〒634-0804

奈良県橿原市内膳町1-1-19

セレーノビル2階

なら法律事務所

 

近鉄 大和八木駅 から

徒歩

 

☎ 0744-20-2335

 

業務時間

【平日】8:50~19:00

土曜9:00~12:00

 

2025年

7月

16日

内田樹さんの「『コモンの再生』韓国語版まえがき」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1723

日本はアメリカの軍事的属国です。基幹的な政策については、それが安全保障であれ、外交であれ、エネルギーであれ、食料であれ、アメリカの許諾なしには何一つ決定できません。

 

 

2025年6月18日の内田樹さんの論考「『コモンの再生』韓国語版まえがき」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 みなさん、こんにちは。内田樹です。

 このたび、『コモンの再生』の韓国語版が刊行されることになりました。これでたしか僕の本の韓国語訳は57冊目になるはずです。これはたいした数字だと思います。

 先月、韓国を訪れて講演をしました。その時に頂いた演題は「日韓連携」というものでした。その機会に「どうして僕の本は韓国で読まれるのか?」という話をしました。聴き方によってはあまり品のない問いの立て方です(「なぜ僕はこんなに人気があるのか?」なんて話、ふつうは誰も聞きたくないんですよね)。でも、僕はこの論件には興味があります。というのは、僕の本をこんなに精力的に訳してくれているのは韓国だけだからです。

 中国語の翻訳は『日本辺境論』や『若者よマルクスを読もう』などいくつかありますが、たいした点数ではありません。それでも外国語翻訳があるのは、韓国語と中国語だけです。不思議だと思いませんか。フランス語の雑誌とドイツ語の雑誌とスイスのラジオ局からはそれぞれ過去に一度インタビューを受けたことがあります。欧米語圏からの取材はそれだけです。英語圏からは取材も寄稿依頼も翻訳のオファーも来たことがありません。一度だけ香港の英字紙からインタビューのオファーがありましたが、担当者の態度があまりに横柄だったので、こちらから断りました。

 韓国語訳が出るにつれて、この「英語圏からの組織的な無視」が気になってきました。いや、もちろん単に「つまんないから」という説明でも十分に合理的なんです。でも、もしかすると英語圏の読者は日本人が書く「状況論的な論考」にはまったく興味がないのかも知れない。だって、村上春樹とか平野啓一郎とか吉本ばななとかの文学作品はじゃんじゃん英訳されているわけですからね。文学については日本人の才能を高く評価するけれど、状況的な論点についての日本人の分析は「読む価値がない」と英語圏では思われているとしたら、この事実はなかなか興味深いと思います。

 例えば、僕が敬愛する「状況論」的な書き手というと、戦後日本では吉本隆明、埴谷雄高、江藤淳、橋本治、加藤典洋というような名前が僕の脳裏には浮かびます(かなり選好が偏ってはいると思いますが)。でも、ネットで検索すればすぐにわかりますが、このリストの中で英訳があるのは、江藤の一冊だけです(『閉ざされた言語空間』)。吉本も橋本も加藤も英語訳は一冊もありません(吉本は『共同幻想論』の仏語訳がありますが)。でも、これでは戦後日本人が政治について何を考えていたのか、何を熱く議論していたのかがわからない。英語圏の政治学者や社会学者のものは決して「一流」とは呼べない人のものでもどんどん和訳が出ているというのに、この非対称性はどういうことでしょう。

 これは英語圏の人たちは(主に「アメリカ人は」ということですが)、日本の知識人が自分たちの社会と世界をどうとらえているかについて全然興味がないということを意味していると、そう解釈してよいと思います。

 日本はアメリカの軍事的属国です。基幹的な政策については、それが安全保障であれ、外交であれ、エネルギーであれ、食料であれ、アメリカの許諾なしには何一つ決定できません。いや、別に「許諾」なんか要らないんです。なにしろ「アメリカの国益を最優先に配慮する政治家しか安定的に政権を維持できない」と日本の政治家は(与党だけではなく、野党の一部も)信じているんですから。

 現にアメリカに忠実に隷従している国について「こいつらはどうしてこんなに卑屈なんだろう」と考えるほどアメリカ人だって暇じゃありません。もっと他に考えなければならないことがありますからね。

 

 でも、僕の書き物の中で一番頻繁に言及されるのはアメリカです。アメリカの政治、アメリカの映画、アメリカの音楽、アメリカの文学...そういうものについて僕は大量の文章を書いてきました。この本に収められている論考でもアメリカへの言及が一番多いはずです。というのは「アメリカ人は何を考えているのか?」ということが属国の民である僕にとっては非常に緊急性の高い論件だからです。アメリカ人の「欲望のありか」を探り当てることが、日本のこれからを予測する上で欠かすことのできない情報だからです。

 でも、アメリカ人にとっては「日本人が何を考えているのか?」「日本人は何を欲望しているのか?」はいかなる知的関心も喚起することのない問いです。もちろん経済的なイシューについては(日本車の輸入台数とか日本資本の米企業買収とかには)多少は関心があると思います。でも、それは「日本人はどういう手段を使って金儲けをしようとしているのか」という問いに縮減されますし、それはどれも「アメリカ人でも考えそうな金儲けの手段」リストにすでに記載済みのものです。そんな問いは日本研究のインセンティブにはなりません。

 

 

 

2025年

7月

15日

ブルーインパルス展示飛行

本日、7月15日は事務局が担当です。

今日は、昨日午後の久々の雨模様の天候から、また夏日に戻りましたが、すこし、足下に湿り気が残り、草木が少し活き活きしているように見えます。

私は大阪市内に住んでいますが、先週土曜日午後2時過ぎの帰宅時には、大阪市内は、ブルーインパルスの飛行で多くの人が盛り上がっていました。

かくいう私も、自宅のベランダから観ようと、早めの帰宅をしたのですが、駅を出て自宅に向かう途中で、急ぎ足の同じマンションに住む知り合いのご高齢の方に出会いました。

お声を掛けると、「40分に関空を飛び立つんでしたっけ?」と尋ねられ、「ブルーインパルスならそうですよと」と答えると、「帰って観ないとね」と急いでおられました。

私も帰宅して、ベランダに出ると、各棟のベランダ、近隣のビルや病院の屋上、駐車場には蒼空を見上げる人がたくさん見受けられ、その多くの人がスマホを手に持って、今か今かとブルーインパルスが飛んでくるのを待っていました。

 

午後2時48分南の方向に白い雲の尾を引き、見事な三角形の編隊を組んで現れました。

ブルーインパルス展示飛行 南から
ブルーインパルス展示飛行 南から

その編隊が目に入った人は、「来た!」、「おお~!」と歓声が周りから聞こえてきました。

過ぎ去った後には、拍手が起こったり、「撮れました?」とか皆さん興奮気味の声がしました。

ブルーインパルス展示飛行 北東から
ブルーインパルス展示飛行 北東から

そして、数分後には再び、北東の方向から三角形の編隊が現れると、前より大きな声と飛び去った後には、再び拍手が周りに響き渡っていました。

外に出ていて引き揚げて行く人々を観ると意外と子供の姿は見当たらず、大人が多い様でした。

その日の夕方、外に出て行くと同じマンションの会う人会う人から「ブルーインパルス観ました?」と多くの声をかけられました。

そんな会話の中に、「蒼い空に、あの様な展示飛行が観れるのは、平和な世の中ですよね」と嬉しそうに言われる人がいました。

 

そのとおりだなと、つくづく思える週末でした。

2025年

7月

14日

内田樹さんの「マルクシアンと武道的思考」 ☆ あさもりのりひこ No.1722

日本では戦国時代以後、武芸の上達と人間的成熟は相関するということについての社会的合意があった(明治維新と敗戦でほぼ失われたが)。

 

 

2025年6月18日の内田樹さんの論考「マルクシアンと武道的思考」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 韓国に講演旅行に行くようになって14年になる。今年は『武道的思考』の韓国語訳が出たばかりなので、講演ではそれについて話をした。

 これで私の著書の韓国語訳は56冊になる。それは韓国の言論人の中に「内田が言いそうなこと」を言う人が少ないからだと思う。韓国社会にはある種の「言論の隙間」があり、それを埋める仕事が私にアウトソースされているというのが私の仮説である。その「足りないもの」の一つは「マルクス主義をコロキアルな言葉で語る人」、一つは「武道を学術的な言葉で語る人」である。

マルクスの思想をカジュアルな生活言語に落とし込んで語れる人が韓国にほとんどいないのは歴史的条件を勘案すれば当然のことである。李氏朝鮮や日本の植民地支配の時代に革命思想の研究が許されるはずがないし、戦後の軍事独裁政権にとっては共産主義は北朝鮮という敵国の国是だった。だから、久しく「反共法」があり、マルクス主義を賛美することも、研究することも刑事罰の対象だったのである(私の友人の一人は『資本論』を所持していた罪で13年間を牢獄で過ごした)。民主化以後も「国家保安法」は維持されており、私の『若者よマルクスを読もう』には韓国語訳があるが、厳密にはこれも違法なのである。100年以上のマルクス研究の蓄積がある日本とはそこが違う。

 日本は世界的に見てもマルクス主義研究のレベルが際立って高い。それだけではない。若い頃からマルクスとマルクス主義について書かれた無数の本を読み、その旗の下で政治にかかわり、その経験を踏まえて「マルクスの思想を自分の言葉で語れる人」が日本には多数存在する。

 私の哲学の師であるエマニュエル・レヴィナスはかつて「マルクスの思想をマルクスの術語で語る人を『マルクシスト』と呼び、マルクスの思想を自分の言葉で語る人を『マルクシアン』と呼ぶ」という独特の定義を語ったことがある。それに従うなら、「日本には数多くのマルクシアンが存在する」と言うことができるだろう。これはロシアや中国はもちろん、アメリカやヨーロッパでもなかなか見ることのできない光景である。

 私自身は16歳で『共産党宣言』を読んで以来、マルクスとマルクスについて書かれた文章をそれこそ浴びるように読んできた。カミュやポパーやレヴィ=ストロースの思想も彼らとマルクスの「対決」を軸に読まないと理解が及ばない。

 私の場合はそのような直接間接の読書経験を通じてマルクスの思想は「血肉化」した。だから自分自身の身体実感の裏付けのある言葉でマルクスの思想をある程度までは祖述することができる。そういう「芸当」ができる人は韓国の知識人にはたぶんほとんどいない。これが私の埋めることのできる言説的な「空隙」の一つである。

 もう一つ足りないのは「武道の術理を科学的な言葉で語る人」である。これも韓国の歴史的条件を考えれば当然かも知れない。臨戦状態の国では、武術は何よりもまず殺傷技術としての有効性を問われる。「武道の宗教性」とか「武道の哲学」いうような叡智的な枠組みで武道について発言する人は「何を気楽なことを」と白眼視されるだろう。

 日本では戦国時代以後、武芸の上達と人間的成熟は相関するということについての社会的合意があった(明治維新と敗戦でほぼ失われたが)。私は「武道修行は宗教的・哲学的な成熟をもたらす」と信じている数少ない武道家の一人である。そんな少数派の言葉に少なからぬ韓国の若者たちが耳を傾けてくれている。これはほんとうにうれしい。

(週刊金曜日、6月4日)

 

 

2025年

7月

11日

内田樹さんの「武道的思考(KOTOBA収録)(その4)」 ☆ あさもりのりひこ No.1721

武道修行を通じて身につくのは、超越的なものに対する畏怖の念と、同種の個体と同期できる能力です。

 

 

2025年6月18日の内田樹さんの論考「武道的思考(KOTOBA収録)(その4)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

武道はストレスフリーである

 

 僕は七十過ぎて膝に人工関節を入れ、去年はすい臓がんを切りましたが、抗がん剤治療中でも稽古は休みませんでした。稽古は決して裏切らない。稽古すれば必ず上達する。それは愚直に五十年稽古を積んできた人間として確信を込めて言えます。

 入門して最初のうちは術理なんかわかりませんから、ただ投げて投げられて「いい汗かいた」というだけでいい。受け身をとるだけでおもしろいから、それでいいんです。そのうちに少しずつ術理がわかってくる。いきなり「すべてがわかった」というようなことは起きません。一枚一枚薄皮をはぐように変わっていく。だからおもしろいんです。昨日「わかった」と膝を打ったことが翌日になると「いや、違う」と打ち消される。毎日が発見なんです。それがおもしろい。

 スポーツでは「プラトー(高原)状態」というのがありますね。技術が「高止まり」することです。武道にはそういう「スランプ」というものがありません。それはすべての技は「謎」として提示されているからです。「できない」ことが前提なのです。術理がわからない、技ができないということがデフォルトなので、できないことがストレスにならない。「ああ、できないなあ」と思うたびに、技が蔵している謎の深さに驚嘆するだけです。

 それと同じく、師に対する弟子の立ち位置というのがものを習う上では最も効率的だと僕は思います。師が説くことは初心者のうちはほとんどわかりません。でも、それは師匠が弟子の理解をはるかに超えるほど偉大だからであるので、「わからない」ことを弟子がストレスに感じる必要はないんです。

 学校体育では「みんなができること」を「他の人よりうまくやる」ことを競います。武道は違います。「誰もできないこと」を稽古している。だから、相対的に「誰よりうまい」とか「誰より強い」とか査定すること自体ができないんです。

 

畏怖と同調にむかう道

 

 学力という言葉を僕は「学ぶ力」と解しています。知識や情報の量のことではありません。自分がなにを知らないか、なにができないかを知ること、それが学びの原点です。おのれの無知や無能を自覚することから学びが起動する。ですから、無知無能は全く恥じることではない。

 学ぶ力の第二段階は「師に就く力」です。僕は合気道は多田宏先生、哲学はエマニュエル・レヴィナス先生を師と仰いでいます。多田先生は御年95歳になられましたが、今も元気に道場に立っておられます。一人の師に僕は50年就いて修行できました。これは例外的な幸運だったと思います。レヴィナス先生は1995年に亡くなりました。今の若い研究者でレヴィナス先生に直接会った方はもうおられないと思います。僕はさいわいお会いして、「弟子にしてください」と頼み込むことができました。先生からは「お好きにどうぞ」と言っていただけました。

 僕はこれまでにレヴィナス先生についての本を三冊書いています。でも、これは「レヴィナス研究」ではありません。僕がレヴィナス先生の本を読んで「わからなかったこと」について書いているからです。こんなことは「研究者」には許されません。研究者は「わかったこと」しか論文に書けない。でも、僕は弟子ですから「わからないこと」がほとんどつねに関心の大半を占めている。だから、それについて書く。大事なのは「師の教えのうち、僕にはまだわからないこと」です。それについて「わからない、わからない」とうれしそうに頭を抱えているというありさまは哲学研究でも、武道の修行でも同じなんです。

 もちろん独学でもすぐれた業績を上げている人はいます。でも、独学者のつらさは自分が「わかったこと」「知っていること」「できること」を足場にしないといけないということです。弟子にはその必要がありません。弟子は「偉大な師に就いて学んでいる」というだけで身元保証としては十分だからです。自分には何ができるかを証明する必要がない。「あんた、どれくらいできるの?」って訊かれても「さあ、僕にはわからないです。先生に聞いてください」と答えるしかない。

 弟子という立ち位置のアドバンテージは自分の弟子たちに向かって「自分ができないことを教えられる」「自分が知らないことを教えられる」ということです。師の教えを縮減しないで済む。

 多田先生は「学者には学者の合気道がある。芸術家には芸術家の合気道がある」とつねづねおっしゃいます。道場で学んだことを実生活で展開できないようでは本物の合気道ではない。開祖はそう言われたそうです。

 ですから、僕が稽古しているのは「学者としての合気道」であり「物書きとしての合気道」だということになります。本はずいぶん書きましたけれど、これだけ書けたのも弟子という立ち位置にいたからだと思います。自分が学統の創始者であれば、自分が知っていることしか書けない。でも、僕は弟子ですから、師から受けたパスをどんなにへたくそなプレーであっても次の世代に伝える義務がある。「述べて作らず 信じて古を好む」です。だから、自分が知らないことでも、「これは僕にはついにわかりませんでした。僕がどんな苦労をしたのかだけ書き残しておきますから、あとはよろしく」と伝えることができる。

 武道修行を通じて身につくのは、超越的なものに対する畏怖の念と、同種の個体と同期できる能力です。その二つが身に具わっていれば、たぶんどんな集団にいても、どんな仕事をしても、愉快に過ごせると思います。

 

(2025年6月18日)

2025年

7月

10日

奈良マラソン2025への道 その12 ☆ あさもりのりひこ No.1720

6月27日(金)、休足。

「蜂窩織炎」の腫れと痛みは、最悪時の70%くらいになったが、まだ革靴は履けない。

朝食後、レボフロキサシン錠500㎎を1錠飲む。

服薬4回目。

 

6月28日(土)、休足。

「蜂窩織炎」の腫れと痛みは、少しずつだが退いていっている。

朝食後、レボフロキサシン錠500㎎を1錠飲む。

服薬5回目。

 

6月29日(日)、休足。

「蜂窩織炎」の腫れと痛みは、まだ残っている。

朝食後、レボフロキサシン錠500㎎を1錠飲む。

服薬6回目。

 

6月30日(月)、休足。

「蜂窩織炎」の腫れと痛みは、まだ残っている。

朝食後、レボフロキサシン錠500㎎を1錠飲む。

服薬7回目。

 

7月1日(火)、休足。

「蜂窩織炎」の腫れと痛みは、まだ残っている。

山村クリニックで診察を受ける(2回目)

オゼックス錠150㎎とアルジオキサ錠100㎎を処方してもらう。

オゼックスは抗菌薬、アルジオキサは胃薬である。

昼食後、1錠ずつ飲んだ。

 

7月2日(水)、休足(9日目)。

「蜂窩織炎」を発症して11日目。

毎食後、オゼックス錠150㎎とアルジオキサ錠100㎎を飲んでいる。

 

7月3日(木)休足(10日目)。

「蜂窩織炎」を発症して12日目。

腫れと痛みは最盛期の50%というところ。

毎食後、オゼックス錠150㎎とアルジオキサ錠100㎎を飲んでいる。

 

7月4日(金)休足(11日目)。

「蜂窩織炎」を発症して13日目。

毎食後、オゼックス錠150㎎とアルジオキサ錠100㎎を飲んでいる。

 

7月5日(土)休足(12日目)。

「蜂窩織炎」を発症して14日目。

左脚の第2趾、足裏、足の甲、足首の腫れは、最盛期の50%くらいになった。

ルナサンダルを履くことはできる。

毎食後、オゼックス錠150㎎とアルジオキサ錠100㎎を飲んでいる。

 

7月6日(日)休足(13日目)。

「蜂窩織炎」を発症して15日目。

朝食後、オゼックス錠150㎎とアルジオキサ錠100㎎を飲んだ。

これで、処方された薬は飲み終わった。

これからは、服薬しないで、経過を観察する。

 

7月7日(月)休足(14日目)。

「蜂窩織炎」を発症して16日目。

日曜日はどこにも出かけないで休養した。

そのせいか、腫れも痛みも落ち着いている。

 

7月8日(火)休足(15日目)。

「蜂窩織炎」を発症して17日目。

足首の腫れはだいぶ退いたが、足指(第2趾)の腫れが残っている。

昨日も今日も猛烈に暑い。

日傘を差しているが、日傘ごと焼かれている感じがする。

 

7月9日(水)休足(16日目)。

「蜂窩織炎」を発症して18日目。

まだ、運動できるところまで回復していない。

 

7月10日(木)休足(17日目)。

「蜂窩織炎」を発症して19日目。

明け方、眠っているときに、左脚の脹ら脛が攣った。

 

このところ、左脚は受難である。

2025年

7月

09日

内田樹さんの「武道的思考(KOTOBA収録)(その3)」 ☆ あさもりのりひこ No.1719

修行とは心身を浄化し、透明にすることです。汚れや詰まりを洗い去ることです。

 

 

2025年6月18日の内田樹さんの論考「武道的思考(KOTOBA収録)(その3)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

道の場――道場

 

 僕が凱風館という自前の道場を持って十四年が経ちます。毎朝起きると道場に行って、禊教に伝わる呼吸法を行い、三種の祝詞をあげ、般若心経と不動明王の真言を唱え、九字を切り、最後に中村天風先生の今日の誓い「今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず、正直、親切、愉快に・・・」を唱えて、道場を霊的に浄めるのが道場長としての僕の仕事です。

 僕はよく道場を自然科学の研究室に喩えて説明します。「君たちは研究者で、それぞれの研究課題を抱えてこのラボに集まってきている。機材や試薬はボスである僕が提供するからみんな好きに研究してくれ。」凱風館はそういうイメージの道場です。僕の仕事はみんなが研究に集中できる環境を整備することです。

 そのためにはとにかく低刺激環境を整えることが必須となります。刺激が強い環境では感受性を敏感にすることができません。現代社会では、目に入るものも、耳に聞こえる音も、体に触れるものも、臭いも、決して快適なものばかりではありません。だから、自己防衛上どうしても身体感受性を鈍感にして、外界からの入力を減らそうとする。でも、それでは稽古になりません。

 できるだけ身体感受性を高い感度に保ちたい。ですから、道場では目に入るものも、肌に触れるものも、においも、どれも気持ちの良いものでなければなりません。どれだけ敏感になっても不快な入力がないという条件を整えること、それが道場長としての僕の責務です。

 

 敵味方を対立させ、勝敗優劣を競うのはあくまで脳の働きです。細胞レベルには「自己と他者」という対立もありませんし、「どちらが強いか」という競争もありません。むしろ同種の個体が近くにあると、細胞レベルではまず「同期」しようとします。同種のものとはシンクロナイズして、「かたまり」を作る方が生存戦略上有利であるというのは、生物が発生して以来の常識だからです。

 合気道は生物が持つこの本性的な「同期」志向を利用する技法と言ってよいと思います。同期においては、どちらかが同期誘発者になり、どちらかが被誘発者になります。同期を誘発するものが「場を主宰する」。生物としてより強く、より速く、より自由度の高い動きをするものが同期を誘発し、場を主宰することができる。これも生物発生以来の基本原則だったはずです。

 そのためにはものごとを対立的にとらえる脳の影響をできるだけ排して、細胞レベルで最適と感じられる動きを選択し続ける必要があります。でも、「脳の干渉を排除する」と口で言うのは簡単ですけれど、やるのは難しい。

 例えば「手さばき」。手はいちばん脳がコントロールしやすい部位なので、手をうまく使おうと意識すると、そこにリソースが集中して、他の部位にはリソースが行き渡らなくなり、手以外の部位は常同的なあるいは機械的な動きに固着されることになる。

 全身がなめらかに連動し、すべての身体部位が等しく高い感受性を享受し、高度な操作性を発揮できるためには、脳に少し「眠って」もらう必要がある。ですから、合気道では動くときに軽い瞑想状態に入るように教えられます。合気道が「動く禅だ」と言われるのはたぶんそのせいです。

 稽古では、身体を脳の支配から解放して、自発的に動くように指導します。軽い瞑想状態が続くわけですから、90分の稽古が終わるとみんな風呂上りみたいに、頬が紅潮して、お肌つるつるになります。会社や学校でいやなことがあって、メンタルストレスを抱えてきた人が、稽古が終わった時には自分が何で悩んでいたのかさえ忘れてしまう。

 開祖は「合気は禊である」とおっしゃっています。端的に言えば、修行とは心身を浄化し、透明にすることです。汚れや詰まりを洗い去ることです。

 僕が稽古指導をしていていちばん嬉しいのは、門人のみなさんが自分の身体を丁寧に扱うようになることです。学校体育で低い評価を受けて、「自分の身体は出来が悪い」と思い込んでいた人が自分の身体に対して敬意と好奇心を持ってくれること。それこそが道場の持つ最も教育的な意義だと僕は思います。

 

 

2025年

7月

08日

長浜おいしいもの記

弁護士 橿原
夕暮れ長浜城

みなさん、こんにちわ。本日は事務局担当日です。

いや~、連日あっついですねぇ。

これだけ暑いと大切なのは水分補給ですが、

タイミングとして重要なのは、

外出やお外遊びの30分前に水分・塩分をとることだそうです。

経口補水液は元気なときはおいしくなくて、

おいしい~と感じたら脱水が始まっている、とも聞きました。

今年の夏も元気に乗り切りましょう~😊

 

先日、所用があり、滋賀県は長浜まで足を伸ばしてきました。

 

長浜といえば、豊臣秀吉が出世街道を駆け上った地として有名ですね。織田信長から浅井家の領地を与えられ、長浜城を築城し、石田三成の出会いの地でもあります。いや~歴史ロマンがつまってます😍

当初の予定では、朝早くに出発して、中世三大山城のひとつである浅井長政ゆかりの小谷城にも足をのばす予定でした。

浅井長政といえば、戦国一の美女といわれた織田信長の妹お市の方と浅井長政の間に生まれた3人の娘・浅井三姉妹(茶々、初、江)も有名ですね(茶々は後に秀吉の側室となります)。

なんだかんだと時間がおしてしまって、小谷城には行けなかったのですが、

長浜の黒壁スクエアでおいしいもの食べ歩きを楽しみました♪ ← これはマストなやつです

 

黒壁スクエアは明治に第百三十国立銀行として誕生した建物(現 黒壁ガラス館)を中心に古い町並みの中にカフェやガラス細工店があり、

日本最大のガラス芸術の展示エリアとしても知られています。

 

また「旧長浜駅舎」は現存する駅舎としては日本最古の駅で、

長浜鉄道スクエアでは、駅舎やSLの見学ができます😄

 

八百屋のFUTABAYAさんの果物たっぷりソフトクリーム

滋賀県初のカレーパン専門店近江牛CurryBreadさんの揚げたてカレーパン

サラダパンで有名なつるやさんのまるい食パン専門店さんでハム焼きチーズ

極めつけは~ 日本最小の蒸溜所「長濱蒸溜所」がある長濱浪漫ビールさんで

新鮮生ビール近江牛ハンバーグ

 

いや~、ひとりでめっちゃ堪能しました!!😋 ← 食べ過ぎやろ・・・

2025年

7月

07日

内田樹さんの「武道的思考(KOTOBA収録)(その2)」 ☆ あさもりのりひこ No.1718

「いるべき時に、いるべきところにいて、なすべきことをなす」のが武道の要諦だということです。

 

 

2025年6月18日の内田樹さんの論考「武道的思考(KOTOBA収録)(その2)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

武道の変質の歴史

 

 武道では勝敗強弱巧拙遅速を競うということをしません。人は負けると「負けに居着く」。屈辱感や敗北感にいつまでも囚われて、次のフェーズに進むことができない。あるいは「次は勝つ」という限定的な目標に居着いてしまう。勝てば勝ったで、「勝ちに居着く」ということが起きます。ある意味では「勝ちに居着く」ことの方が、「負けに居着く」ことよりも危険かも知れません。勝ったという成功体験に居着いてしまうからです。人は一度成功すると、その成功体験を手放すことに強い心理的抵抗を覚えます。同じ成功体験を繰り返そうとする。でも、修行とは「居着かないこと」です。「勝ちに居着く」者は「負けに居着く」者と同じく、連続的な自己刷新機会を放棄することで修行から脱落した者なのです。

 

 武道は「生きる知恵と力」を最大化するための技術です。さまざまなリスクを回避して生き延びるための知恵です。

 柳生宗矩の『兵法家伝書』には「座を見る 機を見る」という教えが書かれていますが、要するに「いるべき時に、いるべきところにいて、なすべきことをなす」のが武道の要諦だということです。用事のないところに長居して、言わなくてもいいことを言って命を落とした者も多いと宗矩は書いています。ことさらに敵を作って、ライバルと勝敗を競い、負けて負けに居着き、勝って勝ちに居着いてはならないというのは古くからの教えなのです。

 

 戦国時代までの武道はスポーツではなく、まさに「生き延びるための知恵と技術」だったはずですが、江戸時代になると次第に「効率的な殺傷技術」になってきました。当時の伝書にすでに「最近の人は即席に上達する方法を知りたがる」という嘆きが書かれていますから、修行的な要素は江戸時代からすでに逓減していったことが知れます。しかし、武道の質が一気に変わるのは明治維新によってです。それまで、武道は武士階級だけのものであり、戦場での武勲がただちに一国一城の主としての統治能力を意味したわけですから、武道的な能力の高さは治国平天下の統治の知恵に通じるものとされていました。でも、幕末から武道は侍だけでなく、町人農民もたしなむようになりました。そして、西南戦争以後、全国民を兵士に仕立て上げる「富国強兵」政策が採られるに至り、武道から修行的な要素がほとんど失われ、誰でもある程度までは体系的に習得できる殺傷技術に矮小化されることになりました。

 講道館柔道の嘉納治五郎先生は柔道を学校体育に採り入れることを願っておりましたが、最初は審査で不可とされました。型稽古を見たドイツ人の審査員が「ふつうの人間はこんな奇妙な動きをしない」と言って学校体育になじまないとしたのです。翌年の審査で乱取りを見せたところ今度は合格した。レスリングと同じように、筋骨を発達させ、運動能力を引き出すのに有効と判断されたのです。学校体育における柔道はそのせいで乱取り中心のものになりました。型稽古の場合は師弟の対面稽古が基本ですが、乱取りであれば指導者一人いれば全級一斉授業ができます。学校の教科としてはその方がはるかに効率がよい。

 嘉納先生はこの傾向を憂えて、「精力善用国民体育」という型中心のプログラムを考案して、型稽古中心の柔道に戻ることを提言しました。でも、教育現場の柔道家で嘉納先生の言葉に耳を貸す人はもうほとんどいませんでした。

 

 明治維新に続いて二度目の武道の受難は敗戦でした。GHQは武道を全面禁止しました。特に剣道は軍国主義イデオロギーの宣布に加担したということで厳しく禁圧されました。やむなく文部省は「しない競技」と名前を変えて、「これは武道ではなくスポーツだ」として剣道の延命を図りました。

 緊急避難的にはこれはしかたのない判断だったと思います。でも、それなら占領が終わった時点で「剣道はスポーツではない。武道である」と改めて前言撤回すべきでした。しかし、文部省はそれを怠った。そのせいで以後武道とスポーツの「違い」を主題的に論じることが武道界では忌避されるようなりました。

 僕の稽古している合気道は大正末期に体系化された近代武道ですが、古来の武道の伝統にならって競技ということをしません。

 

 開祖植芝盛平先生は飛んでくる銃弾が見えたり、触れずに相手を倒すというような超能力的な技を使われたそうです。現在の合気道はさすがにそのような超人的な能力の開発をめざすことを掲げてはいませんが、勝敗強弱を論ぜず、精密な心身の使い方を探求する修行系の武道として、合気道は今世界各地に多くの修行者を擁しています。

2025年

7月

04日

内田樹さんの「武道的思考(KOTOBA収録)(その1)」 ☆ あさもりのりひこ No.1717

武道の稽古では修行者同士の間での、勝敗や強弱や遅速や巧拙を競うということをしません。

 

 

2025年6月18日の内田樹さんの論考「武道的思考(KOTOBA収録)(その1)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

KOTOBAという雑誌に武道的思考について寄稿した。それを再録。

 

修行は競争ではない

 

 武道の修行というのは「天下無敵」という、どれほど努力しても絶対に到達できない無限消失点のような目標をめざし、先達に従って、ただ淡々と稽古を重ねるという生き方のことです。

「天下無敵」という無限に遠い目標をめざす旅程においては、修行者は誰も「五十歩百歩」です。無限の旅程の中で、自分が他の修行者より何キロ先まで行ったとか、単位時間内にどれだけ走破したとか、そんな相対的な優劣を競うことには何の意味もありません。ですから、武道の稽古では修行者同士の間での、勝敗や強弱や遅速や巧拙を競うということをしません。

 オリンピック種目にあるような競技武道では勝敗を競います。ですから、あれは「スポーツ」であって、日本の伝統的な「武道」とは違うものです。もちろん「スポーツ」は人間の心身の可能性を高めるすばらしいメソッドですけれども、相対的優劣を競うことを主眼とする限り、「修行」とは違う。

 

 うちの道場に来て武道の稽古を始めた人がいちばん驚くのは、この「相対的優劣を論じない」という点です。現代人は生まれてからずっと学校でも職場でも、能力や成果を査定され、評点をつけられ、格付けされ、その格付けに基づく資源分配に与ることが「社会的フェアネス」だと教えこまれてきました。あるルールの枠内で高いスコアをとれば、競争相手よりたくさんの資源配分に与ることができる、そう信じてきました。

 でも、学校体育で考量できる身体能力は、走る速さとか飛べる高さとかゴールする精度とか、人間の持つ能力のうちのごく一部でしかありません。人間が埋蔵している心身の能力は数えきれないほど多様であり、その多くは学校体育的な基準では計測不能です。

 例えば、わずかな気の変化を感知できる感受性、「邪悪なもの」が接近してきたときに強い違和感を覚える能力などは武道的には非常に貴重な能力ですが、そのような能力は学校体育ではまず評点がつきません。むしろ、そのような能力は「学校に来ない」とか「体育の授業に出たがらない」というかたちで発現する場合さえある。

 その結果、学校体育で低い評点をつけられた子どもの中には「自分は身体能力が低い」と思い、ともすれば自分の身体を恥じたり、憎んだりするようになってしまう人がいます。これはあまりにもったいないことだと思います。

 子どもが学校体育で学ぶべきことがあるとすれば、いちばん大切なのは、自分の身体が埋蔵している豊かな資源を信じて、それを発掘してゆくことです。自分の身体に対して敬意と好奇心を持つことです。人間の身体がいかに深く複雑なものかに驚き、自分の身体に対して畏怖の念を抱くことです。

 

 稽古で生じる身体の変化は、神経のネットワークが精密化するとか、呼吸が深くなるとか、臓器や関節の働きが最適化するといったレベルで起きることなので、モーションキャプチャーのような最新の計測技術によってもうまくとらえることはできません。丹田、体幹、正中線といった用語を稽古中にわれわれは頻用するわけですけれども、どれも解剖学的実体ではありません。計測機器で考量することもできないし、AIでも分析できない。修行というのは機械的には計測しがたいそういう微小な変化を感知できる心身を作ることです。

 新自由主義は、個人の能力や特性を確定して、それを数値的に格付けした上で、資源を傾斜配分するという考え方ですが、これは人間の成長を妨げるものだと僕は考えています。修行というのは連続的な自己刷新のことですから、修行者にとって「アイデンティティー」ということには何の意味もありません。「ほんとうの自分」なるものを見出して、それにしがみつくというのは単なる「我執」「居着き」であり、修行の妨げでしかない。宗教でも武道でも、修行の目的は「我執を去る」ことです。ですから、欧米的な「アイデンティティー・ポリティックス」と修行は食い合わせが悪いんです。

 

 

2025年

7月

03日

2025年6月のラディ、タニタ、ガーミン ☆ あさもりのりひこ No.1716

2025年6月の放射線量と体組成とランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

2025年6月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.0443μ㏜/h

室内0メートル 0.0469μ㏜/h

室外1メートル 0.0597μ㏜/h

室外0メートル 0.0726μ㏜/h

4月、5月、6月の3か月間、数値が高めである。

 

つぎに、朝守の身体について。

2025年6月28日の数値はつぎのとおり。

体重 73.65㎏

BMI 23.

体脂肪率 16.0%

筋肉量 58.70㎏

推定骨量 3.2㎏

内臓脂肪 12.

基礎代謝量 1694/

体内年齢 50才

体水分率 60.2%

数値は悪くない。

「蜂窩織炎」のせいかもしれない。

 

最後に、2025年6月のランニングの結果。

走行時間 9時間18分24秒

走行距離 77.89㎞

累積上昇 1214m

 

 暑くなったのと、24日以降「蜂窩織炎」で走れなかったのとで、数値は伸びなかった。

2025年

7月

02日

内田樹さんの「教育論と組織論」(その3) ☆ あさもりのりひこ No.1715

管理が行き届いているから強いのではない。指示されなくても、「やる必要があることはやる」という人がいるから強いのである。

 

 

2025年6月13日の内田樹さんの論考「教育論と組織論」(その3)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 もう一つあまり知られていないことだが、オーバーアチーブには「自分のジョブではない仕事を片付ける」ということも含まれる。

 会社経営をしたことのある人なら知っていることだけれど、チャンスというのは「ジョブとジョブの隙間」に発生する。危機もまた「ジョブとジョブの隙間」に発生する。

 それは誰の仕事でもない。だから、ふつうの人はそれに気が付いても、「オレの仕事じゃないから」と放置する。そこに何か「大化け」しそうなものがあっても無視する。それでビジネスチャンスを見逃しても、それは誰の失敗でもないし、誰の責任でもない。逆に、「誰のジョブでもないところ」に生じたトラブルが原因でシステムが瓦解しても、それは誰の失敗でもないし、誰の責任でもない。

 オーバーアチーバーはこの「ジョブとジョブの隙間」に平気で手を突っ込む。気になるから。自分のジョブだろうが何だろうが関係ない。気になるから手を出す。

 そうやって思いがけない発明発見をすることもあるし、放置しておいたら組織的危機に至ったような「バグ」を初期の段階で補正することもある。

 放置しておいたら組織的危機に至るような「バグ」を補正する人のことを「歌われざる英雄(unsung hero)」と呼ぶ。その人のちょっとした気遣いでシステムの瓦解が阻止されたのだが、そのことを誰も知らない。本人も知らない(だって、ちょっと気になったから、直しておいただけなのだ)。機械のノイズに気づいてちょっとねじを締めておいたとか、堤防の穴から水がしみ出ているのが気になってちょっと小石を詰めておいたとか、そういう「ちょっとした余計な動作」のせいで、システムが壊滅的なリスクを回避したということはよくある。でも、誰もそんなことがあったことを知らない。

「アンサング・ヒーロー」を多数擁している集団は強い。当たり前である。管理が行き届いているから強いのではない。指示されなくても、「やる必要があることはやる」という人がいるから強いのである。システムがいつどうやって補正されたのか誰も知らないけれど、ちゃんと補正されたから強いのである。

 もうお分かりだろうけれど、「オーバーアチーバー」と「アンサング・ヒーロー」は同一カテゴリーに属する。このカテゴリーの人材をどう養成するか、それが組織論の要諦である。

「養成する」と書いたけれど、別に「養成する」というほど他動詞的なふるまいは要らない。「そういう人がたくさんいるといいな」と心で思っていれば、それだけで十分である。そう心で思っていれば、組織マネジメントも勤務考課も中期目標も「ほとんど意味がない」ということはわかる。

組織のトップが「親切で、寛容で、好奇心旺盛」であれば組織マネジメントとしては十分なのである。

 なんだ、組織のトップというのは「管理」業務をしなくていいのか。そんな話があるものか、と口を尖らせる人がいると思う。その通り、管理なんかしなくていいのである。

 私は大学という組織で管理職を長くやってきたし、今は数百人の構成員を抱える道場の主宰者でもある。書生5人に月々給料を払っているから、ちょっとした小企業の経営者のようなものである。

 道場運営についての私の基本方針は「管理しない」ということである。みんなに親切にする。できるだけ「自治」に委ねる。門人たちが何か新しいことを始めたいと言い出したら、資金面でも場所の提供でも、できるだけ応援する。

 それは大学の管理職だったときも同じである。部下が何か提案を持ってきたら、「ああ、いいよ。やりなさい。失敗したらオレが責任とるから」と答えた。一度も失敗したことはなかった(だから一度も責任を取ったことがない)。逆に「やりたければやってもいいけれど、オレは責任とらないからね」と言ったら、たぶん失敗の確率はもっと高かっただろう。そういうものである。エンカレッジすれば、しないより成功の確率は上がる。

 私の主宰する凱風館はある種の「コモン(共有地)」である。私が土地を買い、建物を建て、そして「みんな」に使ってもらう。コモンの立ち上げは私の「持ち出し」である。私は多田宏先生という偉大な武道家から合気道についての貴重な知識と技術を教わった。それを次世代に伝えるのは私の義務であるから、身銭を切って道場を建てた。これは「私の割り前」である。誰かに「ちょっと肩代わりしてくれよ」と言うようなものではない。

 

 組織論についてもう一言だけ追加すると、組織の自己刷新には成員の多様性が必要である。これは「絶対に」必要である。組織には能力主義・成果主義の「ものさし」では考量できないけれども、集団のパフォーマンスを上げることのできるメンバーが必要である。

 黒澤明の『七人の侍』は組織論の教科書のような映画である。だが、七人の侍のうち三人、菊千代(三船敏郎)、勝四郎(木村功)、平八(千秋実)は今の営利企業ではまずリクルートされないだろう。でも、彼ら三人抜きでは七人の侍はあのレベルの戦闘はできなかったのである。

 勝四郎は柔弱な若者であるけれども、「次世代」を担う人物である。だから、彼を生き残らせることはあとの六人の「大人」たちの義務である。そして、勝四郎に生き延びて欲しいと「大人」たちが願うのは、この若者が生き延びて死せる侍たちの勇戦の記憶を後世に伝えて「供養する」仕事を引き受けてくれるはずだと信じているからである。

 平八は「腕はまず中の下」であり戦闘力は低い。でも、リクルーターの五郎兵衛(稲葉義男)は平八と話していると気持ちが明るくなると報告する。「長いくさでは重宝する男だ」。自分たちは何のために戦っているのかがきちんと腹に収まっていないと人は「長いくさ」に耐えることはできない。平八は「自分たちのミッションをわかりやすく理解させる才能」がある。これはなまじの個人的戦闘力とは比較できないほど集団のパフォーマンス向上に貢献する。

 菊千代の才能は複雑すぎるので、ここではもう論及しない。ただ、今の日本の組織はこの三人のような「未熟な若者」「集団の結束を強める人」「破格の人」を集団に必須の成分であると考える習慣を失ってしまって久しいと言うにとどめておく。

 日本社会は能力を個人単位で考量するだけで、その人が集団に加わった時にどのような「化学変化」をもたらすかについて思量する習慣を失ってしまった。能力主義・成果主義のピットフォールはそこにある。個人の能力や業績を単に算術的に加算しても、そこからはその集団がどのようなパフォーマンスを示すかは予測できない。集団を見るときには、集団を一つの「生き物」として、「多細胞生物」として、その機能やふるまいを見なければならない。人間はいつどこで誰とコラボレートするかによって、まったく別のふるまいをする。そんな当たり前のことを日本人はずいぶん前に忘れてしまった。今日の日本の集団の劣化の理由の多くはそこにある。

 

 

 以上、教育論と組織論について、卑見を述べた。とりとめのない話になってほんとうに申し訳ない。(6月12日)

2025年

7月

01日

橿原市の美味しい生ドーナツ店「ミルクドドレイク橿原店」@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当です。

 

今年は1951年の統計開始以降最も早い梅雨明けで、連日の猛暑ですね😖

昼間に外に出ると、短時間でも頭がクラクラしてきます。

 

今朝のテレビで聞いたのですが、猛暑で危険なのが熱中症とよく似た夏血栓

暑さで汗をかいて脱水状態になると血液がドロドロになって血栓ができやすいそうです。

 

熱中症と症状は似ていますが、体の片側だけしびれたり力が入らないといった症状だと

夏血栓かもしれません。

軽傷でその後すぐに症状がおさまったとしても、今後、脳梗塞などになるおそれもある

ため、心当たりがあれば病院できちんと診察してもらった方がいいですよ。

特に、朝起床してから数時間が魔の時間帯だと言っていたので、お気をつけ下さい😓

さて、先週の話題に引き続き、新しいふんわりやわらか生ドーナツのお店をご紹介します。

 

ミルクドドレイク 橿原店

 

住 所  奈良県橿原市北妙法寺町600

     (近鉄大和八木駅から車で約6分)

 

営業時間 10:00~11:30 15:00~17:00

     (完売次第終了)

 

電 話  050-8883-5960

 

S N S  https://www.instagram.com/milkdodoreiku/

 

昨年11月にお店がオープンされたのは耳にしていたものの、オープン当初2時間待ちの行列とも伺っていてなかなか足を運ぶことができませんでした。

とはいえ、先週ご紹介した近くのハンバーガー屋さんのやわらかドーナツを食べてから、

すっかりやわらかいドーナツにハマってしまい、こちらの生ドーナツがずっと気になっていたのでようやく念願かないました!

 

こちらのドーナツはこめ油100%で揚げておられますが、高温で一気に揚げることで、

外はカリッと揚がり、中身は生クリームのようなとろける口溶けになるそうです。

 

伺った際に店頭には10種類ほど並んでいましたが、お店の方のお勧めなども参考に、

一番人気のカスタード、ミックスシュガー、ショコラナッツ、きなこの4種類を購入させていただきました。

 

実際に口に入れると、その評判どおり、ドーナツ生地の柔らかさに驚きます😶

口の中で溶けてしまうぐらいの軽やかさであっという間にペロリといただいちゃいました。

 

お店のSNSなどでは期間限定メニューなども紹介されています。

ちなみに、7月の期間限定メニューはカシスクリームを使った「カシス・ルージュ」だそうです。こちらも美味しそうだ😋

 

気になる方はぜひ一度ご賞味ください(^_^)b

2025年

6月

30日

内田樹さんの「教育論と組織論」(その2) ☆ あさもりのりひこ No.1714

敬意というのは距離感のことである。簡単に近づいて来ないという安心感のことである。

 

 

2025年6月13日の内田樹さんの論考「教育論と組織論」(その2)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 だから、教師に求められる条件は、「教師自身が成熟した市民になろうと日々努力していること」だけでいいと私は思っている。そういう教師は決して子どもたちに権力的に臨むことはないだろう。きびしい査定をすることもしないだろう。子どもたちの成長を穏やかに、忍耐強く、そして楽観的に見守るはずである。

 私が教育について言いたいことは、ほぼそれに尽くされる。教師が「親切で、寛容」であれば、子どもたちはそれをロールモデルにして成長する。教師が意地悪で、非寛容であれば、子どもたちもそれを標準に採るようになる。教師が貧しい語彙で子どもたちを罵倒するなら、子どもたちもその口ぶりを真似するようになる。そういうことである。

 私は長く教師をしてきたけれども、ある時から「教育する」という他動詞で学生たちに接することを止めた。学生たちは自力で成長する。そのための環境を整備するのが教師の仕事である。

 彼らが何か新しいアイディアを思いついて、それを口に出そうとしたときには、黙って耳を傾ける。学生たちが言葉に詰まっても、じっと続きを待つ。学生たちの話の腰を折らない。学生たちの「言いたいこと」を要約しない(「要するに君はこう言いたいわけだね」と言わない)。学生たちに「言いたいことはわかった」と言わない(それは「わかったからもう黙れ」という意味だから)。

 なんだ、それなら教師の仕事なんてほとんど「何もしない」ことじゃないか、そう口を尖らせる人がいるかも知れない。まさにその通りである。教師はただそこにいて、「子どもたちの成長を暖かく見守る」だけでいい。

 でも、これが結構難しい。「結構」どころか本格的に難しい。

 子どもたちに「この先生には心を開いても大丈夫だ」と思ってもらわなければ、「暖かく見守る」ことなんかできないからだ。まず「信じてもらう」ところから始めなければならない。「信じてもらう」と口で言うのは簡単だけれど、大変な仕事である。「オレを信じろ」と命令しても子どもは大人の言うことを信じてはくれない。

 でも、子どもにもすぐに伝わることがある。それは「敬意」である。他人が自分に対して「敬意」を持っているということは子どもにもわかる。

 敬意というのは距離感のことである。簡単に近づいて来ないという安心感のことである。すぐに人の心の中に踏み込んで来ない。すぐに人を理解した気にならない。そういうふるまいの意味なら子どもにもわかる。

『論語』に「鬼神は敬して之を遠ざく 知と謂うべし」という言葉がある。鬼神のような人外の存在でさえ人間の敬意は伝わるのである。だからこそ遠ざけることもできるのだ。子どもは鬼神の類ではない。人間である。必ず敬意は伝わる。

 愛は伝わらないことがある。どれほど人を愛していても、まったくこちらの気持ちが相手に伝わらないということはよくある。こんなに愛しているのに振り向いてくれないというので、愛が殺意に変わるということだってある。愛は取り扱い注意の感情である。だから、教育の場にはあまり持ち込まない方がいい。私はそう考えている。

 愛は必ずしも伝わらないが、敬意は必ず伝わる。愛はときに愛されている対象を傷つけることがあるが、敬意は決して相手を傷つけない。

 教育について言いたいことはだいたいこんな感じである。とりとめのない話になって申し訳ない。

 

 次は「人材育成」の話。これも教育と通じる話だけれども、こちらは「組織論」である。

 どうやって集団のパフォーマンスを向上させるか。これも答えは簡単で「オーバーアチーブしてもらう」である。

 over-achiever という単語は日本の経営書や組織論の本にはまず出てこないけれども、これは集団が成長するためには必須の存在である。

「オーバーアチーバー」というのは「給料以上の仕事をしてくれる人、ジョブ・デスクリプションに書かれていないジョブも勝手にやってくれる人」のことである。この人たちが集団を牽引し、次々とイノベーションを展開し、士気を高め、収益をもたらす。だから、組織マネジメントの要諦は「いかにしてオーバーアチーバーに気分よく仕事をしてもらうか」に尽くされる。

 でも、今の組織論でそんなことを言う人はいない。凡庸な「組織マネジメント原理主義者」がするのは、それとは反対のことである。つまり「アンダーアチーバー」あるいは「フリーライダー」を探し出して、叱責したり、処罰したりすることを「組織マネジメント」だと思い込んでいる。

 だが、給料分の仕事をしない人間や、他の人間の貢献にぶら下がっている人間というのは、どんな組織でも必ず一定数は発生するのである(だいたい成員の20%がそうである)。これは減らすことができない(勤務考課が最低の20%を解雇すれば、残り80%のうちの20%がまたそのポジションに移行するだけである)。「働きのないやつ」を探し出して、いじめることはいかなる価値も生み出さない純粋な消耗である。そんなことにリソースを割くべきではない。そんな余裕があるなら、オーバーアチーバーたちが思い切り仕事ができる環境を整備するところにリソースを投じた方がいい。

 オーバーアチーバーたちは別にそれほど過大な要求はしない。彼らが求めるのは「好きにやらせてくれ」ということだけである。「管理しないでくれ。査定しないでくれ。がたがた文句を言わないでくれ」ということだけである。管理と創造は食い合わせが悪い。組織を創造的なものにしたいと思ったら、管理にコストをかけないことである。管理すれば、組織は秩序立つけれども、生産性は下がる。当たり前である。

 軍隊には「督戦隊」というものがある。前線で戦っている兵士が、戦況が悪化して前線から退却してきたときに、「前線に戻って戦え」と銃を向けて脅かす役である。兵士たちは仕方なく前線に戻って戦う。「督戦隊」が全体の半分を占める軍隊があったとする(ないが)、その軍隊は軍律は行き届いているだろうが、戦争にはめっぽう弱い(だって、兵士の半分は前線に立っていないんだから)。

 凡庸な組織マネジメント原理主義者がトップにいる組織はだいたい管理部門が肥大化して、そこに権限も予算も情報も集約される。「督戦隊」に軍事的リソースの大半を注ぎ込む軍隊に似ている。だから、管理が行き届くほど、弱くなる。価値あるものを生み出す力が衰える。そういうものなのである。

 

 オーバーアチーバーは管理を嫌う。だから、管理が好きな人間はオーバーアチーバーを疎んじる。場合によっては「業務命令に従わない」という理由で懲戒したりする。でも、それは「金の卵を産む鵞鳥」を殺すことである。

2025年

6月

27日

内田樹さんの「教育論と組織論」(その1) ☆ あさもりのりひこ No.1713

「そういう人と一緒に暮らすと、自分自身が楽になる人」に自分がなればいい。市民的成熟とはそのことである。倫理的に生きるとはそのことである。

 

 

2025年6月13日の内田樹さんの論考「教育論と組織論」(その1)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ある媒体に長いものを寄稿した。かなり特殊な媒体なので目に届かないだろうから、ここに転載する。

 

「現代教育や技術者および人材育成の問題点・改善点」についての寄稿を求められた。

 長く教壇に立ち、自分の道場で門人を育成してきた立場から「教育」については経験的に言えることがある。大学と道場では「管理者」という立場にあったので、「組織論」についてもいささかの私見はある。ただ、教育論も組織論も私が語ってきたのは「かなり変な話」である。私としては経験に裏づけられた知見のつもりでいるけれども、残念ながらどちらについても今の日本社会には同意してくれる人が少ない。だから、以下の文章を読まれる方は、それが少数意見であって、日本社会の常識には登録されていないものであるということをあらかじめご了承願いたい。

 

 学校教育についてまず申し上げたいのは、学校というのは「子どもたちの市民的成熟を支援するための制度」であって、どのような教育上の試みも、そのつど「これは子どもたちの市民的成熟に資するものか?」という問いによる吟味をまず受けるべきだということである。

「市民的成熟」というのもこなれない語だけれど、私はよく用いる。一言でいえば、「公と私」の間で葛藤する作法を身につけることである。

「葛藤する作法」などとさらにこなれない語を使ってしまったが、意味は何となくわかってもらえると思う。

「公と私」の間にはしばしば対立があり、矛盾があり、利益の相反がある。それも当然である。公共というのは、ホッブズが『リヴァイアサン』で書いたように、「万人の万人に対する戦い」を止めるために、全員が私権の一部、私財の一部を供託して立ち上げる工作物のことである。身銭を切って、自分の割り前を差し出して、はじめて共同体や自治体や政府や国家といった「公共」が成り立つ。それが成員たちの間にいさかいがあった時に理非の裁定を下し、富めるものから供出させた財貨を貧しいものに再分配する。

 公的機関は自然物のようにこの世界にもともと自存しているわけではない。「万人の万人に対する戦い」に疲れた市民たちがちょっとずつ手持ちの権利や財貨を供出して「創った」のである。

ほんとうに「万人の万人に対する戦い」というような歴史的事実があったのかどうかは知らない(歴史学の最近の学説では「そんな世界はなかった」と教えている)。でも、近代市民社会を基礎づけるためには、そういう「お話」が必要だったし、実際にこの「お話」はうまく機能した。おかげで私たちはとりあえず近代市民社会の中で、誰かにいきなり生命財産自由を奪われることを心配せずに暮らしていられる。

 でも、この「公」は市民にあれこれと要求をする。法律やルールを守れとか税金を払えとか徴兵に応じろとかゴミを捨てるなとか、いろいろ。これが「私」にとっての「持ち出し」に相当する。これを供出しないと「公」は成り立たない。

 問題はこの「持ち出し」における「自分の割り前」をどう算定するかである。どれくらい私物を供出したらいいのか。自分の適正な「割り前」はいかほどなのか。これが「わかる」のが成熟した市民である。子どもたちをそのような市民に育てることが学校教育の使命である。私はそういうふうに理解している。

 未熟な市民はそもそも「公共のために自分の割り前を供出する」ということの意味がわからない。しぶしぶ出すようになっても、「オレの割り前が多すぎる」と文句を言う。「法律を守っていないのに処罰されないでいるやつがいるのに、どうしてオレだけ守らなければいけないのか」とか「脱税している奴がいるのに、どうしてオレだけが律儀に申告しなければいけないのか」とか「他人が捨てていったゴミをどうしてオレが拾わなくちゃいけないんだ」とか。

 この未熟な人たちをある程度まで市民的に成熟させないと、市民社会はもたない。彼らにも「公の顔も立て、私の顔も立てる落としどころ」を見つけてもらわなければならない。

 公私のどちらにも偏らない危ういバランスをとることだから、それなりの見識と技術がいる。一番簡単な基準は「この社会が自分みたいな人間ばかりだったら」というSF的想定をすることである。

 法律を守らない、税金を払わない、他人のものでも隙があれば盗む、他人に屈辱感を与える機会が提供されたらすぐに利用する...そういう人は自分のことを「つねに自己利益の最大化をめざしている利己的な人間」だと思うかも知れない。たしかに、「法律を守らない、税金を払わない・・・」のが「オレ一人」で、あとの全員は「法律を守り、税金を払う・・・」善良な市民である時に、この「オレ」の利益は最大化する。これは事実である。

 例えば、交通渋滞の時に、高速道路の路肩を走るドライバーは、あとの全員が道交法を守って路肩を空けている時に利益が最大化し、みんなが我先に路肩を走り出したら利益は失われる。だから、「路肩を走るのはオレ一人」であることを切望するようになる。

 でも、「オレみたいな人間はこの世にできるだけ少ない方がいい」と思うのは、よく考えればわかるが、自分に対する一種の「呪い」として機能する。その呪いは弱い毒のように、少しずつ「オレ」の心身を蝕むことになる。だって、「オレみたいな人間はこの世にいない方がいい」と本人が日々切望しているからである。

 だから、「市民的に成熟する」というのは、別に字面ほどに抽象的なことではないのである。ただ、想像力を少し働かせればいい。「自分みたいな人間」ばかりで構成された社会に住みたいかどうか、それを自問すればよい。できることなら、ほとんどの市民が遵法的で、親切で、異物にも寛容な社会に暮らしたい、ふつうはそう思うはずである。みんなで公共を立ち上げる時に、「オレの割り前は多すぎる。フリーライダーは誰だ。オレたちの集団に紛れ込んでいる異物は誰だ。集団の純血を穢しているのは誰だ」と目を血走らせる人たちとともに共同体を構成したいとは誰も思わないだろう。

 だったら、「そういう人と一緒に暮らすと、自分自身が楽になる人」に自分がなればいい。市民的成熟とはそのことである。倫理的に生きるとはそのことである。親切で、寛容で、想像力が豊かで、共感力が高く、自分に理解できないことに遭遇しても慌てず、落ち着いて、それを包摂しようと笑顔で努力する人に囲まれていたら、ずいぶん生きるのは楽になるはずである。できることなら「そんな人ばかりで構成されている社会」に住みたいと思うはずである。そう思うなら、自分が「そんな人」になるように努めればよい。世界中に「自分みたいな人間」がたくさんいる方が安心して気分よく暮らせると思う人は、そう思うことで自分を祝福しているのである。「自分みたいな人間がたくさんいる世界に住みたい」と思うことほどの自己肯定はない。

 でも、この理路は子どもにはなかなか伝わらない。難しい話だから。それを教えるにはそれなりの手間暇がかかる。そのために教育はある。

 

 

 

2025年

6月

26日

奈良マラソン2025への道 その11 ☆ あさもりのりひこ

6月20日(金)早朝、インターバル走、38分58秒、6.21㎞、平均ペース6分17秒/㎞、総上昇量94m、消費カロリー434㎉。

1 5分45秒

2 5分53秒

3 5分47秒

4 5分43秒

5 5分56秒

6 5分44秒(390m

 

6月21日(土)早朝、丘の階段284段、52分51秒、64.7㎞、平均ペース8分10秒/㎞、総上昇量151m、消費カロリー472㎉。

1 7分18秒

2 7分47秒

3 10分03秒

4 10分47秒

5 6分38秒

6 7分14秒

7 6分31秒(470m

 

6月22日(日)、休足。

 

6月23日(月)早朝、室内トレーニング。

昨日から、左脚の第2趾が腫れている。

 

6月24日(火)、休足。

左脚の第2趾が腫れてタラコのようになっている。

足の甲も腫れてナマコのようになっている。

歩くと痛いし、立っていても痛い。

革靴は履けないので、ランニングシューズを履く。

山村クリニックで診察してもらう。

「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」とのこと。

レボフロキサシン錠500㎎を7日分処方してもらう。

1日1回、朝食後に1錠飲む。

 

6月25日(水)、休足。

「蜂窩織炎」は、左脚の第2趾から始まって、足の甲、足の裏、足首まで腫れている。

朝食後、レボフロキサシン錠500㎎を1錠飲む。

服薬2回目。

痛みは昨日より5%くらい減少したような気がする。

靴は、トレイルランニングシューズ(アルトラのローンピーク)を履く。

左脚のひもを緩めて履いている。

 

6月26日(木)、休足。

「蜂窩織炎」の腫れと痛みは、最悪時の80%くらいになった。

朝食後、レボフロキサシン錠500㎎を1錠飲む。

服薬3回目。

 

やっと、左脚を前に踏み出せるようになった。

2025年

6月

25日

内田樹さんの「韓国の二つの空白」 ☆ あさもりのりひこ No.1711

内田は自らを「私はマルクシストではなくマルクシアンだ」と述べる。彼の師匠であるレヴィナスは「マルクスの言葉で語る人間」を指して「マルクシスト」と呼び、「マルクスの思想を自分の言葉で語る人間」を「マルクシアン」と呼んで区別した。

 

 

2025年6月7日の内田樹さんの論考「韓国の二つの空白」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

韓国のハンギョレ新聞に長文の「講演評」が掲載された。書評ではなく講演についての評論が書かれるというのは珍しいことだと思う。朴先生が和訳してくれたものを送ってくれたので、ここに転載する。この記者は私の本をきちんと読んでくれていて、私が韓国人読者に告げたいことを過不足なく伝えてくれていた。

 

(ここから)

「韓国には二つの空白があるようだ。マルクスの思想と武道の伝統である。私はその二つの世界との橋渡しならできる」

 

 日本の思想家・哲学者、内田樹(74)神戸女学院大学名誉教授が韓国を訪れた。彼の本「武道的思考(朴東燮 訳・ユユ出版社刊)」と「勇気論(朴東燮訳・RHコリア刊)が同時刊行となることを記念して講演やイベントが続々と行われた。

 内田はリトアニア出身のユダヤ系フランス哲学者エマニュエル・レヴィナス(19061995)の弟子として、40年以上フランス文学と思想を研究してきており、50年間、合気道を稽古してきた武道人である。2011年退職して自宅兼道場の「凱風館」という合気道道場を開いているほどだ。学術の言葉を日常の言葉で自由自在に書き表し、日韓両国で大衆に学びの哲学、身体の哲学を広めている彼は、韓国では特に「先生の先生」として名高い。はたらくことから逃避しようとする若者について書いた「下流志向」、「街場の教育論」(朴東燮 訳) 等、教育の市場化を批判した本が人気を得ている。

 

武道人・読者・記者たちの歓待

 2025528日夕、ソウル江西区LGアートセンターで開かれた「内田樹韓国講演」(UCHIDA TATSURU MOVEMENT)は感覚的でありながらトレンディな歓待の中で行われた。歌手であり「MUSABOOKS(本屋無事)」の店主であるヨジョが司会者として登場。通訳は元朝日新聞記者で先日「至極私的な日本(トゥムセ書房)」という本を出した成川彩と「世界で唯一の内田樹研究者」を自認する朴東燮移動研究所所長がともに務めた。両国の言語をありのまま訳すことより「内田先生を愛する日韓ファンの集まり」で温かい「文化の翻訳」がなさるような不思議な雰囲気が醸し出された。韓日の武道人、読者、記者たちが互いに融合・複合したようなイベントだった。

 

 内田を招へいしたIVEコーポレーションのソンジュンファン代表は「武道家であり思想家として内田樹から送られたシグナルに応答しながら、韓国のエネルギーと日本の技術が出会い、化学反応が起きれば両国に「MOVEMENT」が起きるはずだと述べた。内田と14年前に出会い、その後もずっとその思想を紹介してきた朴東燮所長は「弟子でありファンとして、一人でもファンを増やしたいと思ってここにきた」と師匠に対する尊敬の念を隠さない。

 朴東燮所長は短い発表で「母港(home port)」のメタファーを使い、内田樹師範との「師弟関係」について熱く語った。母港をもつものは、「いつでも帰れる港がある」と思うことで、航海のパフォーマンスを向上させることができる。だから、結果的に、母港からずっと遠くまで冒険の旅程を延ばすことができる。 そういう意味で、「母港」や「アジール」はすぐれて教育的な機能だということである。だから、彼にとって、内田樹師範は「母港的」だということである。

 彼も師の衣鉢を継ぐために「母港」になり、「灯台」になりたいと語った。

 一時間あまりソン代表と朴所長のプレゼンテーションが行われ、ついに内田が観客の期待を真っ向から受け止めた余裕たっぷりのベテラン俳優のように、真っ黒い背景の舞台に登場した。濃いグレーのジャケットの中に真っ白なリネンのシャツを組み合わせ、さりげなくセンスある服装だ。ジーンズにあわせてカジュアルな靴はかかとが擦れていたが、合気道7段には似つかわしくない慎重な足取りが身に着いたかのようだった。がっしりした肩、長い間の稽古で鍛錬された男の武道人のしっかりした指がしなやかながらもしっかりとした動きを見せる。

 

 内田は自らを「私はマルクシストではなくマルクシアンだ」と述べる。彼の師匠であるレヴィナスは「マルクスの言葉で語る人間」を指して「マルクシスト」と呼び、「マルクスの思想を自分の言葉で語る人間」を「マルクシアン」と呼んで区別した。内田は日本は1870年から150年余りの間続いてきたマルクス研究が蓄積されており、途中苦難の時代もあったが、関連した研究がずっと継続されてきた世界でも稀な国だと言う。特に「持続不可能資本主義(日本語タイトル:人新世の「資本論」)(ダダ書斎2021)を書いた斉藤幸平は韓日両国でよく知られているようにマルクシアンだと言及した。

 

マルクシスト(Marxiste)ではなくマルクシアン(Marxien

「私は16歳の時からマルクスを読んでその思想が血肉化しており日常の言葉でマルクスの思想を語る『マルクシアン』だ。マルクスの思想を知ることなしには、どこの国の歴史も、どんな現代哲学もきちんと理解することはできない。韓国もそのことに対する欲求のために私に声がかかっているのではないかと思う。」

 

 彼の言葉のように、最近ソウル大学で35年ぶりにマルクス経済学が需要がないからと、講座が廃止になることが論争になったりもした。マルクス講義の復活を願う学生たちの声は多く、市民を対象にしたマルクス経済学講義に1500名を超える希望者が集まり、話題になった。「韓国の若者たちの間には集団の無意識のようにマルクシアンと深いところから触れたいという熱い思いがあると思う」と内田はつづける。

 

 内田は韓国の読者たちが「武道的なものごと」にも欠落を感じていると分析している。韓国・中国・日本は200年前までは「武道的メンタリティー」をもち、互いに交流してきたが、今やその命脈は途絶えてしまい残念だという。

 内田が言う「武道」とは、漢字で「磨くを意味する「修」」の字を用い、韓国人が「修行」と称する心身の実践を指す。新刊「目標は天下無敵(日本タイトル:武道的思考)」にも内田は「無敵とは敵だというほどのものは存在しない穏やかで広い境地に至ることだ」と書いている。宗教的に言えば「覚醒」「涅槃」「解脱」に近い。ひとことで「道を究める」ことだ。

 

「宗教的信仰や修行はすべて無限消失点に向かってひたすら歩くことを指す。修行の「修」は師匠の背中を見て淡々と歩き続けることを意味する。生涯、智恵と力を涵養する努力には終わりがない。師匠を通して自身の足りないところに気づくことこそ重要なのである」

 

 彼は自身の合気道の師匠、多田宏(95)について語る。50年前、師匠からどうして合気道を習いに来たのかと聞かれたとき、若かった内田は「喧嘩に強くなりたくて」と答えた。師匠は愚かな弟子に「そういう理由ではじめてもよい」とにっこり笑いながら答えた。その後、内田は哲学的師匠であるレヴィナスの理論を学びながら、自身の無知がフランス語や哲学の知識の不足というより、人間的な未成熟によるものだと認識するに至った。

 

「レヴィナスの弟子になった後、私は手元の情報や知識を捨てることからはじめた。レヴィナスを読みながら、私は知らないことが多いけれどもそれがうれしい。学んでいて知らないことに出会うとストレスを受けるのが研究者で、喜びを感じるのが弟子だ。(笑)師匠がいかにすぐれているのかを知り、自分も精進しなければと感じること、それこそが師弟関係だ。」

 

 彼が合気道の師匠から得た最も大切な教えは、稽古で他人の技を批判してはいけないことだという。20代後半のころは、他人を批判して本人がうまくなることはないということに気づき、内田は「競争から降りた」という。論客として知られてはいるが、実は内田はキツイ言葉で武装して相手の論理を崩すような論争は誰ともしたことがない。「論争に負けると悔しいし、勝てば勝ったでそこに居つくから」である。「韓国人がたゆまず私の著書を読んでくれるのもまた勝利や競争に執着しない生き方に対するあこがれや必要のためではないか」と問い返した。

 

「私はただほんの少し橋をかけるだけだ。これまでの僕の記憶のアーカイブから反資本主義やコモンを再生し発見する媒介となるだけだ。これが私のシグナルでありMOVEMENTだ」

 

 内田は「身体の思想家」である。「目標は天下無敵(武道的思考)」でも、武道の本質はひたすら自己刷新することであり、「他人の内部から起こることに対する感覚の触手を広げること」と書いている。家事の能力は他人が送ってくれる救援信号を体で感知する能力と根底では同じであり、惻隠の情とも同一の性格をもつと説明する。他人との共生を重視しないとか、世話をすることに特別な技術は必要ないと考えるとか、限られた資源を互いに奪いあい勝者が独り占めする無限競争ばかり教える教育が世の中を壊していると見る。

 

「教育の危機が深刻だ。身体感覚を鈍化させるように教えられ、できる子たちは体にたいする好奇心や敬意を忘れてしまう。記録を更新することや勝利を主とするスポーツ、体育を強調する日本の学校教育は誤った身体観を育てる」

 

韓国と日本、どうつきあっていけばよいか

 内田は帝国主義や植民地戦争被害に対して日本が限りなく責任があると強調し、日本の知識人たちにも大きな影響を及ぼしている。「韓国と中国が日本に粘り強く謝罪を要求することは謝罪をしないからだ」(目標は天下無敵)と繰り返し述べる。極右勢力が蔓延っている日本では勇気のある発言だ。だが、韓国人の相当数が日本人対して身体的に感じる不安がある。感動的に見る日本映画に右翼資本が入っているとか、好きなブランドに右翼イデオロギーが隠れているというニュース等を伝え聞き感じる裏切られた気持ちもそうだ。だとすれば互いに文化をこれほど愛し、 オルタナティブな暮らしやコモンを共有しようとする両国の若者たちはどのようにして互いを近づけていけるだろうか。かれば身体感受性まで支配しようとするイデオロギー的権力作用が問題であると批判している。

 

 

「身体的恐怖はイデオロギーに対する恐怖を感じるということだ。修行はきのうの自分を捨てて、連続的な自己刷新を遂げなくてはというが、イデオロギーはそこに執着し居着くことを意味する。私はまた(イデオロギー的暴力と権力から感じる)嫌悪と恐怖がある。その固定観念をどうやって解体していくかが私のテーマでありミッションである」

2025年

6月

24日

近鉄八木駅付近おすすめスイーツ⑦

本日は、事務局の担当日です。

近鉄八木駅・なら法律事務所付近で、新たなスイーツの紹介です。

まず、そのスイーツを販売しているお店は近鉄八木駅ホーム下にある近鉄八木駅名店街内の北側で、近鉄百貨店へ向かう途中にある

FATMAN’SBURGER

(https://www.instagram.com/fatmans_burger2025)

さんです。

このお店は、以前このブログで、当事務所の他のスタッフがご紹介してますが、基本は店名のとおりハンバーガー屋さんです。

ハンバーガーもオリジナリティが有り美味しいのですが、このお店で販売されているドーナツが、ふわふわタイプでなんとなく懐かしい味なのです。

FATMAN’S BURGERのドーナツ
FATMAN’S BURGERのドーナツ

まずは、デコレーションの無いシンプルなドーナツをお勧めします。

但し、数多く作ってないので、希望のドーナツが売り切れていることがあるので、その点をご承知おきください。

仕事の疲れを癒やす時に、気分をリフレッシュさせてくれる品だと思います。

それと、もう一品ドーナツを紹介します。こちらはご存じの方も多いと思いますが近鉄八木駅ホーム下にあるミスタードーナツの最近販売が始まったものです。

私も4種類ある「もっちゅりん」のあずきしか食べてないのですが、私としては、ミスタードーナツにおいてポン・デ・リング以来の他のドーナツと異なる食感の品です。

ミスタードーナツ「もっちゅりん」
ミスタードーナツ「もっちゅりん」
ミスタードーナツ「もっちゅりん」あずき
ミスタードーナツ「もっちゅりん」あずき

ただ、こちらのドーナツも、今は販売数が少ないのと購入希望者が多いので、毎日午前11時の販売開始からすぐに売り切れ、買えないことが多いので、その点を覚悟して訪れたほうが良いと思います。

以上、共に1度試されることお勧めしたい近鉄八木駅付近スイーツです。

2025年

6月

23日

内田樹さんの「ある微温的コミュニストの思い出」 ☆ あさもりのりひこ No.1710

これが連載の第一回だったのだが、掲載誌の表紙が立花孝志だったので、こんな見識のない媒体にはもう二度と書かないと伝えた。

 

 

2025年6月5日の内田樹さんの論考「ある微温的コミュニストの思い出」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

『情況』に5000字の寄稿を求められた。何を書いてもよいということだったので、思いつくままに書く。どういう読者層なのかわからないが、とりあえず30代くらいの人を想定読者に書くことにする。「若い人たちを想定読者にする」というのは、できるだけ親切に説明するということである。「例のあれが」とか「周知のように」的な内輪のジャルゴンはできるだけ使わないようにする。

『情況』という誌名を最初に教えてくれたのは1971年の冬に駒場(東京大学の教養学部がそこにあった)で新しい運動体を作ろうとしていた時に私が声をかけた級友O君だった。O君は「ブント情況派」という党派の活動家であったので、学内で新しい運動を始めるとしたら「上の許可が要る」という。それで駒場の喫茶店で「情況派の幹部」という人と話をすることになった。私たちが始めようとしている運動について私が説明した。50年以上前のことなので、もう細部は定かではないけれど、「民青一元支配の駒場に新しい潮流を」というような漠然とした構想を話した。話を聴いて、私の構想がブントから見て別に危険なものでもなさそうだという評価を頂いたらしく、O君は「内田と活動してもよい」という許可をもらって、二人きりの政治組織を作ることになった。

 O君も私も武闘派ではなくて、言論で政治的状況をどうにかしたいというタイプだった。私は「活動家諸君、内ゲバなんか止めようよ。どの党派も『大学を自由な空間に』という点では一致しているんだから、限定的な政治目標を掲げて、そこでは協力し合おうよ」という微温的な政治的立場だった。もともと気質的に党派的に純化することが嫌いだった。だから、私には民青を含めてほぼ全党派に友人がいて、「どうしてみんな仲良くできないの」というようなことを言っては彼らを困らせていた。

 困るのも当然で、71年当時、「革命をめざす全党派がゆるやかに連帯する」というような(空想的かつ反時代的な)ことを言う学生は他にいなかった。ほとんどゼロだった。それでも私は同意してくれる人はきっといると信じて、政治ビラを書いてキャンパスで配布した。でも、何の反応もなかった。結果的に、O君と二人で手作りの政治運動を始めたせいで「お前たちは状況からお呼びじゃないんだよ」という痛苦な事実を現認することになった。

 でも、この「無反応」で私はなんとなくすっきりした。なるほど、私は少数派なのだ。ほとんど盟友のいない少数派なんだ。それがわかった。でも、それだからと言ってもうこんな生き方は止めよういうふうには全然思わなかった。それよりは私のような考え方をしてくれる人を一人でも増やすためにこれから「こつこつ」と言論活動をしてゆこうと決意したのである。何年かかってもいい。革命をするなら、多数派を形成しなくてはならない。そのためには純粋な政治思想を求めて分派を繰り返して組織縮減を再生産するよりは対立点はとりあえず『棚に上げて』、みんな仲良く大同団結した方がいい。そんな微温的な政治思想の支持者を増やしていこう。そう思った。

 いかなる幼児体験の帰結か知らないが、私は「人には親切に、みんな仲良く」という小学校の壁に貼ってある学級目標のようなことを本気で理想とする人間だったのである。

 大学を卒業する頃になると、かつての活動家たちがうち揃って髪を七三にわけて、スーツにネクタイで「就活」を始めた。その光景に私は驚愕した。君たち、ついこの間まで「日帝打倒」とか言ってなかったか。どの党派が最も革命的であるかを競って論争をして、殴り合っていなかったか。いったいあれは何だったのか。「活動家であった以上、就職なんかしないで職業革命家になれ」というような原理主義的なことをもちろん私は言いはしないが、仮にも一度は「革命」という文字列を口にした人間が「日帝企業」や中央省庁にほいほい就職するというのは、「転向」と言うのではないのか。いや「転向」というほどの内的葛藤さえ君たちにはあるようには思えない。

 そして気がついた。彼らは高校生の時は受験勉強でスコアを競い、大学に入ったら政治闘争で革命性を競い、大学を出る時は就活でレベルの高いところに入ることを競い・・・つまり、いつも同学齢集団の中での相対的優劣を競って、その競争に勝って「大きな顔をしたい」だけだったのだ。そのことがわかった。

 私は就活する気はなかった。気質的にサラリーマンができないことはわかっていた。それに、いかに微温的とはいえ一度は革命をめざす旗幟を立てた以上、吐いた言葉の責任はそれなりに取らなければならない。

 とりあえず大学院に行って、「モラトリアム」することにした。O君は秀才だったので、美術史の大学院に無事進学して、研究者への道を歩み始めた。私は駒場の3年間ほとんど勉強していなかったので、深い考えもなく仏文に進学したが、同学年の仏文科30余人の中で「最もフランス語ができない学生」だった(これは確言できる)。テクストを音読しろと言われて、つかえつかえ読んでいたら「三人称複数形の語尾のestを発音するような劣等生が仏文に進学するとは...」と教師を青ざめさせたくらいである。だから、モラトリアムすべく受けた院試に受かるはずがない。さいわい「研究生」という制度があって、大学院浪人にも学生証のようなものを発行してくれたので、研究生という身分になった。

 卒業はしたけれどすることがない。「卒業即プー」である。しばらく翻訳と家庭教師のバイトで食いつないだ。まだ日本経済が好調な時代だったので、(今では信じられないだろうが)半端仕事の収入だけで家賃を払って、三食食べて、ドライブや海水浴やスキーに行って、毎晩近くのスナックで(昭和的だ)近所の悪い子たちと騒ぐだけのお金が稼げた。

 しかし、遊び暮らしているうちにさすがにこれではまずいのではないかと思うようになった。きっかけは小津安二郎だった。

 正月に部屋でごろごろテレビを観ていたら『お早よう』という映画が始まった。松竹の文芸映画になんかに私は何の関心もなかったが、起き上ってチャンネルを替えるのも面倒なので、そのまま寝転んで観ていた。始まって数分後に「こんな映画は観たことがない」と気づいて、座り直した。画面を凝視し、台詞を一つも聴き逃すまいと耳をそばだて、ときどき笑い転げ、見終わった時には深い感動に包まれていた。その日から東京中の映画館やシネマテークを回って小津作品を観た。そして、ほぼ全作品を見終わった頃、「まじめに生きよう」と思った。

 小津の映画に出て来る男たちはだいたい大企業のサラリーマンか医者か大学教授である。その男たちは夜になると銀座のバーや小料理屋に繰り出して一献傾けながら、知り合いの娘の縁談の相談をする。と書くとぜんぜん面白くない映画にしか思えないが、これが信じられないくらいに面白いのである。でも、ここは映画論を書く場所ではないので、詳述はしない。

 とにかくこの男たちが実に美味しそうに酒を飲む。仕事を終えた後に(時々は昼飯時から)美味そうにお酒を飲み、どうでもいい話をする。映画を見ているうちに、自分も「昼間は仕事をして、夕方になったら悪友と酌み交わして、どうでもいい話をするような男になりたい」と本気で思った。堅気の仕事をすることのたいせつさと楽しさを私は小津安二郎に教えてもらったのである。小津自身は「堅気のお勤め」ということを一度もしたことがない人なので、これはすべて彼の空想である。でも、空想にも人を導く力はある。

 その年の暮れに私は合気道自由が丘道場に入門して、多田宏先生の門人になった。これまでのようなだらけた生き方を止めて、まずは「師に就いて修行する人間」になろうと思ったのである。

 入門してすぐに納会があり、多田先生がいらした。先生ににじり寄ってビールを注ぎながら自己紹介をした。多田先生が「内田君はなぜ合気道を始めようと思ったのか」と訊かれたので「はい、喧嘩に強くなろうと思って」と即答した。実際に少し前までキャンパスは出会いがしらにいきなり殴り合い...というワイルドな空間だったから護身の術は必要だったのである。でも、それ以上に私はこの答えに先生がどう反応するのか知りたいと思ってあえて挑発的な答えをしたのである(性格の悪い若者だった)。「ふざけるな馬鹿者!」と叱られるか、あきれて追い払うか、渋い顔で説教を垂れるか...それで師の器を値踏みしようとしたのである。まことに不遜な若者である(バカだから仕方がない)。ところが意外にも先生は笑って「そういう動機で始めてもよい」と答えたのである。私は驚愕した。

 多田先生の言葉を無理に言い換えると「どんな動機で始めても、私の門人になった以上は適切な修行の道を歩むことになるから問題はないのである。そもそも初心者が武道修行の目的を問われて『正しい答え』をするということはあり得ない。なぜなら、君はこれから私に就いて、今の君が思量できる限界を超えたこと、君の今の語彙には存在しないことを習得することになるからである」ということになる。武道とはこれほどに宏大で、深遠で、そして風通しのよいものなのか。私はこの一言で眼前の曇りが一気に晴れて、「この先生に一生ついてゆこう」と決意した。

 それから半世紀が経つ。先生は御年95歳になられたがまだご壮健で道場に立っておられる。「この先生に一生ついてゆく」という決意はほぼ成就したと言ってよいだろう。

 というわけで、私は二十五歳の時に、それまでの「戦う男」(というのは言い過ぎで、「態度の悪い男」「孤立しても気にしない男」くらいが適切だが)の看板を下ろして、「修行する男」というものになった。

 そのせいかもしれないが、入門2年目に私は二浪の末に東京都立大学の仏文の大学院に入学を許された。それから「稽古と研究」の二足の草鞋が始まり、そのまま今に至る。途中27歳の時に親友の平川克美君と起業して一時会社経営者というものになり、その時は「三足の草鞋」を履いていたことになるが、その話は始めると長くなるので割愛。

「情況」という文字列を見た時にO君のことを思い出したので、つい長話をしてしまった。長い話に付き合わせて申し訳ない。O君はそのあと無事美術館のキュレイターになり、大学の美術史の先生になった。たまに会っても政治が話題に上ることはほとんどない。

本誌は政治的なイシューを扱う媒体なのに、さっぱり政治の話が出てこないではないかとお怒りの方もおられると思う。でも、そうでもない。私が高校をドロップアウトしたのは受験勉強が涵養する「競争的マインド」が心底嫌いだったからである。大学で走り回っていたのは「みんな仲良くしよう」という微温的な政治思想を伝道しようとしていたからである。合気道家になったのは、我執を去り、相対的な優劣を競わない修行の道を歩もうと思ったからである。割と首尾一貫しているのである。

「武道は相対的優劣を競わない」。そう言うと「意味がわからない」という人が多い。これを説明し始めるとすごく長い話になるので、またの機会(があれば)その時に書く。とりあえず、武道の極意を記した澤庵禅師の『太阿記』は「蓋し兵法者は勝負を争わず、強弱に拘らず」という言葉から始まる。勝負を争うと敗ける。強弱に拘ると弱くなる。そういう「武道の逆説」というものがあるのだ。

 とにかくわが74年の人生を振り返ってみると、「優劣を競わない。勝敗を争わない」ということにおいては私は「割と首尾一貫」していたのである。

私は(学術的なものも含めて)論争ということをしたことがない。査定というのはするのもされるのも大嫌いである。それが私の「政治」である。「みんな仲良く助け合って、この世の中を少しでも住みやすいものにしよう」という健気な努力を私は止めたことがない。それだけは誇れる。

大学退職後に私は凱風館という道場兼学塾という教育共同体を立ち上げた。ここを「相互扶助ネットワーク」の拠点とするために建てたのである。私は骨の髄まで「コミューン主義者(communist)」なのである。でも、「コミューン主義とは何か」を語り出すとさらに長い話になるので、今日はここまで。(『情況』3月31日)

これが連載の第一回だったのだが、掲載誌の表紙が立花孝志だったので、こんな見識のない媒体にはもう二度と書かないと伝えた。

 

 

2025年

6月

20日

内田樹さんの「声と倍音」 ☆ あさもりのりひこ No.1709

君たちが深い傷を負わずに成人するためには、大人の声を聴いて、その言葉に従うべきかどうかを判断できる力が必要だ。

 

 

2025年6月5日の内田樹さんの論考「声と倍音」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

少し前に小学校で講演をする機会があった。平川克美君と私が卒業した大田区の小学校から招かれて、6年生を前に「63年前にこの小学校を卒業したお爺さん二人」が小1時間話をする。

 平川君も私も小学生相手の講演は初めてである。何を話そうか相談したけれど、いつもと同じ調子でやろうということになった。相手の学齢に従って話題を替えたり、話し方を替えたりするのはよろしくない、講演は相手にかかわらずすべて一律であるべきだというような無法なことを言っているわけではない。二人とも「人間が雑」なので、細かい切り替えが面倒なだけである。

 私はこんな話をした。

 君たちは12歳になった。小さい頃は「大人たちの言うことを聞きなさい」と教わったと思う。それは正しい。「世の中の大人たちの言うことを信じなさい」という教えから子どもたちの社会化は始まる。この世の中の仕組みは「善きもの」であるという前提から社会化は始まる。

 でも、12歳になったら次の段階に進まなければならない。それは「世の中には絶対に信用していない大人がいる」と知ることである。世の中には信用してよい「善人」と信用してはならない「悪人」がいる。それを区別する力を身につけること。それが社会化の第二段階である。

 そう言ったら子どもたちが目を丸くして私をみつめていた。今からその区別の仕方を教える。時間がないので、一番たいせつな一つだけ教える。それは「声から倍音が出ているかどうか」だ。

 倍音なんて言っても君たちは何のことかわからないだろうけれど、そういう言葉がこの世には存在することをまず覚えて欲しい。倍音というのは合唱や合奏のときに天から降るように聴こえてくる「誰も出していない音」のことである。古代では「天使の声」と呼ばれた。波形の整った整数次倍音の他に波形の乱れた、揺れる「非整数次倍音」というものがある。

 一人の人間が出す声でも倍音が聞こえることがある。それは声帯や舌以外の身体部位、頭骨や鼻骨や腹腔や臓器が振動しているせいで発生する。「何を話しているのか理解できないけれど、胸に浸み込む言葉」というものがある。それは非整数次倍音が出ているからである。非整数次倍音は語る人の側に深い感情の動きがあるとき、口から出る言葉に他の身体部位からの振動が遅速の差をともなって重なる時に発生する(たぶんそうだと思う)。

 本当に「心の底から」語ってる言葉には骨や筋肉や臓器が「賛意」を表するのである。話を聴いていて、非整数次倍音が聞こえたら、その言葉には嘘はない。よほど練達の詐欺師以外は、舌先から出る嘘に他の身体部位を共振させるというような技は使えない。

 これから君たちはいろいろな大人たちから「あれをしろ、あれをするな」という命令や指示を受ける。その内容の真偽を判定できるだけの力が君たちにはまだない。でも、倍音が聴こえるかどうかは耳を澄ませばわかる。「心耳を澄ませて無声の声を聴く」という言葉がある。「無声の声」とはおそらく倍音のことだ。

 難しい注文だということはわかっている。でも、君たちが深い傷を負わずに成人するためには、大人の声を聴いて、その言葉に従うべきかどうかを判断できる力が必要だ。そう話した。

 しばらくして子どもたちからの心のこもった「感想」が届いた。私の言葉は彼らの「心耳」に届いたらしい。

 

(週刊金曜日 5月21日)

2025年

6月

19日

奈良マラソン2025への道 その10 ☆ あさもりのりひこ No.1708

6月13日(金)、休足。

夜、眠っているときに、右脚の脹ら脛が攣った。

 

6月14日(土)、休足。

 

6月15日(日)、休足。

 

6月16日(月)、早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

 

6月17日(火)早朝、ジョギング、47分17秒、6.25㎞、平均ペース7分34秒/㎞、総上昇量86m、消費カロリー426㎉。

1 7分27秒

2 8分20秒

3 7分03秒

4 8分15秒

5 7分05秒

6 7分23秒

7 7分03秒(250m

右脚の脹ら脛は大丈夫だった。

 

6月18日(水)早朝、室内トレーニング。

夜、トレッドミル、30分、3.95㎞、傾斜3.0%、時速8.0㎞(7分15秒/㎞)、消費カロリー378㎉、手首に重り1㎏×2。

 

6月19日(木)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り約0.5㎏×2。