〒634-0804

奈良県橿原市内膳町

1-1-19

セレーノビル2階

なら法律事務所

 

近鉄大和八木駅から

徒歩3分

 

電話 

0744-20-2335

2018年

5月

17日

奈良マラソン2018まで205日 ☆ あさもりのりひこ No.546

4月29日(日)朝、高松塚古墳~キトラ古墳~壺阪寺参道~キトラ古墳~「激坂」~稲渕~栢森~稲渕~「激坂」~キトラ古墳~高松塚古墳という24.4キロを走る。

タイムは3時間19分52秒。

 

下り坂を速度を落とさないで走ることができなかった。

上り坂は苦しいが、脚を痛めることも転倒する心配もない。

下り坂はスピードを出し過ぎると、バランスを崩して転倒する危険がある。

かといって、下りをブレーキをかけながら走ると膝に負担がかかる。

バランスを保ちつつ、できるだけ速く駆け下りる走力を身につけなければならない。

 

55日(土)朝、大和中央自転車道を30キロ走る。

20キロまでは順調だったが、20キロを超えてから徐々にスピードが落ちて、26キロから29キロまで歩いてしまった。

タイムは4時間19分05秒。

30キロをスピードを落とさないで走ることができるようになりたい。

 

5月6日(日)は金剛乃湯で湯治。

 

5月13日(日)、奈良マラソンのコース30キロを試走する、予定だったが雨のため中止。

「レディ・プレイヤー1」を観る。

 

メカゴジラ、ガンダム、カメハメ波、アキラ(金田バイク)などなど、日本ネタ満載であった。

2018年

5月

10日

宮崎駿の映画の主人公について ☆ あさもりのりひこ No.545

宮崎駿が監督した長編映画の主人公はつぎのとおりである。

 

ルパン三世カリオストロの城(1979年)

 主役 ルパン三世(成人男子)

 脇役 クラリス(少女)

風の谷のナウシカ(1984年)

 主役 ナウシカ(少女)

 脇役 アスベル(少年)

天空の城ラピュタ(1986年)

 主役 パズー(少年)

 準主役 シータ(少女)

となりのトトロ(1988年)

 主役 さつき(少女)

 準主役 メイ(幼女)

魔女の宅急便(1989年)

 主役 キキ(少女)

 脇役 とんぼ(少年)

紅の豚(1992年)

 主役 ポルコ・ロッソ(成人男子)

 脇役 フィオ(少女)

もののけ姫(1997年)

 主役 アシタカ(青年)

 準主役 サン(少女)

千と千尋の神隠し(2001年)

 主役 千尋(少女)

 脇役 ハク(少年)

ハウルの動く城(2004年)

 主役 ソフィー(少女)

 準主役 ハウル(青年)

崖の上のポニョ(2008年)

 主役 ポニョ(少女)

 準主役 宗介(少年)

風立ちぬ(2013年)

 主役 堀越二郎(成人男子)

 脇役 里見菜穂子(成人女子)

 

こうしてみると、宮崎駿の映画の中で少年が主人公なのは「天空の城ラピュタ」だけである。

ただし、「天空の城ラピュタ」はパズーとシータのふたりが主役ということもできる。

「もののけ姫」のアシタカは「少年」ではない。

モロは、アシタカを「小僧」と呼んだが。

そうすると、宮崎駿の映画の中で少年が単独で主人公である作品はない、ということになる。

 

ところが、長編映画ではないが、宮崎駿の作品で少年が単独で主人公というのがひとつある。

それは、「未来少年コナン(1978年)」である。

これは、テレビの作品であるが、主役はコナン(少年)で、準主役がラナ(少女)である。

 

宮崎駿のつぎの作品は「君たちはどう生きるか」である。

吉野源三郎の原作では「君たちはどう生きるか」の主人公は、中学2年生(15才)のコペル君こと本田潤一という少年である。

 

宮崎駿は、コペル君を主人公にするのだろうか。

それとも、タイトルは「君たちはどう生きるか」だが、主人公は創作するのだろうか。

「風立ちぬ」の堀越二郎のように。

 

まさか、「君たちはどう生きるか」の原作に登場するコペル君のおじさんが主人公、なんてのも「あり」なんだろうか。

 

宮崎駿の新作がどんな作品になるのか楽しみである。

2018年

5月

09日

中国の若者たちよ、マルクスを読もう ☆ あさもりのりひこ No.544

僕たちはマルクスを読んで、広々とした歴史的展望の中で、深い人間性理解に基づいて、複雑な事象を解明することのできる知性が存在するということを知ります。

 

 

2018年4月28日の内田樹さんの論考「中国の若者たちよ、マルクスを読もう」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

中国の新華社からメールで質問状が届いた。

中国でもマルクス生誕200年がにぎやかに祝われるようだけれど、その中で「マルクス再読」の機運が高まっている。その流れの中で石川先生との共著『若者よマルクスを読もう』も中国語訳が出て、ずいぶん売れている(らしい)。

質問状には6つの質問があった。僕の方はこんなお答えをした。

 

.『若者よ、マルクスを読もう』が出版され以来、日本ではベストセラーになり、中国でも大好評となり、愛読されています。その原因はどこにあるのでしょうか。なぜ資本主義社会の日本にはマルクス主義を愛読する人がこんなに多く存在しているのか、その原因は何だと思われますか。

 

日本では、マルクスは政治綱領としてよりはむしろ「教養書」として読まれてきました。つまり、マルクスのテクストの価値を「マルクス主義」を名乗るもろもろの政治運動のもたらした歴史的な帰結から考量するのではなく、その論理のスピード、修辞の鮮やかさ、分析の切れ味を玩味し、テクストから読書することの快楽を引き出す「非政治的な読み方」が日本では許されていました。マルクスを読むことは日本において久しく「知的成熟の一階梯」だと信じられてきました。人はマルクスを読んだからといってマルクス主義者になるわけではありません。マルクスを読んだあと天皇主義者になった者も、敬虔な仏教徒になった者も、計算高いビジネスマンになった者もいます。それでも、青春の一時期においてマルクスを読んだことは彼らにある種の人間的深みを与えました。

政治的な読み方に限定したら、スターリン主義がもたらした災厄や国際共産主義運動の消滅という歴史的事実から「それらの運動の理論的根拠であったのだから、もはやマルクスは読むに値しない」という推論を行う人がいるかも知れません。けれども、日本ではそういう批判を受け容れてマルクスを読むことを止めたという人はほとんどおりませんでした。「マルクスの非政治的な読み」が許されてきたこと、それが世界でも例外的に、日本では今もマルクスが読まれ続け、マルクス研究書が書かれ続けていることの理由の一つだろうと思います。

 

2.マルクス主義の日本への影響についてご説明いただけますか。特に現在の日本への影響について。

 

戦後の社会運動の多くはマルクス主義の旗の下に行われました。特に学生たちの運動はほとんどすべてがマルクス主義を掲げていました。ラディカルな社会改革のための整合的な理論としてはそれしか存在しなかったからです。しかし、60年安保闘争でも、60年~70年代のベトナム反戦闘争でも、実際に日本の学生たちを深いところで衝き動かしていたのは反米ナショナリズムだったと思います。対米自立をめざすこの国民感情はその後「経済力でアメリカを圧倒する」という熱狂的な経済成長至上主義にかたちを変えて存続しました。そこにはもうマルクス主義の影響は見る事ができません。

ですから、現代日本にマルクス主義がどう影響しているのかという問いには「政治的理論としては、ほとんど影響力を持っていない」と答えるしかありません。

日本共産党はマルクス主義政党ですが、選挙で共産党に投票する人たちの多くはその綱領的立場に同調しているというよりは、党の議員たちが総じて倫理的に清潔であり、知性的であり、地域活動に熱心であるといった点を評価していると思います。

ただ、日本では1920年代以後現代にいたるまで、マルクス主義を掲げる無数の政治組織が切れ目なく存続し続け、マルクス主義に基づく政治学や経済学や社会理論が研究され、講じられてきました。マルクス主義研究の広がりと多様性という点では東アジアでは突出していると思います。そのせいで、マルクス主義者でなくても日本人の多くはマルクス主義の用語や概念を熟知しており、そのスキームで政治経済の事象が語られることに慣れています。それは間違いなくわれわれのものの考え方(とくに歴史をとらえる仕方)に影響を与えているはずですけれど、それを「政治的影響」と呼ぶことは難しいと僕は思います。

 

3.先生はいつごろからマルクスの著作を勉強し始めたのでしょうか。先生が考えられているマルクス主義の偉大さを何点か挙げていただけますか。

 

最初にマルクスを読んだのは高校一年生の時です。『共産党宣言』でした。マルクスの著作で一番好きなのは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』です。これはロンドンにいたマルクスが、ニューヨークの友人に依頼されて、アメリカのドイツ語話者のための雑誌に書いた、フランスの政治的事件についての分析記事です。この入り組んだ執筆事情のせいで、マルクスの天才的な「説明能力の高さ」が遺憾なく発揮されています。同じ条件の下でこれだけ明快で深遠な分析記事を書くことのできたジャーナリストが果たしてその時代のアメリカやヨーロッパにいたかを考えてみるとマルクスの偉大さが分かると思います。

 

4.「マルクスを読めば人々がより賢くなる」とおっしゃいましたが、具代的な事例を挙げていただけますか。

 

クロード・レヴィ=ストロースは論文を執筆する前に必ずマルクスの著作を書架から取り出して任意の数頁を読んだそうです。そうすると「頭にキックが入る」のです。

この感じは僕にもよくわかります。マルクスを読むと「賢くなる」というより、「脳が活性化する」のです。マルクスの文体の疾走感や比喩の鮮やかさや畳み込むような論証や驚くべき論理の飛躍は独特の「グルーヴ感」をもたらします。マルクスの語りについてゆくだけで頭が熱くなる。いささか不穏当な比喩ですけれど、ロックンロールなんです。マルクスのテクストは。

 

5.マルクス思想を使って、現代社会における矛盾を解決する事例を挙げていただけますか。

 

マルクスの理論的枠組みをそのまま機械的に適用して解決できる矛盾などというものはこの世に存在しません。シャーロック・ホームズが難事件を解決した時の推理をそのまま当てはめても次の事件が解決できないのと同じです。ホームズから僕たちが学べるのはその推理の「術理」だけです。

僕たちはマルクスを読んで、広々とした歴史的展望の中で、深い人間性理解に基づいて、複雑な事象を解明することのできる知性が存在するということを知ります。そのような知性がもしここにいて、今のこの歴史的現実を前にしたときに、どういう分析を行い、どういう解を導き出すかということは自分で身銭を切って、自力で想像してみるしかありません。それはマルクスをロールモデルにして自分自身を知的に成熟させてゆくということであって、「マルクス思想を使って」ということではありません。

 

6.中国の若者たちが学校からマルクス主義に触れ始めています。マルクス生誕200周年を迎える今、中国の学生の皆さんに、または世界の若者たちに送りたいメッセージはありますか。

 

 

「マルクス主義に触れる」ということと「マルクスに触れる」と言うことは次元の違うことです。僕たちがこの本で若者たちに向けて語ったのは「マルクスを読もう」であって「マルクス主義を知ろう」とか「マルクス運動にコミットしよう」ということではありません。それもそれで価値ある政治的実践でしょうけれども、僕はマルクスを読むことの意味は「政治的」に限定されないと考えています。若い人たちが知性的・感性的に成熟して、深く豊かな人間理解に至るためにマルクスはきわめてすぐれた「先達」だということを申し上げているだけです。このアドバイスはどの時代のどの国の若者たちに対しても等しく有効だろうと僕は信じています。

2018年

5月

08日

八木駅前の花便り

 

本日、5月8日は事務局が担当です。

昨日は一時的に結構雨が降りましたね。

皆さんの周りでは、雨による支障はありませんでしたか?

 

今朝は、曇った天気ですが、雨あがりで少し空気が澄んでいるように感じる近鉄八木駅前でしたので、事務所へ向かうルートをいつもとは変えて近鉄八木駅前南側の花壇に咲く満開のラベンダーを見て、なら法律事務所に出勤してきました。

 

以前から何度かお伝えしてきていますが、近鉄八木駅前付近には、何カ所か見応えのある花が咲く場所があります。

その一つが、今日お伝えするラベンダーです。

 

北海道の富良野には及びませんが、この時期とても見応えのある花を咲かせますよ!

陽が差すとやはり咲き誇る花の色はとてもきれいにみえ、本当に花の色が映えて、立ち止まり見とれてしまいます。

近鉄八木駅から、なら法律事務所へお越しの際、もしくは帰り道にちょっと回り道をして、ラベンダーをご観賞下さい。

残念ながら、側に近づかないと安らぎをもたらしてくれるラベンダーの香りを感じることはできませんが、観るだけでも癒やされると思いますよ。

近鉄八木駅前のラベンダー
近鉄八木駅前のラベンダー

健やかな日々を過ごすためにも、普段見ないところに目を向けて気分を変えて、日々をお過ごしください!

2018年

5月

07日

「街場の憂国論」文庫版のためのあとがき(後編) ☆ あさもりのりひこ No.543

そのような国民を統合できる「夢」がもし存在し得るしたら、それは「これまで誰も思いついたことのないようなまったく新しいもの」であると同時に「あ、それね。その手があったか」と聞いた全員がたちまち笑顔で得心できるような「懐かしいもの」でなければならない

 

 

2018年4月3日の内田樹さんの論考「「街場の憂国論」文庫版のためのあとがき(後編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

世界中から「エコノミック・アニマル」という蔑称を投げつけられながらも、日本は全国民が一丸となって達成した驚異的な経済成長によって、ついに世界第二位の経済大国となりました。経済力でアメリカに肉迫し、マンハッタンの摩天楼を買い、ハリウッド映画を買うところまでゆきました。バブル期には、アメリカから「国家主権を金で買い戻す」という奇想天外なプランがほとんど実現可能かと思われました。でも、バブル崩壊によって、その夢は潰えます。

それから後の時代が「失われた20年」というふうに呼ばれます。いずれ「失われた30年」になり、「失われた40年」になり・・・年数がひたすら加算されてゆくことになるでしょう。

この喪失感は単なる経済力の喪失がもたらしたわけではありません。日本が42年にわたって維持してきた「世界第二位の経済大国」というポジションを中国に譲ったのは2010年のことです。91年のバブル崩壊以後も20年の間、日本は世界でも例外的に豊かな国であり続けたのです。でも、それにもかかわらず「夢」を失った日本人はどこに向かって進んでよいかわからないまま失速し迷走を続けた。

2005年、小泉政権の時、日本は国連の安保理常任理事国になろうとしてみじめな失敗を喫しました。その時に、国際社会から日本は「主権国家」だとみなされていないという痛苦な事実を日本人は思い知らされました。日本を支持することを拒んだ国々の論拠は「日本が常任理事国になっても、アメリカの票が一つ増えるだけだから」というものだったからです。そして、その指摘に日本政府はひとことも反論することができませんでした。

2009年には「夢」を取り戻すために、起死回生の民主党への政権交代がありました。でも、その鳩山政権は、米軍基地の縮小という「軍事的属国が口にしてはならないこと」を言挙げしたとみなされて、日本国内の「対米従属勢力」から猛攻を受け、四面楚歌のうちに瓦解してしまいました。

それから後はずっと仄暗い絶望感が日本を覆い続けています。「日本を取り戻す」という安倍政権の回顧的なスローガンは「日本にはもう未来がない」ということの言い換えに他なりません。それはアメリカのトランプ大統領の掲げたMake America great again というスローガンの「未来のなさ」とよく似ています。アメリカ人も「このままでは未来がない。過去に還ろう」と思い始めている。それが国力衰退の徴候だということに気づきながらも、風通しのよい、向日的な未来社会を描く想像力がもう作動しなくなった。ロシアのプーチンや中国の習近平の「終身独裁者」システムの採用は、それらの国々の政策決定者たちが「変化を恐れている」ことの徴候です。未来に希望がないから変化を恐れるのです。

今の日本には国民的な目標がありません。何もない。「経済をなんとかしてほしい」と選挙前の街頭インタビューでは有権者は言いますけれど、「なんとかしてもらった後」に何をしたいのかについては言葉が続かない。生活に困窮している人が「まともな生活ができる程度の金が欲しい」というのはわかります。でも、すでにずいぶんリッチに見える人たちまでが「金が欲しい」というのが僕にはよくわからない。「その金で何をする気なんですか?」と訊いてみたい。きっと株を買ったり、不動産を買ったり、仮想通貨を買ったりしたいんでしょう。でも、それはどれも「金を増やすため」の活動です。それは「金が欲しい」ことの理由にはなりません。でも、今の日本ではほとんどのビジネスマンが「金が欲しいのは金が欲しいからだ」という循環論法に陥っている。

「金が欲しいのは金が欲しいからだ」というループにはまり込んだのは実は経済活動をする目的が見えなくなったからです。かつては復興と主権回復という明確な国民的目標がありました。自分たちの日々の経済活動がそのまま国運の興隆とリンクしているという実感があった。自分が額に汗して働けば、国が豊かになり、国民が幸福になり、やがて国家主権が回復されて、晴れて独立国になれるという夢があった。それがなくなった。

リーディング・カンパニーで次々と信じられないような不祥事が続くのも偶然ではありません。経営者たち自身、自分たちが何のためにビジネスをしているのか、それがわからなくなっている。どれほど東奔西走しても、汗を流しても、それによって国力が増大し、国運が上昇するという「リンケージ」が見えない。顔を見たこともない海外の株主が租税回避地に持つ個人口座の残高が増えるだけで、彼らから別に「ありがとう」というねぎらいの言葉が届くわけでもない。経営者が実感できるのは、周りからの阿諛追従の言葉と、高い給料で可能になった贅沢のもたらす「つかの間の気持ちよさ」だけです。リアルなものはそれくらいしか見つからない。それなら、いっそ肚を括って、おのれひとりが出世すること、自己利益を最大化することだけに努めよう。さまざまな組織で、人々がそういうふうに考え始めた。

その結果が今の日本の「ていたらく」です。別に日本人そのものが倫理的に劣化したわけではありません。「夢」を持てなくなってしまったことの、これは帰結です。「自分ひとりがよければ他の人のことはどうでもいい。今さえよければ先のことはどうでもいい」という考え方について国民的な黙契が成立したのです。「日本にはヴィジョンがない」というのはそういうことです。

これから日本はどうなるのでしょう。先ほど「潮目の変化」が来ていると書きました。僕はそう感じます。それでもまだ日本人は「次の夢」を見つけることができずにいます。

「日本スゴイ」とか「嫌韓嫌中」とか「クール・ジャパン」とかいう復古的なイデオロギーが人々を惹きつけるのは、「落ち目の日本」からそれでも必死になって搔き集めて来た「夢の残骸」がそこに展示されているからです。「夢の残骸」でもないよりましだという考え方を僕は理解できないわけではありません。でも、それは「夢」ではない。

国運が衰微しているのは「異物」が外部から侵入してきたせいだから、それを排除して、国を純化すれば国運は再びV字回復するというタイプの社会理論は危機に遭遇した社会がしばしば採用してきたものです。それを信じた政治指導者たちは「異物」の排除による国家の浄化を企てました。でも、それがもたらしたのは粛清と強制収容所と国民の分断だけでした。ですから、そういう「国民を浄化すれば国運が回復する」というタイプの社会理論に僕は反対です。それがもたらす暴力と道徳的退廃の底知れなさは歴史が教えています。

日本人はこれからどんな「夢」を見るべきなのでしょう。そもそも果たして「次の夢」を見ることができるのでしょうか。この問いに軽々に答えることは自制しなければなりませんけれど、それでも一言だけ言わせてください。そのような国民を統合できる「夢」がもし存在し得るしたら、それは「これまで誰も思いついたことのないようなまったく新しいもの」であると同時に「あ、それね。その手があったか」と聞いた全員がたちまち笑顔で得心できるような「懐かしいもの」でなければならないということです。新しくて、そして懐かしいもの。そういうものを見つけ出すのはたいてい若い人たちです(老人にはいささか荷が重い仕事です)。

 

この本の読者の若い人たちにぜひそのたいせつな仕事を託したいと思います。僕もできる限りご協力致しますから一緒にがんばりましょう。みなさんのご健闘を祈ります。

2018年

5月

02日

「街場の憂国論」文庫版のためのあとがき(前編) ☆ あさもりのりひこ No.542

まず国民が「いる」のではありません。「あるべき国のかたちについて同じ夢を見る人たち」が国民に「なる」のです。

 

 

2018年4月3日の内田樹さんの論考「「街場の憂国論」文庫版のためのあとがき(前編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

文庫版お買い上げ、ありがとうございます。お買い上げ前でこの頁を立ち読みしているかたにも「袖すり合ったご縁」ですので、ひとことご挨拶を申し上げます。できたら、この「あとがき」だけ読んでいってください。

この文章を書いているのは2018年の3月です。

少し前の頁にある「号外のためのまえがき」が時間的には収録されたものの中で一番新しいテクストですが、その日付は2013年12月10日です。ということは、それを書いてから今日まで4年半が経ったということです。

その間に何があったか。

巻末に僕が不安げに予測した通り、「現在の自民党政権は、彼らの支配体制を恒久化するシステムが合法的に、けっこう簡単に作り出せるということ」を特定秘密保護法案の採決を通じて学習しました。その結果、2014年夏には集団的自衛権行使容認の閣議決定があり、2015年夏には国会を取り巻く市民の抗議の声の中で、安全保障関連法案が採決され、2017年には共謀罪が制定されました。

そうやって着々とジョージ・オーウェルが『1984』で描いたディストピアに近い社会が現実化してきました。

その間ずっと安倍晋三がわが国の総理大臣でした。ほんの一週間ほど前までは、彼が自民党総裁に三選され、年内にも改憲のための国民投票が行われるということが高い確度で予測されていました。でも、3月に入って森友学園問題についての公文書改竄が暴露されて、今は再び政局が流動化しております。ですから、この本が出る頃に日本の政治状況がどうなっているか今の時点では予測がつきません。そういう政局を横目にしつつ、文庫版あとがきとしてはもう少し一般的な話として「国の力とは何か」ということについて一言私見を述べておきたいと思います。

率直に言って日本は急激に国力が衰えています。国力というのは、経済力とか軍事力とかいう外形的なものではありません。国の力をほんとうにかたちづくるのは「ヴィジョン」です。

「ヴィジョン」とは、自分たちの国はこれからどういうものであるべきかについての国民的な「夢」のことです。かたちあるもののではありません。「まだ存在しないもの」です。でも、それを実現させるために国民たちが力を合わせる。そして、そのような夢を共有することを通じて人々は「国民」になる。そういうものなんです。まず国民が「いる」のではありません。「あるべき国のかたちについて同じ夢を見る人たち」が国民に「なる」のです。その順逆を間違えてはいけません。

日常の動作と同じです。ある動作を達成しようとする(ドアノブを回すとか、包丁でネギを刻むとか)。そのごく限定的な「はたらき」のためにさえ全身が一つ残らず動員されます。ドアノブを回すだけのような単純な動作でさえ、ノブを視認し、手触りを確かめ、回転させ、解錠する「かちり」という音に聞き耳を立て・・・という動作を成り立たせるためには五感のみならず、重心の移動も、腰の回転も、呼吸の制御も、すべてが参加します。すべてが「ドアノブを回す」という目的があるおかげで整然と、みごとに調和した連携プレーを果たす。

目的がなければ身体は動きません。動かないから、そこに身体があるということさえ実感されない。それは「身体がない」というのと同じことです。

それと同じように、国には国で「果たすべき動作」がなければならない。それがなければ、国は動かない。国民の「はたらき」が始まらなければ、人口統計上は存在していても、国民として実感されることがない。

日本の国力が衰えているというのは、そのような国民を遂行的に形成してゆく「夢」がなくなったということです。

戦後日本にはそのつどの「夢」があり、それゆえすべての国民をひとまとまりに作動させるような「はたらき」がありました。

敗戦直後の日本人には瓦礫から祖国を復興するという喫緊の事業がありました。まず国民の衣食住を調えなければならない。その作業に国民全員が携わった。「共和的な貧しさ」というのはこの時代を指した関川夏央さんの名言ですが、たしかに僕が記憶している1950代の東京の町内は共和的な共同体でした。防犯、防災、公衆衛生の維持といった切羽詰まった課題を共同体全員で担いました。アウトソースすることができなかったからです。行政がまだ十分に機能していない段階では、住民たちが自分たちで自分たちの生活を守る他なかった。

焼け跡から立ち直った1960年代以降の日本人には次は「豊かになる」という目標がありました。さしあたりは「戦前の生活水準を超える」ことが目標でした。「もはや『戦後』ではない」というフレーズを当時の為政者はしばしば口にしましたが、それは国民にとっては「生活レベルが戦前に戻る」ことを意味していました。そして、たしかに60年代の中ごろにその悲願は達成されました。

 

その次に日本人が抱いたのは新しいかたちの「夢」でした。それは「アメリカの属国身分から脱して、国家主権を回復する」という「夢」です。ただし、それを公然と言挙げすることはできませんでした。というのは、日本は形式的にはサンフランシスコ講和条約で国家主権を回復したことになっていたからです。ただし、それにもかかわらず、米軍は日本国内のどこでも好きな場所に、好きな期間だけ駐留することができ、そのエリアは日本の統治が及ばない治外法権でした。日本は事実上はアメリカの軍事的属国だったのですが、アメリカからの国家主権の回復プログラムは(いわば一種の独立運動ですから)無言のうちに遂行されなければなりませんでした。

2018年

5月

01日

つれづれなるままに

みなさん、こんにちわ。

本日は事務局担当日です。

 

ゴールデンの中日、みなさんいかがお過ごしでしょうか(笑)

 

このいいお天気も今日まで。

明日からは雨みたいですね(ToT)

私は、GW後半にお出かけ予定を入れていたので

てるてる坊主を作ることにします。

さて。気がつけば5月。

 

近所のお友達とお庭でBBQして

あそこのパンがおししい、たら、子供の担任の先生がどうたらというどうでもええ話を7時間も繰り広げたり。

 

そこでおいしいと聞いたオリーブのフォカッチャを買ってみたら

本当にびっくりするくらいおいしくて、

同じ日にもう一度買いに行くか迷って迷って迷って買いに行ったら売り切れていた、とか。

 

近所のイオンに買い物に行ったら、早見優がデビュー35周年ミニライブをしていて

娘に「あああああれ!早見優やん!!(゚д゚)」と言ったら「誰それ?」と言われて時の流れを感じたり。

 

高校の同窓会で、何十年ぶりに会った友達でも、瞬時に高校生の頃の気持ちに戻れたり。

逆に「大人になったな~」なんて思ったり。

 

社会保険事務所で理不尽な対応を受けたり。

窓口の人にぷんぷん文句を言いましたが、窓口も本部との板挟みで大変だなぁと同情したり。

 

無印良品で買ったソックスが思いのほか優秀で感激したり(桃緑茶もオススメです!)。

 

そんな何でもない日常を過ごした春、でした。

スマホのゲームのアップデート待ちのときなどに

この1分は2度と戻ってこないんだよなぁ、と思います。

もったいないなぁって。

 

そんなもったいない時間をなくして、

昼寝したり(←え?)、友達とおしゃべりしたり、本を読んだり、

なんでもないけどいい時間だった、と思える時間を過ごしていきたいなと思います(・∀・)

2018年

4月

28日

京都府知事選に寄せて ☆ あさもりのりひこ No.541

財務省の官僚たちが、総理大臣夫妻の個人的な、イデオロギー上の同志であった人物の便宜をはかるために、公務員としての本務を忘れて、行政を歪めた疑いが濃密にあるにもかかわらず、当の財務省も、かかわった政治家たちも、誰一人その疑いを晴らすことができずにいる

 

 

2018年4月2日の内田樹さんの論考「京都府知事選に寄せて」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

41日日曜に、京都府知事選に出馬している福山和人候補の応援のために、京都に行った。

河原町三条でのスピーチを頼まれていたので、いちおう原稿を作っていった。

実際にしゃべった言葉づかいはだいぶ違うが、だいたい「こんなこと」を申し上げた。

 

京都のみなさん、こんにちは。

ご紹介頂きました、内田樹です。

僕は神戸市民なので、京都府政とは直接関係がないのですけれど、今回は福山和人候補に一言応援の言葉を送るために、こちらまで参りました。

僕は今回のこの京都府知事選は、ふだんの知事選とはずいぶん意味が違うものだと思っております。

どんな選挙でも、それがどのような歴史的文脈の中において起きているのかによって意味が変わってきます。

今回の選挙は、有権者が先月初めから大きく転換を遂げてきた現在の政治的状況に対して、投票を通じて意思表示をすることのできる最初の機会です。

みなさんご存知の通り、先月の2日、朝日新聞が「森友学園」への国有地格安売却問題をめぐり、財務省が学園との契約に関する決裁文書を書き換えた疑いがあるという衝撃的なスクープを行いました。それから一か月にわたって、手の着けられない政治的混乱が続いています。

今の時点ではっきりわかっていることは、財務省の官僚たちが、総理大臣夫妻の個人的な、イデオロギー上の同志であった人物の便宜をはかるために、公務員としての本務を忘れて、行政を歪めた疑いが濃密にあるにもかかわらず、当の財務省も、かかわった政治家たちも、誰一人その疑いを晴らすことができずにいるということです。

国有財産の私物化という、公人としてあってはならない重い罪を犯している疑いが公人たちにかけられているのです。本来であれば、全力を尽くして、自分の身の潔白を明らかにしようと努力するはずです。けれども、実際に行われているのは、まったく逆のことです。

政府与党は真相を解明するどころか、真相の解明につながるすべての証拠を隠蔽し、事実を知る証人たちに沈黙を強要している。

事件を隠蔽しようとして、うやむやのうちに幕引きに持ち込もうする政府与党の見苦しい策動のせいで、日本の政治はこの一年間致命的な停滞を続けています。

外交でも、経済政策でも、この一年間の安倍政権は失策に失策を重ねています。

安倍政権は朝鮮半島情勢の危機を不必要なまでに煽り立てて、それによって政治的延命をはかってきたわけですけれど、その朝鮮半島問題の解決が、アメリカ中国韓国の周旋によって具体化しつつあるという外交的な決定的な局面を迎えながら、安倍政権はなすところがない。朝鮮半島問題の解決のための話し合いのテーブルに招かれないどころか、そこで何が起きているのか情報さえ提供されていない、完全に「蚊帳の外」に置かれている。

そこまで国際社会における日本の存在は軽くなっているということです。東アジア諸国はもう日本を一人前の外交プレイヤーとして見ていない。

日本の国際社会における地盤沈下は急激に進んでいます。日本の国力はみるみるうちに低下しています。それはみなさんも実感していると思います。

国力というのは、単に経済力や軍事力のことではありません。経済力で言えば、日本はいまでも世界第三位の経済大国ですし、軍事力でもアメリカの格付け機関の評価では世界七位です。にもかかわらず日本は国際社会における重要なプレイヤーと見なされていない。なぜか。それは日本が世界に向けて発信できるようなメッセージを持っていないからです。

国力というのは、数値的、外形的に示せるものではありません。そうではなくて、世界がこれからどうなるべきかについての説得力のある未来像を提示できる力のことです。世界の人々に向かうべき方向を指し示すことのできる力のことです。

その力が日本にはもうありません。

そして、もっと深刻なのは、そのようなかたちで国力が衰えていることについての危機感が政権与党にはまったくない、ということです。

森友加計問題を「くだらない問題」だと言い捨てる人たちがいます。そんなことよりももっと重大な政治的課題があるだろうと。その通りです。でも、このような「くだらない問題」一つ解決できないような政治家たちに、それよりもさらに重要な政治課題が解決できるというのは推論としてまったく合理性がありません。

「この程度の問題」についてひたすら真相解明を妨害して、メディアがこの話題に飽きるのを待つというような頭の悪い解決策しか思いつけない政治家たちに、国難的状況を切り抜ける力があるはずがない。

今日本はほんとうに「瀬戸際」にいます。あらゆる社会制度の土台が崩れ始めている。

どこかで食い止めないと、ほんとうに取返しがつかない。

地方自治体の首長選挙は、たしかに国政に直接つながるものではありません。地域住民が日々の生活を穏やかで、気分よく過ごせるように配慮するのが、地方自治の仕事です。

ですから、市民からすれば、行政官として能力の高い人だったら、誰でもいいというふうに考えるかもしれません。平和な時だったら、そういう判断でもいいでしょう。でも、今は平時ではありません。非常時です。

日本の統治システムが壊れ始めている。地方自治もそれにもう無縁ではいられません。

地方自治の仕事は、いまある手持ちの資源をどうやりくりして、どうやって住民たちに快適で安全で穏やかな生活を保障するかということに尽くされます。

その仕事のために地方自治の首長がなすべき最優先のことは、自治体で働く職員たちの働く「モチベーションを高める」ということです。誇りを持って、公的使命を果たすことができるような健全で、開放的な職場を作り出すことです。

森友問題で露呈したのは、政府与党が政治的圧力によって行政を歪め、それによって公務員たちのモラルを深く損なったという現実です。

地方自治は、民主主義の最後の砦です。ここを崩してはならない。

府知事選でどういう候補を選ぶべきか、僕の基準は一つです。

それは現在の日本が危機的状況にあることを自覚しており、崩れつつある統治システムを再建することの緊急性を理解している人が首長になるべきだということです。

政権与党の推す候補者は、その人が個人的にどれほど能力が高かろうと、見識があろうと、安倍政権がこれまで五年間行ってきた政治を「それでよかった」「これで正しい」という判断に与したということです。

僕はその危機感の欠如に強い不安を抱くのです。

僕が福山候補の応援をするのは、今の日本が危機的状況にあるということ、地方自治の現場で優先的に何をなすべきかを福山さんがよく理解していると信じるからです。

有権者のみなさまの支援をお願いします。

 

 

2018年

4月

27日

憲法についての鼎談から(後編) ☆ あさもりのりひこ No.540

未来の見えない日本の中の未来なき政治家の典型が安倍晋三です。安倍晋三のありようは今の日本人の絶望と同期しています。未来に希望があったら、一歩ずつでも煉瓦を積み上げるように国のかたちを整えてゆこうとします。そういう前向きの気分の国民なら安倍晋三を総理大臣に戴くはずがない。自信のなさが反転した彼の攻撃性と異常な自己愛は「滅びかけている国」の国民たちの琴線に触れるのです。彼をトップに押し上げ、その地位に止めているのは、日本の有権者の絶望です。

 

 

2018年4月2日の内田樹さんの論考「憲法についての鼎談から(後編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

バブル崩壊後の日本人の脱力感を僕は覚えています。多くの日本人はバブル期の数年間に生涯で最も贅沢な日々を送ったはずですから、その分だけ脱力感も深かった。「失われた20年」と言われますけれど、これは別にお金がなくなって気落ちしたというだけではないと思います。お金がなくなったので、もう「国家主権をお金で買い戻す」という夢のような解決策の可能性がなくなった。その無力感が国民全体に無言のうちに共有されていた。

小泉純一郎の登場もその文脈で考えるべきだと思います。彼の最大の政治的賭けは郵政民営化ではなく、2005年に国連の常任理事国に立候補したことだと僕は思います。経済大国だった時代に世界各国からもてはやされた記憶がまだ生々しく、日本は国際社会で高く評価されていると勘違いした。政治大国としての声望を支えに、安保理の常任理事国となって、アメリカと「タメ」になるという夢を見た。そうではないかと思います。経済大国として宗主国と五分になる夢がついえたので、今度は政治大国として五分となる夢を見た。

でも、安保理の常任理事国に手を挙げたものの、日本はアジア諸国の支持をほとんど得ることができませんでした。アジアで日本の提案を支持してくれたのはアフガニスタンとモルジブとブータンだけでした。隣国はどこも支持してくれなかった。その時に、日本は自分たちが国際社会ではただの「アメリカの属国」としか見られていないという痛切な事実を思い知らされた。

対米自立のための対米従属を徹底してきたせいで、固有の政治的見識やヴィジョンを有した主権国家「ではない」という声望を国際社会のうちに定着させてしまったのです。アメリカの属国を常任理事国に据えても、アメリカの票が一つ増えるだけで、国際社会のありようについて「日本からしか出てこない独自のアイディア」が提示されるということはありえない、と。国際社会はそう判断したのです。その時点までの戦後60年間の「対米従属」がこの決定的瞬間において「対米自立」という夢そのものを不可能なものにしてしまった。

そして、2011年の福島原発事故で政府の危機管理能力の欠如が全世界に知られて、以後、今に至るまで、日本は「国際社会からまともに相手にされるためにはどうしたらいいのかがわからない」という呆然自失状態のうちにあります。

今も惰性的に対米従属を続けてはいますが、沖縄返還以降、日本はもう何一つアメリカから獲得していません。沖縄の米軍基地は縮小されず、横田空域も返還されず、日米地位協定も改定されず、日米合同委員会を通じてのアメリカの日本の政官支配は続いている。このまま半永久的に米軍が日本国内に「領土」を持ち、駐留し続けることはほぼ確実です。だから、もう「対米従属を通じての対米自立」ということは自民党の政治家でさえ信じていない。もう未来について語るべきヴィジョンがなくなってしまったのです。

でも、アメリカがそれまで日本に主権を「小出しに」返してきたのを止めて、もう日本には何もやらないと(口に出さぬまま)腹を決めたのは、日本には未来についての何のヴィジョンもないということが明らかになったからです。日本はもうアメリカから主権を回復する気概を失ってしまったということが明らかになったからです。

だったら、もう遠慮は要らない。むしれるだけむしればいい。

とりあえずトランプ大統領はそう考えています。彼が訪日した時にまっすぐ横田基地に来たのは、そこが「アメリカ領土」だということを日本政府と日本国民にアピールするためです。キューバのグァンタナモ基地と同じです。他国の領土内に治外法権の「飛び地」を領土的に保有しており、それを返還する気がまったくないことをそうやって誇示してみせたのです。

もう対米従属は日本の国益を増すためには何の役にも立たない。

対米従属が有効だったのは、日本が「面従腹背」していたからです。腹の中では「いつかアメリカから主権を奪還する」つもりでいた。バブルの頃はアメリカの「寝首を掻く」くらいの気概があった。だから、アメリカも日本を侮ることができなかった。

今の日本はもうそんな意欲も気概もありません。腰抜けの属国です。日本はまだ世界第三位の経済大国ですし、世界第七位の軍事大国ですけれど、もうどの国からも敬意を持たれていない。世界のこれからのありようについて日本政府がどういうヴィジョンを持っているか、それを注視している国など世界のどこにもありません。日本が何をするかはアメリカが決める。日本が何を考えればいいのかもアメリカが決める。そう思われている。

今の日本の政治が劣化した最大の原因は「語るべきビジョンがないこと」だと僕は思います。安倍政権やその周辺が語る「戦前回帰」や軍事力信仰や「日本スゴイ」キャンペーンは、未来に何も見るべき希望がなくなった人たちが過去の栄光のようなものを妄想的に作り出して、それを崇拝するという苦し紛れの、深く病んだソリューションです。未来に何も期待できないので、妄想的に「美しい過去」を脳内で構成して、そこに回帰しようとしている。20年後、30年後の日本はどういう国になるべきなのか、どういう国にならなれるのか、それを語る冷静で具体的な言葉を政治家も、官僚も、学者も、誰も持っていない。

今でも日本人が国民を統合できる唯一の国家目標があるとすれば、それは「国家主権の回復」です。それしかない。アメリカの属国であることを止めて、国家主権を回復し、国防も外交もエネルギーも食糧も教育も医療も、自分たちの国家戦略は誰にも諮らず、自分たちで決める。そのことはどんな対米従属主義者も内心では願っているはずです。でも、その主権回復のためのロードマップが存在しない。

今も日本は豊かな自然資源に恵まれ、安定的な社会的インフラを備え、教育でも医療でも文化資本の厚みでも、決して世界のどの国にも引けを取りません。でも、この20年間、そのすべてがすさまじい勢いで劣化している。異常事態です。それは制度設計の問題ではありません。制度の中にいる人たちがこれから何を目指していいか分からなくなっているのです。未来が見えなくなっている。

 

未来の見えない日本の中の未来なき政治家の典型が安倍晋三です。安倍晋三のありようは今の日本人の絶望と同期しています。未来に希望があったら、一歩ずつでも煉瓦を積み上げるように国のかたちを整えてゆこうとします。そういう前向きの気分の国民なら安倍晋三を総理大臣に戴くはずがない。自信のなさが反転した彼の攻撃性と異常な自己愛は「滅びかけている国」の国民たちの琴線に触れるのです。彼をトップに押し上げ、その地位に止めているのは、日本の有権者の絶望です。

2018年

4月

26日

奈良マラソン2018まで226日 ☆ あさもりのりひこ No.539

2018年12月9日(日)、奈良マラソン2018が開催される。

フルマラソンの定員1万2000人。

 

4月19日、募集方法と募集期間が発表された。

6月6日(水)午後8時から、RUNNETで奈良県民枠2000人(先着順)。

6月13日(水)午後8時から、RUNNETで一般枠9000人(先着順)。

6月13日(水)から、抽選枠1000人。

 

奈良マラソン2018がスタートする。

レースはエントリーから始まるのだ。

 

4月8日(日)は休んで、4月15日(日)からロードの練習を再開する予定だった。

しかし、風邪をひいたので4月15日(日)は走れなかった。

 

4月22日(日)朝、キトラ古墳から稲渕へ抜ける「激坂」を久しぶりに走る。

ランナーが何人も走っていた。

走行距離は14.7キロ。

タイムは1時間46分55秒。

3週間ぶりのロードなので、こんなもんでしょ。

 

4月23日(月)早朝、筋トレ。

4月24日(火)早朝、筋トレ。

4月25日(水)早朝、筋トレ。

夜、ランニングマシーンで30分走る。

4月26日(木)早朝、筋トレ。

 

お楽しみはこれからだ。

 

 

2018年

4月

25日

憲法についての鼎談から(前編) ☆ あさもりのりひこ No.538

あの頃よく言われた言葉に「日本の地価を合計するとアメリカが2つ買える」というのがありました。

 

 

2018年4月2日の内田樹さんの論考「憲法についての鼎談から(前編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

2月に西宮で行った憲法をめぐる鼎談がブックレットになって刊行されることになった。

「予告編」として、その中のなかほどのところの内田の発言をあげておく。

 

内田 今、石川さんが政治が急速に劣化してきて、前近代的で破壊的で、軍事力を信仰するというタイプの政権ができてしまったと話されました。その通りだと思います。本当に政治が劣化している。なぜ劣化したのか。小選挙区制のマジックも理由の一つでしょうし、官邸がメディアを抑えているということも理由の一つでしょう。でも、それらは言わば戦術です。なぜそのような戦術が採択されたのか、「何を実現するために?」という問いが立てられなければならないと僕は思います。

僕の暴論的仮説を申し上げます。敗戦後の日本の基本的国家戦略は、「対米従属を通じて対米自立を果たす」ということでした。これは敗戦国としてはそれ以外の選択肢がない必至の国家戦略でした。だから、後知恵で良い悪いを言ってもしかたがない。とにかく徹底的な対米従属を貫くことによって同盟国として米国に信任され、結果的に国家主権を回復し、国土を回復するというのが敗戦時の日本人の総意だったわけです。

そして、実際にこの「対米従属を通じての対米自立」というトリッキーな国家戦略は成功しました。1951年にサンフランシスコ条約で国家主権を回復し、68年に小笠原諸島が返ってきて、72年には沖縄の施政権が返還されました。だから、45年から72年までについて言えば「対米従属を通じての対米自立」というシナリオはそれなりの成果を上げたのです。

日本は50年代には朝鮮戦争を支持し、60年代、70年代は世界的な反戦機運の中で、「大義なき」ベトナム戦争でもアメリカを支持し、アメリカの世界戦略に従うことで、結果的には大きな果実を得たのです。

このことは「成功体験」として記憶されたわけですから、その後も対米従属路線に変更の出るはずがなかったのです。でも、対米従属路線に伏流していた日本人の心性には変化があった。

60年、70年の安保条約反対闘争は本質的には反米愛国闘争でしたけれど、これとまったく無縁なところにいたはずの一般のサラリーマンたちも実は別のかたちで愛国的な情念に駆られて対米経済戦争を闘っていた。あの時代の戦中派のサラリーマンたちを衝き動かしていたのは「次の戦争は勝つ」というものでした。今度はアメリカに勝つ。経済で勝つ。

江藤淳は63年にプリンストン大学に留学している時に、ニューヨークで酌み交わした中学時代の同級生からこう言われたと書いています。

「うちの連中がみんな必死になって東奔西走しているのはな、戦争をしているからだ。日米戦争が二十何年か前に終わったなんていうのは、お前らみたいな文士や学者の寝言だよ。これは経済競争なんていうものじゃない。戦争だ。おれたちはそれを戦っているのだ。今度は敗けられない。」

当時はこういうマインドを持っていたビジネスマンは決して少数派ではなかったはずです。60年代以降の日本の高度経済成長を駆動してきた動機のうちには言葉にはされなかったけれど、反米的なセンチメントが含まれていた。

そして、そのような思いに駆動されて、70年代以後も日本の経済発展は止まるところを知らず、80年代にはもうアメリカの背中が見えてくるところまで来ました。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持ち上げられ、「日本式経営」が世界標準になり、そしてバブル時代を迎えます。

もう遠い昔のことでみんな忘れてしまっていて、何であんなに浮かれていたのか馬鹿みたいだったと冷笑的に回顧する人が多いですが、僕はあの時の日本人があれほど興奮したのは、もしかするとこのままの勢いで経済力が増大すると、いずれアメリカから国家主権をお金で買い戻せるんじゃないかという途方もない夢を見たからじゃないかという気がするんです。

1989年は昭和が終わり、平成が始まった年であり、ベルリンの壁が崩壊したエポックメイキングな年でしたが、バブルの絶頂であったその年に、三菱地所がマンハッタンのワールドトレードセンターを購入し、ソニーがコロンビア映画を購入しました。日本の企業が摩天楼とハリウッド映画を買ったのです。あの頃よく言われた言葉に「日本の地価を合計するとアメリカが2つ買える」というのがありました。日本の地価の高騰に困惑する文脈で口にされたはずの言葉ですが、それを人々がどれほど自慢げに口にしていたのか、僕はまだ覚えています。それは単に金があってすごいだろうという成金自慢に止まらず、ここまで来たらアメリカも日本に対していつまでも宗主国面ができなくなるんじゃないか、うまくしたら札ビラでアメリカの頬をはたいて国家主権を金で買い戻せるんじゃないかという妄想を日本人が抱いたからではないかと思います。

80年代半ばから90年代はじめにかけてのバブル期の日本人があれほど高揚していたのは、単にお金の万能性を国民全体が狂ったように信じただけではなく、その「万能の金」で自分たちが最も欲しいもの、すなわち「アメリカの手にある国家主権」を買い戻すことができるんじゃないかと思ったからではないか。僕にはなんとなくそう思えるのです。

 

外交的には対米従属に徹しながら、金儲けに勤しむことで、国家主権をアメリカから取り戻す。日本人にとって、これは実にクレバーな国家戦略でした。アメリカで当時日本車を壊すような烈しいジャパン・バッシングがありましたけれど、アメリカの市民は市民で直感的に分かっていたんだと思います。「日本人は良からぬことを企んでいる」ということを。だから、さまざまなかたちでアメリカが日本経済に干渉したこともあってバブル崩壊に至った。

2018年

4月

24日

ロコモ予防 @事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

先週末から一気に暑くなり、初夏の天気が続いていましたが、

今日は雨のためか、少し涼しいですね。

寒暖差が激しいと体調を崩しやすくなりますので、お気を付けください。

 

 

さて、皆さんは、「ロコモ」という言葉を聞いたことはありますか。

 

ロコモとは、

「ロコモティブシンドローム(和名:運動器症候群)」の略称で、

運動器(筋肉、骨、関節、軟骨、椎間板など)の障害のために

移動機能の低下をきたした状態のことを言います。

 

足の筋肉の衰えで転倒する事故が増えており、

高齢者が緊急救急搬送された理由の8割以上が転ぶ事故によるものだそうです。

 

転んで骨折すると寝たきりになってしまって、

そのことをきっかけに認知症になるリスクも高まります。

 

生涯健康で生きるためには、いつまでも自分の足で歩き続けていくために、

運動器を長持ちさせ、ロコモを予防し、健康寿命を延ばしていくことが

必要です。

 

先日家族で見ていた番組の中で、簡単な足の筋力テストが紹介されていました。

ごくごく簡単なテストなので、一度お試し下さい。

高齢者の方は、念のため周りに介助してくれる人が居る状態でしてくださいね。

 

 

テストは椅子からの立ち上がりテストです。

 

①まず、高さ45センチぐらいの椅子に腰掛けてください。

 

②腕を組んだ状態で、右足、左足どちらでも構いませんので

 片足を上げた状態で、勢いをつけずに立ち上がってください。

 

③3秒間その状態をキープしてください。

 

 

さあ、どうでしょうか?ふらつかずにできましたか?(^^)

 

これができるかどうかが将来歩けなくなる可能性の目安とのこと。

 

ふらつかず、きちんと3秒間立てたという方は、

可能なら40センチ、35センチにも挑戦してみてください。

35センチでも大丈夫だった!という方は心配ないようです。

 

男女とも20~30代の頃をピークに少しずつ筋量が減っていき、

60代になると筋力はさらに減少し、80歳までには、

ピーク時の30~40%に低下するといわれています。

 

ちなみに、今からすぐ始めることができる予防法として効果的なのは、

1日10回のスクワットです。

 

10分と言われると長続きしないかもしれませんが、

10回なら気軽にできますよね。

(効果的なスクワットについては、インターネットで調べてみてください。)

 

不安を感じた方は、今すぐ始めてみては?

 

2018年

4月

23日

言葉の生成について(第13回) ☆ あさもりのりひこ No.537

古典や漢文などは一体なんの意味があるんだ、そんなものになんの有用性もないというようなことを言う人たちがいる。でも、母語のうちにこそ文化的な生産力の源はあるんです。二千年前から、この言葉を使ってきたすべての人たちと、文化的に僕たちは「地続き」なんです。

 

 

2018年3月28日の内田樹さんの論考「言葉の生成について(第13回)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

東アジアを見回すと、中学、高校で基礎的な訓練を受けたら、あとは辞書一冊あれば、自力で古典のアーカイブに自力で入っていけるという教育機会を享受できているのは日本人の子どもだけです。そのことを、子どもはもちろん、たぶん国語の教員たちもそれほど自覚的ではないように思います。古文や漢文なんか、何の役にも立たないんだから、やることはない。それより英語をやれ、というようなことを言い立てる人間たちがいくらもいますが、国語の先生たちがそれに対して効果的な反論をされているようには思えません。でも、これはきっぱり退けなければいけない暴論です。

先日、宮崎滔天の本を読みましたけれど、滔天の活動は今からは信じられないくらいにグローバルです。アジアの各地に飛んで、そこで現地の人たちと知り合って、その国の革命運動に直接コミットしている。明治時代の大アジア主義者たちはみなそうです。北一輝も、内田良平も、各国の革命闘争に直にコミットしていた。それができたのは、東アジアの知識人たちは漢文という「リンガフランカ」を共有していたからです。彼らのコミュニケーションは基本、筆談なんです。かなり複雑で、高度な内容の対話でも、とりあえず矢立から筆を取り出して、懐紙にさらさらとしたためれば、それで今でなら「メール」とか「ライン」とかでの通信に類するコミュニケーションができた。明治の日本人たちは子どもの頃から、『四書五経』やら『史記』やら『唐詩選』やらを叩き込まれていたわけですから、教養の幅においても深さにおいても中国朝鮮の知識人と変わりがなかった。同じ語彙、同じ修辞法を共有していたわけです。

東アジアにおける文化的な一体感の喪失は主に政治史的な理由だけから説明されますけれど、東アジア各国の人々が、漢文というリンガフランカを失ったことが相互理解の深まりを妨げたということは理由の一つだったと思います。かつては漢文を書くことによって、相当にデリケートな意思疎通もできていたのに、その共通のコミュニケーション・プラットフォームがなくなってしまった。そのことのもたらしたネガティヴな影響について、もう少し深刻に受け止めた方がいいと思います。

韓国の先生に伺ったところでは、今韓国の大学で一番人気のない学科は、韓国文学科と韓国語学科と韓国史学科だそうです。みんなもっと実学的な専門を修めて、アメリカに留学して学位を取ろうとする。そういう人たちが韓国のこれからのリーダーになる。でも、自国の言語にも文学にも歴史にも、特段の関心がないという人たちに韓国のこれからの国のかたちを決めさせるというのはおかしいんじゃないか。韓国人の僕の友人はそう言っていました。僕もその通りだろうとおもいます。

日本でも、文系の学問に対する風当たりは強いです。古典や漢文などは一体なんの意味があるんだ、そんなものになんの有用性もないというようなことを言う人たちがいる。でも、母語のうちにこそ文化的な生産力の源はあるんです。二千年前から、この言葉を使ってきたすべての人たちと、文化的に僕たちは「地続き」なんです。そして、日本の場合は、ありがたいことに、言語を政治的な理由で大きくいじらなかったので、700年前の人が書いた文章を辞書一冊あれば、誰でもすらすらと読むことができる。中学高校で、そういうことができるような基礎的な教育を受けているから。それはどれほど例外的で、どれほど特権的な言語状況であるのか、日本人は知らな過ぎると僕は思います。

グローバリストたちは、もう古文や漢文なんかいいから、英語をやれと言います。でも、それは自国語で書かれた古典のアーカイブへのアクセスの機会を失うということを意味しています。母語のアーカイブこそはイノベーションの宝庫なんです。人間は母語でしか、イノベーションできないからです。僕たちは全く新しい概念や感情を母語でしか創り出すことができません。「新語(neologism)」というものが作れるのは母語においてだけなんです。

何年か前、野沢温泉の露天風呂に入っていた時に、あとから大学生らしき二人の若者が入ってきました。そして、湯船に浸かった瞬間に「やべー!」と叫んだ。その時に、僕は「ああ、日本語の『やばい』という形容詞は『たいへん快適である』という新しい語義を獲得したのだな」ということを、その場で理解しました(笑)。

でも、これこそが母語の強みなんです。新語を作ることができる。それは日本語話者たちなら誰でもその新しい意味を即座に理解できるからなんです。そんなことは母語でしかできません。

「真逆」というのもそうでした。ある日その語をはじめて耳にした。でもすぐに意味が分かりました。漢字も頭に浮かんだ。そして、「真逆」の方が「正反対」よりもインパクトがあるなと感じた。こんなことは母語でしか起きません。外国語ではできない。僕が英語のある形容詞に「新しい意味」を付与しようと思って、使ってみせても、誰も理解してくれない。変な顔をされるだけです。僕の作った新語が英語の辞書に載ることもない。でも、「やばい」も「真逆」も、もう国語辞典の新しい版には「若者言葉」として採録されています。日本語として認知されたのです。

知的なイノベーションが母語の中でしか行われないと言っては言い過ぎかもしれません。でも、いまだ記号として輪郭が定かでない星雲状態のアイデアが「受肉」するのは母語においてであるというのは経験的に確かです。喉元まで出かかっている「感じ」が言葉になるのは圧倒的に母語においてです。

言葉の生成は、文明史的なスケールの出来事です。でも、現代日本社会は、言葉が生成してゆくダイナミックなプロセスについての関心を持つ人がほんとうにいない。古典なんてどうでもいい、言葉なんてシンプルなストックフレーズを使い回せばいいと思っている人間が、日本の場合、政官財メディアの指導層のほとんどを占めている。だから、生きた言葉を使える人がほとんどいなくなってしまったという、痛ましい現実がある。

皆さん方の仕事は、とにかく「子どもたちを生きた日本語の使い手にしていく」ということです。彼らが「ヴォイス」を発見することを支援していく。「ヴォイス」の発見というのは一生かかる仕事であって、国語の先生が関われるのは人生の一時期だけです。だから、それは「教育する」というよりはむしろ「支援する」というポジションだと思います。

そして、「ヴォイスの発見」は、査定したり、点数をつけたり、他人と比較して優劣を論じたりするような営みではありません。そんなことをすれば、むしろ深く傷つけられてしまう。これは、今の学校教育システムが成績査定と縁を切らない限りはどうしようもないのですが。でも、成績をつけることはとりあえず国語教育にとっては有害無益なことだと僕は思っています。仕方ないとはおもいますが、国語についてだけは、本当は成績をつけてほしくない。どうして子どもたちの知性や、想像力や、自分自身の限界を超えようという自己超越の努力に点数をつける必要があるんですか。そんなものは点数化して語るべきことではないんです。彼ら一人一人の問題なんですから。

でも、仕方ないですよね、仕方ないですけども、そんなことをうるさく言っている男がいるということだけを記憶して頂いければと思います。

長時間ご静聴ありがとうございました。

(2016年129日 大阪府高等学校国語研究会にて)

 

 

2018年

4月

21日

言葉の生成について(第12回) ☆ あさもりのりひこ No.536

東アジアの国の中で、特殊な専門教育を受けたわけでもない一般人が古典に辞典一冊でアクセスできる言語環境があるのはおそらく日本だけです。

 

 

2018年3月28日の内田樹さんの論考「言葉の生成について(第12回)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

僕は兼好に同期しようとしたときに焦点を合わせたのは、彼の欠落感と不全感でした。彼が持っているもの、教養や知識や美的感受性のようなものに僕は同期できない。でも、彼の身を焦がす嫉妬や恨みや渇望には同期できる。だって、「ないもの」なんですから。兼好法師が所有していたものに僕は触れることができない。でも、兼好法師が所有したいと願っていたけれど、ついに手が届かなかったものには、僕もやはり手が届かない。そこに同期することなら、できる。

とりあえず、専門家からは「係り結びが正しかった」と評価を受けましたが()、その時に、「こんなことができるのは、日本だけではないか」と思いました。

古語辞典が一冊あれば、僕のような素人でも、現代語訳ができてしまう。こういう言語環境は、他にあるでしょうか。東アジアの国の中で、特殊な専門教育を受けたわけでもない一般人が古典に辞典一冊でアクセスできる言語環境があるのはおそらく日本だけです。

そのことを最初に教えてもらったのは、ベトナムの青年と友だちになった時でした。フランスのブザンソンという地方都市の大学へ学生たちの語学研修の付き添いで滞在しているときに友だちになった青年からベトナムの特殊な言語事情を聞きました。

ベトナムは、漢字とベトナム語の万葉仮名的な表記法であるチュノムのハイブリッド言語でした。でも、近代になってからアルファベット表記の「クオック・グー(國語)」に表記法を変えてしまった。その結果、欧米の言語と同じ表記になったわけですから、便利にはなった。でも、漢字・チュノム混じりで書かれたテクストを読むことができなくなった。古典どころか、祖父母が書いた日記も手紙も読めない。寺院の扁額も読めない。利便性の代償として、ベトナム人は、二世代前の人たちが書いたテクストを、特殊な専門教育を受けた者以外は読めなくなってしまった。近代化の代償として自国文化のアーカイブへのアクセス権を失ったわけです。果たして、それは間尺に合う取引だったのでしょうか。友人のベトナム人青年は懐疑的でした。

韓国も事情は似ています。1970年代に漢字廃止政策が採択されました。一つには日本の植民地時代に日本語使用を強制されたことに対する反発があり、一つには漢字は習得が難しいので、漢字の読み書きができる階層とできない階層の間で文化的格差が生じるリスクがあるということで、ハングルに一元化された。ハングルへの一元化によってたしかに教育の平準化は進みました。でも、ベトナムと同じように、先行世代と使用言語が違うという事態が生じた。一世代前の人が書いたものが読めない。今の韓国の若者たちは、漢字は自分の名前くらいしか書けません。この間、韓国旅行の時に、五台山月精寺という寺院を訪ねました。でも、その扁額の「五台山月精寺」という文字を読めるのが、一緒に行った中にいなかった。大学の教授や教育出版の経営者といった知識人たちでしたけれど、40代くらいになると、それくらいの漢字でも読むことが難しくなっている。そのことに衝撃を受けました。

日本でも「韓国の英語教育はすごい」ということはよく言われます。実際にすごいです。大学の授業は教師も学生も韓国人なのに英語でやっている。国内学会も、出席者全員韓国人なのに、英語でやる。でも、たしかにそれには必然性がある。表意文字である漢字を捨てて、表音文字であるハングルしかない。日本で言えば、ひらがなだけで暮らしているようなものです。学術論文を全部ひらがなで書くという手間を考えたら、外来のテクニカルタームなどはそのまま原綴りで表記した方が圧倒的に効率的に決まっている。だから、漢字が使えない以上、英語への切り替えは必然的でした。

でも、母語では学問的な文章を書くことができないというのは、やはり大きなハンディになります。自然科学なら英語でそこそこいけるかも知れませんが、英語でやったのでは、韓国オリジナルな社会科学や人文科学は出てこない。出てくるはずがありません。というのは、文系の学問は母語のアーカイブの中で熟成するものだからです。

 

今の韓国の学術的環境では、1970年以前になされた知的営為へのアクセスが日々困難なものになっています。それは先行世代がその言語的能力を振り絞って書いたテクストを読むことが難しくなっているということです。このことはいずれある時点で、韓国の次世代の知的生産性、知的創造性にとっての大きなハンディになるだろうと僕はおもいます。

2018年

4月

19日

風邪の効用 ☆ あさもりのりひこ No.535

【1日目】

4月11日(水)午後、喉に痰が絡むような感じがする。

ほんの少し寒気を感じる。

「食の乱反射」で買った菊井農園の『梨シロップ』をなめる。

「風の森ファーム」の『にんにくの黒焼き』を食べる。

 

【2日目】

4月12日(木)夜中、眠っているときに喉が酷く痛む。

鼻が詰まって、口の中がカラカラに乾いて苦しい。

朝、起床すると喉の痛みは治まっていた。

鼻水が出る。

「イスクラ」の『板藍のどあめ』を舐める。

 

【3日目】

4月13日(金)夜中、眠っているときに発熱する。

妻子によると、唸っていたらしい。

朝、起床すると熱は下がっていた。

しかし、微熱があって、頭がボーッとするので、昼過ぎに早退する。

「イスクラ」の『板藍のどあめ』を舐める。

 

【4日目】

4月14日(土)、熱はほぼ平熱にさがる。

鼻水もだいぶましになる。

咳が少し出る。

「イスクラ」の『板藍のどあめ』を舐める。

 

【5日目】

4月15日(日)、頭の芯にあったボーッとした感じがなくなった。

鼻水も止まった。

ときおり咳が出る

「イスクラ」の『板藍のどあめ』を舐める。

 

【6日目】

4月16日(月)、就寝中に咳が出て目覚めることがなくなった。

まだ、咳が残っている。

「イスクラ」の『板藍のどあめ』を舐める。

 

【7日目】

4月17日(火)、咳が残っている。

「イスクラ」の『板藍のどあめ』を舐める。

 

【8日目】

4月18日(水)、咳が残っている。

「イスクラ」の『板藍のどあめ』を舐める。

 

【9日目】

4月19日(木)、咳が残っている。

「イスクラ」の『板藍のどあめ』を舐める。

 

風邪が身体に入って、寒気、喉の痛み、発熱、鼻水、咳と症状が移り変わって、風邪が通り過ぎて行った。

風邪が身体に入ってから通り過ぎるまで10日かかる。

上の写真は野口晴哉(はるちか)さんである。

野口晴哉さんの「風邪の効用」を読んで、薬は飲まないことにしている。

薬を飲まないと、風邪の症状の移り変わりがよくわかる。

そして、風邪が通り過ぎた後、体力が少し向上する。

 

野口晴哉さんの「風邪の効用」はちくま文庫で読むことができる。

2018年

4月

18日

言葉の生成について(第11回) ☆ あさもりのりひこ No.534

文学は、目の前にあるリアルを詳細に描くことによってではなく、失われたものを目の前にありありと呼び出すことによって世界性を獲得する。

 

 

2018年3月28日の内田樹さんの論考「言葉の生成について(第11回)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

先週、西本願寺で現代語訳について講演をしました。そのあとに、手紙をくれた人がいまして、「私、国文を出た国語の教師で、実は『徒然草』の研究者なんです」って()。何を言われるのかとどきどきしていたら、「達意の名訳でした。特に係り結びの訳がすばらしかった」と書いてある。係り結びはいろんな訳し方があるらしいんですけど、「見事に訳しわけておられました」と。係り結びに意味の違いがあるなんて、僕は知りませんでした()。文章の勢いに乗って訳すと、ニュアンスを取り違えるということはめった起こらないということでしょうね。

『徒然草』の面白いところは、二十代で書いたものと六十代で書いたものがごっちゃになっているところです。でも、兼好法師の「ヴォイス」は変わらない。だからこの人、二十代から六十代まであんまり進化していないんじゃないかと思います()。たぶん、若い時に自分の「ヴォイス」を見つけて、それをずっと維持していった人なのだと思います。だから、グルーヴ感はありますけれど、それほど思想的な深みはない。

しかし、『徒然草』が今日まで愛された理由は、もちろんあります。例えば、五十三段、仁和寺の法師が頭から鼎をかぶる話。かぶったはいいけれど、とれなくなって、最後に鼻も耳ももげて、長く寝付いたという話がありますね。ああいう「どうでもいい話」を書かせると、兼好うまいんです。もうのりのりで書いている。あの人の文章は、そういうオチも教訓もない、けれども奇妙な味わいの物語を書く時に冴えるんです。実にいい文章を書く。多分、あまり思想的に深みもないし、特段名文とも思われない『徒然草』が今に至るまで愛読されてきた最大の理由は、あれらの何の教訓もない物語のもたらす独特な味わいではないかと僕は思います。「猫又」の話とか、「しろうるり」の話とか、「やすら殿」の話とか、「大根」の話とか、「ぼろぼろ」の話とか。どれも忘れがたい。

兼好が熟知していることを語られても、僕らにはさっぱりわからない。そこには溝がある。でも、兼好にもよく理解できなかった話というのは、僕らにとってもやっぱりよく理解できない。そこには溝はない。兼好自身が、なぜこんなものをわざわざ後世に伝えようとして書いたのか、自分でもわからないような記事は、やはり、僕らにとってもなぜこんなものを兼好法師が書いたのか、よくわからない。兼好がわからなかったことは僕らにもわからない。そこが「取り付く島」ではないかと思います。そこに「あったもの」はもう「ない」ので追体験しようがない。でも、そこに「なかったもの」は今もやっぱり「ない」ので、昔も今もその点では変わらない。兼好法師が経験した「気持ちの片づかなさ」は、現代人である僕たちも同じく「気持ちの片づかなさ」として近似的に味わうことができる。そこに『徒然草』の時代を超えて生き延びた力があるのではないかと思います。

さきほど、合気道の指導の場合でも、メタファーは有効だというお話をしました。文学でも、もちろんそうなんですね。谷崎潤一郎は、日本の作家の中で例外的に外国語訳の多い作家ですが、谷崎の中で最も外国語で読まれているのは『細雪』と『陰影礼賛』なんです。不思議だと思いませんか。フランス人が、こんな分厚い『細雪』をしみじみ読んでいる。一体何がおもしろいのかと思うんですけど()

でも、フランス人にもわかるんですね。谷崎が描いているのが、「失われたもの、失われゆくもの」だということが。谷崎が『細雪』に描いていたのは昭和17年、18年頃の芦屋や神戸や大阪の話です。谷崎はそこでの戦前のブルジョワ家庭の美的生活を描きながら、それが近いうちにすべて失われるだろうということをほとんど確信していました。失われていくことが宿命づけられている美しい物たちを、愛惜の念をこめてひたすら記述した。谷崎が『細雪』に哀惜を込めて書いたのは、昭和17年の時点ですでに失われてしまったもの―大正時代の蒔岡家の豪奢な生活ーと近いうちに失われてしまうはずのものー戦前の阪神間の穏やかな生活です。つまり、谷崎が描いているのは「そこにないもの」と「いずれなくなるもの」です。それだけしか書いていない。全篇に伏流しているこの根源的な欠落感はフランス人にもわかるんです。「あるもの」には共感できない。共感しようがない。知らないんですから。でも、「ないもの」に対する欠落感、不全感はフランス人でも谷崎と共有できる。

文学は、目の前にあるリアルを詳細に描くことによってではなく、失われたものを目の前にありありと呼び出すことによって世界性を獲得する。文学というのは、そういうものだと思います。目の前にある現実をどれだけ巧みに描写しても、それだけでは世界文学にはならない。遠い文化圏の読者を獲得することはできない。でも、僕たちは「あるもの」は共に「持つ」ことはできないけれど、「ないもの」について「それが欠落している」という実感を共有できる。作家と読者が共有できるのは、欠落と喪失なんです。だから、欠落と喪失をみごとに描いた文学作品が世界性を獲得する。

 

 

2018年

4月

17日

2018年も八木駅前付近につばめが帰って来ました!

 

本日は事務局が担当です。

 

今年も先月末より、八木駅下の南側商店街の屋根の側や当事務所のあるセレーノビルの南西隣のビル付近で元気に鳴き、巣作りをしているつばめを見かけるようになり、例年より早くお知らせしています。

今年も帰って来たのだなと思いながら、鳴き声を聞いています。

 

今は、二組のつがいが帰ってきていて、一組は、八木駅南側(ミグランス側)の関西空港行きバス乗り場の近くで、バス乗り場と駅下商店街の間の電線にとまり結構鳴いている姿がみれます。

もう一組は、先週も当事務所の南側窓際でコピー作業をしていると、例年どおり目の前の電線にとまり毛繕いをしていました。

そのつばめは、なら法律事務所が入っているセレーノビルの南西隣にあるビルの1階駐車場の壁に何年も前から作られた巣に帰ってきて住みこみ、今は巣の修復や餌をとり栄養をつけることに一生懸命のようです。

目の前の電線にとまっている姿をみると、ちょっと作業の手を止め、眺めてしまい、心和むひとときを得ることができます。

もう少しすると、八木駅のコンコースや他に空いている2箇所の巣などに何組ものつばめのつがいが帰ってきて、しばらくは、一生懸命なつばめの姿が見れて、元気な鳴き声が聞こえてくる、なら法律事務所と八木駅前です。

近くに来られ、鳴き声が聞こえたら、足を止め、耳を傾け、少し周りを見回して姿を探してみてください。

つばめの姿と声で、とても和みと元気をもらえますよ!

2018年

4月

16日

言葉の生成について(第10回) ☆ あさもりのりひこ No.533

さっさと言いたいことを言え、400字以内で過不足なく述べよ、というような圧力によって言語能力が育つということはないんです。

 

 

2018年3月28日の内田樹さんの論考「言葉の生成について(第10回)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

首尾一貫した、整合的なセンテンスを語らなければならないというルールがいつから採用されたんでしょう。だって、言葉の生成というのはそういうものじゃないでしょう。言葉がなかなか着地できないまま、ふらふらと空中を漂って、「なんて言えばいいんだろう、もっと適当な表現はないかなあ」と、つっかえたり、言いよどんだり、前言撤回したり、そういう言語活動こそが「ヴォイス」を獲得するために必須の行程なんです。そういう言葉がうねうねと渦を巻くようなプロセスを「生成的なもの」だと見なして、大人たちが忍耐強く、興味深くそれを支援するということが言語能力の成熟のためには絶対に必要なんです。さっさと言いたいことを言え、400字以内で過不足なく述べよ、というような圧力によって言語能力が育つということはないんです。うまく言えない子どもに対しては「うまく言えないというのは、いいことなんだよ」と励ましてあげなくちゃいけない。

基本的に僕は学生たちが必死で紡ぎ出した言葉について全部「いいね!」です。僕が嫌いなのは定型です。できあいのテンプレートをなぞったような文章については、はっきり「つまらん!」と言います。大学生に文章を書かせると、本当に悲惨なものなんです。「定型的で整合的なことを書く」というより以前のレベルです。昔なら小学生の作文みたいなものを平然とレポートとして出してきますから。「朝起きて、顔洗って、ご飯を食べて…」それがエッセイだと言うんです。

困るのは、とにかく平然と「先生の授業は難しくてわかりませんでした」と書いてくること。「難しくてわからなかった」というのが批評的なコメントだと思っている。だから、わからないくせにえらそうなんです(笑)。たぶん学生たちは食堂へ行って、厨房のおばさんに「ちょっとこのうどん固かったわよ」とクレームつけているようなつもりなんでしょう()。あの言い草はそうですね。授業がわからないのは、先生の責任だと思っている。もっと分かりやすく話して下さい、私たちにもわかるように噛み砕いて話してください。そういうことを要求する権利があると思っている。骨の髄まで消費者マインドがしみついている。

学校教育が、消費者である子どもたちに対して、教育商品を差し出して「買って頂く」という発想でやっていたら、そうなるのは当たり前です。だから、「私にもわかるようなやさしい授業をしろ」ということを平気で言う。それが学校教育に対する建設的な批評として成立していると思い込んでいる。

言葉が生成するとはどういうことか、という話に戻ります。『徒然草』を訳して発見したことがあります。それは古典の授業で読まされる古文の現代語訳って、つまらないということです(笑)。ほとんど音読に耐えない。でも、原文はグルーブ感のある、ノリのよい文章なんです。だから僕は、中身はどうでもいいから、吉田兼好の「ヴォイス」を現代語にできたらと、思って訳しました。

その時にいくつかルールを決めました。一つは、「分からない単語は分からないままで放っておく」ということです。だって、700年前に書かれたものですからね。しかも兼好は有職故実に異常に詳しくて、当時の公家や僧侶たちでさえよく知らない宮中のしきたりとか、制度文物の由来とか知っていることが自慢だった人なんですから。兼好と同時代人でさえわからなかった話を700年後の現代人が分かるわけがない。江戸時代にも『徒然草』の注釈書はいくつも出ていますけれど、そこにだって「この言葉の語義は不詳」というものがいくらもある。江戸時代の専門家がわからなかったことが現代の一般読者にわかるはずがない。だから、そういうのは「意味不明の言葉」のまま残しました。

そもそも、文学とはそういうものですよね。小説の登場人物が経験してることのほとんどは、僕らは経験したことがないわけです。宇宙空間を光速で飛行したこともないし、戦国時代に槍を振り回したこともない。でも、小説の登場人物が、それをリアルに経験している「感じ」があれば、読む側は何の問題もない。自分の現実経験の中にそれに対応するものがないから「わからない」と文句をつける読者はいません。文学作品というのはほとんど全篇「自分がよく知らないこと、経験したことがないこと」に埋め尽くされている。それでも何の不自由もなく、僕たちは小説を楽しんでいる。

古典だってそれでいいはずです。だから注をつけませんでした。注を付けると、注を読んでしまうから。SFで宇宙空間を飛ぶ話とか、エイリアンが出てくる話とか読んでいるときに、そこに見たことも聞いたこともない科学用語がでてきても、注なんか探さないでしょう。どんどん話を先に進みたいから。注なんか読まされて読書を中断したくないから。古典だってそれと同じです。どんどん読めばいいんです。知らない単語とかあっても、気にしない。現代文だってそうやって注抜きで読んでいるのに、どうして古典にだけ細かく注が要るのか。というわけで注は、最初はつけていたんですけれど、途中で全部取っ払ってしまいました。

 

もう一つは、古典の訳としてはルール違反でしょうけど…、原文のままというのが、いっぱいあるんです()。「何事にも先達はあらまほしきものなり」とか「命長ければ辱(はじ)多し」とかすでに広く人口に膾炙(かいしゃ)して、現代人でも知っている言い回しですから、それはもう現代語だろう、と()。他の現代語訳ではたぶん誰もやったことがないと思いますけど。

2018年

4月

14日

言葉の生成について(第9回) ☆ あさもりのりひこ No.532

今の子どもたちの語彙が貧困で、コミュニケーション力が落ちている最大の理由は、周囲の大人たちの話す言葉が貧困で、良質なコミュニケーションとして成り立っていないからです。

 

 

2018年3月28日の内田樹さんの論考「言葉の生成について(第9回)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

「ヴォイス」の発見とは、自分の中で言葉が生まれていくプロセスそのものを観察し、記述できること、そう言ってよいかと思います。自分の中で言葉が生まれ、それを使ってなにごとかを表現し、今度はそうやって表現されたものに基づいて「このような言葉を発する主体」は何者なのかという一段次数の高いレベルから反転して、自己理解を深めてゆく。そういうダイナミックな往還の関係があるわけです。そのプロセスが起動するということがおそく「ヴォイス」の発見ということではないかと僕は思います。

このようなプロセスを、具体的に国語教育の現場で行うためにはどんな方法があるのでしょう。やり方は無数にあると思います。皆さんが思いついたことをどんどんやればいい。 

でも、基本は音楽教育の場合と同じで、「よいもの」を大量に、それこそ浴びるように読むことだと思います。ロジカルで、音楽的で、グラフィックな印象も美しい、そういう文章を浴びるほど読ませ、聞かせる。これが基本中の基本だと思います。

今の子どもたちの語彙が貧困で、コミュニケーション力が落ちている最大の理由は、周囲の大人たちの話す言葉が貧困で、良質なコミュニケーションとして成り立っていないからです。周りにいる大人たちが陰影に富んだ豊かな言葉でやりとりをしていて、意見が対立した場合はさまざまな角度から意見を述べ合い、それぞれが譲り合ってじっくり合意形成に至る、そういうプロセスを日常的に見ていれば、そこから学ぶことができる。それができないとしたら、それは子どもたちではなく、周りの大人たちの責任です。

もし今の子どもたちの読解力が低下しているとしたら、その理由は社会自体の読解力が低下しているからです。子どもに責任があるわけじゃない。大人たち自身が難解な文章を「中腰」で読み続けることがもうできない。

時々、議論を始める前に、「まずキーワードを一意的に定義しましょう。そうしないと話にならない」という人がいますね。そういうことを言うとちょっと賢そうに見えると思っているからそんなことを言うのかも知れません。でも、よく考えるとわかりますけれど、そんなことできるわけがない。キーワードというのは、まさにその多義性ゆえにキーワードになっている。それが何を意味するかについての理解が皆それぞれに違うからこそ現に問題が起きている。その定義が一致すれば、もうそこには問題はないんです。語義の理解が違うから問題が起きている。語義についての理解の一致こそが議論の最終目的なわけです。そこに到達するまでは、キーワードの語義はペンディングにしておくしかない。多義的なまま持ちこたえるしかない。今日の僕の話にしても「教育」とは何か、「学校」とは何か、「言語」とは何か、「成熟」とは何か・・・無数のキーワードを含んでいます。その一つ一つについて話を始める前に一意的な定義を与え、それに皆さんが納得しなければ話が始められないということにしたら、僕は一言も話せない。語義を曖昧なままにして話を始めて、こちらが話し、そちらが聴いているうちに、しだいに言葉の輪郭が整ってくる。合意形成というのは、そういうものです。

僕たちが使う重要な言葉は、それこそ「国家」でも、「愛」でも、「正義」でも、一義的に定義することが不可能な言葉ばかりです。しかし、定義できるということと、その言葉が使えるということはレベルの違う話です。一意的に定義されていないということと、その言葉がそれを使う人の知的な生産力を活性化したり、対話を円滑に進めたりすることとの間に直接的な関係はないんです。むしろ、多義的であればあるほど、僕たちは知的に高揚し、個人的な、個性的な、唯一無二の定義をそこに書き加えていこうとする。

でも、それは言葉を宙吊りにしたまま使うということですよね。言葉であっても、観念であっても、身体感覚であっても、僕たちはそれを宙吊り状態のまま使用することができる。シンプルな解に落とし込まないで、「中腰」で維持してゆくことができる。その「中腰」に耐える忍耐力こそ、大人にとっても子どもにとっても、知的成熟に必須のものだと思います。でも、そういうことを言う人が今の日本社会にはいない。全くいない。誰もが「いいから早く」って言う。「400字以内で述べよ」って言う。だから、こういう講演の後に質疑応答があると、「先生は講演で『宙吊り』にするということを言われましたが、それは具体的にはどうしたらいいということですか」って()、質問してくる人がいる。「どうしたらいいんですか」というシンプルな解を求めるのを止めましょうという話をしているのに、それを聞いた人たちが「シンプルな解を求めないためには、どうしたらいいんですか」というシンプルな解を求めてくる。自分で考えてください、自分で考えていいんです。自分で考えることが大切なんです、とそういう話をしているのに、「一般解」を求めてくる。何を論じても、「で、早い話がどうしろと言っているんですか?」と聞いてくる。そこまで深く「シンプルな解」への欲求が内面化している。

 

メディア、特にテレビはその傾向が強い。まあ、仕方がないです。発言者に許された時間が非常に短いんですから。短い時間で、それこそ15秒くらいですぱっと言い切ることが求められている。カメラの前で、黙り込んだり、つっかえたり、前言撤回したりというようなことは絶対許されない。そういう人はテレビには出してもらえない。僕がテレビに出ないのはそのせいなんです。「で、結論は?」と訊かれるのがいやなんです。30分番組カメラ据え置きで、いくら黙り込んでも、同じ話を繰り返しても構わないというような番組があれば出てもいいですけれど。途中で「あれ、オレ何の話してたんだっけ?」がありで()、途中で「話すことないので帰ります」もありで()。それでもいいという番組があれば出てもいいけども。

2018年

4月

13日

言葉の生成について(第8回) ☆ あさもりのりひこ No.531

多くの人が勘違いしているようですけれど、自分の思考プロセスは自分のものではありません。それは、マグマや地下水流のようなもので、自分の外部に繋がっています。

 

 

2018年3月28日の内田樹さんの論考「言葉の生成について(第8回)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

いま、僕は20代後半のある青年と往復書簡をしています。

彼は何年か前に刑事事件を起こし、弁護士の指示で、更生の課程で反省文を何度も書かされました。それを読みましたけれど、驚くほど硬直していた。たしかに文章はしっかりしている。どうしてこんな事件を起こしたのか、それについての自己分析もしていた。言っていることはたぶんほんとうなのでしょう。でも、書かれていることが少しもこちらの心を打たない。彼がこれで「反省」が済んだ、これで自己分析を果たしたと思ったのでは、この先社会で生きてゆくことは難しいだろうと思い、彼が自分の「ヴォイス」を発見するのを支援するための個人レッスンをすることになりました。それから2年ほど、月1回くらいのペースで、僕が課題を出して彼がエッセイを書くという往復書簡をしています。

最初のうちは「正しい書き方」をしないといけないとかなり緊張していました。頭のいい子だから、「無難な文章」なら書けるんです。でも、彼が書いてくる文章は言葉が乾いている。水気がない。どうやって彼の言葉に水気を回復させるのか、それが僕の方の課題でした。

試行錯誤を繰り返しました。わかったのは、自分が実際に経験したことを書かせようとすると、硬直するということでした。家族のことや、学校時代のことを書かせようとすると、ぎごちないものになる。そこで経験したことが、彼の今の手持ちの語彙、文型の中には収まらないのです。言葉に収まらない経験をなんとか言葉に収めようとするので、骨と皮だけのようなものになる。

一計を案じてやらせてみてうまくいったのは、「なかったこと」を書かせることでした。自分の実際の経験を書かせると、自己史の中のトラウマ的経験を何とか避けようとするけれど、作話ならトラウマの近くまで行けるんです。「僕」を主語にするとトラウマ的経験に近づけないけど、「彼」を主語にするとそのすぐそばを通過するような文章を書けるようになる。そのときに、「物語を語る」ということがいかに重要であるか、よくわかりました。

今、彼は「ヴォイス」を獲得するプロセスの途中にいるのですけれど、だいぶよくなってきたなと思ったのは、彼が「なんだかわからない経験」を書き出した時でした。オチも教訓も、意味もわからない話を書き出した。

「どうしても忘れられない人」という課題を出した時には、同級生が在校中に亡くなってしまい、その子に何か言いたいことがあったんだけど、言わずに終わってしまった。何を言いたいかは忘れてしまったけど、今でもその子を思い出すと、何か言いたいことがあったことだけ思い出す、そういう短い話でした。この時に、彼はかなり「ヴォイス」に手が届いてきたなと思いました。「自分の思いを言葉にできない」という苦しい現実に「自分の思いを言葉にできなかった出来事」を回想するという仕方で、次数を一つ上げることで対処したわけですから。

たしかに「ヴォイス」というのはそういうものなんです。「自分がうまく書けない」というような事態そのものについてならうまく書くことができる。締め切り間際で週刊紙連載の漫画原稿を落としそうだという時でも、「締め切り間際で原稿を落としそうな漫画家」のどたばた騒ぎについてなら描くことができるということがあります。いつもいつも使える手ではありませんけれども、こういう「メタ・レベル」にずらすというのも「ヴォイス」の手柄です。

それまでの彼の文章は、ブロックを積んだみたいにカチカチとして余裕や曖昧さがなかった。自分の中に生じている、いきいきとした感情や感動は、実際には、なかなか言葉にできないものです。今日のテーマである「言葉の生成」というのもまさにそういうことなんですが、自分の中にある感情もアイデアも、実はきわめて曖昧なものなんです。曖昧なものだから、それを輪郭のはっきりした言葉に置き換えようとすると筆が止まり、舌がこわばる。ですから、曖昧なものを曖昧なままに取り出していけばいいんです。それができれば「書けない」という事態も「私はなぜうまく書けないのか」というメタ・レベルからの考察の興味深い対象になる。でも、それができるためには、自分自身に対して、自分の思考プロセスに対して敬意と好奇心を持つことが必要です。

多くの人が勘違いしているようですけれど、自分の思考プロセスは自分のものではありません。それは、マグマや地下水流のようなもので、自分の外部に繋がっています。それと繋がることが「ヴォイス」を獲得するということです。呼吸と同じです。呼吸というのは酸素を外部から採り入れ、二酸化炭素を外部に吐き出すことです。外部がないと成り立たない。自分の中にあるものの組み合わせを替えたり、置き換えたりしているだけではすぐに窒息してしまいます。生きるためには外部と繋がらなければならない。

言葉が生成するプロセスというのは、自分のものではありません。自分の中で活発に働いているけれども、自分のものではない。それに対する基本的なマナーは敬意を持つことなんです。自分自身の中から言葉が湧出するプロセスに対して丁寧に接する。敬意と溢れるような好奇心を以て向き合う。

往復書簡を通じて、彼の言葉が言葉らしくなってきたのは、彼が自分の中で言葉が生まれてくるプロセスそのものを、一歩後ろに下がって、語ることができるようになったからです。