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2022年

6月

27日

内田樹さんの「島薗進『教養としての神道 生きのびる神々』(東洋経済新報社)」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1184

「純粋化」がほとんどつねに暴力を伴う

 

 

2022年6月15日の内田樹さんの論考「島薗進『教養としての神道 生きのびる神々』(東洋経済新報社)」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 何についても、ものごとには「本来の姿」があり、歴史的な遷移はその「本来の姿」が外来の異物の混入によって「汚染」されたせいで起きているので、外殻にへばりついた異物を削ぎ落して、原初の姿に立ち返ることで、ものごとは本来持っていた力と純粋さを回復することができる...という考え方は世界中に存在する。宗教だけではなく、政治体制や種族の文化についても同じような話型を偏愛する人たちは非常に多い。おそらくどんな国でも、国民の過半はこの「本来の姿」仮説に親和的であるだろう。現に、「神仏分離」もアーリア人種優位説もMake America great again も構造的にはよく似ている。むろん、この話型が支持されるのは、それだけ誘惑的な物語だからである。

 けれども、私は基本的にこのタイプの社会理論に対してはつよく懐疑的である。それでは説明できないことが多すぎるからであり、かつ「純粋化」がほとんどつねに暴力を伴うからである。にもかかわらず、この粗雑で暴力的な理説が全世界で人々を惹きつけ続けてきたのは、単にそれが最も知的負荷が少ない説明だからである。島薗先生は私ほどあからさまな言い方はされないけれど、たぶん内心ではそう考えているのだと思う(違ったらごめんなさい)。

 だから、簡単に「神道の本来の姿」というようなものを提示しない。話はそこから始まるのではないからだ。もし「神道の本来の姿」というようなものがこの後(島薗先生自身の研究を含めた)歴史学や考古学の成果として検出されたとしたら、その時、そこで「話は終わる」のかも知れない。だが、神道について「話が終わる」ということはたぶん起こらないと私は思う。というのは、古代の「原神道的な祭祀と信仰」から、現代の神社本庁や日本会議のような過政治化した神道や、私がいま修しているようなもっと生々しく「アニミズム的なもの」への好尚まですべてを含む「神道」はつねにオープンエンドの、生成過程のうちにあるからである。

 だから、島薗先生が神道について「教養」という立場を採られたのだと思う。

「教養」として教えるということは、一つの学説を宣布することとは違う。単一の学説を述べるのであれば、自説に適合する事例だけを列挙し、自説に合致しない事例は重要性がないと退ける。けれども、それは「教養」という教科の趣旨になじまない。「教養」はむしろ神道の歴史的変異種を、その極端に逸脱したものを含めて、できるだけ多く網羅しようとする。

 たしかにそういう網羅的な記述は「神道とはこういうものだ」という単一解を早く手に入れたいという読者には向いていない。その人たちは「早く神道問題を片付けて、次の問題に進みたい」のだろうが、残念ながらそうはゆかない。

 島薗先生は堀一郎の次のような言葉を冒頭近くに引用している。これはたぶんそのまま島薗先生の神道理解だとみなしてよい。

「『神道』の名のもとに包括しうるような日本的潜在意識は、わたしの見るところでは、主として日本社会の構造と価値体系と、これらと表裏をなす神観念と儀礼を含む宗教構造から導かれたようである。」(19頁)

 そうであるとしたら、その「日本的潜在意識」は21世紀の日本人をも深層において共軛しているはずだからである。

 本書は神道についての深く広い知識を得るための書物であるけれども、それと同時にというよりそれ以上に、私たち自身を知るための本なのである。

 

 

2022年

6月

24日

内田樹さんの「島薗進『教養としての神道 生きのびる神々』(東洋経済新報社)」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1183

稲作が広がる以前の日本列島は鬱蒼たる森林におおわれており、そこが生命活動の中心であった。そこが「神の降りる場所、神と出会う場所」であるという感覚はおそらく今も生きている。

 

 

2022年6月15日の内田樹さんの論考「島薗進『教養としての神道 生きのびる神々』(東洋経済新報社)」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

島薗先生の神道論の書評を頼まれた。東洋経済新報社のサイトに掲載されたものである。

 

 本題に入る前に、私事について少し話すことにする。私がどういうふうに神道に接近してきた人間であるか、それを明らかにしておきたい。私は神道に対してニュートラルな立場の人間ではない。その偏りを明らかにしておかないといけないと思う。

 私は合気道という武道を二十代から修行していて、大学でも学生に教え、門人も取っている。長く公立の体育館の武道場を借りて稽古をしていたのだが、何となくもの足りない。神棚がないからである。公立の施設は「政教分離」の建前があるから、すべての宗教的な要素が排除されている。でも、それでは困る。神棚でなくてもよい。禅語を記した扁額でもよい。十字架でもいい。道場である以上、超越的境位に通じる回路がないと場として成り立たない。

「道場」というのは、もとは仏道修行の場のことである。そして、武道というのも、原理的に言うと、人間の統御になじまない巨大なエネルギーをわが身のうちへ導入して、調えられた身体を経由してそれを発動する技術である。ある意味では「この世ならざるもの」と交渉する技術である。

 だから、武道の道場に神仏に祈るための仕掛けがないと困るのである。公立施設で行われる武道の試合や講習会に参加すると、情けないことに「非常口」とか「火気厳禁」というような看板に向かって「神前の礼」をすることを求められる。「日の丸」を掲げてあって、それに礼をせよと言われることもある。申し訳ないが、国民国家の国旗は世俗的な政治的象徴ではあっても、超越的境位への回路ではない。それがずっと不満であった。だから、どうしても自分の道場が欲しかった。

10年ほど前にようやく願いが叶って、自分の道場を持つことができた。道場正面には合気道開祖植芝盛平先生の肖像写真、鴨居の上には神棚(地元の元住吉神社と出羽三山の祭神を勧請している)と二代道主植芝吉祥丸先生の揮毫された「合気」の扁額、入口の上には私の師である多田宏先生が書かれた「風雲自在」の扁額を掲げた。

 ご存じの方もいると思うが、植芝盛平先生は大本の信者であり、出口王仁三郎によって武道家として立つことを薦められ、綾部の大本本部内に「植芝塾」を開いたことから武道家としてのキャリアを始められた人である。現在の合気道には大本の気配はもうほとんど残ってはいないが、植芝先生が採り入れられた古神道に由来する「天の鳥船」を行する人はまだ多く、私の道場でも行っている。

 井上正鐵の創始した禊教の流れを汲む一九会という修行団体が東京にあるが、私はこの会員でもあり、定期的に行に参加している。一九日は山岡鐵舟の命日であり、この会の最初の指導者小倉鉄樹先生が鐵舟最後の弟子であったことによってこの名がある。ここは禊祓と坐禅を併せて行う典型的な神仏習合の宗教団体である。

 夏になると芦屋に滝行に行く。私たちが行く滝は不動明王堂と二つの小さな社を持つ典型的な修験の行場である。ずいぶん長い間放棄されてきたこの滝を先年河野智聖先生が再発見して、行場として蘇生させた。夏場の滝行はまことに気分がよい。

 

 以上が私と神道のつながりである。島薗先生は本書の終わりの方で「広い意味での神道的なものへの人気と、修験道や陰陽道への人気」(344頁)について言及されているが、私はまさにそのような「人気」の担い手の一人である。だから、私にとって神道は「教養」であるより先に(よく意味がわからないままに)「実践」してきたものである。私は本書の「読者」である以前に本書の分析「対象」なのである。当の分析「対象」が、分析を書評することが権利上許されるのかどうかよく分からないが、私自身は島薗先生の説明によって、「自分が何をしているのか」についてずいぶんと理解が深まった。その点についてまず感謝申し上げたい。

 

 本書では神道の歴史がていねいに論じられる。私たちが本書からまず学ぶべきことは、神道の歴史が単線的に発達してきたものではなく、仏教や儒教とのかかわりの中でさまざまな変容を遂げつてきたということである。にもかかわらず、「神道の基層」(82頁)というべきものを保持しており、遷移を通じて、ある種の同一性を保っているということである。ただし、その同一性というのは、「これがそうです」と言って単離して取り出せるようなものではない。

 しばしば神道は稲作文化に由来するものだと言われる。米、餅、酒のような米製品を「神饌」として他者を歓待するのは稲作文化圏固有の風習だからである。この主張をなす人たちは、伊勢神宮から村々の小さな社まで、その祭祀のかたちが「まったく変わらない」とする。「米にかかわる神饌を重視する点は、古代から現在まで一貫しているように思われる」(17頁)のであれば、神道は古代から現代まで「まったく変わらない」本質を維持しているということになる。皇室、伊勢神宮の祭祀こそが「神道の本来の姿」だという神道理解はこれを根拠にしている。

 

 しかし、島薗先生は稲作以前にも原神道と呼ぶべきものが存在したのではないかという学説にも十分な説得力を認める。稲作が広がる以前の日本列島は鬱蒼たる森林におおわれており、そこが生命活動の中心であった。そこが「神の降りる場所、神と出会う場所」であるという感覚はおそらく今も生きている。「森の文化」のうちに日本的宗教性の源流の一つを見ようとするこの立場に島薗先生は親和的である。それは神道をいろいろな時代のいろいろな文化に起源を持つ、多起源的なものと想定しないと、その驚嘆すべき変異を説明することがむずかしいからである。

2022年

6月

23日

UTMFサポート その5 ☆ あさもりのりひこ No.1181

4月23日(土)午前4時50分、サポートエリアから荷物を引き上げて「U4 精進湖」を出て、紅富士荘に戻る。

食器を洗って、1時間30分ほど仮眠する。

ふだん、スマートフォンはマナーモードにして消音している。

しかし、サポートの間は、寝過ごすわけにいかないので、マナーモードを解除して、アラームを設定する。

このアラームの音がデカい!

余りの音量に飛び起きてしまう。

一瞬、なにが起こったのかわからない。

ま、寝過ごすよりはいいが。

 

出かける前に、紅富士荘の女将さんが味噌汁を出してれたので、ありがたくいただく。

温かい味噌汁は腹に滲みた。

 

午前7時30分、紅富士荘を出て、セブンイレブン河口湖大橋南店に行く。

ミネラルウォーター、冷凍フルーツ(いちご、りんご)、カットフルーツ(りんご)、プレーンヨーグルト、お新香を買う。

そのまま「U5 富士急ハイランド」へ向かう。

 

「富士山パーキング」というだだっ広い駐車場にプリウスαを駐める(駐車料金は無料)。

「富士山パーキング」から「U5 富士急ハイランド」のサポートエリアまで道路沿いを少し歩かなければならない。

 

午前9時40分、妻が「U5 富士急ハイランド」(スタートから約90㎞)に到着する。

かなり疲れている。

妻が「リタイアする」と言う。

マットと寝袋を用意して妻が30分ほど仮眠する。

日差しが強い。

気温は25℃。

暑い。

どんどん日陰が移動して、日光に照らされるので、妻に日光が当たらないように、太陽側に立って日陰を作る。

妻は目覚めるとライ麦パンとフルーツヨーグルトを食べ、スープを飲んだ。

妻が「行くわ」と言うので、ゴミを回収して、ミネラルウォーターとスポーツドリンクを補充する。

午前11時、妻は「U5 富士急ハイランド」を出発した。

体力が回復することを祈るしかない。

つぎは、最後のサポートエリア「U7 山中湖キララ」である。

安藤大(ひろし)さんに、妻が「U5 富士急ハイランド」を出たことと厳しい状況であることをメールした。

 

紅富士荘に戻る。

食器を洗って、1時間30分ほど仮眠する。

 

午後1時35分、妻からLINEのメッセージが届く。

U6 忍野」でリタイアする、という内容である。

2019年のときは、レース自体が中止になって、忍野まで迎えに行った。

忍野はサポートエイドではないので、地図で位置を確かめる。

妻からLINEでリタイアバスで富士急ハイランドに戻るという。

安藤さんに妻が「U6 忍野」でリタイアしたことをメールした。

安藤さんから返信が来た。

「褒めてあげてください」

涙が溢れた。

 

紅富士荘を出て、富士山パーキングに移動する。

コニファーフォレストまで歩いて、バスの到着を待つ。

午後5時40分、バスが着いて、妻が降りてくる。

足を引きずっている。

少しずつしか移動できない。

なんとか富士山パーキングまで歩いて、プリウスαに乗り込む。

痛めていたシンスプリントが悪化したと思っていた(後日、股関節の捻挫であったことが判明)。

 

 

2022年のUTMFは、「U6 忍野」(スタートから約110㎞)で終わった。

2022年

6月

22日

内田樹さんの「無作法と批評性」 ☆ あさもりのりひこ No.1181

「非情な人間でなければ私は今日まで生きてこれなかっただろう。けれども、礼儀正しい人間であることができないのなら、私は生きるに値しない。」(If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.

「礼儀正しくあることができないなら、人間として生きるに値しない」というのはずいぶん厳しい言葉である。けれども、今の日本人が真剣に傾聴すべきものだと私は思う。

 

 

2022年6月15日の内田樹さんの論考「無作法と批評性」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ある地方紙に月一連載しているエッセイ。今月はこんな主題だった。 

 

 毎日新聞の社説に、ある政党の所属議員たちの相次ぐ不祥事について猛省を求める論説が掲載された。新聞が一政党を名指しして、もっと「常識的に」ふるまうように苦言を呈するというのはかなり例外的なことである。

 ルッキズム的発言や経歴詐称の疑いなど、いくつか同党の議員の不祥事が列挙してあった。しかし、この苦言が功を奏して、以後この政党の所属議員が「礼儀正しく」なると思っている人は読者のうちにもたぶん一人もいないと思う。この政党の所属議員たちはこの社会で「良識的」とみなされているふるまいにあえて違背することによってこれまで高いポピュラリティを獲得し、選挙に勝ち続けてきたからである。「無作法である方が、礼儀正しくふるまうより政治的には成功するチャンスが高い」という事実を成功体験として内面化した人たちに今さらマナーを変更する理由はない。

「無作法であること」がそうでないよりも多くの利益をもたらすという経験則はこの政党に限らず、今や日本社会全体に瀰漫しているように私には見える。今の日本では「無作法であること」はどうやら鋭い批評性の表現と見なされているらしい。

 SNSで見ず知らずの人間に向かって、いきなり「お前」と切り出して、罵倒の言葉を浴びせてくる人がいる。この人たちはまず人を怒鳴りつけるところから話を始める。おそらく彼らは次のような推論を行っているのだと思う。

「私は今すごく怒っている。ふつう人間は『よほどのこと』がない限りこれほどは怒らない。それゆえ、私が怒っているということは、私の怒りには十分な合理的根拠があるということを意味している。」平たく言えば、「私が怒っているのは私が正しいからである」ということである。

 私が大学の教務部長をしていた時に、学生の親からいきなり「謝れ」という電話がかかってきたことがあった。「何について謝るのでしょうか?」と訊ねたのだが、教えてくれない。「保護者がこれだけ怒っているのは、大学に非があるからに決まっているだろう。いいからまず謝れ。話はそれからだ」と言い張るのである。うんざりして電話を切ってしまった。

おそらくこの男性は「こういうやり方」でこれまで難しい交渉ごとを切り抜けてきたという成功体験があったのだろう。

 そういう人たちを周りによく見かけるようになった。銀行の窓口でも、コンビニのレジでも、信じられないほど無作法な口のききかたをする人たちに日常的に出会う。「正しい要求をしている時、人間には無作法にふるまう権利がある」という考え方にはたしかに一理ある。けれども、その逆の「無作法にふるまっている人間は正しいからそうしているのである」という推論は間違っている。

 ほとんど場合、過剰に無作法にふるまっている人間は自分の言い分が論理的には破綻を抱え込んでいることを実は知っている。だから、それを見抜かれぬために、相手に考える時間を与えないように怒声を張り上げるのである。

 若い人たちに申し上げたいのは、「無作法」と「批評性」を混同しないで欲しいということである。難しい要求であることはわかっている。私自身若い頃はこの二つを混同していた。「寸鉄人を刺す」とか「快刀乱麻を断つ」というような一刀両断的な評言をする人たちは絶対的な確信を持っているからそういう無作法な態度をとっているのだと思っていた。でも、長く生きているうちに、無作法の強度と言明の真理性の間には相関がないということがわかってきた。

 若い人たちに知って欲しいのは「批評的でありながらも礼儀正しい語り口」というものがこの世には存在するということである。そういう文章を探し出して、できればそういう「語り口」を身に着けて欲しいと思う。もちろん、それが困難な事業であることはわかっている。でも、若い人たちはそれくらいの野心的な目標を自分に課してもよいと思う。まだ自己陶冶のための時間は十分に残されているのだから。

 批評的でありながら礼儀正しい文体というのがどういうものか知りたい人にはアナトール・フランスの『エピクロスの園』とクロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』をご推奨したい。何が書かれているかを理解するよりも先に、彼らの息の長い文体そのものを味わって欲しい。複雑なことを言うためにはそれなりの知的肺活量が必要だということがわかるはずだ。それがわかるだけでも読む甲斐がある。

 長いものはちょっと読む暇がないという方にはレイモンド・チャンドラーが造形した名探偵フィリップ・マーロウの有名な台詞をお送りしたい。

「非情な人間でなければ私は今日まで生きてこれなかっただろう。けれども、礼儀正しい人間であることができないのなら、私は生きるに値しない。」(If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.

 

「礼儀正しくあることができないなら、人間として生きるに値しない」というのはずいぶん厳しい言葉である。けれども、今の日本人が真剣に傾聴すべきものだと私は思う。

2022年

6月

21日

相続登記のお得情報

弁護士 八木

みなさん、こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

梅雨入り宣言があったとたん

あまり雨が降らなくなりましたね。

 

ツンデレか!

 

 

私の父は、平成28年に亡くなったのですが、

自宅不動産の相続登記を済ませないまま、母が昨年亡くなりました。

相続人は私一人なので、登記未了でも何ら支障がなかったので、

ず~っとそのままにしていました。(← 法律相談あるある話笑)

 

ずっと空き家にしておくのも、固定資産税もかかるしたまに見に行くのしんどいし、

と重い腰をあげて売却することにしました。

不動産屋さんに、「相続登記には時間がかかるので早めにしたほうがいいです」と言われ

登記申請書自体は、お仕事で見たことはあるので

いっちょ自分でやってみるか~と、今回、初めて登記にトライしてみました。

通常の相続ですと、

 

父 → 母2分の1・私2分の1 → 母の2分の1を私

 

ですが、うちの場合、遺産分割協議書を作成したわけではないのですが、

一人暮らしの母がつつがなく生活できることが一番なので

口約束で母が預金も不動産もすべて相続していました。

なので、

 

父 → 母 → 私 という相続登記になります。

 

そうすると、ですね。

なんと、現在、お得キャンペーン中(命名 私)につき

父 → 母 への相続登記の際に発生する印紙代(登録免許税)が、

土地については免除されるということがわかったのです♪(注:建物は免除対象外)

 

本当は2回分かかる印紙代が1回分でいいので、かなりお得です。

 

平成30年4月1日~令和7年(2025年)3月31日の期間限定のようですので、

お心あたりの方はお早めに手続されるとお得ですよ😆

 

 ↓ 法務局のホームページより

 

 

さらに、不動産を売却した際は、譲渡所得税がかかるのですが、

通常は、譲渡益に対して20%がかかってきます。

結構な額ですよね😓

 

ところが、現在、国が空き家を減らそうキャンペーン(命名 私笑)を行っており

相続で空き家になった不動産について、一定の要件

を満たして売却した場合、

譲渡所得から3000万円控除ができるのです♪

その要件は

 1 昭和56年5月31日以前の建築

 2 被相続人が一人で住んでいた家が相続で空き家になった

 3 相続発生から3年以内

 4 親族以外へ建物を解体して更地にして

 5 1億円以下で売却

 

で、今回はすべて該当することになりました。\(^O^)/

この特例も2023年(令和5年)12月31日までの特例措置なので

該当する方は、是非お早めに♪

 

今回、売却しようと思い立ってから、これらのことがわかったので、

母から「いい加減に手続し~や~」と言われたような気がしてなりません😆

 

弁護士 離婚
大和八木駅前のつばめ君(5月生まれ)。初めてのフライトチャレンジです♪

なお、以上のことは不動産屋さんを通じて紹介をうけた税理士さんに相談・確認した事項です。

個々のケースで異なる場合もあるかと思いますので

私、該当するかも!と思われた方は、専門家にご相談下さい。

 

 

 

2022年

6月

20日

内田樹さんの「『複雑化の教育論』をめぐるロングインタビュー その2」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1180

宗主国からすれば、現地住民の創発性の「芽を摘む」ことが植民地支配においては必要だったわけですから、母語を痩せ細るに任せて、宗主国の言語を学ばせた。

 

 

2022年6月6日の内田樹さんの論考「『複雑化の教育論』をめぐるロングインタビュー その2」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 数学者の岡潔は「数学は情緒だ」ということを言っていました。彼の言う「情緒」というのはたぶん数学的なアイデアとしてきちんとしたかたちをとる寸前の、輪郭の定かならぬ星雲状態の思念を導く力のことを指しているんだと思います。そのアモルファスな思念が形をとるには、身体的な没入が必要だ、と。星雲状態のアイデアが学的な概念にまとまるためには、「我を忘れて」没入する必要があり、そこには感情生活の豊かさの支援が要る。そういうことを岡潔は言っているんじゃないかと思います。

 僕の経験ではそうです。自然科学であっても、社会科学であっても、あるいは文学であっても、ある新しいアイディアがかたちをとるときに、それはきわめて情緒的なものなんです。そして、その情緒的なもの、身体感覚的なものを言葉にするためには母語が要る。新語が湧き出てくるように、母語のアーカイブから湧き出してくる言葉でないと、この情緒をうまく掬い取ることができない。

 日本はノーベル賞の受賞者がアジア諸国の中では突出して多い国です。これは考えてみたら不思議なことです。日本語は国際共通語ではありません。日本語話者は世界中足しても1億人ちょっとしかいません。でも、かつて欧米の植民地であったせいで母語を奪われて、宗主国の言語が公用語になっているところでは、自然科学分野でも他の分野でも、なかなかノーベル賞の受賞者が出ません。

 例えば、フィリピンはかつてアメリカの植民地、インドはイギリスの植民地でしたから、どちらでも英語は公用語です。知識人は誰でも母語同様に英語が使えます。というか使えないと政治家にも官僚にも学者にもなれません。ですから、世界標準の研究にキャッチアップしたり、国際共通語で学会発表したり、論文を書いたりする上では、日本よりむしろアドバンテージがあるはずです。でも、なぜか、どちらでも自然科学分野でのノーベル賞の受賞者が少ない。フィリピンは受賞者ゼロ、インドは5人いますが、うち外国籍が4人です。国際共通語でない言語で研究できる日本では自然科学系だけで27人(うち外国籍が3人)。この差はどう説明したらよいのでしょうか。

 たしかにタガログ語やヒンドゥー語はニュアンス豊かな生活言語ですけれども、政治や経済や科学について語るのには向いていません。だから、英語を使う。みんな英語が使えるので、母語を富裕化して、母語で語れる範囲を広げるということについて、強いインセンティブがなかった。そのことがこれらの国での知的なイノベーションを妨げているのではないかと僕は思います。

 フィリピンの人がこう言っていました。「英語が母語同様に使えることはたいへんpracticalであるが、母語では英語と同じ内容が話せないことはtragic である」と。これはほんとうにそうだと思います。タガログ語では、政治や経済や学術について十分に語ることができない。そのための語彙がない。そのためのレトリックや複雑な構文が洗練されていない。「言語の植民地化」というのは、そういうものだと思います。宗主国からすれば、現地住民の創発性の「芽を摘む」ことが植民地支配においては必要だったわけですから、母語を痩せ細るに任せて、宗主国の言語を学ばせた。それは日本が朝鮮や台湾でやったのと同じことです。母語を使わせず、宗主国の言語を使わせることで、彼らの「母語のアーカイブ」へのアクセスを妨害した。でも、「母語のアーカイブ」に深く沈潜することが、新しいアイディアの発生にはどうしても必要なのです。

 母語で博士論文が書ける国というのは、それほど多くはありません。「日本語で書いた論文でも博士号がとれる」ということを日本のガラパゴス化の原因だとして、論文は英語で書かせろというようなことを主張する人がいますけれど、そういう人たちは「母語に世界標準の学術用語の語彙が存在する」という事実がどれほど例外的なものかを忘れていると思います。母語で国際的な研究ができるというのは、日本の数少ない知的なアドバンテージなのです。

 国語教育は、母語のアーカイブにアクセスする技術を教えるための教科です。その技術に習熟することで、僕たちは自分の中にふと浮かび上がった、不定形で星雲状態のアイディアの断片に、それにふさわしい表現を与えることができる。それが知的なイノベーションをドライブする。

 

 母語のアーカイブに深く広くアクセスできる能力を高めてゆくこと、それが言語集団の知的生命にとって死活的に重要であるということに、いま国語教育を語っている人たちはほとんど自覚的ではないと思います。だから、「古文漢文なんか教えなくていいから、英会話を教えろ」というような、言語の植民地化を歓迎するような発言をする人間が出てくるのです。

2022年

6月

17日

内田樹さんの「『複雑化の教育論』をめぐるロングインタビュー その2」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1179

国語教育というのは、子どもたち全員の中に標準装備されているこの「母語のアーカイブ」へのアクセスの仕方を教えることだ

 

 

2022年6月6日の内田樹さんの論考「『複雑化の教育論』をめぐるロングインタビュー その2」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

――新刊『撤退論』では、人口減とどう付き合っていくかという話題がありました。人口減が進み、日本語話者が減っていく中で、国語教育はどうあるべきでしょうか。

 

 人間は新しいアイディアを母語でしか創り出すことができません。知的なイノベーションは母語でしかできない。これが国語教育を考えるときの一番ベースに来るべき前提だと思います。

 豊かな語彙を持つこと、鮮やかなレトリックを駆使できること、それは知的なイノベーションにとって不可欠です。そして、それは母語によってしかできません。僕たちは母語によってしか、複雑なニュアンスをもつ語を使い分けたり、複雑な論理階梯をもつ構文を語ったりすることはできません。

 日本列島には数千年前から人が暮らしていました。そのすべての人たちが何らかの言葉を発してきたり、文字を書いたりしてきた。その全てが僕たちの「母語のアーカイブ」をかたちづくっています。僕たちが直接知っている語彙とか、使っている構文とか修辞とかは、そのごく一部に過ぎません。でも、「母語のアーカイブ」への入り口は僕たちが母語を習得してきた過程で、日本語話者全員の中に標準装備されています。国語教育というのは、子どもたち全員の中に標準装備されているこの「母語のアーカイブ」へのアクセスの仕方を教えることだと僕は思います。

 日本列島で発したことのある発語や文字列のすべてがそこには集積しています。それはある種の天文学的サイズの図書館のようなものです。その図書館そのものではなく、その図書館への「入口」が僕たちの中には存在しています。国語教育というのは、この「図書館への入り口」をどうやって開き、どうやって「母語のアーカイブ」の深みに沈みこんでゆくか、それを教えることだと思うんです。

 

 何年か前に、池澤夏樹さんの個人編の文学全集で『徒然草』の現代語をしたことがあります。『徒然草』なんて、予備校時代に受験勉強で読んだのが最後だし、古語辞典だってその当時のぼろぼろのものが手元には1冊あるだけでした。果たして現代語訳なんかできるだろうかと思いましたけれど、池澤さんがわざわざご指名くださったのは「できる」という評価を下した上でのことだろうから、まあ何とかなるだろうと思って、お引き受けしました。そして、毎日一段か二段ずつちょっとずつ訳して、二年かけて全訳をしました。毎日読んでいるとだんだん慣れてくるんです。吉田兼好とだんだん呼吸が合ってくる。どういう人柄だかだんだんわかってくる。そうすると、知らない言葉でも、古語辞典を引く前に「だいたいこんな意味じゃないかな」と予測できるようになる。

 訳し終えてから「『徒然草』を訳して」という演題で二度講演をしました。京都の西本願寺で講演したとき、講演が終わった後にフロアとの質疑応答の時間がありました。そのときに手を挙げた方がいて、「私は高校の国語の教師ですが、博士論文は『徒然草』で書きました」とまず自己紹介した。わあ、何を言われるのだろうとどきどきしていたら、「内田さんの訳文はたいへんよい」と言ってくれました。「とくに係り結びの訳し分けが適切だった」と言われて、こちらが驚きました。実は係り結びというのは5つぐらい意味があって、文脈に応じて、訳し変えないといけないんだそうです。そんな文法規則があることを僕は知らなかった(笑)。でも、ちゃんと訳し分けていたらしい。

 こういうことができるのは、やっぱり母語だからだなと思いました。吉田兼好は800年前の人です。でも、800年前までの「母語のアーカイブ」を僕は彼と共有している。そこから湧いて出てくる表現ですから、根は一緒なんです。だから、微妙なニュアンスの違いが分かったりもする。母語だとそういうことが起きる。

 時々、新しい日本語が生まれることがあります。「新語(neologism)」と言いますが、新語について一番面白いのは、ある人がふっと思いついてその新しい語や表現を使い出したにもかかわらず、その微妙なニュアンスが日本語話者であれば誰でもわかるということです。そして、新語の伝播はものすごく速い。たぶん数週間で日本列島を北から南まで一気に広がっているんじゃないかと思います。

 そして、新語の発明は母語話者にしかできません。僕が外国語で新しい言葉を思いついて、それを口にしてみても、たぶん誰も意味がわからない。「そんな言い方はしない」と言われておしまいです。でも、母語話者だとそれまで誰も使ったことがない新語についても、意味がわかる。ニュアンスが伝わる。

 印象的な新語は半疑問形です。「複雑化の教育論?」みたいに、語尾をちょっと上げる独特の言い方です。これがある時期から流行りましたね。「よく知らないんだけれども」とか「俺はあまり評価してないので、一応判断保留しとくけれども」みたいなかなり複雑なニュアンスをもっている言い回しです。

 初めて聞いたのが、90年代はじめの大学の教授会でした。一人の先生がある教育プログラムについての議論の中で、半疑問形を使ったんです。でも、その微妙に語尾を上げる言い方で「そういうプログラムを企画している人が学内にいるみたいだけれど、オレはその話聞いてないし、中身知らないし、評価もしてないし、どちらかというと反対だけど」というニュアンスをみごとに伝えていて、ちょっとびっくりしました。それからしばらくしてテレビを見ていたら、出演者たちが続々と半疑問形で話していました。「伝播するの速いなあ...」と感心しました。

「真逆」とか「ほぼほぼ」とか、どれもはじめて聴いたのに意味やニュアンスが理解できた。「真逆」は「正反対」よりちょっとだけ強い。「ほぼほぼ」は「ほぼ」よりもちょっとだけ確率的に低い。そういう意味の違いがわかる。いずれも日本中にあっという間に広がりました。

 

これが母語の生成力・伝播力というものなのだと思いました。新しい表現、新しいアイデアが出てきたとき、人々が瞬時に理解し、すぐに利用するようになる。

2022年

6月

16日

UTMFサポート その4 ☆ あさもりのりひこ No.1178

2022年4月22日(金)午後9時30分、妻が「U2 麓」(スタートから約45㎞)に到着する。

2019年は、大渋滞で予定より4時間くらい遅れたが、今年は順調だ。

スタートして6時間くらいなので、妻も元気だ。

小さな折り畳み椅子に座らせて、タオルを肩に架ける。

温かいスープ、フルーツヨーグルト(いちご、ブルーベリー、インカインチプロテイン)、ライ麦パン(フォルコンブロート)を出す。

スープは、妻が到着する前に、災害用の備品を使って暖めておいた。

 

これは、厚手のビニール袋に薬品の袋とレトルトパックを入れて、水を120㎖加えて、チャックを閉じておくと、水が沸騰して、温まるものである。

約20分でアツアツになる。

火気厳禁のエイドでも使えるので便利だ。

ただし、温め直すことができないので、ミニコンロは必要だと思った。

 

ライ麦パン(フォルコンブロート)は好評だった。

小さくちぎって、スープに入れると食べやすい、ということだ。

 

フルーツヨーグルトは美味しいのだが、夜は寒いので、食べている妻の手が震えている。

 

妻が食糧を喰っている間に、ミネラルウォーター、ポカリスエットを補給する。

ポカリスエットはそのままだと甘すぎるということで、水で2倍に薄めた。

妻が途中で摂ったジェルやバーのゴミを捨てる。

ゴミ用のビニール袋を用意して、それにゴミを放り込む。

少し大きめのゴミ袋があれば、何回か使える。

 

妻は「U2 麓」を午後10時くらいに出発した。

最速の予定よりも1時間以上早い。

安藤大(ひろし)さんに、妻が「U2 麓」を出たことをメールする。

安藤さんには、妻がUTMFに出ること、朝守がサポートすること、抗原検査を無事にクリアしたことをメールしていた。

 

夜中なので、紅富士荘まで1時間もかからない。

紅富士荘は、UTMFのサポートで出入りするので、一晩中、玄関の鍵は開いている。

使った食器を水で洗って、紙(トイレットペーパーとペーパータオル)で拭く。

食べかけの食材(パンとか)や「U2 麓」用に用意したが残ったものを少し食べる。

1時間30分ほど仮眠する。

 

4月23日(土)午前1時くらいに紅富士荘を出て、2つ目のサポートエリアである「U4 精進湖」に向かう。

サポーターの自動車が集中したようで、渋滞になり、駐車場に入るまで時間がかかる。

食糧以外に寝袋を持ってサポートエリアに行く。

応援Naviで妻の位置を確かめる。

応援Naviは便利だが、時々画面がフリーズする。

と思ったら、まだ到着していないのに、すでにエイドを通り過ぎている位置に表示されたりする。

応援Naviは必ずしも正確とは限らないので、気をつけなければいけない。

 

午前4時、妻が「U4 精進湖」(スタートから約68キロ)に到着する。

ゴミを捨て、飲み物を補充し、食べ物を摂らせる。

寒い。

フルーツヨーグルトを食べる妻の手がブルブル震えている。

マットと寝袋を広げて、妻を仮眠させる。

午前4時50分、妻は「U4 精進湖」を出た。

当初の予定より2時間早い。

ここまでは順調である。

 

妻が「U4 精進湖」を出たことを安藤さんにメールする。

2022年

6月

15日

内田樹さんの「『複雑化の教育論』をめぐるロングインタビュー その1」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1177

大人たちは、親も教師も、子どもたちに高い付加価値を付けて、労働市場に送り出すことが学校教育の目的だと心の底から信じている。その思い込みをどこかで引き剥がさないといけない。でも、どれほど言葉を尽くしても、たぶんわかってもらえないでしょう。

 

 

2022年6月6日の内田樹さんの論考「『複雑化の教育論』をめぐるロングインタビュー その1」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 ビジネスからの学校教育への介入も、政治の介入同様に、決してあってはならないことです。産業界はとにかく「高い能力を持ち、安い賃金で働き、上位者に逆らわない人間」を量産しろと言ってきます。これは営利企業である以上当然の要請です。でも、それはあくまで彼らの短期的な利益のために過ぎない。そういう人材がほんとうに必要ならば、企業内に教育機関を作って、自分たちがコストを負担して教育を行えばいい。でも、彼らは企業で人材育成コストを負担する気がありません。教育コストはすべて公教育に「外部化」しようとする。税金を使って自分たちに都合のよい人材を育成させようとする。「コストの外部化」は資本主義企業の基本ですから、彼らがそうすることを防ぐ理屈はありません。僕らにできるのは、「マーケットは学校に口を出すな」と繰り返し言うことだけです。

 政治の介入に関しては親たちも結構ナーバスになりますが、マーケットの介入については、保護者たち自身が骨の髄まで「資本主義的マインド」になっているので、「マーケットが介入することのどこが悪いのか?」と不審顔をされることがあります。教育というのは子どもに「付加価値」を付けていって、労働市場で高く売るためのものでしょう...と本気で思っている保護者は少なくありません。企業が望むような人材に育て上げることを学校教育に求めたりする。そういう人たちが「教育投資」というような言葉を平気で使う。マーケットのロジックや用語は親たちにも、子ども自身にも入り込んでしまっています。

 政治とマーケットの介入をどうやって遠ざけて、公教育を自律的なものにするか。それが喫緊の課題なのです。でも、これはほんとうに困難な課題だと思います。

 というのは、公教育への政治の介入を押し戻すためには、政治の介入が必要だからです。教育現場のフリーハンドに任せて、政治は教育に介入しないということを決定するためには、そういう政治決定を下す必要があります。「公権力の介入を排する」ためには「公権力の介入を要請する」という矛盾したことをしなければいけない。

 だから、「政治の変化に期待する」というのは、学校教育にとっては諸刃の刃のリスクがあります。たしかに政治の変化がないとなかなか学校教育の自律性は回復できない。でも、政治の変化に期待するということは、政治の公教育への介入を受け入れるということです。僕たちはこのジレンマに苦しまなければならない。

 マーケットの介入を防ぐことは、今の日本ではもう不可能だと思います。大人たちは、親も教師も、子どもたちに高い付加価値を付けて、労働市場に送り出すことが学校教育の目的だと心の底から信じている。その思い込みをどこかで引き剥がさないといけない。でも、どれほど言葉を尽くしても、たぶんわかってもらえないでしょう。

 僕らにできることは、今の教育の現実を客観的に、ありのままに提示して、「今の教育はこんなふうになっています。このままでは日本はただ衰退するだけです。このままでいいのですか? これをどうしたらいいんでしょう?」と問いかけ、みんなで知恵を出し合うしかない。誰か力のある人に「正解」を出してもらって、それに従うというわけにはゆきません。市民全員が徹底的に「学校教育はいかにあるべきか」と問い続けなければ話は始まりません。公教育をここまで破壊するのに何十年もかけたわけですから、これをまた再建するためには官民一体となっても同じだけの歳月がかかると思います。

 

――「格差社会」が問題視されて久しいですが、社会格差や学歴社会など、学校教育と絡めてどう見ていますか。

 

 学歴に対する過剰な意味付けは今しだいに弱まっている気がします。子どもたちが有名になったり、お金を稼いだりするためのキャリアパスはいろいろと用意されていますから。

 僕が子どもの頃、日本がまだ貧しかった時代は、貧しい家の子どもたちがキャリアを形成するためには高学歴しか手立てがありませんでした。プロ野球選手になる、歌手になるといったキャリアパスはよほど例外的な才能のある人にしか開けていなかった。キャリアを形成する上で一番フェアに開かれていたのが学歴でした。だから学歴社会になった。

「勉強さえできれば、何とかなる」というのが戦後日本の貧しい家の子どもたちにとってほとんど唯一の希望でしたから、学歴偏重になったことはある意味仕方がなかったと思います。もちろん、子どもたち一人一人に先天的な能力差がありますから、それだって決してフェアな競争ではないのですけれども、それでも家が貧しくても、身体が弱くても、学歴社会においては競争することができた。そういう点ではフェアでした。「学歴社会」は敗戦で貧しくなった日本社会が民主主義を採用した以上、必然的に登場してきたものだったと思います。

 逆に、今は学歴の重みがしだいに軽くなっています。理由の一つは、多くの職業が世襲になったせいだと思います。政治家も世襲、経営者も世襲、芸能人も世襲。社会の上層部を占める職業ほど世襲が増える。「家業」を受け継ぐ子どもはキャリア形成では圧倒的なアドバンテージがあります。今ではもう「勉強ができる」というだけでは手が届く地位が限定されてきた。

 学歴社会でなくなってきたというのは、別にそれで何か「よいこと」が起きたわけではありません。むしろ、生まれた段階でキャリアパスの割り当てが終わっていて、個人的努力で這い上がることのできる範囲が狭くなったということです。それだけ社会的流動性が失われて、階層が固定化したということです。

 学歴が軽んじられるようになったもう一つの理由は「反知性主義」が広まったせいだと思います。「勉強なんかできてもしょうがない」ということを声高に言う人たちが、社会の上層部に増えてきた。「オレは勉強なんかできなかったけれど、こんなにえらくなった。だから学校の勉強なんか意味がない」ということを誇らしげにいう人がどんどん増えてきた。

 戦後日本が学歴偏重であったのは、もちろん今言ったように「キャリアをめざす」ためには高学歴を手に入れることが合理的な道筋だったという事情もありますけれど、それと同時に「知性と教養」を高く評価する「教養主義」も大きくかかわっていたと思います。

 僕は子どもの頃には、かなり真面目に勉強をしました。でも、それはいい大学を出て、いい会社に行って、出世して、高い給料をもらうというような生臭い目的のためではありません。そういう「立身出世」は僕の場合は勉強のインセンティブではなかった。僕が勉強を一生懸命やっていたのは、いい学校に行って、すばらしい先生に就いて、レベルの高い勉強をして、学友たちと熱く議論して...という教養主義的な動機にドライブされていたからです。そういう子どもは決して少なくなかったと思います。別に出世したり、金儲けをしたいから勉強するのではなく、勉強して広い知識や深い教養を身に着けたいという子どももたくさんいました。だから、受験勉強そのものは「無意味だ」と思いながらも、これを通過すれば、「アカデミア」に参入できると自分に言い聞かせることができた。

 いまは、学校での勉強が「ハイレベルの知性の場」に参入するための足場だと考えている子どもはきわめて少数ないんじゃないかと思います。受験はただの「格付け」のための競争であって、勉強で高いスコアをとることがその先の「アカデミア」への参入につながり、それこそが勉強することの目的だというふうに考えている保護者も子どももほとんどいないんじゃないでしょうか。

 学校教育がただ選抜と格付けのためにあるのだと思ってしまうと、あとは競争で相対的に優位に立つことしかすることがない。競争相手を1人でも減らせば自分が有利になる。自分の学力を上げることよりも、周りの競争相手の学力を下げることの方が、費用対効果がよいですから、学校教育を格付けに使うと、子どもたちの学力はどんどん下がって来るのは当たり前なんです。

 相対的な優劣だけが問題であるなら、全員が「勉強ができない」という状態のときこそ、わずかな学習努力で大きなアドバンテージが得られるからです。同学齢集団全体の学力が低下することが、相対的な優劣を競う環境としては、一番楽です。だから、いかにしてみんなが勉強に意欲をなくすようにするかに子どもたちが努力するようになった。今の子どもたちは無意識的にはほぼ全員がそうしていると思います。子どもたち同士の会話を横で聴いていても、おたがいの知的パフォーマンスを向上させるためのやりとりというのはまず聴くことがありません。ほとんどの会話は「そんなことを知っていても、学力向上には何の影響ももたらさない情報」のやりとりだけで構成されている。そういう話題の選択が無意識に行われている。

 

 日本では、この10年間の政治家たちの知的劣化は目を覆わんばかりです。深い教養を感じさせる政治家の言葉というものを僕は久しく耳にしていません。逆に、知性にも教養にもまったく敬意を示さない政治家たちが教育についてうるさく発言している。その結果、日本の高等教育は先進国最下位に向けて転落し続けています。そのことに切実な危機感を持たないと日本という国にはもう先がないと思います。

2022年

6月

14日

近鉄八木駅前に食パン専門店「アイラビュベイベー」OPEN@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当です。

 

今日は朝からシトシト雨模様☔

そして,平年より8日遅れで近畿地方も梅雨入りしましたね。

短時間での集中豪雨や先日の雹など,昔に比べると異常気象が多くなりました。

台風などのシーズン前に,我が家も防災グッズや雨樋などにゴミが溜まっていないか

点検しておかねば・・・(^_^;)

 

 

さて,先月5月27日,近鉄八木駅名店街内に新たに食パン専門店がOPENしました。

その名も,「アイラビュベイベー」。

 

このど派手な看板,皆さんも目にしたことがあるかもしれません。

 

 

 

食パン専門店 アイラビュベイベー

 

奈良県橿原市内膳町5丁目1-12

近鉄八木駅前名店街北通り

 

電話番号  0744-29-7885

 

営業時間  10001900

      (パンがなくなり次第閉店)

 

 

定休日     水曜日

食パンは全部で5種類あり,

「ビターに夢中(チョコ)」,「あんに首ったけ(餡入り)」

「ダブルでピースなチーズたち(チーズ入り)」は曜日別の販売のようでした。

 

その他には,サンドイッチが5種類(卵,カツ,エビカツ,チキン南蛮,焼きそば)と

フレンチトーストが並んでいました。

お昼にサンドイッチをいただきましたが,パンがふんわり柔らかくて美味しかったです。

 

また,家用にレーズンパンを1斤購入したのですが,冷凍する間もなく3日目には

すでに完食してました・・・(^^;) 

次回は,是非チーズ食パンも試してみようと思います!

 

皆さんも八木駅付近にお越しの際は、ぜひ一度ご賞味ください(・∀・)

ただし,ど派手な紙袋にはご注意を(笑)

 

2022年

6月

13日

内田樹さんの「『複雑化の教育論』をめぐるロングインタビュー その1」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1176

戦前は「教育勅語」によって国家が公教育に介入して、「天皇ために死ぬ国民」を制度的に量産しました。それによって日本は数百万の国民を失い、国家主権も国土も失いました。間違った教育が日本を滅ぼした。

 

 

2022年6月6日の内田樹さんの論考「『複雑化の教育論』をめぐるロングインタビュー その1」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

――『複雑化の教育論』のもととなった講演から約1年。この間に、教育関連で気になった出来事は?

 

 いろいろと気になる報道はありますが、とりわけ大学教育が危機的であることが気になります。例えば、「大学ファンド」制度。認定を受けるには年3%の事業成長を大学は国に約束しなければならないという方針が話題になりました。大学に「稼ぐ」ことを求めて、稼ぎによって格付けするということになると、教育研究の方向が短期的な利益を出すことに限定されるし、教員の労働もさらに過剰になる。あらゆるレベルで教員が労働過剰になっているせいで、教員のなり手が減っていることも深刻な問題です。

 

――公教育が危機にさらされているように感じます。オルタナティブな選択をする保護者も増えていると聞きます。

 

 公教育にはその時々の支配的な政治イデオロギーが深く関与するというのは日本の現実です。自治体の首長が変わると、地域の教育ががらりと変わるということが現に起きています。 

 それに対して、私立学校には建学の精神や独特の校風があって、教育内容が時の支配的な政治権力に直接影響されるということには抑制がかかります。ですから、保護者が政治の過剰を嫌って、子どもたちを私立学校に進めようとするとしても、それはしかたのないことだと思います。

 ただ、私立学校で気になるのは、どうしても同質性の高い生徒たちが集まってしまうということです。学力や出身階層について同質性の高い級友たちと、中高一貫6年間、あるいは小学校からの12年間を過ごすということは、子どもの成長にとってあまりよいことではないと僕は思います。子どもは成長期にはできるだけ多様な出自の、多様な考え方をもつ友人と出会った方がいい。その方が成熟してゆく上ではよい環境だと思います。それに、私立に通わせるためにはそれなりの経済的な余裕が要ります。

 個人的には、他にもいろいろ選択肢があります。「学校へ行かないで、高卒認定試験を受ける」というのもあるし、「通信制などのオルタナティブスクールに行く」というのもあるし「いっそ海外に行く」というのもあります。そういう選択は個人の前には開かれています。ただし、それはあくまで個人レベルでの問題解決であって、制度的な問題の解決にはなりません。それに、進学について多様な選択肢を享受できるのは、ここでもやはり親に経済力がある場合です。貧しい家の子どもには、それほどの選択肢はない。だから、やはり公教育の再建が急務だと思います。

 

――公教育の危機は、どのような要素からの影響が大きいのでしょうか。「政治」と「マーケット」という2つのファクターが日本の公教育を壊している。それは間違いないと思います。

 

 教育、医療、行政、司法などの制度は共同体が存続するために不可欠のものです。ですから、とにかく安定的に運営されていることが最優先します。政体が変わろうとも、経済システムが変わろうとも、これらの制度はそういう社会的変化とはかかわりなく継続的に管理・運営されなければならない。政権交代したからとか、株価が下がったからとかいうことで教育や医療の制度が軽々に変わっては困る。

 でも、政治とマーケットはそういう安定的な制度が社会内に存在することそれ自体に対して敵対的です。「変化しないもの」を許容しない。それが政治とマーケットの本質的な傾向です。とりわけ政治家は政治過程から相対的に自律的に機能している制度というのが嫌いです。ですから、「改革」を掲げる政治家はまず行政、医療、教育に手を突っ込みたがる。そして、わずかな社会的変化に即応して「ころころ変わる」制度に変えようとする。それが正しいと信じているんです。でも、選挙があるたびに一朝にして前の制度が放棄されて、また新しくなるというようなことは医療でも教育でも行政でも、本当はあってはならないことなんです。

 一方、マーケットが医療や教育に首を突っ込んで来るのは、資本主義が限界に来て、もう金儲けのための「フロンティア」がなくなったからです。医療や教育は「それなしでは集団が維持できない制度」ですから、どれほど制度をいじりまわしても、機能不全にしても、破壊しても、最終的には税金であれ私財であれ、誰かが金を出してその制度を維持しようとします。ビジネスマンが医療や教育に首を突っ込むのは、それが絶対安全な「金儲け」の機会だからです。

 教育と政治がかかわりを持つことはなかなか抑制できません。明治からあと、近代学制において、学校教育は「国家須要の人材」を育成するという国家目的に基づいて制度設計されていました。近代国家を立ち上げ、維持するために必要な人材を育成するという考え方自体は間違っていないと思います。ただ、その場合でも、長期的な視点で「どのように国力を高めるか」を考えるべきです。

 多様な才能が、百花繚乱的に花開くような仕組みを作るというのが長期的には国力向上に最も効果的だと僕は思います。でも、そういう仕組みでは、教育現場に大きな自由裁量権を与えなければならない。反権力的、反体制的であることを恐れない元気のよい若者が輩出してしまう。ですから、統治コストの最少化を優先的に考える政治家はそういう仕組みを採用しません。そうではなくて、たまたまその時に政権の座にある人間が、政権を安定させ、自分たちの支配を長期化するために、政権の安定のために「都合のよい人間」を作ることを学校教育に求め出します。上位者に無批判に従う、批判力のない、「イエスマン」を量産することを学校に命じてくる。そうなると、短期的には統治コストは低くなり、政権は安定しますが、次第に国力は衰えてくる。国は貧しくなり、国際社会でのプレゼンスが低下し、文化的生産力も衰える。それは世界のどこの国でも同じことです。

 だから、学校教育においては、「国家須要の人材とは誰のことか?」という根源的な問いを繰り返し問わなければならない。具体的に言えば、そのときたまたま政権の座にある政治家が、自分にとって都合のよい国民を「国家須要の人材」であると定義することをどうやって防ぐか。それが公教育にとって死活的に重要な問題だと思います。

 

 戦前は「教育勅語」によって国家が公教育に介入して、「天皇ために死ぬ国民」を制度的に量産しました。それによって日本は数百万の国民を失い、国家主権も国土も失いました。間違った教育が日本を滅ぼした。この前例を徹底的に反省して、二度と政治が教育に介入しないような自律的な仕組みを作るという決意から戦後教育は始まりました。けれども、その時にあったような緊張感が今の日本の学校教育にはもうまったく見ることができません。

2022年

6月

10日

内田樹さんの「徒然草 訳者あとがき」 ☆ あさもりのりひこ No.1175

「なんだかよくわからない話」はなぜか奇妙なリアリティがあって、忘れることができない。

 

 

2022年5月29日の内田樹さんの論考「徒然草 訳者あとがき」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

池澤夏樹さんが『日本文学全集』全30巻を個人編集したときに『徒然草』の現代語訳を頼まれた。酒井順子さんが『枕草子』、高橋源一郎さんが『方丈記』、僕が『徒然草』という不思議な編成の一巻だった。それが2016年に初版が出て、6年目に4刷りになった。うれしいことである。記念に初版に寄せた「訳者あとがき」を採録しておく。

 

 現代語訳を書き始める前に、まず「現代語訳」というのがどういうものなのかを考えた。古文の参考書に付けられている訳文は「現代語訳」ではない。語義は正確だろうが、原文の「手触り」や書き手の「息づかい」が伝わってこない。今回の仕事で私に求められているのは、テクストの身体を際立たせることだと(勝手に)思い定めて、訳を始めた。

『徒然草』は兼好法師が老境を迎えた頃に書かれたものとされているが、若書きも交じっている(らしい)。ほんとうは厳密なテクスト・クリティックを踏まえて訳すべきなのだろうが、さいわい私は「テクストの身体」にだけ用があり、執筆年代の特定や内容の真偽は関心の埒外である。

「テクストの身体」というのはその人の指紋のようなもので、年齢や立場にかかわらず、変わることがない。現に、私自身すでに古希に近い年となったが、書くものには、過去の感懐や記憶の断片が無秩序に混ざり込む。話題に応じて、私はときに二十歳の若者として書き、ときに初老の男として書き、時には時間をフライングして、瀕死の床から書くことさえある。そんなふうに、私たちは書きながら時間の中を自由に往来する。そして、ある時、ある場所にいた過去の自分に想像的に嵌入して、そこから見える風景や肌に触れる空気をありありと回想することができる。それが書くことのもたらす愉悦の一つでもある。「徒然なるままに」筆を走らせた兼好法師がその愉悦を知らぬはずがない。彼は草庵の机の前に端座して、「失われた時を求めて」自在に時間と空間を行き来し、そこに感知された細部を事細かに記す。月の冷たさ、風の薫り、生い茂る緑の重み、苔むす道の寂しさ、遠く聞こえる笛の音、美酒の舌触り・・・などなどを兼好法師はひたすら愉悦的に記してゆく。

 美的生活者の感懐というと、私たちはどうしても「美しいもの」についての記述を思い浮かべるが、『徒然草』が古典として七百年にわたって愛読された最大の理由は、彼の叙する「美しいもの」が審美的な視覚対象にとどまらないからである。彼は聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感すべてに「触れる」ものをいとおしげに、けれどもぎりぎりまで削り取った言葉で記述した。

 例えば、季節の変わり目について記した第十九段。兼好法師は、春の興趣としてまず鳥の鳴き声から始める。そして、「日の光」「垣根の草」「霞」「芽吹き」「雨風」「青葉」「梅の香」と列挙し、そこから夏の風物詩としての「水鶏の叩く音」「夕顔」「蚊遣りの煙」を挙げ、続けて「雁の声」「萩の下葉」「早稲田の稲刈り」「野分」の秋へと筆を進める。流れるような筆致で彼は読者の五感を順に呼び覚ます。

 すぐれた作家に共通する点だが、兼好法師も「嗅覚」と「触覚」を活性化する手際が卓越している。この二つの感覚は発生的には最も古い感覚であり、それだけ身体の深層・古層を揺り動かす。だから、美しい風景や美しい音色に対してなら私たちは審美的態度を持し、一定の距離を保つことができるのに、香りや手触りに対してはそのような観照的態度を保持することができない。それは直接私たちの身体に触れてしまうからだ。

 その直接性は「痛み」にかかわるエピソードにおいて際立つ。「鼻の中が腫れて、呼吸もできなくなった」行雅僧都の病苦(四二段)。酒乱の男に腰を斬られた具覚坊の遭難(八七段)。「猫また」に襲われて小川に転げ落ちた連歌師の恐怖(八九段)。最も印象深いのは、座興で鼎を頭にかぶって耳も鼻ももげてしまった法師の話である(五三段)。そのときに法師が感じたであろう、あまりに愚かしい理由で落命する自分への自己嫌悪の深さと、鼎を抜くときに経験した激痛にうっかり想像的に共感してしまうと、私たちたちはしばらく夢見が悪い。

『徒然草』の魅力をかたちづくっているもう一つの要素は「なんだかよくわからない話」である。オチも教訓もない「奇妙な味わいの物語」を兼好法師はなぜか好んで蒐集した。稚児に頭を見せない「やすら殿」の話(九十段)。なにがどうすごいのか全然わからない牛追いの話(一一四段)。仁義を切ってから河原で差し違える(任侠映画みたいな)「ぼろぼろ」の話(一一五段)。落語『こんにゃく問答』の原型かとさえ思われる明恵上人の勘違いの話(一四四段)。個人的に一番好きなのは、芋頭ばかり食う盛親僧都をめぐるいくつかのエピソードのうち「しろうるり」の話(六十段)。

「なんだかよくわからない話」はなぜか奇妙なリアリティがあって、忘れることができない。そういう逸話が私は特に好きである。兼好法師が自慢顔で書く「彼がよく知っていること」の多くは私にはわからないし、別にわかりたくもないが、兼好法師が「よくわからないけれど、忘れられない」のでつい書いてしまったことは私にとってもやはり「よくわからないけれど、忘れられない話」なのである。そのとき私は700年の歳月を隔てて、兼好法師の隣にいる自分を感じる。

 

 

2022年

6月

09日

UTMFサポート その3 ☆ あさもりのりひこ No.1174

2022年4月23日(金)、前日の雨は上がり、天候は晴れ。

日差しが暑いくらいだ。

紅富士荘から車で10分ほどのところにある大池公園までプリウスαで妻を送っていく。

UTMFのスタート会場である富士山こどもの国まで直通の臨時バスが出るのだ。

2019年は、往復の臨時バスがあったので、朝守も富士山こどもの国まで行って、帰って来た。

今年は、帰りのバスがないのと、富士山こどもの国はランナーしか入場できないので、朝守はスタート地点には行かない。

途中、ローソン河口湖大橋店に寄って、ミネラルウォーターとポカリスエットを買い込む。

妻は、日差しが強いので、日焼け止めのクリームを買った。

12時、妻はバスに乗って出発した。

 

紅富士荘に戻って、サポートに必要な荷物をプリウスαに積み込む。

 

抗原検査のときに富士急ハイランドのコニファーフォレストで受け取った「SUPPORTER」のゼッケンをスポーツバックに付ける。

このゼッケンがないとサポートエリアに入ることができない。

ゼッケンを服に付けると、夜と昼で着替えたときにゼッケンも付け替えなければならないので、服に付けるのはやめた。

しかし、後で考えると、エリアを出入りするときにバッグを持ち歩くことになるので、サコッシュに付けた方がよかった。

 

なお、抗原検査をクリアしたときに、手首に細くて白い紙を捲かれた。

これも、サポートエリアを出入りするときに見せなければならない。

 

ちなみに、「サポーター用駐車券」を公式サイトからプリントアウトして、必要事項を書き込んだ上で、車内の見やすいところに置いておかなければいけない。

 

妻が、サポートエイドでナップザックに補充する食糧は、エイド別にジップロックに入れて、マジックでエイド名が書いてある。

懐中電灯を持ってくるのを忘れたが、ヘッドランプがあるのでなんとかなるだろう。

サポートエイドの駐車場の位置をプリウスαのナビゲーションシルテムに登録する。

3年前に利用した温泉「紅富士の湯」も登録する。

甲州ほうとう「小作」の河口湖店と山中湖店も登録した。

 

昼メシは「小作」河口湖店で『ほうとう』を喰うことにする。

このつぎに、ゆっくり、まともなメシを喰えるのは、ゴールした後の24日(日)の昼になる。

「小作」は混むので、昼時を避けて、午後2時前に店に行った。

かぼちゃほうとうを喰う(1250円)。

これでもか、というくらい野菜が入っている。

その野菜が、どれもデカイ!

久しぶりに旨かった。

満腹でござる。

 

午後4時30分ころ、紅富士荘を出発して、最初のサポートエイド「U2 麓」を目指す。

 

途中、道の駅なるさわ(鳴沢村)に寄る。

地元産のトマト、冷凍ブルーベリー、いちご、保冷剤、保冷袋を買う。

保冷剤と保冷袋は荷物が増えるので持って来なかったが、やはり必要だ。

 

その後で、道の駅朝霧高原(富士宮市)にも寄ったが、午後5時を過ぎていて閉店していた。

 

さらに、麓へ行く角を通り越して、少し先にあるファミリーマート富士宮朝霧店に行く。

UTMFの公式サイトにあるサポートエリアの駐車場の地図に、この店が載っている。

というわけで、サポーターがこの店に押し寄せたようで、おにぎりの棚は空っぽであった。

冷凍フルーツ(白桃、マンゴー)、サラダ、ドレッシング、プレーンヨーグルト、ぬか漬けを買う。

 

U2 麓」の駐車場に着いたのは午後6時過ぎであった。

「サポーター用駐車券」を見えやすいところに置く。

2019年は、サポートエリアに「富士宮やきそば」の屋台が出ていて、暖かい焼きそばを立ち食いしたが、今年は出ていない。

暗くなってきたので、ヘッドライトを装着する。

3日間の荷物を全部プリウスαの後部座席に積んできた。

駐車場で、ほかのサポーターを見ていると、ハッチバックを開けて作業している。

なるへそ!と気づいて、ハッチバックを開いて、荷物を最後部に移す。

 

U2 麓」で使う荷物を持って、サポートエリアに移動する。

サポートエリアの入口で、「SUPPORTER」のゼッケンと手首に巻いた白い紙(抗原検査を通過した証し)を見せる。

新型コロナウイルス感染症対策の一つとして、サポートエリアに入ることができるサポーターは、ランナー1人に対してサポーター1人に制限されている。

 

スマートフォンの応援NAVIで妻の位置を確かめながら、到着を待つ。

2019年のときは、雨が降っていて、凄く寒かったが、今年は雨もなく暖かい。

トップグループのランナーが入ってくる。

西村広和さんがすぐ近くでサポートを受けている。

大きな拍手が沸き起こったのが、鏑木毅さんが現れたときだった。

妻からLINEで、あとどのくらいで到着するか連絡が入る。

 

 

2022年

6月

08日

内田樹さんの「『レヴィナスの時間論』韓国語版」 ☆ あさもりのりひこ No.1173

僕たちは何を言っているわからないが、自分が宛先であることについてだけは確信できるメッセージを手がかりにして「成長」してゆく。

 

 

2022年5月14日の内田樹さんの論考「『レヴィナスの時間論』韓国語版」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

韓国のみなさま、内田樹です。このたびは『レヴィナスの時間論』をお買い上げくださいましてありがとうございます。まだ「買おうかどうか」迷っている方も本をお手に取ってくださったことについて感謝申し上げます。せっかく手に取ったんですから、このまま「序文」だけでも読んでいってください。

「序文」を読んだだけでも「なんとなく自分に縁がありそうな本」なのか「まったく無縁の本」なのかは直感的に識別できます。「縁がある」というのは「著者が言っていることに共感できる」とか「言いたいことがすらすら理解できる」とか「もともとこのトピックに興味があった」とかいうこととは違います。たいていの場合は逆です。

 この本の場合なら、「レヴィナスって、誰?」という人が、それにもかかわらずこの本を手に取って、ここまで読んできたということ、それが「ご縁があった」ということです。僕たちはたいていそういうふうにして思いがけない本に出会います。

 僕の人生を大きく変えたような本はどれもそうです。書店をぶらぶら歩いているときに、ふとある本と「目が合う」ということがあります。どういう条件が整うと「目が合う」のか、それは僕にもわかりません。でも、著者と編集者と(この本の場合は翻訳者)が「この本を一人でも多くの読者に届けたい」と思って真剣に作った本には独特の「たたずまい」があります。装丁のデザインとか、製本とか、紙質とか、頁を開いたときの行間や余白とか、そういう物質的なところにも微妙な「力」が行き渡っている。その「力」は書店をぶらぶら歩いているだけでも感知できるんです。

 もし今この文章を読んでいる人の中に「内田樹」も「レヴィナス」も「朴東燮」もどれもはじめて見る名前だという人がいたら、その人を呼び寄せたのは、この本の発しているそういう「力」だと思います。

 

 僕がエマニュエル・レヴィナスというフランス人哲学者の書いた本にはじめて出会ったのは1980年のことです。もう40年以上前になります。僕はそのとき大学院でフランス文学研究の修士論文を準備しているところでした。テーマはモーリス・ブランショというフランスの文芸批評家の文学理論についてでした(たぶん韓国語訳はまだほとんど出てないと思いますから、名前をご存じなくても気にしないでください)。

 研究のための参考文献として、ブランショ関係の文献を手あたり次第にフランスの書店に注文していました(まだAmazonもメールもない時代ですから、カタログをめくっては書店に手紙を書いて、数か月後に本が届くという牧歌的な研究環境でした)。レヴィナスの本はその中にありました(レヴィナスはブランショと学生時代から交友があったので、この人の本に何かブランショ理解のためのヒントが見つかるかもしれないと思って注文したのです)。

 僕は何冊か届いたレヴィナスの本の中から『困難な自由』(Difficile Liberté)という300頁ほどの本を選びました。ところが、読み始めたけれど、まったく一行も理解できません。10頁ほど読んで顔を上げた時に「一言も理解できない」ということに愕然としました。それまでもずいぶん難解な哲学書を読んできましたけれど、ここまでみごとに「一言も理解できない」ということは過去に経験がなかったからです。

 ふつうならそこで本を閉じてしまうところですけれども、僕は閉じることができませんでした。ある種の「力」で著者に惹きつけられたからです。

 それはちょうど街を歩いていたら、向こうから歩いて来た見知らぬ外国人にぐいっと手をつかまれて、すごい勢いで話しかけられているような感じに似ていました。僕の知らない外国語ですから、何を言っているのかさっぱりわからない。でも、この人は道行く他の人たちではなく、まっすぐ僕をめざして歩いてきた。そして、僕の手をつかんで離さずに話しかけている。僕にできることは「この人の言っていることが理解できるようになろう」ということだけでした。そのためには、まずその人がしゃべっている「外国語」をまず習得しなければならない。

 レヴィナスはもちろんフランス語で書いています。文法的に破格であるわけではない、ちゃんとしたフランス語です。僕はそれまで10年間フランス語をかなり集中的に勉強してきましたから、辞書さえあれば、だいたいのことはわかります。レヴィナスはさまざまな哲学用語も使います。どれも「哲学辞典」を引けば意味がわかる語ばかりです。だから、わからないはずがないのです。でも、ぜんぜんわからない。

 この時、僕の前には二つの選択肢がありました。「これは僕とは無縁の本だ」と思ってそっと本を閉じて、二度と手に取らないこと。もう一つは「この人が何を僕に言いたいのか、それがわかるような人間になろう」と決意することです。

 僕は後者を選びました。それはレヴィナスが何を言っているのかはわからなかったけれど、彼が僕に向かって語りかけているということについては深い確信があったからです。

 メッセージの「コンテンツ」は理解できなくても、「宛先」が僕であることについては確信を持つことができる。別に不思議な話ではありません。僕たちの日常にはいくらでも起きていることです。

 そもそも赤ちゃんが母親から語りかけられている時に、赤ちゃんは母親のメッセージの「コンテンツ」なんか理解できません。まだ母語を習得してないんですから理解できるはずがない。でも、そのメッセージの「宛先」が自分であることはわかる。その人のまなざしが自分に向けられていて、その声の波動が皮膚に直接やさしく触れてきて、「この人は私に語りかけている」ということはわかる。

 もちろん「私」という概念も「語りかける」という概念もまだ赤ちゃんの語彙には存在しません。でも、まさに「この人は私に語りかけている」という確信を基盤にしてはじめて「この人」という概念も「私」という概念も「話しかけている」という概念も受肉する。そうやって僕たちは母語を習得してゆくわけです。

 僕たちは何を言っているわからないが、自分が宛先であることについてだけは確信できるメッセージを手がかりにして「成長」してゆく。それは母語の習得という一度きりの経験ではなく、僕たちの人生において実は何度か繰り返されることではないかと思います。とりあえず、僕の身にはそれが二度起きました。

 レヴィナスが何を言っているのかはわからない。でも、彼が僕に向かって語りかけているということはわかる。そうであるなら、そのメッセージが理解できる人間になるように自己形成してゆくしかない。

 そういうふうにして、以後40年間、僕はレヴィナスを読み続けてきました。レヴィナスの著作をいくつも訳しましたし、論文も書きました。この『レヴィナスの時間論』は僕がこの40年間書き続けてきたレヴィナス論のうちで最新の著作です。

 でも、これだけの時間をかけて僕がレヴィナスが「言いたいこと」としてはっきり確信が持てるのは「人間は自分が宛先であることは確信できるが、中身は理解できないメッセージを解読できるような人間になるために自己形成してゆく(ことができる)生き物だ」という知見だけでした。つまり、今から40年前のレヴィナスとの出会いの瞬間に、僕はレヴィナスから学ぶべきことをすでに学んでいたのでした。レヴィナスと出会った瞬間に僕はすでに「レヴィナシアン」になっていたのです。でも、ほんとうに運命的な出会いというのは、そういうふうに時間の前後を逆走するようにして成就するものであるような気がします。どうしてかはわかりませんが。

 

 長くなってしまったので、序文はこの辺にしておきます。

 この本はレヴィナスが戦後すぐにパリの哲学学院というところで行った4回にわたる時間論講演をほぼ逐語的に精読したものです。はっきり言って、すごく難解です。でも、気にしないでください。もしみなさんがこの本を読んでいるうちに「レヴィナスが分かるような人間になることが私には必要なのかも知れない」と思ってくれたら、それだけでもこの本は書かれた甲斐がありました。

 いつものようにてきぱきと仕事を進めてくれた朴東燮先生のご尽力に心から感謝申し上げます。ほんとうにありがとうございます。韓国でレヴィナスを読む人が一人でも増えてくれることを心から願っております。

 

2022年5月

 

内田樹

2022年

6月

07日

近鉄八木駅前の花に願いを込めて

本日、6月7日は事務局が担当です。

まもなく近畿も梅雨入りしそうですが、昨日と今日の朝、近鉄八木駅を降りて、事務所へ出勤する時に目に入ってきたのは、青空と黄色いたくさんの花でした。

近鉄八木駅前のヒペリカムの花
近鉄八木駅前のヒペリカムの花

それは、ナビプラザ北側に植えられているヒペリカム(金糸梅)の花です。

見たことはあるけど、名前は知らないと言われる方が多いのではないでしょうか。

ここのヒペリカムの花は今が見頃です。

コロナ禍になる前には、その花の前にベンチがあり、午後には日陰となるため、暑い季節には一息つくのには最適の場所だったのですが、今は感染防止のためになくなっています。

この黄色い花と青い空を見ていると、今は思い起こすのは、ウクライナの国旗です。

ウクライナの国旗の色は、青空のもとに拡がる、たくさん実った麦畑のイメージから作られたそうです。

因みに、ヒペリカムは、一日花ですが、花が終わった後に、かわいい実をつけることから、『悲しみは続かない』との花言葉がついたといわれています。

ヒペリカムの花
ヒペリカムの花

今のウクライナ状況に対して、私達ができる事はなかなかありませんが、小さな声でも多くの声が集まれば、大きく響き渡ると思いますので、皆で声をあげることでしょうか。

そして、ウクライナに悲しみの無い、平穏な日々が戻ってくることを願う次第です。

2022年

6月

06日

内田樹さんの「憲法空語論」 ☆ あさもりのりひこ No.1172

憲法というのは「そこに書かれていることが実現するように現実を変成してゆく」ための手引きであって、目の前にある現実をそのまま転写したものではない。

 

 

2022年5月3日の内田樹さんの論考「憲法空語論」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

『週刊金曜日』の憲法特集に少し長いものを寄稿した。憲法記念日なので、それを再録。

 

 今号は憲法特集ということなので、憲法についての私見を述べる。同じことをあちこちで書いているので「もうわかったよ」という人もいると思うけれど、私と同じようなことを言う人はあまりいないようなので、しつこく同じ話をする。

 憲法についての私の個人的な定義は「憲法は空語だ」というものである。「空語であるのが当然」であり、少し喧嘩腰で言えば「空語で何が悪い」ということである。

 あらゆるタイプの「宣言」と同じく、憲法も空語である。ただし、それは「満たすべき空隙を可視化するための空語」、「指南力のある空語」、「現実を創出するための空語」である。

 憲法と目の前の現実の間には必ず齟齬がある。それが憲法の常態なのである。憲法というのは「そこに書かれていることが実現するように現実を変成してゆく」ための手引きであって、目の前にある現実をそのまま転写したものではない。

 だから、「現実に合わせて憲法を変えるべきだ」というのは、いわば「俺は何度試験を受けても60点しかとれないから、これからは60点を満点ということにしよう」という劣等生の言い分と変わらない。たしかにもう学習努力が不要になるのだから、ご本人はたいへん気楽ではあろうが、間違いなく、彼の学力は以後1ミリも向上しない。そのことは日本の改憲論者たちの知的パフォーマンスが彼らが「憲法を現実に合わせろ」ということを言い出してからどれほど向上したかを計測すれば誰にでもわかることである。

 改憲派は「憲法九条と現実の軍事的脅威の間には齟齬がある。だから、軍事的脅威がつねにある世界を標準にして憲法を書き換えよう」と主張している。「軍事的脅威のない世界など実現するはずがないので、そんなものを目指すのは無駄だ」というのは、たしかに一つの見識ではある。「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」する努力なんか誰もしてない世界で、一人だけいい子ぶってどうするんだと鼻で笑う人を見て「ちょっとかっこいい」と勘違いする人だっているかも知れない。

 しかし、「人間は邪悪で愚鈍な度し難い生き物であって、これからも改善の見込みはない」というような言明は居酒屋のカウンターで酔余の勢いで口走るのは構わないが、公文書に書くべきことではない。というのは、いったんそのような人間観を公認してしまったら、これからあと、その社会の成員たちは「より善良で、より賢明な人間になる」という自己陶冶の動機を深く傷つけられるからである。

 本音ではどれほど人間に絶望していても、建前上は全成員が善良で賢明で正直であるような社会を「目標」として制度設計はなされなければならない。これだけは集団として生きる上で譲るわけにはゆかない基本である。

 全成員が邪悪で愚鈍で嘘つきであるような社会でも「生きていける」ように制度設計することはたしかに現実的であるかも知れないけれど、その制度がよくできていればいるほど、その社会の成員たちが「善良で賢明で正直」になる可能性は減じる。

 成員全員が邪悪で愚鈍で嘘つきであっても機能する社会があるとしたら、それは原理的には一つしかない。「神がすべてを統御する社会」である。神が万象を俯瞰し、成員の行動も内心もすみずみまで見通す社会なら、全員が邪悪で愚鈍で嘘つきであっても、社会は機能するだろう。でも人間は神ではない。

 だとしたら、次善の策としては「神の代行者」を任じる権力者が全成員を「潜在的な罪人」とみなして、その一挙手一投足を監視する社会を創る他ない。自民党の改憲草案を読むと、彼らがまさにそう推論していることが分かる。

「人間はすべて邪悪で愚鈍で嘘つきであるから、全権を持つ権力者が全員を監視しなければならない」という彼らの国家観と「憲法と現実に齟齬がある時は現実に合わせて書き換えるべきだ」という憲法観はまったく同型的な思考の産物なのである。

 しかし、私は人間の悪さや弱さを「改善不能」とみなすことに立脚する制度設計には反対である。どういう人間を「標準的なもの」と見なすかという観点の選択によって、それ以後に出現する社会のかたちは変わるからである。「宣言」はまさにそのためのものである。「そうなったらいいな」という社会のかたちを可視化するのが宣言の手柄である。「そうなったらいいな」というのは「現実はそうではない」からである。当たり前だ。

 フランスの人権宣言もアメリカの独立宣言も、シュールレアリスム宣言もダダ宣言も未来派宣言も、どれにもその時代においてはまったく現実的ではないことが書かれている。でも、そこには起草者の「そうなったらいいな」という強い願いが込められている。その「強い願い」がいくぶんなりとも不定形な未来に輪郭を与えるのである。

 例えば、アメリカの独立宣言には「万人は生まれながらにして平等である」と書かれている。だが、そう「宣言」されてからも奴隷制度は86年続き、「公民権法」が施行されるまで188年を要し、BLM運動はこの宣言が「空語」であることを証明した。しかし、だからと言って「万人は生まれながらにして平等ではない」という独立時点での「現実」をそのまま受け入れてそう宣言に書き込んでいたら、アメリカ合衆国は今のような国にはなっていなかっただろう。アメリカ合衆国を少しずつでも差別のない国に作り替えていったのはこの「宣言」の力である。「空語には指南力がある」ということをアメリカ建国の父たちはよくわかっていたということである。

 日本国憲法九条二項と自衛隊の存在の齟齬について、わが改憲派はよく「こんな非現実的な条文を持つ憲法は日本国憲法だけだ」と言うけれど、これは端的に嘘である。アメリカ合衆国憲法もまた条文と現実の間に致命的な乖離を抱えているからである。

 連邦議会の権限を定めた合衆国憲法8条12項には「陸軍を召集し、維持すること。但し、この目的のための歳出の承認は2年を超える期間にわたってはならない」とある。世界最大の軍事大国である合衆国憲法は今も「常備軍を持ってはならない」と定めているのである。

 この条項は建国時の「連邦派」と「州権派」の間での妥協の産物である。連邦派は常備軍を連邦政府の管轄下に置こうとし、州は連邦政府が軍事力を独占することに抵抗した。軍人は容易に時の政府の私兵となって、市民に銃口を向けるということをアメリカ市民は独立戦争で思い知らされたからである。だから、独立時点で多くの州は「常備軍を持ってはならない」という州憲法を採択した。戦争を遂行するのは職業軍人ではなく、武装した市民(militia)でなければならない。市民は戦う必要があれば応召して銃を執って戦う。戦いが終われば市民生活に戻る。

 もちろん、そんなのは建国者の理想であって、21世紀の現実とは隔たること遠い。それでも、「現実と乖離しているから改憲しよう」というアメリカ市民がいることを私は知らない。それは憲法を読む度に、独立時点で建国の父たちがどのような理想的な国を未来に思い描いていたのか、その原点に戻って「めざすべき国のかたち」を知ることができるからである。この憲法を維持することによって、アメリカは今もまだ「常備軍を持たない国」を(それがいつ実現するかはわからないが)目指すことを意思表示しているのである。憲法とはそういうものである。

 

 

2022年

6月

03日

内田樹さんの「ロシアと日本 衰運のパターン」 ☆ あさもりのりひこ No.1171

私が「未来」と呼ぶのは、「私たちが味わったような苦しみ悲しみを、誰にも、二度と経験させたくない」という強い思いを足場にして望見される「未来」のことである。

 

 

2022年5月2日の内田樹さんの論考「ロシアと日本 衰運のパターン」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

大阪のとある市民集会で「ウクライナとカジノ」という不思議な演題での講演を頼まれた。はて、どうやってこの「二題噺」を仕上げようか悩んだ末に「ロシアと日本の衰退には共通パターンがあるのでは」という仮説について話すことにした。

 ロシアはとうから経済大国ではない。GDPは世界11位、イタリア、カナダ、韓国より下で、米の7%、日本の3分の1である。一人当たりGDPは世界66位。ハンガリー、ポーランド、ルーマニアといったかつての衛星国より下である。旧ソ連は物理学では世界のトップを走っていたが、ソ連崩壊以後のノーベル賞受賞者は5人。平和賞のドミトリー・ムラトフは反権力メディアのジャーナリスト、4人の物理学賞受賞者のうち一人は米国に一人は英国に在住している。ロシアの体制にはもう知的なイノベーションを生み出す文化的生産力は期し難いように見える。

 外形的な数値ではまだ日本の方がまさっているけれど、長期低落傾向に伴う社会的閉塞感は両国に共通している。

 システムの刷新が行われず、権力が一握りのグループに排他的に蓄積し、イエスマンしか出世できず、上司に諫言する人は左遷され、「オリガルヒ」や「レント・シーカー」が公共財を私財に付け替えて巨富を積む一方、庶民は劣悪な雇用環境の下で苦しんでいる・・・列挙すれば共通点はいくらでもある。

 安倍晋三元首相がプーチン大統領に「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている」と満面の笑みで語りかけたのは、今にして思えば、あながちリップサービスでもなかったのである。たしかにこの二人の権力者が見ていた未来はかなり似ていた。それは「未来がない」ということである。

 ロシアと日本に共通しているのは「未来のあるべき姿」を提示できないという点である。どちらの国でも指導者が語るのはもっぱら遺恨と懐古と後悔である(「あいつのせいで、こんなことになった」「昔はよかった」「あのとき、ああしておけばよかった」といった文型が繰り返される。)

 その怒りと悲しみは主観的には切実なものなのであろう。だが、それがどれほど本人にとって切実であっても、未来を胚胎しないメッセージは他者の胸には響かない。「ああ、そうですか。それはたいへんでしたね」という気のないリアクションしか返ってこない。

 そんなことを言う人はあまりいないので申し上げるが、私が「未来」と呼ぶのは、「私たちが味わったような苦しみ悲しみを、誰にも、二度と経験させたくない」という強い思いを足場にして望見される「未来」のことである。

 戦争であれ、貧困であれ、疫病であれ、痛みと苦しみの経験を持つ人たちは誰でも「もう二度とこんな苦しみを味わいたくない」と思う。思って当然である。でも、そこからさらに一歩を進めて、「私だけではなく、誰にも同じ苦しみを味わって欲しくない」という願いを持つ人はそれほど多くない。だが、そのような願いをつよく持つ人がめざす未来だけが他者の心に触れる。そのような「未来像」だけが人種や宗教や言語の差を越えた現実変成力を持つことができる。

 ロシア人も日本人も戦争という外傷的経験で深く傷ついた。そのことを否定する人はどこにもいないだろう。しかし、そこから引き出した指針はせいぜい「二度とあんな思いはしたくない」という悔いにとどまった。どちらの国も自分たちの痛苦な経験を「世界の誰もが、私たちが味わったような痛みと苦しみを二度と味わうことがありませんように」という祈りにつなげることはできなかった。そのような祈りにつなげることができなければ、かつて傷つき苦しんだ人たちを「供養する」ことにはならないと私は思うけれども、ロシアでも日本でもそういう考え方をする人はこれまでつねに少数にとどまったし、これからも多数派を占めるとはとても思えない。

 

 だから、私はこの両国には残念ながら「未来がない」と思うのである。ごく常識的なことだと思うのだが、メディアを徴する限り、同じことを言う人を見たことがないので、私が代わって申し上げることにした。

2022年

6月

02日

5月の放射線量、体組成、ランニング ☆ あさもりのりひこ No.1170

5月の放射線量と体組成とランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

5月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.0439μ㏜/h

室内0メートル 0.0441μ㏜/h

室外1メートル 0.0576μ㏜/h

室外0メートル 0.0698μ㏜/h

 久しぶりに地表が0.07μ㏜/hを下回った。

 

つぎに、朝守の身体について。

5月28日の数値はつぎのとおり。

体重 70.75㎏

BMI 22.

体脂肪率 16.0%

筋肉量 56.35㎏

推定骨量 3.1㎏

内臓脂肪 11.

基礎代謝量 1620/

体内年齢 47才

体水分率 58.5%

 体重が70㎏を切り、内臓脂肪レベルが11を切るにはどうすればいいか?

 やはり、プチ断食か・・・

 

最後に、5月のランニングの結果。

走行時間 24時間29分59秒

走行距離 202.193㎞

走行時間20時間、走行距離200㎞は超えた。

 

これから暑くなるので長時間走るロング走は難しくなる。

2022年

6月

01日

内田樹さんの「『他者と死者』韓国語版のためのまえがき」 ☆ あさもりのりひこ No.1169

1987年の夏にパリのレヴィナス先生のお宅を訪れて、数時間差し向かいでお話を伺ったことがあります。直接お会いしたのはその一度だけでした。

 

 

2022年4月26日の内田樹さんの論考「『他者と死者』韓国語版のためのまえがき」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 みなさん、こんにちは。内田樹です。

『他者と死者』の韓国語版を手に取ってくださって、ありがとうございます。書店で手に取っただけで、買おうかどうかまだ迷っている方もおられると思います。とりあえずは、この「まえがき」だけ読んで行ってください。「まえがき」を読んで「あ、これは自分とは関係ない本だ」と感じたら、そっと書架にお戻しください。また別の機会に、別の本でお会いできることを願っております。

 

 本書は僕のライフワークである「レヴィナス三部作」の第二部に当たります。第一部が『レヴィナスと愛の現象学』(2001年)、第三部が『レヴィナスの時間論』(2004年)です。どれも朴東燮先生の翻訳で韓国の読者のお手元に届くことになりました。朴先生のご尽力にまず厚くお礼申し上げます。ほんとうにいつもありがとうございます。

 第三部『レヴィナスの時間論』については本書の「あとがき」でも「これから書きます」と予告しておりますが、6年かけて昨年無事に書き上げることができました。先日出版され、気の早い朴先生がすでに翻訳に取り掛かっておりますので、韓国の書店でももうすぐ三部作をお手に取ることができるようになると思います。

 

 僕の立場を最初に明らかにしておきたいと思います。僕はレヴィナス先生を「哲学上の師」と仰いでいます。僕の書斎の机の前には1991年の8月にレヴィナス先生から頂いたお手紙が額に入れて飾ってあります。フランソワ・ポワリエがレヴィナス先生にロング・インタビューをしたQui êtes-vous, Emmanuel Lévinas?, Édition La Manufacture, 1987 の日本語訳『暴力と聖性』(国文社、1991年)をお送りしたときに頂いたお礼状です。先生の書いた文章の一部を訳しておきます。

 

「あなたのお仕事に心から感謝いたします。日本語は読めませんが、あなたのお仕事がみごとなものであることを私は確信しております。あなたは私のことをとても正確にご存じのように思われます。フランスにお仕事か観光でおいでになることがあったら、忘れずにパリの私を訪ねてください。あなたへの共感と感謝をお伝えします。あなたの哲学的未来が豊かなものであることを祈念いたします。」

 

 この手紙を頂いたときに僕は40歳になったばかりでした。まだ学術的な業績らしい業績もない駆け出しの仏文学者でした。ですから、これを読んでそれこそ飛び上がるほどにうれしかったことはみなさんにもご想像できると思います。

 僕はその4年前、1987年の夏にパリのレヴィナス先生のお宅を訪れて、数時間差し向かいでお話を伺ったことがあります。直接お会いしたのはその一度だけでした。90年にフランスに行った時は電話でご都合をうかがったところ、先生はこれから学会でイタリアに行くので時間がとれないということでした。この手紙はその翌年に頂いたものです。95年の暮れに先生は亡くなりましたので、これが僕がレヴィナス先生から頂いた最初で最後の手紙となりました。

 こういう手紙を頂いた僕が、それからあと一生をレヴィナス先生の哲学的な業績がどれほど豊かなものであるかを語り続けることを本務とするようになった事情はお分かりいただけると思います。『レヴィナスと愛の現象学』と『他者と死者』はレヴィナス先生の墓前に捧げたものです。亡くなった先生の学恩に対する僕からの感謝の気持ちをこめて記した本です。

 これらの本は「レヴィナス研究者によるレヴィナス哲学研究」ではありません。僕は「レヴィナスの研究者」ではなく、「レヴィナスの弟子」だからです。僕は哲学的な思考の仕方や用語法をほとんどレヴィナス先生から教わりました。「レヴィナスの読み方をレヴィナス自身から教わった人」のことを「研究者」と呼ぶことはできません。僕はただ師がいかに偉大な哲学者であるか、それをみなさんにお伝えすることだけが仕事です。

 ですから、僕の書くレヴィナス論を読んでも、たぶんみなさんは「なるほど、そうだったのか。これでレヴィナスがわかったぞ」と膝を打つ、ということにはまずならないと思います。そんなふうにして「レヴィナスを読まずに、わかった気になること」は僕が最も望んでいないことだからです。僕が「レヴィナスはこれこれこういうことを書いています」と祖述するのは、それを読んでみなさんに「わかった気になってもらう」ためではありません。「レヴィナスにけりをつける」ためではありません。逆です。それを読んで「なんだかぜんぜんわからない」と頭を抱えて、「こうなったら自分でレヴィナスを読むしかないか」と腹を括る読者を一人でも増やしたくて僕は本を書いているのです。

 この本を読んだ後にレヴィナスの本を実際に手に取って、僕とはぜんぜん違う読み方をする読者(そして、かなうことなら「自分オリジナルのレヴィナス論を書きたい」と思う読者)が韓国にも登場してくれることを僕は心から願っています。

 次はぜひ『レヴィナスの時間論』でお会いしたいです。 

 

2022年4月

内田樹

 

 

2022年

5月

31日

場所見知り犬

橿原市 弁護士

みなさん、こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

5月やのに32度(゚д゚)

でも、風が吹くとまだまだ爽やかですね(・∀・)

 

先日、五月晴れの爽やかな季節の中、初めてうちのわんこ連れて奈良公園に行ってきました。

弁護士 大和八木

目的はこちら → → →

 

Dog's smileさんが主催されている

ほごいぬミーティング@奈良県庁です。

 

Dog's smileさんは、奈良県内で、飼育放棄されるなどして、そのままでは殺処分となってしまう犬を保護して、

新しい家族を探す活動をしているボランティア団体さんです。

 

シェルターを持たず、保護されたわんこは、普段、預かりボランティアさんが、自分のおうちでお世話をして、生活をしています。

そして、新しい家族を見つけるためにこうした譲渡会が開催されています。

 

うちのわんこを飼うにあたり、色々調べているうち、

この団体さんのことを知って、

県庁前で譲渡会をされていることも知ったのですが、

コロナ禍で、この2年間は譲渡会も開催されず、

なかなか実際に伺う機会がありませんでした。

 

 

ボランティアで運営されているので、

ドッグフードや病院代、ペットシーツなどを

支援者が寄付したり

フリーマーケットや譲渡会でバザーをして活動資金とされています。

 

私は、なかなか直接的にお手伝いできる環境にないので

せめて何かの足しになれば、とバザーでわんこグッズやポーチなどを購入しました。

 

新しい家族を探しているスタンダードプードルやマルチーズ、シーズーなど

たくさんのわんこたちが参加しており、

たくさんのおうちの方がお見合いをしていました(^^)

 

どのわんこたちも、預かり家庭の方からたくさんの愛情を受けていることがわかる

「いい顔」をしたわんこばかりでした。

 

もし機会があれば、是非足を運んでみて下さい♪

また、Dog's smileさんのブログもありますので、

一度是非検索してみて下さい😆

 

今までに新しいおうちが見つかったわんこたち
今までに新しいおうちが見つかったわんこたち
今、新しいおうちをさがしているわんこたち(もっとたくさんいます)
今、新しいおうちをさがしているわんこたち(もっとたくさんいます)

県庁前をあとにして、奈良公園を散策したのですが、

いかんせん、うちのわんこは場所見知り・・・

 

ほごいぬミーティングからず~~っと抱っこでした。

降ろしても、「いや。いやいやいや。無理無理無理無理!!」と抱っこ攻撃。

 

爽やかな五月晴れの奈良公園・・・・。

3時間。7キロの塊・・・。

 

歩いてよぉ~😭