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2020年

8月

11日

接触確認アプリCOCOA@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

コロナ騒動の当初は,コロナウイルスは暑さや湿気に弱いのでは・・・なんて説もあって,

夏にはいったん落ち着くのではないかという希望を抱いていましたが,

暑さも湿気もなんのその。驚異のウイルスですね。

もう何ヶ月もこのコロナに振り回されていて,正直本当にしんどいです・・・(-_-;)

 

ただ,それでもまだ身近な人で感染者がいなかったのでどこか安心していたのですが,

先週,私が通っている病院の併設施設でついにコロナ患者が出たらしく,

病院は数日の間自主的に休業することに。

 

病院関係者など全員がPCR検査を受け,結果は陰性だったとのことでひとまず安心

しましたが,コロナの感染範囲がごく身近にまで近づいてきた実感が沸き,

この週末は憂鬱でした・・・(>_<)

 

厚生労働省が推奨している,

新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA」。

 

これまではアプリを入れることに漠然とした不安があって

ためらっていましたが,先日アプリからの通知がきっかけで検査を受けて感染が判明したニュースを見て,

陽性と判明した人と接触した可能性を早く知ることができ,自分自身が陽性となった場合,接触していた第三者へ知らせることができること,通知を受けることで,それぞれがより早く医療機関等に相談したり検査を受けられるという点で,私もアプリを入れることに。

 

ダウンロード自体は数分で終わりますし,アプリには,名前も住所などの登録作業も

一切ありません。

Bluetoothをオンにしておくだけで,その他に操作はありません。

(陽性者となったときの登録作業は別ですが)

 

ただ,陽性登録が任意であるためまだまだ登録者数が少ないこと,

保健所などから登録用の処理番号の発行が遅れていること,

なにより,アプリを入れるには,スマートフォンのOSがある程度最新のものでないと

対応していないため,ダウンロードの前にOSのアップデートが必要という点で

まだまだ課題があるように見受けられますが,

とりあえず自分でできる範囲の自衛策の一つとして検討してみてはいかがですか。

2020年

8月

07日

内田樹さんの「トランプとミリシア」 ☆ あさもりのりひこ No.894

米陸軍は必要がある度に召集されるものであって、常備軍ではない、そう合衆国憲法は定めているのである

 

 

2020年7月5日の内田樹さんの論考「トランプとミリシア」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ミネアポリスから始まった人種差別と警察暴力への抗議運動Black Lives Matter(「黒人の命を軽んじるな」)は全米に広がり、収束への道筋が見えない。震源地であったミネアポリスではついに警察署が解体されて、新たな公安組織が再建されることになった。それほどまでに市民の警察暴力に対する怒りと不信は根深い。

 本来なら治安回復の責任を負うべきトランプ大統領が騒乱の火に油を注いだ。抗議者たちに対話的な姿勢を示すどころか、デモの背後にはテロ組織があるという不確かな情報をSNSで発信して、FBIから「そんな事実はない」と否定され、さらにデモ隊鎮圧のために連邦軍の投入も辞さずという強硬姿勢を示したことについては、米軍の元高官たちが次々と異議を申し立てた。マティス前国防長官は大統領を「私が知る限り、国民を統合するより分断しようとする最初の大統領だ」と批判し、パウエル元国務長官も「大統領は憲法を逸脱している」として、秋の大統領選では民主党候補に投票する意思を示した。

 日本では自衛隊の元高官が現職総理大臣の政治姿勢や憲法違反を批判するということはまず起こらない。たぶん日本人の多くは世界中どこでもそうだと思っているだろう。でも、現に同盟国の米国では「日本では起こり得ないこと」が起きている。なぜ、そんなことが米国では起きるのか。

 それは米国の陸軍が憲法上の規定では常備軍ではなく、市民によって編制された義勇軍だとされているからである。建国の父たちが憲法に書き込んだその規定は今も生きている。

 合衆国憲法8条12項は連邦議会に「陸軍を召集(raise)し維持する(support)」権限を付与しているが、その後に重大な但し書きが付してある。「この目的のための歳出の承認は2年を超える期間にわたってはならない。」つまり、米陸軍は必要がある度に召集されるものであって、常備軍ではない、そう合衆国憲法は定めているのである(海軍について歳出の期限が定められていないのは、おそらく長期にわたる集中的な訓練をしないと帆船が動かせないという技術的な事情があったからだろう)。

 独立戦争の時、英国軍は国王の命令一下ためらわず同胞である植民地人民に銃を向けた。その悔しさと痛みを建国の父たちは骨身にしみて知っていた。だから、合衆国連邦軍については「決して市民には銃を向けない」ということを第一原理としたのである。それを実現するためには、職業軍人たちに「何があっても市民に銃を向けない」と誓言させるよりも、「武装した市民を以て連邦軍を編制する」ことの方が確実だった。だから、それ以後100年以上にわたって、陸軍は必要があれば、そのつど召集に応じる武装市民(militia)によって編成されてきた。

 ミリシアがどういうものかを知る印象的な例を一つ挙げる。南北戦争の頃、ドイツからの移民にヨーゼフ・ヴァイデマイヤーという人がいた。彼は『新ライン新聞』以来のマルクス=エンゲルスの同志で、米国最初のマルクス主義組織アメリカ労働者同盟の創立者だった。彼はリンカーンの奴隷解放の大義に賛同し、ドイツ移民たちを糾合して義勇軍を組織し、北軍大佐としてセントルイス攻防戦を指揮した。戦争が終わると再び政治活動に戻り、ロンドンの第一インターナショナルと連携して、米国における労働運動の組織化に努めた。

 ヴァイデマイヤーに見られるような「自立した市民が、市民としての義務を果たすために戦う」というありようはたぶん日本人にはうまく理解できないと思う。それはミリシアのようなものが日本に存在しないからである。

 

 もちろん今の米軍は誰が見ても常備軍である。いつの間にか、そのようなものに変質したのである。けれども建国の父たちが憲法に託した倫理的な「しばり」はまだ生きている。だから、軍人たちは自分たちが「武装した市民」であって、「権力者の私兵」ではないということを時々思い出すことができるのである。

2020年

8月

06日

7月の放射線量、体組成、ランニング ☆ あさもりのりひこ No.893

2020年7月の放射線量、体組成、ランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

2020年1月から7月までの各月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.043μ㏜/h

.042μ㏜/h

.042μ㏜/h

.041μ㏜/h

.042μ㏜/h

.044μ㏜/h

.042μ㏜/h

室内0メートル 0.044μ㏜/h

.043μ㏜/h

.043μ㏜/h

.043μ㏜/h

.044μ㏜/h

.044μ㏜/h

.043μ㏜/h

室外1メートル 0.057μ㏜/h

.057μ㏜/h

.059μ㏜/h

.056μ㏜/h

.057μ㏜/h

.056μ㏜/h

.057μ㏜/h

室外0メートル 0.073μ㏜/h

.073μ㏜/h

.073μ㏜/h

.070μ㏜/h

.071μ㏜/h

.070μ㏜/h

.072μ㏜/h

数値はあまり変わらない。

毎朝、測定するときに天候も記録しているのだが、7月は「はれ」が1日だけだった。

 

つぎに、朝守の身体について。

1月から7月までの各月の最終測定日の数値はつぎのとおり。

体重 70.75㎏

71.15㎏

71.4㎏

70.85㎏

70.2㎏

70.25㎏

71.25㎏

BMI 22.

22.

22.

22.

22.

22.

22.

体脂肪率 15.7%

16.4%

15.6%

16.4%

16.1%

16.2%

16.7%

筋肉量 56.55㎏

56.45㎏

57.15㎏

56.15㎏

55.85㎏

55.85㎏

56.30㎏

推定骨量 ずっと3.1㎏

内臓脂肪レベル 11

11.

11.

11.

        11

11

11.

基礎代謝量 1629/

1626/

1648/

1617/

1607/

1607/

1622/

体内年齢 ずっと45才

体水分率 59%

58%

59.5%

57.9%

58.1%

58%

57.8%

体脂肪率が増えて、体水分率が減っている。

やれやれ。

 

最後に、7か月間のランニングのデータ。

走行時間 24時間12分28秒

21時間35分27秒

20時間36分36秒

21時間11分21秒

17時間01分29秒

10時間58分26秒

12時間34分49秒

走行距離 201.5㎞

180.7㎞

180.9㎞

189.2㎞

     149.4㎞

      94.2㎞

110.2㎞

7月の走行距離は、なんとか100㎞を超えた。

雨の日が多かった(筋トレを6回やっている)し、10㎞以上走ったのは1回だけだったことを考えると、小まめに走った感じである。

8月、9月と暑いが、もうちょっと走りたいな。

ちなみに、去年の6月は22時間41分10秒、190.5㎞、7月は17時間22分48秒、143.1㎞であった。

 

 

2020年

8月

05日

内田樹さんの「書評・食いつめものブルース 山田泰司」 ☆ あさもりのりひこ No.892

 長い時間をかけて、息づかいが感じられるほど取材対象の間近に迫るというスタイルは現代ジャーナリズムが失いかけているものである。このような泥臭い、けれども手堅いスタイルはジャーナリズムが決して手離してはならないものだと私は思う。

 

 

2020年6月30日の内田樹さんの論考「書評・食いつめものブルース 山田泰司」をご紹介する。

 どおぞ。

 

 

表紙の写真に違和感を覚えた。高層ビルを背景にした薄汚い街路で、犬を載せたリヤカーを引く自転車に乗っている男性の写真である。本についての紹介文を先に読んでいたので、おそらく撮影場所は上海で、写っているのは田舎から上海に出稼ぎに出てきて、「3K」仕事をしている農民工なのだろうということまでは想像がついた。背景に高層ビルを、近景に陋屋と廃品回収のリヤカーを配して社会的格差を図像化するというのはよくある構図だ。けれども、その写真にはそんな予定調和を突き崩す「何か」があった。それはその廃品回収業者の男性がたたえている独特の表情であった。

 本文を読み進むと、それがゼンカイさんという河南省から上海に出て来た出稼ぎ労働者とその愛犬の写真だとわかった。今、世界で最もバブリーで超近代的な都市の片隅で、豪奢なシティライフとはどう見ても無縁の暮らしをしているはずの廃品回収業者の表情の奇妙な明るさに私は違和感を覚えたのである。

 私たちは世界を単純な二項対立で理解したがる。都市と農村、富裕層と貧困層、強権的な政府と反抗的な市民、希望と絶望・・・現代中国社会を観察する場合でも、私たちはそのようなシンプルな二項対立を当てはめようとする。私たちの断片的な知識に基づいて想像するならば、農民工とは社会主義国中国には原理的には存在するはずのない無権利状態のプロレタリアートであり、そうである以上、彼らの表情は暗く、悲しみと絶望と階級的な怒りに領されていなければならないはずである。けれども、本文を読み進むと、私たちは彼らが特に暗くもないし、絶望してもいないし、反権力的な怒りに駆られてもいないということを教えられて混乱するのである。

 この本が描いているのはたしかに現代中国の階層格差と社会的なアンフェアである。けれども、著者はそれを「告発」しているわけではない。告発するとしたら、その資格があるのは差別と収奪の被害者である当の農民工たちでなければならない。でも、彼らは収入が減ったときには「愚痴」はこぼすけれど、それが不正な社会システムに対する「怒り」にまで昇華することはない。どうすればもっと実入りのよい仕事に就けるのかという経済的要請があまりに切迫したものなので、悲しみや怒りのような人間的感情を差しはさむ余裕がないのかも知れない。悲しんだり、怒ったりすることで飯が食えるなら、そういう感情を持ってもいいが、そんな感情を抱いても腹の足しにはならないなら、感情の出費を節約する。そういうのがあるいは農民工のリアリズムなのかも知れない。

 著者がはじめて農民工という歴史的存在を目撃したのは1980年代末のことである。広州や北京や上海のような大都市のターミナル駅の駅前広場の風景を著者はこんなふうに回想している。

「いつ通りかかっても、広場はそこに座り込む農工民たちで埋め尽くされていた。彼らの大半は仕事の当てもなく、ただとりあえず都会に出てくる。しかし、宿に泊まれるだけのカネはない。(...)だから農民工たちは仕事が見つかるまで、屋根もなく吹きさらしで冷たい石が敷き詰められた駅前広場で、抱えてきたずだ袋を枕にして何日でも寝泊りしていた。そして、広場に寝転がったり座り込んだりしているその場にいる全員がまるで打ち合わせでもしたかのように、当時流行り始めていたセットアップのスーツを着ていた。そして彼らはそのスーツ姿のまま工事現場で鶴嘴を担ぎ、スコップを地面に突き刺していた。当然、スーツはみなよれよれで薄汚れ、破れかけているものも少なくなかった。」(251-2頁)

 これが私にとっては本書中で最も印象的だった。現金収入を求めて、何の当てもなく大都会に出てきて、とりあえず駅前広場に野宿する人々の姿までなら私にも想像ができる。けれども、彼らが申し合わせたように一張羅のスーツを着込んでいるという現実は想像を絶しており、その姿のまま工事現場で働いているという現実はさらに想像を絶している。なぜ労働用の「汚れてもいい服」を用意してこなかったのかという疑問が浮かんだこと自体、私がいかに中国の農民たちの現実を知らないのかを暴露している(「パンがなければお菓子を食べればいいのに」と言ったというマリー・アントワネットの無知を私は笑うことができない)。スーツを着たホームレス労働者という矛盾した外見は「田舎から都会に出てきた彼らの張り詰めた気持ち」と「そのスーツしか着るものがほかに無い」という絶望的な貧しさを同時に表現していたのである。

 こういう場面はその場にいた者しか記憶することもないし、回想することもできない。その点では、これは「農民工とは何か」についてのまことに貴重な証言と言うべきだろう。著者はそのときの農民工の姿を通じて、中国人とは何かについての一つの深い理解を得る。

「スーツ、無表情、無言、地べたに座り込み寝転んでいる姿のすべてから彼らは、生きるためにならこだわりなく何でもする、言い換えれば、ここにこうしているしかオレたちに生きる術はないんだという気を発していた。」(252頁)

 著者はそのような「気を発する」人々を上海はじめ中国各地で取材する。けれども、これを「取材」というふうに読んでいいのかどうか、実は私にもよくわからない。一つにはそれが同一人物について長期にわたるものであるため(長いものは10年を超える)。もう一つは、しばしばインタビュイーとの関係が取材者と取材対象という関係を超えて個人的な交際になっているためである。これはどちらも現在の日本のジャーナリズムではほとんど見ることのできない取材方法である。読者によっては、対象との距離感が近すぎる、客観性に欠けると言う人がいるかも知れない。けれども、私はこの例外的に「間合いの近い」取材方法を成り立たせるために著者が費やした時間と労力を多とする。長い時間をかけて、息づかいが感じられるほど取材対象の間近に迫るというスタイルは現代ジャーナリズムが失いかけているものである。このような泥臭い、けれども手堅いスタイルはジャーナリズムが決して手離してはならないものだと私は思う。

 

 著者が現代中国の市民生活についてさらに広い範囲で取材を続けて、中国の実相を明らかにしてくれることを期待している。

2020年

8月

04日

セミのように、野の草のように

 

本日は、事務局の担当日です。

例年より長かった梅雨が明け、暑い日が始まりました。

毎朝、セミの鳴き声で目を覚ます日々です。

昨今のコロナ禍にもかかわらず、セミは今年も変わりなく大音量で合唱しています。

日々通る道の際の木々で鳴く姿を観ると、あの小さな体で、よくあれだけでの大きな鳴き声を出せるものだと感心します。

セミには、コロナ禍は、影響ないように、精一杯生きているように見えます。

大和八木駅近くの路上
大和八木駅近くの路上

 

また足元を見ると、青々と草が繁っていて、我がマンションでは先週に草刈りをしたにもにもかかわらず、もう新たな芽がたくさん出てきています。

野の草は、刈れば刈るほど芽を出し、他の草よりも早く陽の光と地面を取ろうとするような意気込みのようにも思えます。

例年のこの時期なら、朝出勤時には、ラジオ体操帰りや朝からのクラブ活動に出かける子供達のにぎやかな声が聞こえるのですが、今年は自粛で元気な声が無く、余計にセミや野の草が、目に耳に大きく占めているかもしれません。

 

見方を変えれば、セミや野の草は、コロナ禍で沈んでいる人間社会に生命力の強さを見せつけ、励ましてくれているのかもしれませんよ。

そう思って今のコロナ禍時期を耐え、あまり心配し過ぎないように、前向きに物事をとらえて乗り越えましょう!

2020年

8月

03日

内田樹さんの「書評・白井聡「武器としての「資本論」(東洋経済新報社刊)」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.891

読者に「怖いこと」をさせるつもりでいる本はフレンドリーな顔をして近づいてくる。

 

 

2020年6月12日の内田樹さんの論考「書評・白井聡「武器としての「資本論」(東洋経済新報社刊)」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 白井さんは読者たちに「清水の舞台から飛び降りる」ことを求める。きびしい要求である。そのことを白井さんもわかっている。「はい、これがパラシュートね、あの目標点めざして飛び降りてね。じゃ、いくよ」くらいのあっさりした声かけでは、たぶん足がすくんで、ついてきてくれない。だから、飛び降りてもらう前に、入念なストレッチを行い、これから行ってもらう「跳躍」が、どういう歴史的な文脈のうちで形成され、なぜ知的成熟にとっての必須科目とされるに至ったのかを、諄々と説く。読者に「怖いこと」をさせるつもりでいる本はフレンドリーな顔をして近づいてくる。そういうものなのである。

 この本はとても丁寧に書かれている。でも、それは繰り返し言うが、「啓蒙的」な意図に基づく丁寧さとは違う。白井さんが、たいへんに丁寧に説明するのは、読者にこれから「たいへんなこと」をしてもらうためだからである。

 白井さんは「思索の人」であると同時に「行動の人」である。彼は(社会人としての立場上あまり広言はされないが)機会があれば「革命をやりたい」と思っている。

だから、すべての書物を通じて、実は白井さんは「ともに革命をする同志」を徴募しているのである。「読者にこれからたいへんなことをしてもらう」という「たいへんなこと」というのはそれである。

 レーニンは『国家と革命』の「あとがき」で「革命の経験をやりとげることは、それについて書くことよりもいっそう愉快であり、またいっそう有益でもある」と書いている。

きっと白井さんもそう思っている。

 だから、彼の本は「読者をして行動に導くための本」である。読んでもらって「よくわかりました。いや、『資本論』のことがよくわかりました。ありがとう」では済まされないのである。「よくわかりました。資本制社会の仕組みが理解できました。で、次は革命のために何を始めたらいいんですか?」という読者が欲しいのである。

 そういう本を書く人は少ない。

 前に、桑原武夫は人を評価するときに「一緒に革命ができるかどうか」を基準にしたと聞いたことがある。これはなかなかすてきな基準だと思う。

 革命闘争というのは、そのほとんどの時期が地下活動である。弾圧され、警察に追われ、逮捕投獄されて、拷問され、処刑されるリスクに脅かされる日常である。だから、それでも革命運動ができるとしたら、それは、レーニンが言う通り、日々の活動がたいへんに「愉快」だからである。「そうだ、革命をやろう」と思い立って、仲間を集めて、組織を作り、機関誌を出したりしている日々がそうでない日々より圧倒的に「愉快」だから、弾圧から処刑に至る不吉な未来についての「取り越し苦労」が前景化してこないのである。

 ということは、「一緒に革命ができる人」というのは、「一緒にいると、生きているのが愉快になってくる人」だということである。一緒にいると、日々の何でもないささやかな出来事が輝いて見え、現実の細部にまで深く意味が宿っていることが実感できる、そういう人が「ともに革命ができる人」である。白井さんはそのような書き手であろうとしている。これは現代日本にあってはまことに例外的な立ち位置というべきだろう。

 

 白井さんの「リーダー・フレンドリーネス」について書いているうちに内容の紹介をする前に予定の紙数が尽きてしまった。わずかな行数ではとてもこの本の中身を要約はできない。私が個人的に一番面白く読んだのは、白井さんが、どうして人間は「資本に奉仕する度合い」に基づいて格付けされることを(それが自分自身をますます不幸にするにもかかわらず)これほど素直に、ほとんど嬉々として受け入れるのか、という問いをめぐって書いている箇所である。

 われわれの時代の新自由主義的な資本主義は「人間のベーシックな価値、存在しているだけで持っている価値や必ずしもカネにならない価値というものをまったく認めない。だから、人間を資本に奉仕する道具としてしか見ていない。」(70頁)

 ほんとうにその通りなのだが、問題は、どうして人々はそれに抵抗しないのか、ということである。それは資本の論理は、収奪される側の人間のうちにも深く内面化しているからである。この倒錯をマルクスは「包摂」と呼んだ。

 この「包摂」と「本源的蓄積」がイングランドの農業革命期の「囲い込み」から始まったというのはマルクス主義の教科書には書いてあるが、白井さんの説明ほどわかりやすいものを私はこれまで読んだことがない。

 人間たちが現に自分を収奪している制度に拝跪する心性の倒錯に気づき、自分の身体の奥底から絞り出すような声で、その制度に「ノー」を突きつける日が来るまで、資本主義の瑕疵や不条理をいくら論っても革命は起きない。問題は革命的主体の形成なのである。

だから、白井さんは、本書の結論部にこう書いている。

「『それはいやだ』と言えるかどうか、そこが階級闘争の原点になる。戦艦ポチョムキンの反乱も、腐った肉を食わされたことから始まっています。『腐った肉は我慢ならない』ということから、上官を倒す階級闘争が始まったわけです。」(277-8頁)

 最終的に「反抗」の起点になるのは人間の生身である。かつてアンドレ・ブルトンはこう書いた。

「『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ。」

 その通りだと思う。「生活を変える」ことなしに、「世界を変える」ことはできない。一人の人間が血肉を具えた一人の人間が、その生物として深い層から「それは、いやだ」という反抗の叫び声を上げるときに、労働者は資本主義的な「包摂」から身を解くのである。そして、「包摂」から逃れた労働者の眼前には「資本の本源的蓄積」以来の資本主義の全歴史が一望俯瞰される。だから、その次に労働者が選択するふるまいは、どのようなものであれ、その語の正しい意味において「革命的」なものとなるはずなのである。

 

 令和の聖代に「懦夫をして起たしむ」かかる「革命的」な書物が登場したことを喜びたい。

2020年

7月

31日

内田樹さんの「書評・白井聡「武器としての「資本論」(東洋経済新報社刊)」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.890

いま「心を開く」という比較的穏当な動詞を使ったけれど、ほんとうはそんな生易しいものではない。読者が「心を開く」というのは、どこかで「自分を手離す」ということだからである。自分が自分のままである限り、この頁に書いてあることは理解できない。この頁が理解できるようになるためには、自分は今の自分とは別人にならなければならない。そういう「清水の舞台から飛び降りる」ような決断を下すこと、それが「心を開く」ということである。そして、そのようなきびしい決断を読者に迫る書物がこの世には存在する。白井さんのこの本はそういう書物である。

 

 

2020年6月12日の内田樹さんの論考「書評・白井聡「武器としての「資本論」(東洋経済新報社刊)」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

私事から始めて恐縮だが、経済学者の石川康宏さんと『若者よ、マルクスを読もう』という中高生向けのマルクス入門書を書いている。マルクスの主著を一冊ずつ取り上げて、石川さんは経済学者という立場から、私は文学と哲学の研究者という立場から、中高生にもわかるように噛んで含めるように紹介するという趣向のものである。

 第一巻で『共産党宣言』、『ヘーゲル法哲学批判序説』『ユダヤ人問題によせて』。第二巻で『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』と『フランスにおける階級闘争』。第三巻で『フランスの内乱』と「マルクスとアメリカ」についての共同研究。そこまでは出した。最終巻で『資本論』を論じて、それでめでたくシリーズ終了という計画だったが、「次は『資本論』だね」と確認してから2年が経過してしまった。停滞しているのは、私が忙しさに紛れて書かずにきたせいである。

 しかし、ここに白井聡さんの『武器としての「資本論」』が出てきた。一読、あまりの面白さに、「そうか、こういうふうに書けばいいのか!」と膝を打ったのであった。そして、いまは自分の『資本論』論が書きたくて、うずうずしてきた。コロナ禍でしばらく暇が続くので、書き始められそうである。届かない原稿を待ち続けていた編集者のために白井さんは陰徳を積まれたことになる。

 私が膝を打った「なるほど! こういうふうに書けばいいのか!」の「こういうふう」とは「どういうふう」のことなのか。それについて書きたいと思う。

 

 白井さんのこの本は「入門書」である。「『資本論』の偉大さがストレートに読者に伝わる本を書きたい」という白井さんの思いを託した入門書である。マルクスについて基礎的な知識がない若者を読者に想定している。そういう人たちにマルクスの「真髄」をいきなり呑み込ませようという大胆きわまりないものである。そして、それに成功している。

 たいした力業と言わなければならない

「入門書」の良否は、想定読者の知性をどれくらいのレベルに設定するかという初期設定でほぼ決まると私は思う。

 凡庸な専門家は「一般読者を対象に」と言われると、いきなり「啓蒙」というスタンスを取る。想定読者の知性をかなり低めに設定するのである。そうすることが「リーダー・フレンドリー」だと思っているからである。そして、たいていは失敗する。

「啓蒙」は「書き手は博識であり、読者は無知である」という「知の非対称性」を前提にする。そういう構えはコミュニケーションを阻害することはあっても、活性化する役には立たない。「啓蒙」的態度をとる人は、自分が読者を威圧したり、屈辱感を与えたりしている可能性をあまり気にかけない。書き手が読者に対して十分な敬意を示さない場合、読者がそれを敏感に感じ取り、心を閉ざすということを知らない(人は自分が相手から愛されているかどうかはよくわからないが、自分が相手から敬意を払われているかどうかは、すぐわかるのである)。

でも、書き手がほんとうに読者に伝えたいことは、ほとんどの場合、読者に「心を開いて」もらわないと達成できない。読者たちが、これまでの自分のものの考え方をいったん「かっこに入れて」、しばらくの間だけ自分の手持ちの「物差し」をあてがうことを自制して、書き手の言い分を「丸呑み」にしてくれないと、ほんとうに伝えたいことは伝わらない。だから、ほんとうにたいせつなのは、読者に「心を開いてもらうこと」だけなのである。

「コミュニケーションの回路を立ち上げる」という遂行的な営みに成功しない限り、その回路を行き来するコンテンツの理非や真偽はそもそも論じることさえできないのである。

一人の読者が、一冊の本を読みながら、今読んでいる箇所を理解するためには、自分自身の考え方感じ方を一時的に「かっこに入れる」「棚上げする」必要があると感じたならば、その本はコミュニケーションの回路の立ち上げに成功したと言うことができる。私はそう思う。

 

 いま「心を開く」という比較的穏当な動詞を使ったけれど、ほんとうはそんな生易しいものではない。読者が「心を開く」というのは、どこかで「自分を手離す」ということだからである。自分が自分のままである限り、この頁に書いてあることは理解できない。この頁が理解できるようになるためには、自分は今の自分とは別人にならなければならない。そういう「清水の舞台から飛び降りる」ような決断を下すこと、それが「心を開く」ということである。そして、そのようなきびしい決断を読者に迫る書物がこの世には存在する。白井さんのこの本はそういう書物である。

2020年

7月

30日

五島つばきマラソンへの道 その3 ☆ あさもりのりひこ No.889

 7月9日(木)夜、トレッドミルで30分、4.5㎞走る。

 1㎞6分45秒、6分30秒、6分15秒のペースで各10分ずつ走った。

 腕を振っても右肩は痛まない。

 

7月10日(金)早朝、雨なので室内で筋トレ。

 

 7月11日(土)早朝、雨なので室内で筋トレ。

 

 7月12日(日)早朝、比較的平坦な行程をビルドアップ走、39分24秒、6.2㎞。

 1㎞7分02秒から5分12秒まで上げた。

 

7月13日(月)早朝、雨なので室内で筋トレ。

 

7月14日(火)夜、トレッドミルでペース走、30分、4.6㎞。

 時速9.6㎞=1㎞6分15秒のペース。

 

7月15日(水)早朝、階段1000段駆け上がり、33分55秒、3.6㎞。

ウインドスプリント200メートル5本。

 

7月16日(木)早朝、2㎞全力疾走、2㎞ジョギング、2㎞全力疾走、最後はジョギングで、39分05秒、6.5㎞。

 

7月17日(金)早朝、ビルドアップ走、39分43秒、6.2㎞。

 

7月18日(土)早朝、インターバル走、26分27秒、1㎞を5本。

 

7月19日(日)午前、キトラ古墳から稲渕へ抜ける激坂と飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社(あすかのかわかみにますうすたきひめのみことじんじゃ)の石段518段を上る行程、1時間50分54秒、14.7㎞。

飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社を初めて上った。

道路から見上げると、石段が延々と続いていて、ゴールが見えない。

石段の傾斜角度が一定で急である。

途中に狭い踊り場が3か所ある。

つまり、全行程は4分割できる。

最初は駆け上がったが、最後の4つ目の部分は歩いて登るのがやっとだった。

石段を登り切ると神社があるのかと思いきや、石段は参道につながっていた。

神社はまだその上にあるらしい。

石段を登り切ると、折り返して、荒い息づかいで石段を降りてきた。

機会があれば、神社も拝みたいものだ。

 

7月20日(月)早朝、ジョギングと石段598段、52分15秒、7㎞。

 

7月21日(火)夜、トレッドミルでビルドアップ走を30分、4.6㎞。

1㎞7分、6分45秒、6分30秒、6分15秒、6分、5分45秒で各5分ずつ。

 

7月22日(水)早朝、雨なので筋トレ。

 

 7月23日(木・祝)早朝、階段駆け上がり1000段、34分41秒、3.5㎞。

 ウインド・スプリント、200メートル、5本。

 

7月24日(金・祝)早朝、2㎞全力、2㎞ジョギング、2㎞全力、39分25秒、6.5㎞。

 

7月25日(土)早朝、雨なので筋トレ。

 

7月26日(日)、休足。

 

7月27日(月)早朝、雨なので筋トレ。

 

7月28日(火)早朝、ビルドアップ走、39分47秒、6.3㎞。

 

7月29日(水)早朝、インターバル走、1㎞×5本。

 

5分00秒、5分24秒、5分53秒、5分26秒、5分39秒。

2020年

7月

29日

内田樹さんの「日刊ゲンダイ「コロナ後の世界」」 ☆ あさもりのりひこ No.888

とりあえず日本の政官財はこれからも一極集中シナリオにしがみつき、五輪だ、万博だ、カジノだ、リニアだと「昭和の夢」を語り続けるだろう。だが、そこにはもう未来はない。

 

 

2020年6月4日の内田樹さんの論考「日刊ゲンダイ「コロナ後の世界」」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

「コロナ禍によって、社会制度と人々のふるまいはどう変わるのか?」ここしばらく同じ質問を何度も向けられた。「変わるかも知れないし、変わらないかも知れない」というあまり役に立たない答えしか思いつかない。でも、それが正直な気持ちである。

 2011年の3・11の後にも「これで社会のあり方も人々の価値観も変わるだろう。変わらないはずがない」と思ったけれど実際にはほとんど変わらなかった。環境が激変し、新しい環境への適応が求められても「変わりたくない」と強く念じれば、人間は変わらない。そして、生物の歴史が教えるのは、環境変化への適応を拒んだ生き物の運命はあまりはかばかしいものではないということである。

 今の日本ははっきり言って「はかばかしくない」。それは環境が大きく変化しているにもかかわらず、日本人集団がそれに適応して変化することを拒んでいるからである。

 

 日本人が直面している最も直接的な環境的与件は人口減と高齢化である。これはコロナとは関係がない。日本の人口は21世紀末までに中位推計で5000万人にまで減る。80年で7700万人、年間90万人ペースで人が減る。中央年齢は45・9歳で世界一の老人国である。要するに今の人口構成を前提に設計された社会制度は遠からず全方位的に崩れるということである。

 適応のための選択肢は二つしかない。

 首都圏にすべての資源を集中させて、それ以外を無住の地とする「一極集中シナリオ」か、全土に広く薄く分布する「地方離散シナリオ」である。

「一極集中」であれば、狭い空間に人間を詰め込むので、スケールは小さくなるが、制度は今とそれほど変わらない。人々は相変わらず満員電車で通勤して、混み合ったモールで買い物をする。ただし、首都圏以外では、幹線道路や線路から少し離れると廃屋と耕作放棄地が広がることになる。

「地方離散シナリオ」では明治末年程度の人口が当時の生活圏に薄く広く暮らす。たぶん人口の20%くらいが農村に住むことになるだろう。食料は自給自足できるが、エネルギーの自給率を上げるためにはテクノロジーの進化が必要になる。医療や教育については制度設計を間違えなければ高水準を維持できるだろう。科学や芸術の発信力も工夫次第で高められる。だが、経済成長はもう望むべくもない。

 

 3・11で「シナリオの変更」を突き付けられた時に、日本人は結局これまで通りの「一極集中シナリオ」を選択した。震災直後には、首都機能の分散や人口の地方移動・地方分権が提案されたけれど、ほとんど議論されないまま棄てられた。そこにパンデミックが来た。人口稠密地で感染が拡大し、経済活動は停滞した。地方離散と地方分権が進んでいれば、感染は早期に収束し、社会活動への影響も軽微で済んだかも知れない。済んだことだから検証のしようがないが。

 いずれにせよ、ウィルスはこれからも間歇的に世界的流行を繰り返すし、都市への一極集中が感染症に弱いことは周知された。では、どうするのか.

 とりあえず日本の政官財はこれからも一極集中シナリオにしがみつき、五輪だ、万博だ、カジノだ、リニアだと「昭和の夢」を語り続けるだろう。だが、そこにはもう未来はない。

 環境の変化に本気で適応する気なら、衆知を集めて、実現可能な「地方離散シナリオ」を起案すべきである。

 

 コロナを奇貨として、それについての本格的な議論が始まることを願っている。(2020年6月2日号)

2020年

7月

28日

アオハル(青春)

みなさん、こんにちは。

本日は事務局担当日@早起きが苦手です。

 

今年はとっても梅雨明けが遅いですね。

長梅雨や猛暑・コロナの影響でお野菜の値段が高騰しそうな予感・・・。

本来ならばオリンピックのための4連休。

みなさまはいかが過ごされましたか?

 

私は・・・・こどもの部活に振り回されておりました。

 

時を戻そう  ← ぺこぱご存じ?

 

6月2週目から本格的に学校が始まり、同時に部活見学も始まりました。

すでに部活を決めていたうちの子どもは、早々に入部届けを提出し、

嬉々として部活に参加しました。

私は、「コロナが収束したわけじゃないのに」と複雑な気持ちでいました。

 

7月に入り、部活保護者会が開かれました。

「たまに日曜日も部活があります」

「1年生は9月から朝練参加してもらいます」

「1週間に1日は必ず部活休みがあります」

噂では学校イチ厳しい昭和系部活と聞いていましたが、

試合結果ではなく、生活態度への指導が厳しいと聞いていたので、

「まぁ、青春頑張れ、若者よ」ぐらいに構えていました。

橿原市 弁護士
LOVEごろごろ

で。4連休。

1日目祝日 部活8時集合 → 5時起床

2日目祝日 部活8時集合 → 5時起床

3日目土曜 登校日    → 6時起床

4日目日曜 部活8時集合 → 5時起床

 

▽・w・▽  

登校日の方がゆっくり眠れるマジック。

 

「たまに日曜日も部活があります」

日曜日もやけど、祝日もやったんや・・・。

あれか、契約書とかで裏にちぃっちゃく書いてるから

よく知らんかったけど、不利なやつやった、みたいなやつか・・・。

「たま」ちゃうやんか・・・໒( = ᴥ =)ʋ まいんちねむいねむいからお出かけする気にならにゃい

 

本人は、しっぽふりふり部活に励んでいるのでなによりです。

青春と書いてアオハルと読むやつです。

 

お母様のなかには4時起きの強者もいるので

早くこの生活に慣れなきゃ・・・と思いつつ。

短い夏休み、ほぼ毎日部活確定デスdeath

私の体力、お・し・ま・いdeath (lll´Д`)。o○

2020年

7月

27日

内田樹さんの「「街場の親子論」のためのまえがき」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.887

もともと同質化圧の強い日本社会にさらに「共感」とか「絆」とか「ワンチーム」とかいう縛りがかかっている。そのせいで、もう息ができないくらい生きづらくなっている。

 

 

2020年6月3日の内田樹さんの論考「「街場の親子論」のためのまえがき」(後編)をご紹介する。

 どおぞ。

 

 

 僕はそこには「共感」を過剰に求める社会的風潮が与っていると思います。もともと同質化圧の強い日本社会にさらに「共感」とか「絆」とか「ワンチーム」とかいう縛りがかかっている。そのせいで、もう息ができないくらい生きづらくなっている。そういうことじゃないんでしょうか。

 たまに電車の中で高校生たちが話しているのを横で聴くことがあります。すると、ほんとうにやり取りが早いんです。超高速で言葉が飛び交っている。打てば響くというか、脊髄反射的というか、とにかく「言いよどむ」とか「口ごもる」とか「しばし沈思する」とかいうことが、ぜんぜんない。

 でも、これは異常ですよ。

 この若者たちは、たぶんそういう超高速コミュニケーションが「良質のコミュニケーション」だと思っているんでしょう。でも、それは違うと思う。そんな超高速コミュニケーションができるためには、そのサークルにおける自分の「立ち位置」というか「役割」というか、「こういうふうに話を振られたら、こういうふうに即答するやつ」という「キャラ設定」が確定していないといけない。でも、これはすごく疲れることだし、疲れるという以上に大きなリスクを含んでいます。

 もちろん、打てば響くコミュニケーションは当座は気持ちいいですよ。ジャズのインタープレイみたいなものですから、「腕のある者」同士だと、気分のよい演奏ができる。でも、長くやっていると、「自分のスタイル」を変えることが難しくなる。「らしくない」リアクションをすると全員が注視する。「どうしちゃったんだよ。お前らしくないじゃない」という突っ込みが入る。これが「キャラ設定」の怖いところです。

 たしかにキャラ設定を受け入れると、集団内部に自分の「居場所」はできます。いつもつるんで遊ぶ友だちもできる。でも、それは「初期設定をいじるな」という無言の命令とセットなんです。与えられた役割から踏み出すな、決められた台詞を決められたタイミングで言え、変化するな。そういう命令とセットなんです。

 家族でもそうです。「あなたは・・・だから」という決めつけがなされる。「・・・」には何を入れてもいいです。

 僕の場合だったら、「樹は西瓜が好きだから」「樹は要領がいいから」「樹は情が薄いから」などなど、無数の「キャラ設定」が家庭内でありました。

 僕がその期待に応えて、それらしいリアクションをすると、家族は機嫌がいい。家族が機嫌がいいと僕だってうれしい。言われてみれば、自分はたしかに西瓜が好きだし、要領がいいし、情も薄そうな気がする。でも、それってある種の「蜘蛛の糸」なんです。気がつくと、そういう無数の「樹は・・・だから」で身動きできないくらいにがんじがらめになっていた。

 僕は成長したかった。変化したかった。当然ですよね。呉下の阿蒙は「士別れて三日ならば、即ち更に刮目して相待つべし」と言いましたけれど、ほんとうにそうだと思います。人が成長するときには、三日経つと別人になってしまうくらいの勢いで変わる。それが人性の自然なんです。

 だから、「キャラ」の縛りが受忍限度を超えた時点で、僕は「すみません。長らくみなさまの"内田樹"を演じて参りましたが、もうこの役を演じるのに疲れました。役降ります。失礼しました。さよなら」と言って家を出てしまいました。

 

 家族の絆はつねにこの「変化するな」という威圧的な命令を含意しています。だから、若い人たちは成熟を願うと、どこかで家族の絆を諦めるしかない。子どもの成熟と家族の絆はトレードオフなんです。「かわいい子には旅をさせろ」と言うじゃないですか。

 絆が固ければ固いほど、成熟を求めて絆を切った子どもと残された家族とのその後の関係修復は困難になる。だったら、はじめから絆は緩めにしておいた方がいい。その方があとあと楽です。僕はそう思います。

 僕は高校生のときに「役を降りて」学校を辞め、家を出て、その後経済的に困窮して、尾羽打ち枯らして家に舞い戻りました。まことに面目のないことでしたけれど、父は黙って、「そうか」と言っただけでした。意地っ張りの息子が何を考えているのかを理解すること共感することをその時点までに父は断念していたようでした。でも、この「何を考えているかわからない少年」を再び家族の一員として迎えることを決断した。その困惑した表情を今でも覚えています。

 父は僕が50歳のときに亡くなりました。よい父親だったと思います。一番感謝しているのは、このときの「息子を理解することは諦めたけれど、気心の知れない息子と気まずく共生することは受け入れる」という決断を下してくれたことでした。

 

 この往復書簡を通読されたみなさんは、僕と娘の親密なやりとりよりも、「なんとも微妙なすれ違い」の方に興味を持たれると思います。「これだけお互いに気持ちがすれ違っていて、よく『僕らは仲良しな親子です』なんて言えるな」と不思議に思う読者もおられると思います。でもね、そういうものなんです。

 僕たちはうまくコミュニケーションのできない親子でした。でも、うまくコミュニケーションができている親子というのは、先ほどの高校生じゃないですけれど、「打てば響く」ような超高速のやりとりができるということとは違うと思います。

 うまくコミュニケーションがとれないことそれ自体はあまり気にしない。そういうものだと諦める。そして、とりあえず、相手を家族内部的に設定された「キャラ」に閉じ込めることはできるだけ自制する。相手がどんどん変化しても、あまり驚かない(多少は驚きますけれど)。なんとかもう少しうまくコミュニケーションがとれるようになるといいんだけど。生きているうちは無理かも知れないなあ...まあ、それでも仕方がないかというのが僕の基本姿勢です。

 こんな親ですから、るんちゃんも僕との親子のコミュニケーションについては、あまり高い期待を抱いていないと思います。

 でも、それでいいじゃないですか。困ったときは困ればいい。「参りましたな、こりゃ」「ううむ、打つ手がありませんなあ」と腕を組んで、庭の海棠にふと目をやって、ふたり渋茶を啜る・・・というような親子関係があってもいいじゃないか、と。

 というようなことを書くと、「いったい何を考えているんだか...そんな親子関係でいいわけないじゃん」というるんちゃんのため息が聞こえてきそうです。ごめんなさい。親子は難しいです。

 

 最後になりましたけれど、こんな不思議な本の企画を立てて、僕たち親子を励ましてくださった中央公論新社の楊木文祥さん、胡逸高さんのお二人の編集者に感謝申し上げます。

 親子二人きりだと気恥ずかしくて、往復書簡なんか書く気になれなかったと思いますけれど、第三者の目を気にしながら書くことで、これまで言えなかったことをお互いに正直に言い合うことができました。弁護士を間に立てて協議離婚するようなものですね・・・という不穏な喩えを思いつきましたけれど、これはあまりに不適切ですね。忘れてください。

 何より、長い間付き合ってくれたるんちゃんに感謝です。ありがとう。たまには神戸に遊びに来てくださいね。

 

2020年3月

 

内田樹

2020年

7月

22日

内田樹さんの「「街場の親子論」のためのまえがき」(中編) ☆ あさもりのりひこ No.886

もし、「家族らしい思いやり」というものがあるとすれば、「この人は何となく『心の秘密』を隠していそうだな」と思ったら、その話は振らない、そっちには不用意に近づかないという気づかいがあってもいいんじゃないかと思うんです。

 

 

2020年6月3日の内田樹さんの論考「「街場の親子論」のためのまえがき」(中編)をご紹介する。

 どおぞ。

 

 

 以前に「アダルトチルドレン」という言葉がはやったことがありました(さいわい、もうあまり使われなくなりましたが)。親がアルコール依存症であったり、家庭内暴力をふるうような家庭に育った子どもは精神を病みがちであるという説です。それについて書かれた本を読んだら、そこに「アダルトチルドレンが発生する確率が高い家庭」の条件がいくつか挙げられていました。その一つに「家族の間に秘密がある」という項目がありました。

 僕はそれを読んで、それは違うだろうと思いました。話は逆なんじゃないかな、と。

 だって、家族の間に秘密があるなんて当たり前だからです。

 家族といえども他の人には知られたくないあれこれの思いを心の奥底に抱え込んでいる。

 僕はそうでした。

 だから、僕は子どもの頃は親や兄に、結婚した後は妻や子に、僕の「心の奥底」なんか覗かないで欲しいと思っていました。表面的に「演じている」ところだけでご勘弁頂きたい。だって、わざわざ心の奥底に隠しているわけですから、意馬心猿、社会的承認が得難いタイプの思念や感情に決まっています。別に、家族のみなさんに、それを受け入れてくれとか、承認してくれというような無理を申し上げるつもりはない。そっとしておいて欲しい。僕が求めているのはそれだけでした。

 ですから、もし、「家族らしい思いやり」というものがあるとすれば、「この人は何となく『心の秘密』を隠していそうだな」と思ったら、その話は振らない、そっちには不用意に近づかないという気づかいがあってもいいんじゃないかと思うんです。

 もちろん、運がよければ、いずれどこかで、誰かに「これ、今まで誰にも言ったことがないことなんだけど・・・」ということを告白する時が来ます。そういう話を黙って聴いてくれる人が「親友」とか「恋人」とかいうわけです。

 でも、それは一生に何度も起きることのない特権的な経験です。「親友」とだって、それから後、顔を合わせる毎にそのつど「心の秘密」を打ち明け合うわけじゃないし、「恋人」と運よく結婚した場合でも、やっぱり朝夕ちゃぶ台をはさんで「心の秘密」を語り合うわけじゃない。心の奥に秘めたことを語るというのは、例外的で、そしてとても幸福な経験であって、のべつ求めてよいものじゃない。僕はそう思います。

「家族の間でそんな他人行儀なことができますか」という反論があるのは承知しています。でも、「他人行儀」をとっぱずした結果、骨肉相食む泥仕合・・・という事例を僕はたくさん見てきました。そういう家族は例外なく「遠慮のない間柄」でした。だから、家族が罵り合う泥仕合になる前はずいぶん親しそうに見えた。お互いに遠慮なく、お互いの悪口を言う。欠点をあげつらう。容貌やふるまいについて辛辣な批評をする。それが「親しさ」の表現だと思っていた。

 でも、そういう家族はしばしば何かがきっかけになって(たいていはお金のことか、結婚のことで)崩壊した。そういうものなんです。「家族に承認されないようなお金の使い方」と「家族に承認されないような性的傾向」についてはあまり「親しく」コメントしない方がいいんです。「そうなんだ・・・そういう人なんだ・・・」と息を呑む、くらいのところでとどめておく。それが人に敬意を以て接するということです。家族に対してだって同じことだと思います。

 どんなに親しい間柄でも必ずどちらかが「何でそんなことを言うのかわからないこと」を言い出し、「何でそんなことをするのかわからないこと」をし始める。必ず。

 おとなしかった少女が、突然「もうたくさん。放っておいて」と捨て台詞を残して階段を駆け上がったり、優等生だったはずの少年が「オヤジのこと、ぶっころしてやりてえよ」と暗い目をしたり・・・そういうことって、ほんとうにいっぱいあるんです。ほぼすべての家庭でそれに類することが起きる。これは避けがたいことなんです。だから、「そういうことって、ある」という前提で話を始めた方がいい。 でも、なかなかそこまでの心の準備ができないので、そういう場面に際会すると「親しいつもりだった家族」はびっくりしてしまいます。そして、傷つく。どうして、そんなことをして自分を傷つけるのか、理由がわからない。あまりに一方的だ、ひどすぎると思う。そこでバランスを取るために、自分も相手に同じだけの傷をつける権利があり、義務があると思うようになる・・・

 怖いですね。

 でも、「そういうこと」が起きるのは、「家族はお互いに秘密を持たない方がいい」とか「家族は心の底から理解し共感し合うべきだ」という前提から話を始めたからです。前提が間違っていたんです。  もちろん、「あるべき家族」について高い理想を掲げるのはいいことです。でも、「あるべき家族」のハードルを上げ過ぎて、結果的に家族がお互いをつねに「減点法」で採点して、眉根を寄せたり、舌打ちをしたりして過ごすのは、あまりよいことではありません。それよりは、家族の合格点をわりと低めに設定しておいて、「ああ、今日も合格点がとれた。善哉善哉」と安堵するという日々を送る方が精神衛生にも身体にもよいと思います。

 

 でも、そういうことを声高に主張する人っていないんですよね。ぜんぜんいないと言って過言でないくらいに少ない。どうしてなんでしょうね。

2020年

7月

21日

真夏日対策@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

雨がようやく止んだと思ったら,

昨日から思わず目眩がするほどの暑さですね。

 

そして,夏の到来を知らせる,あの大音量の蝉の鳴き声も

朝から鳴り響くようになりました・・・(-_-;)

 

前回ブログではまだ使用をためらっていた首掛け扇風機ですが,

暑さ対策に昨日から使い始めました。

 

この暑さでは,もう見た目なんて気にしてられません(苦笑)

 

 

さらに,コンビニで見つけた

マルチステンレスボトル。

 

600ミリリットルまでのペットボトルや

コンビニなどで購入したカップコーヒー等を

そのまま入れることができて,

長時間保冷・保温ができる優れものという

謳い文句が以前から気になっていたので

試しに購入。

 

実力はいかほどかと,夕方に冷凍のお茶のペットボトルを入れておいたのですが,

朝起きてもまだ半分氷ったままの状態でした。

 

喉が渇いていたので,もう少し溶けていることを期待したのですが・・・

いやいや,驚きの保冷力です!

 

 

連休は再び雨模様ですが,もうじき梅雨があけると

毎日この暑さと戦うことになるんですよね。

 

日傘兼用折り傘に制汗スプレー,冷却シート,

首掛け扇風機にステンレスボトル。

 

持てるもの全てで対抗しようと・・・思うのですが・・・。

 

 

おいおい(゚Д゚)

 

通勤・・・だよね? 旅行じゃないよね?

なんか,荷物がどんどん増えて重くなってません??

 

と思わず自分で突っ込みたくなるほど,カバンが重い。。。

 

 

最近,腰痛が悪化したので,なるべく腰への負担を軽くしようと

リュックの中身を減らしたのに,

小さい手荷物用のカバンの中身が増えている・・・(笑)。

 

 

毎朝,小さなカバンで通勤している人たち・・・

 

あのカバンには何が入っているのでしょう?

そして何が入っていないのでしょう?? (笑)

 

断捨離できない私の悩みを誰か解決してください・・・(+_+)

 

2020年

7月

20日

内田樹さんの「「街場の親子論」のためのまえがき」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.885

今の日本社会では、過剰なほどに共感が求められている。

 

 

2020年6月3日の内田樹さんの論考「「街場の親子論」のためのまえがき」(前編)をご紹介する。

 どおぞ。

 

 

 みなさん、こんにちは。内田樹です。

 本書は僕と娘の内田るんとの往復書簡集です。

 どうしてこんな本を出すことになったのかについては、本文の中に書いてありますので、経緯についてはそちらをご覧ください。

 ここでは「まえがき」として、もう少し一般的なこと、親子であることのむずかしさについて思うところを書いてみたいと思います。

 

 本書をご一読して頂いた方はたぶん「なんか、この親子、微妙に噛み合ってないなあ」という印象を受けたんじゃないかと思います。

 ほんとうにその通りなんです。

 でも、「微妙に噛み合ってない」というのは「ところどころでは噛み合っている」ということでもあります。話の3割くらいで噛み合っていれば、以て瞑すべしというのが僕の立場です。親子って、そんなにぴたぴたと話が合わなくてもいい。まだら模様で話が通じるくらいでちょうどいいんじゃないか。僕はそう思っています。

 

 最近の若い人って、あまり「つるんで遊ぶ」ということをしなくなったように見えます。特に若い男性だけのグループで楽しそうにしているのって、あまり見かけません(僕が学生時代はどこに行くにも男たちのグループでぞろぞろでかけていました)。若い人があまり活動的でないのは、もちろん第一に「お金がない」からだと思います。訊いても、たぶんそう答える人が多いと思います。でも、それ以外に、「口に出されない理由」があるんじゃないでしょうか。

 それは他人とコミュニケーションするのが面倒だということです。

 人と付き合うのが負担なので、あまり集団行動したくないという人が増えている気がします。

 でも、またいったいどうして「他人とコミュニケーションするのが面倒」だというようなことが起きるのでしょうか?

 以下は僕の私見です。お断りしておきますけれど、私見というのは「変な意見」ということなので、あまりびっくりしないで下さいね。

 

 僕は若い人たちが他人とのコミュニケーションを負担に感じるようになったのは、共感圧力が強すぎるせいじゃないかと思っています。

 今の日本社会では、過剰なほどに共感が求められている。僕はそんな気がするんです。

 とりわけ学校で共感圧力が強い。そう感じます。喜ぶにしろ、悲しむにしろ、面白がるにしろ、冷笑するにせよ、とにかく周りとの共感が過剰に求められる。

 僕は女子大の教師だったので、ある時期から気になったのですけれど、どんな話題についても「そう!そう!そう!」とはげしく頷いて、ぴょんぴょん跳びはねて、ハイタッチして、というような「コミュニケーションできてる感」をアピールする学生が増えてきました。そういうオーバーアクションが無言のうちに全員に強制されている・・・そんな印象を受けました。

 何もそんなに共感できていることを誇示しなくてもいいのに、と思ったのです。だいたい、それ嘘だし。

 ふつう他者との間で100%の理解と共感が成立することなんかありません。あり得ないことであるにもかかわらず、それが成立しているようなふりをしている。「そんな無理して、つらくないですか?」と横で見ていて思いました。

 どんな親しい間でだって、共感できることもあるし、できないこともある。理解できることもあるし、できないこともある。それが当たり前だと思います。長くつきあってきて、腹の底まで知っていると思っていた人のまったく知らない内面を覗き見て心が冷えたとか、何を考えているのかさっぱり分からない人だったけれど、一緒に旅をしたらずいぶん気楽であったとか・・・そういう「まだら模様」があると思うんですよ。

 歌謡曲の歌詞だと、心を許していた配偶者や恋人の背信や嘘に「心が冷えた」方面についての経験が選好されるようですけれど(ユーミンの「真珠のピアス」とか)、その反対のことだってあると思うんです。さっぱり気心が知れないと思っていた人と一緒に過ごした時間が、あとから回想すると、なんだかずいぶん雅味あるものだった・・・というようなことだってあると思うんです(漱石の『虞美人草』とか『二百十日』とかって、「そういう話」ですよ)。

 

 僕はどちらかと言うと、この「理解も共感もできない遠い人と過ごした時間があとから懐かしく思い出される」というタイプの人間関係が好きなんです。そして、できたらそれをコミュニケーションのデフォルトに採用したらいかがかと思うんです。そのことをこの場を借りてご提案させて頂きたい。

2020年

7月

17日

内田樹さんの「パンデミックをめぐるインタビュー」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.884

何が正解であるかわからないときには、何が正解であっても自分の選択肢のうちにそれが含まれているように動く。

 

 

2020年5月27日の内田樹さんの論考「パンデミックをめぐるインタビュー」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

7 コロナ後の世界で、超高齢化社会における限られた医療資源をどのように守っていったらよいのでしょうか。

 

 これまでは医療を商品とみなして、それを買えるだけの経済力のある人間だけが医療資源を享受できるという市場原理主義的な解が最もフェアな解だと人々は信じてきました。しかし、このやり方では感染症には対応できないことがアメリカでの大規模な感染拡大と10万人に及ぶ死者数が示した。

 アメリカには2750万人の無保険者がいます。彼らは発症しても適切な治療を受けることができずに重症化します。ふつうの疾病でしたら、「金がないので死ぬのは自己責任だ」で済まされるかもしれませんが、感染症ではそうはゆかない。彼らが感染源となれば、感染のリスクが社会を脅かし続けるからです。感染症は全住民が等しく良質な医療を受けない限り対処できない疾病です。ここには市場原理主義は適用できない。

 医療資源が有限である以上、どこかで「線引き」は必要ですが、古来、医療者は「患者の貧富や身分によって医療の内容を変えてはならない」というヒポクラテスの誓いを守っています。今でもアメリカの医学部では卒業式にこの誓言を唱和しているはずです。「線引きをしろ」と命じる現実と「線引きをしてはならない」という誓言の間に齟齬がある。医療者とはこの葛藤に苦しむことをその職務の一部とする人たちです。そのことを患者であるわれわれも理解しなければなりません。

 そんな面倒な話には付き合いたくない、話を簡単にしてくれという人間は医療について口を出す資格はありません。ヒポクラテスがそういう誓いの言葉を医療従事者に言わせたのは、もちろん古代ギリシャにおいても患者の貧富の違いによって診療内容を変える医師がいたからです。その「現実」に対して「誓言」を対置することで、つまり医療者たちを葛藤のうちに巻き込むことによって医療の歴史は始まった。この葛藤に苦しむことを動力として医療は進化した。

 もし、古代ギリシャで「金のある人間だけが医療を受ける。貧乏人は治療を受けられない」というシンプルなルールを採用していたら、医療者を養成するための医学教育にも、効果的な治療法の開発にも、保険制度の設計にも、それを実行するインセンティヴがありません。人間は葛藤を通じて、シンプルな解決法がないという苦しい条件の下ではじめて「そんな手があるとは思わなかった新しい解」を見つけて来たのです。有限な医療資源をどう分配するか「わからない」というのは、今に始まった話ではありません。

 

8 世界の状況を見ていると、ウィルス感染にたいするグローバル社会の脆弱性が浮き彫りになりました。高密度な都市生活、大量な人とモノの行き交いといった現代文明の達成は、今後大きく変容していくのでしょうか。

 

 今回のパンデミックで、アメリカは重要医療器具や薬品の戦略的備蓄が大幅に不足していることを露呈しました(必要なマスクと呼吸器の1%しか政府は備蓄していませんでした)。台湾と韓国は過去の失敗を教訓として医療器具の備蓄を進めていたために、感染抑制に成功しました。これらの事例から、先進国はどこも医療資源の自給自足の必要を実感しました。アメリカはすでに必要な医療器具医薬品の国産化に舵を切りました。

 同じことはエネルギーや食料などの基幹的な物資すべてについても起こると予測されます。

 国民の生き死ににかかわる物資は金を出しても買えないことがあるという当たり前のことを世界中が改めて確信したわけです。グローバル資本主義はここで一時停止することになると思います。

 都市一極集中というライフスタイルが感染症リスクにきわめて弱いということも今回わかりました。今回リモートワークを実践した多くの人は、自分の仕事のためには別に毎日通勤する必要はなく、そうである以上、わざわざ高い家賃を出して都市に住んでいる必要がないということに気づいたはずです。

 3・11の後に東京から地方への移住者が激増しましたけれど、同じことがポストコロナ期にも起きるものと予測されます。宇沢弘文は日本の場合、総人口の20~25%が農村人口であることが、社会の安定のために必要だと試算していますけれど、あるいはその数値に近づくのかも知れません。

 

9 各国が深刻な経済的ダメージを受けることは間違いありませんが、アフターコロナの国際秩序のなかで、資本主義のあり方も変わっていくと思われますか。

 

 トランプのアメリカは国際社会でリーダーシップをとる意欲がありません。この政策を続けるなら、アメリカに代わって中国がポストコロナ期のキープレイヤーになるでしょう。中国は一帯一路圏を中心に医療支援を通じて友好国作りを進める。中国の超覇権国家化を望まない国々それを妨害しようとする。でも、決定打はどちらにもありません。ですからしばらくは「地政学的な膠着状態」が続くと思います。

 クロスボーダーな人間と商品の行き来が止まるわけですから、グローバル資本主義も長期にわたる低迷を余儀なくされるでしょう。この期間に「プランB」にいち早く切り替えることのできた国が生き残り、旧い成功モデルにしがみついている国は脱落する。

 

10 もしコロナが資本主義の分岐点だとしたら、経済的不況下でも国民の食や医療を守るうえでどんな社会モデルが考えられるでしょうか。先生のビジョンをお聞かせください。

 

 わかっていることは、人口動態学的事実です。これから日本は超高齢化・超少子化社会に向けて進み続けます。2100年の人口予測は中位推計で4950万人。現在の1億2700万人から7750万人減ります。年間90万人ペースでの人口減です。これで経済成長などということはあり得ません。与えられた条件下で、人々が気分よく暮らせる「小国寡民」の新しい国家モデルを構想するしかない。

 さいわい日本列島は温帯モンスーンの温順な気候にめぐまれ、森が深く、きれいな水が大量に流れ、大気も清浄で、植物相も動物相も多様という自然条件に恵まれています。この自然条件を生かした農林水産業、同じく豊かな自然資源と伝統文化を生かした観光・芸術・エンターテインメント、そして少し前まではアジアトップであった教育と医療、それらを柱とした国造りがこれからの日本の向かう道だ思います。

 

11 アフターコロナを生きるうえで一番必要な道徳観・倫理観とは何でしょうか。

 

 未知の状況に投じられたときには、自由度が最大化する・選択肢が最大化するように動くのが基本です。何が正解であるかわからないときには、何が正解であっても自分の選択肢のうちにそれが含まれているように動く。それほどむずかしいことではありません。

 ただ、そのためには、自由である方が/選択肢が多い方が気持ちがいいと感じる身体感覚を具えていなければならない。

 

 日常的に「不愉快なことに耐えている」「やりたくないことをしている」人が、もしそういう自分を正当化するために「これが人間として当然なのだ・人間のあるべき姿なのだ」と言い聞かせていれば、いずれ致命的なことになるかも知れません。そういう人は危機的な状況に遭遇したときに、「より自由度の低い方、より選択肢の少ない方」に自分から進んで嵌り込んでしまう可能性があるからです

2020年

7月

16日

大林宣彦の映画 その4「さびしんぼう」 ☆ あさもりのりひこ No.883

さて、今回は愈々(いよいよ)「さびしんぼう」である。

 

1985年3月26日、大阪の東宝試写室で「さびしんぼう」を観た。

雑誌か何かで試写会の情報を得て、応募したら当たったのだ。

後にも先にも、試写会で映画を観たのは「さびしんぼう」が最初で最後である。

 朝守は25才であった。

 東宝の試写室は大阪市内のビルの何階かにあり、わりと狭かった。

 来ている観客は「常連」と覚しき人々で、上映前にはお菓子をやり取りしたりして親しげに喋っていた。

 

 試写を見終わったときは、「ええなぁ」という感想と「なんかなぁ」という違和感が半々だった。

 わざとらしい、ドぎつい表現が目に付いたのが原因だと思う(岸部一徳の先生とか、入江若葉のPTA会長とか)。

 

そういえば、入江若葉は「転校生」では斉藤一美の母、「時をかける少女」では芳山和子の母を演じていた。

 「時をかける少女」で深町一夫の祖母を演じたのは、入江たか子であった。

 入江若葉は、入江たか子の娘である。

 

何回も観ると、わざとらしい、ドぎつい表現に慣れてきて、それほど気にならなくなり、本筋のいいところだけが心に残る、という反応は「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」に共通する。

 

映画は、カタカタと映写機が動く音が流れて、セピア色の画面の枠に沿って線が走って行き、「a movie」という文字が現れて始まる。

 「転校生」「時をかける少女」と同じである。

 

「さびしんぼう」で富田靖子は4役を演じている。

さびしんぼう(タツ子の少女時代)、橘百合子、成長したヒロキの妻、成長したヒロキの娘、である。

 

「さびしんぼう」はね、なんといっても、橘百合子ですよ。

清楚、可憐、セーラー服、潮風に流れる長い髪、和服に下駄。

百合子は、自転車と渡船で向島から尾道に通学している。

この渡船に自転車を乗り入れた百合子が尾道水道の潮風に吹かれているシーンが素晴らしい。

 

ヒロキの家は西願寺という古刹である。

つまり、ヒロキは寺の小僧なのだ。

ヒロキは写真が趣味であるが、金がないのでフィルムが買えない。

ヒロキは百合子を望遠レンズを付けた写真機で追うが、フィルムが買えないので写真は撮れない。

自転車に乗った百合子を望遠レンズが捉え、百合子が小首をかしげるシーンが美しい。

 

さびしんぼうは、ヒロキの母タツ子が少女時代に演じた舞台の役柄であり、舞台衣装を身に着けている。

年末の大掃除のときに、アルバムが強風に煽られて、タツ子の少女時代の写真が風に舞って、さびしんぼうが現れる、という設定になっている。

さびしんぼうは、印画紙が「母体」なので、水に弱い。

 

ヒロキが望遠レンズで百合子を追うがフィルムがないので写真を撮れず、さびしんぼうは、古い白黒の写真から現れる、というカラクリである。

 

「さびしんぼう」はね、なんといっても、「別れの曲」ですよ。

ショパンの練習曲作品10の3「別れの曲」。

映画の全編を通して、「別れの曲」が流れる。

放課後の音楽室のグランドピアノで百合子が練習するのが「別れの曲」。

自宅のスタンドピアノで、ヒロキが人差し指1本で弾くのが「別れの曲」。

自転車に乗った百合子をヒロキの望遠レンズが捉えるときに流れるのが「別れの曲」。

そして、ラストでヒロキの娘が自宅のスタンドピアノで弾いているのが「別れの曲」なのだ。

 

ヒロキは、クリスマスプレゼントに買っておいたスタンドピアノ型のオルゴールを、バレンタインデーが終わってから、百合子に渡しに行く。

百合子がピアノの蓋を開けると「別れの曲」が流れる。

百合子は、ヒロキに、好きになってくれた側の顔だけを見てほしい、反対側の顔は見ないで、と言う。

百合子は、病気の父を看病していて、貧乏なのだ。

 

百合子に「ふられた」ヒロキが雨の中を歩いて帰ってくる。

土砂降りの雨の中、西願寺の石段にさびしんぼうが座って待っている。

さびしんぼうは、水に濡れると死んでしまうという設定である。

ヒロキがさびしんぼうを抱きしめると、さびしんぼうは、微笑みながら「ヒロキさん、わたし、ヒロキさん、大好き」と言って消えてしまう。

これが映画史に残る『雨の西願寺、石段のシーン』である。

 

「そして、いつか、ぼくは大人である」

というヒロキの独白とともにラストシーンになる。

西願寺の本堂で、大人になったヒロキがお経をあげている。

ヒロキの後ろには、大人になった百合子が、反対側の顔を見せて微笑んで座っている。

奥の部屋では、ヒロキと百合子の娘(高校生)がスタンドピアノで「別れの曲」を弾いている。

スタンドピアノの上には、スタンドピアノ型のオルゴールが置かれている。

 

「転校生」は永遠の別れで終わり、「時をかける少女」は再会の予感を漂わせて終わり、「さびしんぼう」は永遠の恋が成就して終わるのだ。

 

最後に、冬休みの尾道の雪景色を観ながらヒロキがつぶやくセリフを書く。

『ちくしょう、胸が痛い』

 

 

「さびしんぼう」はね、大林宣彦の最高傑作ですよ。

2020年

7月

15日

内田樹さんの「パンデミックをめぐるインタビュー」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.882

感染者をスティグマ化すれば、感染経路不明患者が増えるだけですから、自粛警察というのは存在自体が有害無益なのです。

 

 

2020年5月27日の内田樹さんの論考「パンデミックをめぐるインタビュー」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

プレジデントオンラインという媒体からメールで質問状が送られてきた。それに回答した。プレジデントオンラインでは写真付きで見ることができる。https://president.jp/articles/-/35721こちらは加筆したロング・ヴァージョン。

 

質問1  コロナ禍のなか「自粛警察」が横行し、いま社会全体が非常に刺々しい雰囲気になっている現状をどうご覧になっていますか。

 

 どういう社会状況でも、「ある大義名分を振りかざすと、ふだんなら許されないような非道なふるまいが許される」という気配を感知すると、他人に対していきなり攻撃的になる人たちがいます。ふだんは法律や、道徳や、常識の「しばり」によって、暴力性を抑止していますが、きっかけが与えられると、攻撃性を解き放つ。そういうことができる人たちを、われわれの集団は一定の比率で含んでいます。そのことのリスクをよく自覚した方がよいと思います。

 今回はたまたま「自粛警察」というかたちで現れましたが、別にどんな名分でもいいのです。それを口実にすれば、他人を罵倒したり、傷つけたり、屈辱感を与えたりできると知ると彼らは動き出します。そういうことをさせない一番いい方法は、法律や規範意識や常識や「お天道様」や「世間の目」を活性化しておいて、そういう人たちに「今なら非道なふるまいをしても処罰されない」と思わせないことです。

 

2 "正義マン"たちの特徴に、問題の背景にあるシステムへの提言や改善ではなく、個人を叩く傾向が強いのはなぜだと思われますか。

 

 気質的に攻撃的な人たちは、その攻撃性を解発することが目的で「正義」を掲げているのに過ぎませんから、システムの改善には関心がありません。だから、最も叩きやすい個人、最も弱い個人を探し出して、そこに暴力を集中する。「自粛警察」も公衆衛生には何の関心もありません。感染者をスティグマ化すれば、感染経路不明患者が増えるだけですから、自粛警察というのは存在自体が有害無益なのです。

 

3 「空気」ひとつでムラ社会的な相互監視が行き渡るのは、日本人に固有な民族誌的奇習なのでしょうか。

 

場の空気に流されて思考停止するのは日本人の「特技」です。それがうまく働くと「一億火の玉」となったり「一億総中流」になったり、他国ではなかなか実現できないような斉一的な行動が実現できます。でも、悪く働くと、異論に対する非寛容として現れ、マジョリティへの異議や反論が暴力的に弾圧される。

 今の日本社会の全面的停滞は、マイノリティに対する非寛容がもたらしたものです。その点では、戦時中の日本によく似ています。

 

4 現政権のコロナ対応は後手後手ですが、なぜこれほどまでに危機管理能力が欠如しているのでしょうか

 

 感染症は何年かに一度流行すると大きな被害をもたらしますが、それ以外の時期、感染症のための医療資源はすべては「無駄」に見えます。日本では久しく、必要なものは、必要な時に、必要なだけの量を供給して、在庫をゼロにする「ジャストインタイム生産方式」が工程管理の要諦とされていました。そんな風土では「医療資源の余裕(スラック)」の重要性についての理解は広がりません。

 

5 今回のコロナ禍で露呈したのが、日本の医療システムのスラックの少なさでした。1996年に845カ所にあった保健所は現在469カ所に、同年に9716床あった感染病床は、1869床まで減らされていたことについて、どう思われますか。

 

 日本の医療政策の基本は久しく「医療費を減らすこと」でした。それが最優先だった。一方、感染症対策というのは「いつ来るかわからない危機に備えて、医療資源を十分に備蓄しておく」ことです。できるだけたっぷり「余裕」を見ることです。それが「どうやって医療費を減らすか」という医療政策と整合するはずがない。

 今回の失敗に懲りて人々はしばらくは備蓄の必要を気にするでしょう。けれどもそれも一時的なことだと思います。このあと政府は「今回の感染対策に日本政府は成功を収めた」と総括するはずです。成功した以上、反省すべき点も、改善すべき点もない。そうやってそのうちそっと再び医療費削減路線に戻って、「無駄」を削り始めるはずです。

 ですから、このあと、今の与党が政権を取っている限り、日本ではCDCもできないし、保健所も増えないし、感染症病床も増えないし、医療器具の備蓄も増えません。そして、いずれ次の感染症のときにまた医療崩壊に直面することになる。

 

6 カミュの『ペスト』には、医師リウ―が「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」と語る場面が出てきます。「僕の場合には、つまり自分の職務を果たすことだと心得ています」と。私たちの社会が医療の現場を守り、コロナを乗り越えるのに一番必要なこととは何でしょうか。

 

 医療を守るために必要なのは、医療資源は有限であるということをつねに念頭に置くことです。医療崩壊というのは、言葉はおどろおどろしいですけれど、要するに収容できる患者数が医療機関のキャパシティーを超えるという数量的で散文的な事態です。今回はぎりぎり医療崩壊の寸前で食い止めましたけれど、これはほとんど医療従事者のパーソナルな献身的な努力によるものであって、制度の強みではありません。ですから、第二波に備えるためにも、そのような過労死寸前の働き方を医療従事者に要求するシステムは改善しなければならない。最も重要な医療資源は医療に携わる生身の人間なんですから。

 

 

2020年

7月

14日

夏の香りで梅雨明けを感じています!

 

本日7月14日は事務局が担当です。

今年の梅雨は、とても厄介で、各所に線状降水帯が発生し、何カ所にも50年に一度と言われる雨をもたらして、多くの被害を発生させていて、被害を伝えるニュースを聞くことが辛い日々です。

早く、梅雨が明けて、晴れ間が観たいものです。

この梅雨のさなかに、今年も依頼者の方がご自宅の庭で栽培されているカサブランカを2回も届けてくださいました。

事務所の受付カウンターに飾らせてもらうと、たちまち香りが部屋に拡がりました。

 

私が小中学校の頃は、この時期には、学校は短縮授業になり、午後の明るい内に下校しました。

その帰り道際の斜面に白いユリが咲き、その香りと陽ざしを浴びながら帰宅していたもので、今思えば「梅雨が明け、夏が来た」ことを感じていたのだと思います。

 

今の「なら法律事務所」では、蒸し暑さで汗をかいて出勤してきた時、外周りから戻ったときに、カウンターのカサブランカの花が迎えてくれます。

涼しい部屋に入ってホッとすると同時に香りと爽やかな姿が蒸し暑さを忘れさせてくれ、気分転換させてくれています。

まだつぼみがいくつも有り、もう少しの間は、梅雨の蒸し暑さを和らげ、一足先に夏を運んでくれています。

みなさんも、梅雨の沈んだ気持ちを転換させてくれる花を飾って、この時期を乗り越えてはいかがでしょうか!

2020年

7月

13日

内田樹さんの「若者の質問へのご返事」 ☆ あさもりのりひこ No.881

コンテンツの真偽適否は自分が決めることではありません。言論の場を領する集団的叡智が最終的に決することです。

 

 

2020年5月17日の内田樹さんの論考「若者の質問へのご返事」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

私の読者という若い方から手紙が来た。ツイッターで、ある政治学者のツイートをRTしたら、知り合いから「若い人は政治的発言をするな。党派的な発言をすると気分を悪くする人もいるから、そういう人に配慮しなさい。政治的発言をしたければ、もっと勉強してからしなさい」というお叱りを受けたそうである。

 どう対応すべきでしょうかというお訊ねだったので、次のような手紙を書き送った。

 

 こんにちは。内田樹です。

 お訊ねの件ですが、直接ご返事をする前に、少し原則的なことを確認したいと思います。

 僕は言論の自由を大切にする立場から、基本的にはどんなトピックについても、どなたでもご自由にご発言くださいという立場です。

 僕が言論の自由を大切にするのは「言論の場の判定力」を信じているからです。長期的かつ集団的には、言論の場において下される真偽理非の判定はだいたい適切である。僕はそう信じています。

 ですから、僕が自分の意見を発表するときの基本的な構えは、できるだけ長期にわたって・できるだけ多くの人にreadable/audible であるように表現することです。それだけです。

 大切なのは「長期にわたって、読み継がれ、語り継がれるように発言する」「立場を超えて、できるだけ多くの人に届く」ということです。コンテンツの真偽適否は自分が決めることではありません。言論の場を領する集団的叡智が最終的に決することです。だから、できるだけ真偽適否の判定が下しやすいかたちで自分の仮説を提示すること、僕たちに求められているのはそれだけです。「オレの言うことは正しい」ということをいくら大声で繰り返しても、ほとんど意味はありません。正否の判定をするのは「言論が自由に行き交う場」そのものであって、個人ではないからです。僕でもないし、僕が批判している人でもないし、僕を批判している人でもない。真偽理非の判定は集合的な営為です。だから「オレは正しい・あいつは間違っている」ということをうるさく言い立てている暇があったら、自分の発する言葉が、できるだけ長い時間にわたって生き延び、できるだけ多くの人に届くようにするために工夫する方がずっと無駄がない。

 そのためには、情理を尽くして、わかりやすく、きちんと論拠を示しながら、そして反証可能なかたちで語る。最後の「反証可能なかたちで」というのが言論の場に言葉を差し出すときのもっとも大切なルールです。

 エビデンスというのは誰でもアクセスできるものに限定されます。「私の夢に出て来た」とか「天狗がやってきて教えてくれた」とかいうのは、どれほど「ほんとうらしい」話でも、エビデンスにはなりません。言論が自由に行き交う場に対する敬意がある人は、他の人が真偽の判定できないこと(追試できないこと)は論拠には使わない。

 ですから、僕は論争ということをしないことにしています。

 もちろん、ある人の意見にどうしても同意できないという場合もあります。その場合には、その人に対して直接「あなたは間違っている」というのではなく(言ってもあまり意味がありません)、その人の意見に賛同したり、その意見を広めたりするかもしれない人たちに向かって「それは止めておいた方がいいですよ」と説得するというスタンスを採ることにしています。

説得するというのは相手の知性を信じるということです。

 論争を好む人は実はreader/audienceの知性や判断力を信じていないのではないかと思います。人々の目の前で完膚なきまでにぼこぼこにして勝敗を決して見せないと、論争している当事者たちのどちらが正しいかお前たちにはわからないだろうから、お前たちに代わって判断を下してやる・・・というのが論争の前提にある考え方です。

 僕はそういう考えを採りません。

 というのは、論争において、自分たちのやりとりを見聞きしている人たちの知性を低く設定していると、話を盛ったり、ごまかしたり、嘘をついたり、詭弁を弄することを自制できなくなるからです。結果的に「正しい意見」が勝利するなら、その過程でどのような「正しくないこと」をしても、手段は目的の正しさによって正当化されるという理屈が通ってしまうからです。だから、論争的になればなるほど、人は知的に不誠実になる・・・というのが僕の経験知です。

 言論の自由の場の審判力を信じる。だから、論争をしない。

 この二つを僕は発言に際しての基本ルールとしております。

 以上が原則的な確認です。その上で、ご相談の案件について僕の意見を申し上げます。

 誰かに向かって「黙れ」という人は、自分の審判力は信じているが、場の審判力を信じていないという点で、言論の自由の本質を理解していない人だと思います。

 あなたに「黙れ」と言ったこの方は、「自分の知性や判断力は相手より優れている」ということを前提に発言をしています。あるいは、ほんとうにその方の方が知識量や論争力においてあなたより優れているのかも知れません。それでも、言論の場においては、プレイヤー全員が等しくものごとの理非を判断できるだけの知性を具えているという前提を採用しなければなりません。

 あなたを叱った方は、ご本人の主観では、あなたの知的成熟を支援するつもりで、教化的善意に基づいてそうしているのかも知れません。しかし、これは教育的関係においては採るべきではない態度だと僕は思います。とりあえず、僕はそういうことはしないようにしてます。

 

 僕からのアドバイスは以上です。お役に立てばいいんですけど。

2020年

7月

10日

内田樹さんの「ホ・ヨンソン『海女たち』書評」 ☆ あさもりのりひこ No.880

見知らぬ老女に不意に「百年前にあんたに最初に会ったのも、こんな風の日だったね」と告げられて、そうだったのか、俺はこの人と血縁だったのに、何か「ひどいこと」をして、それきりになったんだ。

 

 

2020年5月11日の内田樹さんの論考「ホ・ヨンソン『海女たち』書評」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ホ・ヨンソンの詩集『海女たち』についての書評を西日本新聞に寄稿した。済州島の海女たちを主題にした詩集である。伊地知さんに頼まれて書くことになったのだが、ほんとうに詩について書くのは苦手なのである。歌道に暗いのである。

 

 私は韓国文学についてほとんど何も知らない。まして詩は私のもっとも苦手とする分野である。だから、日本の詩歌についてさえ一度も書評を書いたことがない。どうしてそんな人間に書評を依頼してきたのか、よく理由がわからない。おそらく訳者の姜信子さんとのご縁だろうと思う。姜さんは「かもめ組」という三人組(浪曲の玉川奈々福さん、パンソリの安聖民さんとのトリオ)で、私の主宰する凱風館で浪曲とパンソリのジョイントコンサートをしたことがある。

 韓国文学には無縁の人間だが、さいわい済州島には二度だけ行ったことがある。一度は講演のために、二度目は済州島の生活文化にもその地の痛ましい歴史にも詳しい大阪市大の伊地知紀子さん引率の「修学旅行」として。でも、変な話だけれど、済州島というと一番印象に残っているのは、最初の訪問のときにたまたま立ち寄った漁港の大衆食堂で食べた「さばの味噌煮」ある。この島の人たちが私たちと同じ仕方で調理されたものを、同じように美味しく食べているのだと消化器が証言したときに、日韓の思いがけない近さと、そして遠さを私は同時に感じた。

 遠く感じたのは、ほとんど同じ生活文化で身を養ってきたにもかかわらず、その隣人が、この島やあるいは対馬や大阪でどんなことを経験してきたのか私はほとんど何も知らないという事実の前にひるんだからである。

 

 私は済州島の潮風に研がれた生活者の顔を前にすると「ひるむ」。それはこの詩集のすべての頁に対した時の私の正直な感懐である。それは恐怖とも嫌悪とも違和感とも違う。見知らぬ老女に不意に「百年前にあんたに最初に会ったのも、こんな風の日だったね」と告げられて、そうだったのか、俺はこの人と血縁だったのに、何か「ひどいこと」をして、それきりになったんだ。そんな漱石の『夢十夜』のような、存在しない記憶が甦ってくるのである。