ったらいっしょやからね。

「マメタロウ商店」の豆腐は、まるでスウィーツのような味わいだ。

 

「マメタロウ商店」を出て、「旬の里 まみが丘」(奈良県北葛城郡広陵町疋相489-1)に行く。

奈良県産の無農薬・有機野菜が揃っている。

果物を買えるのが有り難い。

「ばあく」の豚肉を買うことができる。

春には鴨肉も手に入る。

「ラッテたかまつ」のモツァレラチーズ、西井牧場の「飛鳥の美留久」、羽間農園の紅茶、月ヶ瀬健康茶園の煎茶、下村さんのこんにゃく、はちまつ養蜂農場さんの蜂蜜、オリーブオイル、パイン缶、たくあん、豆いろいろetc.

6月には、石垣島のパイナップル(生パイン)が初登場!

わが家の野菜は、「明日香ビオマルシェ」と「旬の里 まみが丘」に支えられている。

 

「旬の里 まみが丘」を出て、「ファーマシー木のうた 坊城店」(奈良県橿原市東坊城町466-1)に行く。

「ファーマシー木のうた 坊城店」については、No.1012のブログに書いたとおりである。

光食品のドレッシングや缶ジュースもある。

「ファーマシー木のうた 坊城店」は自然食品の宝庫である。

 

「ファーマシー木のうた 坊城店」を出て、「高取ばらハウス」(奈良県高市郡高取町大字森43)へ行く。

「高取ばらハウス」については、No.508のブログに書いた。

 「高取ばらハウス」のおかげで、わが家は薔薇の花が絶えない。

 

 こうして、買い物行脚を続け、帰宅して買ってきた物を納めて(関西弁では「しまう」という)、薔薇の花を活ける。

 

そして、朝守は晩メシを作るのであった。

2021年

6月

16日

内田樹さんの「成長と統治コスト」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1021

統治コストが高い社会は活動的であり、統治コストが低い社会は非活動的である。そんなのは考えれば当たり前のことなんですけれども、組織管理コストを削減することが「絶対善」だと信じ切っているシンプルな人たちにはそれが理解できない。「角を矯めて牛を殺す」ということわざに言う通りです。

 

 

2021年6月10日の内田樹さんの論考「成長と統治コスト」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

『複雑化の教育論』の中で、高度成長期に最も統治コストが嵩んだことを論じた。統治しにくい状態になると、経済は成長し、文化的発信力も高まる。だから今の日本のように「統治しやすい状態」になると、経済は停滞し、文化も力を失う。その「さわり」のところを少しだけ抜き書きしておく。

 

 この30年間は中産階級の没落と、労働者階級の貧困化として進行しました。それは当然なんです。統治コストの削減は必ず「中産階級の空洞化」をめざすからです。これは世界中あらゆる国の出来事に妥当します。

 近代史をひもとけばわかりますけれど、中産階級が勃興すると、民主化闘争が起きます。市民たちがある程度経済的に豊かになると、権利意識が芽生えてくる。言論の自由、思想信教の自由、政治的自由を求めるようになる。やがて、市民革命が起きて、近代市民社会が成立する。これは決まったコースなわけです。王政や帝政に替わって民主制が登場してくる。

 革命というのは、倒される側の政体からすると、「統治コストが最大化した状態」のことです。なにしろ、行政組織にも軍隊にも警察にも、トップの命令が下達されなくなるんですから。統治コストが統治者の負担能力を超えると、体制は倒壊する。民主化の進行というのは市民の政府に対する要求がどんどん増大してゆくことですから、既存の政体からするとそれは「統治コストの急増」ということになる。

 日本の場合を考えるとよく分かります。高度成長期というのは、日本の国力が急激に伸びた時期です。経済力も、国際社会におけるプレゼンスも、文化的発信力もすべてが伸びました。でも、もうお忘れかも知れませんが、この時期、日本社会の統治コストは戦後で最も高かったんです。六〇年代から七〇年代にかけて、「一億総中流」が達成されて、市民の暮らしが年々豊かになってきた時期に、日本は最も革命的でした。市民運動も労働運動も学生運動も、まさにこの時期にその絶頂期を迎えました。革新自治体が日本中にできました。政権担当者のコントロールが最も利かなくなった時代は日本の高度成長期と符合します。このことをほとんどの人は忘れていると思います。でも、これは重要な法則です。国民が豊かになり、より多くの自由を求め、権利意識に目覚めると、統治コストは嵩む。社会的流動性が高まると、国民を管理することはむずかしくなる。でも、市民が自由に動き出して、モビリティが高まる時期に国力は一気に増大する。僕はその時代をリアルタイムで生きていましたから、よく分かります。

 1966年から70年、全国学園紛争の頃ですね。日本中の大学がバリケードで封鎖され、授業がなくなり、69年には安田講堂が「陥落」して、東大の入試が中止になった。70年の11月には三島由紀夫が個人的な「クーデタ」を画策して、割腹自殺をした。その5年間の経済成長率は10・9%。戦後最高なんです。皮肉なものです。

 政治的騒乱がそのピークに達していた時に、日本人は同時にものすごい勢いで経済活動を行っていた。それはこの時期に十代二十代を過ごしていた人間としてよくわかります。人々が政治的に熱くなっている時に、人々は同時に経済的にも、文化的にも熱くなる。日本中の大学が「ほとんど無法状態」であった時に、日本の経済はとんでもない角度で急成長していたのです。この事実から何らかの法則性を引き出そうとした人がいたかどうか、僕は知りません。管見の及ぶ限りはいないようです。でも、「市民的自由が謳歌されている社会は、統治者にとっては管理しにくいものだろうが、市民にとってはたいへん暮らしやすいものである」ということがわれわれの世代は実感として身に浸みている。

 統治コストが高い社会は活動的であり、統治コストが低い社会は非活動的である。そんなのは考えれば当たり前のことなんですけれども、組織管理コストを削減することが「絶対善」だと信じ切っているシンプルな人たちにはそれが理解できない。「角を矯めて牛を殺す」ということわざに言う通りです。わずかな欠点を補正しようとして、本体を殺してしまう。

 60年代の後半というのは僕が中学生から予備校生にかけての時期ですけれど、市民的自由が日に日に拡大して、国家の統制がどんどん弱くなってきていることが肌身にしみた。国家だけではなく、あらゆる制度的な統制が緩んでゆくのが、子どもながら分かった。中学三年の時より高校一年の時の方が日本社会は自由になっていて、高校一年よりは二年の時の方がさらに自由になっていた。

 だから、70年代はじめに学生運動が終息したあとに、政府はとりあえず学生たちの政治的自由を制約するための施策を次々と繰り出してきました。一番先にやったのが「学費値上げ」でした。国立大学の授業料を一気に三倍に上げた。

 

 

2021年

6月

15日

桜井市「肉のカワイ」のメリーコロッケ@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

昨日の雷と大雨・・・凄かったですね。

青白い光が何度も光り,雷の轟音が鳴り響き・・・⚡

カーテンを締めていても光と音がすさまじく,

普段は耳が遠くて雷に気付かず寝ている祖母も怖がって起きてました😅

雷嫌いな私には,これからの季節はほんとに憂鬱です・・・😱

 

さて,今日は,最近ハマっている,美味しいコロッケをご紹介します。

 

 

肉のカワイ

 https://www.momofukugyu.jp/

 

 

 奈良県桜井市芝1005番

 電  話 0744-42-2981

 営業時間 9:30~18:30

 (定休日 火曜)

 

橿原市のお隣の桜井市にある黒毛和牛専門店で,近鉄大和八木駅から車で約15分のところにあります。

 

 

こちらのお店の名物は,上質な山形牛をオリジナルスパイスで味付けして焼いてある

「百々福(ももふく)焼き」で,たれもいらずそのままスライスして食べられる美味しい

お肉なのですが。

 

今日私が紹介したいのは,こちらで売っているその名も「メリーコロッケ」です。

 

コロッケなんて,まあ殆どどこも同じじゃないの?

なんて,私も思っていたのですが。

 

こちらのコロッケに使用しているじゃがいもは「インカのめざめ」というじゃがいもで,

一般のじゃがいもの糖度が4~5度に対し,インカのめざめは糖度が6~8度もあって,

さつまいものような甘さがあります。

 

また,こちらのメリーコロッケの中には,スパイスが効いた「百々福焼」も隠し味に入っていて,おいもの甘さとお肉の旨みも合わさって・・・美味しいんです♡

 

1個200円で,普通のコロッケに比べると倍のお値段ですが,

一度は食べてみる価値ありです(*^-^*)

 

我が家に買って帰ったところ,祖母がこのコロッケを気に入ったようで,

「あのコロッケ,また食べたいわ」「どこで売ってるの」と何度も催促が😅

 

何度も買いに行くのはなかなか大変なので,お店のホームページを見てみると,

オンラインショップもあるようですね。

 

今度,百々福焼と一緒に注文してみようかな~。

 

ご興味のある方は一度お試しあれ(・∀・)

 

2021年

6月

14日

内田樹さんの「『世界新秩序と日本の未来』(集英社新書)のためのあとがき」 ☆ あさもりのりひこ No.1020

実現することが困難であり、これまで繰り返し挫折してきた「使命」にこそ最も強く集団を牽引する力がある。

 

 

2021年月日の内田樹さんの論考「『世界新秩序と日本の未来』(集英社新書)のためのあとがき」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

姜尚中さんとの対談本シリーズの三作目がもうすぐ刊行される。「あとがき」をあげておく。

 

 最後までお読みくださって、ありがとうございます。

 姜尚中さんとの集英社新書での対談シリーズはこれで3冊目となります。姜さんとお話をするのは、僕にとってはとても楽しく、また学ぶことの多い貴重な経験です。

 他の方との対談でもほぼすべてそうなんですけれど、僕の場合、対談のお相手になる方は、論じている事案についての専門家で、僕はその件については素人です。

 そういう人がどれくらいいるのか知りませんけれど、僕は専門家の話を聞くのが大好きなんです。前に、結婚披露宴のテーブルでたまたま隣り合わせた方の業界の話を熱心に聴いていたら、先方がふと我に返って「こんな話、面白いですか?」と不審そうな顔をされたことがありました(その時僕が聞き入っていたのは貴金属業界の景況についての話でした)。いや、面白いんです。きちんとした専門的知識の裏づけのある専門的な話は、ほんとうに面白い。

 姜さんとの対談もそうです。かちっとした枠組みは「玄人」の姜さんに作って頂いて、僕は「素人」として、その枠組みの中でくるくる走り回って、勝手な思いつきを話す。そういう役割分担が僕にとっては一番気が楽なんです。姜さんは正統派の政治学者ですから、論拠の乏しい思弁をすることについてはつよい自制が働く。僕はもとが文学研究者ですから、政治については、史料や文献を体系的に読み込んだこともないし、分析や解釈の学術的な手順を学んだこともない。僕が政治について語る言葉はどれも「床屋政談」の域を出ません。でも、「床屋政談」には固有のアドバンテージがあります。それは学術的なエビデンスがないことでも、直感的に脳裏に浮かんだ思いつきをすぐに口にできるということです。どんな荒唐無稽な話を口走っても、僕の場合はそれでペナルティーを受けるということがない。「それでも政治の専門家なのか」という批判を僕に向ける人はいないからです(専門家じゃないから)。

 何よりもありがたいのは、僕がこの領域では素人だということは読者のみなさんはつとにご存じですから、「政治についてのウチダの話は眉に唾をつけて聴かねばならない」というルールが周知されていることです。

 政治に関する領域では、僕の発言の真実含有量は35パーセントくらいです。残り50パーセントは「思いつき」で、「思い違い」が15パーセントくらいです。

 これ、別にいい加減な数字を言っているわけではありません。集英社の校閲はかなり厳密なんですけれど、初校ゲラが上がって来て校閲を見ると、僕が自信たっぷりに「・・・である」と断言している命題の15パーセントくらいについては「違います」という朱が入っています(ご安心ください。みなさんがお手にとっているこの本では原稿段階での「思い違い」は修正済みですから)。

 でも「思いつき」はそのまま残っています。というのは、「思いつき」には校閲者の朱が入らないからです。朱が入らないというよりも、朱の入れようがない。「思いつき」は真偽の判定になじまないからです。

 前に村上春樹さんが小説の中で「すぐにラジエーターが壊れるワーゲン」と書いたら、「その時代のフォルクスワーゲンは空冷式でラジエーターはありません」という指摘が車に詳しい読者からなされたことがありました。でも、村上さんは少しも慌てず「これは水冷式のフォルクスワーゲンが存在する世界のお話です」と答えていました。僕もこの態度を見習いたいと思います。

 僕が国際政治について書いていることの半分(以上)はふっと脳裏に浮かんだ「お話」です。「お話」ですから、エビデンスもないし、史料もないし、証言もないし、統計データもない。

「お話」というのは、あえて言えば、かたちあるものではなく、むしろかたちをあらしめるものです。歴史の表層に顕在化したかたちある出来事のことではなく、それらの出来事に伏流するかたちのないもののことです。

「お話」の効用は、その枠組みの中に置いてみると、それまで相互に関連づけられなかった断片的な出来事が結びつけられるという点にあります。僕は「それまで相互に無関係だと思われていたことを関連づける」ということが大好きなんです。この「関連づけるための枠組み」のことを僕は「お話」と呼んでいるわけです。「アイディア」と呼んでもいい。

 柴田元幸さんのエッセイで、柴田さんがアメリカの作家とおしゃべりしていたときに、その作家が「アメリカというのは一つのアイディアなんだよ」とぽつりとつぶやいたのを聴いて深く得心したという一節を読んだことがあります。このフレーズは僕にも深く浸みました。ほんとにそうだよなと思った。

 アメリカの場合はたしかに先行する「理念」があって、それに基づいて国のかたちが整えられたという歴史的経緯があります。でも、同じことは、程度の差はあれ、他の国々や集団について言えるんじゃないでしょうか。「日本というのは一つのアイディアなんだよ」でも「中国というのは一つのアイディアなんだよ」でも言えそうな気がします。

 僕たち日本人は日本という国がどういうものであるべきかについて、ぼんやりした「アイディア」を集団的に共有している。ただし、それはとても「ぼんやり」したものなので、自分たちがそんなアイディアを参照しながら国のかたちを整えているということにふだんは気がつかない。でも、百年、二百年という長いタイムスパンの中で俯瞰してみると、そこにありありと「日本というアイディア」が浮かび上がってくる。そして、個別的に見た時には「どうしてこんなことをしたのか、意味がわからない」という集団的なふるまいが「ああ、これって、『そういうこと』だったのか」と腑に落ちるということがある。

 そんなふうに変容しながら繰り返し再帰してきて、その集団を無意識的に方向づけるもののことを「アイディア」と僕は呼ぼうとしているわけです。そして、僕が政治史について一番興味があるのはそれぞれの政治単位における「アイディア」を見出すことなんです。

「自分たちの集団はこの世界において、人類史において、どのような果たすべきミッションを託されているのか」という自己規定は政治的ふるまいにしばしば決定的な影響力を及ぼします。そして、私見によれば、ある集団において最も強い指南力を持つミッションは「ミッション・インポシブル」なんです。「不可能な使命」。これまでにうまくやり遂げてきたこと、それについて十分な経験知を持っていることは「ミッション」になりません。これまで実現しようとしてついに実現できなかったことが最も強い指南力を発揮する。そういうものではないかと思います。

 フランス語の文法用語でépithète de nature というものがあります。「本来的形容辞」と訳されますけれど、その名詞に本来具わっている性質を表す形容詞(だから、本来なら必要のない形容詞)のことです。blanche neige「白い雪」とかcaillou dur「硬い石ころ」とか。misson impossible における「不可能な」という形容詞はこの「本来的形容辞」ではないかという気がします。つまり、実現することが困難であり、これまで繰り返し挫折してきた「使命」にこそ最も強く集団を牽引する力がある。その「使命」はこれまで一度も完全なかたちでは実現したことがありません。だから、歴史的事実としては存在しない。でも、この「かつて一度も現在になったことのない過去」(これはエマニュエル・レヴィナスの言葉です)が人間たちを集団的にとりまとめ、集団的に導いてゆく。

 僕には何となくそんなふうに思えるのです。僕が政治を語る時に、「アイディア」とか「ミッション」ということにこだわるのは、そういう仮説を立てているからなんです。

 

 とりとめのない話になってしまって済みません。「あとがき」はこの辺にしておきます。続きはまた今度。

 姜さんとのこの対談シリーズはオープンエンドですから、これからも定期的に続けてゆきたいと思っています。姜さん、どうぞよろしくお願い致します。

 

 最後になりましたけれど、姜さんとの対談の機会を設定してくださり、編集の労をとってくださった集英社新書編集部の伊藤直樹さんはじめみなさんに御礼を申し上げます。ありがとうございました。

2021年

6月

11日

内田樹さんの「呉泰奎総領事のこと」 ☆ あさもりのりひこ No.1019 

「ジャーナリストは現場に足を運んで、本人の話を聴くのが基本です」

 

 

2021年6月10日の内田樹さんの論考「呉泰奎総領事のこと」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

大韓民国の呉泰奎(オ・テギュ)在大阪総領事が任期を終えて離任されることになった。

 呉総領事は型破りの外交官だった。リベラルなハンギョレ新聞の創設メンバーの新聞記者で、長く日本で特派員をつとめた経験を買われて、文在寅大統領に請われて外交官に転じた。「ジャーナリストは現場に足を運んで、本人の話を聴くのが基本です」というのが信条だった。だから、これまで職業的な外交官が足を向けなかった場所や集まりにも気楽に顔を出した。そして、儀礼的な扱いを求めず、まっすぐ人々の懐に飛び込んだ。 

 在日コリアンの世界は複雑である。南と北のどちらかだけに帰属感を持つ人がおり、どちらをも祖国だと思う人がおり、どちらにも帰属感を持たない人がいる。総領事はそのすべての在日コリアンの利害を代表して行動しようとしていたように私には見えた。それは韓国政府の役人としての服務規定の範囲を時には超えることだったかも知れない。

 私が編著の『街場の日韓論』という論集を一読して総領事は日韓の市民的連携のためのわれわれの努力を多として、神戸まで会いにいらしてくれた。それから何度かお会いした。『日韓論』の執筆陣で関西在住の六人(伊地知紀子、白井聡、平田オリザ、松竹伸幸、山崎雅弘と私)を総領事館に招いて感謝の宴席を設けてくれたこともあったし、私の道場で講演をしてくださったこともあった。

 ソウルに戻った後はどうするのですかと訊いたが、何も決まっていないということだった。もうメディアの仕事には戻らない。一度官途に就いた者はジャーナリストとしては「汚染」されたものとみなされるからですと笑っていた。

 日韓関係は今も戦後最悪のままである。こんな時期に呉総領事のような見識の高い、器量の大きな方が日韓の架橋の役を担ってくれたことは日本にとって幸運だったと思う。

 

(信濃毎日新聞6月7日に寄稿)

2021年

6月

10日

奈良マラソン2021への道 その7 ☆ あさもりのりひこ No.1018

5月21日(金)、休足

 

5月22日(土)、休足

 

5月23日(日)午前、ジョギング、3時間09分51秒、24.2㎞。

高松塚~飛鳥駅前~キトラ古墳~鷹鞭橋~キトラ古墳~稲渕~栢森~稲渕~キトラ古墳~高松塚。

2時間40分、21㎞を超えたあたりから脚が動かなくなった。

月間走行時間が20時間を超えた。

 

5月24日(月)、休足

 

5月25日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走、傾斜2%、30分、4.4㎞。

時速8㎞から10㎞まで5分ずつ走った。

 

5月26日(水)早朝、インターバル走、37分41秒、6.5㎞。

5分22秒、5分22秒、5分36秒、5分18秒、5分09秒。

この行程の自己記録を更新した。

 

5月27日(木)雨で休足

 

5月28日(金)早朝、ペース走と階段598段、46分39秒、6.9㎞。

この行程の自己記録を更新した。

5月の月間走行距離が200㎞を超えた。

 

5月29日(土)早朝、ウインドスプリント、41分44秒、6.1㎞。

ジョギングを22分49秒、3.4㎞、ウインドスプリントを200m10本。

ウインドスプリントのペースは1㎞あたり4分53秒、4分37秒、4分37秒、4分23秒、4分45秒、4分20秒、4分17秒、4分05秒、4分16秒、4分10秒。

8本目の4分05秒が一番速かった。

 

5月30日(日)早朝、坂道ダッシュ400m3本、50分29秒、7.6㎞。

2分33秒(6分23秒/㎞)、2分22秒(5分56秒/㎞)、2分19秒(5分47秒/㎞)。

 

5月31日(月)早朝、階段1138段駆け上がり、48分05秒、5.9㎞。

5月の月間走行時間が25時間を超えた。

 

6月1日(火)夜、トレッドミルでペース走、傾斜2%、30分、4.5㎞。

時速9.2㎞(6分30秒/㎞)。

アルトラ・エスカランテ2を初めて履いて走った。

 

6月2日(水)早朝、全力疾走、ジョギング、全力疾走、39分05秒、6.5㎞。

最初の2㎞が5分09秒、5分17秒、最後の2㎞が5分10秒、5分09秒。

アルトラ・リベラを履いて、初めてロードを走った。

 

6月3日(木)早朝、ビルドアップ走、40分01秒、6.5㎞。

1㎞毎のペースは、7分04秒、6分39秒、6分29秒、6分09秒、5分46秒、5分23秒。

最後の500mは4分53秒/㎞。

5分46秒はゆるやかな下り坂なので少し速めになった。

5分23秒は、上りと下りがあるので、まあいいタイムである。

 

6月4日(金)休足

 

6月5日(土)休足

 

6月6日(日)午前、ロング走をする予定だったが、雨が降っていたので断念した。

雨が止んでから、橿原運動公園でペース走、1時間07分53秒、10.8㎞。

1㎞6分30秒のペースを目安に走る。

6分27秒、6分16秒、6分32秒、6分20秒、6分19秒、6分31秒、6分07秒、6分16秒、6分22秒、5分55秒、最後の800mは5分54秒。

平均は6分17秒だった。

 

6月7日(月)早朝、インターバル走、38分53秒、6.5㎞。

5分07秒、5分15秒、5分43秒、5分38秒、5分38秒、最後の300mは5分46秒。

月刊誌「ランナーズ」7月号に『2020フルマラソン1歳刻みランキング』が掲載されている。

男性61歳のランキングをみると、79位に「朝守令彦 奈良 5:07:57 奈T」と記載されている。

今年1月に走った奈良・平城京跡歴史公園TrialMarathonの記録である。

 

6月8日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走、傾斜2%、30分、4.5㎞。

時速8.8㎞、9.2㎞、9.6㎞、10㎞で各1キロメートル走り、最後は時速10.4㎞で500m走った。

 

6月9日(水)早朝、ペース走と階段598段、48分42秒、6.9㎞。

6分53秒、7分02秒、6分22秒、10分20秒(階段)、6分18秒、6分04秒、6分02秒。

 

6月10日(木)早朝、ジョギングとウインドスプリント。

ジョギングを23分53秒、3.4㎞、ウインドスプリント200mを10本。

4分30秒、4分32秒、4分22秒、4分07秒、5分09秒、4分20秒、4分23秒、4分26秒、4分26秒、4分22秒。