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2021年
1月
20日
水
人間たちはまったく新しいことをしているつもりでいるときに「過去の亡霊」を呼び出し、過去の「スローガンや衣装を借用」する
2020年12月30日の内田樹さんの論考「アメリカ大統領選を総括する」(後編)をご紹介する。
どおぞ。
トランプがあれほど支持された理由の一つは彼がまさに「アメリカン・ドリームの体現者」のように自己演出して、それに成功したせいだと思います。それが人々を惹きつけた。そして、よく考えればわかりますが、アメリカン・ドリームというのは、社会的平等の実現と食い合わせが悪いんです。
あまり知られていないことですけれど、アメリカは19世紀末までは世界の社会主義運動の中心地でした。そもそもは1848年のヨーロッパ各国での市民革命に失敗した自由主義者や社会主義者たちが祖国の官憲の弾圧を逃れて、アメリカやオーストラリアに移民したことから始まります。彼らは「48年世代(forty-eighters)」と呼ばれました。他の移民と違って、その多くが高学歴で、高度専門職を持ち、そしてそれなりに金も持って移民してきた。だから、移民した先でもコミュニティを創り上げ、ただちにさまざまな事業を興して、成功した。もともとリベラルな人権派ですから、当然のようにリンカーンの奴隷解放政策を熱烈に支持しました。そして、南北戦争が始まるとその多くは義勇軍として北軍に身を投じて戦った。
これまであちこちで書いていることですけれど、カール・マルクスがニューヨークのドイツ語誌「革命」のために『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を書いたのは、1852年のことです。それを読んだ「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」のオーナーのホレース・グリーリーがロンドンのマルクスに「ロンドン特派員」のポストをオファーしました。生活に困っていたマルクスはこのオファーに飛びついて、以後10年間にわたって400本以上の記事を書き送りました。うちいくつかは無署名で「トリビューン」の社説として掲載されました。「トリビューン」はニューヨークの人口が50万人だった当時に発行部数20万部を誇る超メジャーなメディアでした。「トリビューン」を通じて、ニューヨークの知的読者たちは南北戦争前の10年間、ほぼ10日に1本ペースでマルクスの書く政治経済の分析記事を読み続けたのです。マルクスはイギリスのインド支配、アヘン戦争、アメリカの奴隷制などについて、同時代の政治的問題について健筆を揮いました。南北戦争前の北部の政治的意見の形成にマルクスはダイレクトにかかわっていたのです。
アメリカで最初のマルクス主義政治組織「ニューヨーク・コミュニスト・クラブ」が創建されたのは1857年です。73年には第一インターナショナルの本部がロンドンからニューヨークに移転してきます。
つまり、南北戦争をはさんだ30年間くらいというのは、アメリカは言論の面でも、組織や運動の面でも、世界の社会主義のセンターだったのです。もちろん、彼らの最優先の課題は「平等の実現」です。階級格差の廃絶、人種差別の廃絶、そして男女平等の実現がアメリカ社会主義のスローガンでした。このままゆくと、1880~90年代にアメリカでは世界で最も早く社会的平等が実現するかに思えました。ところがそうならなかった。アメリカでは1870年代にぴたりと労働運動・市民運動の思想的・組織的進化が止まってしまう。「アメリカン・ドリーム」のせいです。
1862年に、リンカーンによってホームステッド法が制定されました。国有地に5年間定住して、農業を営んだ者には160エーカーの土地が無償で与えられるという法律です。この法律のおかげで、ヨーロッパで小作農や賃金労働者だった人たちが自営農になるチャンスをめざしてアメリカに殺到しました。これによってアメリカの西部開拓は可能になったのです。
1848年のカリフォルニア・ゴールドラッシュ以来多くの貧者が「一山当てる」ことをめざして西へ向かいました。1901年にはスピンドルトップで石油が噴き出した。アメリカの大地には無尽蔵の自然資源が埋蔵されているように見えました。チャンスに恵まれれば、極貧の労働者が一夜にして富豪になるということが実際に起きたのです。この時代を「金ぴか時代」(the Gilded Age)と呼びます。「鉄道王」とか「石油王」とか「鉄鋼王」とか「新聞王」とかが相次いで登場したのはこの頃です。昨日まで自分の隣で一緒に働いていた貧しい労働者が、おのれの才覚と幸運だけで「王」のような御殿に暮らして、贅沢の限りを尽くしている。そういう実例を見せつけられていると、「鉄鎖の他に失うべきものを持たないプロレタリア」を組織して、雇い主と戦って雇用条件を引き上げようというような「たらたらしたやり方」に耐えられないという労働者が出てきても不思議はありません。そうやって人々を夢見心地にさせた「アメリカン・ドリーム」のせいでアメリカの社会主義労働運動は、支え手を失って短期間のうちに空洞化したのでした。
ですから、アメリカン・ドリームの体現者であるトランプが、ヨーロッパ的な社会民主主義を体現するサンダースと不倶戴天の敵同士であるというのは、「金ぴか時代」のドラマを再演しているという意味ではまことに興味深い光景なのです。
マルクスは『ブリュメール18日』で、人間たちはまったく新しいことをしているつもりでいるときに「過去の亡霊」を呼び出し、過去の「スローガンや衣装を借用」すると書いています。その通りだと思います。今もまたアメリカ人たちは、遠い昔に誰かが使った台詞を繰り返し、埃を払って古い衣装に手を通しているのです。
2021年
1月
19日
火
本日は、事務局担当日です。
さて、先週金曜日15日で「松の内」が終わり、お正月気分を吹っ切り、本格的に新年の始動をされていると思います。
新年にあたり、今年の抱負は、と尋ねたら、コロナ禍の中で、多くの方がコロナウィルス感染防止とこの状況をいかに乗り切るかで頭が一杯のお方も多いのではと思います。
この様な状況でこそ、目標と抱負をしっかりと立てることが大事だと思います。
ところで、皆さんは目標と抱負の意味を区別できていますか?
私も従前一緒にしがちでしたが、先日、知人に指摘され、あらためて認識しました。
目標とは、具体的に達成したい事柄で、マラソンならゴールの様なものでしょうか。
抱負は、目標達成の為の具体的な計画と思えば良いと思います。
例えば、1500メートル走を4分台で走りたいと目標を立て、その為に毎日1時間走り込むという抱負を決めるといったように。
目標と抱負を持ち、それに向かって行動することは、日々の気持ちをポジティブにできると思います。
気持ちが、ポジティブになれば、日々頑張る気持ちが湧き、毎日が充実し、楽しくなってくると、かなり以前ですが大学の心理学の先生に教わりました。
私は年始に、それを思い出し、目標を立てます。
しかし、去年からのコロナ禍の様な不可抗力など様々な原因で、目標達成が難しくなることもあると思います。
その様な時には、ダメだと思わず柔軟に目標を修正・変更することも必要だと思います。
例えば、目標を達成する時期を先にするとかして。
そして、目標に向かって、毎日を前向きに過ごして下さい。
今年は、牛年です。慌てずにボツボツと進み、確実に目標を達成しましょう!
2021年
1月
18日
月
自由の獲得は「人間の仕事」であるけれど、平等の達成は「神さまの仕事」である
2020年12月30日の内田樹さんの論考「アメリカ大統領選を総括する」(前編)をご紹介する。
どおぞ。
ある媒体にインタビューを受けて、アメリカ大統領選について総括的なコメントをした。少し言い足りないところがあったので、それを追加して、前半だけ採録しておく。
当選確定後、バイデンは自分に投票しなかったトランプ支持者にもひとしく配慮すると約束しました。トランプに投票した人は7380万人。浮動票を除いてもトランプのコアな支持者が今もアメリカ国内には数千万人いるということです。バイデンは彼らの立場や要求にも配慮しながら統治を進めなければいけない。困難な仕事になると思います。
それはアメリカ社会はどのようなものであるべきかについて、その「アイディア」によって現在の国民的分断がもたらされているからです。僕はそれを「自由」と「平等」のどちらをアメリカの本質的な理念に掲げるか、その選択の違いによるものではないかと考えています。それについて少し説明します。
まず第一に確認して欲しいことは、そもそもアメリカの建国理念が最も重んじたのは市民の自由であって、市民の平等ではなかったということです。
独立宣言には「すべての人間は平等に創造され、創造主によって生命、自由、幸福追求の権利など奪うことのできない権利を付与されている」と書かれています。よく読むとわかりますが、平等であることは自然権には含まれていません。つまり、合衆国の公権力は「生命、自由、幸福追求の権利」については国民にこれを保証しなければならないけれども、平等の実現は必ずしも政府の仕事とは考えられていないということです。
ですから、1787年制定の合衆国憲法も、その修正条項(いわゆる「権利章典」)にも、「自由を保障する」ことは繰り返し確認されていますけれど、「平等を達成する」という文言はどこにもありません。
それは自由の獲得は「人間の仕事」であるけれど、平等の達成は「神さまの仕事」であると考えられているからです。人間たちは創造主によってすべて平等に創造された。それからあとひとりひとりが自由に生き、それぞれに創意工夫を凝らして、競争し、その結果として社会的格差が生じたのだとしたら、それは少しも悪いものではない。
アメリカ社会においては、「社会的なフェアネス」とは、あくまで個人の市民的自由の行使を妨げないことであって、全体の平等を実現することではありません。統治理念でありながら、自由と平等では、その位置づけがまったく違うこと、人間たちにとっての優先順位がまったく違うこと、そのことを踏まえておかないと、アメリカで今起きている国民的分断の理由が理解できないと思います。というのは、アメリカにおける国民的分断はつねに「自由」と「平等」のどちらを優先させるかというきわめて原理的な対立スキームの中で起きて来たからです。
独立宣言が発布されてから奴隷解放令まで80年以上かかりました。公民権法の制定まではさらに100年かかった。それでも人種差別はなくなっていません。今もブラック・ライブズ・マター運動が平等の実現を訴えている。建国以来250年経っても市民的平等が実現していないということは、平等の実現はアメリカ建国の目標ではないと考える多数の市民が存在するということを意味しています。
平等の実現は、公権力が富裕層や権力者に対して強権的に介入して、彼らの財産や権力の一部を取り上げて、それを貧者・弱者に再分配するというかたちでしか実現しません。自由を最優先する人たちにはこれが許せないのです。自助努力を通じて獲得した資産や権力を、何が哀しくて、努力もせず、才能もない人間たちと分かち合わなければならないのか。それは建国理念がめざす市民的自由の侵害である、と。そう考える人たちは、自分たちこそアメリカの建国理念に忠実なのだと考えています。
アメリカに公教育が導入されたときも、フランクリン・ルーズベルト大統領の「ニューディール」政策が実施されたときも、オバマ大統領のオバマケアが制定されたときも、つねに「それは社会主義だ」「非アメリカ的」だというはげしい批判が右派からなされました。公権力が介入して平等を実現することは「間違っている」と確信している人たちがアメリカにはそれだけいるのです。
それでも、アメリカ市民たちは、今回のパンデミックで、感染症を抑制しようと望むなら全国民が等しく良質な医療を受けられる体制を整備する以外に手立てがないということは、理屈ではわかったはずです。でも、理屈ではわかっても、身体が受け付けない。
それは、アメリカでは久しく「医療は商品」だと考えられていたからです。金のあるものは良質な医療が受けられる。金のないものは受けられない。それが「フェア」だと多くの人々は信じてきた。医療は不動産や自動車や宝石と同じような「高額の商品」である、と。それが「欲しい」という場合に、手持ちの金が足りないので、差額を税金で補填してくれと言い出したら、周りの人は怒り出すでしょう。そんなものは自分の金で買え、と。
医療も同じように考えられている。お前が医療を受けて病気を癒し、健康な身体になった場合、医療はお前の自己利益を増大させたことになる。だったら受益者負担のルールに従って、医療が受けたければ身銭を切って手に入れろ。他人の金を当てにするんじゃない、と。
たしかに、一般の疾病だったら、その理屈が通る。でも、感染症は違います。今回新型コロナウイルスに感染して入院した患者に、退院後1000万円が請求されたというようなニュースがありました。アメリカで医療に携わってきた友人たちに訊くと、そんなのは日常茶飯のことだそうです。アメリカには今2750万人の無保険者がいます。彼らはたとえ感染の疑いがあっても、怖くてとても診療なんか受けられない。だから、感染しても、隔離もされず、治療もされずに放置される。そのグループがいつまでも感染源として社会にとどまり続ける。
誰でも経済的な不安なしに診療を受けられる体制を整備しない限り、感染は永遠に終わりません。アメリカが世界最高の医療テクノロジーを持ちながら、感染者数、死者数とも世界最多であるのはそのせいです。
もちろん、ビル・ゲイツのように私財を寄付するという人はいます。でも、それはあくまでビル・ゲイツの自由意思に基づく行為であって、彼が富裕層に向かって「君たちも寄付しなさい」と命じる権利はない。再分配は公権力によってではなく、私人の慈善によってなされるべきであるというのがアメリカの常識です。たしかに、財団とか教会とかが行う慈善活動のスケールは桁外れの規模のものですけれども、それでも、平等の実現のために身銭を切るという仕事はあくまで「私事」とみなされている。
2021年
1月
15日
金
反知性主義というのは「他人から知的に誠実な人だと思われるために努力する気がない」という心的傾向のことです。
2020年12月29日の内田樹さんの論考「『日本戦後史論』文庫版あとがき」をご紹介する。
どおぞ。
白井聡さんとの対談本、『日本戦後史論』が朝日文庫から文庫化された。その「あとがき」を採録。
みなさん、こんにちは。内田樹です。
本書は2015年に出た白井聡さんとの対談集の文庫化です。もう5年も前になるんですね。時評的な本が5年後に文庫化されるというのは、かなり珍しいことだと思います。5年前の政治的トピックをめぐって書かれた本がいまもまだリーダブルであるとするとそれを説明する仮説は二つ考えられます。
一つは、日本の政治状況が5年前から変化していないということ。もう一つは、僕たちが話していることが速報性とも時事性ともあまり関係がなかったということ。さて、どちらでしょう。
日本の政治状況が5年前から変わっていないというのは、たしかにありそうな話です。単行本が出た5年前は第二次安倍政権のときでしたが、そのときの官房長官がいまの総理大臣です。独裁、ネポティズム、対米従属、新自由主義、反知性主義という政権の「後進国的」体質は総理大臣が変わっても、ほとんど変化しませんでした。むしろ反知性主義的な傾向は一層強化されているような気がする。
反知性主義という言葉を使うと、たちまちこめかみに青筋を立てた人たちがわらわらと登場してきます。そして、「オレのことを言っているのか」とか「お前はいかなる資格があって、他人を知性的・反知性的だと区別できるつもりでいるんだ」と怒り出します。「反知性主義者」というのは、こういう人たちを「釣る」絶好のルアーみたいですね。でも、別に僕はそれほど論争的なことを言っているつもりはないんです。
反知性主義というのは「他人から知的に誠実な人だと思われるために努力する気がない」という心的傾向のことです。それだけです。別に頭が悪いとか無知だとか言っているわけじゃありません。スマートで博識な反知性主義者なんていくらでもいます。
「知的誠実さ」というのは、嘘をつかない、首尾一貫性を重んじる、論理的に思考するなどいろいろなかたちで示されますけれど、一番際立った特徴は「論拠を示して説得されれば、素直に誤りを認めて、自説を撤回する」ことです。
ただし、このような態度は、謙虚であるとか度量があるとかいう個人の属性とはとりあえず関係がありません。関係があるのは一つだけ。それは「知性的/科学的」であろうとしているかどうかということです。
科学的な人は、きちんと反証されれば、誤りを認める。科学的でない人は、それができない。知性と反知性の違い、科学と非科学の違いはつきつめて言えばそれだけです。
嘘つきであったり、論理的に思考できなかったり、絶対に間違いを認めない人って、実際に世の中にはよくいます。そういう人が政治家やビジネスマンやジャーナリストとして輝かしい成功を収めることはよくあります。でも、そういう人には国の命運を決する重要な政策選択の場にはできたらいて欲しくないと僕は思っています。
どうして「自説を撤回する能力」がこれほど重要なのか、それについて僕が最も納得しているのはカール・ポパーの説明です。
「知識は無から-白紙の状態(タブラ・ラサ)から出発するのでもなければ、観察から出発するのでもない。知識の進歩というのは、主として、それ以前の知識の修正によって成り立つ。」(「知識と無知の根源について」、『推測と反駁』、藤本隆志他訳、法政大学出版局、1980年、49頁)
知識の進歩というのは「それ以前の知識の修正」によって成り立つ。当たり前のことのようですけれど、それがなかなか当たり前とは言えないのがつらいところです。というのは、なんらかの「究極の真理」がどこかにあって(神の摂理でも、絶対精神でも、歴史を貫く鉄の法則性でも)、その秘儀に参入した人間はあらゆる言明の真偽をただちに検証できる・・・という考え方をする人がたいへん多いからです。人口比で言ったら、たぶん圧倒的にそちらの方が多いと思います。でも、ポパーはにべもなくそういう人たちは「科学的ではない」としたのです。ポパーが科学的言明の唯一の条件としたのは修正され得ること、すなわち「反証可能性(falsifiability)」です。
反証事例を以て反証することができない言明はその真偽にかかわらず科学的ではありません。例えば「神は存在する」は科学的言明ではありません。論証することができないからではなく、反証することができないからです。科学的か非科学的かの判別は真偽の判定とは違う水準のできごとです。仮説が反証可能なかたちで提出されているかどうか、それだけが科学性のチェックポイントです。どのような反証事例が提示されても、術語の解釈が違うとか、誤差の範囲であるとか、あれこれ言い逃れをする人は、仮にその人が主張していることが正しくても、非科学的な人間と見なさなければなりません。
「『科学的客観性』と呼ばれるものは、科学者個人の不党派性の産物ではなく、科学的方法の社会的あるいは公共的性格の産物であり、仮に科学者個人の不党派性というものがあるとしたら、それはこの社会的・制度的に組織された科学の客観性の起源ではなく、むしろ帰結である」(Karl Popper, The Open Society and its enemies 2, Princeton University Press, 1961,p.220)。
間然するところのない定義だと思います。科学者が個人として中立的で、不偏不党であり得るとしたら、それは本人が「私は中立的だ。いかなる党派的なものにも与しない」とうるさく主張するからではありません。そうではなくて、おのれの仮説の正否の検証は、自分が行うものではなく、公共的なある場に差し出して、その判定に委ねるということを誓言しているからです。
ポパーが「科学的方法の社会的あるいは公共的性格(the social or public character)」と呼ぶものは「場に対する信認」と言い換えることもできます。「場」といってもいいし、「対話的環境」と言ってもいい。複数の人たちが参加して、それぞれのしかたで世界を眺め、それぞれが違うことを考えているときに、その人たちと対話し、自説の可否の検証を彼らとともに形成する「場」に委ねること、それが科学的であるためのただ一つの条件です。
そう考えると、今の政治家の言葉やメディアやSNSで行き交う言葉には「科学性が欠けている」と僕が思うのも不思議はないと思います。「日本の政治状況は5年前からあまり変わっていない」という気がするのは、この反知性主義的傾向が社会生活の全領域でまったく改善されていないからでしょう。
第二の仮説も同時に成立しそうです。つまり、5年前に僕と白井さんが熱く論じていたのは、多少時間が経ったくらいでは変わることのない日本社会に固有の「痼疾」についてだったということです。
たしかに、僕たちが個別の政治的事件について「こんなことが起きた」ということをただ羅列的に語っていただけなら、そういうものは5年後にはほとんどリーダビリティがなくなっていたでしょう。もし今でもまだこの本にリーダビリティがあるのだとすれば、それは僕たちが一つ一つの出来事についてではなく、そのような出来事を繰り返し生み出さずにはいない日本社会の構造を見出そうとしていたからではないかと思います。
もちろん、戦後日本全体について、そのような構造を掘り起こすのは一人や二人の人間が果たせる仕事ではありません。長期にわたる、集団的な学的営為によってはじめてなしうる事業です。そういう大勢の人たちとの共同作業の中で、僕たちの本が一つの「煉瓦」として、どこかの壁の穴を埋めたり、どこかの柱の補強材になったりして役に立つことができたのだとしたら、それだけでもたいへん光栄なことだと思います。
最後になりましたが、つねにその知的な熱さで僕をインスパイアしてくれた白井聡さんに感謝と敬意を表したいと思います。これからもどうぞ老骨をご指導ご鞭撻ください。また最初にこの企画を立ててくれた徳間書店の崔鎬吉さん、文庫化を進めてくれた長田匡司さんのご尽力にもこの場を借りて感謝いたします。どうもありがとうございました。
2021年
1月
14日
木
2020年12月17日(木)夜、寝入ったところで右の脹ら脛が攣った。
12月18日(金)、休足したが、右脹ら脛は痛い。
12月19日(土)トライアルマラソン、5時間08分02秒、42.195キロ。
5時間を切ることはできなかったが、自己ベストを9分更新した。
12月20日(日)~25日(土)、フルマラソンで使った身体を回復させるために7日間休足した。
12月27日(日)午前、ジョギング、1時間21分26秒、11.3㎞。
フラマラソン後の休足を経て、ランニングを再開した。
1週間ぶりにゆっくり走ったが、後半、脚が重く感じた。
12月28日(月)夜、トレッドミルでペース走、30分、4.5㎞。
傾斜2%、時速9.2㎞(1㎞6分30秒)。
最後の5分を長く感じた。
12月29日(火)早朝、ジョギング、41分01秒、6.3㎞。
だいぶ戻ってきた。
12月30日(水)午前は雨、午後は強風のため休足。
12月31日(木)午前、ペース走、1時間11分17秒、11.3㎞。
2020年の走り納め。
1年間で走った時間は、合計244時間12分31秒。
1年間で走った距離は、合計2129.3㎞。
いやぁ、よく走りました。
2021年1月1日(金)早朝、ペース走、1時間09分12秒、11.3㎞。
この行程での自己ベストを更新した。
夜明け前に走り出して、初日の出を浴びて走った。
2021年の走り初め。
1月2日(土)、休足。
1月3日(日)午前、稲渕から飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社(あすかのかわかみにますうすたきひめのみことじんじゃ)の階段552段を駆け上がる。
1時間39分03秒、14.8㎞。
初詣である。
1月4日(月)早朝、ペース走、1時間10分33秒、11.4㎞。
余裕を持って1㎞6分で走ることができる。
1月5日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走、30分、4.7㎞。
1㎞6分30秒、6分15秒、6分の速度で10分ずつ走った。
1月6日(水)早朝、インターバル走、1時間11分49秒、11.6㎞。
久しぶりにインターバル走をしたが、思うように走れなかった。
スピード練習に身体が馴染んでいない。
1月7日(木)早朝、ペース走と階段598段、1時間18分25秒、12㎞。
1月8日(金)、冷え込みと強風のため休足。
1月9日(土)、冷え込みと左腰の筋を軽く痛めたので休足。
1月10日(日)、休足
1月11日(月・祝)、疲れが出て、回復のために休足。
これで4日間休んだことになる。
1月12日(火)夜、トレッドミルでペース走、30分、4.5㎞、傾斜2%。
1月13日(水)早朝、ジョギングの後、ウインドスプリント200m10本、1時間01分53秒、9.2㎞。
ジョギングは、41分39秒、6.4㎞。
ウインドスプリントは、1㎞あたり5分10秒、5分01秒、5分14秒、4分46秒、4分37秒、4分27秒、5分00秒、4分23秒、4分23秒、4分20秒で、最後の10本目が一番速かった。
1月14日(木)早朝、階段2144段駆け上がり、1時間05分32秒、6.8㎞。
2021年
1月
13日
水
一見するとランダムで無意味に見える事象の背後に整然とした秩序があることを直観することから知性の活動は始まります。
2020年12月29日の内田樹さんの論考「自由学園創立100周年に寄せて」をご紹介する。
どおぞ。
自由学園創立100周年おめでとうございます。
自由学園の教育活動の魅力について何かコメントをというご依頼を受けたので、思いつくことを書くことにします。
僕が自由学園を訪れたのは一度だけです。そのときに園長先生から自由学園の沿革や教育理念についてうかがい、構内をご案内頂いて、建物を一つ一つ見て歩き、生徒さんたちとお昼ご飯をご一緒して、高校生たちを前に短い講演をしました。
そのときには自由学園の「魅力」について話したわけではありません(見たばかりで、よく知らないし)。それよりは、このような伝統ある教育機関で学ぶことの例外的な利点についてお話しました。そのときに話したことを思い出して再録して、それを以てお祝いの言葉に代えたいと思います。
今日うかがってみてわかりましたけれど、自由学園にはたくさんの伝統や決まりごとがあります。その中には大人には意味がわかっても、生徒さんたちには意味がわからないものがあります。僕はそれがこの学園の一番の教育的な「資産」だと思いました。
みなさんにお願いしたいのは、それを「自分には無意味に思えるけれど、決まりだから」というだけの理由で批判を手控えて従ってはならないということです。もし無意味だと思ったら、「無意味じゃないか」とまずごねてみてください。
「ごねない」子ども、協調性・順応性の高い子どもは大人には喜ばれますけれど、みなさんは「ごねない子ども」にはならないでください。まず「意味わかりません」とごねてみる。そして、「君たちにはわからないかも知れないけれど、実はこの決まりごとには深い意味があるのだ」と大人が応じてきたら(きっとそうしてくれるはずです)、まずその「深い意味」とは何かについて自分で考えてみる。
まず自分で考えてみること、それがとてもたいせつなんです。先生たちや大人たちが「これはね・・・」と教えようとしたら、それを制して「ちょっと待って。言わないでいいです。自分で考えてみますから」と言ってみてください。
自分の眼には無意味な因習に見えるけれども、もしかすると、その背後には深い知恵がひそんでいるのかもしれない。一応そう仮説してみる。
これはとてもたいせつな知性の使い方です。一見するとランダムで無意味に見える事象の背後に整然とした秩序があることを直観することから知性の活動は始まります。「すべての知性の活動は」と言い切ってもいいくらいです。その点では科学的知性も宗教的知性も成り立ちは同じです。そして、たぶん自由学園はその二種類の知性を開発することを教育目的に掲げているはずです。僕はそう感じました。
科学的知性は一見ランダムに生起しているように見える自然現象の背後に整然たる数理的秩序があると直感するところから始まります。宗教的知性は一見ランダムに生起しているように見えるすべての出来事の背後に「神の摂理」を直感するところから始まります。だから、しばしば卓越した科学者が深い信仰の持ち主でもあるということが起きます。知性のはたらきは必ずこの直感に導かれます。「ランダムに見えるものは結局ランダムなのだ」という思い切りはちょっと目にはクールでリアルに見えますけれど、知性的には成長を止めることです。
もう一度申し上げますけれど、学園の定める規則や制度について、「無意味だな」と内心思いながら、「決められたこと」という理由で無批判に従ってはいけません。そういうことができる人を「無意味耐性が高い」と僕は呼んでいます。そういう子どもは大人にはほめられます。無意味な勉強でもがまんしてやりますから、たぶん成績もいい。でも、その代償に大きなものを失います。
どんな無意味に見える因習でも、その多くは制度設計された時点では「よきもの」をめざしていたのです。はじめから子どもたちを苦しめてやろうと思って制度設計するような教育者はいません。でも、「よきもの」をめざした制度や規則がいつの間にか形骸化・惰性化してしまって、初発の目的が見えなくなることはよく(すごくよく)あります。
ですから、みなさんには「こんなの無意味じゃない?」という疑いから出発しても「無意味だからただちに廃止」というふうにすぐに結論に飛びつかないで欲しいのです。そうではなくて、「これらの仕組みはその始点においてはどのような『よきこと』を実現しようとして計画されたのか?」を問うて欲しい。それが「無意味に見える事象の背後にある秩序」を探求するということです。そのようにしてはじめて知性は起動する。
ものごとの起源にまで遡り、それらの制度が発生時点でどのような「よきもの」をめざして設計されたものであるかがわかったら、次の仕事は、それと同じ「よきもの」を実現するためには今ここにおいては何をすればいいのかを考えることです。今、ここにある手持ちのリソースでも、できることがきっとあるはずです。それがみなさんの仕事です。
決まっていることに無批判に従うのは思考停止です。でも、無意味だからただちに廃止せよというのも別のかたちの思考停止です。それよりはこの学校を作った人たちが何を実現しようとして「こんなこと」を規則としたのか、「こんな」制度を思いついたのか、それを自力で考えて欲しいと思います。そして、この学舎を創建した先人たちが「成し遂げようとしていたこと」を自力で、できたら今ここで、かたちにして欲しいと思います。あくまで「できたら」です。「今ここで」ではなくてもいいです。もっと時間がかかっても、ここではない場所でも構いません。それが、みなさんの知性と感情を豊かにするためにとてもたいせつなことだと僕は思います。
そういうかたちで繰り返し「伝統を再び活性化する」こと、ときどき消えかけてしまう灯に新しい息を吹き込むことが自由学園のような長い伝統を持つ教育機関に学ぶみなさんの義務でありまた権利でもあります。みなさんの成長を心から願っています。がんばってください。
2021年
1月
12日
火
みなさんこんにちわ。
本日は事務局担当日です。
今日は、雪ですねー♪と喜ぶのは犬と児童のみ(>_<)
我が家の前には主観的傾斜角30度のガードレールのない坂があり、何年か前の大雪のときにはスタッドレスタイヤにもかかわらずスリップし、あわや転落して死ぬかと思いました。
あれからスタッドレスははいていません(雪の日には車に乗りません)。
鬼滅の刃の映画、みなさんご覧になりましたか?
封切り以来、子供に一緒にいこー!とせがませれてたのですが、
漫画読んで話知ってるもーん
睡眠不足で体が動かへーん
コロナだしー
などのらりくらりとかわしていたのですが
たとえ親の財布狙いだとしても(←え)
一緒に映画行こうよーと言ってくれるのもあと何回だ?と考え直し、重い腰をあげて年末に観てきました(←大掃除は?)
で。
結果、号泣(笑)
鬼を狩る鬼殺隊の柱(鬼殺隊の中で最高位に立つ剣士)煉獄杏寿郎と
竈門炭治郎(まだ修行中で柱ではない)たちは、
短期間のうちに四十人以上もの人が行方不明になっているという
無限列車の調査に向かいます。
そこで、最強剣士の煉獄杏寿郎でさえ劣勢にたたされるような
そりゃそりゃものすごく強い鬼と闘う、
というのがものすごく荒いストーリーなのですが、
煉獄杏寿郎の熱い言葉がとても胸をうちます。
薄命の母から「弱き人を助ける人は強く生まれた者の責務です。」
と言われた言葉を胸に煉獄杏寿郎はどんなに傷を負っても
「俺は俺の責務を全うする!ここにいる者は誰も死なせない!!」
と必死に立ち向かう姿に涙腺崩壊。
マスクびしゃびしゃ。
ディスタンス確保のために一席空いていたので、
こどもにはばれてないはず。。。?
あかん、思い出しても泣けてくる。。。
こんなつたないあらすじよりもぜひ映画をご覧下さい
この映画は4Dでも面白いだろうな、と思いました。
2021年
1月
08日
金
それは要するに「金の前に屈しない」ということである。「たとえ金になっても、やりたくないことはやらない」「やりたいことはたとえ金にならなくても、やる」ということである。自分の「生き方」は損得とは別の境位にあるということである。
2020年12月29日の内田樹さんの論考「平川克美『株式会社の世界史』書評」(後編)をご紹介する。
どおぞ。
平川君は先ほどの引用に続く頁で、ファンド事件のときの村上世彰が記者会見で記者たちにぶつけた「みなさん、お金儲けは悪いことですか?」という挑発的な問いを引き取って、こう書いている。
「世の人々は彼をやっかんだのではない。法に照らして批判しているのでもない。札びらの威力によっては触れてはいけない部分を蹂躙されたと感じたから、彼を嫌悪したのだろう。『触れてはいけない部分』とは曖昧な言い方であるが、分かりやすく言えば、本来商品でないものを、お金の威力によって売り買いするということである。お金とは本来、商品の前では万能であるが、もともと商品ではない人間の精神的な領域、つまりは矜持、義理や人情、友愛や意地の前では無力であるべきなのだ。」(158頁)
僕はこの部分が本書を通じて平川君が一番言いたいことではなかったかと思う。この本は『株式会社の世界史』であり、株式会社の成立と展開を通史的に、詳細かつ論理的に記述した本であり、豊かな知見と情報にあふれているのだけれども、平川君がほんとうに言いたいことは一言で言えば「株式会社というものが生まれながらに持っている危うさの中心にあるもの」(89頁)に屈服してはならないということだからだ。
「金では買えないもの」は金では買えない。シンプルな話である。「矜持、義理や人情、友愛や意地」は金では買えない。僕はこの列挙の仕方に平川君らしさを感じる。一番に来るのは「矜持」なのだ。それは要するに「金の前に屈しない」ということである。「たとえ金になっても、やりたくないことはやらない」「やりたいことはたとえ金にならなくても、やる」ということである。自分の「生き方」は損得とは別の境位にあるということである。当たり前のことだ。でも、その「当たり前のこと」を説き聞かせるために350頁の本を平川君は書かなければならなかった。僕たちが生きているのは、その「当たり前」が当たり前ではなくなった世の中だからだ。
若くして富裕になった人たちの奇行や醜聞がよくニュースになる。どれも「嫌な感じ」のする話だ。それは彼らが手に入れた身に余る富で他人の「矜持、義理や人情、友愛や意地」を買い取ろうとするからである。札びらで頬を叩けば、どれほど簡単に人間が矜持を失い、気概を棄て、腰砕けになるのか、彼らはそれを見て金の全能性を確認したいのだ。でも、それは逆から言えば、金を持っている人間にとって最も気に障るのが「矜持、義理や人情、友愛や意地」という本来「金では買えないもの」だということを教えている。
この本について僕が言いたいことは以上でだいたい尽くされている。けれども、本書が教えてくれる「株式会社の世界史」についての豊かな知見と情報についても少しは触れておかないと本の紹介にならない。僕が付箋を貼った箇所をいくつかランダムに紹介しておく。
■アダム・スミスが『国富論』を書いた年と、ジェームズ・ワットによる蒸気機関の商業的生産が始まった年と、アメリカ合衆国の独立の年は同じ1776年だったことをこの本で教えてもらった。こういう符合は偶然のものではない。
イベリア半島におけるレコンキスタの完了とユダヤ人追放令の発令とスペイン語の正則文法の制定とコロンブスのアメリカ発見は同じ1492年の出来事だった。文明史的転換は同時多発的に起きるものである。
■株式会社は「詐欺と醜聞の温床」として発祥の地英国において久しく違法とされていたが、産業革命とともに合法化された。知識としては僕も知っていたけれど、その歴史的経緯をこの本から詳しく教わった。
株式会社の非合法化のきっかけとなったのは1711年の南海会社の「南海泡沫」事件である。「南海の泡沫」というタイトルは父の書斎に並んでいた世界ノンフィクション全集の背表紙で読んだ記憶があった。「南海の泡沫」という浪漫的な文字列から珊瑚礁の真珠採りのようなものを僕は想像していたのだが「泡沫」は「バブル」のことだったのである。
■ヴェネツィアの商人たちが使い出した複式簿記によって「商品取引が単なる一時的な等価交換というイベントの繰り返しから、時間というものを考慮に入れる期間的なイベントに変わったこと」(73頁)もこの本から教わった。複式簿記は「出来事を時間と場所から切り離して数字で一覧できるような記述法」(同)だった。
この複式簿記的発想はやがてヨーロッパ世界全体に広まる。本書では『ロビンソン・クルーソー』の例が挙げられている。クルーソーは孤島に漂着したあと、「複式簿記の要領で自分にとって良きことと悪しきことを左右のコラムに書き込むことで、自分の人生を評価する」(75-76頁)のである。
それを読んで僕が思い出したのはルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』である。フロイスはこの中で「ヨーロッパでは・・・であるが、日本では・・・である」という並列な記述を最初から最後まで繰り返した。僕はこの不思議な書き方をフロイスの民族誌学者的客観性の現れだと思っていたけれど、1532年にリスボンで生まれ、ゴアでイエズス会士としての研修を受けたフロイスにとって世界を複式簿記的に記述するのは基礎的常識だったのである。
■アダム・スミスの「神の見えざる手」についての説明も面白かった。
「自分自身の利益を追求することによって、個人はしばしば、社会の利益を、実際にそれを促進しようと意図する場合よりも効果的に推進する」というアダム・スミスの考え方は彼の100年前のジョン・ロックの近代市民社会論とほとんど同型的である。ということは「利己的な人間は非利己的にふるまう(ことがある)」というのは17世紀から18世紀にかけてはじめて「常識」に登録された人間観だったということである。
ロックと同時代のラ・ロシュフーコーはこう書いている。「利己心はあらゆる種類の言語を語り、あらゆる役柄を演じる。非利己的な人間の役さえ。」ラ・ロシュフーコーは「人の非利己的と見えるふるまいの動機はしばしば利己心である」と考えた。ロックとスミスは「利己心を利用すれば人に非利己的なふるまいをさせることもできる」と考えた。同じ人間理解の裏表なのだけれど、フランス人は冷笑的だが、イギリス人はそれよりはいくぶん実利的なのである。
その他「なるほど、そうだったのか」と膝を打った箇所がいくつもあるのだが、切りがないのでこれくらいにしておく。株式会社の歴史を客観的に通覧する書物なのだけれど、これは平川君にしか書けない本だと思う。
2021年
1月
07日
木
2020年1年間の放射線量、体組成、ランニングについて書く。
まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。
2020年の平均値はつぎのとおり。
室内1メートル
1月~11月 0.041~0.044μ㏜/h
12月 0.043μ㏜/h
1年間の平均値 0.0427μ㏜/h
室内0メートル
1月~11月 0.043~0.045μ㏜/h
12月 0.044μ㏜/h
1年間の平均値 0.0442μ㏜/h
室外1メートル
1月~11月 0.056~0.059μ㏜/h
12月 0.058μ㏜/h
1年間の平均値 0.0576μ㏜/h
室外0メートル
1月~11月 0.069~0.073μ㏜/h
12月 0.073μ㏜/h
1年間の平均値 0.0718μ㏜/h
地表が、1年間の平均で0.071μ㏜/hを超えているのが気になる。
つぎに、朝守の身体について。
毎月の最終測定日の数値はつぎのとおり。
体重
1月~11月 70.2~72.05㎏
12月 70.15㎏
BMI
1月~11月 22.2~22.7
12月 22.1
体脂肪率
1月~11月 14.4~16.9%
12月 15.7%
筋肉量
1月~11月 55.85~57.55㎏
12月 56.05㎏
推定骨量 ずっと3.1㎏
内臓脂肪レベル
1月~11月 10.5~12
12月 11
基礎代謝量
1月~11月 1607~1660㎉/日
12月 1612㎉/日
体内年齢
1月~11月 45~46才
12月 46才
体水分率
1月~11月 57.8~60.7%
12月 58.2%
体型はほとんど変わらない。
脂肪が減らないのが残念だ。
最後に、ランニングのデータ。
走行時間
10月 27時間46分29秒
11月 30時間47分03秒
12月 20時間41分34秒
1年間 244時間12分31秒
走行距離
10月 242.2㎞
11月 279.1㎞
12月 185㎞
1年間 2129.3㎞
2019年は、走行時間が204時間34分39秒、走行距離が1759㎞だった。
2020年は、時間にして約40時間、距離にして約370㎞伸ばしたことになる。
2021年は、300時間、2500㎞を目指す。
2021年
1月
06日
水
「利益以外のことをめざして」ビジネスをする人間がこの資本主義のゲームで「利益だけをめざして」ビジネスをする人間に勝つことができるかどうか、それを検証したかった。
2020年12月29日の内田樹さんの論考「平川克美『株式会社の世界史』書評」(前編)をご紹介する。
どおぞ。
平川君から教えてもらったこと
僕は平川克美君が社長をしていた会社で働いていたことがある。四人のメンバーで翻訳会社を起業したのである。僕たちが26歳のときだった。
道玄坂上の日の当たらない貸しビルの狭い一室にゴミ捨て場から拾ってきたデスクやロッカーを置いてスタートした。それが高度成長の波に乗って、順調に売り上げを伸ばし、数年後には渋谷のビルのワンフロアを借り切って、二十人ほどの社員を擁するまでになった。
僕自身は大学院博士課程に進学したことを契機にフルタイムでの会社経営からは手を引いたのだが、スタートアップからの三年間は今思い出してもほんとうに愉快だった。ビジネスが「愉快」だったのは、ただ金が儲かったからだけではない。それ以上の、それ以外の何かがあったからである。平川君はこの本の中でこう書いている。
「株式会社の目的は、利益を生み出すことであり、それは人間一般の目的と同じである。ただし、株式会社にとっては、利益を生み出すことは唯一の目的であるのに対して、人間にとってはそれは、数ある目的のうちの一つに過ぎない」(156-7頁)
たしかに僕たちには利益を出す以外の「目的」があった。それは奇妙に聞こえるかも知れないけれど、「利益を出す以外の目的を掲げてもビジネスはできる(むしろその方がうまくゆく)」という命題を証明することだった。
会社は利益を出さなければ倒産する。だからもちろん僕たちは必死で働いた。でも、それは利益を出し続けないと「ゲーム」が続けられないからだ。平川君や僕のような、人に頭を下げることができない、反抗的で態度の悪い若者たちが、それでも一人前のプレイヤーとして資本主義のゲームの場にとどまり続けることができるかどうか、僕たちはそれを確かめたかったのである。「利益以外のことをめざして」ビジネスをする人間がこの資本主義のゲームで「利益だけをめざして」ビジネスをする人間に勝つことができるかどうか、それを検証したかった。いくら若いとはいえ無謀なことを考えたものである。
さいわい僕たちの会社は成功した。一つは周りの人たちが支えてくれたからである。僕たちの会社には取引先の若い営業マンたちがよく遊びに来た。ソファーに座って、コーヒーメーカーで勝手にコーヒーを淹れて、バイク雑誌を読んで暇をつぶしていた。自分たちと同じ年ごろの連中が笑いながら仕事をしている空間が居心地よかったのかも知れない。彼らがいろいろな仕事を持ち込んできた。どこに発注してもいいような仕事、どこに任せたらいいかわからない仕事が僕たちのところに放り込まれた。
会社がうまくいっていると聞きつけて、友人知人やその知り合いまでが「会社に入れて欲しい」とやってきた。平川君はその連中をほとんど片端から採用してしまった。さすがに心配になって「こんなに雇っちゃって、給料出せるのかい?」と訊いたら、平川君は「連中の給料分をオレたちが稼げばいいのさ」と笑って答えた。
果たすべきジョブがまずあって、それに合わせて「適材」を年俸契約で雇うというのが当今の人事だが、平川君のやり方は逆だった。まず人を雇う。それから彼らを「食わせる」ための方途としてビジネス展開を考える。これは後年平川君がよく引くようになった下村治の「国民経済」の発想と同じだった。池田内閣で所得倍増計画を牽引した大蔵官僚下村はこう書いている。
「本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人が、どうやって食べどうやって生きて行くかという問題である。この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない。そういう前提で生きている。(...)その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である。」
平川君はなぜか株式会社もそういうものであるべきだと思ったのである。何かのご縁で仲間になった以上「みんなまとめて面倒みよう」と。
「面倒みよう」というのは損得計算の末に出てくる合理的なソリューションではない。平川君の場合、話はそこから始まるのである。平川君は青島幸男作詞の『黙って俺についてこい』が好きで、よく口ずさんでいた。「銭のないやつぁ俺んとこへ来い。俺もないけど心配すんな。見ろよ青い空 白い雲 そのうちなんとかなるだろう」というあれである。そしてたしかに「そのうちなんとかなった」のである。
僕は平川君のこの経営哲学は正しいものだったと今でも思っている。もしあのとき利益優先のビジネスをしていたら、僕たちの会社はそれほど長くはもたなかったと思う。僕たちがハイテンションでいられたのは「誰もやっていないゲーム」をしているという緊張感があったからである。
2021年
1月
05日
火
皆さん明けましておめでとうございます。
本日は、事務局担当です。
さて、今回の年末年始は皆さんいかがお過ごしでしたか。
我が家も、少し買い物に出たほかは
外出自粛モードで家に引きこもっていました。
大掃除も今回は小規模で済ませたので、
毎年31日に慌ただしく作る黒豆や田作も、30日には作り終え。
後は鯛を焼けば年末は穏やかに過ごせる・・・と思いきや、思わぬピンチ到来!!
活きのいい鯛が入っているからと、
注文していたより大きなサイズの鯛を頂いたようで・・・
我が家のガスコンロに入らない!😱😱😱
気持ちは嬉しいものの・・・どうするの?!と母は大慌て。
最終的には、苦肉の策を使ってなんとか焼けましたが、
新年のカウントダウンを迎える前に、母はすっかり疲労困憊状態でした・・・(~_~;)
来年からはできれば焼いたものを・・・(モゴモゴ)。
結局、穏やかどころかいつものように慌ただしく年始を迎えることに。
やはりこれが我が家の年末年始の過ごし方😅
まだ初詣には行けていないですが、
コロナに打ち勝ち、皆が健康で明るい年となりますように!
本年も事務所一同よろしくお願いいたします(・∀・)
2020年
12月
24日
木
フルマラソンを走る前の3日間は走らないで完全休足することにした。
12月16日(水)、17日(木)、18日(金)の3日間である。
12月17日(木)の夜、寝入り端、右脚の脹ら脛が激しく攣った。
しばらく歯を食いしばって痛みに耐えた。
12月18日(金)は、歩くと右の脹ら脛が痛かった。
夜、接骨院へ行って、鍼を打って、包帯を巻いてもらう。
12月19日(土)、「奈良・平城宮跡歴史公園 Trial Marathon」である。
天候は曇り、風が吹いて、寒い。
シューズはアルトラのエスカランテ・レーサー、ニューバランスの短いランニングパンツ、アイスブレーカーの長袖シャツという出で立ちで走った。
ノースフェイスのウエストポーチに水500㎖(フラスク)とエナジージェル10個、芍薬甘草湯ゼリー3個、柿の葉パウダー1個、マグマ1個を入れて装着した。
午前9時30分からウエーブスタート。
朝守は9時35分にスタートした。
1周2.5㎞のコースを17周する。
1㎞6分30秒のペースで走る。
右の脹ら脛は痛まない。
よかった。
向かい風になると寒い。
タイツを履いた方がよかったかな、とも思ったが、特に支障もなく走り続ける。
2㎞ごとに水を一口飲み、4㎞ごとにエナジージェルを1袋食べる。
21㎞を2時間18分23秒で通過する。
ほぼ想定したとおりのペースである。
ところが、後半に入って少しずつペースが落ち始める。
30㎞を過ぎると1㎞8分台まで落ちる。
36㎞から37㎞まで9分08秒もかかった。
粘って、我慢して、走り続ける。
40㎞を過ぎると、力が戻って、最後は力走。
5時間08分02秒でゴール。
自己ベストは更新した。
しかし、目標の5時間切りはできなかった。
30㎞を過ぎてからの失速を克服しなければならない。
つぎのレースは、来年3月の淀川マラソンで、フルを走る。
2020年
12月
22日
火
本日は、事務局の担当日です。
私の今年最後のブログとなりました。
そこで、今年を振り返ってみると、コロナ禍で社会的に大変な年となったことが何といっても誰もの記憶に残ったことと思います。
しかし、先日80歳を超えた方と話した際に聞いた言葉が、「戦争に比べたら、今は幸せですと・・・」でした。
そして、にこやかにお互い感染しないように気をつけましょうと言われて別れました。
先日の新聞記事でも読んだのですが、様々な体験をしている人は、新たな窮地に際してもその状況を切り抜けるすべを持っている様です。
また、時折世間で聞かれる言葉に「レジリエンス」があります。
レジリエンス(resilience)とは、跳ね返り、弾力、回復力、復元力という意味を持つ言葉です。
精神医学の手法では、逆境に陥った人を、その逆境を乗り越える力を引き出す手法の様です。
この力を引き出す要因が、いくつかあるようで、その一つに「悲観的になりすぎずに、何とかなる」という心構えや、「今やるべき大切なことは何かを考えて、新たな視点を見つける」姿勢などです。
その要因を得ていただく為にサポートするのが、私たちの仕事と思います。
私としては、窮地に陥った方々を迎えた際には、前記の要因を得ていただけるようにも心がけています。
このコロナ禍での経験が、それぞれの今後の人生において活かされ、より強く、より幸福を感じる人が多くなりますようにと、新年に願いたいと思います。
2020年
12月
17日
木
12月11日(金)早朝、ジョギング、41分55秒、6.3㎞。
12月12日(土)早朝、ジョギング、40分44秒、6.3㎞。
12月13日(日)午前、橿原運動公園でペース走、14㎞、1時間29分13秒。
1㎞6分30秒のペースが身体に染み込んだな。
12月14日(月)早朝、ジョギング、42分14秒、6.3㎞
12月15日(火)夜、トレッドミルでペース走、30分、4.5㎞。
レース前のランニングは今日でお終い。
12月16日(水)休足1日目。
フルマラソン前の3日間は走らないで脚を休める。
12月17日(木)休足2日目
19日(土)は「奈良・平城宮跡歴史公園 Trial Marathon」である。
2月23日に「五島つばきマラソン」を走って以来10か月ぶりのレースであり、今シーズン最初のフルマラソンである。
1周2.5キロのコースを17周する。
平坦なコースである。
目標は5時間を切ること。
お楽しみはこれからだ。
2020年
12月
15日
火
みなさんこんにちわ。
本日は事務局担当日です。
今週からぐっと寒くなるようです。
おでんやお鍋のおいしい季節になりますね(・∀・)
体を温めて、
あたたかいお風呂にゆったりつかって
免疫力アップに励みましょう♪
免疫力アップと言えば欠かせないのが「笑い」
ということで、12月20日(日)6時半からM1グランプリ2020決勝戦があるので
楽しみにしています♪
先日、コロナの影響で献血が不足しているというニュースを目にしました。
血液は、赤血球は21日、血小板は4日しか保存できないため、
常に新しい献血が必要だそうです。
保存期間がこんなに短いとは知らず、びっくりしました。
また、冬場になるとさらに献血をする人が減るそうです。
寒いし、夏よりも痛みを感じやすいし、
体調を崩して投薬中であったり、といった要因があるようです。
私は、兄や父が輸血をしてもらったことがあるので、
その恩返しのつもりで、
献血バスを見かけて、かつ時間に余裕があれば、献血をしていました。といっても、まだ10回もしていないので、偉そうなことは言えませんが。
輸血を受けたことがある人は、現在の検査法では検出できない未知のウイルス感染の可能性が考えられるので、献血することができません。
なので、私も輸血を受けるようなことがあれば、
もう献血できないので、できるだけ協力したいなぁと思っています。
とはいっても、このコロナ禍・・・。
何度か献血バスを見かけても、狭いバスに乗り込む気にどうしてもなれず、
ごめんなさい、してきました(>_<)
なので、近鉄奈良駅方面に用事ができたので、献血ルームの予約をしてみました。
予約をしないと献血できないわけでもないのですが、
予約をしていないと、「まぁ、、、今度でもいっか」となりそうなので(^_^;)
嬉しいことに、
献血をすると健康診断で受ける血液検査と同じ程度の検査をしてもらえます。
また、血液を少し抜くことで、体は血液を作ろうとするため血流が良くなるそうですよ。
簡単にできるボランティア、みなさんもいかがでしょうか(・∀・)
2020年
12月
10日
木
11月27日(金)と28日(土)、休足。
新しく買ったアルトラのエスカランテ・レーサー(黒)を足に馴染ませるために、一日履いて過ごす。
11月29日(日)午前、橿原運動公園でペース走、30㎞、3時間15分28秒(トイレ休憩を含まない)。
靴はアルトラのエスカランテ・レーサー(黒)、シャツはIceBreakerの長袖、パンツはROCSYという出で立ちで走る。
1㎞6分13秒~6分46秒、平均して1㎞6分30秒のペースで走り切れた。
このペースでフルマラソンを走ると4時間33分になる。
トイレロスもあるし、残り12㎞でペースダウンすることも考えられる。
30㎞を過ぎてからのペースダウンを押さえることができれば、5時間を切れそうだ。
走り終わって、昼寝をしているときに、右の脹ら脛が攣った。
11月30日(月)右の脹ら脛に痛みが残っているので休足。
11月の月間走行時間は30時間47分03秒、月間走行距離は279.1㎞と最長記録を更新した。
どこも痛めないで30㎞走りたいな。
夜、右の臀から太腿の裏にかけて「張り」を感じる。
12月1日(火)、右の臀から太腿の裏にかけて「張り」を感じて、怠い。
車を運転していると、特に怠い。
それでも、夜、トレッドミルでペース走、30分、4.5㎞。
1㎞6分30秒(時速9.2キロ)のマラソンペースで走った。
右脚は大丈夫だった。
12月2日(水)明け方、目覚める直前に右の脹ら脛が攣ったので休足。
日曜日、水曜日と短い間隔で脹ら脛が攣るのは初めての経験だ。
脹ら脛といい、太腿といい、右だな。
月間279㎞走ると疲労が残っているということか。
身体の声を聴こう。
12月3日(木)、右の脹ら脛と太腿の痛みは和らいだが、大事を取って休足。
12月4日(金)早朝、ジョギング、1時間13分47秒、11.3㎞。
いい感じで走っていて、7㎞を過ぎてから、転倒した。
側溝のコンクリートの蓋が並んでいるところで、数ミリの凸につま先を引っかけたようだ。
膝が上がっていなかった、ということやな。
右膝と右肘を擦り剥いた。
滑って、両方の手のひらを着いたので、両手の手袋が裂けてしまった。
幸い、ケガの程度はたいしたことはない。
情けないだけだ。
12月5日(土)休足
12月6日(日)午前、橿原運動公園でペース走、21.5㎞、2時間17分38秒。
21㎞を2時間14分06秒で通過した。
1㎞6分16秒~6分29秒のペースで走れた。
12月7日(月)早朝、ジョギング、42分03秒、6.3㎞。
12月8日(火)早朝、ジョギング、41分06秒、6.3㎞。
夜、トレッドミルで時速9.2キロ(1㎞6分30秒)、30分、4.5㎞。
12月9日(水)早朝、ジョギング、41分06秒、6.3キロ。
今年の走行距離が2000㎞を超えた。
12月10日(木)早朝、ペース走、1時間10分45秒、11.3㎞。
平均のペースは、1㎞6分14秒だった。
2020年
12月
08日
火
皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。
コロナ禍の中、外出自粛などの影響で飲食業界も大変そうですが、
最近、大和八木駅周辺にサンドイッチのお店がOPENしたので、
早速偵察に行ってきました。
「サンドイッチ食堂Tororii(トローリ)」
住 所/奈良県橿原市新賀町273−1
平 日/7:00~19:00
土日祝/8:00~19:00
休業日/毎週水曜、第4日曜・月曜
TEL/0744-32-1077
近鉄百貨店の北側にある「新賀南」の交差点を
東に入り270メートルほど先にある、
鮮やかな青色と木目の外観が特徴のお店です。
11月に開店したばかりのお店ですが、
早くも人気があるようで、お昼前にはパンが売り切れてお店が閉まっていることも。
私が見に行った日も、11時頃は閉まっていたので、初めて行かれる際にはご注意を!
さて、ようやく入れた店内には美味しそうなサンドイッチがいっぱい並んでいました💕
購入したサンドイッチは、帰宅後いただいたのですが、パンはやわらかめで、
具もしっかり入っているので、一つ一つボリュームがあり美味しかったです。
気になっていたフルーツサンドは、この日は残念ながらなかったので、
またの機会にリベンジします!
2020年
12月
03日
木
2020年11月の放射線量、体組成、ランニングについて書く。
まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。
2020年1月から11月までの各月の平均値はつぎのとおり。
室内1メートル
1月~10月 0.041~0.044μ㏜/h
11月 0.043μ㏜/h
室内0メートル
1月~10月 0.043~0.045μ㏜/h
11月 0.045μ㏜/h
室外1メートル
1月~10月 0.056~0.059μ㏜/h
11月 0.058μ㏜/h
室外0メートル
1月~10月 0.069~0.073μ㏜/h
11月 0.071μ㏜/h
相変わらず地表が0.07μ㏜/hを超えている。
つぎに、朝守の身体について。
1月から11月までの各月の最終測定日の数値はつぎのとおり。
体重
1月~10月 70.2~72.05㎏
11月 71.15㎏
BMI
1月~10月 22.2~22.7
11月 22.5
体脂肪率
1月~10月 14.4~16.9%
11月 15.7%
筋肉量
1月~10月 55.85~57.55㎏
11月 56.9㎏
推定骨量 ずっと3.1㎏
内臓脂肪レベル
1月~10月 10.5~12
11月 11.5
基礎代謝量
1月~10月 1607~1660㎉/日
11月 1638㎉/日
体内年齢
1月~10月 45才
11月 46才
体水分率
1月~10月 57.8~60.7%
11月 59.1%
誕生日が来たので、体内年齢が1才増えた。
最後に、10月と11月のランニングのデータ。
走行時間
10月 27時間46分29秒
11月 30時間47分03秒
走行距離
10月 242.2㎞
11月 279.1㎞
10月は過去最長記録だったが、11月はさらに記録を更新した。
たくさん走ったので、身体にたくさん負担がかかっている。
身体を整えて、いい状態を維持することが大切だ。
2020年
12月
01日
火
本日、12月1日は事務局が担当です。
このところ、天候は良いのですが、平年よりやや温かいとはいえ、かなり朝晩は、冷え込んできました。
今朝通勤途中に周りの人の服装を観察してみたら、コートの様な防寒着を身につけていない人は、私以外に1人しか見当たらず、ちょっと驚きました。
昨日、日暮れが早くなったと思い夕焼けを観て、本格的な冬が間もなくやってくると思っていたら、もう到来していたようです。
そして、昨晩帰宅時に近鉄八木駅の大阪方面行きのホームで、待ち時間が有り、ふと駅の南側を見たら、イルミネーションが広い範囲に鮮やかに点灯しているのを観て『おおー』と声を出す位に感激し、少し心が『ウキウキ』となりました。
事務所から駅までの間でもイルミネーションが点灯したなと思っていましたが、部分的に観るのと、全体を観るのとではちょっと感じ方が違いました。皆さんも是非近鉄八木駅のホームからご覧下さい。
先々週の土曜日には、我が家のあるマンションでも、『恒例の行事ができない分、イルミネーションをたくさん飾って元気づけよう!』と写真のようなイルミネーションなど例年より少し多く設置しました。
また、希望する家には、管理組合からイルミネーションが貸し出されベランダに飾られています。
今年は、コロナ禍で、近鉄八木駅前のイルミネーションも少し自粛気味ですが、写真のポスターの言葉にあるように『・・・明日を照らす希望の光になりますように・・・』との思いが込められ、飾られ点灯しています。
なら法律事務所のスタッフも、暗い悩みを持った人に元気と明日への希望を持ってもらえる灯火になれたらとの思いを持って働いています。
2020年
11月
26日
木
11月20日(金)休足
11月21日(土)休足
11月22日(日)午前、橿原運動公園でペース走、30㎞、3時間15分02秒(トイレ休憩を含まない)。
1㎞6分30秒を目安に走る。
29㎞まで6分17秒から6分47秒のペースで走った。
最後の1㎞は6分00秒。
失速しなかった。
走り終わってから、まだ走れる、と感じた。
このペースなら、42㎞走り続けられる。
11月23日(月・祝)早朝、ジョギング、1時間12分26秒、11.3㎞。
ゆっくり走り始めたが、段々速度が上がって、9㎞を過ぎてからは1㎞6分を切って走っていた。
11月24日(火)早朝、全力疾走、ジョギング、全力疾走、1時間11分49秒、11.5㎞。
11月25日(水)夜、トレッドミルで走る予定だったが、仕事が入って走れなかった。
11月26日(木)早朝、ビルドアップ走、1時間12分39秒、11.5㎞。
ターサージールで初めて道路を走った。
靴底が固く感じた。
今月の走行距離が249.1㎞になった。
過去最長である。