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2021年

6月

22日

いいことなのかどうなのか

橿原市 弁護士

みなさん、こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

まだ6月なのに真夏日ってどういうこと~?

ですよね(ToT)

朝晩が涼しいのがまだ救いです。

橿原市 弁護士

先日、テレビでニホンイトヨリ(和名)がやっぱり日本にいた!!というニュースを観ました。

ニホンイトヨリ(お魚)は、200年以上前にドイツの学者さんが日本産と誤って認識した標本で新種として発表されました。

 

でも、実はその標本の魚は、インドネシア産だったようで、

日本ではずっとニホンイトヨリは発見されていなかったそうです。

 

「そんなニホンイトヨリがなんと日本で発見されましたぁ!」とアナウンサーが嬉々としてニュースを伝えていたのですが、そんなに嬉しいニュースじゃないんちゃうの?というのが第一印象でした。

 

ニホンイトヨリは、台湾や東南アジア周辺海域にお住まいです。

それはつまりイトさんが南からやってきたってことで。

インドネシア産まれのお魚が暮らしていける温度だというわけで。

産まれてすぐ台湾周辺から黒潮にのって種子島までやってきたのではないか

と言われているようですが、住めない海温じゃないわけで。。。

 

色々考えさせられるニュースでした。

 

橿原市 弁護士
ぼくは魚より肉派や。ぎゅうLOVE

イトヨリダイは、お刺身でもてんぷらでも煮付けでもおいしいそうです。

ということはニホンイトヨリも・・・😏

2021年

6月

21日

内田樹さんの「Mからの手紙」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1024

人生の黄昏時近くになって、「これとは別の人生があったのではないか」という悔いに胸をかきむしる・・・というのは、男女を問わず、それほど珍しいことではないのだと思うけれど、それにしてもM***の手紙は傷ましかった。

 

 

2021年6月15日の内田樹さんの論考「Mからの手紙」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

旧友のフランス人M***から久しぶりのメールが届いた。不思議な内容の依頼だった。僕たちは昔ある大学でフランス語の教師として一緒に働いていた。うちの娘と同年のお嬢さんがいて、娘たち二人はすぐに仲良くなった。それもあってそれから家族ぐるみで付き合うようになった。僕が神戸に移った年に「フランスに遊びにおいで」と誘ってくれたので、一夏を彼の故郷に近い南仏の海岸で過ごした。

 彼は日本を舞台にした「伊藤さん」という短編集を書き上げており、それを日本で出版したいというので、僕がそれを翻訳することになった。その夏は海岸で二人で草稿の上で「これはどういう日本語に訳したらいいんだろう」というようなことを話していた。

『伊藤さん』はウェルメイドな短編集だったけれど、無名のフランス人の小説を出版してくれるところは日本には見つからず、その本は結局フランスの出版社から出ることになった。残念ながら、それほど注目されず、作家になるというM***の夢はそれでついえてしまった。

 ペダゴジーの学位をとって日本の大学のテニュアを取ろうとしたが、うまくゆかず、このまま一生「外国人枠」の語学教師で過ごすのにたぶん耐えられなくなって、日本を離れた。それからアフリカに移り住んで映画の仕事をするようになった。ときどき送られてくる手紙で、離婚して、新しいパートナーがいることは知っていたので、アフリカに落ち着いてよかったと思っていた。そしたら、ある日次のようなメールが届いた。

 人生の黄昏時近くになって、「これとは別の人生があったのではないか」という悔いに胸をかきむしる・・・というのは、男女を問わず、それほど珍しいことではないのだと思うけれど、それにしてもM***の手紙は傷ましかった。

 もしこれを読んで、私がM***が愛した女ですと気がついた人がいたら、僕に連絡をして欲しい。もちろん、自分のことだと気がついたけれど、もう過ぎたことだから・・・で忘れてもらっても構わない。M***はとにかくその人にこの手紙を読んで欲しいということだから、その望みは果たされたことになる。

 最初は僕宛ての個人的な手紙。その後がその女性宛ての手紙である。僕宛ての手紙をつけておかないと意味がわからないだろうから、私信だけれど、一部を伏字にして公開する。 

 

友へ

 君あてのこのメッセージはたぶん僕がこれまで君に書いた中で最も重要なものになると思う。

 まず君が元気でいて、僕の知っているあの気づかいの行き届いた、人間的な君のままでいることを願っている。こんなことを言うのは、君は僕がこれから君に告白するようなことを告白できるただ一人の人間だからだ。

 このメールには一通の手紙が添付されている。タイトルは「ケイコへの手紙」だ。僕はこれをある日、夢から醒めた時に書いた。その夢は僕を深く揺り動かした。

 まず君にはこの手紙を読んで欲しい。僕はこの手紙をケイコが読んでくれることを望んでいる。僕はこの手紙を読んで欲しくて彼女にメールを送ってみた。でも、それは「宛て先人不明」で僕のところに返送されてきた。

 ケイコを探す手伝いをしてくれないだろうか。彼女の姓は「****」だ。今年60歳になっていると思う。結婚していて、子どもが男女一人ずつ二人いる。出身地は****だ。僕がはじめて会った時、彼女は音楽大学の学生で、ピアノを専攻していた。とても優秀なピアニストだった。

 君にお願いしたいのは、この手紙を日本語に訳して、それを君のブログの一つに投稿することだ。手紙はいまのところ2頁だけれど、もっと長いものを書くこともできた。それくらい僕には書きたいことがたくさんある。

 この手紙が彼女の手元に届く可能性はあると思う。彼女はいかにも君の読者でありそうな女性だからだ。

 僕はあと二カ月で71歳になる。僕が見た夢はそのあまりの明確さで僕を揺り動かした。僕が生きたかも知れない人生、そして僕が生きなかった人生についての一本の映画のようだったのだ。

 ケイコは『伊藤さん』というあの短編集の中の「マリコ」のモデルになった女性だ。人生というのはまるで円環のようだと思わないか。あらゆるものは再帰してくる。

こんなお願いをしたことで君に迷惑をかけたくはないけれど、できたら返事が欲しい。

友情をこめて

 

 

M***

2021年

6月

18日

内田樹さんの「成長と統治コスト」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1023

組織の管理コストを削減しようとしたら、メンバーたちが自由きままに行動することを禁止しなければならない。それは短期的に見れば、組織的な「バグ」がなくなって、コントロールしやすくなるのでよいことのように見えるかも知れませんが、長期的にはその集団の生産力を深く損うことになるのです。

 

 

2021年6月10日の内田樹さんの論考「成長と統治コスト」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 僕が入学した1970年は国立大学の入学金が4000円、半期授業料が6000円でした。だから、一万円札1枚出して入学手続きが終わった。50年前ですから物価は今よりだいぶ安かった。ざるそばが60円、コーヒーが70円、ロングピースが80円という時代です。でも、僕がやっていた学習塾のバイトは時給500円でした。ですから、2時間働くと、一月分の授業料が払えた。

 授業料が安いと何が起きるかというと、「苦学」ができるようになります。「苦学生」というのは、自分で働いて学費を出している学生のことですが、僕の学生時代にはいっぱいいました。時給500円というのはかなりいいバイトでしたから、バイト仲間はほとんど生活費を自分で出して、授業料も払い、中には両親に仕送りをしてる人さえいました。

 だから、地方から来た学生たちも、東京にいても家から出て暮らしている学生たちは親の管理下にないわけです。いつ起きて、いつ寝て、何をしているのか。勉強しているのか、デモに行っているのか、バイトしているのか、デートしているのか、親にはぜんぜんわからない。だから、学生運動があれだけ盛り上がったわけです。親の監督が届かないから。六〇年代末の全共闘運動の広がりを支えたのは、授業料がすごく安かったこと、経済成長のおかげでバイト代がどんどん上がり、過激派の学生たちが楽にバイトで暮らすことができたからです。高度成長が全共闘運動の経済的な基盤だったんです。

 それに気がついた知恵者が政府部内にいたんでしょうね。学生たちがあんなに活動的でいられたのは、「金がある」せいだ、と。だったら、金を取り上げよう。そこで授業料をいきなり三倍に上げた。

 でも、その時点で国立大学の授業料を三倍に上げる必然性なんかまったくなかったわけですよ。だって、高度成長期で、税収はじゃんじゃん国庫に流れ込んでくるわけで、月額1000円の国立大学授業料を3000円に増やしたからといって、国の懐具合には変化がない。でも、あえてそうしたのは、学生たちが苦学できないようにする必要があったからです。学生たちを親に経済的に依存させて、親の管理下に置く必要があった。

 そのあとも、ひたすら授業料を上げ続けた。すべての学生たちに恵まれた就学機会を提供することが教育行政の本務だとしたら、それに逆行したわけです。親たちにとって学費がひどく負担になるという状況をまず創り出した。そうすると、親としては学費が「教育投資」ということになる。出した金はなるべく迅速かつ確実に回収したい。そのためには本人の意向は二の次で「とにかく実学」ということになる。今の世の中の価値観やマナーにジャストフィットした人間に自分の子どもを叩き直すことが親にとって喫緊の課題になる。せっかく払った授業料が無駄にならないように、うるさく出席状況や成績をモニターするようになる。これは別に親の側のマインドセットが変わったわけじゃなくて、おおかたは金のせいなんです。自分の懐が痛まないうちは、子どもが何をしようとさして気にならなかったのだけれど、自分の懐からかなりの金額を支出せざるを得ないというところに追い込まれると、「おい、オレの出した金を無駄にするなよ」という気分が醸成される。「単位取ったのか」「ちゃんと卒業できるのか」「就活しているのか」という以前はあまり言わなかったこと(言ってもわりと小声で)が声高に言われるようになった。

 こうやって学生たちの日常生活を猜疑心の強い親に監視させるという仕組みを作ったのが「学費値上げ」だったのです。そして、この政策はみごとに功を奏して、学生運動は一気に火が消えたようになりました。もちろん、他にもさまざまな歴史的理由があったわけですけれど、一番効いたのは「学費値上げ」でした。

 警察であれ公安であれ、公的機関を使って過激派学生を管理しようとしても、コストがかかり過ぎる。何十万もの過激派学生を監視するだけの人的リソースなんか政府にはありません。だから、親に子どもを監視させるという「隣組」システムを導入した。これが日本人のメンタリティにジャストフィットして、おかげで学生運動の鎮圧に成功した。

 今は国立大学の入学金は282,000円、授業料が年間535,800円です。入学金と半期授業料だけで55万円を用意しなければなりません。50年前の55倍です。僕の時だと、ほとんどの受験生はお年玉を貯めた「豚の貯金箱」を叩き割れば1万円くらいは出せた。いま合格発表時に55万円の現金を持っている受験生はまずいないでしょう。だから、進学先の決定は「金主」である親に一任するしかない。

 進学先の決定権が自分にないというのは大きいことです。「苦学」できる環境なら、親が「そんなことを学んで何になる!」と激怒するような専門分野を選んでも、「自分で学費出すから、好きにさせてよ」と言えた。でも、もうそれが言えなくなった。それによって「不本意入学」する学生が激増した。自分には興味がないけれど、親が「そこじゃないと金を出さない」と言うのでやむなく進学したという領域で学生が知的ブレークスルーを遂げるということはまったく期待できません。それどころか、子どもたちは「自分の進路選択が正しく、親の判断は間違っていた」ということを証明するために親に「金をドブに捨てた」と後悔させるように無意識的にふるまうようになる。つまらなそうな顔で通学し、最低限の勉強しかせず、最低の成績で卒業する。でも、それは「無意識的に」していることですから止めようがない。実際には驚くほど多くの大学生がそうふるまっている。ほんとうにもったいないことだと思います。それくらいだったら、本人が「やりたい」ということをさせておけばよいと思うんですけれどね。

 とにかく授業料値上げによって、日本の高校生は進路決定権を失い、大学生は「苦学」という選択肢を奪われました。たしかにそれによって大学生は自由度と覇気を失い、学生運動は一気に下火になり、大学はたいへん管理し易い場所になりました。でも、それによって同時に日本の学術的な生産力は深い傷を負ったのでした。

 

 もう一度繰り返しますけれど、組織の管理コストを削減しようとしたら、メンバーたちが自由きままに行動することを禁止しなければならない。それは短期的に見れば、組織的な「バグ」がなくなって、コントロールしやすくなるのでよいことのように見えるかも知れませんが、長期的にはその集団の生産力を深く損うことになるのです。

2021年

6月

17日

土曜日の午後 ☆ あさもりのりひこ No.1022

毎週、土曜日は、仕事を終えた後、「~RIPEN~ライペン」(奈良県橿原市北八木町1-6-18)で昼メシを喰う。

「~RIPEN~ライペン」はオムライスとベーグルサンドの店である。

カウンター5席、テーブル2席のコンパクトな店である。

桶谷さん夫婦が経営されている。

ご主人が料理を作るが、フライパンを動かしながらライスを卵で包んでいく技術は一見の価値がある。

サラダ(大盛)、ケチャップのオムライス(大盛)、ホットコーヒーのセットをいただく(1000円)。

サラダの大盛はメニューに無い「特注品」である。

店舗は、桶谷さんとお父さんがふたりで車庫を改装したそうな。

桶谷さんは、竹細工もしていて、竹で作ったストラップを売っている(300円)。

朝守は、通勤用の鞄と仕事用の鞄に竹のストラップをつけている。

 

昼メシを喰い終わったら「COOPみみなし」(奈良県橿原市新賀町478)に行く。

「COOPみみなし」ではペットボトル、アルミ缶、スティール缶、トレーなどを回収して再生している。

ペットボトルやアルミ缶などを溜めておいて持っていく。

本当は「再生」ではなく、ゴミを出さないことが望ましい。

 

 「COOPみみなし」を出て、イタリア料理店「ソッリーソ クッチーナ イタリアーナ(Sorriso cucina italiana)」(奈良県橿原市土橋町615)に行く。

 土曜日は「ソッリーソ」の『パンの日』である。

 1か月で変わる2種類のパン、自家製ドレッシング、ケーキやムースetc.

 とくに自家製ドレッシングは「ニンジン」「新玉葱」「イチゴ」「ザクロ酢」など、どれも大変おいしい。

 サラダが喰いたくなる。

 「新玉葱のドレッシング」は納豆にかけると旨い。

 

 「ソッリーソ」を出て、ぱんや「ブーランジェリーブリエ(Boulangerie briller)」(奈良県北葛城郡広陵町馬見北9-9-30)に行く。

 山型食パン、胡麻食パン、全粒粉食パン、パン・オ・リュスティック、バタール、バゲット、どれも、皆、美味しい。

 6月からノア・レザン(胡桃とレーズンのパン)が登場した。

 ノア・レザンにクリームチーズ(ふたば乳業)を塗って喰う。

うまい!

 年末のシュトレンとガレット・デ・ロアを毎年楽しみにしている。

 

「ブリエ」を出て、豆富の「マメタロウ商店」(奈良県北葛城郡広陵町馬見北8丁目8-1)に行く。

絹ごし豆腐、木綿豆腐、おぼろ豆腐、揚げ各種、生湯葉、納豆、豆乳プリン、豆乳ドーナッツetc.

時々店頭に並ぶ「青大豆おぼろ」と「だだちゃ豆おぼろ」が見逃せない。

揚げも色々あって、どれも美味しいが、「大仏の下駄」がデカくて美味しい。

豆腐も揚げも「型くずれ」したのを安く買えるのも嬉しい。

少々形が崩れていても、喰ったらいっしょやからね。

「マメタロウ商店」の豆腐は、まるでスウィーツのような味わいだ。

 

「マメタロウ商店」を出て、「旬の里 まみが丘」(奈良県北葛城郡広陵町疋相489-1)に行く。

奈良県産の無農薬・有機野菜が揃っている。

果物を買えるのが有り難い。

「ばあく」の豚肉を買うことができる。

春には鴨肉も手に入る。

「ラッテたかまつ」のモツァレラチーズ、西井牧場の「飛鳥の美留久」、羽間農園の紅茶、月ヶ瀬健康茶園の煎茶、下村さんのこんにゃく、はちまつ養蜂農場さんの蜂蜜、オリーブオイル、パイン缶、たくあん、豆いろいろetc.

6月には、石垣島のパイナップル(生パイン)が初登場!

わが家の野菜は、「明日香ビオマルシェ」と「旬の里 まみが丘」に支えられている。

 

「旬の里 まみが丘」を出て、「ファーマシー木のうた 坊城店」(奈良県橿原市東坊城町466-1)に行く。

「ファーマシー木のうた 坊城店」については、No.1012のブログに書いたとおりである。

光食品のドレッシングや缶ジュースもある。

「ファーマシー木のうた 坊城店」は自然食品の宝庫である。

 

「ファーマシー木のうた 坊城店」を出て、「高取ばらハウス」(奈良県高市郡高取町大字森43)へ行く。

「高取ばらハウス」については、No.508のブログに書いた。

 「高取ばらハウス」のおかげで、わが家は薔薇の花が絶えない。

 

 こうして、買い物行脚を続け、帰宅して買ってきた物を納めて(関西弁では「しまう」という)、薔薇の花を活ける。

 

そして、朝守は晩メシを作るのであった。

2021年

6月

16日

内田樹さんの「成長と統治コスト」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1021

統治コストが高い社会は活動的であり、統治コストが低い社会は非活動的である。そんなのは考えれば当たり前のことなんですけれども、組織管理コストを削減することが「絶対善」だと信じ切っているシンプルな人たちにはそれが理解できない。「角を矯めて牛を殺す」ということわざに言う通りです。

 

 

2021年6月10日の内田樹さんの論考「成長と統治コスト」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

『複雑化の教育論』の中で、高度成長期に最も統治コストが嵩んだことを論じた。統治しにくい状態になると、経済は成長し、文化的発信力も高まる。だから今の日本のように「統治しやすい状態」になると、経済は停滞し、文化も力を失う。その「さわり」のところを少しだけ抜き書きしておく。

 

 この30年間は中産階級の没落と、労働者階級の貧困化として進行しました。それは当然なんです。統治コストの削減は必ず「中産階級の空洞化」をめざすからです。これは世界中あらゆる国の出来事に妥当します。

 近代史をひもとけばわかりますけれど、中産階級が勃興すると、民主化闘争が起きます。市民たちがある程度経済的に豊かになると、権利意識が芽生えてくる。言論の自由、思想信教の自由、政治的自由を求めるようになる。やがて、市民革命が起きて、近代市民社会が成立する。これは決まったコースなわけです。王政や帝政に替わって民主制が登場してくる。

 革命というのは、倒される側の政体からすると、「統治コストが最大化した状態」のことです。なにしろ、行政組織にも軍隊にも警察にも、トップの命令が下達されなくなるんですから。統治コストが統治者の負担能力を超えると、体制は倒壊する。民主化の進行というのは市民の政府に対する要求がどんどん増大してゆくことですから、既存の政体からするとそれは「統治コストの急増」ということになる。

 日本の場合を考えるとよく分かります。高度成長期というのは、日本の国力が急激に伸びた時期です。経済力も、国際社会におけるプレゼンスも、文化的発信力もすべてが伸びました。でも、もうお忘れかも知れませんが、この時期、日本社会の統治コストは戦後で最も高かったんです。六〇年代から七〇年代にかけて、「一億総中流」が達成されて、市民の暮らしが年々豊かになってきた時期に、日本は最も革命的でした。市民運動も労働運動も学生運動も、まさにこの時期にその絶頂期を迎えました。革新自治体が日本中にできました。政権担当者のコントロールが最も利かなくなった時代は日本の高度成長期と符合します。このことをほとんどの人は忘れていると思います。でも、これは重要な法則です。国民が豊かになり、より多くの自由を求め、権利意識に目覚めると、統治コストは嵩む。社会的流動性が高まると、国民を管理することはむずかしくなる。でも、市民が自由に動き出して、モビリティが高まる時期に国力は一気に増大する。僕はその時代をリアルタイムで生きていましたから、よく分かります。

 1966年から70年、全国学園紛争の頃ですね。日本中の大学がバリケードで封鎖され、授業がなくなり、69年には安田講堂が「陥落」して、東大の入試が中止になった。70年の11月には三島由紀夫が個人的な「クーデタ」を画策して、割腹自殺をした。その5年間の経済成長率は10・9%。戦後最高なんです。皮肉なものです。

 政治的騒乱がそのピークに達していた時に、日本人は同時にものすごい勢いで経済活動を行っていた。それはこの時期に十代二十代を過ごしていた人間としてよくわかります。人々が政治的に熱くなっている時に、人々は同時に経済的にも、文化的にも熱くなる。日本中の大学が「ほとんど無法状態」であった時に、日本の経済はとんでもない角度で急成長していたのです。この事実から何らかの法則性を引き出そうとした人がいたかどうか、僕は知りません。管見の及ぶ限りはいないようです。でも、「市民的自由が謳歌されている社会は、統治者にとっては管理しにくいものだろうが、市民にとってはたいへん暮らしやすいものである」ということがわれわれの世代は実感として身に浸みている。

 統治コストが高い社会は活動的であり、統治コストが低い社会は非活動的である。そんなのは考えれば当たり前のことなんですけれども、組織管理コストを削減することが「絶対善」だと信じ切っているシンプルな人たちにはそれが理解できない。「角を矯めて牛を殺す」ということわざに言う通りです。わずかな欠点を補正しようとして、本体を殺してしまう。

 60年代の後半というのは僕が中学生から予備校生にかけての時期ですけれど、市民的自由が日に日に拡大して、国家の統制がどんどん弱くなってきていることが肌身にしみた。国家だけではなく、あらゆる制度的な統制が緩んでゆくのが、子どもながら分かった。中学三年の時より高校一年の時の方が日本社会は自由になっていて、高校一年よりは二年の時の方がさらに自由になっていた。

 だから、70年代はじめに学生運動が終息したあとに、政府はとりあえず学生たちの政治的自由を制約するための施策を次々と繰り出してきました。一番先にやったのが「学費値上げ」でした。国立大学の授業料を一気に三倍に上げた。

 

 

2021年

6月

15日

桜井市「肉のカワイ」のメリーコロッケ@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

昨日の雷と大雨・・・凄かったですね。

青白い光が何度も光り,雷の轟音が鳴り響き・・・⚡

カーテンを締めていても光と音がすさまじく,

普段は耳が遠くて雷に気付かず寝ている祖母も怖がって起きてました😅

雷嫌いな私には,これからの季節はほんとに憂鬱です・・・😱

 

さて,今日は,最近ハマっている,美味しいコロッケをご紹介します。

 

 

肉のカワイ

 https://www.momofukugyu.jp/

 

 

 奈良県桜井市芝1005番

 電  話 0744-42-2981

 営業時間 9:30~18:30

 (定休日 火曜)

 

橿原市のお隣の桜井市にある黒毛和牛専門店で,近鉄大和八木駅から車で約15分のところにあります。

 

 

こちらのお店の名物は,上質な山形牛をオリジナルスパイスで味付けして焼いてある

「百々福(ももふく)焼き」で,たれもいらずそのままスライスして食べられる美味しい

お肉なのですが。

 

今日私が紹介したいのは,こちらで売っているその名も「メリーコロッケ」です。

 

コロッケなんて,まあ殆どどこも同じじゃないの?

なんて,私も思っていたのですが。

 

こちらのコロッケに使用しているじゃがいもは「インカのめざめ」というじゃがいもで,

一般のじゃがいもの糖度が4~5度に対し,インカのめざめは糖度が6~8度もあって,

さつまいものような甘さがあります。

 

また,こちらのメリーコロッケの中には,スパイスが効いた「百々福焼」も隠し味に入っていて,おいもの甘さとお肉の旨みも合わさって・・・美味しいんです♡

 

1個200円で,普通のコロッケに比べると倍のお値段ですが,

一度は食べてみる価値ありです(*^-^*)

 

我が家に買って帰ったところ,祖母がこのコロッケを気に入ったようで,

「あのコロッケ,また食べたいわ」「どこで売ってるの」と何度も催促が😅

 

何度も買いに行くのはなかなか大変なので,お店のホームページを見てみると,

オンラインショップもあるようですね。

 

今度,百々福焼と一緒に注文してみようかな~。

 

ご興味のある方は一度お試しあれ(・∀・)

 

2021年

6月

14日

内田樹さんの「『世界新秩序と日本の未来』(集英社新書)のためのあとがき」 ☆ あさもりのりひこ No.1020

実現することが困難であり、これまで繰り返し挫折してきた「使命」にこそ最も強く集団を牽引する力がある。

 

 

2021年月日の内田樹さんの論考「『世界新秩序と日本の未来』(集英社新書)のためのあとがき」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

姜尚中さんとの対談本シリーズの三作目がもうすぐ刊行される。「あとがき」をあげておく。

 

 最後までお読みくださって、ありがとうございます。

 姜尚中さんとの集英社新書での対談シリーズはこれで3冊目となります。姜さんとお話をするのは、僕にとってはとても楽しく、また学ぶことの多い貴重な経験です。

 他の方との対談でもほぼすべてそうなんですけれど、僕の場合、対談のお相手になる方は、論じている事案についての専門家で、僕はその件については素人です。

 そういう人がどれくらいいるのか知りませんけれど、僕は専門家の話を聞くのが大好きなんです。前に、結婚披露宴のテーブルでたまたま隣り合わせた方の業界の話を熱心に聴いていたら、先方がふと我に返って「こんな話、面白いですか?」と不審そうな顔をされたことがありました(その時僕が聞き入っていたのは貴金属業界の景況についての話でした)。いや、面白いんです。きちんとした専門的知識の裏づけのある専門的な話は、ほんとうに面白い。

 姜さんとの対談もそうです。かちっとした枠組みは「玄人」の姜さんに作って頂いて、僕は「素人」として、その枠組みの中でくるくる走り回って、勝手な思いつきを話す。そういう役割分担が僕にとっては一番気が楽なんです。姜さんは正統派の政治学者ですから、論拠の乏しい思弁をすることについてはつよい自制が働く。僕はもとが文学研究者ですから、政治については、史料や文献を体系的に読み込んだこともないし、分析や解釈の学術的な手順を学んだこともない。僕が政治について語る言葉はどれも「床屋政談」の域を出ません。でも、「床屋政談」には固有のアドバンテージがあります。それは学術的なエビデンスがないことでも、直感的に脳裏に浮かんだ思いつきをすぐに口にできるということです。どんな荒唐無稽な話を口走っても、僕の場合はそれでペナルティーを受けるということがない。「それでも政治の専門家なのか」という批判を僕に向ける人はいないからです(専門家じゃないから)。

 何よりもありがたいのは、僕がこの領域では素人だということは読者のみなさんはつとにご存じですから、「政治についてのウチダの話は眉に唾をつけて聴かねばならない」というルールが周知されていることです。

 政治に関する領域では、僕の発言の真実含有量は35パーセントくらいです。残り50パーセントは「思いつき」で、「思い違い」が15パーセントくらいです。

 これ、別にいい加減な数字を言っているわけではありません。集英社の校閲はかなり厳密なんですけれど、初校ゲラが上がって来て校閲を見ると、僕が自信たっぷりに「・・・である」と断言している命題の15パーセントくらいについては「違います」という朱が入っています(ご安心ください。みなさんがお手にとっているこの本では原稿段階での「思い違い」は修正済みですから)。

 でも「思いつき」はそのまま残っています。というのは、「思いつき」には校閲者の朱が入らないからです。朱が入らないというよりも、朱の入れようがない。「思いつき」は真偽の判定になじまないからです。

 前に村上春樹さんが小説の中で「すぐにラジエーターが壊れるワーゲン」と書いたら、「その時代のフォルクスワーゲンは空冷式でラジエーターはありません」という指摘が車に詳しい読者からなされたことがありました。でも、村上さんは少しも慌てず「これは水冷式のフォルクスワーゲンが存在する世界のお話です」と答えていました。僕もこの態度を見習いたいと思います。

 僕が国際政治について書いていることの半分(以上)はふっと脳裏に浮かんだ「お話」です。「お話」ですから、エビデンスもないし、史料もないし、証言もないし、統計データもない。

「お話」というのは、あえて言えば、かたちあるものではなく、むしろかたちをあらしめるものです。歴史の表層に顕在化したかたちある出来事のことではなく、それらの出来事に伏流するかたちのないもののことです。

「お話」の効用は、その枠組みの中に置いてみると、それまで相互に関連づけられなかった断片的な出来事が結びつけられるという点にあります。僕は「それまで相互に無関係だと思われていたことを関連づける」ということが大好きなんです。この「関連づけるための枠組み」のことを僕は「お話」と呼んでいるわけです。「アイディア」と呼んでもいい。

 柴田元幸さんのエッセイで、柴田さんがアメリカの作家とおしゃべりしていたときに、その作家が「アメリカというのは一つのアイディアなんだよ」とぽつりとつぶやいたのを聴いて深く得心したという一節を読んだことがあります。このフレーズは僕にも深く浸みました。ほんとにそうだよなと思った。

 アメリカの場合はたしかに先行する「理念」があって、それに基づいて国のかたちが整えられたという歴史的経緯があります。でも、同じことは、程度の差はあれ、他の国々や集団について言えるんじゃないでしょうか。「日本というのは一つのアイディアなんだよ」でも「中国というのは一つのアイディアなんだよ」でも言えそうな気がします。

 僕たち日本人は日本という国がどういうものであるべきかについて、ぼんやりした「アイディア」を集団的に共有している。ただし、それはとても「ぼんやり」したものなので、自分たちがそんなアイディアを参照しながら国のかたちを整えているということにふだんは気がつかない。でも、百年、二百年という長いタイムスパンの中で俯瞰してみると、そこにありありと「日本というアイディア」が浮かび上がってくる。そして、個別的に見た時には「どうしてこんなことをしたのか、意味がわからない」という集団的なふるまいが「ああ、これって、『そういうこと』だったのか」と腑に落ちるということがある。

 そんなふうに変容しながら繰り返し再帰してきて、その集団を無意識的に方向づけるもののことを「アイディア」と僕は呼ぼうとしているわけです。そして、僕が政治史について一番興味があるのはそれぞれの政治単位における「アイディア」を見出すことなんです。

「自分たちの集団はこの世界において、人類史において、どのような果たすべきミッションを託されているのか」という自己規定は政治的ふるまいにしばしば決定的な影響力を及ぼします。そして、私見によれば、ある集団において最も強い指南力を持つミッションは「ミッション・インポシブル」なんです。「不可能な使命」。これまでにうまくやり遂げてきたこと、それについて十分な経験知を持っていることは「ミッション」になりません。これまで実現しようとしてついに実現できなかったことが最も強い指南力を発揮する。そういうものではないかと思います。

 フランス語の文法用語でépithète de nature というものがあります。「本来的形容辞」と訳されますけれど、その名詞に本来具わっている性質を表す形容詞(だから、本来なら必要のない形容詞)のことです。blanche neige「白い雪」とかcaillou dur「硬い石ころ」とか。misson impossible における「不可能な」という形容詞はこの「本来的形容辞」ではないかという気がします。つまり、実現することが困難であり、これまで繰り返し挫折してきた「使命」にこそ最も強く集団を牽引する力がある。その「使命」はこれまで一度も完全なかたちでは実現したことがありません。だから、歴史的事実としては存在しない。でも、この「かつて一度も現在になったことのない過去」(これはエマニュエル・レヴィナスの言葉です)が人間たちを集団的にとりまとめ、集団的に導いてゆく。

 僕には何となくそんなふうに思えるのです。僕が政治を語る時に、「アイディア」とか「ミッション」ということにこだわるのは、そういう仮説を立てているからなんです。

 

 とりとめのない話になってしまって済みません。「あとがき」はこの辺にしておきます。続きはまた今度。

 姜さんとのこの対談シリーズはオープンエンドですから、これからも定期的に続けてゆきたいと思っています。姜さん、どうぞよろしくお願い致します。

 

 最後になりましたけれど、姜さんとの対談の機会を設定してくださり、編集の労をとってくださった集英社新書編集部の伊藤直樹さんはじめみなさんに御礼を申し上げます。ありがとうございました。

2021年

6月

11日

内田樹さんの「呉泰奎総領事のこと」 ☆ あさもりのりひこ No.1019 

「ジャーナリストは現場に足を運んで、本人の話を聴くのが基本です」

 

 

2021年6月10日の内田樹さんの論考「呉泰奎総領事のこと」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

大韓民国の呉泰奎(オ・テギュ)在大阪総領事が任期を終えて離任されることになった。

 呉総領事は型破りの外交官だった。リベラルなハンギョレ新聞の創設メンバーの新聞記者で、長く日本で特派員をつとめた経験を買われて、文在寅大統領に請われて外交官に転じた。「ジャーナリストは現場に足を運んで、本人の話を聴くのが基本です」というのが信条だった。だから、これまで職業的な外交官が足を向けなかった場所や集まりにも気楽に顔を出した。そして、儀礼的な扱いを求めず、まっすぐ人々の懐に飛び込んだ。 

 在日コリアンの世界は複雑である。南と北のどちらかだけに帰属感を持つ人がおり、どちらをも祖国だと思う人がおり、どちらにも帰属感を持たない人がいる。総領事はそのすべての在日コリアンの利害を代表して行動しようとしていたように私には見えた。それは韓国政府の役人としての服務規定の範囲を時には超えることだったかも知れない。

 私が編著の『街場の日韓論』という論集を一読して総領事は日韓の市民的連携のためのわれわれの努力を多として、神戸まで会いにいらしてくれた。それから何度かお会いした。『日韓論』の執筆陣で関西在住の六人(伊地知紀子、白井聡、平田オリザ、松竹伸幸、山崎雅弘と私)を総領事館に招いて感謝の宴席を設けてくれたこともあったし、私の道場で講演をしてくださったこともあった。

 ソウルに戻った後はどうするのですかと訊いたが、何も決まっていないということだった。もうメディアの仕事には戻らない。一度官途に就いた者はジャーナリストとしては「汚染」されたものとみなされるからですと笑っていた。

 日韓関係は今も戦後最悪のままである。こんな時期に呉総領事のような見識の高い、器量の大きな方が日韓の架橋の役を担ってくれたことは日本にとって幸運だったと思う。

 

(信濃毎日新聞6月7日に寄稿)

2021年

6月

10日

奈良マラソン2021への道 その7 ☆ あさもりのりひこ No.1018

5月21日(金)、休足

 

5月22日(土)、休足

 

5月23日(日)午前、ジョギング、3時間09分51秒、24.2㎞。

高松塚~飛鳥駅前~キトラ古墳~鷹鞭橋~キトラ古墳~稲渕~栢森~稲渕~キトラ古墳~高松塚。

2時間40分、21㎞を超えたあたりから脚が動かなくなった。

月間走行時間が20時間を超えた。

 

5月24日(月)、休足

 

5月25日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走、傾斜2%、30分、4.4㎞。

時速8㎞から10㎞まで5分ずつ走った。

 

5月26日(水)早朝、インターバル走、37分41秒、6.5㎞。

5分22秒、5分22秒、5分36秒、5分18秒、5分09秒。

この行程の自己記録を更新した。

 

5月27日(木)雨で休足

 

5月28日(金)早朝、ペース走と階段598段、46分39秒、6.9㎞。

この行程の自己記録を更新した。

5月の月間走行距離が200㎞を超えた。

 

5月29日(土)早朝、ウインドスプリント、41分44秒、6.1㎞。

ジョギングを22分49秒、3.4㎞、ウインドスプリントを200m10本。

ウインドスプリントのペースは1㎞あたり4分53秒、4分37秒、4分37秒、4分23秒、4分45秒、4分20秒、4分17秒、4分05秒、4分16秒、4分10秒。

8本目の4分05秒が一番速かった。

 

5月30日(日)早朝、坂道ダッシュ400m3本、50分29秒、7.6㎞。

2分33秒(6分23秒/㎞)、2分22秒(5分56秒/㎞)、2分19秒(5分47秒/㎞)。

 

5月31日(月)早朝、階段1138段駆け上がり、48分05秒、5.9㎞。

5月の月間走行時間が25時間を超えた。

 

6月1日(火)夜、トレッドミルでペース走、傾斜2%、30分、4.5㎞。

時速9.2㎞(6分30秒/㎞)。

アルトラ・エスカランテ2を初めて履いて走った。

 

6月2日(水)早朝、全力疾走、ジョギング、全力疾走、39分05秒、6.5㎞。

最初の2㎞が5分09秒、5分17秒、最後の2㎞が5分10秒、5分09秒。

アルトラ・リベラを履いて、初めてロードを走った。

 

6月3日(木)早朝、ビルドアップ走、40分01秒、6.5㎞。

1㎞毎のペースは、7分04秒、6分39秒、6分29秒、6分09秒、5分46秒、5分23秒。

最後の500mは4分53秒/㎞。

5分46秒はゆるやかな下り坂なので少し速めになった。

5分23秒は、上りと下りがあるので、まあいいタイムである。

 

6月4日(金)休足

 

6月5日(土)休足

 

6月6日(日)午前、ロング走をする予定だったが、雨が降っていたので断念した。

雨が止んでから、橿原運動公園でペース走、1時間07分53秒、10.8㎞。

1㎞6分30秒のペースを目安に走る。

6分27秒、6分16秒、6分32秒、6分20秒、6分19秒、6分31秒、6分07秒、6分16秒、6分22秒、5分55秒、最後の800mは5分54秒。

平均は6分17秒だった。

 

6月7日(月)早朝、インターバル走、38分53秒、6.5㎞。

5分07秒、5分15秒、5分43秒、5分38秒、5分38秒、最後の300mは5分46秒。

月刊誌「ランナーズ」7月号に『2020フルマラソン1歳刻みランキング』が掲載されている。

男性61歳のランキングをみると、79位に「朝守令彦 奈良 5:07:57 奈T」と記載されている。

今年1月に走った奈良・平城京跡歴史公園TrialMarathonの記録である。

 

6月8日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走、傾斜2%、30分、4.5㎞。

時速8.8㎞、9.2㎞、9.6㎞、10㎞で各1キロメートル走り、最後は時速10.4㎞で500m走った。

 

6月9日(水)早朝、ペース走と階段598段、48分42秒、6.9㎞。

6分53秒、7分02秒、6分22秒、10分20秒(階段)、6分18秒、6分04秒、6分02秒。

 

6月10日(木)早朝、ジョギングとウインドスプリント。

ジョギングを23分53秒、3.4㎞、ウインドスプリント200mを10本。

4分30秒、4分32秒、4分22秒、4分07秒、5分09秒、4分20秒、4分23秒、4分26秒、4分26秒、4分22秒。

 

 

2021年

6月

08日

紫陽花(あじさい)

本日、6月08日は事務局が担当です。

今日は、梅雨の中休みでしょうか、八木駅前は晴れています。

気温が上がってきて、夏の陽ざしを感じるように思います。

今年の梅雨入りは例年より早く、長い梅雨になると思いきや、この晴れの日は、拍子抜けです。

私は、雨で傘をさして歩いていると気が滅入りそうな、うっとうしい気持ちになるので、雨の日そして、傘をさすのが嫌いですから、晴れの日が良いのですが。

しかし、梅雨だからこそ観れる楽しみもあります。

それは、この梅雨期間に雨の中を出勤してきて、なら法律事務所の在るセレーノビル西側入り口に咲いている紫陽花です。

なら法律事務所の在るセレーノビルの紫陽花
なら法律事務所の在るセレーノビルの紫陽花

 雨の日の朝に、うっとうしい気持ちでセレーノビルに着いた時に迎えてくれ、元気を与えてくれるように思います。

 今年の最も色が映え、綺麗なピークの時期は過ぎたようには、思いますが、まだまだ綺麗な青い色の花が咲いています。

  私が思う紫陽花の一番綺麗なのは、この季節の花のせいでしょうか、雨に濡れて活き活きしている時です。

 ちなみに、なら法律事務所のパーティションの色もこの紫陽花の色に似ています。

 ところで、皆さんは日々身の回りで、自身に元気を与えてくれるものはありますか?

 私には、この紫陽花の様に、元気を与えてくれるものや事がいくつもあります。

 みなさんも、普段の身の回りを再度見直して、元気を与えてくれるものや事を見つけてください。

 そして、元気を得て、沈む気持ちをはねのけ、去年から続くコロナ禍を乗り切りましょう!

2021年

6月

04日

内田樹さんの「半藤一利『語り継ぐこの国のかたち』文庫版解説」 ☆ あさもりのりひこ No.1017

歴史修正主義は戦争経験者たちの集団的な沈黙の帰結である。

 

「過去の失敗に学べ。歴史から学ばないものに未来はない」

 

 

2021年6月3日の内田樹さんの論考「半藤一利『語り継ぐこの国のかたち』文庫版解説」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

半藤一利さんの『語り継ぐこの国のかたち』(大和書房)が文庫化されることになって、解説を頼まれた。この本は単行本のときの担当編集者が『街場の親子論』の企画者だった楊木さんだったということで、ご縁があるのね、ということでお引き受けしたのである。

 

 この本は半藤一利さんが最晩年に書かれたものを集成した論集である。

 私自身は半藤さんにお会いしたことがない。書かれたものはずいぶん読んだけれど、ついに尊顔を拝する機会を得ないままに半藤さんは鬼籍に入られた。得難い方を失ったと思う。

 半藤さんのように東京大空襲を経験し、玉音放送を聴き、編集者となってから旧軍の人たちのオーラルヒストリーを聴き集めたというような希有な体験を持つ方がひとりずついなくなってゆく。そして、戦争を直接経験として有している世代が一人消えるごとに、戦争についての記憶がかすみ、あるいは歪められ、改竄され、上書きされる。戦争について語る言葉は時間とともに不可逆的に観念的でかつ軽いものなってゆく。そのことを半藤さんは亡くなられる前に強く危惧しておられたと思う。その思いは本書の行間ににじんでいる。

 私は1950年の東京生まれである。戦後すでに5年経っていたが、幼い頃にはあちこちに戦争の痕跡が残っていた。1956年にこの本で半藤さんが書いているように「もはや戦後ではない」という言葉を人々が誇らしげに口にし始めた頃には、焼け跡も防空壕も生活圏では目につかなくなった。この「もはや戦後ではない」には「だから、もう戦争の話は止めよう」という遂行的なメッセージも同時に含意されていたと思う。それまで「戦争」はある意味では日常的でひどく身近なものだったからだ。

 家の近所に「あーや」と呼ばれる片腕の老婆がいた。子ども好きの親切な人だったが空襲で片腕を失っていた。母親にものをねだるといつも「うちは貧乏だからダメだ」と一蹴された。「どうして貧乏なの」と訊ねると「戦争で負けたから」と判で捺したような答えが返ってきた。仲良しだったしげおちゃんの父親は元憲兵下士官で、休日に昼酒を飲み目が据わってくると、「チャンコロ」を日本刀で斬った話をした。私の「樹」という名前は『教育勅語』の「朕惟フニ我ガ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」から採ったものだ。名づけ親の松井さんは父の親友で、陸軍中野学校を出た職業軍人だった。静かな声で話す痩身白皙の人で、私は後にも先にも「虚無的」という形容詞があれほど似合う人を見たことがない。父が家で同僚たちと酌み交わしているときに、ときどき戦争中の話になることがあった。その時に父が「負けてよかったじゃないか」とつぶやくように言ったのを聴いた覚えがある。その言葉が出るとみんなしばらくしんと黙って、そして違う話題に移った。小学校の担任の手嶋先生は快活で優しい男の先生だった。私はいつも先生にまとわりついていた。あるとき「先生は戦争に行ったの?」と訊いたことがある。先生はちょっとこわばった表情で「ああ」と答えた。「先生、人を殺したことある?」と重ねて訊くと、先生は蒼白になって黙り込んでしまった。

 戦争は私の世代にとっては「現にそこにあるもの」ではなかった。そうではなく、むしろ「何かの欠如」だった。「欠如」していたのは、老婆の片腕であり、わが家産であり、青年の覇気であり、戦争の記憶だった。私たちの世代にとって、戦争の経験とは「何かが欠如している感じ」のことだった。それは現実にそこにあるものと同じくらいにリアルで、タンジブルな欠如だった。

 私たちの前には多くの戦争経験者がいた。大陸や半島で植民地支配に加担した人たちがいた(母方の祖父がそうだった)。特高の拷問を受けた人がいた(岳父がそうだった)。どこかで深い心理的な傷を負い、そのせいである時期の出来事についてはうまく語ることができなくなっている人間がいた。

 この「欠如」は目の前にいる私たちにとってはリアルなものだった。「リアルな欠如」というものがありうるのだ。けれども、それに向き合ったことがない人たちにその消息を言葉で伝えることは難しい。きわめて難しい。それは目の前にいる人がふいに「押し黙る」とか「蒼ざめる」という欠性的な仕方で雄弁だったのであり、その生身の身体が目の前からいなくなるとリアリティーを失う。

 1980年代から戦争経験者たちが社会の第一線から消え始めた。それまで彼らの沈黙はある種の「重石」として効いていたのだと思う。戦場で、占領地や植民地で、あるいは銃後の日本で、しばしば「口にできないほど忌まわしいこと」があったことは、彼らがことさらに言挙げしなくても、私たちには伝わった。けれども、それを現認していた人たちが死に始めると同時にその「重石」が効かなくなった。そして、「あのときほんとうにあったこと」について、その場にいなかったはずの年齢の人たちがとくとくとしゃべり出した。

 歴史修正主義者が登場してきたのは、日本でもヨーロッパでも1980年代に入ってからである。まるで戦争経験者が死に始めるのを見計らったように、戦争について「見て来たような」話をする人間たちがぞろぞろと出てきたのである。

 歴史修正主義は戦争経験者たちの集団的な沈黙の帰結である。どこの国でも、「口にできないほど忌まわしいこと」は口にされない。けれども、それを個人的記憶として抱え込んでいる人が生きているうちは、「口にされないけれど、ひどく忌まわしい何か」がそこにあったことについては沈黙の社会的合意が存在した。ただし、それには期間限定的な効果しかなかった。「墓場まで持ってゆく記憶」を抱えていた人が死ぬと同時に記憶も消える。そして、やがて「なかったこと」になる。それはドイツでも、フランスでも、日本でも変わらない。

 だからこそ半藤さんの「歴史探偵」の仕事が必要だったのだと思う。半藤さんは戦争経験者たちが言挙げしないまま墓場まで持ってゆくつもりだった記憶の貴重な断片を取り出して、記録することを個人的なミッションとしていた。

 私は半藤さんの『ノモンハンの夏』と『日本のいちばん長い日』をこのタイプのドキュメンタリーとしては際立ってすぐれたものだと思っている。「すぐれたもの」というような査定的な形容をするのは失礼で、むしろ「ありがたいもの」と言うべきだろう。半藤さんがこれらの書物を書き上げるために、どれほどの時間と手間を注いだのか、それを考えると、たしかに私たちは「ありがたい」と首を垂れる以外にない。

 知られているように、『日本のいちばん長い日』は最初「大宅壮一編」として出版された。詳しい事情はわからないけれど、半藤さんが「他人の名前で出しても構わない」と思い切れたのは、重要なのは半藤一利の文名を上げることではなくて、ここに採録された歴史的事実をできるだけ多くの日本人に知ってもらうことだと思ったからだろう。常人にできることではない。

 本書で半藤さんは私たちにいくつかの歴史資料を紹介し、あるいは何人かの忘れがたい人(陸奥宗光や石橋湛山や司馬遼太郎や小泉信三)の風貌を伝えている。その記述は体系的なものではない。思いつくままに、思い出すままに書いているように見える。でも、半藤さんはここで決して単なるトリヴィアルな逸話を並べているわけではないと思う。これらの書き物のすべてに伏流するのは、半藤さんが自分の眼で見て、自分の耳で聴いたことを、自分ひとりの経験で終わらせることなく、自分の死とともに忘却されることに抗って、後続世代に手渡したいという強い願いである。それは半藤さんに先行する世代の人たちが、「自分たちが見聞きしたこと」を語らぬままに、伝えぬままに死んでいったことが現代日本の政治的危機をもたらしたという痛苦な反省をふまえているのだと思う。

 半藤さんは明治維新以来、四十年ごとのサイクルで国運の向上と転落が繰り返されているという(司馬遼太郎が『この国のかたち』で立てた仮説)を受け継いで、日露戦争の勝利にのぼせ上ってから悲惨な敗戦に至るまでの40年の「転落」局面が、1992年のバブル崩壊から40年、もう一度繰り返されるのではないかという見通しを語っている。

「国家に目標がなく、国民に機軸が失われつつある現在のままでは、また滅びの四十年を迎えることになる。次の世代のために、それをわたしは心から憂えます。」(33~34頁)

 半藤さんの計算が正しければ、次の「敗戦」まであと10年ほどしか残されていない。つまり、いまの日本は1935年頃の、滝川事件や國體明徴運動で、言論や学術の領域から「もの言えぬ」空気が浸潤してくる時期と符合するということになる。「あとがき」でも半藤さんは「日本のトップにある人」たちが、「戦後七十年余、営々として築いてきた議会制民主主義そして平和を希求する国民の願いをなきものにしようとしている」ことに懸念を示している。(299頁)

 

 10年後に迫った「二度目の敗戦」を避けるためには、私たちは過去の失敗を学ぶしかない。「過去の失敗に学べ。歴史から学ばないものに未来はない」という半藤さんの「遺言」を私たちは重く受け止めなければならない。

2021年

6月

03日

5月の放射線量、体組成、ランニング ☆ あさもりのりひこ No.1016

5月の放射線量、体組成、ランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

2021年5月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.043μ㏜/h

室内0メートル 0.044μ㏜/h

室外1メートル 0.059μ㏜/h

室外0メートル 0.073μ㏜/h

地上1メートルと地表が5か月間で一番高かった。

 

つぎに、朝守の身体について。

5月29日の数値はつぎのとおり。

体重 69.25㎏

BMI 21.

体脂肪率 16.3%

筋肉量 54.95㎏

推定骨量 3㎏

内臓脂肪 11

基礎代謝量 1578/

体内年齢 46才

体水分率 57.2%

 ランニングした後に計ったので、数値に偏りがあるな。

 

 

最後に、5月のランニングのデータ。

走行時間 25時間46分56秒

走行距離 221.9㎞

走行時間25時間、走行距離200㎞の目標はいずれも達成した。

 

やっと帯状疱疹前に戻った。

2021年

6月

02日

内田樹さんの「人間性を基礎づけるのは弱さである」 ☆ あさもりのりひこ No.1015

『ジュラシック・パーク』でマルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)はDNA操作で創られた恐竜たちがもしほんとうに生命体であるなら、いずれ思いがけない仕方で人間の制御を逃れるだろうと不吉な予言をする。その時マルコム博士がつぶやく言葉が「生命は道を見つける(Life finds a way)」である。

 

 

2021年6月1日の内田樹さんの論考「人間性を基礎づけるのは弱さである」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

今から10年前にラジオ収録のために、イデオロギーと生活感覚の癒合と乖離について平川君と彼の久が原の家でおしゃべりをしたことがあった。その時に備忘のために記した文章が『武道論』に再録された。少し短くしたものを「予告編」としてここにあげておく。

 

 空理空論のイデオロギーは危険なものである。だから、それを制御するものとして、身体があり、日常の生活がある。

「百日の説教、屁一つ」と言う。いくら大義名分を掲げて偉そうなことを言っても、それを語っている当の本人の身体が語っている言葉を裏打ちしていないと言葉は力を失う。どれほど立派な口説も「ここがロドスだ、ここで跳べ」という地場からの挑発には対抗できない。「それだけ言うなら、ここでやってみせて見せろ」という言葉が空理空論には一番強い。

 身体実感のある言葉を語っているかどうか、それは久しく知的言説に対する日本の庶人の身にしみた批評的規矩であった。平川くんも、高橋源一郎さんも、橋本治さんも、小田嶋隆さんも、町山智浩さんも、それを批評性の根拠としてきたのだろうと私は思っている。

 けれども、この庶人的批評性には弱点があった。それはイデオロギーが身体化してしまった人間には有効な反撃ができないということである。

 イデオロギーが身体化した人間というのがときどきいる。例えば、日本軍国主義をドライブしたのは、いわゆる「青年将校」的なエートスであった。これは石原莞爾的な妄想的世界戦略と東北の寒村の次男坊三男坊の貧窮と飢餓と劣等感が生み出したルサンチマンのアマルガムである。だから、都市の左翼的知識人やリベラル派は、青年将校たちの「戦略」は批判できても、「飢饉の年に娘を苦界に沈める貧農の苦しみがお前らにわかるか」と一喝されると口を噤むしかなかった。日本ではこのようなコロキアルな身体実感をもつ言葉と政治的幻想が癒合したタイプの言説が伝統的に最強である。

 私が味わったこの苦しみを、お前は想像できるか、追体験できるか、理解できるか、できはしまい...という「被抑圧者の肉声」の前には誰もが黙り込むしかない。これは私たちの政治文化に深く根をおろした伝統的な恫喝の語法である。

 日本の知識人はこのような語り口に対して効果的に対抗する手段を持っていなかった。だから、肥大した政治的野心をもつ人々は、どんな政治的主張であれ、最後に「お前らのようなぬくぬく暮らしている人間に、オレの苦しみがわかってたまるか」と付け加えさえすれば、誰からも効果的な反論がなされないということを学習したのである。

 この語り口が「最強」であったのは、彼らのいわゆる「身体実感」なるものがフェイクだったからである。彼らが実感していると称する「オレの生身」それ自体がイデオロギーな構築物だったからである。

 ほんとうの生身はアモルファスで、密度に濃淡があり、多孔的で、ふにゃふにゃしていて、そこいらじゅうに「取りつく島」がある。だから、ほんとうの生身はデジタルな境界線を持たない。相手の言葉を正否や真偽を基準にして、打ち切ったり、黙らせたりすることができない。身体にできるのは、「なんか、それ、ちょっと嫌」「あ、それ、わりとダメかも」くらいのリアクションだけである。

 身体は本質的にアナログな連続体であるから、デジタルな切断が苦手なのである。

 私たちが身体実感を批評性の基盤に選んだのは、そこが不俱戴天の対立者をも対話に導きうるぎりぎり最終的な基盤たりうるような気がしたからである。言語が違っても、宗教が違っても、生活習慣が違っても、政治イデオロギーが違っても、生身をベースにする限り、私たちはかろうじて共通のプラットホームを立ち上げることができる。

 というのは、生身は疲れ、飢え、傷つき、壊れるからである。可傷性、有限性、脆弱性が「生身の手柄」である。

 どれほど政治的に正しい計画を抱いていても、一日八時間眠り、三度の飯を食い、たまには風呂に入り、知己と痛飲し、清談し、また生計を立て、家族を養いながらできること以上のことは生身の人間にはできない。一時的にはできても、長くは続けられない。その生身の弱さ、脆さがイデオロギーの暴走を抑止する。だから、私たちは身体実感に依拠する庶人的批評性を頼もしく思ってきたのである。

 しかし、今私たちが直面しているのは、もう少し複雑な状況である。それは、私たちの前に立っているのが、自分の身体実感を観念的に操作することのできる人々だからである。

 長い自己欺瞞の訓練によって、イデオロギー主導で、ヒステリックになったり、激昂したり、涙ぐんだりできる人間たちが登場してきた。彼らはそうやって「フェイクの生身」を操作して、イデオロギーに身体実感という担保を付けることに成功した。

 戦前の軍国主義イデオロギーの圧倒的な成功は、この「観念的に操作された、作りものの痛み」を縦横に駆使しえたことにあった。「プロレタリアの悲しみが、貧農の痛みが、前線で泥水を啜る兵隊の苦しみが、お前らのような気楽な市民にわかってたまるか」という決め台詞をかんどころで絶叫すれば、あらゆる市民的反論を封殺できる。この成功体験は集団的経験知として文化のアーカイブに登録された。そして、時々目端の利いたやつがそこから取り出して、効果的な使い方をする。

 60年代のいわゆる「肉体の叛乱」は、この軍国主義の利器を左翼的に奪還する試みであったと私は思う。その奪還戦は確かに局地戦的には勝利を収めたように見えた。だが、その勝利は「フェイクの生身」という取り扱いのむずかしい政治的飛び道具の定性分析や統御技の学的な捉え直しには結びつかなかった。

 そのあと30年ほど身体性の希薄な時代が続いた。そして、生身の政治学について私たちが忘れかけたころに、それは別の意匠をまとって戻ってきた。

 それが私たちの前にある政治的ポピュリズムである。

 ポピュリズムは「生身を偽装したイデオロギー」である。

 コロキアルで、砕けた口調で、論理的整合性のない言説を、感情的に口走ると、私たちはそれを「身体の深層からほとばしり出た、ある種の人類学的叡智に担保された実感」と取り違えることがある。そのことを一部の政治家とイデオローグたちは学習した。

 侮れない人々である。

 彼らの語り口は私や平川くんのそれと表面的には似ていなくもない。コロキアルでカジュアルな文体の上に、学術的なアイディアや政治的な理念が乗っている。でも、彼らの話の方がずっと分かりやすい。彼らは「プロレタリアの苦しみ」の代わりに「普通の人間である、オレの利己心と欲望」をベースに採用した。

 かっこつけんじゃねえよ。お前だって金が欲しいんだろ? いい服着て、美味い飯を喰いたいんだろ?それでいいじゃねえか。隠すなよ。

 そういう「リアルな実感」の上に「やられたらやり返せ」という中学生的マチスモと市場原理主義、弱肉強食の能力主義の言説が載っている。

 これらはまるで「生身から出てきた言葉」のように見える。でも、そうではない。というのは、そういう種類の言葉にも人間の生身は長くは耐えられないからである。少なくとも私の身体はそれに耐えられない。彼らは耐えられる。いくらでも長い時間、生身の人間には耐えられないような生臭い言葉を吐き続けられる。それは、その言葉が「フェイク」だからである。同じフレーズを何百回繰り返しても平気でいられるのは、それが身体の中から浸みだすものではなくて、どこかから持ち込んだ「既製品」だからである。

 人間の身体から発する言葉は、繰り返しに耐えられない。激情に駆られて、一時的には攻撃的であったり、断定的であったりすることはできるが、長くは続けられない。人間の身体に足場を置く言葉はもっと弱い。もっとへなへなしている。

『ジュラシック・パーク』でマルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)はDNA操作で創られた恐竜たちがもしほんとうに生命体であるなら、いずれ思いがけない仕方で人間の制御を逃れるだろうと不吉な予言をする。その時マルコム博士がつぶやく言葉が「生命は道を見つける(Life finds a way)」である。

 生きている言葉は必ず思いもかけない仕方で、これまで誰も言葉にできなかったアイディアを言葉にする。だから、生きている言葉ならば「必勝の」同一フレーズを繰り返すことはしない。しないというより、できない。生物は常同的であることができない。より複雑なものになることによって生き延びてきたからだ。

 フェイクの身体を足場にする言葉と、生身の身体を足場にする言葉との違いは、後の方が弱いということである。イデオロギーの強みは「できる」ことの多さで示される。生身の弱さは「できないこと」の多さで示される。

 たしかに弱さは武器にはならない。けれども、最終的に人間性を基礎づけるのは、その脆弱性なのだと私は思う。

 

 平川くんとそんな話をした。

2021年

6月

01日

はまりもの

橿原市 弁護士

みなさん こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

私の住んでいる市の図書館、

5月いっぱいは市独自のコロナ対策として

図書館の利用が制限されていました。

そのかわり、なんと予約した本を

レターパックプラスで自宅へ郵送してくれるサービスがあり、初めて利用してみました。

 

これが、まぁ、なんと便利なことでしょう~

わざわざ図書館に行かなくても、自宅に読みたい本が届くなんて(・∀・)

返却は、出勤前に駅前の図書返却ポストに入れるだけ。

・・・税金・・・とちらっと頭によぎりましたが(^_^;)

 

5月いっぱいでこのサービスは終わるようですが、

家から出にくい人にとっては有料でも嬉しいサービスな気がします。

 

週末、こどもと映画「るろうに剣心」最終章TheFinalを見に行きました。

 

この映画は、シリーズ1作目が10年ほど前に漫画が実写化された、ということは知っていたのですが、実写化された映画にあまり興味がないので観ていませんでした。

 

今回、4作目が公開されるとのことで、

テレビで1作目が放映されたのを

たまたま観ました。

 

・・・・・・。

 

はまりました(笑)

1作目を観る前に、バラエティ番組で

アクションシーン撮影の裏話を観て、

主役の佐藤健が演じる殺陣のシーンにぐいぐい引き込まれました。

 

すべてのアクションシーンを自分で演じられたそうなのですが、

これがほんとにすばらしいし、美しい!!

とってもスピード感のあるアクションなのですが、

どうせ早回ししてるんでしょ~と思ったらすべて実速とのこと。

ワイヤーアクションのみでCGも使っていません。壁も走っちゃいます。

 

圧巻、の一言です。

YouTubeなどでもアクションシーンの動画が観られますので、

是非どうぞ!(いや、映画もどうぞ!)

 

1作目を観た後、すぐにレンタルショップで、

映画の2作目・3作目と漫画全巻を借りてきました(≧ε≦)

 

このシリーズ、アクションも本当に素晴らしいのですが、

殺陣シーンの音楽が最高にいいです。

バイオリンの旋律がとってもいいです。

 

 

6月4日には、最終章第2部が公開されます。

奇跡的にこどもの部活も日曜日がお休み。

 

今から楽しみです♪

2021年

5月

31日

内田樹さんの「台湾海峡の危機」 ☆ あさもりのりひこ No.1014

中国では伝統的に経済リスクに対処するために親族ネットワークに頼ってきた。だが、「一人っ子政策」によって、天涯孤独という高齢者が急増して、セーフティネットとしての親族が機能しなくなった。

 

 

2021年5月27日の内田樹さんの論考「台湾海峡の危機」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

山形新聞に毎月連載しているコラムの4月寄稿分(2021413日)

 

 台湾海峡の緊張が高まっている。4月7日に12機の戦闘機を含む15機の中国機が台湾の防空識別圏に侵入した。米海軍の駆逐艦が台湾海峡を通過したことへの反応と見られる。中国政府は「米国が台湾海峡の平和と安定を危険にさらしている」とコメントし、これを承けて台湾の外交部長(外相)は中国による台湾侵攻の危機が高まっているという米軍の見解を紹介した上で「そうした事態になれば台湾は最後まで戦う」と述べた。台湾海峡の緊張はかなりシリアスなレベルに達してきた。 

 中国の台湾への軍事侵攻はあり得るのか? 米国の外交・軍事専門家の間ではしだいに「あり得る」という意見が増えている。

 先月号の『フォーリン・アフェアーズ・レポート』の巻頭論文は中国は2027年までに軍の近代化を終え、台湾をめぐるアメリカとの紛争で「想定できるあらゆるシナリオで中国が支配的優位を確立することを目的にしている」と書いている。

 外交とりわけ国防の専門家はどういう場合でも「リスクを高めに設定する」傾向がある。もちろん、それでよい。それが仕事なのだから。2017年にランド研究所の報告は「米軍は次に戦闘を求められる戦争で敗北する」と推論していたし、同年にダンフォード統合参謀本部議長は「われわれが現在の軌道を見直さなければ、中国に対する競争優位を失うだろう」と警告している。「このままではたいへんなことになる」と警鐘を乱打することは軍人の本務である。軍人が「なあに、たいしたことはありませんよ」と高をくくっていて予測が外れる方がはるかに被害が大きい。だから米国サイドの危機感は多少差し引いて伺っておいてよいと思う。中国はいまのところはまだ米国に対して軍事的優位を確立してはいない。

 その上でこれから先に台湾侵攻はあり得るかを考えてみたい。

 台湾占領は中国にとってきわめて困難な事業になると思う。2400万の台湾国民は自力で民主的な政体を創り上げたことに自信を持っている。新型コロナウィルスの感染抑制の手際のよさは世界から賞賛された。このプライドの高い国民を強権的に抑え込むためには、粛清と強制収容所と多数の軍人・行政官の長期駐留が必要になるだろう。そのための統治コストは桁外れのものになるし、国際社会における中国の倫理的威信は地に墜ちる。

 たしかに台湾併合に成功すれば、習近平は毛沢東に並ぶ「国父」の伝説的地位を獲得することだろうが、それと引き換えに中国が失うものはあまりに多い。

 それよりも私はむしろ「2027年」という年に注目する。というのは、中国が軍の近代化を終える予定のこの年に中国の人口がピークアウトするからである

 中国はそれ以後毎年生産年齢人口が400万人ずつ人口減少する。同時に超高齢化が進み、2040年には65歳以上の高齢者は3億2500万人を超える。中国の現在の中央年齢は38.4歳で米国とほぼ同じだが、2040年には48歳に達する。今の日本の中央年齢を超える超老人国になるのである。

 中国では伝統的に経済リスクに対処するために親族ネットワークに頼ってきた。だが、「一人っ子政策」によって、天涯孤独という高齢者が急増して、セーフティネットとしての親族が機能しなくなった。そして、何千万人もの高齢者の生活を支援できるような社会保障制度をいまの中国は持っていない。

 

 中国は人口動態的にはもうあまり時間的余裕がないのである。2027年までに「できること」を片づけておかないと、その後が苦しくなる。周辺諸国に対する過度に威圧的な構えのうちに私は中国の自信と焦燥をともに感じるのである。

2021年

5月

28日

内田樹さんの「政局についてのインタビュー」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1013

「政策の整合性なんてどうだっていい。とにかく政権与党でいたい」というのが自民党の偽らざる本音なんです。自民党は歴史的に見ても、政策的一貫性なんかまったくない政党です。

 

 

2021年5月7日の内田樹さんの論考「政局についてのインタビュー」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

― 衆議院の解散は秋というのが永田町筋からも聞こえてくる情報ですが。

 

内田 僕の予測は解散のタイミングが見つからないままずるずると任期満了までゆく、ですね。

 

― では総選挙前に自民党総裁が入れ替わるという?

 

内田 総裁の看板は選挙前に付け替えざるを得ないでしょう。それが自民党の得意技なんですから。安倍再登板だってあり得ますよ。

 

― 私もそう思ったんです。岸田さんじゃ無理だし、安倍再登板ぐらいしかないんです。

 

内田 安倍さんは菅さんや岸田さんより「運が良さそう」に見えますからね。第二次政権だって、検察がしっかり仕事をしていたら、公民権停止は当然で、逮捕投獄だってあり得たはずなのに、病気だと言って世論の同情をかき集めて逃げ切った。2012年の総裁選も、石原幹事長が出馬して、谷垣総裁が降りたせいで、漁夫の利を得て浮かび上がった。それも第一回投票では石破にダブルスコアで負けていたのに、第二回で蘇った。そのあたりの「悪運の強さ」については自民党国会議員団には期するところがあるんじゃないかな。

 

― そうですね。二回とも病み上がりでまた復活することもあり得ますね。

 

内田 病気だという割には診断書も見せなかったしね。そういうふうに全部放り出して逃げ出すタイミングの見はからい方を含めて、安倍さんの状況を見る目はなかなかのものですよ。

 

― 岸田さんが本当は順当だったはずなんですけど、とてもじゃないけど、勝負弱いしこの前の選挙であんなことになってしまったという。しかし、総裁候補のタマがいなさすぎますね。

 

内田 石破さんはもう無理だと思う。2012年の総裁選のときが勢いのピークでしたけれど、その「波」に乗れなかった。そういうのは、政治的実力というよりは「運」なんです。でも、運に恵まれなかった。他の候補者というと...稲田朋美や野田聖子も党内に安定した支持基盤がないでしょう。

 

― 全然、派閥基盤がないですよ。二階さんはロートルすぎるし。

 

内田 河野太郎も人望ないし。消去法だと、「当落線上ぎりぎりなので、とにかく議席を守りたい」という力のない議員たちに担がれて安倍再々登板というのはあり得ますよ。

 

― 第三次安倍政権ですか。

 

内田 可能性としてはあり得ると思う。そして、その場合には、はっきり「極右」の公約を掲げて登場すると思います。「民主主義はもうダメだ。中国を見よ、ロシアを見よ、トルコを見よ!」と。強権的・独裁的な政体の方が効率的だし、国際社会でも恐れられるのだと言い切れば、それを歓迎する国民はかなりいますよ。

 

― そこまで右翼で行くでしょうか?

 

内田 そこまで右傾化したら、もう国民の過半の支持を得るのは無理ですけれども、それでもそこまで極端になることが「選挙で一番負け幅が少ない」と見切ったら、やるでしょう。現に安倍さんは過去6回選挙に勝ってるんだから。

 安倍さんがそこから得た経験則は「国民を分断して、現政権を支持する国民の利害のみを配慮する」というネポティズム政治をしている方が選挙には勝てるということだった。ふつうの為政者は国民の統合を目指すものですけれど、別に国民全体の支持は要らない。選挙に勝って国会の相対多数を制すればいいというだけなら、国民を分断して、政権に盾突く者にはつねに「ゼロ回答」で応じる方が効果的なんです。支持者の利害だけを配慮し、自分を支持しない有権者には「何もやらない」ということを続けていると、野党支持の有権者はしだいに無力感に蝕まれて、政治に絶望するようになって、投票に行かなくなる。投票するのが与党支持者だけになれば、そりゃ選挙には勝ち続けますよ。

 

― 今の世の中、「何処も腐っているんだから、腐っているところに食い込むしかない」と言ったある新聞記者がいますがどうでしょう?

 

内田 腐っているところに食い込んだら、本人も腐るだけですよ。

 

― しかし、今の立憲民主党、国民民主党、日本共産党では、外交安全保障等の政策の違いもございますし。

 

内田 そんなのどうでもいいんじゃないですか。だって、昔は「自社さ連立政権」なんてものがあったんですよ。自民党と社会党が連立を組んだんですよ。「政策の整合性なんてどうだっていい。とにかく政権与党でいたい」というのが自民党の偽らざる本音なんです。自民党は歴史的に見ても、政策的一貫性なんかまったくない政党です。そういう与党については文句を言わないで、野党に対してだけは「政権交代したいなら全野党の政策を一致させるべきだ」と言うのは、メディアの側のダブルスタンダードですよ。全野党の政策のすり合わせが終わるまで、政権交代を求めるべきではないなんていうルールを誰が決めたんです。そんなルールを認めたら、自民党の永久政権が続くだけじゃないですか。

 

― 連合が色々言ってきますし・・・。共産党との連立には。

 

内田 連合なんてもう要らないと思いますよ。政策協定するにしても、ざっとでいいと思う。それよりも一日もはやく政権交代を実現しないと日本は終わります。

 

 とりあえず政権交代したら、いいことが一つだけあります。メディアは新政権をめちゃくちゃに叩くでしょう? 当然、連合政権内部では足並みがそろわないから、政府部内から情報だってどんどんリークされる。だから、政権交代すれば、政策決定プロセスについてきわめて透明性の高い政府が出現することは間違いない。「報道の自由度ランキング」ではたちまち世界ベストテンに入りますよ。その一事が実現できるだけでも政権交代する甲斐はあると僕は思いますけどね。

2021年

5月

27日

ファーマシー 木のうた 坊城店 ☆ あさもりのりひこ No.1012

接骨院に通うようになって6年になる。

接骨院へ通院する途中に「ファーマシー 木のうた」坊城店の前を通る。

「ファーマシー 木のうた」坊城店は1995年に開店した。

朝守が弁護士登録したのが1996年、そのころから「ファーマシー 木のうた」坊城店があることは知っていたが、店に入ったことはなかった。

「ファーマシー 木のうた」坊城店の外観は、単なる薬屋(ドラッグストア)である。

 

以前、妻が地域の情報紙か何かで、「ファーマシー 木のうた」坊城店には個性的な調味料が置いてあると紹介した記事を読んでいた。

少し前に、「自然食品の店 ムソー」と書いた幟が店の駐車場にはためいているの見た。

 

3月下旬、洗濯ネットが古くなったので新しい洗濯ネットを買うことにした。

この機会に、「ファーマシー 木のうた」坊城店に行くことにした。

洗濯ネットを買うついでに店内を偵察しよう、というわけである。

どうせ、店の片隅に自然食品を少しばかり並べてあるのだろうと高をくくっていた。

ところが、店に入ると・・・

 

あっと驚くタメゴロー』である。

 

化学調味料・着色料無添加・有機JASのオーガニック商品がある、ある。

 「ムソー」「オーサワ」「創健社」の食品が揃っている。

「よつ葉乳業」のバター、チーズ、ヨーグルト、「秋川牧園」の鶏肉、豚肉がある。

「マルサンアイ」の有機豆乳無調整、「ノースカラーズ」の無添加ポテトチップス、「ジロロモーニ」のパスタ、「ジェルブレ」のクッキーまである。

オーガニックワイン「王様の涙」もある。

「ボディクレイ」のねんどの日焼け対策、「益久染織研究所」のボディタオル、「アレッポの石鹸」、トイレットペーパー「ピュアブラウン(ダブル)」がある。

 

 いやあ~、恐れ入りました。

 

 

 それ以来、毎週「ファーマシー 木のうた」坊城店で買い物をしている。

2021年

5月

26日

内田樹さんの「政局についてのインタビュー」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1011

なんでも「国民の政治的無関心」のせいにしちゃダメですよ。昔からずっと国民は基本的には政治に無関心なんです。それをどうやって目覚めさせるのかということが政治にかかわる人間の本務なんです。

 

 

2021年5月7日の内田樹さんの論考「政局についてのインタビュー」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

あるネットメディアでインタビューを受けた。政局についての「なまもの」コメントは賞味期限が短いのではやめに採録しておく。

 

― 今回自民党候補が、補選で三連敗しました。どう見ますか?

 

内田 自民党の地方組織が弱くなっていることが大きいと思います。昔は地方議会から国会議員になるというキャリアパスがありました。県会議員から総理になった竹下登が典型です。でも、いつの間にか、地方議会から国政に出て来るという道筋が痩せ細って来た。党執行部が「一本釣り」をしてきた候補者を、縁もゆかりもない選挙区から立候補させるという党営選挙が支配的なスタイルになったせいです。

 この候補者たちは執行部の「オーディション」に通ったというだけで、個人的には地方に組織的基盤も持っていない。ですから、執行部から「次は公認しない」と言われたら失職することになる。だから、絶対に執行部に逆らわない。安倍政権はそういう「イエスマン議員」をかき集めて国会議員団を編制し、上意下達の党組織を作ろうとして、それに成功した。

 その結果、自民党は「安倍一強」の組織になったわけですけれども、その代償として、地方議員から国政へという道が失われ、党中央と地方組織の間に断絶ができた。

 地方議員の中には強い後援会組織を持っていて、仮に党公認が得られなくても当選できるという人もいます。そういうインディペンデントな議員は党執行部にことさらへつらう必要がない。自分の立場を通すことができる。でも、そういう政治家は上意下達的党組織にとっては邪魔になる。だから、安倍―菅政権は、そういうタイプの地方議員を絶対に国会議員にしなかった。執行部に逆らうと国政には出られないということを思い知らせることで地方議員を抑え込んだ。

 でも、その結果、自民党国会議員団と地方組織の間には溝ができて、地方組織は弱体化していった。この間の選挙の連敗も、党中央と地方組織の間で意思疎通ができなくなったことの結果だと思います。

 中選挙区時代には同選挙区内で自民党候補同士が競うということはよくありました。群馬県の中曽根康弘・福田赳雄の「上州戦争」が有名です。その結果、国会議員たちは自分の後援会組織の拡充をはかった。だから、自民党議員同士が競合すればするほど党組織が強くなるということになった。でも、小選挙区以降、党執行部のオーディションに通った人を党営選挙で当選させるという仕組みになったせいで、政治家自身が選挙区内に自力で堅牢な後援会組織を作るというインセンティヴが失われた。

 

― 野党も青年組織がない点では変わらないです。

 

内田 野党も同じです。地方議会で経験を積んでから国政に出てゆくというチャンネルがあるのは共産党くらいでしょう。

 若い人が地方議会から政治経験を積むというのはとても教育的なキャリアパスだと思うんですけど、野党も国政選挙では、テレビに出て知名度がある人を「一本釣り」して、組織のない選挙区に放り込むという自民党と同じことをやろうとしている。それでは若い人をじっくり育てるということができない。

 野党には地方組織が育たないことについての危機感がどれくらいあるんでしょう。僕は地域の野党の集会にときどき呼ばれるんですけれど、平均年齢は70歳くらいですよ。20代、30代の若い人たちを地域の活動に巻き込むための仕組みがない。

 

― 各政党の青年組織は弱くなっているのは、国民が政治に無関心なのも原因ではないでしょうか?

 

内田 なんでも「国民の政治的無関心」のせいにしちゃダメですよ。昔からずっと国民は基本的には政治に無関心なんです。それをどうやって目覚めさせるのかということが政治にかかわる人間の本務なんです。今はどの政党も地方組織が弱くなっていますけれど、その最大の原因は実際には地方の人口減少です。

 

― 菅政権はどうなるでしょう? 出鼻をくじかれたという感じですが。

 

内田 菅首相はもう長くは持たないと思います。でも、「ポスト菅」に人物がいない。岸田さんが後継者としては順当なんでしょうけど、いろいろ横槍が入りそうな気がする。

 

― 二階さんと仲は悪いし、自分のところ(広島県)で落としてしまいましたからね。

 

内田 自分の派閥の候補者を蹴落とした河井案里のせいで補選に負けたわけですから、岸田さんにしたら納得のゆかない話でしょう。でも、この時期に県連の会長を引き受けて選挙に負けて、次の選挙では公明党候補を推さなければいけないという「貧乏くじ」を引かされ続けているということは総裁候補としては大きなダメージになります。「運の悪い人のように見える」というのは政治家にとってかなり致命的なことなんです。

 日露戦争のとき、海軍大臣だった山本権兵衛が、東郷平八郎を連合艦隊司令長官に推薦したときに、明治天皇に推薦理由として「東郷は運のいい男ですから」と言ったという話が広く知られていますけれど、ナポレオンもそうだった。指揮官を登用するときに「運がいい」ということを重く見た。だから、若くても、運のいい軍人をどんどん重用した。その結果、ナポレオンの軍隊はヨーロッパ最強になった。「運が悪い」というのは政治家の実力とは関係ないんですけれど、現実にはそれでものごとが決まることがある。

 

― 岸田さんって宏池会の典型のような気がしますね。「政策に強くて政局に弱い」という政治家で、勝負弱い。

 

内田 たしかに岸田さんは勝負勘がよくない。でも、菅首相のままでは衆院選挙で勝ち目はない。このまま菅を看板にして選挙したらどうなりますか? 五輪は中止、感染は収束しない。そんな状態で任期満了で総選挙を迎えたら、自民党には勝つ要素が何もない。議席を減らすことは間違いない。問題は「負け幅」をどれくらい抑えることができるかにかかっている。自民党の国会議員たちは自分の議席を守りたいから、とにかく「一票でも増えそうな看板」が欲しい。できたら看板を付け替えたい。でも、イエスマンばかりで党を固めてきたから、「ポスト菅」世代には人材がまったくいない。だから、解散のタイミングを見つけられないまま任期満了で総選挙ということになる。それが自民党が一番敗けるシナリオだと思う。

 

― 安倍さんも「追い込まれ解散はするな」と菅さんにアドバイスしたそうですが。

 

内田 でも、「最も負け幅の少ない解散」のタイミングはもう過ぎてしまったと思います。五輪かコロナかどちらかについて「菅政権がうまくやったように見える」時点で解散総選挙すべきだったんです。三月はじめから四月にかけて、新規感染者が減って、緊急事態宣言が解除されて、「五輪は必ずやります」というかけ声にまだ多少の信憑性が残っていたうちにやるべきだった。そのときだけが「コロナは抑えたように見えて」かつ「東京五輪は実施されそうに見える」唯一のタイミングだった。解散するとしたらそこしかなかった。

 でも、菅首相は決断できなかった。バイデン大統領と会談して安定的な日米関係を国民にアピールしてからの方が選挙には有利だという算盤を弾いたからでしょう。政治判断そのものは間違っていない。日本の有権者が首相に期待するのはまず「アメリカに信頼されていること」だからです。日米首脳の友好ぶりをアピールしてから解散するつもりだった。ところが、その間に「東京五輪は中止すべきだ」と「菅政権はコロナ対策で先進国最下位」というニュースがSNSからあふれ出て、新聞や地上波までに広まってしまった。

 だから、今は政府は必死になって「五輪は予定通り実施する」と「ワクチン接種は順調に進んでいる」というキャンペーンを展開して、内閣支持率を下支えています。でも、この二つとも成否がすぐにわかるから、いつまでもは使えません。あと100日でいやでも五輪開会式の日は来るし、ワクチン接種がいつ受けられるかを全国民は「わがこと」として注視している。どちらも「やったふり」でごまかすということができない。

 仮に世論の反対を押し切って、強引に東京五輪を開催したとしても、医療危機の中で強行すれば国内の医療崩壊は加速するし、世界中から数万人のアスリートと関係者を東京に集めて、またそれが世界に散らばるわけですから、秋以降には「東京五輪が世界的なパンデミックを引き起こした」という海外からの非難が殺到することは確実です。だから、もう遠からず「五輪中止」を宣言せざるを得ないでしょう。

 

― 堪え難きを堪え、忍び難きを忍びみたいな感じで。

 

内田 そう。「ポツダム宣言受諾」みたいな感じで。外圧に屈して、不本意ながら五輪中止のやむなきに至ったという「演出」をすると思います。五輪参加予定のアスリートたちが号泣したり、五輪担当大臣や都知事が地団駄踏んで悔しがる、そういう絵柄とシナリオはもう電通が今から用意していると思いますよ。「臥薪嘗胆」とか「捲土重来」とかいう古くさい四文字熟語をきっと誰かが口走りますよ。

 

― 東京に出張に行った時、チケットを100万、200万円つぎ込んで買って楽しみにしていた人も諦めてましたもん。楽しみにしていた人や選手でも諦めモードだと思います。

 

内田 もう国民のおおかたは諦めてるでしょう。医療資源がここまで逼迫しているんですから、五輪は誰が考えても無理なんです。

 

― 選手もまともに練習できてないし、まともな大会にならないでしょうね。

 

 

内田 感染症対策で先進国最低の国に、自国のアスリートを送り出すというのは、各国のNOCにしてもかなり勇気の要る決断だと思います。アスリート自身だって、万一コロナに感染して後遺症が残ると以後の選手生命にかかわる。そんなリスクを冒してまで東京には来ないでしょう。

2021年

5月

25日

厄年でしょうか・・・@事務局より

 

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

昨年身内で病気や怪我が続いたので、

厄払いに行った方がいいかもねと冗談交じりに話していたのですが。

 

今年に入ってから

 

母は約30年ぶりの帯状疱疹になり

ようやく治ったと思ったら・・・

 

翌月に今度は左手の小指を骨折。

 

重たいものを持っているときに指を痛めたらしく

母は捻挫と思い痛みを我慢していたようですが

だんだん指が腫れてきているので病院へ行ったところ・・・

 

 

先生からは骨折ですね」とあっさり一言。

 

 

治るまで最低3か月かかると言われ5週間はギプスで固定することに。

 

 

ギプスを固定するには小指と薬指を一緒に包帯で巻いていくので

病院から帰ってきた母の手は包帯でグルグル巻き状態。

 

片手が使えないといろいろと生活にも支障が出てくるわけで

我が家の家事の負担は必然的に私へと回ってくることに💦

 

ここ2ヶ月ほど家でゆっくりする時間が減り

週末には母も私もぐったり・・・。

我が家で一番元気なのは98歳の祖母かもしれません😅 

 

 

コロナ禍で巣ごもりが増え最近需要が高まっている調理家電の数々。

 

家事の負担軽減と時間節約になるし

我が家にも自動調理鍋とかどうかな~?と最近母を攻略しているところです😁

 

余談ですが病院の先生曰く

スーパーの買い物の荷物などで骨折する人が結構多いそうです。

 

皆さんも重い荷物を持つときにはよく注意してくださいね😅

 

2021年

5月

24日

内田樹さんの「『日本習合論』中国語版序文」 ☆ あさもりのりひこ No.1010

つまり「固有のもの」が深く内面化して、血肉化するということがない。

 

 

2021年5月6日の内田樹さんの論考「『日本習合論』中国語版序文」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

『日本習合論』を手に取ってくださって、ありがとうございます。

 この10年ほどの間に、『日本辺境論』と『私家版・ユダヤ文化論』と『若者よマルクスを読もう』(石川康宏さんとの共著)という三冊の本が中国語に翻訳されました。今回、毛丹青先生の訳になる『日本習合論』が出版されると4冊目になります。毛先生はじめ、これまで中国語訳翻訳・出版のためにお骨折りくださったみなさまにまず心からお礼申し上げます。

 僕はこれまで130冊くらい本を出してきましたが、そのうちこの4冊が中国語訳として選ばれたことをとても興味深く思っています。

 どうしてこの4冊なのか? それについてちょっと個人的な解釈を書いて序文に代えたいと思います。

 

 この4冊では『日本辺境論』と『日本習合論』が「日本文化論」という点では同一の路線にあります。いわば姉妹本です。『私家版・ユダヤ文化論』と『若者よ マルクスを読もう』は、どちらもヨーロッパの宗教、哲学、政治を扱った「入門書」です。これらの本が選書されたというのは、中国には「こういう本」を書く人があまりいないからと推論されます。果たしてどうなんでしょうか。その仮説を検討してみたいと思います。

 まずは『私家版・ユダヤ文化論』から。

 ユダヤ人は少数民族とはいえ、宋代から1000年以上中国に定住しています。ですから、中国にも「ユダヤ文化論」の専門家がいてもおかしくありません。でも、日本人の方がユダヤ人に対してはたぶん中国人よりはるかに関心が高い。

 例えば、日本では明治時代から「日猶同祖論」(日本人とユダヤ人はイスラエルに発祥した兄弟部族であるという説)が繰り返し説かれてきましたし、いまでも「ヘブライ語と日本語は同族語である」とか「京都の太秦はユダヤの渡来民が住んだ地である」とかいう説を語る人が絶えません。日本人はすごくユダヤ人に関心があるのです(ユダヤ人の方は日本人に別に関心がないのですけれど)。とにかく日本人は世界に類を見ないくらい「ユダヤ人に興味がある」集団なんです。それはいかなる歴史的経緯があって形成されたメンタリティなのかについては話が長くなりますので割愛(『最終講義』の第六講で論じていますので、興味がある方はそちらをご参照ください)。

 

『マルクス』本の方はもう少しややこしい話になります。

 この本は中国共産党中央紀律委員会の推薦図書に選書されました。中国共産党の党員たちが日本人の書いたマルクス入門書を読むことを党中央から求められた。かなり変な話ですよね。なにしろ中国共産党はマルクス=レーニン主義を掲げている政党なんですから。マルクスについては、そちらが本家なんです。

 でも、そのせいで、中国ではあまりマルクス研究は自由には行われていないのではないかと僕は想像します。マルクスが「正典」である以上、どうしても共産党公認の「マルクス研究家」がマルクス解釈を専管することになる。それゆえ、非公認の研究者が「私はマルクスをこう読んだ」と自由にマルクスを解釈することにはつよい抑制が働いている。そういう事情があるんじゃないかと思います。でも、マルクスが「官学」になったせいで、9200万人いる中国共産党員の中には興味を失って、マルクスをぜんぜん読まなくなった人たちがだんだん増えてきた。それでは困る。そこで、マルクスを読まなくなった共産党員のために「マルクスは面白い!」と熱弁をふるっている本を紹介した...というのがことの次第ではないかと私は想像しております(違っていたらごめんなさい)。

 ともあれ、ユダヤ文化論とマルクス論については、「中国には『こういう本』を書く人があまりいない」と僕は推理しております。たぶんそれで当たっていると思います。

 では、『日本辺境論』と『日本習合論』はどうしてなのかか?

『日本辺境論』が選ばれた理由はわかります。これはただの日本文化論ではなくて、中国大陸/朝鮮半島/日本列島/インドシナ半島を含む、広大な華夷秩序圏の中で、「中華帝国の辺境民」として民族的なアイデンティティーを形成した日本族の文化として日本文化を論じたものだからです。これはかなり珍しい論の立て方でした。

 もちろん、それは僕の創見ではなくて、同じことを考えた先人は多々いたのですが、明治維新以後、「日本はアジアの辺境だ」ということを認めることにはつよい心理的な抑圧が働いていて、「辺境の文化」として日本文化を正面から論じる人はあまりいませんでした。

 ですから、中国の読者が「華夷秩序コスモロジーに共属している二つの隣接文化」として中国と日本を並べて論じるというアプローチに新鮮さを感じたというのはありそうなことです。

 

『日本習合論』は『辺境論』から10年後に書かれた、いわばその「続編」です。ただ、今回は中国との関係ということは後景に退いています。

「習合」というのは土着のものと外来のものが「混ざり合う」ことです。日本の場合、古代から近代まで、「外来のもの」はほぼ例外なく中国やインドを起源として、朝鮮半島経由で日本列島に入ってきました。それが土着の制度文物と習合して、独特の味わいの文化を創り出した。

 例えば、中国の統治システムはほぼそのままに日本に輸入されましたが、なぜか日本人は「科挙」と「宦官」の制度だけは採り入れませんでした。たぶんこの二つの制度は「国風に合わない」と思ったのでしょう。システムの一部を改変して採り入れるのも「習合」の一つのあり方と言ってよいと思います。

『日本習合論』では「神仏習合」という日本固有の宗教のかたちを中心的な論件としています。僕が関心を寄せたのは神仏習合が「どういうものであるか」ということよりも、1300年続いた宗教的伝統が明治政府の発令した「神仏分離令」という一篇の政令によって消滅したのはどうしてかということです。

 1300年続いた宗教的伝統ができたばかりの(それも政治的・軍事的実力においてまだまだ不安定だった)政府の発した一本の政令で消滅するというようなことはふつうはあり得ません。宗教生活というのはもっと深く人間の内面に入り込んでいるもののはずだからです。でも、日本人はあっさりと仏教を棄てました。仏像を壊し、経典を焼き、仏具を棄てた。組織的な抵抗は日本のどこでもありませんでした。ふつうはあり得ないはずのことが起きた。

 奇妙だと思いませんか?

 そして、それからしばらくしてまた何となく仏教が戻って来て、人々は何ごともなかったように、お寺にお参りに行き、仏式で葬式をするようになった。

 奇妙だと思いませんか?

 これは日本人の宗教性というのは、どうもあまり深く内面化していないで、外圧があるとわりと簡単に「システムの全とっかえ」ができるものではないかという仮説を立てるとつじつまが合います。

 事実そのあと、日本は1930年代に「天皇教」とでもいうべき過度に政治化した宗教にのめり込み、敗戦と同時にそれをあっさりと棄てましたが、別にそれがトラウマ的経験であったようにも見えない。

 つまり、さしたる心理的な抵抗なしに、外圧にしたがって、「信じる」対象をほいほいと切り替えて、新しい環境に適応することができる...日本人はそういう能力を集団的に持っているのではないか。神仏習合を棄てて、天皇一神教に切り替えたのも、「システムの一部を改変して採り入れた」という意味では一種の「習合」です。敗戦後に、それまでの熱狂的な天皇信仰を棄てて「天皇のさらに上にアメリカ大統領がいる」という属国固有の信仰システムに切り替えたのも一種の「習合」と言えるのかも知れません。

 日本人は集団的に「切り替え」をするときになると、あり得ないほどスムーズにそれまでの信仰対象を棄てることができる。この変わり身の早さはたしかに驚嘆すべきものがあります。これこそが日本人の「習合能力」ではないのか。僕はそんなふうに思えてしまうのです。

 つまり「固有のもの」が深く内面化して、血肉化するということがない。

 日本では、久しく「固有のもの」と思われていたものが、実は表層に貼り付けていただけの「借り物」だったということがしばしば起こります。だから、状況が変わると、惜しげもなく捨てることができる。その「惜しげもなく」という作法そのもののうちにあるいは日本人に「固有のもの」が存するのかも知れない。そんなことを最近は考えています。でも、これはよく考えると、これまでの日本文化論が(例えば丸山眞男が)書いてきたことの繰り返しに過ぎません。

 でも、それでいいと思います。僕の本がきっかけになって、みなさんが丸山眞男や川島武宜や鈴木大拙や新渡戸稲造の日本文化論を手に取ることになれば、この本を書いた甲斐はあるというものです。

 ともあれ、みなさんの隣国には「こんな人たち」が暮らしていて、なかなか中国の方からは理解しがたい独特の集団的思考をしているということをご理解頂ければ、それはきっと日中の相互理解につながる第一歩になると思っています。