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2019年

4月

22日

比較敗戦論のために(その1) ☆ あさもりのりひこ No.654

日本人が戦後七〇年間にわたって敗戦経験を否認してきたということは全くご指摘の通りなんだけれども、日本以外の敗戦国ではどうなのか

 

 

2019年3月20日の内田樹さんの論考「比較敗戦論のために」(その1)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

2019年度の寺子屋ゼミは「比較敗戦論」を通年テーマにすることにした。

どうしてこのようなテーマを選ぶことになったのか。それについて姜尚中さんとのトークセッションで語ったことがある。

そのときの講演録を再録しておく。講演があったのは2016年

 

敗戦国は日独だけではない

今回の「比較敗戦論」というタイトルは、問題提起という意味でつけました。特に僕の方で用意した結論があるわけではありません。ただ、歴史を見るときに、こういう切り取り方もあるのだというアイディアをお示ししたいと思います。

「比較敗戦論」という言葉は『永続敗戦論』(太田出版 二〇一三年)の白井聡さんと対談をしたときにふと思いついたのです(この対談はその後、『日本戦後史論』(徳間書店、二〇一五年)という本にまとまりました)。

『永続敗戦論』での白井さんの重要な主張は「日本人は敗戦を否認しており、それが戦後日本のシステムの不調の原因である」というものでした。「敗戦の否認」というキーワードを使って、戦後七〇年の日本政治をきわめて明晰に分析した労作です。

白井さんと話をしているうちに、日本人が戦後七〇年間にわたって敗戦経験を否認してきたということは全くご指摘の通りなんだけれども、日本以外の敗戦国ではどうなのか、ということが気になりました。日本以外の他の敗戦国はそれぞれ適切なやり方で敗戦の「総括」を行ったのか。その中で日本だけが例外的に敗戦を否認したのだとすれば、それはなぜなのか。そういった一連の問いがありうるのではないかと思いました。

白井さんの言う通り「敗戦の否認」ゆえに戦後日本はさまざまな制度上のゆがみを抱え込み、日本人のものの考え方にも無意識的なバイアスがかかっていて、ある種の思考不能状態に陥っていること、これは紛れもない事実です。でも、それは日本人だけに起きていることなのか。他の敗戦国はどうなっているのか。他の敗戦国では、敗戦を適切に受け容れて、それによって制度上のゆがみや無意識的な思考停止を病むというようなことは起きていないのか。よく「ドイツは敗戦経験に適切に向き合ったけれど、日本はそれに失敗した」という言い方がされます。けれども、それはほんとうに歴史的事実を踏まえての発言なのか。

まず僕たちが誤解しやすいことですけれど、第二次世界大戦の敗戦国は日独伊だけではありません。フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイ、これらは連合国が敵国として認定した国です。それ以外にも、連合国がそもそも国として認定していない交戦団体として、フィリピン第二共和国、ビルマ国、スロバキア共和国、クロアチア自由国、満州国、中華民国南京政府があります。これだけの「国」が敗戦を経験した。でも、僕たちはこれらの敗戦国で、人々が敗戦経験をどう受け容れたのか、どうやって敗戦後の七〇年間を過ごしてきたのかについて、ほとんど何も知りません。例えば、「フィンランド国民は敗戦をどう総括したか」というような研究は、フィンランド国内にはしている人がいるのでしょうけれど、僕はそれについての日本語文献のあることを知らない。でも、「敗戦の否認」という心理的な痼疾を手がかりにして現代日本社会を分析するためには、やはり他の敗戦国民は自国の敗戦をどう受け止めたのか、否認したのか、受容したのかが知りたい。敗戦の総括をうまく実行できた国はあるのか。あるとしたら、なぜ成功したのか。敗戦を否認した国は日本の他にもあるのか。あるとしたら、その国における敗戦の否認は、今その国でどのような現実を帰結したのか、それを知りたい。「敗戦の否認」が一種の病であるとするなら、治療のためには、まず症例研究をする必要がある。僕はそんなふうに考えました。

 

このアイデアには実はいささか前段があります。枢軸国の敗戦国というと、ふつうは日独伊と言われます。けれども、フランスだって実は敗戦国ではないのか。僕は以前からその疑いを払拭することができずにいました。

ご承知の方もいると思いますが、僕の専門はフランス現代思想です。特にエマニュエル・レヴィナスというユダヤ人哲学者を研究してきました。その関連で、近代フランスにおけるユダヤ人社会と彼らが苦しんだ反ユダヤ主義のことをかなり長期にわたって集中的に研究してきました。そして、そのつながりで、19世紀から20世紀はじめにかけてのフランスの極右思想の文献もずいぶん読み漁りました。

僕がフランスにおける反ユダヤ主義の研究を始めたのは1980年代のはじめ頃ですが、その頃フランスの対独協力政権、ペタン元帥の率いたヴィシー政府についての研究が続々と刊行され始めました。ですから、その頃出たヴィシーについての研究書も手に入る限り買い入れて読みました。そして、その中でも出色のものであったベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』(国文社、一九八九年)という本を翻訳することになりました。これはフランスが実はファシズムと反ユダヤ主義というふたつの思想の「母国」であったという非常に挑発的な内容で、発売当時はフランスでは大変な物議を醸したものでした。

歴史的事実をおさらいすると、一九三九年九月にドイツのポーランド侵攻に対して、英仏両国はドイツに宣戦布告します。フランスはマジノ線を破られて半年後の六月にフランスは独仏休戦協定が結ばれます。フランスの北半分はドイツの直接統治領に、南半分がペタンを首班とするヴィシー政府の統治下に入ります。第三共和政の最後の国民議会が、ペタン元帥に憲法制定権を委任することを圧倒的多数で可決し、フランスは独裁制の国になりました。そして、フランス革命以来の「自由、平等、友愛」というスローガンが廃されて、「労働、家族、祖国」という新しいファシズム的スローガンを掲げた対独協力政府ができます。

 

 

2019年

4月

19日

『内田樹の市民講座』韓国語版序文(後編) ☆ あさもりのりひこ No.653

みんなが同じような考えを同じような言葉で語る集団では、成員ひとりひとりは「いくらでも替えがきく」ようになる。いなくなっても誰も困らないようになる。

 

 

2019年3月25日の内田樹さんの論考「『内田樹の市民講座』韓国語版序文」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

では、どういう人が「他の人々と協働する」ことができるのか。

それは自分の頭で考え、自分の言葉で語ることのできる人間です。そういう人だけが、他者と共同的に生きることができる。

いささかわかりにくい話になりますけれど、誰かの考えを真似て、誰かの言葉を借りて語る人は、他者と共同的に生きることはできません。

誰かの考えを真似し、誰かの言葉を借りて語る人ばかりの集団では、当然ながら、いずれみんなが同じような考えを同じような言葉で語るようになります。たしかにそこに同質性の高い、純度の高い共同体が立ち上がっているように見えます。けれども、そのような集団は二重の意味できびしいリスクを負うことになる。

一つは、集団として脆いということです。

みんな同じような見方でしかものを見ないわけですから、「普通の人が気がつかないような危機的徴候」には誰も気がつかない。仮に、「あ、ここにこんな危険な徴候がある・・・」と気がついても、自分より先に「それと同じこと」を指摘している人がいない限り、それを指摘すると「誰も言っていないことを言う人間」だということになる。それはその集団では成員欠格条件に当たる。だから、「このまま行ったら、とんでもない事態になる」とわかっていても、誰かが意を決して、集団から放り出されるリスク覚悟で言い出すまで、お互いの口元を見つめ合いながら、みんな黙っている。今の日本社会を見ると、それがどれくらい危険なことかわかるはずです。

もう一つリスクがあります。それは、成員の命が軽くなるということです。

みんなが同じような考えを同じような言葉で語る集団では、成員ひとりひとりは「いくらでも替えがきく」ようになる。いなくなっても誰も困らないようになる。

いまの日本の企業が求める「グローバル人材」とか、就活のときに言われる「即戦力」というのは、まさにそのような「いくらでも替えの効く」存在のことです。能力のある人間を安い賃金で雇用するためにはすばらしい仕組みですけれども、「いくらでも替えが効く存在」めざして自己形成の努力するというのは、ずいぶんと無益なことのように僕には思えます。

 

集団が生き延びるためにも、個人が生き延びるためにも、まわりの人間とはあまり似すぎない方がいい。僕はそう思います。ひとりひとりが自分以外の誰も考えつかないことを考え、誰も言わないようなこと言い、自分以外に誰もできない技能を身に着け、自分以外に誰も知らない知識を習得しておく方が、集団はタフになるし、個人は「替えの効かない」存在になる。

そして、何よりも、そういう人たちが集まった集団では、たぶん言葉がそれだけ豊かになるだろうと僕は思います。

なにしろ、誰も考えたことのない考えを、誰もしないような言い方でするわけですから、よほどの工夫が要ります。その人が口を開いて出てくるのは「変な話」に決まっているんですから。

でも、他人には簡単にはわかってもらえそうもない話だからと言って口を噤んでしまうと、その際立って個性的な思念は、誰にも知られることなく、この世から消えてしまう。それはあまりに惜しい。なんとか、自分の考えを知り、理解し、できることなら同意して欲しいと思う。

そうなると、人は「説得」ということに知的資源を優先分配するようになります。

どうすればこの「変な話」を他人に呑み込んでもらうか。それほど難しいことではありません。できる限り論理的に語り、ていねいに挙証し、だいじなことは繰り返し、わかりにくい話にはわかりやすい喩えを引き、響きの良い、穏やかな声で、忍耐強く語ることです。それに尽くされる。

「変な話」を他人に説明しようとする人は必ず情理を尽くして語るようになる。

ですから、まことに逆説的なことですけれど、「誰もしないような変な話」をする人の方が「誰でも言いそうなこと」を言う人よりも、ずっと説明がうまくなるのです。

あまり言う人がいませんけれど、これは僕が長くさまざまの人の書いたものを読んできて得たひとつの経験知です。「変な話」をする人は説明がうまい。

そして、その人が説明のときに動員する大胆なロジックや、思いがけない典拠や、カラフルな比喩や、聞き届けられやすい言葉の響きによって、その集団の言語は豊かなものになります。その人の知見が集団的に合意され、共有されるところまではなかなか行きませんが、その人のおかげで「言葉が富裕化する」ということだけは確実に達成されます。そして、言葉が豊かになればなるほど、その集団では「誰も思いつかなかったこと」が口にされるチャンスが増大する。論理が複雑になり、語彙が豊かになり、説得力のある話し方に人々が習熟するようになる。

僕はそういう豊かなアイディアと複雑な言葉を持っている集団の方が、みんなが同型的なアイディアを似たような口調で繰り返す同質性の高い集団よりも、生き延びる力が強いだろうと思っています。

 

「大いなる市民」とは、僕の個人的な定義によるならば、その「変な話をする、説明のうまい人」のことです。固有名を挙げた方がわかりやすければ、例えば、養老孟司、橋本治、高橋源一郎、鷲田清一、村上春樹、福岡伸一、池田清彦・・・とこのリストはいくらでも長いものにすることができます。僕もできることならこのリストの末尾に加わりたいという願いをこめてこのタイトルを撰しました(今挙げた名前の方々の本でまだ韓国語訳がないものがあれば、ぜひ訳して頂きたいと思います)。

 

なんだかずいぶん長くなりました。すみません。この本は「十五人に一人くらいはまっとうな市民がいてくれれば市民社会はなんとか持つ」という僕の経験知を踏まえて、その「十五人に一人」に向けて書かれたものです(ほんとうは五人に一人くらいにまで歩留まりを上げたいんですけれど、そこまでは欲張りません)。

 

ここまで「まえがき」を読んで下さったみなさんに感謝します。これもご縁ですから、できたらこのままカウンターまで本を持って行って、帰り道の地下鉄の中ででも、本文を読んで下さい。

 

では。

2019年

4月

18日

UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)への道 ☆ あさもりのりひこ No.652

2019年4月26日(金)から28日(日)まで、UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)が開催される。

静岡県富士市をスタートして、富士山の麓を南西北と時計回りに走って、山梨県南都留郡富士河口湖町でゴールする全長約167㎞のトレイルランニングの100マイルレースである。

 

4月26日(金)午前12時にスタートして、4月28日(日)午前10時が制限時刻である。

制限時間は46時間。

2日間走り続けることになる。

累積標高差は約8000m。

出場するランナーは約2400人。

 

と言っても、朝守が出場するわけではない。

 エントリーできる条件が厳しいし、抽選もある。

 朝守が懇意にしている奈良で屈指の女性トレイルランナーのご指名で、サポートを仰せつかったのである。

朝守はサポーターである。

 

全部で9つあるエイドのうち5か所はサポートが許されている。

この5か所のサポートエリアを順番に移動して、食べ物、飲み物、着替え、タオルなどなどをランナーに提供する。

持ち物をチェックして、ザックから要らないものを出し、必要なものを補充する。

ランナーは、167㎞を走り続けるので、サポーターもバスや車でサポートできるエイドを順に移動する。

 

この時期、富士山の麓は、昼間は30℃を超えることもあり、夜はマイナス2℃まで下がる。

サポーターは、自分自身の睡眠と食べ物・飲み物を確保する必要がある。

サポーターも体力勝負である。

 

1か月以上前から準備を進めている。

宿を予約し、電車を予約し、バスを予約した。

持っていく食べ物と飲み物をリストアップし、衣類、マット、食器その他も用意した。

サポートが許されるエイドをサポートバスで回るつもりだった。

しかし、ここにきて、サポートできるエイド5か所を順番にサポートバスで回ることができないことが判明した。

サポートバスが行かないエイドもある。

こっちの想定した時刻とサポートバスの時刻が合わない。

 

やれやれ。

2019年

4月

17日

『内田樹の市民講座』韓国語版序文(前編) ☆ あさもりのりひこ No.651

僕の考える「大市民」の第一の条件は生活者であることです。

ひとつところに腰を据えて暮らし、家族を持ち、勤労者として日々のつとめを果たし、日々のささやかな楽しみを味わいながら、その上で、政治について、経済について、文化について、宗教について、社会正義について・・・そういった個人では解決することのできないスケールの案件について、自分の思いを、自分の言葉で語ることのできる人です。

 

 

2019年3月25日の内田樹さんの論考「『内田樹の市民講座』韓国語版序文」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

『市民講座』韓国語版のための序文

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

本書出版のためにご尽力くださった皆さんにまず感謝を申し上げます。

序文として読者の皆さんにも一言、この本の趣旨についてお話ししたいと思います。

 

韓国語版のタイトルは『内田樹の市民講座』だそうですけれど、オリジナルタイトルは『内田樹の大市民講座』でした。ただの市民ではなく、「大市民」です。日本語にそんな言葉はありません。でも、「小市民」の対義語を考えると、それはやっぱり「大市民」じゃないかなと思って、AERAという週刊誌に隔週で連載していたコラムにそのタイトルをつけました。

「大市民」というのはNHKで1966年に放送されたテレビドラマのタイトルです。僕がこのドラマを観たのは中学3年生のときでした。大昔のことなので、どんなプロットだったのかもう詳しくは思い出せませんが、日常的なルーティンに流されて、政治にも社会問題にもすっかり関心を失ってしまった主人公の平凡なサラリーマンが、ある出来事をきっかけにして、市民としての責任に目覚める・・・というようなストーリーだったと思います。

「市民」はぼんやり暮らしていると、いつの間にか利己的で、視野の狭い「小市民」になってしまう。広々とした視野をもって社会をみつめ、必要があれば行動することをためらわない「大市民」になるためには、ある種のブレークスルーが必要だ。ドラマにこめられたそのメッセージは15歳の僕にも理解できました。

このテレビドラマが放映された1966年、日本は高度成長期のまさにただ中にありました。その2年前に東京オリンピックが開催され、日本人は敗戦国からの奇跡的な回復を国際社会にアピールすることができました。ようやく先進国民としての自信を抱き始めた頃のことです。戦争が終わってから20年間、瓦礫から祖国を再建するために、それまで日本人はわき目もふらずに働き続けて来ました。それが60年代半ばになってようやく「小市民的」な享楽を自分に許すことができるようになった。たしかに、それくらいの「ごほうび」はあって当然だったと思います。敗戦から十数年は東京でもずいぶんひどい暮らしだったんですから。

でも、人は「小市民的享楽」を自分に許すようになると、たちまちのうちに保守的になる。変化を望まず、「ステイタス・クオ」の永続を願うようになる。「大樹の陰」にいるのが安全で、「流れに棹さす」ことが賢い生き方であるように思えてくる。わずかな「手持ち」を後生大事に抱え込んで、「これを手放してなるものか」としがみつくようになる。豊かになったようでむしろ貧乏くさくなる。自由になったようでむしろ頑なになる。それが60年代なかばの日本人の実相だったと思います。「大市民」という新語はそういう「小成に甘んじる」生き方に対するひとつの批判だったと思います。

それから半世紀経ちました。ずいぶん日本社会は変わったはずですけれど、広々とした視野でものごとを観察し、ことの適否を冷静に吟味し、必要があれば決然として行動することのできるような「大いなる市民」は今もやはりあたりを見渡してもなかなか見当たりません。

でも、「大いなる市民」は市民社会には一定数存在しなければならないと僕は思います。すべての市民が「大いなる市民」である必要はありません。それは無理です。でも、できたら十五人に一人くらいの比率で「大市民」には存在して欲しい。

 

僕の考える「大市民」の第一の条件は生活者であることです。

ひとつところに腰を据えて暮らし、家族を持ち、勤労者として日々のつとめを果たし、日々のささやかな楽しみを味わいながら、その上で、政治について、経済について、文化について、宗教について、社会正義について・・・そういった個人では解決することのできないスケールの案件について、自分の思いを、自分の言葉で語ることのできる人です。

 

「個人では解決できない」のは、それらが他の人々との協働を通じてしか成就し得ない事業だからです。他の市民たちと言葉を交わし、思いを伝え合い、知恵を出し合い、力を合わせなければ、できない仕事があります。その仕事にかかわることのできる人、それが僕の考える「大市民」です。

2019年

4月

16日

今一度運転ルールの見直しを@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

今年は桜が少し遅く咲いたせいか,比較的長い期間花見を楽しむことができましたね。

先週,仕事で大和高田に出かけたのですが,高田川沿いに咲く満開の桜を車中から楽しみました(*^_^*)

 

事務所に入って10年以上になりますが,4月上旬は裁判所も人事異動があるため調停や裁判の期日が入ることも少なく,私たち事務局が裁判所へ出向くことは殆どありません。

今までは通勤電車の車窓から眺めるだけだったので,今年は桜が咲き誇る様子を間近で見ることができて満足です♡

 

さて,もうすぐ春の交通安全運動が始まります。

 

今年は,5月11日(土)から20日(月)までの10日間です。

普段から安全運転を心がけている方でも油断しがちな交通違反をご紹介します。

 

 

 

信号機のない横断歩道で歩行者がいた場合

皆さんは一時停止できていますか?

 

JAFが発表した2018年10月の報告によれば,横断歩道での一時停止率の全国平均は8.6%でした。

 

一時停止率が最も高いのは長野県で58.6%。

長野県は2016年の調査開始以来、毎回高い停止率となっているそうです。

最も一時停止率が低いのは栃木県で,驚きの0.9%。

長野県民と栃木県民の差がこれほどまでとは・・・(゚Д゚)

 

(ちなみに,奈良県は11.8%で11位でした)

 

 

 

そもそも,道路交通法 第38条第1項に

 

車両等は、横断歩道又は自転車横断帯(以下この条において「横断歩道等」という。)に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車(以下この条において「歩行者等」という。)がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前(道路標識等による停止線が設けられているときは、その停止線の直前。以下この項において同じ。)で停止することができるような速度で進行しなければならない。この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。

 

と記されており,

 

横断者がいれば横断歩道では停止することはもちろん,付近に誰もいない場合を除き、横断歩道手前で停止できる速度で走行しなければなりません。

 

横断歩道に歩行者がいるにも関わらず一時停止を怠ったことを警察に咎められた場合、罰金(反則金)が発生します。

 

一時停止しない理由の中には,

 

・自分が停止しても対向車が停止しないので危ないから

・後続から車がきておらず、自分が通り過ぎれば歩行者は渡れると思ったため

・横断歩道に歩行者がいても渡るかどうかわからないから

・一時停止した際、後続車から追突されそうになる(追突されたことがある)

 から

 

といった意見があったそうです。

 

私も,後続車がなければ自分が通り過ぎれば渡れるだろう,と

そのまま走ってしまったことが・・・。

 

今一度認識を改め,安全運転を心がけたいと思います/(^_^)

 

2019年

4月

15日

「申楽免廃論」をめぐる鼎談から(後編) ☆ あさもりのりひこ No.650

僕は『申楽免廃論』を書いた人はかなり「できる人」じゃないかなと思うのですが、それは「一番大事なのは、原理じゃなく程度だ」という見識を持っているからです。ある状況において与えられた中で自分のパフォーマンスが一番上がるところはどこか。

 

 

2019年3月25日の内田樹さんの論考「「申楽免廃論」をめぐる鼎談から」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

僕は杖の稽古もやっているんですけれども、つい先日も、稽古で教えながら、「その動きは違う」「必然性がない」と門人たちにさかんにうるさく注意をしていた。そのときにふと「段取り芝居をするな」という言葉が口から出て来た。言ってから、自分で「なるほど、そうか」と腑に落ちた。「段取り芝居」というのは、要するに「次のせりふが何だか知っていてなされる」芝居のことです。そうするとどんなせりふにも動きにも、必然性がなくなってしまう。リアリティーがなくなる。だって、誰が次に何を言うかを事前に知っていて何かを言うということは、現実には起こらないことだからです。台本に書いてある通りにものごとが生起すると思っていて、演技すると、薄っぺらなものになる。何の感動も与えない。それはそんなことは現実では起こらないからです。

武道的な立ち会いの状況では、次に何が起きるか誰も知らない。でも、次に何が起きるかわからない時にでも、僕たちは何らかの選択をしなければならない。果たして、次に何が起きるかわからないときに、人間はどう動くのか。これは考えればそれほど難しい話じゃないんです。「自由度が最大になるように動く」に決まっているから。その後の可動域が最大化するように動く。その次の動作の選択肢が最大化するように動く。そうするに決まっているんです。自分が最も自由になるようなところに必ず行くはずなんです。わざわざ自分を狭いところに追い込み、動きの選択肢がより少なくなるようなところに行くわけがない。次にわが身に何が起こるかわかってないんですから。

現実の世界ではそうしているはずなんです。危機的状況に際会した人間は、「次の選択肢」が最大化するように動く。だから、未来の未知性に直面した時には、もっとも自由度の高いところを目指す動きにのみ必然性がある。そのような動きに、僕たちはリアリティーを感じ、強さを感じ、美しさを感じる。生き延びるために適切な戦略を選択している生き物を見たときに僕たちはそう感じるんです。生物として、そういう動きに惹きつけられるように構造化されている。それは生存戦略上当たり前のことなんです。

「段取り芝居」に説得力がないのは、未来の未知性という、僕たちにとってきわめて切実な現実を切り捨てているからです。次に何が起きるかもうわかっている人間は、単一の正解を目指して動く。それが「単一の正解」である以上、それは他の選択肢を想定していない動きになる。いわば、袋小路に自分から入り込んで行くような動きになる。それが美的な感動をもたらすということはあり得ません。

実際には、能舞台の所作でも、武道の型稽古でも、もちろん全部シナリオはできているわけです。手順、道順が決まっている。だから、次にどういうお囃子が入って、地謡が何を謡って、シテがどこでなにをするかは全部わかっている。でも、そこで先のことまで全部わかっているかのように動くと演劇的な感動がなくなってしまう。同じ能を何百回舞った場合でも、シテがある位置からある位置に行き、ある所作をするときには、生まれて初めてその道順を歩くかのように歩かなければならないし、その所作をその場で思いついてしているかのように演じなければならない。シテが演じている虚構の人物は、生まれて初めてその道を歩くわけですから。生まれて初めての経験を演じなければならない。「あ、いつものあれね」というふうな感じになってはいけない。定型をなぞりながら、決して「定型をなぞっている」ように見えないようにふるまわなければならない。その呼吸は能楽でも武道の型稽古でも変わらないんじゃないかと思います。

僕は『申楽免廃論』を書いた人はかなり「できる人」じゃないかなと思うのですが、それは「一番大事なのは、原理じゃなく程度だ」という見識を持っているからです。ある状況において与えられた中で自分のパフォーマンスが一番上がるところはどこか。

武道の用語では「座を見る、機を見る」と言います。柳生宗矩の言葉です。「座を見る」というのは、その場において自分がどこに立つべきかを知ることです。「機を見る」というのは、それがいつかを知ることです。いるべきところと、いるべき時を知る。そこでなすべきことをなす。この場合の「なすべきこと」というのは、僕の考えでは、自分が生き延びる可能性が最大化する所作ということです。それは、能舞台でも、型稽古でも変わらない。

能舞台の上で、シテは自分の体が最も美しく、力強く見える形をするわけですけれども、その形というのは、たぶん人間の自由度が最大化するものじゃないかと思うんです。次の行動の選択肢、次に選ぶことのできる動線が最大化する。つまり、それだけ自由だということですね。最も自由な形なんだけれど、自由度が最大化する形でなければならないという点では条件は厳密に決定されている。自由でありかつ決定されている。決定されているにもかかわらず自由である。それが武道的な達成だと思います。

 

『免廃論』を読んで、僕は自分のスキーの師匠である丸山貞治先生の言葉を思い出しました。以前丸山先生から「大事なことは、スキー板の上の正しい位置に立つことだ」と教わりました。僕はその時すぐに「先生、『正しい位置』ってどこですか?」と質問しました。すると、先生はにっこり笑って、「『正しい位置』にすぐ戻れる位置のことです」と言われた。僕はこれは至言だと思いました。

「正しい位置」というのは固定的にスキー板上にあるものじゃないんです。次の瞬間に雪面とスキー板と身体の関係がどう変わるかは誰にも予測できない。でも、どんな状況に遭遇しても、そのつどの最適解が「次の選択肢」のリストに入っていれば、それに応じることができる。次の瞬間の最適解が手持ちのリストに入っているような立ち位置のことを「正しい位置」であると先生は言われたわけです。深いなあ、これは、と思いました。これは能舞台の上であっても、あるいは武道的な立ち会いの場であっても、原理的には同じことだと思います。どこに立つべきか、それはあらかじめ決まっているわけじゃない。いつでも正しい位置に立つことができるという自分自身の未来についての解放性のことを「正しい」と呼ぶ。そのような立ち位置にある人を見ると、僕たちは「リアルだ」とか「強い」とか「美しい」とか「正しい」と感じる。

 

『免廃論』は「程度の問題」がたいせつだということを後半の三分の一くらいは書き続けている。でも、これはなかなか理解に難い話なんです。だから、「あとがき」を書いた人は勘違いして、「武道の稽古をやると体が固くなってよろしくない」というような原理主義的なことを書いていまっている。これは明らかに読み違いで、斉泰はそんなこと書いてないんです。武道の稽古をやってもいいけど、自分に合った程度でやりなさいと言っているだけなんです。「適当」なところまでやって、「適当」なところで止めておきなさい、と。

「適当」という日本語は両義的で、「正しい」という意味と「あまり正しくない」という二つの意味を含んでいます。「適当な答えを選べ」という時は「正しい」という意味で、「適当にやっておいて」という時は「それほど正しくなくてもいい」という意味です。「適当にやっておいて」というのは、まさにその時点では正しいかどうか確定しないけれど、結果的にはそれで正しかったことが分かるというようなふるまいをしろということですよね。「正しく」かつ「それほど正しくない」ということが一語で言い表せるのは、別に背理的なことじゃなくて、時間系列に配列すれば合理的なことなんです。未来は未知だから、ある時点では「先のことなので、それが正しいかどうかわからない」。でも、少し時間が経過すると事後的には「それで正しかったことがわかる」ということはまさに僕たちにとって日常茶飯事なわけです。それが「適当」という言葉の意味です。「適当」というのは、選択肢が複数あって、その選択肢のうちに最適解が含まれていたことが事後的にわかるようなものごとのあり方のことです。だから、「正しく」かつ「それほど正しくない」を一語で表現することができる。

 

 そういう人事の本質について書かれた本だなというふうに思うと、前田斉泰って、大人だなと思いました。以上です。

2019年

4月

12日

「申楽免廃論」をめぐる鼎談から(前編) ☆ あさもりのりひこ No.649

歩くことは健康にいい。一般的にはそうです。でも、足の弱い人間がたくさん歩いたら体を壊す。足の強い人が少しだけ歩いたのでは効果がない。大切なのは、自分の体が「一里の体」か「十里の体」か、それを見きわめることである

 

 

2019年3月25日の内田樹さんの論考「「申楽免廃論」をめぐる鼎談から」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

2018年の11月3日に金沢の能楽美術館で、藪克徳、安田登のお二人の能楽師と前田斉泰の『申楽免廃論』を素材に、武家と能楽というテーマでお話をした。

三人で順番に感想を語り、それから鼎談という構成だった。最初に30分ほど話した内容を抄録しておく。

 

【内田氏】 とにかく変な本なんですよ。こんな変な能楽の本、僕は読んだことがない。だって、「能楽は健康にいい」っていう本なんですよ。能楽について書かれたものって多々ありますけれども、能楽が健康にいいということを、そのことだけひたすら書いている本なんて、僕は読んだことがない。まことに変わった本です。

能は非常に厳しいもので、その厳しさは武道に通じるということは、実は誰でも言っているんですよね。能楽の喩えを用いて、武道を論じた人ってたくさんいるんです。柳生宗矩も、宮本武蔵もそうです。『兵法家伝書』にも『五輪書』にも能の喩えは頻繁に出てきます。

たしかに能における能楽師同士のやりとりは非常に厳しいものです。わずかでも拍子を外したり、ずらしたりすると、絶句してしまう、立ち往生してしまう。だから、能舞台は真剣勝負に喩えられることがある。でも、それはいわば「クリシェ」なんです。江戸時代の始めの頃から、いろいろな人が言っていることなんですよね。だから、申し訳ないけど、さっき引用された部分も、斉泰の独自の知見というものではない。「ありもの」を引っ張ってきて、貼り付けたような感じがする。

そこはぜんぜん「ふつう」なんです。でも、僕は読んでいて、「変な本」だなと思った。能楽が健康にいいということに力点を置いていることが「変」なんです。

ふつう能について語る場合、芸術としてどう評価するかから始まりますよね。審美的な関心がまず第一に出てくる。能楽師たちはこの所作や謡を通じて、能舞台にいかなる「美しきもの」を出現せしめようとしているのか、あるいは能楽の宗教性とはどういうものなのか、なぜ能楽には死者や幽霊や天神地祇ばかりが出てくるのか、あるいは能舞台はどのような宇宙論的な構造を持っているのか、とか。そういう芸術論とか、宗教論とか、哲学的な関心がふつうは能楽を語る時に、まず出てくるはずなんです。ところが『申楽免廃論』には、驚くなかれ、「美」についての言及が一行もないんですよ。「幽玄」という文字も「花」という文字も出てこない。能楽だけを論じた、こんな分厚い中に、能楽の美的価値についての言及が一つもない。本当にプラクティカルな本なんですよ。

むしろ自然科学の論文に近い。まず仮説を立てて、いろいろな証言を集め、サンプルを集めて、反証事例を点検して自分の仮説の妥当性を検証する。手続き的にはほぼ自然科学なんです。「お能の稽古をすると脚気が治る」という仮説を証明するためだけにこんなに分厚いものを書いている。変な話だと思ったんです。そんな変な話があるものかと思って、もう一度読み返してみたんですけれど、やっぱり健康論なんです。

でも、斉泰の健康についての考え方って、よく読むと、かなりユニークなんです。「健康原理主義」じゃないんです。こういうふうにすればみんな健康になれますという話じゃない。そうじゃなくて、健康というのは、人によって違うし、要は程度の問題だというんです。斉泰は「度」という字を使うんですけれど、「程度」のことです。一番大事なのは「何を」するかではなくて、「どのぐらい」するかだ、と。健康とは原理の問題ではなくて程度の問題なんだ、と。そのことを繰り返し語っている。

パフォーマンスがどういう条件で最高になるかは人によって違う。だから、自分のパフォーマンスが最高になる個人的な条件というものを見極めろ、と。それを知ることが大切であると言うのです。

例えば、歩くことは健康にいい。一般的にはそうです。でも、足の弱い人間がたくさん歩いたら体を壊す。足の強い人が少しだけ歩いたのでは効果がない。大切なのは、自分の体が「一里の体」か「十里の体」か、それを見きわめることである、と。僕はこの考え方は実は武道的ではないかと思いました。

 

武道の要諦は、一言で言えば、「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」ということに尽くされる。能のシテも同じです。地謡や、囃子方や、お相手をするワキ方や、作り物や、装束や面や、所作や道順や、演じている役など、様々なものによってその動きが制約されている。その所与の環境の中で、最適解を選ぶことを求められる。いつ、どの位置にいて、どういう所作をして、どういう声で、どういう言葉を発すべきか。そこには必然性がなければいけない。

武道の型稽古の場合、打太刀・仕太刀とか、打太刀・仕杖とかいうふうに言いますけれど、ある条件の下で、打太刀に切りかけられて、最適解によって応じる人のことを「仕」と呼ぶ。能のシテも「仕手」と書くことがありますけれど、やはり「仕太刀」や「仕杖」と同じように、与えられた条件下で、最適解を出すことがその任だと思います。

 

でも、話はそれほど簡単じゃなくて、じゃあ、最適解って何だ、その条件下でのベストの解答って何だというと、これが簡単には答えられない。

2019年

4月

11日

明日香ビオマルシェについて10 ☆ あさもりのりひこ No.648

明日香ビオマルシェの「福仁和農園」について書く。

「福仁和農園」は白坂さん夫妻が経営しておられる。

「福仁和農園」のブースは静かな佇まいである。

 

「福仁和農園」では、ちょっと変わった野菜を買うことができる。

たとえばアーティーチョーク。

写真のとおり分厚い花弁に覆われている。

この花弁は食べない。

この花弁を取り除いて、花弁の根元にある小さな「皿」のような部分を食べる。

だから、実を一つ買っても、食べることができる部分は、ほんのちょっぴりである。

しかし、これが、うまい!

酒のアテにピッタリである。

 

これ以外にも、トレビスやスイスチャードという葉物野菜も買ったことがある。

なかなか、ほかではお目にかかれない野菜たちである。

 

「福仁和農園」は一般的な野菜もおいしい。

そら豆、落花生、生姜、無花果、ハーブ類、あかね蕪、ミニトマト、牛蒡などなど。

 

風味がとても繊細である。

2019年

4月

10日

五輪のはなし ☆ あさもりのりひこ No.647

これは明らかに憲章違反です。捜査が進み、招致のために票を買収した証拠が揃ったら、規定に従って東京五輪は開催中止です。憲章違反による開催取り消しは、開催前日でも行えますし、中止によって生じる損害に対してIOCは一切責任を負わないことも憲章には明記されています。

 

 

2019年3月20日の内田樹さんの論考「五輪のはなし」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

東京五輪をめぐるスキャンダルをようやく大手メディアも報道し始めた。

私は招致決定以来ずっと「東京五輪招致反対」を言い続けて来た。

その理由について述べたものを再録する。

最初は2016年にAERAに書いたもの。次は去年の夏に『GQ』に書いたもの。

 

東京五輪を巡って恥ずかしいニュースが続けて報道されている。ケチのつき始めはザハ・ハディド設計の新国立競技場計画の撤回だった。その後もエンブレム盗作疑惑、再コンペをめぐるトラブル、神宮球場の使用中止問題、聖火台の設計漏れ、当初予算を大幅に超える見通し、先日からは開催地の知事の公私混同疑惑〔舛添要一都知事による政治資金の私的流用〕と続いた。

そして揚げ句にここにきて英紙「ガーディアン」が、日本の招致委員会が前国際陸連会長の息子の関連会社に2億2300万円の「コンサルタント料」を支払っていたことを報じた。

ラミーヌ・ディアク前国際陸連会長は、ロシアのアスリートのドーピングもみ消しに関与して賄賂を受け取った疑いでフランスの司法当局の捜査対象になっている人物であり、息子のほうは既に国際陸連から永久追放処分を受けている。

東京の招致委員会が送金したシンガポールの口座はこのドーピングもみ消しにまつわる金の出入りに使われたものであったことが明らかになった。誰が考えても、この金は招致のための「水面下のロビー活動」(平たく言えば、委員の買収)の原資とエージェントへの報酬である。いずれヨーロッパの関連国の司法当局やメディアが「東京五輪はどうやって買われたか」についての真相を明らかにするだろう。

私は東京への五輪招致が決まった時から「経済効果と国威発揚しか頭にないような人々が主催する五輪なら、するだけ日本の恥になる」と言い続けてきた。そして実際にその通りになった。

何より問題なのは、これを報道したのが英紙であり、疑惑解明を主導しているのが仏の司法当局だということである。日本のメディアも司法当局も疑惑の解明の主体ではない。それは、日本は自国のシステム不全を自力では補正できない国だということを国際社会に明らかにしたということである。

IOC倫理規定は、五輪開催に関連して、いかなる性質のものであれ「秘密の報酬、手数料、手当、サービス」の提供を禁じている。違反した場合には開催取り消しもありうる。日本がこのまま真相解明を怠るなら、国際世論が五輪返上を迫ってくる可能性はもうゼロではない。(2016年5月30日)

次は『GQ』。こちらはQ&A形式で、編集者が集めて来た質問に私が答えている。

 

Q:東京近郊で家を買おうか迷っています。でも、いまは住宅バブルで、東京オリンピックが終わったら暴落するという説もあるし、そもそも日本は毎年30万人も人口が減っていくのだから、もう少し待ったほうがいいようにも思います。その一方、労働力不足のためマンションの建築費が上がっているから、オリンピックが終わっても絶対に下がらない、という説もあるみたいです。いまなら超低金利だし、消費税が来年10月には10%になる(かもしれない)し、買うならいま、とも思うのです。

 

最初に確認しておきますけれど、人口減のペースはもっとすごいですよ。

内閣府の出してるデータでも2100年の中位推計が5000万人。今が1億2700万人ですから、あと82年で7700万人減る勘定です。年間90万人。それだけ人が減るわけですから、この先住宅需要が高まるということはまずありえません。

でも、国民経済的視点からは、それでも家を買ってもらった方がありがたいんです。景気って「気のもの」ですからね。これからも住宅需要は堅調だとみんなが思い込んで、ローン組んでどしどし家を買ってくれれば、景気はよくなります。逆に、将来何が起こるかわからないからお金を貯め込んでおこうと思うと、消費意欲は冷え込み、市場は縮減して、ますます景気は悪くなる。ですから、とりあえず国民経済のためには明日のことを考えずに家買ってください。

というのは一般論で、友だちから「家買おうと思うんだけど」と相談されたら、「今は買うな」とアドバイスします。だって、いつ住宅価格が急落するか予測不能なんですから。

不動産関係の人に聞くと、物件数はすでに圧倒的に供給過剰だそうです。実需要がないのに、新築マンションがどんどん建てられている。だから、そういうところには人が住んでないんです。値上がりを見込んでの投機だから。バブル期と同じです。供給が需要を超えてるんだから、どこかで価格が暴落するのは当然です。でも、その前に最高値で売り抜ければ資産運用としては成功。

だから、これは「チキンレース」なんです。ただし、このレースには崖がない。もうとっくに崖を超えて、下に地面がないところを走っているのです。それがわかっていながら、地面があるような顔をして走り続けられる人の中の誰かが勝ち逃げする。スリルが大好きという人はやってもいいと思いますよ。でも、「終の住処」を探すつもりなら、今は買う時期じゃない。

五輪が終わるまでは待った方がいいかどうかというご質問でしたけれど、実は東京五輪が果たして開催されるかどうか、僕はけっこう不透明だと思います。

 

国際陸上競技連盟(IAAF)の前会長で、IOC委員のラミーヌ・ディアックとその息子は世界陸上と五輪を食い物にして、私腹を肥やしてきた容疑でフランスとブラジルの司法当局に追われて逃亡中ですけれど、この二人は東京五輪招致に深くかかわっています。電通の仲介で、シンガポールのダミー企業に日本の招致委員会から23000万円が払い込まれたことがありましたね。あの金はディアクの息子の口座に転送されていたのです。去年の9月に『ガーディアン』が報じました。ブラジルの司法当局はこの支払いがIOC内部に強い影響力を持つラミーヌ・ディアクを介して票を買収し、2020年東京五輪の招致を実現するためになされたという結論を出しました。

これは明らかに憲章違反です。捜査が進み、招致のために票を買収した証拠が揃ったら、規定に従って東京五輪は開催中止です。憲章違反による開催取り消しは、開催前日でも行えますし、中止によって生じる損害に対してIOCは一切責任を負わないことも憲章には明記されています。

 

メディアは報じませんけれど、東京五輪は開催中止リスクを抱えたまま進行しているプロジェクトなんです。でも、そんなことは考えたくないから、みんな黙っている。今の日本のシステムの腐敗と機能不全を見ると、ある日「東京五輪開催中止」が通告されて、関係者全員白目を剥いて腰を抜かして収拾がつかなくなる・・・という事態を迎える可能性は少なくないと僕は思っています。

2019年

4月

09日

春真っ盛り!2019年も八木駅前付近につばめが帰って来ました!

 

本日は事務局が担当です。

 

先週末から桜がとても見頃になっていますよね。

 

少し強く冷たい風が吹くことも有りましたが、通勤路に咲く桜の木の下、陽ざしを受けて通ると、本当に『春』を感じます。

 

また朝の通勤電車の車窓から見える、高田川沿い、飛鳥川沿いの桜も満開で、朝日を浴びてとてもきれいです。

 

皆さんの付近ではいかがでしょうか?

残念ながら明日は、冷たい雨になりそうなので、今日が今年の春真っ盛りではと思っています。

 

そして、例年お伝えしている、近鉄八木駅付近にやってくるつばめですが、今年は先週末に駅を降りると、せわしく鳴く声が聞こえてきて、改札から順に巣を観ていくと、ミスタードーナツの前の巣に来ていました!

初つばめです。

 

少なくとも4羽は、やって来ているようです。

 

そして、今日は快晴の空の下を、とても気持ちよく飛び回り、観ているこちらもとても清々しい気分になります。

 

残念ながら、それを伝える良い写真は撮れませんでしたが、近鉄八木駅を降りられたら、足を止め、耳を傾け、少し周りを見回してつばめの姿を探してみてください。

一生懸命に動き回るつばめの姿、飛び回る様子、そして鳴き声で、とても和みと元気をもらえますよ!

2019年

4月

08日

『武道的思考』文庫版のための序文(後編) ☆ あさもりのりひこ No.646

「いずれ何かの役に立ちそうなもの」の有用性を先駆的に直感できる能力は、「いずれ死活的なリスクをもたらす可能性があるもの」の有害性を先駆的に直感できる能力と裏表のものです。

 

 

2019年3月17日の内田樹さんの論考「『武道的思考』文庫版のための序文」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

本書にも「ブリコルール(bricoleur)」について書いた文が収録されていますけれど、「ブリコルール」というのは、「ありものの使い回しで用を弁ずることができる人」のことです。その辺にある材料や道具で、「本棚」や「犬小屋」を手際よく作ってしまう日曜大工のことです。でも、ただの「器用な人」ではありません。ブリコルールであるためには、それなりの修練が必要です。

レヴィ=ストロースが『野生の思考』で取り上げたマトグロッソのインディオたちは、ジャングルの中で「何か」と目が合うと、それをとりあえず背中の合切袋に放り込みます。移動民ですから、それほど大きな荷物は運べません。自分で背負えるだけです。さて、その場合、資産として選択されるのは何でしょう。

そのうち何かの役に立ちそう」だと思われたものです。

そのうち何かの役に立ちそうだけれど、いまは何の役に立つのか、わからない。何の役に立つかわからないけれど、先駆的にその有用性が直感される。

そういう直感能力が人間には具わっています。そのような能力が具わっていたからこそ、人間は「道具」というものを制作することができた。僕はそう思います。

人間が道具を制作したのは、まず「こういう道具を作ろう」というアイディアが先行して、それに必要な素材を集めて作ったという順番ではないと僕は思います。逆です。まず、「いまは何の役に立つかわからないけれど、何か心惹かれるもの」が目に留まる。それを拾い上げて、手元に置いておく。そして、ある日、ふと「それ」を使うと「こんなもの」が作れるということに気づく・・・そういう順番で人類は道具というものを創り出したんだろうと僕は思います(見てきたわけじゃありませんが)。でも、そうであるはずです。そういう能力を選択的に発達させておかないと、資源の乏しい環境を生き延びることはできませんから。

「いずれ何かの役に立ちそうなもの」の有用性を先駆的に直感できる能力は、「いずれ死活的なリスクをもたらす可能性があるもの」の有害性を先駆的に直感できる能力と裏表のものです。「いまは何の役に立つかわからないけれど、そのうち役に立ちそうな気がするもの」を感知できる力と「いまはとりわけ危険なものに思われないけれども、そのうち命とりになりそうな気がするもの」を感知できる力は同じひとつの能力の別の現れ方です。

ジャングルの中で暮らすインディオたちは、肉食獣や毒蛇がうごめく環境の中で暮らしているわけですから、「こっちに行ったら、なんだか悪いことが起きそうな気がする」という危機察知能力はきわめて高いはずです。

なにより、その能力は幼児のときから教えることができます。野獣と戦う技術はとても子どもには習得できませんし、成人でもよほど身体能力が高くないと習得できないかも知れない。けれども、危険の接近を遠くから感じ取るセンサーの精度を上げることなら、子どもにもできる。危険が接近すると「ざわざわする」とか「肌に粟が生じる」というような身体反応は適切なプログラムを整備すれば、選択的に強化することはできる。

僕はいまのところ「武道的」ということを、この二種類の予防的なふるまいのことと理解しています。リスクに「対症」的に対応するのではなく、「予防」的にふるまうこと。手持ちの資源の蔵している潜在可能性を、それが顕在化・可視化・数値化されるより前に感知できること。それがかたちをとるより以前に、危険の接近が感知でき、有用なものの有用性を感知できること。少しだけ時間をフライングすることです。

僕は武道の修業というのは、この「少しだけ時間をフライングする」能力の涵養だと思っています。そういう言葉づかいで武道について語る人はあまりいませんが、僕はそうだと思っています。昔の武人はそう言っていたように思えるからです。

武道の術語に「機を見る」というものがあります。自分が置かれている状況の意味を先駆的に直感することです。柳生宗矩の『兵法家伝書』にはこうあります。

 

「一座の人の交りも、機を見る心、皆兵法也。機を見ざればあるまじき座に永く居て、故なきとがをかふゝり、人の機を見ずしてものを云ひ、口論をしいだして、身を果す事、皆機を見ると見ざるにかゝれり。座敷に諸道具をつらぬるも、其の所々のよろしきにつかふまつる事、是も其の座を見る事、兵法の心なきにあらず。」

 

機というのは現代語で言えば「タイミング」です。自分が「いるべき時/いるべきでない時」を識別することです。人との交わりには機を見る心が要ります。いるべき時に、いるべき場にいれば、巧まずして大きな成果を得ることができる。逆に、いるべきではない時に、いるべきではない場にいると(英語ではwrong time wrong placeと言います)、思わぬ災厄に巻き込まれ、ついにはそれがもとで命を失うこともある。

昔からそうだったんです。今でも、僕たちが日常的に遭遇するトラブルって、だいたい「こういうもの」です。だから、昔の侍は用事のないところには出かけなかった。「どうしても、あなたにはこの時に、ここにいて欲しい」とピンポイントで懇請されてはじめて腰を上げた。

座敷に道具を配するのには「座を見る心」が要ると宗矩は言います。それをただ「インテリアデザインのセンスがいい」というような審美的な意味で解してはならないと思います。そんなことは「兵法」とは言われません。宗矩が言っているのは、「ブリコルール」の心得です。

武士が座敷に置くことが許された諸道具はごくごく限られたものです。それを「所々のよろしきにつかふまつる事」というのは、数量的には最少の、にもかかわらず潜在可能性において最大であるような道具を選べということです。

塚原卜伝は不意打ちに斬りかかられたときに、とっさに「鍋の蓋」で剣を制したという話が知られています。これは「手持ちの道具で急場をやりくりする」の能力の高さを顕彰したものですけれど、同時に、限られたものしか置けない手持ちの資源には、「いつかこれが死活的に重要になるかも知れない」と思われるものを選べ、道具の配列に際してはまず「座を見よ」という武人の心得を伝えたものかも知れません(この鍋の蓋は卜伝の手作り道具だったんじゃないでしょうか。自分で木を伐り出してきて、丈夫で、硬くて、鍋の蓋以外にも汎用性のありそうな道具を手作りした)。

 

以上がいまの時点での、僕の「武道的」ということの理解です。

物資が潤沢で、社会が平和で安全だった時代には、こういうことを僕が力説しても、あまりはかばかしい反応はありませんでした。でも、時代はずいぶん変わりました。現代の日本はもう以前ほど豊かでも、安全でもありません。「金さえあれば欲しいものは何でも手に入る」というような言葉に同意する人はさすがにもう若い人の中には見出し難くなりました。

 

人類史のほぼ全期間、人間は手持ち資源の潜在可能性を考量する力、災厄を事前に感知する力を高めることで、生き延びてきました。「武道的」な生き方の方こそが、もともとは人類の初期設定なんです。「武道的」でなくても生きてこられたここ半世紀ほどの日本の方が人類史的には例外なんです。でも、残念ながら、もうそういう時代は終わりつつあります。僕たちは来るべき時代に備えて、「初期設定」に立ち返る必要がある。僕はそう考えています。そういう歴史的文脈に即して本書を読んでいただけたらと思います。

2019年

4月

05日

『武道的思考』文庫版のための序文(前編) ☆ あさもりのりひこ No.645 

堤防が決壊したあとに、濁流から鮮やかに逃れる超絶的な能力よりも、堤防の「蟻の穴」をみつけて、そこに小石を差し込んで、洪水を起こさないようにする配慮の方がより武道的だということです。

 

 

2019年3月17日の内田樹さんの論考「『武道的思考』文庫版のための序文」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

武道的思考 文庫版のためのまえがき

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

『武道的思考』が文庫化されることになりました。

『武道的思考』は2010年に筑摩選書が創刊されたときに、シリーズ第一巻という名誉ある番号を頂いて刊行されました。出てから10年近く経ち、文庫に化粧直しして、再びのお勤めということになりました。手ごろな価格になって多くの方にお読み頂けることになるのは、書き手としてはとてもうれしいことです。筑摩書房のご厚意に感謝申し上げます。

 

本書は、ご覧頂ければわかるように、書き下ろしではなく、さまざまな媒体に寄稿したものやブログに書いたものを筑摩書房の吉崎宏人さんが丹念に拾い集めて、編集してくださったものです。

こういうコンピレーション本では、僕が食材を提供して、それを編集者が料理するという分担になります。出来上がるものを見るまで、僕自身にも、それがどんな本になるか分からない(野菜を出荷した農家が、それがどんな料理になるのか予測できないのといっしょです)。とりわけ、この本を出した頃は、大学の学務がすごく忙しかったので、出たばかりの自著の新刊を熟読する余裕がありませんでした。ですから、たまに「『武道的思考』読みましたよ」と読者の方に声をかけられても、「あ、そうですか。や、どうも」とあいまいな顔で微笑むしかできなかった。書いた本人なのにどんな本だったかよく思い出せなかったからです。

それから約10年経って、文庫化することになったので、ゲラが送られてきました。そして、読んでみたら、「ふうん、こんな本だったのか」とちょっとびっくりしました。

「あとがき」に「不穏な本」と書いてありましたけれど、たしかにかなり「挑発的な本」でした。「こんなこと書いちゃっていいのかな・・・」といまならちょっと逡巡するようなことが気にせず書いてあります。

ブログに書いたものは、もともと出版されることを予想しないで、「顔の見える読者」宛てに書いたものですから、「歯に衣を着せる」というような配慮がほとんどありません。でも、編集の吉崎さんはどうやら好んで「そういうもの」を選び出したようです。

当時、編集部内でも「こんなの出して大丈夫なのか?」というような懸念が表明されたことがあったんじゃないでしょうか(僕が吉崎さんの上司だったら、一応は確かめます。「吉崎くん、大丈夫なんだろうね。こんな本出して。ややこしい筋からクレームとか来ないよね?」)。文庫化されたということは、その懸念はクリアーされたということなんでしょうね。きっと。

 

本書で扱われているトピックは武道だけには限定されません。教育問題も論じていますし、政治のことも、文学のことも、歴史のことも、結婚や家族のことも論じています。それらの論件がいずれも「武道的」に思量されているというのがタイトルの由来だろうと思います(自分でつけたタイトルのはずなのに、「思います」で申し訳ありません)。でも、たぶんそうです。

「武道的に思量する」「武道的にふるまう」というのは、どういうことか。それについて現段階での僕の理解をここに書いて「文庫版のためのまえがき」に代えたいと思います。

 

第一に、それは「ありもので間に合わせる」ということです。

戦場においては、ものが足りなくても、コンビニで買い足すことも、Amazonで配達してもらうこともできません。装備が貧弱でも、兵士の練度が低くても、「こんなのじゃ戦えない。いいのに替えてくれ」というわけにはゆかない。手持ちの資源をやりくりして急場をしのぐしかない。「ありものの使い回し」しか許されない。理想とか、「本来あるべき姿」とか、そういうものと現状の乖離について泣訴することができない。

手持ちの資源をやりくりして、なんとかしのぐしかない状況のことを「急場」と呼ぶわけで、武道というのは、「急場」において適切なふるまいをするための技術のことです。

「手持ちの資源をやりくりする」というのは、言い換えると、手持ちの資源の蔵している潜在可能性を最大化するということです。言葉はシンプルですけれど、実はなかなか複雑な仕事を要求します。というのは、それができるためには、その前段として、一つやっておくべきことがあるからです。

「前段として」です。「やりくり」の前にやっておかないといけないことがある。

武道的というのは、本質的には「対症」ではなく、「予防」の心構えのことです。

トラブルが起きた後になって、ややこしいタスクをてきぱきと処理する人の「対症的」な手際はたしかに見事なものですし、その能力を高く評価する社会も存在します(例えば、アメリカはそうです)。でも、ほんとうは「トラブルが起きる前に、その芽を摘んでおいたり、巻き込まれないように気づかっていた人」の予防的配慮の方が武道的には卓越していると僕は考えます。 

堤防が決壊したあとに、濁流から鮮やかに逃れる超絶的な能力よりも、堤防の「蟻の穴」をみつけて、そこに小石を差し込んで、洪水を起こさないようにする配慮の方がより武道的だということです。

リスクを事前に察知して、破局的事態に際会しないように身を処すこと、それがさしあたり「予防的」ということですけれど、これにはもっと積極的な意味もあります。

それは、急場において大きな力を発揮できるような「手持ちの資源」をあらかじめ仕込んでおくことです。

 

まだ何も起きていない時点から、つねに「豊かな潜在可能性を蔵しているもの」に目を配り、それをこつこつと収集しておいて、それによって「手持ちの資源」を構成しておく。

2019年

4月

04日

なにわ淀川ハーフマラソン ☆ あさもりのりひこ No.644

2019年3月31日(日)、第9回なにわ淀川ハーフマラソンに出た。

なにわ淀川ハーフマラソンは去年、フルマラソンの部が創設されて、去年はフルマラソンを走った。

去年は、レース後半、脚が動かなくなって、ヨロヨロと走っていると、後でスタートしたハーフマラソンの走者に追い抜かれて、給水所では蹴散らされるような混乱が生じた。

今年は30日(土)がフルマラソン、31日(日)がハーフマラソンと別の日に分けられたので、無用の混乱はなくなった。

 

天気予報は「晴れ」「最高気温14℃」ということだったので、タイツと長袖はヤメて、半袖のランニングシャツとランニングパンツで走ることにする。

ところが、会場に着くと、空はどんよりと曇り、風が吹きすさんで、寒い。

やれやれ。

 

午前11時10分スタート。

エントリーが3100人を超えたそうで、コースにランナーが鈴なりである。

スタートの号砲が鳴ってからスタートラインを跨ぐまで1分以上かかった。

7㎞までは1キロ6分を切る快調なペースで走る。

3キロ毎に、持参したエナジージェルと水を飲む。

8㎞から1キロ6分台になったが、大幅に落ちないように気を引き締めて走る。

17~18㎞の1キロが6分58秒かかったが、盛り返して、それ以上は落とさなかった。

「2時間15分」のペースメーカーに抜かれたので、ペースメーカーに置いて行かれないように、ペースメーカーの背中を睨んで懸命に走る。

脚の痙攣を防ぐために「芍薬甘草湯ゼリー」を2回飲んだ。

20キロを過ぎてからは、最後の力を振り絞って速度を上げる。

ふくらはぎが攣りかけるがなんとか持ちこたえる。

2時間12分15秒でゴールした。

スタートの待ち時間を差し引いた「ネットタイム」は2時間10分54秒であった。

1キロの平均ペースは6分11秒。

1キロ6分15秒で2時間12分を目標に走ったので、満足できる結果であった。

 

 

つぎのレースは、6月、大泉緑地の30キロである。

2019年

4月

03日

街場の平成論のまえがき(後編) ☆ あさもりのりひこ No.643

うまく説明できなことは「うまく説明できないこと」として、そのままパブリックドメインに公開しておいて、誰か説明できる人の出現を待つというのが知性のほんらいのマナーではないかと僕は思っています。

 

 

2019年3月16日の内田樹さんの論考「街場の平成論のまえがき(後編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

本書の寄稿者の中では仲野徹先生が「予測不能性」を主題にして書かれていました。その中で1960年に当時の科学技術庁が21世紀の科学的達成を予測した書物に言及されています。予測のうち当たったのはわずか2~3割だったそうです。

医学分野では、感染症は根絶され、人工臓器が開発され、臓器移植は実現されず、ストレスフルなライフスタイルのせいで胃潰瘍(!)が代表的な消化器疾患になっていると予測されていましたが、現実には、根絶された感染症は天然痘だけでしたし、人工臓器開発は進まず、逆に臓器移植は長足の進歩を遂げ、胃潰瘍は特効薬が開発されて、重篤な病気ではなくなりました。

自然科学はそれまでの達成の上に新しいものが付け加わるという直線的な開明と高度化のプロセスをたどります。世界の仕組みは科学の進歩によって間違いなくより明らかになってゆきます。「科学技術が次第に退化する」とか「重要な科学的発見がどんどん忘れられてゆく」というようなことは自然科学の分野では起こりません。それでも予測は困難なのです。ましてや、政治や経済においておや。

というのは、政治経済領域では、政治家やビジネスマンの資質が劣化するとか、歴史的教訓が忘れられるとか、深遠な知見が打ち捨てられるとかいうことはまさに日常茶飯事だからです。開明化・高度化した場合に何が起きるかを予測しなければいけないだけではなく、迷蒙化・暗黒化したり、あらぬ彼方へ逸脱したりした場合も勘定に入れて僕たちは未来を予測しなければならない。当たるはずがありません。

でも、外れる予測をそれでも繰り返し立てることはたいせつな仕事だと僕は思います。それは「どうして起きてもよい『あのこと』は起きなかったのか?」という問いと「どうして起きなくてもよかった『このこと』は起きてしまったのか?」という問いを組み合わせることで、僕たちの生きるこの世界はより一層複雑なものに見えてくるからです。

ただでさえ複雑な世の中をよけい複雑にしてどうするんだと苛つく方もおられるかも知れません。でも、複雑なものを複雑なまま扱うというのも重要な知性の働きです。その作業を遂行するためにはタフな知力が要ります。

「タフ」というのは、質はともかく丈夫であるということです。いろいろなものを詰め込める。いろいろなものを詰め込んでも壊れない頭のことです。複雑なものを複雑なまま扱うためには「よい頭」というよりはむしろ「丈夫な頭」が要るのです。

 

頭のいい人は複雑なものを複雑なまま扱うことをしません。複雑な話を単純化する手際にこそ「頭のよさ」が鮮やかに示されると彼らは信じているからです。実際、頭がいいとそういうことができるのです。ややこしい話を切れ味よくすぱっと切り分けて、われわれを「なんだ、こんなに簡単な話だったのか」と得心させてくれる。読者としては知的負荷が一気に軽減するので、こんなにありがたいことはありません。ですからつい、そういう切れ味のよい仮説に飛びついてしまう。

でも、申し訳ないけれど、「切れ味のよい仮説」の賞味期限は人々が期待するほど長くはありません。すぐにその仮説ではうまく説明できない事象が出来する。そのときに「あ、自分の仮説は間違っていた」とさくっと自説を撤回してくださるといいんですけれど、なかなかそうはなりません。というのは、「頭のいい人」の頭の良さは「複雑な話を単純化する」ことと同じく「自分の間違いを間違っていなかったかのように取り繕う」手際において際立つからです。これは長く生きて来た僕が確信を込めて断言することができることの一つです。ほんとうにたいしたものです。思わず拍手したくなることさえあります。

でも、そうやってご自身の知的体面は保ったとしても、それは集団的な知性の働きには資するところがありません。資するところがないどころか、むしろ有害です。

うまく説明できなことは「うまく説明できないこと」として、そのままパブリックドメインに公開しておいて、誰か説明できる人の出現を待つというのが知性のほんらいのマナーではないかと僕は思っています。自分には説明できないことでも、誰か別の人や、未来の人なら説明してくれるかも知れない。ですから、その人たちが仕事をしやすいようにしておく。「この問題は解決できませんでした」、「この事象は説明できませんでした」、「こんな出来事が起きるとは予測もできませんでした」というわれわれの知性の不調についてのタグをわかりやすく、見やすいところに付けておく。

世の中には「これ一冊読めば目から鱗が落ちて、世界のすべてのことが理解できる」という触れ込みで書かれる本もありますし、本書のように、知性の不調についての点検報告書のような本もある。

でも、そういう作業は絶対に必要だと僕は思います。みなさんだって、自分の車を仕業点検するときには、「ブレーキの効きが悪い」とか「エンジンから異音がする」ということの方を「オーディオの音質がすばらしい」とか「シートの革の艶がみごと」ということよりも優先的に配慮しますでしょ。不調を放置しておくと命にかかわるから。こういう問題だって同じです。

というわけで、僕がこの本の寄稿者に選んだのは「頭のいい人たち」というよりは「頭の丈夫な人」たちでした(こんなことを書くと怒られそうですけれど)。寄稿者リストを作ったときにはそんなことを考えて選考したわけではないのですけれど、集まった原稿を読んだら、そういう印象を受けました。みなさんも最後まで読んで頂ければわかりますけれど、読み終えて「なるほど、そういうことだったのか。なんだ世の中というのは思いのほか簡単なものだったのだな」と膝を打つということは絶対にありません。それは保証します。寄稿者のみなさんは、書きながらどんどん話を複雑にして、収拾のつかない難問のうちにどんどん踏み込んでいって、途中で「紙数が尽きた」で読者を放り出して終わり・・・という感じです(わりと)。

読者サービスという点ではいささか問題がありそうですけれども、でも、「読んですっきりする」ということと「読んでどきどきする」というのはレベルの違う経験なんです。

複雑な世界をその複雑さ込みで高い解像度で記述するというのは、なかなかたいした仕事なんです。ほんとうに。そういうものを読むことはある種の高揚感をもたらします。それは、複雑に見える世界が実はとても単純なものだったという「心安らぐお話」を聴かされてほっとするときの安堵感とは異質のものなのです。

本書がそういう種類の高揚感をもたらすものであることを編者としてはつよく願っています。

 

最後になりましたが、お忙しい中、面倒な仕事をお引き受けくださった寄稿者の皆さんのご協力と、編集の労をとってくださった晶文社の安藤聡さんの忍耐と雅量に深く感謝申し上げます。

2019年

4月

02日

神戸どうぶつ王国

大和八木 弁護士

みなさん、こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

昨日、新しい元号が発表されました。

発表された瞬間は「・・・・」と違和感がありましたが

「しゅっと」した感じがかっこいいなと思いました。

(なんかあまり賢くない感想・・・。トホホ)

 

新元号には当事務所の弁護士の名前の一字が入っています。

漢字の詳しい説明・ご紹介は後日乞うご期待・・・(?)

 

ペリカンもその辺をウロウロしています
ペリカンもその辺をウロウロしています

先日、こどもと一緒に神戸どうぶつ王国に行ってきました。

 

ポートアイランドにある小さな動物園ですが、動物との距離がとても近くて、お気に入りの動物園です。

男前のハシビロコウがいるので有名な園なので、ご存じの方も多いのではないでしょうか(・∀・)

 

おっさんカンガルーがだるそうに寝そべっていたり、

手の触れられそうな距離にナマケモノやレッサーパンダがウロウロしていたり。

バードショーでは、鷹やフクロウが頭上を飛び去っていくのですが、風を感じ、羽の大きさを感じ、圧巻です。

 

ポートライナーセット券を購入すると、ポートライナー乗車賃がまるまるお得になるので、電車で行かれる方は、ぜひどうぞ♪

2019年

4月

01日

街場の平成論のまえがき(前編) ☆ あさもりのりひこ No.642

まえがきとして、ここでは「どうして僕たちの未来予測はこんなに劇的にはずれてしまったのか」について考えてみたいと思います。

 

 

2019年3月16日の内田樹さんの論考「街場の平成論のまえがき(前編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

「街場の平成論」(晶文社)がもうすぐ書店に並ぶ。

私が編著で、寄稿してくださったのは小田嶋隆、釈徹宗、白井聡、仲野徹、平川克美、平田オリザ、ブレイディみかこ、鷲田清一という方々である。

「平成を回顧する」という趣向の原稿は私自身ずいぶんあちこちに書いた。そういうタイトルの書物もこれからいくつか出されるだろうと思う。他の方々はどんなふうにこの30年を総括するのかとても興味がある。

予告編として「まえがき」を掲載しておく。

 

みなさんこんにちは、内田樹です。

本書は平成の30年間を回顧する論集です。どういう趣旨の書物であるかを明らかにするために、寄稿者たちに執筆依頼した文章をまず掲げることにします。

 

みなさんこんにちは、内田樹です。

この出だしを見て「おお、また『あれ』か・・・」と身構えた皆さん、勘いいですね。ご賢察の通りです。内田を編者にしたアンソロジーの企画をまたまた晶文社の安藤聡さんが立案しました。今回のテーマは「平成を総括する」です。これはみなさんにご寄稿をお願いするメールであります。

 

この30年ずいぶんたくさんの事件があり、世界の表情はずいぶん変わりました。

30年前、平成が始まった年、1989年のことをみなさんは覚えておいでですか。

89年というのは、北京で天安門が起き、ポーランドで「連帯」が圧勝し、鄧小平から江沢民への世代交代があり、ドイツのホーネッカーが失脚し、ソニーがコロンビア映画を買収し、三菱地所がロックフェラーセンターを買収し、ベルリンの壁が崩れ、ルーマニアのチャウシェスクが失脚し、日経平均株価が史上最高値を記録した年でした。それに加えて、わが国では昭和天皇の崩御と、今上天皇の即位があったのです。ちなみに首相は竹下登、宇野宗佑、海部俊樹と一年間で三人を数えました。

こう列挙してみただけで、それからの30年で世の中の「空気」がずいぶん変わってしまったことに気づくはずです。

僕たちは出来事が起きた後に回顧的に過去を振り返りますので、1989年から2018年まで、すべての出来事は因果関係に従って経時的に継起してきたと考えがちです。

でも、ほんとうにそうでしょうか。ちょっとだけ、時計を30年戻して、1989年を思い出して下さい。みなさんはその時に「これから世界はどうなるだろう」と予測していましたか? 30年後の世界が「こんなふう」になっていると想像していましたか?

想像していなかったと思います。

あの年に、30年後にはロシアの市民たちがプーチンのような強権的な支配者を歓呼の声で迎え、習近平が軍事的・経済的成功を背景に毛沢東以来の個人崇拝体制を再構築し、アメリカがドナルド・トランプのような知性と倫理性にともに問題をかかえた人物を大統領に戴くことになると想像できた人なんて、ほとんどいなかっただろうと僕は思います。

少なくとも、僕はまったく想像していませんでした。

僕は東欧の市民革命はさらに進行するだろうと思っていました。ロシアは覇権国家としての行き方を放棄し、二度とかつての国威を回復することはないだろう。中国政府はいずれしぶしぶとではあれ民主化に譲歩して、市民社会の成熟と歩調を合わせるようにして近代化を遂げるだろう。そして、日本についてはこう考えていました。

日本はさらに金持ちになるだろう。世界中の土地や権益を買い漁り、札びらで相手の頬を叩くようなしかたで世界各地に事実上の「植民地」を手に入れるだろう。宗主国アメリカには欲しがるだけの「小遣い」を渡してうるさい口出しを封じ、そうすることで「国家主権を金で買い戻す」という世界史上どんな国も果たし得なかった偉業を成し遂げるだろう。その成功体験は日本人すべてが自信たっぷりの厭味な拝金主義者になるという重篤な副作用をもたらすだろう。

漠然とそんな未来を僕は予期していました。きちんと書き留めておいたわけではないので、いくらかは「後知恵」も含まれていますが、それでも「社会主義圏に強権政治が復活することはもうないだろう」、「これからは軍事力の多寡ではなくて、提示できるグローバルなヴィジョンの良否が国際関係でのイニシアティヴを決するだろう」、「日本は世界一の金持ち国になるだろう」ということについてはかなりの確信を抱いていました。

でも、この予測はことごとく外れました。

もちろん89年時点でも、30年後に世界がこんなふうになる「芽」のようなものはあったはずです。あったからこそ「こんなこと」になったわけですから。でも、それはほんとうに「芽」のようなものに過ぎなかった。それ以外にもっと将来性のある「芽」がたくさんあって、すでに枝葉を茂らせていて、あと少しで花を咲かせようとしていた。

でも、30年経ってみたら、期待されていたような花は咲かず、まさかと思われた「芽」ばかりがすくすく育って、「こんなふうになるとは思わなかった」世界が現実のものとなった。

どうして「起きてもいいこと」が現実にならず、「起きるはずがなかったこと」の方が現実になったのか?

歴史家はふつう「起きなかったこと」については「それはなぜ起きなかったのか?」というような問いは立てません。でも、「起きてもいいことが起きなかったのはなぜか?」というのは世界の成り立ちと人間の行動を根源的に考察するときに有効な問いのひとつだと僕は思っています。

 

今回はみなさんには平成の30年間の総括をお願いします。どんなトピックをどんな切り口で論じて頂いても結構です。

でも、執筆者のみなさんに僕から一つだけお願いしたいことがあります。

それは今から30年前、1989年時点に想像的に立ち戻って、まだ「未来が霧の中」だった時に、みなさんが感じていた期待や不安やときめきを思い出してほしいということです。その時点で望見していた30年後の世界と、現実の世界を並べて、少しだけの間その二つを見比べて欲しいということです。書き始める前の「儀式」として、一度だけやってみてください。僕からはそれだけです。

どうぞよろしくお願い致します。

 

2018年8月1日

内田樹

 

というのが、僕から寄稿者たちへの依頼の文章でした。

今回集まった原稿を通読してみましたら、果たして全員が「1989年時点で、まだ未来が霧の中だった時点に想像的に立ち戻る」という「儀式」を済ませてから書き始めてくださっていました(そう思います)。そして、全員が「30年前にはまさかこんなことになるとは思わなかった」という感懐を抱いていたように思われました。

まえがきとして、ここでは「どうして僕たちの未来予測はこんなに劇的にはずれてしまったのか」について考えてみたいと思います。

 

 

 

2019年

3月

29日

パリ・コミューンについて(後編) ☆ あさもりのりひこ No.641

法の制定者と法の執行者を分業させた政体のことを共和制と呼び、法の制定者と執行者が同一機関である政体のことを独裁制と呼びます。

 

 

2019年3月6日の内田樹さんの論考「パリ・コミューンについて」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

レーニンがパリ・コミューンの敗北から引き出したもう一つの教訓は、石川先生もご指摘されていた「国家機構」の問題です。これについて、石川先生は、レーニンは「国家機構の粉砕」を主張し、マルクスはそれとは違って、革命の平和的・非強力的な展開の可能性にもチャンスを認めていたという指摘をされています。でも、僕はちょっとそれとは違う解釈も可能なのではないかと思います。レーニンの方がむしろ「できあいの国家機構」を効率的に用いることを認めていたのではないでしょうか。レーニンはこう書いています。

 

「コンミューンは、ブルジョワ社会の賄賂のきく、腐敗しきった議会制度を、意見と討論の自由が欺瞞に堕することのないような制度とおき替える。なぜなら、コンミューンの代議員たちは、みずから活動し、自分がつくった法律をみずから執行し、執行にあたって生じた結果をみずから点検し、自分の選挙人にたいしてみずから直接責任を負わなければならないからである。代議制度はのこるが、しかし、特殊な制度としての、立法活動と執行活動の分業としての、代議員のための特権的地位を保障するものとしての、議会制度は、ここにはない。(...)議会制度なしの民主主義を考えることができるし、また考えなければならない。」(同書、74-75頁、強調はレーニン)

 

法の制定者と法の執行者を分業させた政体のことを共和制と呼び、法の制定者と執行者が同一機関である政体のことを独裁制と呼びます。パリ・コミューンは「議会制度なしの民主主義」、独裁的な民主主義の達成だったとして、その点をレーニンは評価します。

この文章を読むときに、代議制度は「のこる」という方を重く見るか、立法と行政の分業としての共和的な制度は「ない」という方を重く見るかで、解釈にずれが生じます。僕はレーニンは制度そのものの継続性をむしろ強調したかったのではないかという気がします。レーニンは何か新しい、人道的で、理想的な統治形態を夢見ていたのではなく、今ある統治システムを換骨奪胎することを目指していた。そして、マルクスもまた既存の制度との継続を目指したしたのだと主張します。

 

「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない。そうではなくて、彼は、古い社会からの新しい社会の誕生、前者から後者への過渡的諸形態を、自然史的過程として研究しているのだ。」(同書、75頁、強調はレーニン)

 

ここで目立つのは「からの」を強調していることです。旧体制と新体制の間には連続性がある。だから、「過渡的諸形態」においては「ありもの」の統治システムを使い回す必要がある。レーニンはそう言いたかったようです。そのためにマルクスも「そう言っている」という無理な読解を行った。

 

「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない。プロレタリアートの独裁の任務についての無理解にもとづくこうした無政府主義的夢想は、マルクス主義とは根本的に無縁なものであり、実際には、人間が今とは違ったものになるときまで社会主義革命を引き延ばすことに役だつだけである。ところがそうではなくて、われわれは、社会主義革命をば現在のままの人間で、つまり服従なしには、統制なしには、『監督、簿記係』なしにはやってゆけない、そのような人間によって遂行しようと望んでいるのだ。」(同書、7677頁、強調はレーニン)

 

レーニンが「監督、簿記係」と嘲弄的に呼んでいるのは官僚機構のことです。プロレタリアート独裁は「服従」と「統制」と「官僚機構」を通じて行われることになるだろうとレーニンはここで言っているのです。「すべての被搾取勤労者の武装した前衛であるプロレタリアートには、服従しなければならない。」(77頁)という命題には「誰が」という主語が言い落とされていますが、これは「プロレタリアート以外の全員」のことです。

これはどう贔屓目に読んでも、マルクスの『フランスの内乱』の解釈としては受け入れがたいものです。

マルクスがパリ・コミューンにおいて最も高く評価したのは、そこでは「服従」や「統制」や「官僚機構」が効率的に働いていたことではなく、逆に、労働者たちが「できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」と考えたからです。新しいものを手作りしなければならないというコミューンの未決性、開放性をマルクスは評価した。誰も服従しない、誰も統制しない、誰もが進んで公的使命を果たすという点がパリ・コミューンの最大の美点だとマルクスは考えていたからです。

 

「コミューンが多種多様に解釈されてきたこと、自分たちの都合のいいように多種多様な党派がコミューンを解釈したこと、このことは、過去のあらゆる統治形態がまさに抑圧的であり続けてきたのに対して、コミューンが徹頭徹尾開放的な政府形態であったということを示している。」(マルクス、前掲書、36頁)

 

マルクスの見るところ、パリ・コミューンの最大の美点はその道徳的なインテグリティーにありました。自らの無謬性を誇らず、「自らの言動を公表し、自らの欠陥のすべてを公衆に知らせた」ことです。それがもたらした劇的な変化についてマルクスは感動的な筆致でこう書いています。

 

「実際すばらしかったのは、コミューンがパリにもたらした変化である! 第二帝政のみだらなパリは、もはやあとかたもなかった。パリはもはや、イギリスの地主やアイルランドの不在地主、アメリカのもと奴隷所有者や成金、ロシアのもと農奴所有者やワラキアの大貴族のたまり場ではなくなった。死体公示所にはもはや身元不明の死体はなく、夜盗もなくなり、強盗もほとんどなくなった。1848年二月期以来、はじめてパリの街路は安全になった。しかも、いかなる類の警察もなしに。(・・・)労働し、考え、闘い、血を流しているパリは、―新たな社会を生み出そうとするなかで、(・・・)自らが歴史を創始することの熱情に輝いていたのである。」(同書、4546頁、強調は内田)

 

「新しい社会を生み出そうとするなかで」とマルクスは書いています。この文言と「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない」というレーニンの断定の間には、埋めることのできないほどの断絶があると僕は思います。

でも、パリ・コミューンの総括において「パリ・コミューンは理想主義的過ぎた」という印象を抱いたのはレーニン一人ではありません。ほとんどすべての革命家たちがそう思った。だからこそ、パリ・コミューンはひとり孤絶した歴史的経験にとどまり、以後150年、その「アヴァター」は再び地上に顕現することがなかった。そういうことではないかと思います。

勘違いして欲しくないのですが、僕はレーニンの革命論が「間違っている」と言っているのではありません。現にロシア革命を「成功」させたくらいですから、実践によってみごとに裏書きされたすぐれた革命論だと思います。でも、マルクスの『フランスの内乱』の祖述としては不正確です。

ただし、レーニンのこの「不正確な祖述」は彼の知性が不調なせいでも悪意のせいでもありません。レーニンは彼なりにパリ・コミューンの悲劇的な結末から学ぶべきことを学んだのです。そして、パリ・コミューンはすばらしい歴史的実験だったし、めざしたものは崇高だったかも知れないけれど、あのような「新しい社会」を志向する、開放的な革命運動は政治的には無効だと考えたのです。革命闘争に勝利するためには、それとはまったく正反対の、服従と統制と官僚機構を最大限に活用した運動と組織が必要だと考えた。

レーニンのこのパリ・コミューン解釈がそれ以後のパリ・コミューンについて支配的な解釈として定着しました。ですから、仮にそれから後、「パリ・コミューンのような政治形態」をめざす政治運動が試みられたことがあったとしても、それは「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない」と断定する鉄のレーニン主義者たちから「空想家」「夢想家」と決めつけられて、舞台から荒っぽく引きずりおろされただろうと思います。

アルベール・カミュは『国家と革命』におけるレーニンのパリ・コミューン評価をこんなふうに要言しています。僕はカミュのこの評言に対して同意の一票を投じたいと思います。

 

「レーニンは、生産手段の社会化が達成されるとともに、搾取階級は廃滅され、国家は死滅するという明確で断固たる原則から出発する。しかし、同じ文書の中で、彼は生産手段の社会化の後も、革命的フラクションによる自余の人民に対する独裁が、期限をあらかじめ区切られることなしに継続されることは正当化されるという結論に達している。コミューンの経験を繰り返し参照していながら、このパンフレットは、コミューンを生み出した連邦主義的、反権威主義的な思潮と絶対的に対立するのである。マルクスとエンゲルスのコミュ―ンについての楽観的な記述にさえ反対する。理由は明らかである。レーニンはコミューンが失敗したことを忘れなかったのである。」(Albert Camus, L'homme révolté, in Essais, Gallimard, 1965, p.633)

 

 

僕はできたら読者の皆さんには『フランスの内乱』と『国家と革命』を併せて読んでくれることをお願いしたいと思います。そして、そこに石川先生がこの間言われたような「マルクス」と「マルクス主義」の違いを感じてくれたらいいなと思います。マルクスを読むこととマルクス主義を勉強することは別の営みです。まったく別の営みだと申し上げてもよいと思います。そして、僕は「マルクス主義を勉強すること」にはもうあまり興味がありませんけれど、「マルクスを読む楽しみ」はこれからもずっと手離さないだろうと思います。

2019年

3月

28日

霧箱 ☆ あさもりのりひこ No.640

放射性物質は、放射線を360度の全方位に向かって放出する。

線香花火の先端から火花が飛ぶように。

この放射線を目で見ることができる装置が「霧箱」である。

 

『霧箱(きりばこ、英語:cloud chamber)は、蒸気の凝結作用を用いて荷電粒子の飛跡を検出するための装置。1897年にチャールズ・ウィルソンが発明した。

過冷却などを用いて霧を発生させた気体の中に荷電粒子や放射線を入射させると気体分子のイオン化が起こり、そのイオンを凝結核として飛跡が観測される。霧箱はウィルソンによって実用化の研究が行われたことから、ウィルソン霧箱とも呼ばれる。』(Wikipediaより抜粋)

 

上の写真が、この「霧箱」である。

放射性物質が、文字通り放射状に飛んでいることが分かる。

 

2011年7月21日から、毎朝、環境放射線量を計っている。

使っている機器は、堀場製作所の「ラディ」。

空気中のガンマ線を計ることができる。

同じ場所で定点観測している。

以下、気になるデータを示す。

数値の単位は1時間あたりマイクロシーベルト(μ㏜/h)である。

 

奈良県橿原市の地表でのガンマ線の1年間の平均値はつぎのとおり、およそ0.066~0.068である。

2011年 0.068149

2012年 0.0671475

2013年 0.067156667

 2014年 0.0668825

  2015年 0.067303333

 2016年 0.067548333

 2017年 0.066878333

 2018年 0.068441667

 

地表でのガンマ線の1か月間の平均値を見ると、0.07を超えたのは2013年8月の0.0708の1回だけだった。

ところが、最近5か月間の1か月平均値はつぎのとおりである。

 2018年11月 0.07026

      12月 0.07229

 2019年 1月 0.06929

2月 0.07265

3月 0.07103(28日まで)

明らかに地表でのガンマ線量が高くなっている。

 

これまでの7年間で、地表でのガンマ線量が0.1を超えた日は、2017年まではつぎの2回だけだった。

 2012年2月7日   雨 0.107

 2013年8月10日  晴 0.188

ところが、2018年以降で地表でのガンマ線量が0.1を超えた日はつぎのとおり6回ある。

 2018年4月15日  雨 0.106

 2018年9月25日  雨 0.101

 2018年11月19日 雨 0.105

 2018年12月12日 雨 0.113

 2019年2月6日   雨 0.100

 2019年2月28日  雨 0.100

この1年間で明らかに増えている。

 

 

以上、いずれも自然放射線の範囲であると思われるが、この4か月間の1か月の平均値が高い理由、この1年間で0.1μ㏜/h以上の日が増えている理由はわからない。

2019年

3月

27日

パリ・コミューンについて(前編) ☆ あさもりのりひこ No.639

僕が歴史について考える時にしばしば採用するアプローチは「どうして、ある出来事は起きたのに、それとは別の『起きてもよかった出来事』は起きなかったのか?」という問いを立てることです。

 

 

2019年3月6日の内田樹さんの論考「パリ・コミューンについて」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

石川康宏さんとの『若者よマルクスを読もう』の三巻目は「フランスにおける内乱」をめぐっての往復書簡だった。

『反抗的人間』を読んでいたら、ぜひ引用したいカミュの言葉が出て来たので、それを数行加筆することにした。

それを含む、パリ・コミューン論を採録する。

 

『フランスの内乱』、読み返してみました。この本を読むのは、学生時代以来50年ぶりくらいです。同じテクストでも、さすがに半世紀をおいて読み返すと、印象がずいぶん違うものですね。

パリ・コミューンの歴史的な意義や、このテクストの重要性については、もう石川先生がきちんと書いてくださっていますので、僕は例によって、個人的にこだわりのあるところについて感想を語ってゆきたいと思います。

 

「コミューン」というのは、そもそもどういう意味なんでしょう。「コミューン」という言葉を学生だった僕はこの本で最初に知りました。そして、たぶん半世紀前も次の箇所に赤線を引いたはずです。

 

「コミューンは本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働者階級の経済的解放を実現するために、ついに発見された政治形態である。」(『フランスの内乱』、辰巳伸知訳、マルクスコレクションVI, 筑摩書房、2005年、36頁、強調は内田)

 

「ついに発見された政治形態」であると断定された以上、それは前代未聞のものであるはずです。僕は素直にそう読みました。なるほど、パリ・コミューンは歴史上はじめて登場した政治形態だったのか。すごいな。それなのに反動的なブルジョワたちから暴力的な弾圧を受けて、徹底的に殲滅されて、多くのコミューン戦士は英雄的な死を遂げた。気の毒なことをしたなあ・・・。そう思いました。それくらいしか思いませんでした。でも、さすがにそれから半世紀経つと感想もずいぶん違うものになります。

僕が気になったのは、パリ・コミューンがマルクスの時代において「ついに発見された」前代未聞のものであったことはわかるのですが、それに続くものがなかったということです。

パリ・コミューンからすでに150年を閲しましたけれど、パリ・コミューンのような政治形態はそれを最後に二度と再び地上に現れることはありませんでした。それはなぜなのでしょう。

もし、パリ・コミューンがマルクスの言うように、1870年時点での革命的実践の頂点であったのだとしたら、その後も、パリ・コミューンを範とした革命的実践が(かりに失敗したとしても)世界各地で、次々と試みられてよかったはずです。でも、管見の及ぶ限りで「この政治形態はパリ・コミューンの甦りである」とか「この政治形態はパリ・コミューンが別の歴史的条件の下でいささか相貌を変えて実現したものである」というふうに名乗る事例を僕は一つも知りません。「われわれの戦いはパリ・コミューンを理想としてしている」と綱領的文書に掲げた政治運動や政治組織も僕は見たことがありません。

変な話だと思いませんか?

かのマルクスが、「ついに発見された政治形態である」と絶賛した究極の事例について、それを継承しようとした人たちも、未完・未済のものであったがゆえにその完成をこそ自らの歴史的召命として引き受けようとした人たちも、1871年から後いなかった。どうして、パリ・コミューンという政治的理想をそれからのちも全力で追求しようとした人たちは出てこなかったのか? 

少なくともそれ以後フランスには「パリ・コミューン的なもの」は二度と登場しません。フランスでは、1789年、1830年、1848年、1871年と、比較的短いインターバルで革命的争乱が継起しました。いずれも、その前に行われた革命的な企てを引き継ぐものとして、あるいは先行した革命の不徹底性を乗り越えるものとしてなされました。でも、1871年のパリ・コミューンから後、パリ・コミューンを引き継ぎ、その不徹底性を批判的に乗り越える革命的な企てを構想した人は一人もいなかった。

1944年8月25日のパリ解放の時、進軍してきた自由フランス軍に中にも、レジスタンスの闘士たちの中にも、誰も「抑圧者が去った今こそ市民たちの自治政府を」と叫ぶ人はいませんでした。1968年には「パリ五月革命」と呼ばれたラディカルな政治闘争がありましたが、その時に街頭を埋め尽くしたデモの隊列からも「今こそ第五共和政を倒して、パリ・コミューンを」と訴える声は聴こえませんでした。少しはいたかも知れませんが(どんなことでも口走る人はいますから)、誰も取り合わなかった。

今も「パリ・コミューン派」を名乗っていて、少なからぬ力量を誇っている政治組織が世界のどこかにはあるかも知れませんけれど、寡聞にして僕は知りません(知っている人がいたらぜひご教示ください)。

これはどういうことなのでしょう。なぜ「ついに発見された政治形態」は後継者を持ちえなかったのか?

以下はそれについての僕の暴走的思弁です。

 

「マルクスとアメリカ」でも同じ考え方をご披露しましたけれど、僕が歴史について考える時にしばしば採用するアプローチは「どうして、ある出来事は起きたのに、それとは別の『起きてもよかった出来事』は起きなかったのか?」という問いを立てることです。

このやり方を僕はシャーロック・ホームズから学びました。「起きたこと」からではなくて、「起きてもよかったはずのことが起きなかった」という事実に基づいて事件の真相に迫るのです。「白銀号事件」でホームズは「なぜあの夜、犬は吠えなかったのか?」というところからその推理を開始します。なぜ起きてもよいことが起きなかったのか?

(...)

なぜパリ・コミューンはマルクスによって理想的な政治形態と高く評価されたにもかかわらず、それから後、当のマルクス主義者たちによってさえ企てられなかったのか?

それに対する僕の仮説的回答はこうです。

パリ・コミューンはまさに「ついに発見された政治形態」であったにもかかわらずではなく、そうであったがゆえに血なまぐさい弾圧を呼び寄せ、破壊し尽くされ、二度と「あんなこと」は試みない方がよいという歴史的教訓を残したというものです。

パリ・コミューン以後の革命家たち(レーニンもその一人です)がこの歴史的事実から引き出したのは次のような教訓でした。

パリ・コミューンのような政治形態は不可能だ。やるならもっと違うやり方でやるしかない。

パリ・コミューンは理想的に過ぎたのでした。

それは『フランスの内乱』の中でマルクスが引いているいくつもの事例から知ることができます。マルクスが引いている事実はすべてがヴェルサイユ側の忌まわしいほどの不道徳性と暴力的非寛容と薄汚れた現実主義とコミューン側の道徳的清廉さ、寛大さ、感動的なまでの政治的無垢をありありと対比させています。どちらが「グッドガイ」で、どちらが「バッドガイ」か、これほど善悪の対比がはっきりした歴史的出来事は例外的です。少なくともマルクスは 読者たちにそういう印象を与えようとしていました。

ティエールは国民軍の寄付で調達されたパリの大砲を「国家の財産である」と嘘をついてパリに対して戦争をしかけ、寄せ集めのヴェルサイユ兵を「世界の称賛の的、フランスがこれまで持った最もすばらしい軍隊」と持ち上げ、パリを砲撃した後も「自分たちは砲撃していない、それは叛徒たちの仕業である」と言い抜け、ヴェルサイユ軍の犯した処刑や報復を「すべて戯言である」と言い切りました。一方、「コミューンは、自らの言動を公表し、自らの欠陥をすべて公衆に知らせた」(同書、44頁)のです。

マルクスの言葉を信じるならまさに「パリではすべてが真実であり、ヴェルサイユではすべてが嘘だった」(同書、46頁)のでした。パリ・コミューンは政治的にも道徳的にも正しい革命だった。マルクスはそれを讃えた。

でも、マルクス以後の革命家たちはそうしなかった。彼らはパリ・コミューンはまさにそのせいで敗北したと考えた。確かに、レーニンがパリ・コミューンから教訓として引き出したのは、パリ・コミューンはもっと暴力的で、強権的であってもよかった、政治的にも道徳的にも、あれほど「正しい」ものである必要はなかった、ということだったからです。レーニンはこう書いています。

 

「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧することは、依然として必要である。そして、コンミューンにとっては、このことはとくに必要であった。そして、コンミューンの敗因の一つは、コンミューンがこのことを十分に断固として行わなかった点にある。」(レーニン、『国家と革命』、大崎平八郎訳、角川文庫、1966年、67頁)

 

レーニンが「十分に、断固として行うべき」としたのは「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧すること」です。ヴェルサイユ軍がコミューン派の市民に加えたのと同質の暴力をコミューン派市民はブルジョワ共和主義者や王党派や帝政派に加えるべきだった、レーニンはそう考えました。コミューン派の暴力が正義であるのは、コミューン派が「住民の多数派」だからです。

 

「ひとたび人民の多数者自身が自分の抑圧者を抑圧する段になると、抑圧のための『特殊な権力』は、もはや必要ではなくなる!国家は死滅し始める。特権的な少数者の特殊な制度(特権官僚、常備軍主脳部)に代わって、多数者自身がこれを直接に遂行することができる。」(同書、67-8頁、強調はレーニン)

 

 

少数派がコントロールしている「特殊な権力」がふるう暴力は悪だけれど、国家権力を媒介とせずに人民が抑圧者に向けて直接ふるう暴力は善である。マルクスは『フランスの内乱』のどこにもそんなことは書いていません。でも、レーニンはそのことをパリ・コミューンの「敗因」から学んだ。

2019年

3月

26日

まもなくシェルターが完成する近鉄八木駅前南側

 

本日は事務局が担当です。

 

今日は良い天気で、当事務所のビル1階玄関先のチューリップのつぼみもかなり膨らんできました。

 

今週に入り、桜の開花の報せも入ってきて、いよいよ春本番がやってきそうですね。 

そして近鉄八木駅前南側では、昨年秋に、このブログでもお知らせしましたミグランス(橿原市役所の分庁舎)から近鉄八木駅までの間で歩道上の屋根(工事ではシェルターと表示されています)が、まもなく完成します。

この完成により、雨や雪の日には殆ど傘をささずに、夏の陽ざしの強い日には陽ざしを避けて、近鉄八木駅からミグランスへ行けるようになります。

 

但し、あたらしく設けられた横断歩道で道路を渡る時だけが屋根がありません。

以前にできた屋根よりは幅が広いので、風雨の強いときも少しましかなとは思います。

 

次は、何が新しく近鉄八木駅南側にできるでしょうか?

まだまだ空き地がありますので、今後に期待したいと思います。