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2025年

2月

10日

内田樹さんの「歓待する学校」 ☆ あさもりのりひこ No.1638

学校も同じだと思います。一番大切なのは「歓待」です。まず「よくいらっしゃました」と子どもたちを受け入れる。そして、ひとりひとりを固有名で認知して、「ここが君たちの場所だよ」と保証してあげる。そして、「私は君たちがここにいてくれて、とてもうれしい」と告げる。

 歓待と承認と祝福。

 

 

2024年12月19日の内田樹さんの論考「歓待する学校」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

2023年度に不登校と判定された児童生徒は36万6000人。前年度を5万人上回り、過去最高を記録しました。毎年ほぼ5万人ペースで不登校が増えています。これは「異常」事態と言ってよいと思います。

 今これを読まれている中にも、過去に不登校の経験があったという人はきっといると思います。僕も小学校5年生のときに「いじめ」にあって不登校になり、転校することになりました。高校二年の時も不登校になり(これは受験勉強が嫌で)、そのまま高校を中退してしまいました。大学四年生の時もどうしても大学に行く気がしない時期が長く続きました。そういう人間ですから、「学校に行きたくない」という気持ちはよくわかります。なんというか学校に「来るな」と言われている感じがするんです。特定の先生が嫌だとか、特定の友だちが嫌だとかいうのじゃないんです。「学校というシステム」が嫌なんです。そこを支配している価値観と折り合いがつかないんです。

 小学生から大学生まで「学校に『来るな』と言われている」と感じることが何度かあった人間がどうしてそのあとわざわざ大学院まで行って、大学の先生になったのかというと、「お気楽な学校」を作りたかったからです。絶対に人を拒まない。来る人すべてを歓待する、そういう学校の先生になりたかった。

 学校にとって最も大事なことは「歓待すること」だと僕は思います。教員を40年間やりましたし、武道の道場の師範は35年やっていますけれど、その信念は揺らいだことがありません。

 武道の場合、上達するためにはとにかく稽古を継続することが大切です。ほとんどそれだけです。倦まず弛まず稽古をする。そして、稽古を続けるために一番必要なのは「明日もこの道場に来たい」という気持ちになることです。道場に行くと周りの人間が意地悪で、稽古もつらいだけという条件下で長く稽古を続けることは誰にもできません。

「はい、稽古終わります」と告げられると「え、もう終わりなの...」とちょっとがっかりして、早く次の稽古の日が来ないかなと思う人が一番上達が早い。それは誰にでも分かりますよね。

 だから、僕は自分の道場を「歓待の場」にすることにしました。

 みんなが来る前に道場を清め、ここでよい稽古ができますようにと強く祈ります。そういう僕の気持ちはみんなにも伝わるはずです。

 

 学校も同じだと思います。一番大切なのは「歓待」です。まず「よくいらっしゃました」と子どもたちを受け入れる。そして、ひとりひとりを固有名で認知して、「ここが君たちの場所だよ」と保証してあげる。そして、「私は君たちがここにいてくれて、とてもうれしい」と告げる。

 歓待と承認と祝福。

 僕はこれこそ教師が学校で果たすべき最もたいせつな仕事だと思います。それができれば、教科を教えることなんか、はっきり言って、どうでもいいんです。子どもたちが「学校が楽しい。学校に行きたい」という気持ちになってくれたら、授業だって「気がついたら最後まで面白く聴いてしまった」ということが起きるんですから。

 僕の敬愛する作家の橋本治さんは「私にとって学校というのは、小学校の後半から中学高校にかけて、ほとんど天国のようなところだった」と書いています。よほど楽しかったんでしょうね。お掃除当番が大好きだったっていうくらいですから、当然授業も好きだったんでしょう。だから橋本さんは受験勉強しないで東大に入ってしまった。

 ことの順序は「学校が楽しい。」だから「気がついたらつい授業も聴いてしまった」でいいと思うんです。

 そういう学校ばかりだったら不登校なんかきっとないと僕は思います。

(蛍雪時代11月号)

 

 

2025年

2月

07日

内田樹さんの「常識にもう一度力を」 ☆ あさもりのりひこ No.1637

市民に道義的であることを求める制度と、市民が利己的で不道徳であることを前提にする制度とどちらが長期的に「住みよい社会」を創り出すかは、考えるまでもない。

 

 

2024年12月19日の内田樹さんの論考「常識にもう一度力を」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

兵庫県知事選について書こうと思ったけれど、日替わりで事件が続くので、この記事が出る頃には事態がどうなっているのか予測がつかない。とにかく「異常な選挙」だったことは確かである。

 前知事の再選が決まった直後は「オールドメディアがニューメディアに敗北した」という総括が支配的な論調だった。しかし、実際にはオールドメディアが知事選の異常さを「報道しなかったこと」で前知事にSNSの「追い風」が吹いて世論が一転したのだから、むしろ「オールドメディアの世論形成力は侮れない」ことを思い知らされたと言うべきだろう。

 今回の県知事選では、公選法の制度上の抜け穴を利用して自己利益を得る「ハッカー」が幅を利かせた。ハックすることをスマートでクレバーだと評価する人がいる。この人物を「賢い」と評した政党幹事長さえいた。

 公選法も他の制度と同じく「市民は遵法的であり、良識に従ってふるまう」ことを暗黙の前提にして設計されている。もちろん昔から政見放送や選挙公報で「非常識なこと」を言う候補者はいた。けれども、そういう常識をわきまえない人にも被選挙権を確保することも「民主主義のコスト」だと思って人々は黙って受け入れてきた。何らかの外形的な基準を設けて「非常識な人」を排除することはやろうと思えばできただろう。けれども、先人たちはそうしなかった。「そんなの非常識だ」と思ったからである。

 常識にできる最大限は「それは非常識だ」と困惑してみせることである。それ以上のことは常識にはできない。常識は決して原理主義にならないし、強権的にもならない。それが「常識の手柄」である。

 今「非常識な人間」が大手をふるってのさばっているのは、法律や制度に穴があるからではない(あらゆる法や制度には穴がある)。彼らに向かって「それは非常識だ」と告げる言葉に現実的な力がなくなったからである。

 繰り返すが、民主政下の社会制度の多くは「市民は原則として遵法的であり、良識を持って行動する」ことを前提に、つまり「性善説」に基づいて設計されている。だから、「その性、邪悪な人間」の目には抜け穴だらけに見える。だが、それを制度の欠陥だと思ってはならない。

 性悪説に基づいて制度を作り直すことはしようと思えばできる。事実、市民の一挙手一投足を監視するシステムを完成させた国もあるし、日本にもそれを真似たいと思っている政治家はいる。

 しかし、どれほど網羅的な監視システムを作っても、人々はその監視の目を逃れる方途を必ず見つけ出す。というのも、国民監視システムは国民に向かって絶えず「お前たちは潜在的には全員が泥棒であり、謀反人なのだ」と告げているからである。朝から晩まで耳元で「お前は悪人だ」と言われ続けていながら「私一人でも遵法的で良識ある市民として生きよう」と思う国民が出現することを私は信じない。

 性悪説に基づく制度は「悪人であることが市民のデフォルトである」という人間観を政府が公式見解として発信し宣布しているということである。

 それとは逆に、性善説に基づく制度は市民に向かって「あなたたちが遵法的で、良識ある人であることを私たちは願う」というメッセージを送る。制度そのものが市民に向かって「善良な人であってください」と懇請するのである。

 市民に道義的であることを求める制度と、市民が利己的で不道徳であることを前提にする制度とどちらが長期的に「住みよい社会」を創り出すかは、考えるまでもない。

「それは非常識だ」の一言が十分な抑制力を持つ社会を私たちはもう一度再建しなければならない。

 

(週刊金曜日11月27日)

2025年

2月

06日

2025年1月のラディ、タニタ、ガーミン ☆ あさもりのりひこ No.1636

2025年1月の放射線量と体組成とランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

2025年1月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.0426μ㏜/h

室内0メートル 0.0435μ㏜/h

室外1メートル 0.0578μ㏜/h

室外0メートル 0.0725μ㏜/h

 

つぎに、朝守の身体について。

2025年1月25日の数値はつぎのとおり。

体重 73.35㎏

BMI 23.

体脂肪率 17.6%

筋肉量 57.35㎏

推定骨量 3.1㎏

内臓脂肪 13

基礎代謝量 1654/

体内年齢 50才

体水分率 57.3%

 

 

最後に、2025年1月のランニングの結果。

走行時間 11時間37分13秒

走行距離 102.55㎞

 

累積上昇 1463m

2025年

2月

05日

内田樹さんの「テレビドラマに見るなりたい職業」 ☆ あさもりのりひこ No.1635

メディア業界はもう「型破りの個人」が一人で補正できる限度を超えて劣化した。

 

 

2024年12月19日の内田樹さんの論考「テレビドラマに見るなりたい職業」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

先日テレビ局の人と「オールドメディアが力を失った」という話をしているうちに、そういえば新聞記者やテレビのディレクターを主人公にしたテレビドラマがないねという話になった。

 最近のテレビドラマの主人公はどんな職業人なのか調べてみたら、一位警察官、二位会社員、三位医療人、四位教師、五位探偵、六位弁護士、七位編集者、八位作家、九位料理人、十位銀行員だそうである。なるほど。メディア関係者では七位に編集者が入っているけれども、新聞記者もテレビ関係者もランキングには入っていない。

 私が子どもの頃、NHKが『事件記者』というドラマを58年から66年まで放送していた。私も毎週食い入るように見ていた。だから、当時の子どもたちの「なりたい職業」の第一位は圧倒的に新聞記者であった。60年から61年にかけては丹波哲郎主演の『トップ屋』というドラマがあった。フリーランスの雑誌記者が政財界の暗部を暴露してゆくというドラマで、当時の週刊誌の反骨性が知れた。

 私の記憶している最後の新聞記者ドラマは水谷豊が主演したシリーズで、1983年から2005年まで彼は役名を替えながら22年にわたって型破りの新聞記者を演じた。

 テレビドラマの主人公は「硬直した制度を人としての情理で打ち破る型破りの人物」でなければならない。これは『踊る大捜査線』の織田裕二も、『HERO』の木村拓哉も『イチケイのカラス』の竹野内豊もみな設定は同じだった。「人としての、等身大の情理を以て、硬直した惰性的なシステムに敢然と立ち向かう」ことが主人公の条件なのである。だから、ジャーナリストを主人公にしたドラマが急減したというのはかなり深刻な事態だということになる。 

 東京新聞の望月衣塑子さん原作の『新聞記者』は映画とドラマが制作されたし、テレビディレクターを主人公にしたドラマ『エルピス』も秀逸だった。でも、どちらも鋭く業界の問題を剔抉してはいたが、ドラマを観た子どもたちは「この業界にぜひ行きたい」とは思わなかっただろう。メディア業界はもう「型破りの個人」が一人で補正できる限度を超えて劣化した。多くの人はドラマを観てそれを確認したのだと思う。

 

AERA、12月4日)

2025年

2月

04日

ホットサンド@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

今朝は八木駅に降りたつと雪がちらちらと舞っていて、とても冷え込んでいます⛄

今週は今シーズン最強と言われている寒気の影響でぐっと冷え込むようなので、

体調にはくれぐれもお気をつけくださいね。

 

さて、3週間に1度回ってくるペースでも書く話題探しに毎度困っている私ですが😓

 

最近ハマッているのが、「ホットサンド」です。

 

 

 

少し前に、お正月に残ったお餅のアレンジ方法の紹介で、ホットサンドメーカーでピザのように焼いて食べるというのを見て気になっていたのですが、その時はテレビの影響もあったのか商品が売り切れていて。

 

先日、お店でホットサンドメーカーが再入荷されているのを見つけてしまい、1500円ほどのお手頃価格だったのもあって思わず衝動買いしちゃいました😄

 

平日の朝は余裕がないので、週末の朝昼兼用にホットサンドを作ってます。

 

 

まだ作ったのは数回程度ですが、とってもお手軽なのが魅力です。

 

   ホットサンドメーカーに油もしくはバターを塗る

   6枚か8枚切りの食パンを2枚用意して、どちらか片方のパンにバターやマヨネーズを塗る

   好みの具材を乗せる

(私はベーシックにハムやトマト、チーズを乗せて、アウトドアスパイス「ほりにし」を軽く振るのが好みです)

 

   もう1枚のパンを上から乗せて、ホットサンドメーカーの蓋をしめる

   コンロで片面1分~1分半程度焼いてひっくり返せば完成♪

 

 

 

 

レシピサイトを見てみると、お勧め具材の一例として、

アボガドとトマトのサンド、粒マスタードを塗ったハムやツナの

サンド、ピザトーストも美味しそうでした。

 

このほかチョコバナナなどのスイーツ系もあり、

ホットサンドもなかなか奥が深そうです😋

 

そんなこんなで、ホットサンドを作っているうちに、いつのまにやら我が家の餅が

 

食べ尽くされていたのもご愛嬌?

2025年

2月

03日

内田樹さんの「隠居宣言」 ☆ あさもりのりひこ No.1634

私の主な仕事は執筆と武道の稽古である。

 

 

2024年12月19日の内田樹さんの論考「隠居宣言」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

この原稿が掲載されるころにはすい臓がんの切除手術を受けた後でベッドの上にいるはずである。さいわい早期発見だったので、それほどおおごとにはならずに済み、年末退院で、来春からは全面的に社会復帰できるはずである(希望的観測)。

 いつも年賀状の宛名書きをしている時期に入院しているので、今年に限り年賀状は欠礼させてもらうことにした。道場の大掃除はじめあれこれのイベントも「病み上がり」を口実にさぼることにする。もう先頭に立ってばたばたする年でもないということである。 

 病を得たことを奇貨として、本格的に「隠居」することにした。もちろん、これまでも還暦や古希を迎えるたびに「これからは隠居だ」と宣言していたのだけれど、誰も本気にしてくれない。次から次に用事を言いつけられ、「その日は空いていますか?」と訊かれると嘘も言えない。気がつけばスケジュールが仕事で一杯になっていた。

 今回診断が確定してすぐに年内のスケジュールをすべてキャンセルした。「がんで闘病中」と言えば、「それでも来い」と言う人はさすがにいない。それに私が行かなくて特に困ったという話も聞かなかった。これは心強い。これからは大手を振って仕事を断ることにする。「その日は空いてますけれど、なんかその日は仕事をする気分ではないような気がします」と言ってもいいじゃないか。もう来年は後期高齢者なんだから。

 私の主な仕事は執筆と武道の稽古である。さいわい道場が一階、書斎が二階という家に住んでいるので、階段を上り下りするだけで用事が済む。これまでも気がつくと家から一歩も出ないという日がよくあった。それなら隠居しているのとあまり変わらない。シンポジウムや対談はオンラインでお願いし、用事があるという人には家まで来てもらう。

 

 そのうち「ウチダって、面倒な人だね」という風評が広まり、仕事を頼む人もしだいにいなくなり、フェイドアウトする。よし、これで行こう。

2025年

1月

31日

内田樹さんの「思考と身体~頭でわかること、身でわかること~」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1633

今の日本社会は馬鹿しか出世できない社会です。葛藤しない人間、無意味なことにいくらでも耐えられる人間しか出世できない社会です。理不尽なことや、非人道的なことを命じられても、何の内的葛藤もなく、それが実行できる人間が「自己管理能力が高い」と評価されている。

 

 

2017年2月6日の内田樹さんの論考「思考と身体~頭でわかること、身でわかること~」(後編)を紹介する。

どおぞ。

 

 

リーダーの条件

 ふつうに暮らしていると、「こうしろ」と命じられたことにそれなりの整合性も合理性もあるようだけれど、どうしても俺は納得できない、呑み込めないということが頻繁にあるははずなんです。葛藤があるはずなんです。でも、それは人間が生きてゆく上での自然だと僕は思います。AかBかどちらかに片づけることができないときは、AとBの間で葛藤すればいいんです。葛藤するのが自然なんです。でも、現代人は葛藤ということを忌み嫌う。話を簡単にしたがる。AでなければB、BでなければAみたいに。プランAに反対なら対案を出せ。対案がないなら丸のみしろというような言葉づかいをみんながするようになった。いつからでしょう。この25年ぐらいでしょうか。

 久しく、大人の条件というのは、清濁併せ呑むとか、融通無碍とか、対立する二項のそれぞれの顔を立てて、中を取って調停できる能力でした。そういう人を社会的な指導者として戴いてきたわけです。それぞれに一理はあるが、違う原理がぶつかっている時に、次元も価値観も度量衡も違う、どちらにとっても同じ程度に不満足な解を導き出すことができる人が半世紀前ぐらいまではリーダーだった。「三方一両損」という逸話がありますが、関係者全員が同じ程度に不満であるような「落としどころ」を見つけ出し、それを受けいれさせることのできる技術知、そして、その提案が全員のそれぞれの願いを部分的にではあれ代表しているという包容力、こうした力を持つことが、日本だけではなく、世界で久しく指導者の条件だったわけです。

 しかし今、そういう条件をリーダーに求める社会はどこにもありません。今求められているのはシンプルなリーダーです。とにかく多数決で正否を決しようとする。5149だったら51の勝ち。49の人間は負けたんだから黙っていろ、と。相対多数を取った側が正義だと言い切るようなタイプの人間がリーダーに祭り上げられている。ですからこの種のリーダーは自分を支持する51%だけを代表し、自分に異を唱えた49%の利害はまったく代表する気がない。けれども、リーダーというのは本来、反対者も含めて集団を代表することができる人間のことです。当たり前のことです。今さら僕が言うまでもなく、ロックやホッブズやルソーが説いた近代市民社会論の基本中の基本です。反対者を含めて集団を代表する。敵対者とともに統治する。それが近代市民社会の基本ルールです。

 でも、今時そんなことを言う人間はどこにもいません。政治家たちは誰もが自分の支持者の利害だけを代表すると公言している。自分を支持しない人間はその利害を配慮するどころか、積極的に潰しにゆく。そう平然と言い放つ人間が世界中で集団のリーダーとなっている。

 どこかの段階で、そういう人間しか上にあがっていけない仕組みになってしまったんです。端的に言えば、「馬鹿しか出世できない仕組み」なんです、これは。今の日本はまさにそうです。今の日本社会は馬鹿しか出世できない社会です。葛藤しない人間、無意味なことにいくらでも耐えられる人間しか出世できない社会です。理不尽なことや、非人道的なことを命じられても、何の内的葛藤もなく、それが実行できる人間が「自己管理能力が高い」と評価されている。

 

身体でわかること

 葛藤するということは人間の自然です。葛藤を通じて人間は成熟する。器が大きくなる。人として円やかに、ふくよかになり、感受性も敏感になるし、視野も広がるし見識も高くなる。

 宗教で言えば、修行というのはまさに葛藤そのものなわけですよね。自分が今一体何をやってるのか、リアルタイムではさっぱりわからない。行というのは、始めるに先立って、「この行には、これこれこのような効能があって、これこれこういうことをすれば、こういう能力が開花する」というふうにシラバス的にその効用が開示されているわけありません。いきなり始まる。何をやっているか本人には意味がわからない。でも、「わからない、わからない」と言いながら続けていると、ある日気づきが訪れる。身体の奥底の方から自分がしていることの意味がじわじわとわかってくる。振り返ると行を始める前とは別人になっている。ものの見方も変わっているし、ものを量る時の価値の度量衡も変わっている。それまでは意味の分からなかったことも、だんだん分かってくる。

 でも、それは「わからない、わからない」という葛藤があるからもたらされる成果なんです。行において最大の禁忌は「わからないことに慣れてしまう」ということです。何の意味があることなのかわからないけれど、やらないと叱られるから、何も考えずに我慢する。行は「我慢大会」ではありません。でも、葛藤が嫌いな人は「我慢する」という単一目的に手持ちのリソースを全部注ぎ込むというシンプルな解を選んでしまう。思考を停止し、身体が送ってくるさまざまなシグナルを無視する。心身を硬直させ、鎧をまとうように鈍感になって、「無意味」に耐える。でも、こんなものは修行ではありません。ただの「我慢大会」です。修行というのはそんな単純な解に帰着することではない。葛藤することです。

 教育というのはそういうものです。学びに先立ってこれから何を学ぶのかが事前に開示されることはない。学びの全行程とその結果獲得される効能が事前に開示されていて、それをインセンティブにしてなされるものは学びではありません。それはただの知識や技術の「買い物」に過ぎません。スーパーの棚に並んでいる商品をどれほど買いためても、消費者の本質は変化しません。買い物を始める前と終わった後で消費者が別人になるということはありません。手持ちの貨幣が減って、商品が増えるだけです。

 学びというのはそういうものではありません。学び始める前と学び終えた後で別人になっていることです。何のために学ぶのかその意味を言い表す言葉を学び始める前の段階ではまだ持っていない。その言葉を学びを通じて獲得する。そういうダイナミックな構造のものです。

 

身体の感覚から考える

 けれども現代では、シンプルな議論、シンプルな仮説、シンプルな価値観で世の中をスパッと切り取ることが好まれる。「それが正しい、それしかない」という言い方が好まれる。どちらが正しいか一言で言い切れる人間の方が「どちらにも一理ある」と葛藤する人間よりも重んじられる。そういう人を再生産し続ける仕組みが完成してしまった。危機的な事態だと思います。こんなことが続いていったら、集団は解体してしまう。

 私が申し上げたいことは単純なことなんです。葛藤してください、それだけです。正しい生き方をしろとか、こういう理論に従って生きろとか、こんな社会をつくれとか、そういう話じゃないんです。どういう社会をつくっていったらいいか分からない、どういう生き方をしたらいいか分からない、誰を信じたらいいか分からない、という当たり前のところで踏みとどまって欲しいと、そうお願いしているんです。

 でも、それが嫌なんです現代人は。その理由が僕にはさっぱり分からない。そんなに嫌ですか、未決定な状態で宙吊りになるのが。葛藤は楽しいですよ。ああでもない、こうでもないと頭を抱えているのって、僕は楽しいです。でも、誰も聞いてくれない。

 すぐに分かりやすく答えを教えろと言われる。今日みたいな講演をした後でも「『答えのない時代』だそうですけれど、そういう時代にはどう生きればいいのでしょう?」と平気で訊いてくる。新聞記者なんかでも長いインタビューのあとで、「では、一言で言ってわれわれはどうすればいいんでしょう?」って聞いてきます。正解がないんだから、葛藤してくださいというという話をしているのに、なんで答えを求めるんだよ、何聞いてたんだよ、と思っちゃいますね。

 これは現代人に取り憑いた深い病だと思います。どんな問題にもシンプルでクリアカットな解決策があると思っているんです。その解決策が実際に有効かどうかは知らないけれど、とにかく何か一つ答えを決めてもらわないと身動きできないと思い込んでいる。自分の中でざわめいている違和感とか、気分の悪さは無いことにしちゃうんです。

 表面的には合理的みたいだけれど、何だか腑に落ちない。逆に、何を言っているのかよくわからないけど、すっと腹に収まる。そういうふうな身体感覚を基準にして葛藤することがたいせつなんじゃないかと思います。

 

 ご清聴ありがとうございました。

2025年

1月

30日

畝傍山一円クロスカントリー大会 ☆ あさもりのりひこ No.1632

1月26日(日)午前、「橿原シティマラソン第52回畝傍山一円クロスカントリー大会」に出場した。

橿原運動公園をスタートして、畝傍山を2回登って、橿原運動公園に戻ってくる11.4㎞である。

 

午前8時30分、受付を済ませて、車の中で待機する。

快晴である。

ノースフェイスの帽子(ゴアテックス)、アイスブレーカーの長袖シャツ(薄い方の生地)、ノースフェイスの手袋、ファイントラックの長ズボン、ドライマックスの靴下、アルトラのトレイルランンイングシューズ(ローンピーク)という出で立ち。

 

午前10時過ぎにアップしてから、スタート地点へ。

安藤大さん(トレイルランナーズ大阪)を見つけて、ご挨拶して、久闊を叙する。

 

午前10時40分、11.4㎞の男子の部がスタート。

最初の2㎞が速かったこともあって、畝傍山の1周目の上りは歩いた。

その後は快調で、畝傍山の2周目の上りは走り続けた。

最後の1.5㎞もしっかり走れた。

 

1 5分55秒 129bpm

2 5分51秒 147bpm

3 6分24秒 147bpm

4 6分00秒 149bpm

5 7分25秒 150bpm

6 8分53秒 137bpm

7 6分24秒 150bpm

8 5分49秒 156bpm

9 6分44秒 155bpm

10 8分54秒 151bpm

11 5分37秒 158bpm

12 5分11秒 163bpm(490m

 

1時間16分28秒、11.49㎞、平均ペース6分39秒/㎞、総上昇量215m、消費カロリー877㎉、平均心拍数148bpm

 

畝傍山一円クロスカントリー大会は、生まれて初めて出たレースである。

出場するのは7回目だが、現在のコースになってからは4回目。

 

2014年  59分59秒

2015年  50分04秒

2016年  58分00秒

2019年  1時間18分36秒

2020年  1時間13分53秒

2023年  1時間13分31秒

2025年  1時間16分28秒

 

 

来年は、1時間12分台を目指すぞ!

2025年

1月

29日

内田樹さんの「思考と身体~頭でわかること、身でわかること~」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1631

嫌なこと、無意味なことに耐える能力において卓越した人たちが順調に出世している。政治、経済、学術、メディア、どの世界でもそうです。トップにいる人たちっていうのは、不快なこと、意味がないこと、理不尽なこと、非人間的なことをすることに心理的抵抗を感じない人たちなんです。

 

 

2017年2月6日の内田樹さんの論考「思考と身体~頭でわかること、身でわかること~」(前編)を紹介する。

どおぞ。

 

 

引き裂かれる人間

 皆さん、こんにちは。内田樹です。本日のテーマは「思考と身体」ですが、思考と身体という二元論的な枠組みは、便宜的な二項対立であって、実は、思考も身体も人間という存在にとってはひとつのものです。養老孟司先生がよくおっしゃるように脳も臓器の一つですから、思考も身体なんです。

 しかしこれをあえて、「思考と身体」「脳と身体」「精神と身体」というように二元論的に分けて考えるのは、人間が二項対立でしか物事を考えられないからです。本来は対立していないものを無理に二項対立せざるを得ないのは、人間にとっての自然な状態が、絶えず二項の間で引き裂かれ、揺れ動いている、落ち着きの悪い状態だからなんだろうと僕は思っています。何を言っているのかと思われるかもしれませんが、人間は二項間でうごめくのが自然であり、それが人間的であり、豊饒なものであるという結論にもっていくための“まくら”として聞いておいてください。

 

過剰適応して耐える

 それでは、今、我々がどのような社会に生きて、どのような問題を抱えているのか、具体的なところから話をしていきたいと思います。

 ご紹介いただいたとおり、私は神戸で凱風館という道場を主宰していますが、そこでは「寺子屋ゼミ」という勉強会もおこなっています。道場に机を並べて、受講者の発表をめぐってみんなで意見交換をするのですが、先日は、息子さんを東京大学へ進学させた親御さんが、その受験勉強の過程で感じたさまざまなことを話してくれました。その中で印象深かったことは、受験生は小学生のころから受験によるふるい分け、格付けに過剰適応してしまうということでした。受験生たちは高学歴を手に入れることで、職業選択や居住や移動の自由を手に入れたいと思って受験勉強をしています。将来、大きな自由を手に入れるために今の不自由に耐えている。言い換えれば「将来的にルールを気にしないで生きられるようになるために、今はルールに過剰適応する」ということです。でも、そこから離れるために、迂回的にそこに居つくというのは、それほど合理的な戦略なのか。大学の研究者に多い例ですけれど、大学の研究職に就いて、自分の好きな研究をして、知的愉悦に浸ったり、思い通りの教育をして、あらまほしき若者を育成するためには、まず専任教員のポストを手に入れなければならない。まずは既存の学界で支配的な価値観を受け入れ、無意味で煩瑣なルールに従順に従ってみせなければなりません。自由を手に入れるために、まず自由を断念しなければならない。他の国でも事情はそれほど変わらないのかもしれませんが、日本はこの「自由を断念させる」社会的圧力が異常に高いように思います。

 現在の日本は、現在の社会のルールや価値観に過剰適応してみせなければ、そこから逃れるためのドアノブに手が届かないという仕組みになっています。今の日本がダメになった理由はまさにそこにあると思います。

 

無意味なこと

 今の日本で子どもたちにまず要求されるのは、「それ、意味ないんじゃないかな」とか「それ理不尽でしょう」とか「不条理だ」と思えることがらについて、その言葉を呑み込んで、まず耐えるということです。受験勉強というのはまさにそのための訓練だと思います。「こんなことをして、何の役に立つのか?」という問いを自分で封殺して、「あきらかに無意味なこと」に耐える能力を訓練する。だから、現代日本のエリートたちは例外なく、子どもの頃から、「無意味なことに耐える」という長期にわたる苦役に耐えきった人たちなんです。

 無意味さに耐えるというのは、言い換えれば「葛藤しない」ということです。心と身体を硬直させて、脳の中のある部分だけを選択的に活動させ、ある回路だけを鍛える。受験勉強は子どもの心身にとってきわめて不快な体験ですけれども、それにこまめに反応していると苦しくて体がもたない。だから、自分を守るための生存戦略として意味のないことをすることが気にならなくなる。

 僕も昔、兄貴からそう言われたことがあります。僕は受験秀才でしたけれど、2歳年上の兄は勉強が嫌いでした。その兄が僕が高校受験のための勉強をしているときに部屋に入ってきて「樹、何やってんだよ」って言うんです。「勉強してるんだから邪魔しないで」って答えると、覗き込んできて「お前、その問題集何回目だよ」って。「3回目だよ」「3回目ってことはお前、答えを全部知ってるんだろ?」「知ってるよ」「えっ、じゃあ自分が知ってる問題の答えをただ書いてるだけなの?」「そうだよ」「お前、よくそんな意味のないことできるね」って言うんですよ。そしてこう言ったんです。「樹、お前は自分のことを『勉強ができる』と思っているだろ? でもね、それは違うよ。お前はね、ただ『意味の無いことができる』能力があるだけなんだよ。」そう言われたのは今からもう半世紀以上前のことですけど、今でもこうして憶えているということは、よほど僕の肺腑をえぐったんでしょう。

 「寺子屋ゼミ」での発表を聞いた時、そのことを思い出しました。受験勉強というのは「無意味なことに耐える能力」を考量する仕組みです。そして、現代日本社会は「無意味なことに耐える能力」が過剰に高く評価されている。

 

葛藤がない

 今の日本の社会を遠景に退いて見るとわかりますが、社会の上の方にいる人たちって、みんなそうなんです。嫌なこと、無意味なことに耐える能力において卓越した人たちが順調に出世している。政治、経済、学術、メディア、どの世界でもそうです。トップにいる人たちっていうのは、不快なこと、意味がないこと、理不尽なこと、非人間的なことをすることに心理的抵抗を感じない人たちなんです。

 「これはおかしい」と思うことってあるでしょう。上から命令されたことでも「これは人としてやってはいけないことだ」と思うことがあって当然です。そして、そういうことがあれば葛藤があるはずなんです。でも、今の日本のエリートたちは葛藤しないんです。

 

 本来であれば、「人として」それはおかしいということってあるはずなんです。惻隠(そくいん)の情とか、家風とか、自分自身の信念とか、そういう自然に自分のうちにある基準が外から強いられる命令と対立することがあるはずです。そしたら、ふつうはそこで苦しむはずなんですよ。しかし、今の日本のエリートたちはそういうことでは苦しまない。それは彼らが、自分の中にある情理や筋目や倫理や信条を、人としての、生き物としての実感を押し殺す訓練を幼児期からずっとしてきたことの成果なんです。指導的な立場にある人ほど、それに熟達している。葛藤しない人たちがエリートになって、この国の舵取りを委ねられている。そしてその予備軍が後から後から次々と送り込まれている。こんな仕組みを続けていたら、先行き日本はどうなるのか、僕は不安です。

2025年

1月

28日

2025年の明日香ストロベリーフェアーがまもなく始まります!

本日のブログは事務局が担当です。

今朝は、昨日とは一転、晴れ間が拡がりましたが、少し冷え込みましたね。

世間では、年末からインフルエンザ感染が拡がっている様です。

コロナ禍の様に、人混みでのマスク着用、手洗い、外出後のうがいなどを心がけましょう。

さて、風邪などを防ぐのには、外的防御に加えて、内側からも防ぐことがより効果的かと思います。

私は、この季節積極的にビタミンCを多く含む食品を摂るように心がけています。

過去には、柑橘類がビタミンCを摂るのに代表的な食品でした。

ジュースのミカンやレモンなら容易に飲めますが、この季節冷たいジュースは避けたいので、私は手軽に食べられるイチゴでビタミンCを摂ることにしています。

また艶々した真っ赤なイチゴを観ながら食べると、なんとなくテンションが上がるようにも思えます

あすかルビー
あすかルビー

ご存じの方も多いと思いますが、奈良県ではイチゴを栽培している方が多くいて、毎年12月から5月の間は、奈良県内では、比較的手に入りやすいと思います。

私は、大阪市内に住んでいますが、イチゴは大阪市で買うより、奈良県内の直売所で買う方が新鮮で比較的安価で買うことができます。

そして、今年も明日香ストロベリーフェアーが21()39()の期間開催されます。

 

https://asukastrawberry.wordpress.com/

明日香ストロベリーフェアー2025
明日香ストロベリーフェアー2025

是非、休みには、明日香へ出かけて、体にも心にも充塡をしてリフレッシュしてはいかがでしょうか?

 

イチゴリフレッシュすれば、休み明けの取り組みが違ってくるかもしれませんよ!

2025年

1月

27日

内田樹さんの「農を語る(中編)その2」 ☆ あさもりのりひこ No.1630

フィリピンは憲法を改正して、国内に外国軍は駐留できないという条項を入れて、スービック基地とクラーク基地から米軍を撤退させました。韓国だって在韓米軍基地を三分の一まで削減しています。地位協定も世界のどの同盟国でも改訂されている。在日米軍の言いなりで、何もしていないのは日本だけです。

 

 

2024年12月16日の内田樹さんの論考「農を語る(中編)その2」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

アメリカの対日世論を変える外交努力をすべし

 

内田 アメリカの中にだって、今のように日本を収奪し過ぎると、日本そのものの国力が衰微して、結果的にアメリカの西太平洋秩序の維持が難しくなるから、日本を植民地扱いするのは止めて、国家主権を認めた方が長期的にはアメリカの国益にかなうという考え方をする人だって当然いるはずです。そういう人たちときちんとコミュニケーションをとって、アメリカの対日世論を変えていくというのが本来の外交だと思います。「アメリカ」とひとくくりにするのがよくない。

 

藤井 そうですね。田舎の人間が「東京って」と東京のことをひとくくりにして思っているのと一緒ですね。

 

内田 アメリカは今シリアスな国民的分断にさらされていて、「内戦の危機」だとまで言われています。だったら、その中で最も日本の国益を利する立場の人たちとコミュニケーションをとって、アメリカの対日国内世論を形成する。いわば「アメリカ・ハンドラー」をこそ育ててゆくべきだと思います。

 

藤井 もちろんそうですよね。「パブリック・ディプロマシー」によって相手の世論を変えることだってできますし、それが本来の政治主権ですよね。

 

内田 でも、そういうふうにして、アメリカの政治に日本がコミットしていくという発想は欠片もないですね。

 

藤井 僕は一時期アメリカの学会にかなり出ていましたし、ヨーロッパの心理学の研究会にも行っていて、英語は下手でも完全に対等に議論していたと思います。そうすることができれば認めてくれるわけですが、日本の先輩や後輩でそんな奴はほとんど見たことありません。"Tempura! Fujiyama"とか言っているだけの田舎者なんですよ()。アメリカ人やヨーロッパ人に引け目を感じているのだと思います。僕は30歳ぐらいのときにスウェーデンに留学しましたが、当時は90年代だったから日本のほうが文化も上で、日本のIT機器や電気製品も勢いがあったから、ヨーロッパ人に対して「俺が教えたろうか」くらいの気持ちでいました。アメリカに行っても「アホばかりやんけ」という気持ちだったのですが、そう思っている人がほかにいなかったんですよね。

 たぶん、それと同じように誇りも何もない田舎者の外交がいろいろなところで展開されているのだと思います。進次郎なんて国連会議の記者会見で、日常英語を使えるのをみせてちょっとカッコつけたかったのか"gotta be......"みたいな大臣としては著しく相応しくない砕けた英語を使っていましたからね。

 

日米同盟以外のシナリオを想定しない政治学者や政治家たち

 

内田 だいぶ前ですけれど、日本のある高名な政治学者と対談したことがあって、「日本の安全保障戦略として日米同盟基軸以外にどういうシナリオがあるとお考えですか?」と聞いたことがあります。別に困らせるつもりじゃなくて、専門家の意見を知りたかったのです。でも、彼は絶句してしまった。日米同盟基軸以外にどんなシナリオがあり得るのか、考えたことがなかったらしい。でも、これはおかしいと思うんです。アメリカの政治学者に「西太平洋の安全保障戦略として、日米安保条約以外にどういうオプションがあり得えますか?」と訊いたら、いくつかのシナリオを答えてくれるはずです。ヨーロッパの学者に「NATO以外にどういうヨーロッパの安全保障の枠組みがあり得るか」と訊いても、たぶんいくつかのシナリオを示してくれると思う。ところが、日本人は日米同盟基軸以外のシナリオについてそもそも考えない。でも、思考実験として、中国と同盟する、韓国と同盟する...などなどいろいろなシナリオについて、その現実性と効果について検討することはしてもいいと思うんです。

 

藤井 日本人は政治家も学者も延髄が切れているのでしょうね()。ただ『俘虜記』の捕虜収容所のようなところに80年間近くもいるとそうなる人が多数派になってくるのかもしれないですね。

 

内田 「対米従属を通じての対米自立」という国家戦略はその時点では十分な合理性があったと思います。それ以外に選択肢がなかったのだから仕方がない。でも、「対米自立」という目的を捨てて、「対米従属」が手段から目的になってしまったら、日本はこらから何のために存在するんですか。

 

藤井 「国が滅びる」という言葉にはいろいろな定義があると思いますが、もう滅んでいると言ってもいいかもしれませんね。

 

内田 滅びの道に向かってますね。

 

藤井 55年体制ができたときの最初の綱領に「外国駐留軍の撤退に備える」という条項があって、そのために憲法をどうするかとか、国内法をどう整備するかといった議論があったわけですが、2000年ぐらいに綱領の見直しがあって、「日米同盟を基軸に」という文言が入ってしまいました。要するに、自民党は党として外国駐留軍の撤退に備える気がなくなってしまったわけです。

 

内田 在日米軍はもともと政府から派遣されていた単なる現地軍だったはずなのに、80年も巨大固定基地で暮らしているうちに気が大きくなって、横田や沖縄を「アメリカの海外領土」だと思うようになってしまった。ホワイトハウスが返せと言っても、在日米軍は返す気がないんじゃないですか。

 

藤井 本来であれば、政治家がきちんと議論をしていけば時間はかかるかもしれないけれど必ず返ってくるはずですよね。

 

内田 フィリピンは憲法を改正して、国内に外国軍は駐留できないという条項を入れて、スービック基地とクラーク基地から米軍を撤退させました。韓国だって在韓米軍基地を三分の一まで削減しています。地位協定も世界のどの同盟国でも改訂されている。在日米軍の言いなりで、何もしていないのは日本だけです。

 

壊滅しつつある日本の農業

 

藤井 今回は「農を語る」というテーマですが、この議論は「農を語る」ための根幹ですよね。

 

内田 対米従属文脈の中で、日本の農業が破壊され、食糧が自給不能になり、アメリカから農作物を輸入する以外に国民が食えなくなるという依存体質を作り込もうとしている、そういう理解でいいと思いますけど。

 

藤井 前編で申し上げたように、農業を守るためには公的資金をきちんと入れることと関税を高めることが必要ですが、現実にはTPPだとか自由化だと言って関税を下げていき、農業への補助金に関しても財務省の緊縮財政によって削減されている状況があります。つまり、「公助」が駄目になって農家の所得が下がっているわけです。最後の頼みの綱である農協という「共助」にしても、小泉進次郎が出てきて株式会社化を進めようとしたり、農林中金を自由化したりして解体しようとしています。

 僕はTPPの反対論を展開していたので、「藤井はTPPに入って日本は滅びるとか言っていたが、滅びていないやんけ」とよく言われます。でも、2040年に日本の農家は3分の1になり、2050年には5分の1になると言われているんですよ。しかも、今の農家の最新の平均所得(農業の収入と農業を行うのに必要な支出の差額)は1万円にまでなっているんです。ですから、今の農家の方は平均すると貯金を食いつぶしてお米を作ってくださっているわけで、さらに農家の平均年齢は令和5年で68.7歳になっています。

 

内田 皆さん、いずれ鬼籍にお入りになる年齢になっていますよね。

 

藤井 しかも若い人が入ってきていないですから、これは日本の農業の壊滅を意味しますよ。そのシグナルが今年スーパーで米が消えたことなのだと思います。昔は古米が大量に余っていて、多少高くてもいくらでも買えたはずなのに、それすらできなくなっている。つまり、日本人が米を食えなくなりつつあるわけですよね。だから、すでにこの国は滅びの道に完全に入っているのではないかと思います。

 

内田 このままだと滅びますよね。滅びる方向にまっすぐ向かっていて、誰も止めていないわけですから。

 

藤井 しかも、小泉進次郎だとかそのバックにいる菅義偉だとか、自民党のど真ん中にいる政治家連中がそう仕向けているわけですから、ホントに救いようがないですね。

 

 

「表現者 クライテリオン」11月号

2025年

1月

24日

内田樹さんの「農を語る(中編)その1」 ☆ あさもりのりひこ No.1629

今の日本の総理大臣はもう「属領の代官」でしかありません。政権維持のためには、アメリカに朝貢して、ホワイトハウスから官位を「冊封」されるのが最も手堅いと信じている。

 

 

2024年12月16日の内田樹さんの論考「農を語る(中編)その1」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

「対米自立」という気概の喪失

 

内田 「対米従属を通じての対米自立」というトリッキーな国家戦略が60年代までの自民党政治にはあったと思います。アメリカからの国家主権の回復、北方領土と南方領土(沖縄)の奪還がわが国の最優先目標であることについては、60年代ぐらいまでは左右問わずに国民的な合意がありました。けれども、ある時点から誰も「対米自立」を口にしなくなった。

 

藤井 それを言うと「アホか」という雰囲気になってきましたよね。特に現政府与党関係者達の中で対米自立を主張すると「藤井さんは青いな。中国や北朝鮮に対抗するためにはアメリカとうまくやらなきゃいけないじゃないか」と言われてしまいますから。中国や北朝鮮に対抗するためにはアメリカの「奴隷」であることが必要であり、「奴隷」と言うのが嫌だから「同盟」と言うんですよね。だから「日米安保」を「日米同盟」と言い始めるわけです。少女売春を「援助交際」や「パパ活」と呼ぶのと同じですよ()。日米同盟でも何でもないものを日米同盟とか言い出したことと、農業を守るという気概がなくなってきたことが完全に一致していますよね。

 

内田 文脈としては全く同じです。農業は国の基幹産業ですから、農業に手を突っ込んでくると激しい反米世論が巻き起こる可能性があった。だから手を触れなかった。けれども、日本の政治家から対米自立の気概がなくなったのを見てとってから対日戦略が一気に粗雑で、露骨になってきた。そういう感じがします。

 

藤井 誰か司令官がいて日本の隷属化を進めているというよりも、徐々に空気としてそう変わってきたということでしょうね。

 

内田 今の日本の総理大臣はもう「属領の代官」でしかありません。政権維持のためには、アメリカに朝貢して、ホワイトハウスから官位を「冊封」されるのが最も手堅いと信じている。

 

藤井 大岡昇平の『俘虜記』という小説がありますが、それと一緒ですね。この小説ではアメリカ人の若い将校がフィリピンの捕虜収容所を管理しているのですが、その収容所の捕虜達の中から一人日本人のリーダーを選ぶんです。勿論とくに明確な基準も無く適当に選ぶ。とはいえ、何の権限もなくて実際には若いアメリカ人が全部仕切っていて、ここで道徳の退廃がどんどん進んでいくという話です。大岡は最後にこれが日本なのだと書いています。つまりその収容所のリーダーが日本の総理大臣だということを、アメリカと戦った大岡は我々戦後日本人に伝えようとしたのだと思います。でも、そういう気概が本当になくなりましたね。

 

内田 戦後生まれの僕たちは実は主権国家の国民であった経験がないんです。親たちの世代までは大日本帝国の臣民だった。敗戦で帝国は滅びましたけれど、その国運を決定したのは自分たち自身です。他国に指示されたわけじゃない。でも、敗戦で国家主権を失った。そのことの喪失感の深さは戦後生まれの僕たちにはたぶん想像が及ばないと思うんです。彼らには「戻るべき原状」のイメージがあった。「国家主権の奪還・国土の回復」という言葉にリアリティーを感じることができた。でも、僕たちにとってその文字列はしだいに空語になりつつある。

 

藤井 サンフランシスコ講和条約で主権を取り戻したことにはなっていますが、「なんちゃって主権」でしかないですからね。沖縄のことも放置していますし。

 

内田 僕は子供の頃「日本国憲法は我々日本国民が作った」と教えられました。子どもですから、教えられるままそうなのかと思っていましたが、ある時期からそんなわけないということに気がつきました。これはほんとうに罪が深いと思うんです。日本人の自己認識の出発点は「われわれは主権国家の国民ではない」という欠落感でなければならないのに、まるで戦争には負けましたが、すぐに国家主権は回復しましたみたいな作話をした。

 

藤井 そうですそうです。僕もそうでした。ですが実際には国会の公式文書の中にも憲法がGHQによって押し付けられたという経緯が載っているくらい、明白な事実なわけです。なのにそれを子供の頃は知らなかった。でも、今の子供たちも押し付けられたということを知らないでしょうね。

 

内田 どういう歴史的経緯で日本国憲法が起草されたのかについての国民的合意がないんです。誰がどの条項をどういう意図で書き込んだのかについては諸説があって、どれも決定的ではない。憲法のある条項がどういう議論の末に決定され、なぜこの文言が採択されたかについては、条項そのものの当否とは別のレベルで「歴史的事実」として確定されていなければならないと思うんです。条項の適否についての議論はその先の話です。どうしてこんな条項が書かれたのかについて決定的なことを誰も知らないというところで憲法を議論できるはずがない。

 

日本の政治家はアメリカを怖がり過ぎている?

 

藤井 そうですね。昔の自民党、あるいは昔の社会党とかの政治家はそれなりにこういうことを議論していたと思います。しかし、今の政治家は派閥の論理の中で日和見して、どちらについたら得をするかということばかりに頭を使っていて、基本的な教養がなくなっていますよね。

 

内田 安倍晋三は原爆を落とされてからポツダム宣言が押し付けられたという程度の歴史認識でしたからね。こういう基礎的な事実を知らない人間が憲法について重要な決定を下すというというようなことはあってはならない。

 

藤井 今回の総裁選でも小泉進次郎氏が典型ですが、そういうことに関心がある人が少ないですよね。立憲民主党も先日代表選がありましたが、そういう議論をどこまで認識しているのか疑問です。

 

内田 認識していないと思いますね。立憲民主党も何とかして政権交代を実現したい。でも、政権与党であるためにはホワイトハウスから「属国の代官」として適格であるという許諾状を交付されないといけない。総理大臣としての適格性の最優先の根拠が「ホワイトハウスからの承認」であるというのはまことに悲しい話です。

 

藤井 実際には都市伝説的な部分もありますよね。要するに怖がり過ぎているということです。アメリカ人は、こちらがフェアであれば"That's make sense"(道理にかなっている)と納得してくれますから。核武装の問題に関しても、ちゃんと筋を通せばこちらの言い分をある程度は聞くはずですよ。なのに、進次郎みたいにポエムを言っていたら絶対に無理ですが()

 

内田 僕もそう思います。

 

藤井 場合によっては暗殺が起こることもあるでしょうし、実際にCIAはこれまで途上国で何度もそういうことをやってきましたが、G7の一角である日本でそう簡単にはできないはずです。だから、アメリカと対抗するために一番大事なのは、右だろうが左だろうが普通にロジックを展開してフェアに"make sense"できるような議論をすることだと思います。

 

内田 そうですね。アメリカといっても別に一枚岩ではありません。日米同盟に関してもさまざまな意見が併存している。日米安保条約を廃止した方がいいと言う人もいるし、在日米軍基地を撤収すべきだと言う人もいる。「日米同盟基軸」を言い立てている人たちはジャパン・ハンドラーの代理人ですから、彼らと異なるアメリカ国内世論を決して紹介しない。でも、トランプが大統領になったら、日米安保条約廃棄の「ブラフ」は仕掛けてくる可能性がありますよ。

 

 

藤井 トランプもホワイトハウスに入ったことで説得されて意見を変えたとは言われていますが、そう言い出す可能性は十分にありますよね。

2025年

1月

23日

五島つばきマラソンへの道 その4 ☆ あさもりのりひこ No.1628

1月17日(金)、休足。

 

1月18日(土)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

 

1月19日(日)午前、ジョギング、40分58秒、6.21㎞、平均ペース6分36秒/㎞、総上昇量91m、消費カロリー427㎉。

1 7分05秒

2 7分14秒

3 6分24秒

4 6分42秒

5 6分15秒

6 6分07秒

7 5分44秒(210m)

 

畝傍山一円クロスカントリー大会まで1週間。

 

1月20日(月)早朝、雨、室内トレーニング。

 

1月21日(火)早朝、室内トレーニング。

夜、トレッドミル、30分、3.95㎞、傾斜3.0%、時速8.0㎞(7分15秒/㎞)、消費カロリー375㎉、手首に重り1㎏×2。

 

1月22日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り約0.5㎏×2。

 

1月23日(木)早朝、ジョギング、54分00秒、7.74㎞、平均ペース6分59秒/㎞、総上昇量182m、消費カロリー570㎉。

1 6分55秒

2 7分12秒

3 7分20秒

4 6分52秒

5 7分36秒

6 7分30秒

7 6分12秒

8 5分57秒(740m

 

 

2025年

1月

22日

内田樹さんの「農を語る(前編)その2」 ☆ あさもりのりひこ No.1627

第二次世界大戦以降は、軍隊ではなく経済学者を宣教師のように使ってグローバリズムを広げ、マーケットを取るようになっていきます。その際にはその国の産業を潰すのが基本ですよね。自国で作れるものは買ってくれないからです。だから規制緩和で農家を潰して農産物を買わせたり、タクシー産業を潰してウーバーを参入させたりするわけです。

 

 

2024年12月16日の内田樹さんの論考「農を語る(前編)その2」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

インテリジェンス研究が軽視される日本

 

藤井 外国ではCIAKGBなどを研究対象にした「インテリジェンス研究」というのがありますが、日本にはないんですよね。

 KGBの幹部がイギリスに亡命する際に持ち出したスパイ関連の機密文書が「ミトロヒンアーカイブス」という資料として残っているのですが、そこに「Japan」という章があります。でも、誰も訳していなかったので京都大学の僕の研究室で訳して、記事として公表しました。例えば○○新聞の誰がエージェントだとか、○○党のこの人はエージェントだとかいったことが全部書いてあります。エージェントにもいろいろなタイプがいて、事実上エージェントの人とか、単にソ連と仲が良いだけで勝手にソ連のために動いてくれる人とかもいるようです。おそらく、アメリカもそういう誘導の仕方をしているのでしょうね。

 

内田 そうでしょうね。エージェントも多種多様で、自分で気づかないうちにエージェントの役割を果たしてしまっている人も相当数いると思います。自民党と民社党には結党時点ですでにアメリカの情報機関の金が入り込んでいるし、岸信介も賀屋興宣もCIAのエージェントでした。共産党にはソ連のエージェントが入っていましたし、敗戦後から60年代にかけてはどの政党もそれぞれの「ボス」である外国と何らかのチャンネルを持っていたはずです。自分たちは日本のためだと思って、外国の工作員だという自覚はなかったんでしょうけれど。

 

藤井 日本テレビもそうやって作られたということもよく知られた事実ですよね。こういうことを言うと陰謀論者だと思われがちなのですが、外国では「インテリジェンス研究」が大学の研究機関に存在していますから、本来は政治学者がやるべき仕事です。ただ、日本の政治学会でそういうことをやると「やばい奴」扱いされてしまうので、なかなかできないですよね。

 

内田 本来なら歴史学者と政治学者の共同作業でやるべきことですよね。

 

公文書の隠ぺいが「陰謀論」を強める

 

内田 アメリカは公文書をどんどん公開しますよね。あの姿勢は素晴らしいと思います。僕は大学卒業後友だちと翻訳会社をやっていた時期があり、当時GHQの資料を大量に訳したことがあります。僕の遠い親戚に平野力三という政治家がいます。片山哲内閣で農林大臣をやっていた右派社会党の活動家でしたが、戦前軍国主義者だったという告発を受けて公職追放されました。それから数十年して、アメリカで公文書が公開されたのを機会に、自分にかかわるすべての公文書のコピーを取り寄せたんです。そしたら、誰が平野力三を「軍国主義者だ」とGHQに告げ口したのかが公文書に書いてあった。西尾末広と曽祢益という民社党の二人でした。彼らが政敵である平野を陥れるために、平野の戦前の経歴について明らかに虚偽の情報をGHQに提供して公職追放をそそのかしたのです。そのことが分かって、のちに平野はカーター大統領から名誉回復を勝ち取りました。

 

藤井 そうですね。アメリカは公文書に関してはフェアですよね。ちゃんと公開するというノーム(規範)があるのでしょうね。

 

内田 日本は公文書はすぐに廃棄しますからね。敗戦の時、市谷で陸軍参謀本部が公文書を全部燃やしてからの伝統ですね。東京五輪の財務資料なんかもう燃やしてしまっているんじゃないですか。

 

藤井 本当だったら捕まる人がたくさん出てくると言われていましたからね。

 

内田 大阪万博だって、終わった後に住民が監査請求をしても、「帳簿は全部廃棄しました」と言って逃げ出すと思いますよ。

 

藤井 噂レベルなので固有名詞は出しませんが、今回の総裁選で小泉進次郎さんを推しているある人は、自分の息のかかった人でないと捕まってしまうから実質的に子分である進次郎さんを推薦しているそうです。小泉純一郎さんは「五〇歳になるまでは総裁選に出たら駄目だ」と進次郎さんに言っていたのに、そのお父さんを説得して息子を総裁にさせようとしているとまことしやかに言われています。そういう不正がまかり通るんですよね。

 

内田 陰謀論が広がるのは、公文書や帳簿などのドキュメントが公開されないからなんです。全部隠すから、「本当は何が起きたのか」が分からなくなってしまう。

 

「反米世論」が弱まり、コントロールしやすくなった日本

 

藤井 TPPが典型ですが、アメリカが工作しているというよりも、アメリカが言っていることに日本が明確に従っているというのが実際のところなのでしょうね。

 政府機関が外国の国民世論を操作する「パブリック・ディプロマシー」と呼ばれる外交戦略があり、アメリカは日本の世論に対して散々そういうことをやってきました。内政干渉じゃないかという気もしますが、アメリカからすれば自国の国益の最大化を追求するのが当たり前ですから、彼らを責められないところもあります。そういう現実があるわけですから、それに対するカウンターを作らないといけないですし、我々もそういうことを正々堂々とやることが必要ですよね。

そう考えると日本の農業は本当に悲惨というか、アメリカに食われっぱなしの状況ですよね。

 

内田 アメリカの対日戦略の一環として「日本の農業を潰す」ことはアメリカにとっては合理的な解ですから、あって当然だと思います。

 

藤井 それは大航海時代や帝国主義の頃からそうですよね。当時に比べればやり口がソフィスティケート(洗練)されて合法的な見かけにはなってきていますが、基本的には他の国から奪えるものは奪おうとしているわけです。特に19世紀後半や20世紀に入ってからは、需要を奪うのがメインになってきましたよね。最初は資源を奪っていましたが、途中から需要のある喜ばれそうなものを作って買わせるようになっていく。そうして買わせたうえで、さらにプランテーションで働かせたわけです。だから、労働も搾取するし需要も搾取するという二重の搾取を近代の帝国主義国家はやってきたわけです。

第二次世界大戦以降は、軍隊ではなく経済学者を宣教師のように使ってグローバリズムを広げ、マーケットを取るようになっていきます。その際にはその国の産業を潰すのが基本ですよね。自国で作れるものは買ってくれないからです。だから規制緩和で農家を潰して農産物を買わせたり、タクシー産業を潰してウーバーを参入させたりするわけです。アメリカは歴史的に考えれば当たり前のことをやっているわけで、それに対するカウンターを考えないといけないのに、小泉進次郎さんを筆頭に売国政策を嬉々として続けている状況があります。

 

内田 やっていることは植民地主義の時代と変わらないんですけれど、以前はそれでももう少しソフィスティケートされたやり方だったと思います。最近はそのやり方が露骨になってきた感じがします。たぶん日本側が全く抵抗しなくなったので、ハンドルするのに技巧や隠蔽が不要になったんでしょう。ジャパンハンドラーたちの手口が洗練されたものではなくなって、むしろ野卑で露骨になってきた気がする。

 

藤井 前はもう少し気をつけていたけれど、意外とアホだったということが分かってきたのでしょうね()

 

内田 これまではあまり露骨にハンドルすると、反米世論が高まってかえって日本がハンドルできなくなるかもしれないというリスクがあったので、多少は抑制的だったんですけど、そのリスクがなくなった。

 

藤井 80年代のオレンジと牛肉の自由化のときは大騒ぎでしたよね。

 

内田 60年安保以来、日本の反体制運動を駆動していた基本的な情念は「反米愛国」でしたからね。60年代末からの全国学園紛争も、もとはベトナム戦争に対する反対闘争でした。その頃は市民運動も労働運動も盛んでしたし、革新自治体が全国各地に広がっていました。だから、あの時代には日本国内の反米機運を鎮めることがアメリカにとっては急務だったのだけれど、うっかり露骨に日本の学生運動、労働運動を弾圧しようとするとむしろ日本の反米機運に火がついて、場合によってはソ連や中国の干渉を招く可能性もあった。ですから、対日工作はやるにしても丁寧にやろうという配慮はあったんだと思います。でも、21世紀に入ってからは「日本には反米世論を作るような力はもはやないから、何をやっても大丈夫だ」というふうに気が緩んできた感じがします。

 

藤井 そうですね。本誌の前身である『発言者』『表現者』は西部邁が始めたわけですが、彼はもともと東大で左翼の学生運動をやっていました。そしてその先輩には、森田実というあの砂川闘争を戦い抜いた男もいました。西部邁はその後左翼の運動をやめて経済学を勉強するのですが、20世紀の終わりごろから「保守」を名乗るようになります。なぜそうなったかというと、左翼にはいろいろな澱が溜まってきていたので、改めて日本国民のナショナリズムをベースに「反米」を展開しようとして左から右に旋回したわけです。つまり、独立のための「反米」が目的だったのです。

 

内田 まずは国家主権と国土の回復が基本だったということですよね。

 

藤井 生まれ落ちた以上奴隷ではないように生きていこうとするのは人として当然ですから、国家として隷属している状況があればそこから脱却するというのはすべてに優先する話です。そうでなかったら生きている意味は何にもないわけで、その意味でこの戦後空間は映画『マトリックス』のようにプログラミングされたまやかしだと言えるのでしょうね。

(『表現者クライテリオン』、10月号)

 

 

2025年

1月

21日

いざパワースポットへ初詣巡りpart2

弁護士 橿原

みなさん、こんにちわ。本日は事務局担当日です。

 

新年あけまして3週目ですが、皆様いかがお過ごしですか。

私は今年トシオンナ、ということで

奈良県民なら知らない人はいないであろう

三輪明神大神大社へ初詣に行って参りました。

あー。女性の年齢は計算しちゃダメよ😏

 

大神神社は、日本最古の神社といわれており、ご神体は三輪山そのもので、本殿はありません。

三輪山は国を開いた大物主大神が御魂を留めたという霊山で、「神の宿る山」として崇められてきた聖地です。

また、日本書紀には大物主大神蛇神に姿を変えられた伝承が記されており(箸墓伝説)、大神大社は「みーさん」と親しまれています。ということで、へび年の今年はたくさんの方が初詣に来られたようです。

 

 

三輪さんを訪れるのは、10年ぶりくらいですが、

いつもお正月三が日は混雑しているので、今年は2週目の三連休にお参りしたのですが、

それでもたくさんの方が来られていました。

たまたま同じ日にお参りしていた友人は、車で行って、

行きも帰りも3時間の渋滞だったそうです😲

 

車で行くと大鳥居を通るのですが、

私は電車で行ったので、参道を歩いて二の鳥居をくぐると、

木々が生い茂げり、澄んだ荘厳な空気が漂っています。

 

境内には、実際に白い蛇が棲むという大木の古杉があり、

あちらこちらにたまごと御神酒がお供えされていました。

拝殿の脇には縦およそ1.5メートル、横およそ4メートルのへびが描かれた巨大な絵馬が。

 

お賽銭を投げ入れ、お願いごとをしたあと、

御朱印を頂こうと思ったのですが長蛇の列・・・(みーさんだけに♪)

 

なで兎にもお願いごとをしようと思いましたが、こちらもかなりの長蛇の列・・・。

 

諸事情であまり時間もなかったので、また改めてお参りさせて頂くことにして。

三輪素麺を頂きに行きました♪(その時間はあるんかーーーい)

暖かいにゅうめんで体を暖め、参道で名物のみむろ最中をお土産に購入して

心もおなかもフル充電完了した初詣となりました😊

 

そして。

参道のたくさんのお店で干し芋が売られていたのですが、

今まで日本各地、色んな干し芋を食してきた私にとって、

食感といい味といい過去一番といっていいくらいおいしかったのです😲

三輪さんには色んな宿題を残してきたので、早々にまたお参りに行かねば!!

2025年

1月

20日

内田樹さんの「農を語る(前編)その1」 ☆ あさもりのりひこ No.1626 

日本の国益を考えたら、あらゆる手立てを尽くして農業を守り、自給率を上げるのが最も合理的な解です。

 

 

2024年12月16日の内田樹さんの論考「農を語る(前編)その1」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

食料の自給自足は国の根幹である

 

藤井聡 今回は、神戸女学院大学名誉教授で武道家でもあられる内田樹先生にお越しいただきました。内田先生は文学や思想、社会科学などいろいろな側面から時勢的な問題について論じられていますが、以前この「農を語る」にもご登壇いただいた堤未果さんと食と農の問題について対談されていましたよね 。それを拝見したこともありまして、今回お越しいただいた次第です。どうぞよろしくお願いいたします。

 早速ですが、内田先生は現在の「農」についてどのようにお考えでしょうか。

 

内田 僕への講演依頼で一番多いのは教育関係ですが、次に多いのが医療と農業です。JAさんをはじめいろいろな団体から声がかかっていて、あちこちで講演しています。演題として多いのは人口減少についてですね。今農村は急激な人口減少で、もはや過疎地を通り越して無住地化しつつあります。農村の現場の細かいことは研究者じゃないのでよく知らないのですが、大風呂敷を広げるのは得意なので、人口減少の文明史的な意味とは一体どういうものなのかという話をした上で、農業従事者の皆さん方はどう対処すべきかについて意見を申し上げます。僕からの提言は絶対に里山や農業を捨ててはいけないということです。

 

藤井 愚問かもしれませんが、絶対に捨ててはいけないとご主張される理由はどういったところにあるのでしょうか。

 

内田 農業は国の基本だからです。エネルギーと食料の自給自足は国の根幹です。これはどちらも足りなくなったからといって、いつでも必要な量だけ、必要な時に市場で調達できるというものではありません。そのことはコロナでよく分かったはずです。サプライチェーンが途絶したら、お金がいくらあったって欲しいものが買えなくなる。アメリカはマスクや防護服のようなものは途上国に作らせて輸入した方が安いという理由でほとんどをアウトソーシングしていたせいで、輸入が途絶えたとたんに医療崩壊が起きて多数の死者が出ました。マスクや防護服や検査キットのような、シンプルで安価な医療資源は、賃金の高いアメリカ国内で作る必要なんかない、在庫も要らない。「要る時に金を出せばいい」という「賢い」経営判断のせいで、たくさんの人が死んだ。「こんなものはいつでも買える」と思っていたものが買えなくなることがある。それについての想像力の不足が一番怖いんです。今の日本だって、いつ南海トラフ巨大地震が来るのか分からない。米中戦争だって起こるかもしれない。何が起きても国民を守ることが国の責務なんですから、エネルギーと食料と医療の自給自足はどんなことがあっても最優先で目指すべき最重要課題だと思います。

 

藤井 アメリカなどの先進国、G7諸国は食料自給率100%、200%を目指して輸出産業としても育てているのが一般的で、そのためにかなりの国費を投入して自給率を上げていますが、日本はそういう雰囲気になっていませんよね。カロリーベースの自給率はたったの38%しかありませんし。

 

内田 東京大学の鈴木宣弘先生によると、実際には10%を切るそうです。

 

日本の食料自給率が下がればアメリカの国益になる

 

藤井 自給率を高めるには二つの方法があり、一つは補助金をしっかりと出して農業所得を保障してあげることです。いわば「公共事業」として、農家の人たちを公務員のような格好でお雇いするという考え方です。もう一つ、「関税」を高めて農業を保護するという伝統的な方法もあります。

この二つの方法が基本ですが、前者の補助金はどんどん少なくなっていますし、後者の関税もTPPをはじめとする自由化を通じて下げるのが善であるかのような風潮があります。これは本当に由々しき事態ですよね。

 

内田 日本の国益を考えたら、あらゆる手立てを尽くして農業を守り、自給率を上げるのが最も合理的な解です。でも、そうなっていない。ということは、日本の農業が政府の補助で維持され、日本の食料自給率が上がることを望まない「外圧」が存在するということになる。誰が考えても、それはアメリカ以外にない。アメリカが政官財のさまざまなチャンネルを通じて、今の日本の農業政策をコントロールしている。そう考えるのが合理的だと思います。

 

藤井 いわゆる「ジャパンハンドラー」と呼ばれる人たちがアメリカにいますよね。CSIS(戦略国際問題研究所)などはジャパンハンドラーたちの巣窟であり、小泉進次郎さんもそこで研究されていましたからね。彼は自民党の農林部会の部会長をやっていた時期があり、農協の株式会社化や農林中金の自由化などを主張されています。しかもそれが「改革」と呼ばれ、何か良いものであるかのように言われていますよね。

 

内田 自民党の総裁選に出ている政治家たち、立憲民主党の代表選に出ている政治家たちの話を聴いていると、明らかに日本国民ではなく、ホワイトハウスに向けてシグナルを送っているということが分かります。例えば、「在日米軍の既得権には決して手を付けません」というような公約は国内的には支持率の向上にはつながるはずがない。それでも必ず公約するのは、それがアメリカ向けのジェスチャーだからです。「私が日本の首相になっても、アメリカの国益に抵触するようなことは決してしません。だから承認してください」とアピールしている。

 

藤井 多くの政治家は口には出さないでしょうけれども、アメリカを怒らせたら政治家として続かないという恐怖心があるのでしょうね。

 

内田 それは遠く田中角栄から、鳩山由紀夫、小沢一郎の前例から明らかですからね。

 

藤井 総理大臣としての政治生命を絶たれてしまうという、控えめな表現をすれば「都市伝説」があるわけです。事実であればもっと有効性がありますが、仮に都市伝説だったとしてもそれだけで一定の効果がありますよね。

 

内田 アメリカが実際に手を出して政治生命を奪うということはしていないと思いますが、日本の政治家と官僚とメディアがアメリカの意を「忖度」して、アメリカの国益に資するように動いている。

 

藤井 現在、自民党の総裁候補として小泉進次郎さんの名前が挙がっていますが、CIAやホワイトハウスが直接彼に電話して指示しているわけではないですからね。もしかしたら電話しているのかもしれませんが()

 

 

内田 CIAかどこかのアメリカのシンクタンクから派遣された人が政策ブレーンとして政治家たちの周りにいて、アドバイスを求められたときに「こうすればアメリカは喜びますよね」と知恵を付けている可能性はありますね。あくまでそういう間接的なコントロールにとどまっていて、「ホットライン」でアメリカから指示が出ているということはないと思います。

2025年

1月

17日

内田樹さんの「性善説と民主政の成熟」 ☆ あさもりのりひこ No.1625

市民の過半が「子ども」だと民主政は破綻する。

 

 

2024年12月16日の内田樹さんの論考「性善説と民主政の成熟」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

日替わりで政治的事件が続くので、コラムを書くのが大変である。でも、これはある意味では「よいこと」だと思う。それだけ政治的状況が流動化しているということだからである。

 公人としての資質問題で失職した県知事が、なぜかSNSで圧倒的な追い風を得て再選されたかと思うと、そのSNS戦略を受注した広報会社の社長が内幕を公開したせいで公選法違反を咎められるという展開になった。

「選挙にまつわる膿」がこうして噴き出したおかげで「なるほど選挙制度というのはこういうふうに腐ってゆくのか」が可視化された。これも「よいこと」に数えてよいかも知れない。

 ある候補者は公選法が想定していないトリッキーな行動を次々ととることで都知事選も県知事選もカオス化してくれたけれど、改めて公選法が性善説に基づいて設計されているという厳粛な事実を前景化してくれた点では功績があったと思う。 

 私たちの社会制度の多くは性善説に基づいて設計されている。喩えて言えば田舎の道にある無人販売所みたいなものである。「りんご5個で300円」と看板が出ていればふつうの人はりんごを取って代価を置いておく。でも、たまに「システムの穴をみつけて悪用する人間(ハックする人)」が出てくる。あるだけのりんごを持ち去り、ついでに置いてある代金も盗んでゆく。ハッカーたちは「性善説を信じているやつらはバカだ」と高笑いするのだろう。

 だが、その後、りんご農家がこれに懲りて、店番を置いたり、防犯カメラを設置したりすれば、そのコストは商品価格に転嫁されて、次は「りんご5個500円」に値上がりしたりする。ハッカ―の取り分は良民が分担することになる。だから、制度の穴をみつけて自己利益を増やす人間を「スマートだクレバーだ」とかほめる人は自分も彼らに盗まれていることに気がついていないのである。

 盗まれるだけでは業腹だから「オレも今日からハッカーになる」と人々が我さきに制度の穴を探すようになると、今度は社会制度をすべて性悪説で作り直さなければならない。「市民全員が潜在的には泥棒である」と思われて暮らすのはずいぶん気鬱なことである。何よりまったく価値を生み出さない「防犯コスト」を全員が負担しなければならない。

 そんな生産性の低い、気分の悪い社会に私は住みたくない。

 あらゆる制度は性善説で制度設計した方が圧倒的に効率がよいし、生産性が高い。何より性善説で作られた制度は利用者たちに向かって「善であれ」という遂行的な呼びかけを行ってくれる。「私はあなたが善良な人間であることを願う」というメッセージを制度が個人に送って来るのである。

 これは「民主政には無数の欠点があるが、それでも他の制度よりはましである」というチャーチルの理路と通じるものがある。民主政は不出来な制度である。なにしろ有権者の相当数が市民的に成熟していないと機能しないからである。市民の過半が「子ども」だと民主政は破綻する。だから、民主政は市民の袖を捉えて「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。

 そんな親切な制度は他にない。帝政も王政も貴族政も市民に向かって「バカのままでいろ」としか言わない。統治者ひとりが賢者であって、あとは全員愚民である方が統治効率がよいからである。でも、独裁者はほぼシステマティックに後継者の指名に失敗する。そして、独裁制はどこかで「統治者もバカだし、残り全員もバカ」というカオスのうちに崩落する。

 統治機構の復元力を担保するためには「一定数の賢者が社会的な層のどこかに必ずいて、統治者が不適切な場合に交替できる仕組み」が最も適切であることは誰にでもわかる。

 民主政はその「最も適切な制度」であるのだが、不出来な制度である。「一定数の賢者」を特定の場所に特定の方法で育成しプールするということができないからである。当然のことだが、強制や脅迫や利益供与を以て人を成熟させることはできない。成熟した市民は「調達する」ことができず、「懇請する」という仕方を通じてしか呼び出すことができない。そこが「不出来」である所以なのである。

 私たちの社会制度の多くが性善説で設計されているのは、その制度そのものが私たちに向かって「性善であれ」と懇請してくるからである。その遂行的メッセージを聴き取れない者は邪悪であるのではなく、単に未熟なのである。

 

 制度は生き物である。それが人間をどう成熟させ、世界をどう住みやすくするために作られたものなのか、たまには思量すべきだ。(12月16日)

2025年

1月

16日

五島つばきマラソンへの道 その3 ☆ あさもりのりひこ No.1624

12月27日(金)早朝、坂道ダッシュ400m×3本、50分44秒、6.88㎞、平均ペース7分23秒/㎞、総上昇量143m、消費カロリー502㎉。

6分59秒、7分19秒、7分15秒(580m)

2分29秒(6分07秒/㎞)

2分34秒(6分33秒/㎞)

2分28秒(6分11秒/㎞)

8分18秒、7分08秒、6分54秒(140m)

 

12月28日(土)早朝、階段1045段、50分19秒、6.28㎞、平均ペース8分01秒/㎞、総上昇量78m、消費カロリー479㎉。

8分03秒、8分44秒、7分50秒

7分51秒、8分46秒、7分26秒

5分53秒(280m)

 

12月29日(日)早朝、全力・ジョギング・全力、37分33秒、6.2㎞、平均ペース6分04秒/㎞、総上昇量87m、消費カロリー428㎉。

1 7分14秒(580m)

2 5分35秒

3 5分32秒

4 6分56秒

5 7分06秒(540m)

6 5分32秒

7 5分32秒

8 5分30秒(80m)

 

12月30日(月)早朝、室内トレーニング。

夜、トレッドミル、30分、3.95㎞、傾斜3.0%、時速8.0㎞(7分15秒/㎞)、消費カロリー375㎉、手首に重り1㎏×2。

12月30日にトレッドミルで走るのは珍しい。

 

12月31日(火)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り約0.5㎏×2。

2024年は、安藤大さんのアントレで締めた。

2024年は、病気やけがで休むことなく走れた1年であった。

 

1月1日(水)早朝、ビルドアップ走、38分33秒、6.19㎞、平均ペース6分14秒/㎞、総上昇量86m、消費カロリー430㎉。

1 7分02秒

2 6分53秒

3 6分15秒

4 6分09秒

5 5分43秒

6 5分27秒

7 5分39秒(190m)

きっちり速度を上げることができた。

2025年は、ビルドアップ走で走りぞめである。

2025年のレースの予定はつぎのとおり。

1月26日(日) 畝傍山一円クロスカントリー大会

3月2日(日) 五島つばきマラソン

12月7日(日) 奈良マラソン

 

1月2日(木)早朝、魔女トレ。

元日に昼寝しているときに、左脚の太股裏(ハムストリングス)が攣ったのでランニングは控えた。

 

1月3日(金)早朝、インターバル走、38分41秒、6.2㎞、平均ペース6分14秒/㎞、総上昇量90m、消費カロリー430㎉。

1 5分43秒

2 5分51秒

3 6分22秒

4 5分54秒

5 5分40秒

 

1月4日(土)早朝、魔女トレ。

 

1月5日(日)早朝、丘の階段641段、51分32秒、7.18㎞、平均ペース7分11秒/㎞、総上昇量154m、消費カロリー528㎉。

1 7分04秒

2 7分06秒

3 7分09秒

4 8分32秒(階段)

5 8分27秒

6 6分00秒

7 6分12秒

8 5分53秒(180m)

今年の年末年始は、長い時間、長い距離を走れなかったなぁ。

 

1月6日(月)早朝、室内トレーニング。

夜、トレッドミル、30分、3.95㎞、時速8.0㎞(7分15秒/㎞)、傾斜3.0%、消費カロリー378㎉、手首に重り1㎏×2。

 

1月7日(火)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り約0.5㎏×2。

 

1月8日(水)早朝、ウインドスプリント、52分10秒、7.66㎞、平均ペース6分49秒/㎞、総上昇量69m、消費カロリー539㎉。

6分59秒、7分09秒、6分50秒(80m)

1分21秒(5分09秒/㎞)、1分25秒(5分26秒/㎞)

1分19秒(5分03秒/㎞)、1分25秒(5分19秒/㎞)

1分14秒(4分42秒/㎞)、1分20秒(5分04秒/㎞)

1分12秒(4分38秒/㎞)、1分18秒(4分56秒/㎞)

1分10秒(4分34秒/㎞)、1分16秒(4分47秒/㎞)

7分06秒、6分38秒、6分26秒(100m)

回を追う毎に速度が上がっている。

 

1月9日(木)早朝、テンポ走、39分21秒、6.2㎞、平均ペース6分21秒/㎞、総上昇量86m、消費カロリー425㎉。

1 7分01秒

2 7分03秒

3 6分08秒

4 6分15秒

5 5分47秒

6 5分58秒

7 5分49秒(200m)

 

1月10日(金)朝、起きると雪が積もっていた。

道が凍結すると危険なので、走るのはやめて、室内トレーニング。

 

1月11日(土)早朝、坂道ダッシュ400m×3本、48分53秒、6.88㎞、平均ペース7分06秒/㎞、総上昇量137m、消費カロリー494㎉。

6分52秒、7分06秒、6分58秒(580m)

2分27秒(6分10秒/㎞)

2分26秒(6分09秒/㎞)

2分28秒(6分13秒/㎞)

7分57秒、6分25秒、6分09秒(140m)

 

1月12日(日)朝、雪が降っていたので休足。

喉が痛い。

 

1月13日(月・祝)、休足。風邪気味。

 

1月14日(火)、休足。

 

1月15日(水)、休足。

 

1月16日(木)、休足。

 

2025年

1月

15日

内田樹さんの「小林先生のこと」 ☆ あさもりのりひこ No.1623

もう少し年を取って、もうちょっと「天下無用の人」になりおおせたら、またコンビ復活して、爺二人でまったく時事性のない雑談を延々と語るというのをやってみたいですね。

 

 

2024年12月7日の内田樹さんの論考「小林先生のこと」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

小林昌廣先生が定年で退職されることになり、「はなむけ」の一言を求められました。長い間お疲れさまでした。最後の方は体調を崩されたと伺いました。いろいろたいへんだったと思いますが退職を機会にゆっくり休養されて、体力を回復されてまたご活躍されることを願っております。

 僕が小林先生と初めてお会いしたのは、90年代の初め、日本記号学会のシンポジウムにおいてでした。僕は身体論についてのシンポジウムの発表者でしたが、僕たちの順番が来る前に小林先生がMCをされた記号論のシンポジウムがありました。それを拝聴しました。発表者は現場の方たちばかりで、話はそれぞれ具体的でたいへん面白かったのですが、話が散らかり過ぎて、学術的な知見として共有できるかたちにできそうもありません。どうやって話を収めるのかちょっと心配しながら聴いていたら、小林先生が発表者全員の言いたいことをみごとにまとめてくれました。シンポジウムのMCが「自分の言いたいこと」にひきつけて話をむりやりまとめる光景は何度も見て来ましたが、小林先生の発表者たちへの理解の深さとゆきとどいた配慮にすっかり感心しました。

 すごい人がいると思って、降壇してきた小林先生をその場でつかまえて、無理やり名刺交換して「神戸女学院大学に一度来てお話をしてください」とお願いしました。小林先生が何の専門であるかも知らないうちに講演を頼んでいました。

 さいわい小林先生はご快諾くださり、それからしばらくして神戸女学院で講演をしてくれることになりました。たいへんに面白い講演で学生たちが目をきらきらさせて聴いてくれたので、今度はさらに増長して、「非常勤で来てください」というお願いをすることになりました。これもご快諾いただき、小林先生には身体論や医療論や伝統芸能論についてその深い知見を縦横に語って頂きました。

 京都造形大学の同僚である田川とも子先生も小林先生からご紹介頂きました。田川先生のプレゼンテーション(コスプレ論でした)も学生たちのツボにはまり、田川先生にもその場で「非常勤で来てください」とお願いし、以後二十年以上にわたって、神戸女学院大学の学生たちをご指導頂きました。

 僕も京都造形大やIAMASに呼ばれて、何度か講演をしましたし、小林先生との「コンビ」でもずいぶん仕事をしました。小林先生は医学と芸能という視点から、僕は武道家として身体論を語り、また僕は能楽も長く稽古してきたので、小林先生の歌舞伎論とは相性がよいのです。二人とも早口だし、雑学を披歴すると止まらないという少し似た語り口でしたので、いろいろなところから「お座敷」がかかりました。90年代終わりから00年代の初めくらいまでが「小林・内田コンビ」の繁昌期だったと思います。そのあと小林先生が大垣に移られてからは、お会いする機会が減ってしまったことがまことに惜しまれます。

 僕の方は大学を定年退職した後は、政治的なイシューについて発言を求められることが増えて、小林先生と日本文化について蘊蓄を傾ける「コンビ芸」を披露する機会はすっかりなくなってしまいました。あれは楽しかったんですけどね。

 

 もう少し年を取って、もうちょっと「天下無用の人」になりおおせたら、またコンビ復活して、爺二人でまったく時事性のない雑談を延々と語るというのをやってみたいですね。ぜひご一考ください。

2025年

1月

14日

いざパワースポットへ初詣巡り@事務局より

皆さん明けましておめでとうございます。

本年も事務所一同どうぞよろしくお願いいたします。

去年のお正月に引き続き、九州でまた大きな地震があり、なんだか落ち着かないですね。

今年は災害が少ない年になってくれればよいのですが・・・。

 

さて、新年を迎えた我が家では、毎年、某テレビ番組で発表される12星座×血液型の

合計48タイプの運勢ランキングを見て一喜一憂するのが恒例行事。

 

気がつくと既に番組が始まっている時間だったため、慌ててテレビをつけたところ、

私の運勢は、下から2番目の47位!😭

他の家族も40位代続出で・・・ショックでチャンネル変えました(笑)

 

 

 

なんとかこの悪い運気を変えるべく、

 

大阪で最強のパワースポットと呼ばれている 

「住吉大社」へ初詣に行ってきました。

 

阪堺電軌鉄道(路面電車)に乗り、住吉鳥居前で下車すると、

目の前に鳥居が。

鳥居を越え参道を進むと、有名な反橋(太鼓橋)が見えてきます。

 

七五三の頃以来の参拝で、昔来たときの記憶なんて殆ど残っていないと思いきや、

反橋を必死に歩いた記憶だけはうっすら残ってました。

 

お参りに行った日も、周りには振り袖を着た子がたくさんお参りに訪れていて、

橋を渡るのがやはり大変そうでしたが、中には厚底靴?のような履き物の子もいて、

ちょっと驚きました。

 

なんとか参拝を終えた後は、第一本宮の南側にある「五所御前」で、石拾い。

 

五所御前は、住吉大神を最初にお祀りしたした聖地と言い伝えられているそうですが、

こちらの垣内の玉砂利から「五」「大」「力」の文字が墨書きされた石を自分で

探し出してお守りにすると願いが成就すると言われています。

 

私も頑張って探し出し、授与所で専用の袋を購入しお守りにしてきました。

願い事が叶った際は、返納する時に感謝の小石とあわせて元の場所へ倍返しするのが

習わしとなっています。

無事願い事が叶うといいのですが☆ 

 

帰りは路面電車を途中下車して、以前から気になっていた阿倍晴明神社にもお参りに。

 

おみくじを引きたかったのですが、あいにく社務所がお留守だったので、 

近くにある本社の阿倍王子神社で「やたがらすみくじ」を購入し、早速運試し。

 

 

今年の私の運勢は、「末吉」。

 

「健康には要注意。

 今は新しいことよりも何をやるべきかを見極めるべきとき」

だそうです。

 

健康に気をつけよう・・・😓